東京想街道
Page.74[夢見心地の時間]





   1


 玄関で姿を見るなり色紙を両手で突き出して「サインください!」と叫んだ蕨を目の前にして、織川は笑いながらも寛容に対応した。度胸があるのか、単に常識が欠如しているのか――その辺りは父親にそっくりだ。

「いやあ、吃驚した。そーか、甥っ子さんか、そーか」
リビングに到着してからも織川は笑いを堪えられないようだった。
「あー、ゴメンよ、笑いすぎだな。――ん、ちょっと待て。ってことは葵君が――」
「! 父が何か……?」
「あぁやっぱりそうか、道理で。それじゃちょっと、デッキお借りしますよ」
 葵の話を自己完結させて、織川は1本のビデオテープを手にテレビの方へと向かった。テープをデッキに挿入する。今度はリモコンでテレビの出力を切り替えて、再生ボタンを、押した。
 デッキが動く音がして、映像がテレビから切り替わる。
「――多分、吃驚すると思います」
「……吃驚する、ですか?」
 ソファに着席した織川は、何も答えずにただこちらを見て――静かに笑うのみだった。

 映し出されたのは――どこかの学校の、文化祭らしき風景。校庭に模擬店のテントが立ち並び、にぎやかな声と音が聞こえる。
『イブキ。つまんないビデオ撮ってないで行こう? 高校のお化け屋敷行きたいって言ってたじゃん』
 入り込んだのは近くからの声。恐らくは声変わり前の少年の声だ。内容から察するに、撮影者の名はイブキと言うらしい。
『ちょ、ちょっと待て。あののぼりだけ撮るから』
と言いながら、撮影者は校舎らしき建物に掛けられた「第28回 青梅学園中高文化祭」との幟を映す。映したかと思うと、一気に画面が暗転した。
『うわッ!ちょ、リョウ、何しやが……ッ』
どうやら先刻の声の主にレンズを手で塞がれたらしい。
ぱっ、と手が外される。
 揺らぐ視界に入ったのは、誰かの顔。どアップ、である。
『うわぁあああぁッ!!』
 撮影者、叫ぶ。ついでに誰かの笑い声。
 冬雪が思わず吹き出すと、隣に座っていた織川もくすくすと笑った。
「伊吹というのは我々の友人なんですが――……ビデオ撮影が趣味でしてね。何かのイベントごとがあるたびにこう、撮ってまして。これは中学1年から高校3年までの文化祭のテープを編集してくれたものです」
「なるほど……」
 中学生らしからぬ趣味だ。すると、最初のこれは中1ということか。

 どアップだった少年がカメラから離れる。そして何故かピースをして笑う。律儀に一番上のボタンまで留めた学生服が少々不似合いなぐらい幼い。
『どけ。お前撮ってるんじゃねえんだよ』
『そっちが動けばいいじゃんか』
『……どうせついてくるんだろ?』
『あはは、判ってんじゃん。――あ、ダイスケ!やっほー』
少年は画面左側を向いて手を振る。その名に聞き覚え。
 新たにフレームインしてきた茶髪の少年の右手と、先刻の少年が掲げて待機していた右手が重なり、乾いた音がした。そしてやはり、笑い声。
『あはは、やっぱりリョウは小さいなぁ』
 ダイスケと呼ばれた茶髪の少年――結城大亮と見て間違いないだろう――が先刻の黒髪の少年の頭を撫でながらそう言った。となると、顔を赤くして怒ったほうの『小さい』リョウ少年は、
「――諒也ですよ。中高で30cm伸びたとかなんとか言ってましたかね。あと大学で10cmだったかな」
 織川が苦笑する。随分と成長期の長い人だ――この上なく羨ましい。

『……大亮。そんなこと言って追い抜かれても知らないぜ?』
 撮影者・伊吹からの的確な忠告。彼でなくとも中学生は伸び盛りだ。
『そうだそうだお前なんか抜いてやらぁ』
『はっ!抜けるもんなら抜いてみやがれッ』
お互い仁王立ちで睨み合う。
 この後いつ決着がついたのかは知らないが、恐らく大亮は相当悔しい思いをしたに違いない――。

