東京想街道
Page.65[輪廻の時]




   1

 そこに彼は現れた。ずっと昔に見たのと変わらない顔が、そこには存在した。
 少し伸びた坊主頭に、ごくごく普通の“普段着”――黒いTシャツの上に白い薄手のパーカーを羽織り、ジーンズを穿いている。鞄はウエストポーチのみで、一見するとよほど諒也よりも年下に見えた。だが当然、実際には彼の方が上だ。
「こんにちは」
自然な声で挨拶をした彼は、小さく微笑んで諒也の正面に座った。

昨年――……2019年の、秋頃だったと記憶している。

既に出所していた久海白亜に対し、諒也は会って話をしたい旨を伝えた。そして確かに彼を目の前にしていた。いざ目の前に座ってみると、只者ではない空気がどんどん伝わってくる。人間相手でもこんな事があるのかと思うほどだった。やはり彼は本物なのだ――“付け焼き刃の練習と一族のコネで有名になった”ような、タダの元アイドルではない。
 諒也が緊張していた事に気付いたからだろうか――彼が苦笑して言った。
「――僕が何者であるかは一切気にしないでお話になられると良いと思います。もし何か躊躇う事があるのでしたら、わざわざここまで来て頂く必要はありませんでした」
彼は怖気づくぐらいであれば書面で話をすれば良かったと言いたげであった。それは彼が彼自身の事を“息子を殺した殺人犯”として認定しているからこその発言であり、そしてまた――諒也がその点で緊張しているのだと思い込んでいたのかも知れない。
 尤もそんな事は今となっては確かめようもないのだが――。
「……重々承知の上です。貴方とは……顔を合わせてお話がしたかった」
出来る事ならサインでも貰っておきたい、諒也と同い年だからきっと好きだったのであろう妻にあげようか――などと考えたりもしたのだがそんな勇気は出なかった。
 第一、この場の空気はそんな話題を出せるようなモノではなかった。
「ならば僕は出来る限りお話致します。今も昔も僕はただの無力な駒に過ぎません――でも貴方のお力を借りればどうにかなるかも知れない」
後半は半ば呟きのようであった。
 彼には既に、かつてのアイドル「龍神森冬亜」であると言う意識はほとんど無いようであった。だからこそリアルタイムで彼の活躍を知っている世代の人間である諒也が目の前に居ると言うのに、平然と話が出来るのだろう。今の彼にとって、諒也は飽くまで息子の知り合いでしかない。
「……色々、考えてみたんです。貴方なら彼の事も充分に理解していると判断しました」
「所詮は親……身内の評価に過ぎませんよ。それでも構わないのですか?」
白亜は表情を変えず、落ち着いた様子で尋ねてくる。
「だからこそ、でしょう。私は警察じゃありません」
天才ではないが諒也だって教師だ。親の子に対する評価はその親の性格次第で本来の値より上がったり下がったりするものだが、上手く訊きさえすれば“本来の値”に近づけることは出来る。
そう言って笑顔を返すと、彼はその意を解したように微笑んでくれた。

――やはり変わっていない。

そんな顔を見せられると余計に萎縮してしまう自分がまた切ない。結局は諒也も世間の波に流された一般市民でしかなかったと言う訳だ。
「――なら協力いたしましょう。僕が話せる限り、という制約はつきますが」
「! 宜しくお願いします」
白亜は静かに笑って、ずっと持っていた紅茶のカップをようやく口に運んだ。


