東京想街道
Page.66[終焉の声]




  Prologue

そよぐ風は柔らかく

彼の頬を掠め遠くへと去る


穏やかな空気

見守る太陽

いつまでもいつまでも流れる平和の中で

何故

風は“戦ぐ”のだろう


   1

 それは突然訪れた。
玲央は何かの用事で出掛けていて、冬雪はリビングで1人TVを眺めていた。夕刻の、丁度夕食準備の頃である。
キッチンの方では梨羽が忙しなく何かを準備しているようであったが、何をしているかは冬雪には全く判り得ない。
 画面の中のニュースキャスターが原稿をめくる。スタジオ内が一瞬慌しくなったのが見えた。速報が何か入ったのだろう。冬雪は特に気にする事も無く、噂のニュースに耳を傾けた。

キャスターが何と言ったのか判断出来なくなるほどに――慌てて、居たのだろうか。

「え……?」
数秒前の記憶を手繰り、キャスターの台詞を脳内で再構築する。

『佐伯葵さんが亡くなった事件につきまして、警視庁は先程“室内には第三者は居なかった”とする調書は改竄されたものであると発表しました』

発表したのは警視庁。
つまり――……自分から改竄を認めたと言う訳だ。

だとすれば。

真っ先に疑われるのは――……。

『今回の発表により、警視庁ではCECSの岩杉諒也氏に対し、重要参考人として事情聴取を実施する見込みです』

予想外だった。
疑われるのは判っていた、だからこそ口外するのを避けていたと言うのに。
まさか自らバラしてくるとは――。

彼らは最初からこのつもりだったのだろう。
そして何とかして諒也を犯人に仕立て上げ、最終的にはCECSの立場を完全に潰すつもりで居るのだ。

冬雪は抱きかかえていたクッションを投げ出した。

「――……冬雪」

梨羽の声が聴こえた。キッチンの方に振り返ると、彼女は哀しげな顔をしてダイニングにたたずんでいた。

「……こんなに早くなるとは、思ってなかったんですけど」

彼女が苦笑する。
どういう、意味だろうか。

冬雪は立ち上がって彼女の方へ近付いた。

近付いて、気付いた。

「梨羽……それ」

慌てて後ずさりした自分が哀しくなる。
彼女が両の手で握っていたのは、恐らく先刻まで使っていた――包丁。

「冬雪は何も悪くありません、だから……心配しないで下さい」

「ど……どういう意味だよ、何で……第一それ、危な」

「全ては『計画』の内。私とお兄様はその『計画』の破壊を目的として新たな計画を練っていました」

「梨羽と……葵、が……?」

梨羽はニッコリと笑う。
いつもと変わらない表情が、逆に――恐ろしかった。

「貴方を助ける為です、冬雪。皆が貴方を取り囲んで、攻防戦を繰り広げているんです。皆――『貴方の為』と言いながら」

ならばその対象が居なくなれば――……全ては、終わる。


『俺がお前を殺そうとしたのはお前の為だった』


葵の言葉の意味をようやく解した。
という事は、今目の前に居る彼女は――……。



「じゃあ……オレを、殺すの……?」



尋ねても、彼女の表情は変わらなかった。

ただ、震える手で包丁を握り締めたまま――……動かない。

「……梨羽?」

「貴方を殺してどうするんですか……!そんな事しても、私は……私は幸せにはなれません」

「でも、葵は」

「私もお兄様も、白亜叔父様も……『計画』の実行者に含まれています。どうしてだか判りますか?」

何を問われているのかも良く判らない。
そんな事を冬雪が識るはずがない。

答えずに居ると、梨羽は静かな口調で教えてくれた。

「――貴方には、私たちを殺す事が出来ないからです」

「それは――……だって、家族じゃ」

「家族でも殺し合いの起こる世の中ですよ。でも貴方にはそんな事は出来ない――……首謀者は判っていました。CECSが最も大事にするのは家族なんです。信用、出来るはずだから。だから敢えて私たち『家族』を、実行者に含めたんです。よほどの事がない限り、『計画』が破綻しないように」

