東京想街道
P.61[新緑と夕焼]




   1

 中学校庭の桜が、緑の葉を揃えた5月。連休が明け、中3の修学旅行も終わり、そろそろ本格的に「普通」の日々が始まる頃だった。
 菜穂の件があってから――……諒也にとって、職員室がこれほどまでに居辛いものになるとは思っていなかった。話し辛い雰囲気は前よりも増し、それほど強く出られない性分の諒也には全ての仕事が苦痛に思えてきた。「歓迎パーティ」の後も周囲との関係はほとんど変わらなかった。結局、ため息の数は増えるばかりだった。

――少し、休憩しようか。

 今は昼休み。食事を終えた諒也は席を立つ事にした。今のところ昼休みを削ってまでやらなければならない仕事は無い。眼鏡を外して机の上に無造作に置き、財布だけ持って職員室を出る。

 教室の無い1階の廊下を通る生徒の数はまばらである。諒也は職員昇降口の反対側に開く裏口から外に出た。南の校庭と違って校舎の北側はひっそりとして静かだ。そちらに門が無い所為もあるだろう。大きな桜の木が葉を揺らしていた。15年前と変わらない、穏やかな時が流れている。
 その下に何気なく設置されたベンチの上で、静かに寝息を立てている男子生徒を見つけた。
「……おはよう」
意味も無く、声を掛けてみる。眠りが浅かったのか――……少年はすぐに目を覚まし、諒也のほうを見上げた。
「こ……」
声がまともに出ていない。諒也は笑った。
「ここ良いな、昔は女子が溜まってよく弁当食べてたんだけど」
「……先生、昔ここに居たの?」
少年は目を擦りながら起き上がり、のんびりとした口調で尋ねてきた。敬語が無いのは以前から気にしていないので、敢えて注意する気にはならなかった。むしろこの場合は何故か、微笑ましく思えた。
 あまり背は高くなさそうに見える。無造作に下ろした茶の髪は少しクセがあって、垂れ目がちの瞳が少し青みを帯びていたのには少し驚いた。顔立ちからして、ハーフかクオーターか……いずれにしろ、生粋の日本人と言う訳では無さそうである。
「あぁ……君が生まれた頃、かな」
「へぇ、凄いね」
感慨は無さそうだが、嫌な反応ではなかった。
「クラスは?」
「2−3」
「あぁ、伊吹のクラスか」
東海林伊吹。
「仲良いの?」
「ん……あぁ、昔同級生だったんだ」
「ふぅん。偶然って凄いね」
少年はふわりと笑って、呟くように言った。
「部活とかは?」
「…………」
「? どうした?別に帰宅部を恥じる必要は、」
「……言ったらきっと『ひとりで大変だろうけど頑張れよ』って言われそうで」
少し目を逸らし、少年は前髪をいじって誤魔化した。
そう告げる対象となるような部は――。
「……今ので大体判った気がするよ」
「判ったの?」
意外そうな顔をこちらに向けて、少年は瞬きをした。
「本当は部として存在してないだろ?顧問が居ない」
「うん。じゃあ先生、顧問やってよ。判る、んでしょ?」
少年は静かに笑った。動作のゆったりした子だが――一緒に居て、妙に気分が落ち着く。
彼の言う『判る』は2つの意味で――……少年が何部に所属しているのかが判ると言うのと、その分野に長けているという意味だ。
「わかった。活動日は?」
「きまぐれ」
悪びれずに少年は笑う。
「そか。――そうだ、名前を聞いてなかった」
言うと、少年はハッとした顔になって黙り込んだ。不安そうな目を地面に向けて、戸惑っている様子がすぐに理解できた。
何故名を名乗るのに躊躇わなければならないのか――。
「……本名である必要は、無いよ」
諒也のコメントに、少年は顔を上げた。それから数秒経って、彼は小さく呟くように答えた。
「――あ……秋野、羽鳥」
「!」
よく知っている名だ――……彼の、関係者だろうか。それが本名ではないと言うのなら、尚更その可能性は高まる。諒也が口を開こうとすると、今度は少年の方が先に切り出した。
「冬雪君のこと、知ってるでしょ」
「……あぁ、君は――」
「僕は先代秋野の人間。冬雪君とははとこ同士だけど、小さい頃から随分お世話になってる」
少年はいつになく早口に喋った。他人には聞かれたくない話だからか、それとも意識が変わったからか。
 とにかく――先代という事は、桃香氏の親の世代の兄弟の、その孫世代辺りになるのだろうか。
それでも恐らく、夢見月の名は残っているのだろう。
「そう……か。じゃあ尚更ヨロシク、だ」
少年はそれには応えずにベンチから立ち上がった。そして諒也の脇をすり抜けて校舎の方へと歩いて行く。
「授業か?」
諒也が背後から声を掛けると、彼は歩みを止めて少しだけ振り返り、声を発した。
「……秋野の人間が全て貴方たちに好意的だと思わないほうが賢明です。僕はともかく……としても」
「貴方『たち』って誰の事だ?」
少年は向き直って校舎の中へと消えていった。
「……なんだかなぁ」
諒也がそう呟いたとき、桜の花弁が1枚だけ舞って来ているのに気がついた。
意味も無く、彼はそれに向かって手を伸ばした。
 花弁はするりと彼の手の中に入り込む。

