東京想街道
Page.70[堕ちた天使に鉄槌を]





   1


“――これで一件落着”
尚都の声が頭に響く。パソコン画面に向かって、手は書き途中の歌詞を紡いでいるはずなのだが――何故かその一言が引っ掛かって離れない。
(本当はまだ解決していない、のか)

そんな事は――無い、のだろうか?

改めて考え直してみる。冬雪の周囲で亡くなった者の死因とその犯人は――。
(待てよ)
突然、高らかな歌声が部屋中に響き渡った。思わず驚いて飛び跳ねそうになったが――携帯だ。誰かからメールが届いたらしい。冬雪は何気なくそのメールを、開いた。
『父親の死の真実を知っている。教えて欲しければ明日午後10時、緑谷駅北口地下駐車場B-8へ来るが良い。武器の持参は禁じないが、必ず1人で来る事』
「おいおい……また呼び出し状かよ」
正直もう懲り懲りだ。またこれで命の危険に遭うぐらいなら、行かないという選択肢も消えはしない、のだが――。
「……誰も、許しちゃくれないよな」
恐らくは、自分自身も。
何故白亜が自殺にまで追い込まれたのか――……それも、息子の目の前でと言うのには何か訳があるはずだ。
そこに原因があるのだとすれば、知りたい。

もし、祖父以外にも彼が亡くなった元凶が居るのだとすれば――……。
(……ダメだ、殺しちゃダメだ)

そんな事をしても何の解決にもならない。
まずは、話を聞かなくては――。

今回は誰にも言わずに行こうと決めた。
特に理由はないのだが、心のどこかで何かを感じ取っているのかも、知れない。
尤もそんな事を考えたところで解決などしない。

――今日はもう寝よう。

冬雪はパソコンの電源を落とし、背伸びをして椅子から離れた。


   2


 緑谷駅北口地下駐車場。
 ここには何度足を踏み入れただろう。ただの一度も、正しい用法で使ったことは無いのに、だ。歩くたびに、小さいはずの足音が増幅されて耳に届く。夜の駐車場に差し込む月と街灯の明かりが途切れるところまで、ゆっくりと進んだ。駐車場内の電灯はそこまで明るくなかった。
 現在時刻は午後10時10分。迷っている間に少し遅れたが、相手はまだ待っているだろうか――。
「B-8」
呼び出しメールに記された数字と同じ番号を、コンクリートの上に見つけて復唱する。車は停まっていない。が、人の姿も見えない。
「遅かったんだな」
背後から男の声が掛かった。慌てて振り返ると同時に、右手がウェストポーチに伸びた。
「……殺すには少し早いんじゃないのか?」
妙に落ち着いた口調。
どちらかと言えば、冬雪を諭すような――。
「どうして……先生?いや……朝霧さん、なのかな」
通路を挟んで『B-8』の反対側の柱に寄り掛かっているのは、黒のスーツに身を包んだ、背の高い男だった。
「いや――『岩杉諒也』だ、な」
腕を組んだ彼はいつもの、何を考えているか判らない顔で――何故か、旧姓を名乗った。
そしてにっこりと微笑み、
「10分の遅刻は見なかった事にしよう」
と言った。
何とも言えなかった冬雪は――とりあえず、睨み返しておいた。
「随分と警戒してるな」
諒也は苦笑して言う。
「……当たり前だよ」
たとえ10年以上慕った師だとしても、目の前に立つ相手は自分を殺す事の出来る――CECSである。警戒しない訳がない。大体、あんな呼び出し状を出しておいて警戒するなと言う方が奇妙しい。
「話、聞きたいんじゃないのか?」
「それは」
「今俺を殺したら一生聞けないぞ」
「……じゃあ後で殺せと?」
平気で言える自分が怖くなる。
幼い頃からずっと恐れていたのは――この瞬間、なのだろうか。
 自分が自分を制御できなくなるのが怖かった。何をしたとしても止めてくれる『誰か』が必要だった。彼がその『誰か』だと思っていたはずなのに。
 いつしか、そう思えなくなっていた。
 自分が彼を抜いたとは思いたくなかった。そんな事になったら、一体誰が止めてくれると言うのか。『強く』なりたいとは思っていたが、しかし――自分の上に立つ『誰か』は、少なくとも必要だった。
「さぁ、それはお前次第だな。殺す気になったら殺せばいい」
「……変なお話で」
「悪かったな」
そう言って彼は悪びれずに笑った。
 全面的に信用しているつもりでも、この人はまだ何か自分に隠しているのではないかと――……いつも、感じていた。どんな場でも落ち着いて平気な顔をしている彼の姿は一種異様で、それこそがCECSらしく思われた。