   *


「貴方のお話を聞いてから――ずっと疑問だったんですが」
「何でしょう」
諒也が何を言っても、彼はほとんど表情を変えなかった。何でも知っているような微笑を湛えたまま、両の目をこちらに向けている。その辺りは若い頃に鍛えた笑顔の賜物なのだろうか――などと無駄な事を考えている場合ではない。
 諒也は頭の中で悶々と考えていた事を台詞に構築し直した。
「貴方も、彼のお母様……つまり貴方の婚約者だった方も、貴方の“事故”に関しては彼女が仕組んだ事だと説明されていました」
「えぇ」
「貴方が彼女の企みに逸早く気付き、身代わりを送り込んだと」
「はい」
「……何故です?自分が生き残る事が目的なら、余計な犠牲者を出す必要など無かったはずです」
「さぁ、どうしてでしょうね?」
白亜はニッコリと微笑んで疑問形で返してきた。
「……それは私が考えるべきだという事ですか」
「貴方だけでも、あの子を巻き込んでも僕は構いませんよ。それと、そんなに畏まらないで下さい。僕、これでも葵の叔父です、元々そんなに遠い存在じゃあ無いんですし」
話を逸らされている。
だが白亜の“事故”は冬雪が生まれる前の事なのだから、10歳差の葵が中学に入るより以前の事である。中1の葵と初めて知り合った諒也にとっては、既に“死んで”いた白亜は充分遠い人だ。
 第一、
「……教え子の保護者だと思い込もうとしても遠いんです。勘弁して下さい」
と頼むよりなかった。
 普通なら――保護者会で茶の席を囲む対象であるはずだ。担任が保護者会でそこまで緊張していては話にならない。若手だからと言って下手にあたふたすると余計に心配させるのは判っていた。そんな事を考える諒也に気を遣ったのかどうかは知らないが、葵は何故か毎回来ては茶会の席を盛り上げていた。中学生の保護者としては若すぎる彼――実兄なのだから当然だ――に対し、実親たるその他の保護者たちの反応と言ったらない。その上有名人である。もしかしたら彼はそれが楽しかっただけなのかも知れない。或いは単に普段家に帰らない分のお返しのつもりだったのか。
 尤も、久海とか佐伯とか言う名のクラスメートは居なかったので、騒ぎの終わった後には彼の保護下に置かれた者の名前を覚えている者などほとんど居なかった。
「なるほど、僕はよっぽど凄い人みたいですね。僕の方が立場を弁えてなくて済みません。それに、その意味では彼を殺したのは僕ですから」
苦笑しながら白亜が言い、話は一気に元に戻った。
「え……そういう意味では」
「判ってます。でも……貴方に伝わっているかどうかは判りませんが、彼は僕の友人でした、普通なら気安く殺して良い相手じゃない」
「…………」
何と答えて良いのか良く判らない。
「別に僕は彼が憎くて殺した訳じゃない、それだけは判って下さい。今まで生きてきて、人を多少恨んだことはあっても、殺そうなんて考えた事は無い」
「……では……」
鈴夜を殺したのは何故か。

言い難い。言えない。
諒也は咳払いをしながら、肩に掛かった髪を後ろに払って誤魔化した。
「それは――……僕にとっては仕方のなかった、事です。これ以上は貴方には話せません」
「どうして――」
「下手なタイミングではいけません。いずれ貴方も知る時が来るでしょうが――……下手に話しては、貴方の身にも危険が及ぶ事になる」
「…………」
「僕はあの子が憎かったんじゃない。あの子が引いた僕の血が憎かったのかも、知れない……良く、判りません。何にせよ、僕が憎んだのは……僕が恨んだのは僕自身です。僕自身という存在が憎かった。だから……僕は死ななければいけなかったんです。そもそも僕が生まれてさえ居なければ、こんな事にもならなかった」
「! そんな、そこまで遡らなくても」
「その必要はありますよ。僕が居なければ冬雪君も居ない。葵は葵でしかなくなって、冬雪君の兄と言う立場も従兄という立場も得ない。そうしたら彼はどうなるでしょう」
「……私には、判りません」
「まさか。彼が尊敬した先輩、でしょう?」
「どうしてそんな話を」
「いえ、梨羽ちゃんが話しますから。彼女は何でも知ってます」
「……なるほど。でも――昔の彼と今……今と言っては奇妙しいですが、事故以後の彼とは違います」
白亜は初めて、少しだけ眉をひそめた。
「そう言っては彼が天国で泣きます。彼は最期に話すべき相手として貴方を選んだ」
「では不適当な人選だったと後で謝るしか」
「いや、人選は間違っていないはずです」
自分で否定していながらこちらに期待するのか。
だんだん混乱してきた。
「貴方は確かに話したはずですよ、その後の事情聴取で――飛び降りる前に葵が言っていた事を、憶えている限りで……かも知れませんが」
思い出す。


『俺だって変わったとは言われてますが、俺自身が変わった訳じゃない。新しい『久海葵』って存在を後から造って、元々居たヤツに上書きしたってだけの話です』


「……でも上書きしてる」
「それは彼流の冗談です。消せる訳無いでしょう、記憶喪失の状態で目覚めていきなりアレですか?元々居たヤツって誰の事だと思います?」
「記憶喪失、以前の」
「そんな頃の彼をどうして記憶を失くした後の彼が判るんですか?」
笑顔で問われるとギクッとしてしまうのは何故だろう。



――彼は思い出していた?