「……とまぁ、こんな感じで子供らしいドタバタが3年間続きます」織川が苦笑しつつリモコンを手に取り、「本題はここからです」と早送り。
 画面をボーっと眺めても、何が起きているのかさっぱり判らない。織川が言った。
「伊吹曰く、このビデオは文化祭よりもむしろ諒の変貌振りの方が面白い――そうで」
「え?」
「まぁ、ご覧下さい」
 再生。
 『第31回』ののぼりが映し出され、撮影者による解説が行われた。高校1年生だ。伊吹氏の声もだいぶ低くなっている。――と、思った次の瞬間。
 ガッ、という嫌な音がして、画面が揺らいだ。これは撮影者が誰かに殴られたか――
『痛えな何しやがる! 人がビデオ撮ってんのにだなッ』
『だから、だよ。判らない?』
体勢を立て直した撮影者が、殴った人間の方にカメラを向ける。毎度毎度撮影を妨害されて可哀想に。
 そこに仁王立ちで立っていたのは、眼鏡を掛けているがどう見ても結城大亮その人だ。ケラケラと楽しそうに笑っている。そのすぐ後ろに――金色の髪の少年が、興味なさそうな仏頂面で立っていた。背は大亮よりも――少しだけ、低い。
『諒。居るんだったら見てないで止めてくれ』
『…………止めてどうするんだ?』
画面に映るのは――止めて得するわけでもあるまい、とでも言いたげな無表情。
 確かに彼が止めるわけも無いとは思ったが――少し、違和感を覚える。
『……はいはい』
『なんだよ伊吹。人がせっかくビデオを面白くしてやろうとしてんのに』
大亮の楽しそうな声が割り込む。
 違和感の正体に気付く。
 ――諒也はまるで楽しそうではないのだ。
 つまり、止めない方が面白いから止めなかったのではなく、止めるのが面倒だから止めなかっただけ。止めないこと自体は全く驚くべきことではないが、中学時代に自らレンズを手で塞いではしゃいでいた人間がこの状況下で無表情で居ることが、おかしい。

 そして突然、ブラックアウト。
 ――織川が停止したらしい。冬雪は現実に引き戻された。

「……事件があって性格が荒んだとか無気力になったとか馬鹿馬鹿しくなったとか、本人も色々言い訳してましたけどね? 本当は彼だって一緒になって暴走したかったと思うんですが」
 織川の静かな声。それは一体どういうことだろう。事件というのは何の事だろうか――。
「で……また・・人を殺したって――きっと同じような状態になってるんだろうと思いましてね。――面会に行って来ました」
「……!」
 また、と言うのは――中学の頃に喧嘩相手が死んでしまったという事件のことか。そんなことがあった、と誰かから聞いた覚えがあった。誰からだったかはよく覚えていない。
「お話――聞かせて下さい」
「えぇ。それじゃ、どこから話そうかな――」
 そして、織川は語り始めた。