 もしかしたら本当は彼のことが――怖かったのかも、知れない。

 『先生』と呼ぶのは飽くまで自分が下だという確認、そして畏敬の対象だという表現。親しみの表れなどではない。自分の暴走を必ず止めてくれると約束してくれたが、それも中学の頃の話。騎士だと言うのはそういう意味だろうか――。
「どうして……笑ってられるんだよ。オレが持ってるものが何か、判ってる、だろ」
「あぁ」
「それとも何か……相手がオレだからって甘く見て、」
「そんな事はない!」
諒也が叫んだ。いつの間に出したのだろう――右手にはナイフを握っていた。
 心臓がひときわ大きく拍動する。

――あれが彼の、最も扱いを得意とする、凶器――……。

冬雪は思わず息を呑んだ。
「……今でも俺の方が上だと思ってるのか?もう疾っくに抜かれてるぞ」
「冗談……」
そんな事を彼の口から言って欲しくはない。自分はもう騎士としては役に立たないのだと、認めて欲しくはない。
「冗談じゃないさ」
「それは人間の年齢で計算してるから、だよ」
慌てて考えた適当な言い訳だったが、しばらく応答はなかった。
諒也は目を伏せて少し何かを考えて――……静かに、顔を上げた。
「俺が人間じゃないから、それで余計に警戒してるのか……なるほどな」
「…………父さんに何を言ったの?」
もし彼が本当に白亜を追い詰める一端を担ったのだとしたら。
「何を言ったと思う?」
「……話するって言っただろ……」
諒也は苦笑した。それから静かに、口を開いた。
「そうだったな――。……去年の秋に、彼を呼び出して少し話をした」
「去年の、秋」
随分前の話だ。
「あぁ。葵のこと、秋野のこと、それから少し、鈴夜君のことも――。あと、彼自身のことを」
「父さん自身の?」
「彼が『死んだ』事件のことだ」
「あれは母さんが――」
「いや、彼の提案だろうとその時確信した。恐らくは『計画』からの逃亡――……だと、思った」
そういえば、先日祖父はそのように言っていたか――。
「その時はまだ久海蒼士が主謀者だと判ってなかった――……その後不用意に、その確認の手紙を、送った。手紙なら警戒する必要もないと思ったからな」
当時白亜は蒼士と同じ家に暮らしていたのだろう。
だとすれば――。
 諒也は続けた。
「返事は来なかった。代わりに届いたのは彼の訃報と楽譜だった」
「…………それが……原因だって?」
「お祖父さんが何て言ったか覚えてるか?『自ら事故を演出して逃げたつもりだったようだ』と――……恐らくは俺の手紙を開けたのは、お祖父さんの方だ。白亜さんはそんな事を訊かれても頷く訳がないからな。俺が白亜さんと会った事もきっと知ってたんだ。その上で抹殺対象【おれ】に『計画』の事がバレたとなれば――……」
先に殺すべくは『裏切り者』の方、か。
祖父はきっと白亜に命令したのだ。