「相変わらず運だけは、良いみたいだ……」

ため息を吐き、拾った花弁を胸ポケットに突っ込んだ諒也の視界の端に、招かれざる者はしっかりと入り込んでいた。

   *

 職員室の扉を開けると、偶然伊吹に鉢合わせた。
「! あぁ……吃驚した」
「それはこっちもだ、諒……脅かすな、心臓に悪い」
「不可抗力だよ」
「あー、まぁな。んじゃ」
伊吹は手を振って去ろうとした。
「伊吹。少し訊きたいんだけど」
「何だ?あと1分でチャイム鳴るから手短に頼むよ」
「――秋野羽鳥はどんな子だ?何でもいい、情報があれば欲しい」
伊吹の表情は諒也に対する疑念を抱くものに変わった。
「……特に、無いと思うぞ。少なくとも、わざわざ報告するほどの……事は」
「それなら、いいんだ……何も無いなら」
だが何かが微妙に引っかかる。
伊吹が諒也を疑っているのか、それとも伊吹が敢えて隠そうとしている事があるのか。

今の時点では何も判らない。

(……難儀だな)
諒也はため息を吐いて自分の机に戻った。
「担任に訊いても情報なんて入りませんよ」
誰かの声が耳に届く。
振り返った先に立っていたのは――小林だった。
「……どういう事だ?」
小林はいつになく真剣な顔をして、答える。
「彼は貴方がどういう人間かを知っている。どういう立場に居るのかも知っている。それから……貴方がここの最高権力者であることも、充分」
「最高とは言えないよ」
「……そんな事は問題ではありません。問題なのは、彼が誰か、です」
訳が判らなかった。
東海林伊吹はそれ以上でもそれ以下でも無いはずではないか。
 小林が言う。
「僕は彼が以前居た学校に勤めていました。彼は……クラスで問題が起きても何事も無いように振る舞うのが得意でした」
「…………それは……例えばいじめを隠すような」
「そんなような事です。何とかして体裁を守ろうとする人でした」
「でもここではどうだか判らないだろう?」
「変わりませんよ……いくら友人だからって、貴方が校長である事には違いないんですから。その貴方から話を聞かせてくれと言われても、何も無いと答えるのが当たり前です。貴方の性格が良い事を知っているから」
褒められているのに、嫌な気分になった。
「悪く言うならお人好し、ですけど……まぁそこまで言うつもりはありませんが、最低限『何も無い』と答えていれば貴方は信用します。追及するのは望まないでしょう?」
「あぁ……そうかも知れないな」
「僕はそのクラスで何が起きているのかは知りませんが、担任は情報源にはなり得ない事を伝えておきますね」
小林は最後に少しだけ笑って、自分の机に戻ろうとした。
諒也はそれを留めた。
「……小林は何も知らないのか?本当に?」
彼は振り返らず、静かに答える。
「……秋野君は普通の子ですよ。少なくとも……休み時間、以外は」
イコール授業中。
「そ、か」
「……何も無い事を祈っています」
小林は小さく呟いて、今度こそ自席に戻った。