   *


 月に一度はメールや電話で連絡を取っていたが、実際に会うのは楽譜の件以来で半年振り。それも通常では有り得ない環境下で、だ。これはそうそう出来ない体験。織川は高鳴る胸を抑え込んだ。
「何緊張してんだよ」
 アクリル板の向こうで笑う彼は本当に楽しそうだった。そんなに喜んで貰えるなら、来て正解だっただろうか。
 前回会った時は長かった髪はいつの間に切ったのか、短く――と言っても肩につきそうなのだが――なっていた。若干痩せた――否、やつれたような印象を受けたが、否定されると気のせいのような気もする。写真で比べた訳ではないので良く判らない。場所の所為でもあるだろう。
「――で、今日は何の御用事で? 多忙な織川がただ『会いたいから』なんて理由で来るとも思えないしな」
 気丈な振る舞いをしているが、それは相手が織川だからだろう。彼は基本的に他人に弱味を見せたがらない。
「嬉しいなら素直に喜べ」
「思ったことを素直に訊いたまでだが」
「……歓迎されないなら帰る」
「……俺は止めないぞ?」
 意、用事が果たせなくてもいいのか。
 織川は溜息を吐いてパイプ椅子に座り直した。
「別に、はっきりした用事があるって訳じゃないんだよ。文化祭のビデオ発掘してだな。あの頃も凄まじく凹んでたから、元気してっかなーと思って来ただけだ」
「ふぅん」
興味のなさそうな返事だ。
「元気か?」
「全然」
 無表情。どちらか判らない答え方をしないで欲しい。
「あーそれはつまり、全然、元気」
「じゃない」
「……だろうよ」
副詞の呼応がどうこうと説かれる予定は無い。これ以上は言わないでおく。
「無理すんなよ?」
「……判ってる」
 彼の表情が曇る。
「いいか諒也。お前のことだからまた全部自分で抱え込もうとしてんだろうが、今回ばかりは止めとけよ。そんな事しても状況は悪くなるだけだ――CECSさんよぅ」
 織川と目を合わせず、空気を見つめながら話を聞いていた諒也は、小さく溜息を吐いて口を開いた。
「どうして、だろうな」
「ん?」
「どうしていつも、こうなるんだろう」
「そりゃあお前の正義感が強いからだ。尊敬モンだぜ」
 そう言うと、彼はきょとんとして不思議そうに織川を見た。そういう表情をすると彼は本当に子供のようで可愛らしい――などと言うと凄い剣幕で怒られるので言わないでおく。
 説明を求められているようなので、続ける。
「状況が特殊だったろ。勧善懲悪のルールに則れば、」
「他の方法があったはずだ――」
「後悔してんだな。勢いで行動するなんてお前らしくもない」
「…………」
 彼が複雑そうな表情をして考え込む。
 何か他に掛けられる言葉はあるだろうか。
「……勢い、だったのかな」
 彼らしくない口調。続きを求めると、諒也は少し困ったように眉をひそめて、しかしてゆっくりと語り始めた。
「俺が、CECSだから――……それが正しいと、思ってたんだろうな」
「ん……?」
「もし俺がCECS……いや、CEを受けてもいなければ……たとえその能力があったとしても、誰かを殺すようなことは無かったと思う。その責任に押し潰されるのは容易に想像できるし、後が大変だから。……CE享受者全員、あるいは夢見月家にも当てはまるのかも知れない」
 夢見月によって起こされた事件は、夢見月によるのだから『仕方ない』。事件の原因は夢見月というステータスだけで説明され、絶対に存在するはずの他の要因、例えば直接的な動機などはほとんど無視される。
 それはCECSであっても、単なるCE享受者であっても同じこと――。
 世間では今回の事件も『案の定』だと捉えられている。
「俺たちが『危険』な理由はそれ――ってことだ。何か事件を起こしても全てステータスのせいにして『仕方ない』事に出来る。それで自分は善人だと思ってる。は……何処が善人だ」
「……。周りどころか本人もそう思ってるって事か」
「そうなるかな。CE享受者なんて皆そうだと思うが、それに恩恵を預かったなんて誰も思ってない。だから――そう、被害者意識を持ってる。そんなものを受けてしまった自分は――もう、自分じゃない」
 それから少し寂しそうに微笑んで、呟くように話を続けた。
「全部CEの所為……そういう意識だ」
「……哀しいな」
「だからCE享受者による事件が絶えないのかも知れない。CECSになると注目されるからそう簡単に事件なんか起こせないが――」
 危険だという先入観が、全てを引き起こしている。
「CEなんて幻想に過ぎないって――……誰かが一言言ってくれれば済むことだったのかも、知れないな」
 寂しそうな彼の笑顔が、痛々しい。
「諒也――」
「本当に幻想だったら良いのに」
「し……しっかりしろ。ワケ判らんこと言い出すな。ステータスとかそういうことはもう考えなくていい、お前はお前が好きなように生きればいいだろ。まだ時間はある」
 慌ててまくし立てた所為か、彼は苦笑して答えた。
「ありがとう。……本当に……厄介だな」
 いつものように右手で前髪をかき上げて、ひとつ、溜息。それから「あ、」と小さく声を上げて付け加えた。
「もし秋野に会うことがあったら――」
「お?」
「伝えといてくれ。――あの時言ったことは撤回しない。確かに俺一人死んだところでどうにもならないかも知れないが、CEはいずれ確実に撲滅しないといけない」
 言われたことの意味が一部良く判らないが、彼に伝えれば判るのだろう――と信じたい。織川は概要を記憶して数度頷き、「了解」と返した。彼はいつものように――無邪気に、笑う。織川以外にはほとんど見せない姿のひとつだ。

