東京想街道
P.57[揺らぐ景色と薄らぐ景色]





   1

 東京の街は眠らないと言う。都心の街を訪れていた岩杉諒也が抱いた感想は、まさしくその一言だった。都の隣県だが田舎の方で育ち、今も郊外に住んでいるのだから――夜を都心で過ごすような事などまず無かった。
 いつの時間になっても止まらない車と人の流れ。店の明かりは夜遅くなっても煌々と輝き続けている。終電が1時台なのが不思議に思えてくる。

――2006年、春の事だ。

ちょうど終了式が終わり、落ち着いた頃である。そもそもこちらへ来たのは仕事だったのだが、夜になって新任教員の歓迎パーティよろしく自由参加で飲み会が開かれた。どちらかと言うとただの交流会だったが。
「岩杉先生、もう1軒行きませーん?」
先刻まで一緒に飲んでいた同僚が冗談のような口調で尋ねてきた。確か、都内のどこかの中学から転任してくるのだったと思われる。教科は数学。名を結城大亮と言い、中学高校時代の同級生だった。偶然と言うのは恐ろしい。
 他のメンバーは既に自宅かホテルに戻っている。 つまりそこには2人だけしかいない。
「……まだ飲む気か?もう11時過ぎて……」
「時間なんて関係ないって!今日はこっちに泊まるんだからー、電車の事も気にしないー」
大亮は笑いながらくるくると踊った。
(……酔ってる)
岩杉は酒には強かったが――……大亮はそうでもなさそうだ。
「これ以上は無理だ、俺じゃなくてお前が危ない」
「へ?僕はまだ大丈夫!だからほら、行こう行こうー……ふ」
「ゆ……大亮ッ」
倒れた。
「だーいじょうぶー……」
意識はあるようだがまともではない。
岩杉はため息を吐いた。
「全然大丈夫じゃない。ホテル行こう、ホテル」
「……ひぇい」
(完全に狂ってるわ)
再びため息を吐き、千鳥足の同僚を連れて宿泊先に向かおうとしていた時だった。
「――リョウ」
呼ばれているのか。一瞬、止まろうかと悩んだ。
確かに日常、岩杉は大半の知り合いから「諒」と呼ばれては居るが――それだけならよくある名だ。自分とは限らない。
今はそれどころではないのだ。岩杉はそのまま去ろうとした。
「聞こえなかったのか?リョウ――……俺だ」
その声の響きに、1人の男の顔が脳裏に浮かんだ。
「どうしたのー?」
「……結城先生、ひとりで戻れますか?用事を……思い出しました。後で行きます」
わざと職場用敬語モードで話した。あまり、旧友だとは知られたくないのだ。
「たぶん、大丈夫です。それじゃ、また後でー」
笑いながら、大亮はふらふらと歩いていった。世に言う“酔っ払いオヤジ”と言うのも千鳥足だろうが家に辿り着くのだから、彼だって大丈夫だろう。そう思い込むよりない。
 改めて、岩杉は振り返った。
 そこに立っていたのは予想通り――……白髪ではなく灰色の髪を持った男だった。
「――久し振りだな、リョウ。10年振りか?」
「……よく俺だと判りましたね」
「声が変わってない。顔も変わってない」
いや、男とはすれ違っていない。声はともかく、呼び止められるまで顔は見られていないはずだ。
「…………いつから見てたんですか」
「さぁな」
「どうせ名前聞いてたんでしょう?彼が言いましたからね。『岩杉』なんて名前はそうそう無い。まして都内となれば」
「……相変わらず鋭いな」
男の方がため息を吐いた。岩杉は少しだけ笑っておいた。
男は通称をカズマ・グレイと言うが――……岩杉はずっと本名の方で付き合ってきた。どちらにしろ名の方で呼ぶから、読みに変わりは無いのだが。
「それで、何の用ですか?一磨さん」
「昔の知り合いを呼び止めるのにいちいち用が要るのか?」
「要るでしょう。用が無いなら『久し振り』と言って手を振るだけで充分です。……結城先生がまともにホテルに戻れるかどうかも判らないのに」
「あんなになるまで飲ませたのはお前だろう?」
「濡れ衣です。あれは彼が勝手に飲んだんですよ」
「止めればいいじゃないか」
「……彼がそんなに弱いとは知らなかった」
「お前が強すぎんだよ。世の中全ての人間が一升瓶空けられると思うな」
「…………重々承知してます。あの時は済みませんでした」
その時何があったのかは、法に触れるので言わないでおく。
「なら飲ますな!――ちょっと来い」
一磨が手招きをし、すぐ近くのビルの隙間に入っていった。多少気は引けたが、岩杉も彼についていった。
「……何です?いかにも裏組織の取引みたいな場所で」
「裏組織の談合なんだからいいじゃないか」
(談合って……)
日常会話で頻出する単語ではないと思ったのだが。
「……って事は一磨さん、今もまだあの組織に?」
「組織って程じゃないけどな。色々あって……今は一番上にいる」
「! 貴方がボス」
一磨は静かに頷いた。それからハッと何かを思い出したような顔をして、突然笑顔で問い掛けてきた。
「そういえば聞いてなかったな。リョウの仕事は何だ?」
「彼が『岩杉先生』って言ってたでしょう」
「敬称が『先生』になる職業はひとつじゃないだろ。まぁいずれにしろ――……地位は高いか」
「……高くなんてないですよ。一地方公務員です」
正直に答えると、一磨は不思議そうな顔を岩杉に向けた。
「……不満ですか?」
仕事を尋ねられて公務員と答えると、大抵の場合は全く違う職を想像してもらえる。誤魔化したい場合にはうってつけの回答なのだ。
 だがこの場合は先刻、本当の職業を連想させる単語が一磨の耳に入っていたはずだ。
「いや、地方公務員にも色々……」
「無いでしょう。市役所の職員が先生なんて呼ばれますか?警察だって独自の階級が」
ようやく思い至ったらしい。一磨が目を見開いた。
「あぁ……深く考える必要は無かったって事か」
一磨が頭をかいて唸った。そう、単純思考で良かったのだ。
「しかしそれにしても……似合わないな」
「余計なお世話です。これでも担任持ってるんですから」
「! おめでとう。小学校だか中学校だか知らないが、下手な真似しないようにこれからも気を付けろよ。何せお前は――」
「久し振りに会って色々話したい気持ちは判りますが、結城先生が気になるので用件を早めにお願いします、一磨さん」
雑談好きの、裏組織のボスには到底向かないような性格だ。
尤も、そういう『ボス』が本当に世の中に居ないとも限らないが。
「……ところでそのユーキ先生は何者だ?」
「ただの同僚です、その辺は察して下さい」
彼の雑談は止めるのもなかなか苦労するのである。
「で、こんなところにまで呼んだ用事って何なんですか?」
「――せっかく会えたんだ。頼みがある……これを最後の仕事にしてほしい」
一磨の真面目な顔。