判らない、でも何かが確実に起こっている。

嫌な予感がした。

でも乗り越えなければならない。


もう何度目か判らないため息は、その日の内で一番気分を沈ませた。


   2

 一般人が警察署の刑事課に出向いたところで入る情報などごく僅かである。例に漏れず一応一般人に分類される久海冬雪は『仕事』で出向いた警察署内で阿久津秀に遭遇した。
「どうも。――『仕事』か?」
「おかげ様でね。実弾5発も貸してイタダキマシタ」
「……そう。じゃな」
秀は手を振って刑事課内に入っていこうとする。
「『じゃな』じゃなくって!他に言う事無いのかよッ」
ドアノブに掛けていた手を離し、振り返った秀がため息を吐く。
「特に言う事は無いんだけどな。――その前髪は切りすぎたのか?」
「ん……な事はわざわざお前に言われなくても判っ」
「なら必要無いだろ。じゃ」
「わーッ、待て待て!話したい事があるんだってばッ」
「……じゃあ最初からそう言ってくれ」
「……ゴメン。この前言ってた葵の事件のことだけど」
「証言の改竄か?」
声を小さくした秀は冬雪の袖を引いて近くに寄せた。本来ならば警察署の廊下で気安く話せる話題ではない。
「そう……あれから進展は?」
尋ねても、秀の表情は変わらない。
彼は静かにため息を吐いて答えた。
「何せ随分前の事件だ……調べるのも大変だよ」
「……答えになってないよ」
「岩杉諒也は本当に『見ていない』んだな?」
「……後から振り返ったって」
冬雪の答えを聞いて、秀は少し眉を顰めた。
「……なら彼も改竄されている」
「! 本当に?」
「あぁ。以前調べた時は僕の基準で判断した――第三者の存在を証言したのに消されていたものを改竄されたものとした」
「……先生は元より第三者については言ってない」
「あぁ。でも彼はその場面を『見た』事になっていた。ただそれに書き加えられた形跡は無かったから、恐らくは最初のメモ段階で改竄されたな。――それでいて第三者については見ていない事になっている」
と、いう事は。
「それじゃ、先生を疑わせようと」
「それも考えられるだろうな。誰が首謀者なのかは知らないが――……改竄の目的はそこかも知れない。他の改竄されていない証言は、『見ていない』ままだったから」
『見て』、尚且つ室内の第三者を見ていないと言った証言者、となっているのは諒也ただ一人だと言う事か。
それなら彼が犯人にされても奇妙しくない。
「……でも、それじゃどうして『自殺』のまま動かないんだろう」
「第三者を見たという証言が、見ていない事になってるからだ。彼の証言が改竄されたのは、それが崩れた時の為だな」
「……二重構造になってる訳か」
第三者の存在が明らかになった時、疑われるのは間違いなく諒也である。
「だから秋野――……下手に第三者の存在を明るみに出すのは良くない。結局は自殺行為になるぞ」
「……判った、覚えておくよ」
「あぁ。――ところで今回の『仕事』は何処だ?」
冬雪はずっと手に持っていた拳銃の袋を鞄に仕舞い、それから口を開いた。
「さぁね、オレも良くは判らないけど……。とりあえず今日明日はコレに掛かりっきりかなー。あ、そうだ――……Stillを引き継いだ組織が出来たって本当?」
「……耳にはしている、と言ったら?」
その回答をどう取るか。
悩みたいところだがこんなところで悩んでいる場合ではない。
 冬雪は敢えて笑っておいた。
「あー、詳しい事知らないならいいや。それじゃまた、会ったら」
「――あぁ、それじゃ」
互いに手を振り合って、冬雪は1階に下りる階段へと向かった。
 秀は冬雪の後姿を見送り、ひとつ安堵のため息を吐く。
刑事課の扉が開く音がする。秀は何事も無かった振りをして、出てきた同僚に軽く手を振って入れ違いに室内へ戻った。