息子の目の前で、自分に銃口を向けて――引き金を引け、と。

「だったら先生は何も悪くないだろ」
「悪いのは誰だ?」
「……祖父さん1人だ」
「それでも俺が原因には違いない」
「原因でも、先生が悪いわけじゃない。……話してくれてありがとう、解決した。
で――、それだけを話しに来たの?」
諒也の表情が変わった。
キッとこちらを睨み付ける。
「……やっぱり勘が鋭いんだな」
「……何となく、だよ」
「その何となくを勘って言うんだろ」
飽くまでおどけた調子を崩さない諒也に対して、少し苛立ってくる自分がまた怖かった。
自分はいつ、彼に銃口を向けてしまうのだろうか――。
「あーもう、言いたい事があるんなら早く言えよ……!さっきから落ち着かないんだよ」
「あぁ、悪いな……良く判ったんだ。結局自分は人情の欠片もない、冷酷なCECSだってな。自分の作り出した偽物の優しさを自分で信じて生きてきた。変な話だが――……そう思ったら、何も信じられなくなった」
「何、も」
「そう、何も」
ならば冬雪のこともか。
否、元々信用などしてもらっていなくて当然か――。
「元々Stillに居たって知ってるだろ」
「……うん」
「DRTの設立目的もそれと一緒だ」
「『CE制度の撲滅』……でもあの時、どうしようもないって言ってたじゃ」
「どうしようもないからって放置していいとは言ってない」
「そんなの話の流れで」
「じゃあこの5年でCECSの地位がどれだけ上がった?『社会奉仕』の意味を感じるか?
――普段いくら善人だとしても、『いざという時』には平気で人殺しになるんじゃ、俺らが善人だなんて……胸張って言える事じゃないだろ」
感情的に言い返したいとは思っても、上手い言葉は浮かんで来ない。
「大体『いざという時』なんて本人の基準だ。他人から見ればどうでもいい事かも知れない。それで相手を殺して言い訳したところで……誰が、信用してくれる」
「……どういうつもり?自虐したところで何にもならないよ……今更何言ったって、遅いんだから」
「何言ったって遅いから――……終わらせる気なんだよ」
彼の声が、いつもと違った、気がした。
「終わらせるって……」
「俺がお前を殺そうとしたところで無理だと思ってた――……でも『人間の年齢で計算してるから』だとさっき言ってくれただろう?つまりどうなるかは判らない」
「……やっぱり、殺す気なんだ」
「もしお前を殺せたら、その後は俺達の関係者全てを殺して最後に自分も死ぬよ」
彼は最後まで笑顔を絶やさなかった。

――関係者全て、だと?
無茶な事を――と言いたくても言えない。

何しろ相手は『いざという時』の悪魔――……CECS。

もし自分に止められなければ、一体誰に止められると言うのか。
泊里も玲央も諒也には気を許しているから――気付いた時には殺されているだろう。

「――勝つか負けるか、それだけだ」
彼が右手に持ったナイフを構える。

咄嗟に、持っていた拳銃を彼に向けた。


――殺さなければ殺される、でも殺したら約束を破る事になる――……。


葵との約束を破れば、恐らくそこに待っているのは、破滅のみ。
だからと言って殺されれば、それはそれで約束を守れなかったことになる。

では一体どうすればいいと言うのか。

引いてはいけない。この引き金を引いたら――全てが、終わる。
「……殺さない、のか」
「……違う……違う、よ」
震えているのが判る。手が、足が、やがては身体全体が震えに襲われるだろう。

こんな事は――初めてだ。

視線の先で、彼が不思議そうな目をしているのが見えた。
彼は、いつ――……希望を失ってしまったのだろうか。
「そんなんじゃ」
「葵に言われたのか――誰も殺すんじゃないとでも」
「え」
見抜かれている――のか?
思わず唖然とした冬雪を見て真と受け取ったらしい彼は、納得したらしい表情を浮かべた。
「なるほど」
そう言って彼はナイフをこちらに向けたままゆっくりと歩み寄る。
「こ……く、来るな、違うんだ、殺しちゃいけないし、殺されても……いけないんだ」
冬雪がそう言い終えると、彼はきょとんとした顔をして、その後――笑った。声は出さなかったが、いつも通りの穏やかな笑顔を見せてくれた。
 何故こんな場でこんなにも落ち着いて、しかも笑う事まで出来るのか――冬雪には判らない。
「――じゃあそれを貸してくれ」
「え、」
彼はそう言いながらナイフをその場に棄て、急に歩み寄ってきたかと思うと――半ば無理矢理冬雪の手から拳銃を奪い、その銃口を自分のこめかみに向けた。
「ま……待ってよ、何でそんな――」
「ここで俺が死ねばお前はここに来た目的を果たせる。父親を失うことになった元凶を――……殺してやりたいと思ってた。だな」
頷いてしまったら彼の自殺を認めることになる。
だが――嘘も、吐けない性分だった。第一、嘘を吐いたところで彼に言い負かされるのは目に見えている。
「問題だったのは葵に言われた事で、それさえ守れば後は問題ない、そうだろ?」
彼はにこやかに微笑みながら、平然とそう言ってのけた。
冬雪は銃の代わりに空気を握り締め――掛けるべき言葉を、必死で探した。それが見つからない内に、彼は更に話を続ける。
「お前は誰も殺していないし、殺されてもいない。心配する事無い、変な偽装もしてないしな。見るのが厭なら見なければいい、」
「どうして」
「ん?」
「どうして……。オレの事殺しに来たんだろ?父親の話は口実で。なのに何で笑ってられるんだよ……葵の事があるからって、喜んで自殺しようとするなんて、そんなの……先生らしくねぇだろ」
彼からの返答は、しばらく無かった。
かと言って彼が何も言わず引き金を引く事も、無かった。
冬雪は静かに、待ち続けた。
「最初から……そのつもりだった。目的はCE制度の撲滅……お前が『殺されちゃいけない』って言うんならわざわざそれを破る事もない。秋野がこの状況でも頑張るって言うなら止める意味もない。だったら俺一人死ぬだけでも良い、少しは世の中の為になるかも」
「『かも』って何だよ……CECSの人数がひとり減ったぐらいで何がどうなるって訳じゃないだろ?今までだってそうだった、それに先生には家族だって」
「家族は――……」
右手に銃を持ったまま、彼は一瞬、投げ棄てたナイフに視線を向けた。
それから少し哀しそうな目をして、言った。