酷い。酷すぎる。
尤も『計画』が何なのかも冬雪にはよく判っていないのだが――。

「お兄様の『自殺』も『計画』のひとつ。“創作意欲の衰えによる自信喪失”が理由です。元々お兄様は……『計画』には、邪魔だったから」

ではあの事件は自殺に見せかけられた他殺と思わせて……形式上はやはり自殺、なのか。
ならば第三者説はどうなるのだ。

「じゃ、じゃあ……邪魔者がどうして実行者に」

「それが『計画』の良く判らないところです。でもお兄様も私も、貴方の味方である事には……違いありませんから」

そう言い終えて、彼女は笑いながら涙を零した。

「り……」

「ゴメンなさい、泣くつもりは……。お兄様の病室に居たのは私です、冬雪――『計画』を壊す為の、最終確認をしていました」

「……最終、確認」

「お兄様の……本当の最期の言葉、聞きたいですか?」

「本当の……?」

あのふざけた台詞はやはりふざけた台詞でしかなかったという事か。

「『佐伯葵は永遠に不滅だっ』」

「……パクリかよ」

思わず言うと、梨羽はくすりと小さく笑った。

「パクリでも……お兄様らしいと、思いませんか?」

「うん……『らしい』ね」

永遠の好きな人だ、本当に。



「だから――……私がここで死ねば『計画』は破綻します。貴方は正直に証言して下さい、それで大丈夫です」



彼女が狙っていたのは、彼女自身。

「…………な、何を」

「ゴメンなさい、本当なら私が先に死ぬ予定は無かったんですけど――でも、もう時間がありません」

「梨羽、駄目……それじゃいつまでも変わらな」

「いいえ、貴方が何とかしてくださると信じています。さようなら冬雪、またいつか会えると嬉しいです」

「ま、待てよ、オレまだ――」

言えていない。
いつか言おうと思ってから、一体どれくらいの月日が経っただろう。

「…………っ」

目の前で起きた状況を、飲み込めていない自分が居る。

「なんで、なんでだよ……っ!オレ残していかないって言っただろ!?なんで……っ」

逸早く飲み込んで、必死になっている自分も居る。



ただどちらにしても――……何も出来ないのが、冬雪という人間、だった。


彼女は床に崩れ落ちる。息も絶え絶えに、静かに彼に笑いかけた。

「……愛してたよ、梨羽――……嘘じゃ、ないからね」

「そう……言って、もらえるの…………待って、ましたよ」

もう、何が何だか判らなくなっていた。

救急車を呼ぼうという考えさえ起きず、玲央が帰ってきた時には――冬雪も意識を失ってその場に転がっていた。


   *

「ふゆっきー、ちゃんと髪洗った?」
「……何の為にシャワー浴びたんだよ」
「……いっそ真っ黒に染めちゃおうか?イメチェンって事で」
「…………そんな酷いか?」
元々淡い色の髪だから、意識を失った所為で血の色に染まっていた。警察を呼んだ後、余りにも酷いのでシャワーを浴びる許可を得たのだ、が。さすがの玲央も言葉に出しては言えなかったようだった。目を逸らしながら答える。
「たぶん、大丈夫だと、思うけど……でも知ってると、なんか」
句点が多すぎる。
「……鏡見てみるよ」
リビングにある壁掛けの鏡を眺める。長年見慣れた顔が、妙に疲れて見える。当然と言えば当然、か――。
髪はややオレンジがかった茶色に見えた。生まれてこの方髪を染めた事は一度も無いから、やはり何か違和感は、あった。
「……微妙だな」
「やっぱ真っ黒にしようよ、玲央見てみたいし」
個人的興味も含まれているらしい。冬雪はため息を吐き、肩に掛けたタオルで改めて髪を拭いた。
「まぁいいよ別に黒でも、」
「――旦那さん、ですよね」
知らない人物の声。刑事だろうかと思い振り返ると、そこにはやはり刑事らしい姿の男と、背後にもう1人――幼馴染の男がそこに、立っていた。
「え、えーっと、はい」
「彼から大事な用事があるそうです」
「用事?」
刑事は他の警察関係者たちの方へと向かっていってしまった。玲央が冬雪の背中に飛びつく。
 胡桃は慌てているように見えた。
「こんな時で悪いんだけど……さ」
「うん、何か?」
「先生が、居なくなった」
また予想外の台詞を聞く羽目になった。
居なくなったというのはどういう事だろうか――と、回らない頭をフル回転させて考えていると、胡桃のほうから先に言ってくれた。
「家に居ないんだ。電話掛けても繋がらないし、奇妙しいと思って部屋行ってみたら」
「行ってみたら?」
「鍵開いてて……こんなのが机の上に置いてあった」
封筒、だった。
表には鉛筆書きで、『俺を探しに来る全ての人へ』と書かれていた。
「それ、諒ちゃんの字」
「……うん」
綺麗な字だ、昔から変わっていない。
封筒を開けて中を開けると、三つ折りになった1枚の便箋が出てきた。