――そして、面会時間は終わった。


   *


『――普段いくら善人だとしても、『いざという時』には平気で人殺しになるんじゃ、俺らが善人だなんて……胸張って言える事じゃないだろ』


 感情的になって叫ぶ彼の声が脳裏に浮かぶ。言われた時のあの感情を、どう表現したらいいのだろう。
 それを、撤回しない――か。
 自分も彼も人殺し。母も、銀一も結局は殺人者。彼の父親に至っては大量殺人犯。そんな集団のどこが善人なのか、と――。

 全ての前提が狂う。落ち着かない。怖い。
 この感覚は何だろうか――。

「大丈夫ですか?もし何か不満なら直接会いに行って喧嘩売ってきたらどうです?口喧嘩なら可能ですよ」
 笑いながらそう言われてもあまり行く気になれないのは、会いたくないのか、会う勇気が無いだけなのか。
 行けばきっと、彼は笑顔で迎えてくれるのだろうけれど。
 何故か――気乗りしなかった。

 不安、なのだろうか。
 一体――何が。
 自分でも良く判らない。
 冬雪はCECSである以前に夢見月の人間だった。だから少々悪いことをしても、全てそのステータスに押し付けることができた。一般人に憧れつつも夢見月で居ることが楽だと気付いたのはその名を失ってからで、結局今でも――その血に頼りながら生きている。
 先刻から玲央が心配そうに冬雪を見ている。自分は今相当暗い顔をしているのだろう。織川が懸命に慰めようとしてくれているのも判る。蕨は話が判らないらしく、不思議そうに様子を眺めていた。

 だからきっと、彼も冬雪と同じぐらい沈んでいるに違いないのだ。罪はステータスに押し付けたとしても、彼が人を殺してすぐ元気になれるような人間でないことは判っている。
 自分は、沈んでいる彼に――会いたく、ないのだろうか。彼を助けようとは思えないのか。いつも彼に助けられてばかりいて、それなのに彼が困っている時は――見たくないと言うつもりなのか。
「ふゆっきー……」
「あー……刺激が強すぎましたかね。失敗失敗……」
 織川の苦笑にハッとする。玲央が悲壮な顔をして、冬雪の頭を撫でながら「大丈夫?」と言う。
「……ゴメン。どうかしてた」
「うん。後でゆっくりお話しよ」
「……あぁ、うん……そうしよう」
 冬雪が笑うと、織川は腕時計を見て「よし」と呟いた。
「さて、わたしはそろそろお暇しますかね。ビデオは良ければしばらくお貸ししておきます。葵君も少し映ってますし。次の機会に返してもらえれば」
 蕨が目を輝かせた。父の姿を追おうとしているのだろう。冬雪は礼を言い、織川を送るため1階へと向かった。

、玄関扉を閉めて、小さくひとつ溜息を吐く。
 恥ずかしいところを見られてしまった――。強みであると同時に弱みでもある。
 織川は彼と付き合って長いようだが、どのように受け止めてくれたのだろうか。