「殺してきたよ」



まさか。

そんな事があるはずはない――きっと彼は冬雪の言葉に対する言い訳として、嘘を吐いているのだ――。

「そんな、嘘だろ、そんなの」
「どうしてそう思う?」
「それは……だって」
「『先生がそんな事する訳ない』と?」
彼は少し自嘲気味に笑った。
「…………」
「意味が無いんだ。俺だけ……CECSだけ死んでも、何の意味も無い。判るだろ?だから――」

その後は――聞きたくない。

冬雪の様子を見て悟ったのか、彼はそれ以上の事は言わなかった。
「……普通には……なれないんだ。俺は結局ただの……人殺しでしか、なかった。
だからもう――最後にしよう」
銃を持つ彼の右手に力が入ったように、見えた。

このまま自殺させていいのだろうか。
確かに殺してもいないし殺されてもいない、葵の言った事は守っている。










――違う、葵が言いたかったのはそんな事では――……








「…………ッ」

その一瞬で何が起きたのか、自分でも良く判らなかった。
気付いたら目の前に彼が横たわって苦しそうにこちらを見ていた。

そして彼が持っていた銃は今、冬雪の左手の中にあった。

どうやら無意識のうちに彼を押し倒し、銃を奪い取っていたらしい。
冬雪はゆっくりとその場に座り直し、静かに呟く。
「……殺させるかよ」
倒した時に頭を打ったのか背中を打ったのか、痛そうにしながらも彼が答える。
「どうしてだ……どうして助ける?まだ、まだこんな茶番を続ける気なのか?」
「……茶番で何が悪いの?馬鹿みたいな茶番でも良いよ、平和ならそれで良いんだよ。無理矢理終わらせる必要なんて何処にもない。皆少し慌ててるだけなんだよ、落ち着いてみれば何て事ないんだ。
 先生の気持ちは判る、自分が前例になるのが怖いんだろ――CECSの殺人犯って言う、ね。先生が言った事がホントなら、確かにこの先どうなるかは不安だけど……でも考えてみれば判るだろ?ここで死んだって……結局CECSの信用価値を下げる結果には変わりない。誰も家族が憎くて殺したなんて思わないよ、死んだらそれも台無しだって――つらいのは、皆、判ってるから。死んでも何にもならないってのは先生が一番良く判ってるだろ――『俺だけ死んでも意味ない』ってさっき自分で言ってたし、ね」
「……!」
彼の表情が変わった。
「ご、ゴメン、押し倒す気は無かったんだ。何処か打ったなら早く――」
「……馬鹿だな」
「え?」
「そもそも秋野と張り合って、それで自分の思う通りにしようなんて……考える方が間違ってた」
「そんなの判んないよ」
あっさり受け流して、服についた砂埃を払い立ち上がる。
「救急車呼ぶ?」
「いや――……いくら俺でも最低限の受け身ぐらいは……」
そう言って上半身を起こす。痛そうな顔はしているがどうやら大丈夫そうだ。
「良かった」
「……これで……良かったんだよな」