   *

 広い、空間だった。コンクリートの壁は無機的な灰色、天井は低く、強い圧迫感を覚える。広い事に意味がある空間で、一部を除いて大した物は置かれていない。若干寒気のようなものさえ覚える空間に、ひたすら静寂だけが流れている。
 その部屋に、機械をいじる音が響く。部屋の入り口に程近い、その一部だけ物の置かれているスペースで、冬雪は椅子に腰掛けて傍にあった何かを手に取った。
 それから静かに、ため息ひとつ。
「これだからオレがまた、悪党だと思われるんだよ」
誰に言うともなく呟いて、冬雪は右手に持った『それ』を向かい側の壁に向けてスッと突き出した。
「……OK」
片足を乗せて座っていた椅子から立ち上がり、冬雪は床に簡単に引かれている線のところまで進んだ。それからゆっくりと『それ』を両手で引き上げる。標的は壁に描かれたダーツの的。もう随分使い古されているのだろう――壁には弾痕が数多く残っており、そのほとんどは中央部に命中していた。
 ゆっくりとハンマーを上げ、それからすぐに引き金を引く。耳をつんざくような音は無い。ただそこに火薬の臭いが漂い、床に空薬莢が転がっている点で先刻とは異なる。

――向かいの壁の的の丁度中央に、新しく弾痕が出来ていた。

 冬雪はまたひとつため息を吐いて、今しがた転がった空薬莢を拾って『それ』と共に棚に置いた。
「……何でオレ、こんな事してんだろう」
警察官が射撃の練習をするのとは訳が違う。冬雪は飽くまでも一般人という扱いである。
 冬雪は片隅の梯子を上り、天井の四角い蓋を押し開けて外へ出た。
 そこは秋野家の一室――1階の和室であった。物という物の無い部屋だが、一応ながら仏壇が置いてある。『和室』としてだけなら、それぐらいしか用途の無い部屋だ。こたつもいざとなればリビングに用意する。
「臭い、残っちゃったかな」
袖口を鼻に近づけながら、開いていた蓋を足で閉める。それからずらしてあった畳を再びはめ込んだ。よくある隠し部屋だが、今のところ冬雪以外にここの存在を知っているものは居ないはずだ。基本的に冬雪以外の家族は和室に入る事自体が稀で、まして畳を外そうとする者など皆無である。だから梨羽も、冬雪が思う限りでは知らないはず、であった。
 初めてこの隠し部屋に入ったのは、物心のつく前だった。夕紀夜に連れられて中へ入った事だけは覚えているが、あとの事は判らない。ただ気付いた時には、数日に1回は射撃練習と銃の手入れの為にこの隠し部屋に潜り込むようになっていた。
 先刻撃ったのは警察から借り受けたものではない。飽くまで練習用で、実用性は皆無であるが――夢見月家が独自のルートと業者を利用して作った、いわば“オリジナル”の銃である。『飽くまで練習用』であるから、特に工夫が凝らされているとか特徴があるとかそういう事は無い。ただ、サイレンサーが付いている事だけが警察の拳銃とは違った。いくら何でもこの閑静な住宅街で、練習とはいえ発砲音を鳴り響かせるわけにはいかない。
「……こんな部屋があるってバレたらそれだけで捕まるのに」
 その危機感がまるで無い。冬雪はため息を吐いた。ふと思い出して、仏壇の前に敷いてあった座布団を引き寄せてそれに座る。胸ポケットから小さな黒の手帳を取り出して開く。