「……これから……どうしよう」

 まず何に手をつけるべきか。
 扉を背にして再び大きく溜息を吐いた時、突然凄まじい高音が室内に響き渡った。

「……ッ、誰だよ……!」
 インターホンの音だ。冬雪は半ば自棄になりつつ、背中の扉を開けて――……驚いた。

「早ッ。待ち構えてた? 今すれ違った人、どっかで見覚えがあるような……」
 真紅の髪、困った顔。
 誰かに少し似ているような、似ていないような――。
「え……、何で……」

――三宮尚都が、突如来訪してきたのだった。


   2


「判らないのは要するに目的だ。誰が、なんてのはどうでもいいんだ。目的さえ判れば後は必然的に導き出せる」
尚都は力強い口調でそこまで言い切って、満足したのか腕を組んでソファに深く座り直した。
 そんな態度がどこかの兄にそっくりである。
「……で……どうしてここに来たんですか?」
「どうして? 俺らが協力しないで誰が協力するんだよ! 良いか、このまま放っといたら死ぬのはアンタの、――いや、アンタと俺の先生だぜ。あの人はもう既に何度も殺されかけてるんだから」
「……その大半が貴方にですけど」
「……そこは目を瞑ってくれ。俺だって理由は知らなかった。とにかく、『計画』はあの人を生かしておいては終われないってことだ」
 力説。
「……はぁ」
「それでアンタの知恵を借りたい。葵の兄貴から大体の話は聞いてたが、俺1人じゃどうにもならなかったんでな。アンタなら俺の知らないことも知ってるし。あ、それと」
「?」
「別に敬語使わなくていいぜ。俺もアンタも兄貴の弟。だからアンタは俺の弟。血の繋がりなんて関係あるかッ」
爽やかとは到底言えない豪快な笑顔を浮かべ、尚都はそう言った。確かに、血縁関係ならただの従兄弟だ。
 しかし、こんな話をしに来ておいて何故そう笑っていられるのだろう。
「…………」
「……乗り気じゃない感じだな」
「え、あ……いえ」
「何かあったの? アンタらしくないっつーか、なんつーか」
 冬雪と長い付き合いがある訳でもあるまいに。
「……色々と、話を聞いたばかりなもので。まだ……落ち着かないだけです」
「話?」
「CECSのあるべき道を」
「……はい?」
尚都は面食らったような顔をして冬雪の顔を見つめている。
「……どうしたら……世間に受け入れてもらえるのかな、と」
 しばし、無言の時間が続いた。
 それから――小さく溜息を吐いた尚都が、静かに唇を開いた。
「……そんなことは……後回しで良いんでねえの?」
「え?」
「もう今更だろ。俺は先生を2回も殺しかけたし、葵の兄貴も殴ったし、鬼っ娘も誘拐したし……その全部が人に言われてしたもんだから救いようのない馬鹿だけどさ。いくら人に言われたからって、やってんだから言い訳になんねえよ。第一、アンタだってさっき俺のこと責めただろ? だから俺ら現役はもう、どう言われたって仕方ない。問題になるのは、この先CECSになり得る人ら。でもそんなものはいつ出て来るか判らないし、出て来ないかも知れない。むしろ出て来ない方が良いだろ。
 だとしたらそんなことは後回しでいい。目先のことを考えようぜ」
「…………」
 唖然。
 何も判っていなかったのは――冬雪だけ、か。馬鹿馬鹿しくなってくる。何をここまでむきになっていたのだろう――。
 不意に、笑いが零れた。
「……何だよいきなり笑い出したりして……」
「はは……いえ、なんかもう、悩むのが馬鹿らしくなって」
「……世の中悩んだら負けだぜ?」
「貴方に言われたくないです」
「良く言うよ。さて、悟ったところで本題に入りましょうか?」