恐らくは――……何もかも。

それを言うのが面倒だったのか、或いは敢えて隠していたのかは判らない。
第一、思い出しているというのが本当かどうかも定かではない。

「まぁ……細かい事をグチグチ言っても仕方ないです。彼はもうこの世に居ませんし、確認する術は誰も持ちません。ただ貴方が話した事が間違いなく彼の言った通りであるなら……考えられなくも無いかな、なんて思っただけです。僕もこれで医者です」
「! そういえば」
「ホントは精神科のね。外科の難しい手術はお断りです、そもそも名医って訳でもないですから」
苦笑する。
「“死んだ”後に頑張って医大出たんですよ。学費とかは……色々やって、実家から流してもらいましたけど」
「ご自身で稼がれた分でも充分では?」
「……まぁ……その辺はご想像にお任せしますけどね。僕も良くは憶えてないです。あの頃は僕も若かったですから」
余り聞きたくない台詞ではあった。だが時の流れは容赦ない。
 白亜は続けた。
「冬雪君とは大して長く暮らしていません」
「それは……まぁ」
「息子なのに『君』をつけて呼ぶのが奇妙しいと思った事はありませんか?これでもわざとなんですよ」
「それは…………ずっと離れて暮らしていたからかと」
「……まぁ確かに夕紀夜さんも葵の事を君付けで呼んでいましたから何とも言えませんが……でも彼女の場合は身内ではないと言う意識があったからでしょう」
「では貴方は……?」
白亜はそれでも表情を変えなかった。

「彼が僕の患者だったからです」

夕紀夜と同じだ。
死んだ事になった後で、身分を明かさずに息子に接触して――。

否、この場合は逆かも知れない。

「詳しい事は言えません、守秘義務ぐらいは守らないと。ただ……彼がどういうものの考え方をしているか……とか、どういう思考回路で動いてるかとかは、親として医者として良く判ってるつもりです、っていう事が言いたかった」
「……なるほど」
「自慢話みたいで申し訳ない。でも……偶々だったんです。偶々彼の担当になって、一目見て気付きました」
「……いつのお話ですか?」
「まだ研修医だった頃の話ですから、全く1人で彼と接していた訳でも無いんですが――そうですね、丁度彼が小学校に上がった頃ですか」
すると例のあの事件よりも前、諒也が大学を出るよりも前だという事になる。
「それから2年ぐらいで彼は来なくなりましたね。彼自身の調子も良くなりましたし、夕紀夜さんの調子が……芳しくなかったですから」
「彼は1人で看病を?」
「まさか、お姉さんが……主に雪子さんが献身的に世話をなさっていたと思いますよ。僕は……よく、知らないですが」
だから彼が懐くのか。
だから――あの時彼は、正月だと言うのに病院に居た。
「全て……全て彼の為でした。私利私欲の為に動いているのは、何処かの偉い人だけです」
「全てが、彼の為に」
「今となっては僕には何も出来ません。でも貴方に接触する事で、貴方が何か彼の助けになる事をしてくれると期待しています」
「……私で大丈夫でしょうか」
「彼が師と認めた人でしょう」
その日一番の笑顔を見せて、白亜は立ち上がった。
「僕が話せるのはここまでです。酷いようですが、これでもかなりの冒険だったんです」
聞きたかった答えは得た。
最初の“事故”は、夕紀夜ではなく白亜自身による提案だったはずだ。
その証拠に彼は先刻「死ななければならなかった」と話している。久海白亜という存在を消したかったのなら、白亜自身が夕紀夜に言い出したとまでは言わなくとも2人の共謀という事で充分に証明できる。

まだ事件は終わっていない。
何故かは判らない、だがそう思ったからこそ――諒也は行動に出た。

半年前の事が昨日のように思い起こされる。

否――……半年前など昨日と同じだ。

(葵とまた話さないと)

あの世界へ行くことが出来れば、だ。




天に半分欠けた月の浮かぶ夜。

昨夜の雨で水嵩を増した川に掛かる小さな橋の上。

三宮諒也は周囲に誰も居ないのを確認して、裸足で手摺の上に飛び乗った。


   2

 それから1週間ほど遡る。
 滅多に手紙など届かない冬雪の家に妙な封書が届いた。宛名も差出人も書いておらず、切手も貼っていないので直接ポストに放り込んだようだ。
「気味悪いよっ、脅迫状だよっ」
玲央はそう言って騒ぎ立てたが、梨羽は「だったら面白いですね」と言って笑っていた。平和な世の中だ。
 封を切って中身を出す。そこにはたった1枚の便箋が入っていた。


『6月10日 DRTが本部とする紫苑町の工場跡に来い
用件はその場で話す 来なかった場合に何があるかは自明の理
誰を連れてきても構わないが こちらもそれなりの人数で応戦する 覚悟しておくが良い』