嫌な予感がした。

「俺は……もう足は洗いました。今更、」
「悪い事は言わない。手伝ってくれるだけで構わない」
「……手伝うって……手伝うだけで犯罪になるんですよ?もし見つかって懲戒免職なんて事になったら一磨さんの所為にします」
「一息で言い切るなよ。反論の隙もなかったじゃねェか……」
「得意技なので」
「でも、って事はリスクはこっちも同じだ。お前が俺の所為にすればその時点でウチの組織は全員アウト」
「ですね」
「要は見つからなければいいんだ」
一磨はニヤリと笑った。
岩杉がもう何度目か判らないため息。
「…………俺が隠し事上手いように見えますか?」
「物凄く上手そうに見えるんだが、この認識に間違いは?」
答える気力も無かった。
一磨が続けた。
「3日後、27日にまたここに……そこの、赤いネオンのビルの入り口前まで来てくれ。時間は……そうだな、10時ぐらいでいい」
「……もちろん夜の、ですよね」
「あぁ。用事は?」
「まぁ多分大丈夫でしょうが……終電までに片付きますか?」
「どうだろうな――……標的【ターゲット】次第だ」
「……標的、ですか」
少なくともここ数年は、自分の周りではまず聞かなかった単語のはずである。
どうしてまた自分がこの世界に居るのか――……妙な気分になった。
「判ったな?絶対来てくれよ。少人数じゃ片付きそうにないんだ。それじゃ、3日後に」
「え……って、相手は団体……!?か、一磨さんッ」
「結城先生にヨロシク!」
明るくそう叫んで一磨は隙間から颯爽と抜けていった。恐らく通りすがりの一般人から奇怪な目を向けられたに違いない。
岩杉はそんな視線を浴びる事の無いように、誰も見ていない事を確認し、ゆっくりと外の世界へと戻ってきた。