 ――本題。
 『計画』の目的とは何だったのか。

「……目的……か」
「特定の人を殺してるように見える一方で、葵の兄貴と梨羽みたいな選択性もある」
 その話は初めて聞いた。
 葵が死ぬのが必然だったのだと――そう、思っていた。
「……それは凄く変だと思う。多分……葵たちに限らないんじゃないかな」
「と言うと?」
「オレと鈴夜とか。先生と梨子さんとか。兄弟のうちの誰かが死ねば……残りは生かされてる」
「……俺は最初……アンタ以外で遺産を継ぎうる人間を皆殺しにするんだと思ってた。だから俺もいずれ殺されるんだと思ってた。葵の兄貴も否定しなかった。でも……違った。
 ジジイがアンタを呼び出しただろ? あれがジジイにとって最後だったんだ。俺は生きてて良い人間だった」
「……先生まで狙ってるのにそれは変だな。尚都さんが三宮だから良いって言うなら、先生だって無関係なはず」
「だとしたら、俺ンとこと先生ンとこの相違点を見つければ良いってことか」
 それが直接、殺す必要があるかないかの違いになる。
 一体何が違うと言うのだろう――。

「……兄弟のうちの誰かが死ねば……って言ったか?」
「え、うん」
「って事は誰でも良いんだろ。アンタじゃなくて弟君が生きてた可能性だってあるわけだろ。まぁジジイ的にはアンタには生きてて欲しかったんだろうが――。そしたら……殺すのは先生じゃなくたって良い」
「……梨子さんでも良い、って事?」
 理由は判らないが、嫌な予感が――寒気が、した。
 尚都が鋭い視線をこちらに投げつける。

「じゃあどうして――CECSの方を殺そうとするんだ?」

 誰でもいいなら、殺しやすい方を殺せば良い。
 ならばどうして色々と面倒なCECSの方を抹殺対象に選んだのか。

「葵の兄貴は自分から進んで決めたし、自殺だ。だからCECSかどうかは問題じゃない。でも先生は違う」
 二転三転していた葵の事件の真相は、結局自殺で片付いた。元に戻るなら掻き回すなと本人に文句を言いたい。
「……誰でも良くはなかった、って事じゃないのかな。人間なんだからそうなるよ。生かしておきたい方を残したっていうだけ。だから、梨子さんを守りたい人たちが先生を狙ってる」
「……それは」
「……さっきから変な予感がしてた。……鈴夜が殺されたのもこの関係って事で良いんだよね?」
「え、あぁ……ジジイの命令で、白亜氏が犯人で」
「……そっか」
「へ?」
尚都はまだ気付いていないようだった。
 冬雪はソファから立ち上がり、事務所スペースから出て、2階へ上がる階段の近くで立ち止まった。
 ここで、あの時――。

「……おい……」
 尚都が駆け寄ってくる。
 振り返り、彼に問い掛けた。
「鈴夜はY殺しの被害者、正式な『8人目』。命令を受けて父さんが勝手にやったことなら、どうしてそれが正式なものになり得ると思う?」
 尚都は怪訝そうな顔をするだけで、何も言わなかった。
「父さんはY殺し本人と内通してた。『計画』でオレか鈴夜を殺す必要があるなら、Y殺しの騒ぎに便乗する方が良い。……どっちにしろ夢見月だから。だから父さんは命令のことをY殺しに……春崎架に、伝えたんだろう。どっちかって言うと、『計画』による殺害であることを隠したかったのかな……良く判らなくなってきた」
「……要するに……どういうことだ」
「何に則ってるのかは良く判らないけど――騒動の中心に居るのは……夢見月家、って事かな」
 そして『目的』は久海ではなく夢見月家が望むもの。
 その為には自分の一族の者が死ぬこともやむを得ないが、出来れば守りたい――だから、抹殺対象はCECSでも良い。仮にも夢見月なのだ、総動員すればCECSだって殺せない訳がないとでも考えているのだろう。
「アンタ……良いのかよ。自分の親戚がそんな……」
「……そういう家だから。それはもう、仕方ない」
 先刻の諒也の話を聞いてもそう言ってしまう自分がまた、哀しい。だが――事実だ。
「じゃ、じゃあ……何の為にってのも判るか!? アンタも夢見月の生まれだろ? そいつらが考えそうな事だ、思いつくか……?」
 ――『計画』の目的は何なのか。
 これまで亡くなった人間のうち、誰が『計画』による死者で誰がそうでないのかは判らない。祖父が語った話に出てくる名がそうだとすれば――。
 殺すのは、特定の兄弟のうちの誰か。
 ではその特定の兄弟とは何処から選ばれるのか。
「……兄弟……?」
「お……?」
 久海蒼士は仮にも警察関係者だ。邪な考えがあって夢見月に協力した訳ではないのだろう。
 となると夢見月がやっているのは、少なくとも彼らの認識では『世間の為になること』であるはず――。
「……夢見月は……もう、CEは無くそうと」
「……ん……?」
「全員を殺すわけに行かないから……せめて……」
「え、えーと……もしもーし?」