「何ですか?」
「…………来いって、さ」
前回のようにメールで軽々しくくれれば良かったのに、と思ってしまった自分が馬鹿らしくなった。
一見すると脅迫状のようにしか見えない。
否、脅迫状だ。間違いない。
「ほらっ、玲央の言った通りだよ」
「……言った通り、だったな」
「どうすんの?行かないと殺されちゃうよ」
「行っても殺されるんじゃねぇの」
「じゃ、じゃあどうするの」
「……誰かに相談してみるしか」
「ケーサツ?」
「無駄だ、こういう時こそあっちだろ」
きょとんとした顔の2人を尻目に、冬雪は手紙を持って部屋を後にした。
 家を出て、斜向かいの家へ向かう。インターホンを押すと、出てきたのは尋ね人の妹だった。
「! ふゆちゃん」
「お久し振り。兄貴に御用なんだけど」
「兄さん?珍しいね、ちょっと待っといて」
詩杏は笑顔を残して家の奥へと去った。入れ違いに眠そうな神李が現れる。
「……何や?夕方から」
「じゃあ朝来れば良かったですか?」
「それは堪忍。で?用事って」
「朝霧さんと話したい事があります。連絡取ってもらえませんか?」
「あぁ……そか、連絡先教えたらんかったもんな。ちょい待ち」
そう言って神李は徐に携帯電話を取り出してボタンを押し、会話する体勢に入った。
呼び出し音が10回近く鳴った辺りでようやく出たらしい。少しだけ彼が話した後、すぐに電話がこちらに差し出された。
「自分で話した方がえぇやろ」
「あ……はい、どうも」
携帯を受け取り、恐る恐る「もしもし」と発してみる。
『公務員に対し勤務時間内に私用で電話して来るとはええ度胸やな』
第一声からそれか。ため息を吐きたくなった。
「公務員だったんですか?」
『さぁ、せやったらおもろいやろ。5時になったら即退社』
「……こっちは真面目です」
『用件』
「あ、はい。出来れば直接会って話したいんですけど」
『……何や深刻な話?』
「……深刻、ですね」
『わーった。明日の10時、「Fairy Tale」で手を打とう。近いやろ』
駅にある例の喫茶店だ。
「朝ですよね?」
『……当然。夜10時なら別の店にしてるわ。あそこ10時閉店やで』
妙に詳しい。
近辺に住んでいるのだろうか。
「……わかりました。ありがとうございます」
『んにゃ、オレはアンタの「相談したい」っちゅう申し出に応じたまでや。ん……そんじゃ明日な』
「はい」
すぐに電話は切られた。
彼も忙しいのだろうか――冬雪は神李に携帯電話を返した。
「深刻、なんか」
「……まぁ、多分」
「深刻か深刻やないかっちゅうたら、もう充分深刻やってんけどな。まぁ俺には何もでけへんから何も言えへんけども」
「いざとなったら頼りにします」
「……俺で良きゃーな」
神李は苦笑して言う。そういえば以前はこの人にも命を狙われていたような気がする。
 人は変わるものと言うが――……いまいちまだ、その変化が飲み込めない。
 冬雪は一息ついて笑顔を作った。
「それじゃ、ありがとうございましたっ」
「おぅ。じゃあな」
軽く挨拶を交わして、冬雪は左右を確認して歩道から車道へと走り出した。