『良かったんじゃないですか、多分ね』

今の返答は――……誰の声だ。冬雪ではない、かと言って諒也の自演などでもない。
2人の視線の先に、見覚えのある顔が映る。
「葵!」
いわゆる幽霊とはこういうものを言うのだろうか。冬雪1人が見ているならともかく、この場合はどうやら――、
「……頭が痛くなりそうだ」
諒也にも見えているようである。
『何言ってんです、痛いんでしょ?実際。この馬鹿、手加減ってモンを知らないから思いっきり、どーんと』
「葵……いや、でも、ゴメンなさい」
無意識の所業だからどれだけ力が入っていたか判らない。
いくら受け身の体勢を取ったとしても地面はコンクリートである。痛いに決まっている。
「いや……責める気は無いよ……怪我した訳でもない」
『……まぁ冗談はさておき。――そろそろ終わりにしますか、色々と』
葵はそう言って不敵な笑みを浮かべた。
諒也もそれに同調する。
「――……そうするかな」
『貴方の前途に幸あれ。それじゃ、俺はコレで。またいつか会える事を願ってます』
「あぁ、俺もだ」
2人のやり取りはどことなく、表現されている言葉ではないものを意味しているように思えた。
「葵――」
『心配すんな。ただの挨拶だ』
そう言って笑ってはいるが、もう二度と会えないような、そんな妙な予感がして――不安だった。

否――……彼はもう死んだ人間なのだ。

そもそも会って話している事自体が奇妙しいのに。

何故か――納得が、いかなかった。

『もうお前は大丈夫だ。自由に生きれば良い。久海なんて名乗らなくても良い。だから――……俺に、感謝しろよ』

屈託の無い笑顔を見せ、彼はその場から姿を消した。返答する隙も、返すのに相応しい言葉も、無かった。

――その場に、沈黙が流れる。

その深い沈黙を破ったのは、諒也の方だった。
「……帰ろう。もうここに用は無い」
「……うん」
「お別れの挨拶はそれからだ」
「お別れって……二度と会えないって訳じゃ」
「さぁ、どうなるかな」
背中をはたきながら彼が立ち上がる。腰を押さえているのは痛いと言う事か。やはり悪い事をした。
冬雪が言われた事の意味をぼーっと考えている間に、彼はすたすたと出口へ向かって歩いていってしまった。
「ちょ、ちょっと、待ってよ」
「無期なら……出られるかも、か」
「え」
「独り言だ」
「先生、」
歩き続けていた彼が突然停止し、追いかけていたこちらの方へ振り返った。
「わッ」
「――秋野は」
「ん?」
「家族が、家族に殺されたら――どう、思う」
どうと言われても。
などと答える訳には行かない――。
「何か……判んなく、なるよ。今まで信じてた事が全部嘘みたいに思えてきて……。……どうして?」
冬雪の答えで満足したのか否か、諒也は向き直って再び歩き始める。歩きながら、話を続けた。
「俺が殺したのは1人だけだ」
「え」
「家に入ったら、廊下で爺さんが倒れてた。何か奇妙しいと思って居間に向かったら――」
そこで彼は再び歩みを止めた。
「……未佳子が、血まみれの包丁を握っていて――……床に、子供が2人、転がって、た」
「先生」
殺していないのか。
冬雪の声が聴こえているのかいないのか、彼はこちらを向く事もなく更に話を続けた。


   *


「諒ちゃん…………!?」
 包丁を持った彼女は目を見開いて、彼の登場に驚いたようであった。
当然だ、まだ彼女たちには諒也が生きている事は伝えていなかったのだから――。

「何……してるんだ……?」

見れば判る事を敢えて言葉にして尋ねる。
未佳子は驚きの表情を変えず、歩み寄る諒也に対し、座り込んだまま必死に後ずさりした。
「こ、来ないで……あたし、あたしは……ッ」
「俺は死神なんかじゃない、怖がるなよ」
「生きてるなんて聞いてなかったよ……ッ」
「だからって勝手に殺すな。俺の事も、俺の家族も。心中のつもりだったのか?」
未佳子からの返答はなかった。
諒也はひとつ、ため息を吐く。

「どうしてそんなに冷静なんだよ……どうしてそんなに落ち着いてられるの?目の前で起きてる事判ってる?あたしが皆殺したんだよ、あたしも死のうとしてるんだよ」
「判ってる」
「じゃあどうして?」