「せめて規定違反は無くそうと……ッ!」


自分でも良く判らないまま――思いついたことを、叫んでいた。
 尚都が肩に触れようとする。それを無意識に払う。
「えあ、お、おい、大丈夫かよ……! 違反って何のことだ?」
「違反は止まない。何度言っても変わらない。だから殺すんだ」
「おい、説明してくれ。何のことだかさっぱりだ」
「……散々聞かされてた……それなのに、こんな深刻になるまで気付けなかった。……尚都さんも知らないよね。きっと先生も知らなかった。CEを子供に受けさせる時は――最低1人、受けさせない子が必要。それがCE導入規定の第3条。CEを広げすぎない為に、だ。こればっかりは違反の解消が難しいから、よく伝えるべきだって――……。夢見月なら、皆知ってる」
 尚都からの返答はない。
 だから、続ける。
「……その為にこんな皆殺し計画が……こんなのが許されて堪るかよ……。夢見月なら人殺ししても許されるってのかよ……!」

 ――そうだ。
 夢見月だから――夢見月による事件だから、それは『仕方ない』のだ。
 結局夢見月家もCEを無くす為と言いながら、CEに溺れているだけではないか――。

「…………」
「結局一番悪かったのは、誰なんだろう――」

 冬雪はそう小さく呟く。

 尚都は何も言わず、ただ深刻そうな顔をして、そこに立っているだけだった。

   *


 それから数ヶ月が経過した。
 諒也に対しては懲役5年の実刑判決が確定し、世間では短いだのなんだのと騒いでいる。だが、そんなことはどうでもいいことだ。夢見月に殺されてしまえばおしまいだし、そもそも彼はいつ出てこようと隠居してのんびり暮らすだけだと思っていることだろう。
 突然、深海屋に現れた緑色の髪の少年は、志月の実の弟だと名乗った。これまで志月から聞いていた情報と併せて考えると、彼が諒也の先祖にあたるのだろうか。いまいち実感がわかない。

「そんな暗い顔すんなよ。こっちまで暗くなるだろ」
 カウンターの中の胡桃がニヤニヤと笑いながら冬雪の頭をつつく。
「……暗くもなるって」
「なんで? 悪い結果だったってワケじゃねえんだし、のんびり待てばいいじゃん」
「そういう問題じゃなくて――」
 自分は一体何だったのか。
 事実を曲げて誤魔化して、何もせずのうのうと生きている――。
「……オレだって人殺しなのに」
「今更だろ。これから何をするか考えろよ。夢見月に狙われてんだろ?その打開策考えとけ。――あ、ところで魚座の試作品飲んで欲しいんだけど」
 わざとなのか本当にどうでもいいのか、胡桃はあっさりと話題を変えた。どちらにしても――自分が沈んでいては駄目だということなのか。
 ならばそれに乗るまでだ。
「――よし。イメージは阿久津でOK?」
「え、ええ……? 他にも居るだろ他にも……」
 そう言う幼馴染の苦々しい表情を眺めながら、訪れるかも知れない平和な未来に――思いを、馳せた。



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