   *

 本当に来てしまった。気付けば右手には小さなナイフを握り締めている。左手は完全に盾にする覚悟で行くしかない。
「相手は6人。こっちは4人……少々不利だが、リョウの腕を見込めばかなり有利なはずだ」
「でも俺は」
「左手の事なら気にするな。そういう時の為に右手に武器持ってんだろうが」
事故の事を知っているらしかった。
しかしそういう一磨も左利きだが、拳銃は素直に左手に握っている。
言っている事とやっている事が違うではないか。

ツッコんでいる場合ではない。

相手がこちらに気付いたらしく、一斉に襲い掛かってきたのだ。
もはや後には引けない。

掴み掛かってくる相手を掴んで、地面に押し倒す。
極力、怪我させる事だけは避けたかった。この任務は殺す事が目的ではないのだ。

着々と面々を倒し、屈服させていたところへ、頭領らしき男がゆっくりと歩み寄ってくる。
「……結局数でも負けるって事か。ハン、所詮は下っ端って奴か」
男はニヤリと笑い、煙を燻らせていた葉巻の火を消した。
岩杉の腕ではとても敵いそうに無い。
一磨が言った。
「俺たちはお前らを殺しに来た訳じゃない。何とかして、今やってる事を止めさせたいだけだ」
「フン。偽善者が……お前らだって人を殺めて来たんだろう?そうだろ、Stillの方々?」
「一般人は殺さない」
「夢見月なら殺すって事か……。ま、奴らも一般人に成り果てたからな。殺す意味があるのかどうかも微妙なところだが?」
「…………ッ」


耳をつんざくような……乾いた音がした。


しかし男は倒れなかった。
――外したのだろうか。

「ふ……本気だと言いたいのか」
「いずれ警察が来る……3人は逃げろ。後は一騎打ちだ」
「一磨さん」
「充分な活躍だったよ、久し振りに『孤高の狼』の実力を見たね――……。それじゃあまた、幸運を祈る」
結局岩杉は仲間の2人に引かれてそこから出て行く事となった。

――……今から思えば、それが最後の挨拶になっていた。

皮肉にも岩杉がその時受け持っていた夢見月家の少年によって殺害されて――。

尤も、岩杉の姉が冬村銀一の妻だとStill側が知った時点で、岩杉も夢見月側の人間と見なされたらしいのだが。
岩杉本人も似たような認識だったからお互い様だ。


もう14年も前の話。
『懐かしい』だけでは済ませられない事なのだが――……彼にとっては、それだけの出来事に過ぎなかった。

ただ単に、世話になった『先輩』菅沢一磨との、最後の思い出として。


   2

 妙だと、思った。
最近このパーライト・ワールドによく来てしまうのも妙ではあるのだが――……いつものログハウスに、葵の姿が無かったのだ。
「出掛けてんのかな?」
この世界と言うのはイマイチよく判らない。下手に散策して戻れなくなるのも嫌だったのだが――……でも夢は夢、行動は自由と割り切り、冬雪は草むらの中を歩き始めた。


 どれほど歩いただろうか。
しばらくして、視界の先に人影が見えた。
「……葵?」
ここからでは判別できない。そこに人がいる事しか判らない。
冬雪は走り寄って、改めて見た。

黒髪だ。葵ではない。

「え……?」
初めて会って以来、葵の姿かたちは変わっていないから――……恐らく永遠に変わらないのだろう。
後姿で顔は見えないが――よく見れば、人影の背は冬雪よりだいぶ小さかった。

誰かがそこに居る。

「なぁ、そこの人!聞こえるか?」
声を掛けてみる――……一瞬間があって、人影はこちらへと振り返った。
冬雪と人影との間、約5メートル。


奇妙しかった。
やはりこれは夢――……いや夢だからこそ、こんな事が可能なのだ。


冬雪は人影の正体を知った。


「……鈴夜……」
「驚いただろ、ふゆ坊」
背後から声。冬雪はそちらの方に驚いて、慌てて振り返り、叫んだ。
「葵ッ」
葵はケラケラと笑い、鈴夜の方に向かって歩き出す。
鈴夜は鈴夜で不安そうな顔を葵に向けて、待ちきれないという様子で走り出した。そして葵が、その手を受ける。
「葵君っ」
「鈴坊、あれが今の冬雪だ。お前が死んでからもう……そうだな、10年以上経ってる」
「……10年?」
懐かしい声。
もう、聴く事のないはずだった声。