『たとえ俺が死んだとしても誰も責めないで下さい
責めるなら俺を責めて下さい
ここで生きていく価値はもう俺にはありません
葵の事件の真相はいつか暴かれるものだと思っていました

だから

俺を探すのは止めて下さい その行為の価値は全くといってありません

むしろ
虚空をつかむ事になるだけです 俺を助けようなどとは考えないで下さい

いつかまた会えることを願って。

2020年5月 三宮諒也』


「……果てしなく微妙なラインなんだけど、書き置きか遺書、どっちだと思う?」
胡桃が言う。
「…………一歩違うぐらいで……遺書?」
「だったらヤバイじゃねぇか」
「で、でも――……何でそんな、いきなり」
「いきなりったってお前……ニュース見てただろ?」
「あ――……」
余りの衝撃で忘れていた。
「遺書って、諒ちゃん死んじゃうの?諒ちゃんまで死んじゃうの?そんな事になったら玲央とふゆっきーどうすれば良いの……」
「……ホントだよな」
玲央と胡桃が同調する。
「……でも……何で居なくなる必要が……?先生が葵のこと殺した訳じゃないのに、何で」
「判んねぇだろ、そんなの」
「! 胡桃」
「俺だってそんな風には思いたくねぇよ。でも……わざわざこんなもの書いて居なくなって、それで何で冗談だって言えるんだ?」

何も判らない。
何を信用して良いのかも判らない。

「……ふゆっきー、しっかり」
玲央の声がする。冬雪の両腕を背後からつかんでいた彼女の手の力が少し、強まった。

誰も居ない。
冬雪を理解してくれる人は、1人また1人と居なくなって――。

「冬雪、目覚ませ。探しに行こう、こんなの信用すんな」
胡桃が冬雪の肩を持って揺さぶる。
「え……?」
「真相がどっちだって関係ねぇよ。たとえホントに先生が葵さん殺したんだとしても、はいそうですかって自殺させる訳には行かねぇだろ」
濡れ衣であれば助けたい。
本当の罪ならば――償って、貰いたい。

冬雪は再度手紙に目を通し、大きく頷いた。

「よっし、お仲間参戦」
「! それオレの台詞」
「何でだよ。この場合仲間はお前だろ」
「くるみちゃん、玲央も行く!玲央も諒ちゃん一緒に探すよっ」
「おぅ、当ったり前だろ。で、冬雪はここ出られるのか?」
「事情聴取だけは終わってるから、多分大丈夫だと思うけど……って今から行くの?もう遅いけど」
「だからだろ。1日放っといて明日の朝遺体発見とかなったらどうすんだお前」
確かにそうだ。頷く。
「じゃあちょっと待ってて……帽子持ってくる」
「おぅ」