   *

 月を見ていると故郷の山を思い出す。

人間たちは忙しなく働き、目まぐるしく移り変わる世の中を傍目に見ながら彼は生きてきた。

いつになったら、穏やかに暮らせる時が来るのだろう。

「気分が冴えなさそうだ、仔狐くん」

「! 僕はもう」

背後に立った者はニヤリと不敵な笑みを見せ、こちらに何かを差し出した。

封筒、だった。月明かりに照らされて、白くぼんやりと浮かび上がる。

「こ……れは?」

「伊達に人間やってないんだ、俺も。あんたがヒトじゃない事も判ってる」

「…………、彼と同じ能力を?」

「彼ってのが誰だか知らないが……とにかく俺には判る。

ついでに色んなトコとの繋がりも持ってる。

バラされたくなきゃ俺について来るんだな」

嫌な予感がした。

彼は一応、と封筒を受け取る。

男はついて来いと手招きをして、闇の中へと歩いていった。


   3

 DRT本部、紫苑町某工場跡。
メンバー全員が緑谷の人間であると言うのに何故紫苑に本部を置いたのかは未だもって理解できない。
「遅かったですね」
金髪の刑事は邪気の無い笑顔をこちらに向けて言う。
蒼髪のリーダーはため息を吐いてから呟くように答えた。
「……こっちゃ昨日徹夜やってんで」
「言い訳になってません。徹夜だってバスに乗り遅れる事は無いでしょう」
朝霧はそれには答えず、いつもの席にどすんと座った。それからさらに大きくため息を吐いて、不満げな顔を秀に向ける。秀は表情を変えなかった。
「この後また用事あるねん」
「お疲れ様です。随分ご多忙ですね」
「……適当やなぁ、お前」
「最低限の気遣いをしたつもりですよ。もしあまり忙しいようであればこちらの事は――」
「あぁ、その事については気にせんでええ。今に暇になる」
「今の仕事が片付いたら、ってことですか?」
「……まぁ……近いところや」
秀は何かを企んでいるかのような笑顔を見せた。
そして言う。
「無理はなさらない方が良いですよ」
「……んな事は判っとんねん」
朝霧はそう言い放ち、真っ黒なサングラスを外してテーブルに置いた。
それから片膝を立てて胸まで引き寄せた。
「サングラスが起爆剤、ですか」
「まぁな。人目を憚らなくて良い。恥ずかしくない」
「全く……変な事を考えたものです」
「それはオレ宛の言葉か?」
「いえ、計画者全員に」
「……オレも入ってるじゃねぇか」
「結果的に良い効果をもたらすなら僕は何も言いませんよ。もし破綻した時の事を心配してたんです」
「下手な演出は逆効果、か」
「はい」
朝霧には頷く事しか出来なかった。
「でも今のところは大丈夫そう、やで」
サングラスをかけ直して言うと、秀が不満げな顔をした。
「その『そう』が不安因子なんです。アレだって馬鹿じゃない」
「でも思い込めば一直線タイプや」
「……そう思いますか?」
「ま、オレはな」
朝霧は立ち上がって珈琲を淹れに向かった。コーヒーメーカの準備を整えて、秀に問う。
「飲む?」
「あ……入ったら頂きます」
返事を聞いてなみなみと水を注いだ。粉を入れる。スイッチを入れて再びソファに戻った。
「その『アレ』に脅迫状が届いた」
「……どのような?」
秀の目が真剣になったのが判った。朝霧は話を続けた。
「ここに来いという文面や。真意はオレにもよう判らん。用件はその場で話すってことになってて」
「ここですか?……危ないですね。誰が行くんです?」
「オレがついてく事にしたった」
「…………本気ですか?」
「手伝いにはなるで?アンタがオレの事どう思っとるかは知らんけど、これでもCECSには違いないねん」
「それはそうかも、知れませんけど――……その事は彼には?」
彼が朝霧を信用する要素となるか、否か。
「いや、話してへん。どうなるか判れへんからな」
「まぁ無難ですね。彼から周りにどう伝わるかも判らないですし」
「ま、出来る限り隠しときたいわな」
そこで秀は黙り込んだ。
朝霧は呟く。
「――……CECSでしか判れへんことも、あんねんで」
「貴方は彼を救うつもりで――」
「試しとんねん。あいつに、1人の人間としてまともに生きていく価値があるかどうかをな――」
見上げた天井の蛍光灯がちらついた。
どうやら寿命が近いらしい。
「電気、換えたらんとな」
「……そうですね」
「じゃ、オレは帰るで。さっきも言うたけど用事あるからな」
「えぇ、頑張って下さい」
当たり前の言葉が、妙に心に引っ掛かる。
朝霧は小さくため息を吐き、苦笑して答えた。
「お偉いさん方がオレを待っとんねや――偉くもないのに、偉い振りしとるだけのオレをな」
「じゃあきっと貴方は偉いんでしょう」
「…………」
「少なくとも今の世間の認識では、です。偉い偉くないの判断に、実際の力量は問題ではありません」
「……皮肉やな」
「それが今の世の中ですよ、“ボス”」
仕方ないもの、なのだろうか。
「……まぁ、行ってくるで」
「はい」
秀が軽く敬礼のような挨拶をする。朝霧はそれに返して、管理人室の扉を静かに、閉めた。
「それでホンマに偉くなれるんやったら……苦労せぇへんねんけどな」
そういえば、淹れるだけ淹れて珈琲を飲んでいない事に気付いた。
「……まぁええか」
後は秀が飲めば良い。
 朝霧は上着を肩に背負い、鞄片手に工場を後にした。



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