「CECS【おれたち】を馬鹿にするなよ。伊達に生き延びてないんでな」

「…………ッ」
彼女は突然立ち上がり、包丁の切っ先をこちらに向けて突進してきた。

――素直に刺される諒也ではない。

素早く身をかわし、体勢を崩した彼女の腕を掴み、ねじるようにして包丁を奪い取る――造作も無い事だった。
「……ッ、返して、」
「どうして欲しい?このまま自分の胸でも刺して死んで欲しいか?それとも――」
敢えて殺意を露わにして迫った諒也に恐怖を覚えたのか、未佳子は必死の形相で首を横にブンブン振った。
「イヤ、厭だよ、苦しそうな顔、もう見たくない。諒ちゃんを殺す気なんて無かった、試してみただけ、だよ」
それから一呼吸置いて、力強い声で、続ける。
「返してくれないなら、諒ちゃんが殺して。あたし……には、もう、それしか残ってないから。恨まないから、呪ったりもしないよ」
彼女が、狂った笑顔を見せる。


――もう、終わりにしよう。









「自分で頼んどいて呪われちゃ堪んないな……」
「え……へへ、そうだよ……ね」

彼女の台詞が途切れ途切れになる。

諒也の肩に彼女がもたれ掛かっている。
右の手元は、見ないことにした。
「痛かったら言って下さいね」
「何、それ……歯医者さんじゃ、無いんだか、ら」
「苦しそうな顔を見たくないのは俺も一緒だ。だから――」
「ありが、と、諒ちゃ……」




彼女の意識が途切れる前に――。

彼は力ない彼女の額にキスをした。




彼女の骸を床に横たえて、すぐにその場から立ち去った。
いずれは近所の住民が気付くだろう、そして全ての犯人は行方不明の馬鹿息子だと、警察に伝えてくれるに違いない。

それならそれでいい。
CE享受者である彼女を血祭りに上げて自分の立場を主張するよりは、自分が全ての責任を負う方が気分が良い。
だがどうせ終わるのなら――全てを、終わらせよう。
彼が止めてくれたらそれまでだ。彼に止められなければ――自分は凶悪な連続殺人犯になって、最後には自殺して終わりにしよう。

そうして諒也は再び東京を目指した。


   *


「正当防衛だよ、それに向こうから頼まれたんなら」
「証明する手段は無い」
「指紋とか……」
「俺は怪我ひとつしてない、俺を殺す気があったと証明するのは無理だ。そもそも殺す気もなかった訳だし」
「そんなの……不公平だよ」
「元々不公平だ。俺は紛れも無いCECSなんだからな――そんなのが正当防衛とか言ったところで誰が信じる。常識をわきまえてるって言うなら殺す事なんかない、過剰防衛がオチだ。事実そうだしな」
言われてムッとした。
「何で最初から諦め腰なんだよ」
「諦める?別に諦めてる訳じゃないぞ」
「だって、捕まったら……ッ」
「無期懲役か死刑だろ」
諒也が半身をこちらに向ける。
「でもそれぐらいで、当然だ」
「どうして――」
「言っとくが俺は神様でも何でも無いぞ。ただお前とちょっと仲良しの、人殺しだ」
笑ってそう言い切った彼の目が少し寂しそうに見えて、苦しかった。
何の為に助けたのか――……よく判らなくなってきた。