何故こんな事になったのだろう。

もっと早く、彼らの思惑に気付いていれば――。

涙が零れそうになるのを必死で堪えながら、冬雪は3階自室への階段を駆け上がった。


   2

 6月とは言え夜は冷える。冬雪は毛糸の帽子の端を下ろして耳まで覆った。
「寒そうな顔しやがって」
「寒いんだよ」
「えー」
玲央に不審そうな顔をされたので睨み返した。彼女は黙った。
「……さて、何処探すかだな。見当つくか?」
胡桃が問う。
冬雪は答える。
「ホントにあれが遺書なら、自殺しようとしたって事だよな?」
「あぁ」
「そだねぇ」
「……家に居なかったんなら、外で自殺できそうな場所」
「駅、とか」
真っ先にそれを思いつくのは冬雪も同じだった。
だが解釈は違う。
「電車止めて家族に莫大な金額請求させるか?先生が」
「……有り得ねぇな、それは」
彼は頭が良い。自殺するのに人に迷惑を掛けるような方法は取らないはずだ。
それに重大な行動を起こすなら、それに対する事前調査は怠らない。たとえそれが自殺であろうと、彼の行動は変わらないだろう。
「だろ。で、オレが思ってるのは」
「思ってるのは?」
玲央が鸚鵡返しに訊いてくる。
冬雪は一呼吸置いて、答えた。
「川かな、って」
「……太宰気取りかよ」
胡桃が呆れた顔をする。
「充分有り得るよ。別に気取ってるかどうかはともかく」
「諒ちゃん国語の人だもん、有り得るよ」
便乗して言っているだけなのに――玲央の言葉が、妙に現実味を帯びて聴こえる。
急に少し、怖くなった。
尤もそれまで怖くなかったと言ったら嘘になるのだけれど――。
「とりあえず……行ってみるか。闇雲に探してもしょうがねぇしな。分かれて探すか?それとも……」
落ち着いて見える胡桃が言う。
「緑谷川まで行こう。問題はどこの橋かだ」

あまり考えたくは無い。

だが考えなければ見つからない。

こんな気分を味わうのはもう嫌だと、何度思った事だろう。

暗い道を歩きながら――不意に、不安に駆られる。

「なんでこんな事に……」

呟きを――前を歩く胡桃が捉えて返答する。

「案外俺ら、何か企んでる奴らに踊らされてるだけなのかも……な」

反論する気力も、肯定する勇気も――その時の冬雪には無かった。
ただ小さくため息を吐いて、川へと続く道をひたすら進む事しか出来なかった。


   *


 不安が的中した時というのは――これほどまでに自分を責めたくなるものだろうか。
自分には何ら責任など無いはずなのに、気付かなかった自分が一番の悪者のような気がしてくるのだ。
「…………ふゆっきー」
最初に沈黙を破ったのは玲央だった。
振り返ると、彼女は遠慮がちに小さな声で、分かりきった事を――尋ねた。
「それ……諒ちゃんの靴?」
冬雪は丁度こちらを向いた胡桃と目を合わせ――すぐに逸らしてうつむいた。肯定の意だ。玲央はそれ以上何も言わなかった。
「……とりあえず警察にだけ、伝えるか」
「とりあえず……な」
果たしてこれから誰を頼りに生きていけば良いのだろう。
胡桃を頼りたいのは山々だが、彼を危険な目に遭わせる訳にはいかない。

ただひたすらに流れ続ける川の水を眺めながら――冬雪はその場に呆然と立ち尽くしていた。

「ふゆ、帰ろう――風邪引く。寒ぃだろ」
「…………くる」
「あんだよ」
「先生……ホントに死んだと思う?」
「そ……そんなのまだ判んねぇよ。実際……本人に会ってみなきゃな」
「だよ、ね」
「お前が信じなくてどうすんだよ。どっかに隠れてるだけかも知れねぇし。もしホントに先生が葵さん殺した犯人だったとして、それをお前に知られたからどうこうって言う話かも知れないだろ。だったらお前が『さっさと戻って来い』ってメッセージを打ち出せばもしかしたら戻ってくるかも」
「……『たられば』は聞きたくないんだ」
「……そういう話にならざるを得ないのは承知の上だ」
決定的な証拠が無いのだから仕方が無い――当然だ。
冬雪は再びため息を吐き、帽子をかぶり直して――……家路につく事にした。