いや――……これもただの、幻に過ぎないのかも知れないけれど。

「ふゆ、こっち来いや」
「……あぁ」
がさがさと音を立てる草むらの中を、歩いた。
一歩一歩が、妙に重く感じた。

2人の前に、立つ。

何を言っていいのか、よく判らない。
 先に口を開いたのは、一番下の弟だった。
「あ……ホントに10年も経っちゃったんですね。冬雪ももう大人で」
「…………ゴメンな……」
笑顔を向けられるのが余計に辛い。
まともに正面を見ることなど――……出来なかった。
「な……なんで冬雪が謝るんですか?冬雪は何も、悪くないじゃないですか」
「鈴、その辺にしとけ。修復不可能になる」
葵の穏やかな声が聞こえる。
「どうして?」
「さぁ、どうしてかな。――冬雪、家に戻ろう。時間が来たらお前は帰す。今はまず、鈴に教える事が沢山だ」
「僕に?」
「よっし、じゃあふゆ、行け。来た道戻るだけだ、平気だろ?」
「……判ったよ」
冗談のように青く晴れ渡った空を眺めながら、冬雪はゆっくりとその草むらの中を、進んだ。

   *

 夢にしてはリアルすぎる。だが起きればやはりそれは夢だったのだと思える――ここは妙な場所だ。
いつものログハウスで、冬雪はかつて現実の世界に居たはずの、しかして存在してはならないはずの兄弟を――、見ている。冬雪は葵の隣に座り、鈴夜を2人の正面に座らせた。

そして葵が、鈴夜が亡くなってから今までのこの13年間に起こった事を、ざっと伝えた。

「な……何に感想言っていいのか、よく判んないですけど。でも……とにかく、色々あったんですね」
「あぁ、ホントに色々だ。でも解決しちゃいない」
「葵、余計混乱させるような事言うなよ……」
「でも事実だろ」
鈴夜はきょとんとした顔をしている。
冬雪がため息を吐いた。
「……疑い始めたら……何処まで疑っていいのか判らなくなった。あの事件もあの事件も、全部元は誰かの大きな陰謀が絡んでるんじゃないかって」
「それは俺も思ってる」
呟くように――いつになく真剣な声で、葵が言った。しばらくぼーっとして彼の顔を眺めていると、彼はハッとして再び笑った。
「じゃあ整理しよう。鈴への説明も兼ねてだ。なるべく速くしないとお前が死ぬ――」
「……。まず最初に見つけなきゃいけないのは、佐伯家の大量殺人事件――……の犯人。そいつがその後の事件にも色々関わってそうだ」
鈴夜が口を開いた。
「それって、葵君のお父さんとお母さんが殺された事件ですよね?」
葵が返答する。
「あぁ、正確には新海パパと佐伯ママだ――他にも先輩の聖樹パパとコトリママが、」
馬鹿らしい回答になってしまっている。
冬雪が葵の脳天をはたいた。
「なーにが『正確には』だ」
「俺には“ママ”が2人居んだよしょうがねェだろ。それに残り2人を省略する訳には行かない」
反論された。
「だからって37にもなって『ママ』は無いだろ……」
「は!生まれて37年経とうがな、俺の頭ン中はまだ27!!」
「変わんねェよ!!」
そう叫ぶと、葵は深刻そうな顔をして黙り込んだ。
冬雪の勝ちだ。
「……メモとか無いか?」
「パソコンなら」
少し復活した葵が立ち上がって別室に向かった。
「んなモンあんのか……何を血迷ったらそんな事が……」
「おら」
軽々と大きめのノートパソコンらしきものを運んできた葵は、それの電源を入れて冬雪に渡した。
「……まぁ、夢だしな……」
ここまで来たら自分に思い込ませるしかない。
これは夢だ。夢なのだ。
「そそ、夢なら何でもアリ!ファンタジー世界にパソコンがあったって別に構いやしねェだろッ」
人の考えを奪って叫んだ葵は明るい調子だが、あまり嬉しくはなれなかった。
パソコンが立ち上がり、横から葵が顔を覗き込んで操作した。メモ帳を開く。
「書いて、そのまま保存すりゃいい」
「…………判った」
やはり妙な気分だ。