だが、引き下がっている場合でもない。

「人殺しは皆一緒だよ――……もう今更どうしようもないんだ。オレの家族なんて皆人殺しだ、他人か自分かの差は、あるけどね。それで皆が互いに殺し合って、誰もいなくなった。
で、つまるところ――自分のこと責めてるんだろ?殺す事なかったとかそういうんじゃなくて、もっと根本的なところで」
「……あぁ。責めて悪いか?ちゃんと連絡してればこんな事にはならなかった」
「原因がそれだけとは限らないだろ」
「…………」
彼の表情が変わった。
冬雪は続ける。
「死んだと思ったから絶望したんじゃなくて――……死んだと思ったから殺す決断が出来た、のかも知れないよ」
「……ッ!」
諒也が見た事のない形相でこちらを睨み付ける。嗚呼、自分は今彼に殺意を抱かせているのだと――妙に客観的な認識が浮かんでくる。
 今は、彼にとっての『いざと言う時』なのだろうか――。
 慌ててはいけない。落ち着いて、返答を考える。
「可能性の……話だよ。何も絶対そうだなんて言ってない。先生はいつもそうだ、自分が全部背負い込んでそれで万事オッケーみたいな顔して、それでいて――……哀しんでる。自分には関係ない事まで自分の所為にして、ああ自分はダメな人間だって、そんなの変だろ」
「関係が無い、訳じゃない。それぐらい構わないだろう」
「じゃあ何で全員自分が殺した事にしてんだよ」
「! そんな事は」
「最初してただろ。てか、これからするつもり?CECSが一家全員殺して、関係者全員殺そうと街に繰り出して別のCECSに止められる――“最高のストーリー”だ。自分がどうなろうと、少なくともオレは立てられる。もしオレが止められなきゃ、ホントに全部終わりにする気だったのかも知れないけどさ。でも……きっと違う、オレが止めるって信じてた。殺されたら殺されたでその時だと思ってた。だろ」
冬雪の台詞を聞き終えた諒也は少し哀しげな笑顔を浮かべながら、一呼吸置いて声を発した。
「――凄いな。全部バレてるのか」
「葵は人の心までは読めないって言ってた。でもこの先起こり得る事は教えてくれた。それがヒントになったよ」
このまま行けば『皆死ぬことになる』。祖父にはそんな力はない。
 そんな事が可能なのは、CECSぐらいだろう。
「流石だな、『名探偵君』」
諒也が冗談のような笑顔を見せる。
「――怪盗にでもなったつもり?」
「怪盗は人は殺さないよ。でも何にしたって――……未佳子を殺したのは、事実だ」
「助けたところで今まで通りの生活は送れない、?」
「それもある。でも一番大きいのは――……目の前で自殺されるのが嫌だったから、だな」
ハッとした。冬雪は少しうつむいた。
「あぁ……悪い、落ち込ませたか」
「いや、大丈夫、だよ」
「親しい人間が……自分の手の届きそうなところで、自殺するんだ。何も出来なかった自分がどれだけ虚しくなるか――……判ってる、だろ」
「うん」
痛いほど、判っている。

再会したその場で頭を撃ち抜いた父。
計画通りに事を進めて、包丁で胸を刺した妻。

助けられなかった自分を何度責めても、彼らは決して戻ってこない。

だからこそ今回は、今回こそはと――諒也を助けに走ったのかも、知れない。
「葵の事件でもう懲り懲りだったんだ」
「…………もしかしてさっきのはわざと?」
「あぁ。死ぬのは『全てを終わらせてから』って思ってたからな……少し試してみた。殺すために来て喜んで自殺じゃ訳判らないだろ」
「判らないよ、ってさっき言ったじゃん」
「あぁ、そうだな――。まぁもしアレで上手く行かなかったら本当に全て終わらせてたかも知れないぞ」
自殺を止める事で頭がいっぱいになっている冬雪が油断した隙に、銃口を冬雪のほうに向ければお終い、である。諒也は銃の扱いに心得が無いとは言え、引き金を引けば弾が出る状態で、尚且つ至近距離だった。一度で急所を撃ち抜くのは無理だとしても、数発撃たれれば命は無い。おまけに銃まで奪われる始末、である。
「その場合はあっさり拳銃渡したオレの判断ミス、だね」
「『仲間』への気の許しはいつか致命的になるって事だ」
「肝に銘じておきマス」
明るく敬礼をしながら言った。諒也は「よろしい」と言って笑った。
「先生を……自分が殺そうとする事はあっても……殺されそうになる事は、ないと思ってた」
「この期に及んで素敵な発言が来たな。実は毎日命の危険に晒されてたって事か」
「え、毎日は言いすぎ」
「冗談だ。そんな事ぐらい俺だって判ってた。常にそのリスクは承知の上で付き合ってるよ。殺気を感じた時はすぐに応戦できる心の準備もずっと前に出来てる」
恐らくは15年前の事を言っているのだろう。
「で、初めて俺に殺されそうになった訳で――……葵の制限が無かったらどうしてた?殺してたんじゃないか?」
「う」
今だから言えるが――……そうかも知れない、と思ってしまった自分が恐ろしい。
諒也が笑う。
「――結局そうなんだ。強いように見えてこんなに脆い関係だった。だからと言って……それを嘆く事も無いけどな。CECS同士、お互い何事も無いように牽制し合ってるのは事実だ。一人が狂えば誰かがそれを止めなきゃならない。そういう運命だから」
哀しいような――妙な、感覚を覚える。

「でも――『止める』手段は何も殺すだけじゃない。今になってやっと気付いた」
目の前の彼はいつものように微笑んだ。その裏には何も感じられない、いつも通りの優しい笑顔だった。