   3

 その日の彼の姿を見た者は皆、息を呑んで目を円くした。
 闇を纏う漆黒の髪、虚ろな蒼い瞳は虚空を捉える。幼い少女に見える赤毛の女に手を引かれ、彼はその店に現れた。
「……冬雪?」
「くるみちゃん、先来てたんだねー」
思わず叫んだ胡桃に対して返答したのは赤毛の女――玲央の方だった。当の冬雪は微かな笑顔だけを見せ、いつもの席に着いた。
「――このたびはご愁傷様、としかボクには言えないけど……。その髪は弔いの色?」
店主が声を掛ける。
「……ホントにそんな意味だったらカッコイイけどね。どっかの誰かと違って、オレは生憎そんなセンス持ってないよ」
「そっか、関係無いか。どっかの誰か……ね」
店主・志月が苦笑する。
「あれ、ホントにそんな人居たの?冗談で言ったんだけど……」
「うーん、まぁ……気にしなくていいよ」
志月がごまかすように言うので、胡桃が冬雪の方を伺うと彼もこちらを向いて――目が合って、互いに苦笑した。
 と、不意に明るい声が室内に響いた。
「諒ちゃんでしょ?玲央知ってるよ」
茶を飲んでいた志月がその声を聞いて咳き込んだ。
「人が折角話題を避けたのに君って子は……」
「なんで話題避けるの?その諒ちゃんのこと話しに来たのにさ」
志月は一瞬きょとんとした顔になり、それからすぐに切なげな表情を浮かべた。
「……なるほど、ね」
「梨羽ちゃんは死んじゃったけどっ、諒ちゃんまで死んだとは限んないよ!ね?」
玲央が冬雪と胡桃を交互に見る。胡桃は彼女に便乗した。
「あぁ、限らないよ。まだ探す余地はある。な、冬雪」
「多分……ね」
冬雪は妙に自信の無さそうな声で言った。
志月の表情は変わらなかった。
「……ボクだって期待したいのは一緒だ。でもあまり……期待は出来ないと思ってる」
「……どうして」
今度は冬雪が一番先に反応した。問われた志月はうつむいたまま答えた。
「警察はマスコミを通じて大々的に目撃証言を求めてるけど……彼を見たという証言はほとんど来てないらしい。確かに変わった顔をしてる訳じゃないからそれほど目立ちはしないけど、これまで散々TVに出てきた彼の事だ、皆顔はよく知ってるはずなんだ。それでも情報は来てない。つまり彼は外に出てないって事だ」
「何処かに篭ってるだけかも……」
「近辺の宿泊施設は重点的に調べられたと思うけど?他に彼が篭れるような場所って言ったら、ここか知り合いの家か実家ぐらいだろう。彼はその何処にも行ってない」
「志月、調べたね」
「……まぁボクに出来る限りは、ね」
志月は苦笑した。
だが出来る限り調べた志月が期待しないと言うのなら、それはそれで正しい意見なのかも知れない――と思うと嫌な気分になる。出来る事なら最後まで信じていたい。
「唯一の目撃情報は橋の上にたたずんでるのを見たという女性の証言。近所に住んでいるから顔は良く知っていて……絶対に間違いないと言っていたそうだ」
「あそこか……」
「靴があったトコだね」
胡桃と玲央が声を合わせた。冬雪は暗い顔をして何かを考えているような仕草を見せる。
「靴……?」
志月はまだ知らなかったか――胡桃は事の経緯を説明した。
「……それで川に飛び込んだって話が出てきたんだね」
「もう捜索されてるだろ」
「泳げる泳げないは置いておくとしても、死ぬ気で飛び込んだんならもう……」
その先は聞きたくなかった。
冬雪は既に目を閉じて耳を塞いでいる。見ているこちらが悲痛な気分になる。
「諒ちゃん泳げない?」
「小さい頃から好きそうには見えなかったかな」
それから何十年も経っているのだから――カナヅチとまでは言わずともそこまで泳げるとは考えない方が妥当だろう。
「だからもう後は、なるべく早く遺体が見つかる事を祈るしか――」
その一言が、怒りの琴線を刺激したらしかった。