――5月11日土曜日つまり明日、行き先は紫苑町の外れの閉鎖された工場。そんなものが隣町――と言うには及ばないほど交通の便は悪いが――にあったのかと思うと、何とも寂れた町に住んでいるのかと思いたくもなるがそんな事は関係ない。問題は――……そこに来ると予想された相手だ。
 詳しくは確かに冬雪も良くは知らない。だがかつて夢見月家を脅かした『Still』を引き継いだという新たな組織の関係者が、警察に対して接触を申し出たと言うのだ。わざわざ足がつくような真似を、どうしてやろうとしているのかは全く判らない。ただ警察側は刑事の派遣を渋り、いわばバイトの冬雪を行かせようと言い出したのである。正直言って、何も敢えてそんな仕事を頼んでくれなくても、と冬雪は思う。刑事でない事などすぐに判るだろう。否、それどころではない――かつて目の仇にしていた夢見月の血を引く人間であることなど一目瞭然だ。

 冬雪は再びため息を吐くと、手帳をポケットに仕舞って立ち上がった。座布団を元の位置に戻して、襖を開けるとそこには人影があった。
「……っ!」
梨羽が何かを抱えて、こちらに向かって笑顔を向けていた。
「気付いてましたよ」
「え、な、何が!?」
まさか、あの隠し部屋が――。
冬雪は思わず、後ろ手にそっと襖を閉めた。
 梨羽は表情を変えずに言う。
「姿をくらましたつもりだったんでしょうけど、和室に居るのは判ってました」
「……あ、あー……そっか、気付かれてた」
どうやら違うようだった。
「それで、そう――冬雪にひとつお願いを」
「何?」
梨羽は抱えていた書類――恐らくは事務所関係のものだ――の束の上から、小さなメモを冬雪の前に差し出した。
整った字でびっしりと何かが書いてある。
「これ、買ってきてもらえませんか?駅前のスーパーで今日は」
「タイムサービス、4時から」
「えぇ。でも私はちょっと上でやる事があるので――」
「……OK, Sir.行ってくるよ」
冬雪は反抗する術を持たない。事務所に置いてあった鞄の中に財布が入っているのを確認して、冬雪は靴を履いて玄関の扉に手を掛ける。
「――じゃあね」
少しだけ振り返って、梨羽に手を振った。
「はい、頑張って下さい」
「……あー、頑張るよ」
これは勝負だ。遊びに行くのではない。

 そして――戦いへの扉は、開かれた。


   3


「――悩んでも仕方ないと思いませんか」

言われれば言われるほど、頭の中で考えていた事は複雑に絡み合い、正しい判断力を失わせる。

伸びた前髪が目に掛かって視界を遮り、目の前に居る『息子』の存在を半分忘れかけたところで再び声が掛かった。

「本来貴方に制約は無いはずですよ。貴方が勝手に自分の中で作り上げているだけです」

「でもそれを破った時の代償が大きい」

彼は思いっきり顔を上げて語気を強めた。

「必ずそうなるという保証が?」

「……それは、判らないが」

再び彼が俯く。

『息子』は小さくため息を吐いた。

「なら貴方に迷う権利など無いでしょう」

「『良心が痛む』と言ってもか?」

「良心が痛むような話なんですか?ボクが聞く限りではそうは思えませんでしたけどね――」

『息子』は不敵な笑みを浮かべ、静かに茶をすすった。

迷う権利は、無い――。

受け入れなければならない。

拒んだ時のリスクも、受け入れた場合の代償も――……同じようなものだ。

どちらにしても、変わらない。


それならいっそ ―― 開き直ってしまえ。

彼は湯飲みの中身を一気に飲み干した。


「……お前はまだ、傍観者――なのか?」

目の前の『息子』に尋ねる。

『息子』は静かに微笑んで、応えた。


「いつまでも――……永遠に、ですよ」


相容れない存在。

彼はゆっくりひとつ、瞬きをした。

それから静かに、立ち上がる。

「……じゃあな、また来る」

「その時は――彼も一緒ですか?」

代名詞『彼』が誰を指すのかを、彼は理解し得なかった。

「……さぁ、どうなるかは判らないよ」

「状況次第と言うヤツですか」

彼は視線だけで返答して、その店から出て行った。



あとに残ったのは、彼の小さな残像、だけ。



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