殺しては――ならない。
殺さなくても、殺されない手段が――あるかも知れない、ではないか。

葵の言葉の効力は今回に限った事ではなかったのか――。

ごく当たり前のことに、ようやく気付かされたようだった。
「自分じゃ狂ってないつもりだがまだよく判らない。何せ人を刺し殺したのは――……初めて、だからな」
「……初めてじゃなかったら逆に怖いけどね」
「怪我をさせたことならいくらでもあるんだ、怖いってことはないさ。怪我させられるのも、慣れてる」
「…………ごめ、ん、なさい」
暗に突き飛ばした事を責められている気がする。
本人は、謝る冬雪を面白がっているだけなのかも知れないが――。
「警察に行くよ。秋野は来ても来なくてもいい。こっちの事だから」
諒也はさも日常のひとコマであるかのような淡々とした口調でそう言って後ろを向き、一歩を踏み出そうとした。
ふと気になって思わず呼びかけた。
「先生」
彼は振り返らずに立ち止まった。
「……何回も止めてゴメン。何で……平気な顔してられるのかと思って。別に、その……冷血漢とか言いたい訳じゃなくて、えーと」
「死イコール消滅だと思ってないからだよ。それに……終わった事は終わった事、凹んでたってしょうがないだろ?」
過去は過去。彼は常に『今』を生きてきた。だが決して、過去を棄てる事はしない。過去の栄光も挫折も全て飲み込んだ上での『今』を生きようと――彼は努力してきたのだ。
 じゃあな、と添えてひらひらと手を振り、諒也はこちらを見もせずに去っていった。
「――待ってるから……忘れないから、だから、先生も忘れないで」
今度は答えが返ってくることも、彼が歩みを止めることもなかった。

――その場に冬雪がひとり、取り残される。

冷たいほどの静寂と、寂寥感が胸を襲った。
帰ったら、玲央がいつものテンションで飛び掛かってくるのだろうか。

こういう時は――……泣いても、いいのだろうか。

よく、わからない。

彼の姿が見えなくなる。
もうしばらくは――……会えない、だろう。

いつもすぐ近くで笑ってくれた彼が、手の届かないところに行ってしまう感覚――。

同じだ。
身近な者たちを亡くしたあの時と――同じだ。

だがそんな事を考えたところで、
彼を止められる訳もない事は――……よく、判っていた。


   3


 ふらふらとした足取りで、家の面している銀杏並木まで辿り着いた時には――既に日付が変わっていた。
「……このまま溶けて無くなりたいよ」
闇に包まれた空を見上げてそんな事を呟いた冬雪の傍に、ひとりの少年が近づいてきた。中学生だろうか、さらさらとした髪で――良く判らないが黒ではないだろう――どこかで見覚えのあるブレザーの制服を着ている。中学生だとすると、背はそれほど高くはない――冬雪と同じかそれ以下だろう。そして何か、小さな紙きれを手に持っていた。
 しかし何故こんな時刻に中学生が――……怪しい。
冬雪が彼の方を見ているのに気付いただろうか、彼は慌てたように紙切れをポケットに仕舞った。やはり怪しい。
「? オレに何か用事?」
「えっと――秋野冬雪さん、ですか?」
誰だ。何故名を知っているのだ。こんな深夜に自分を訪ねてくるような客など居ただろうか――。
「まぁ、そう、だけど……君は?」
「僕は――……」
 少年は一瞬言葉を詰まらせた。
名乗るのに抵抗がある理由は何故だろう。夢見月家の人間が冬雪に対して躊躇う意味は無いし、そうでないとすれば何だと言うのだろう。
「……結城、蕨【わらび】と言います。色々訊きたい事があって――。あの僕、佐伯葵さんの息子――なんです」
「え――……?」
彼にも隠し子が居たというのか。
そんな話は初耳だ。
「信じてもらえないかも知れません――……ここに来たのも、夢で言われた事を勝手に信じて来ただけ、ですし」
「夢ってもしかして、」

――パーライト・ワールドなのか。

少年の表情がぱっと明るくなった。
「……とりあえず、オレに何か話があるんだったら……中で話そう。立ち話はさすがにきついから」
「! はい」
時刻の事は突っ込まなかった。
否、正確には突っ込めなかった。もし本当に葵の夢を見たと言うのなら、彼がこの時刻を指定したと言うことも充分にありうる。

だと、すると。
葵はまだ何かをしようとしているのだろうか――。

(馬鹿兄貴めが)
冬雪は心の中で兄に罵声を飛ばして、自宅の玄関扉を開けた。



BackTopNext