「や……やめろよそんな話……!まだ見つかっても居ねぇのに、死んだなんて決め付けらんねぇだろ!?もしかしたら生きてるかも知れないってのに……志月さん、あの人と付き合い長いんだろ!?あの人が自殺なんてするような人じゃないって事ぐらい判って」
「判らないよ、そんなの。ボクは彼じゃない。彼が自殺しようが何しようが、ボクには何を言う権利もない。付き合いが長いから……長いからこそ、諦めなきゃいけない時だって、ある」
激昂して叫んだ胡桃に対し、いつになく冷静な調子で志月が答えた。
「でも」
「ボクはね――もう何人も大事な人を失くしてきた。今更何言ってるんだって言われたらそれまでだけど……でも今でも慣れないんだよ、そういう……人が居なくなった時のつらさには、さ。だからボクは傍観者で居る事に決めた。その人の決定に、ボクは何も言わない。その人がそう決めたんなら、ボクにはもう何も出来ない。哀しい想いはもうしたくない。
 何人かの妖には――なら人と関わらなきゃ良いって言われたよ。でもボクは“そういう種族”だから……そうしなきゃ居られない性質なんだ。人里から離れるって訳にもいかなくてね」
志月は苦笑して言う。
人より長く生きているからこその悩みか――。
「ゴメン……思わず叫んじゃって」
「いや、良いんだ。君たちはボクとは違うからね。考え方も違って奇妙しくないし、期待するかしないかはその人の自由さ」
冬雪が耳を塞いでいた手を下ろし、目を開けた。そしてついでのように口を開く。
「塞いでみたけどやっぱり聴こえた」
「……まぁそんなモンだろ」
「ホントに先生が葵の事殺したのかな……」
「それは……まだ判んねぇよ」
「葵が嘘吐いてるんじゃないかと思ってさ。梨羽は梨羽で自分が部屋に居たって言うんだ。あの、夢で――『犯人捕まえろ』とか言ってたけど、それは単にオレを乗り気にさせる為に言っただけで、ホントは『俺の事件なんてどうでもいい』とか思ってんのかもとか、思った」
胡桃が絶句していると、冬雪は更に続けた。
「先生が殺したんなら言わなくて当然だろうし。もし捕まって起訴されたらどうなるかは葵も良く知ってるはず。葵が……時効来てない事件を解決したいんだとしたら、先生を外す訳にはいかないだろうからね。そんな事……認めたくは、無いけどさ。でもあの遺書もある事だし……」
「冬雪」
「ん」
「……意外と落ち着いてんだな。こんな事態になったら凹んで奇妙しくなってるものかと」
胡桃が言うと、彼は少し哀しげな笑顔を浮かべて、答えた。
「オレも成長したんだよ」
冗談なのか真面目なのか微妙な線だ――胡桃は何と答えて良いのかよく判らなかった。
 何も言えずに居る内に、彼の方から笑って話を続けてくれた。
「単にまだ事態が飲み込めてないだけ、だよ。何かただ……ただちょっと会ってないだけのような気がして、さ」
「でも梨羽さんは」
「ぐだぐだ言ってもどうしようもないんだ。夢で逢える事を祈るよ」
彼はやはり少し寂しそうに笑って、締めくくった。
(夢で、か)
夢の中で死者と会うと言うのはどのような気分なのだろう――。
胡桃の夢の中にでも諒也が現れて真実を喋ってくれたりはしまいか。

(そしたら解決すんのも楽なのにな……って事もねぇか)

夢は夢、現実ではない。
だが彼らは先日から夢での話を妙に現実的に話している。

普通の夢と、彼らの見た『変な』夢。
世界観と登場人物以外に、その差は何処にあるのと言うのだろう――。

(……やっぱり変だ)

夢は夢であるはずだ。
だが彼らは当たり前のように現実とリンクさせて話す。妙な気分である。尤も彼らといえども片方は行方不明である訳だが――。

(俺も見てみたいな)

果たして胡桃にそんな夢を見る権利があるのかどうかと言えば微妙だが、葵が歓迎してくれると言うなら是非見てみたいものだ。
 尤もそんな事を微笑を浮かべたまま茶をすする冬雪に言える訳もなく、胡桃は小さくため息を吐いて――湯飲みの茶を一気に飲み干して誤魔化した。



BackTopNext