冬雪はキーボードを叩き始めた。

「後は佐伯に関わりのある人間に起きた事件を考えていけばいけるだろ。
――順番に行くと、まず先輩の転落事故が来るな。事件から1年後だ。それから、」
「ちょっと待て、そこから始まるのか?」
「だってそうだろ?先輩が佐伯の血を引いてるなら当然だ」
そこまで遡る事になるとは、冬雪も思っていなかった。
しかしその事故でさえ『犯人』の目的を達成する為のひとつの出来事に過ぎないとすれば。

――まだ彼の命は狙われているかも知れない。

ふいに、恐怖感が脳裏をよぎった。
「葵君の先輩って誰ですか?」
無邪気な少年の問い。
葵はニッコリと笑って答えた。
「知ってるだろ。ふゆのセンセイだ」
「え……え、転落事故?そんな事あったんですか?」
「昔の話だろ。怪我と……後遺症は残ったが死んではいない。
――ふゆ、その犯人は確定してるな。後で俺も関わるから要チェックだ」
冬雪は頷いて記録に加えた。

――三宮尚都。

流人の、戸籍上の弟だ。志月の立場から言うと叔父になるのだろうか。
恐らく既に出所して何処かで暮らしているのだろう。詳しい事は知らない。
 確か、梨羽と同い年だったと記憶している。

 それからしばらく、葵が言う通りに過去の事件をリストアップしていった。
あまりにも多すぎて、冬雪自身も何が何だかよく判らなくなってしまった感は否めなかった。
「怪しいのは全部で11件、そのうち犯人が不明なのは梨羽の事故も入れて4件」
「ついでに。自殺3件は全部怪しいと思っとけよ」
「……判った」
やり取りを静かに聴いていた鈴夜が言う。
「……そんなに色々事件があって……僕、ずっと眠ってたのかな……」
葵が答えた。
「少なくとも俺が見つけるまで、お前は草むらン中でスースー寝てたぜ。正直、ここを本拠地にしてる人間見るのは初めてだったから……かなり驚いた」
「……そろそろ時間かな」
呟いた冬雪に、葵が明るい声で話し掛ける。
「おぅ、お前がここを必要とした時には、多分考えなくてもここに来られる。そんなモンだろ。こんなにしょっちゅうここ訪れる人間は初めてだ」
「オレと先生以外にもここで誰かに会ってるのか?」
「んー、偶に。迷い込んでくる人が居るんだよ。まぁでもその時はその時。夢の世界は夢の世界、ってな」
確かにここはいかにも『夢らしい』世界だから――……目覚めたら、ただ単にこんな夢を見たと感想を抱くか、忘れてしまうかのどちらかだ。生前の葵と親交の深かった人間などそうそう居ないのだから、尚更『ただの夢』に思えるだろう。
「……ここに来ればまた鈴に会えるんだな」
「それはお前の心掛け次第だ。日ごろの行いが悪いと会えないぜ?」
「僕、神様じゃないです」
「冗談冗談……さ、早く帰らないと日が昇るぞ。――今日は暑くなるな」
最近は春でも暑い。葵は遠い目をしてそう言うと、冬雪に向かって笑顔で適当な敬礼をしてみせた。冬雪もそれに応えて敬礼を返すと、鈴夜も笑って真似をした。
 不意に、15年も昔に戻ったような気になった。
「それじゃ――また何かあったら」
「おぅ」
「また来てくださいねッ」
「あぁ――……出来たらね」
何を思って眠りに就いたらここに来られるのかはまだよく判らない。
 冬雪は手を振ってログハウスから出ると――……それからまっすぐ、いつもの花畑へと戻っていった。

   *

 目を覚ましても、そこに誰かが居る訳ではない。梨羽の退院はもう少し先だ。
だからと言って一人で生活できるほど冬雪はまともな大人ではない。

 2階リビングに下りて行くと、そこには『ご近所さん』阿久津秀と霧島詩杏がそろっていた。
地元の友人はこういう時に居ると助かる。秀は恐らく非番か夜勤か――……時計を見ると短針は11と12の間を指している。
「あ、おはよう!珍しいやん、まだ午前中やで」
「言ってももう昼だ」
「……悪かったな……ツッコむぐらいなら起こしてくれれば良いのに」
「起こしたって起きないだろう」
「殺気感じれば嫌でも起きるよ……」
「じゃあ今度から拳銃持ってくる事にしよう」
「! それは勘弁!!」
「……冗談だ」
秀がため息を吐く。詩杏が笑った。
「お昼作りに来てんねんで。兄さんはいつまで続ける気やって怒っとったけど」
「……梨羽はもうすぐ退院するよ……って伝えといて」
「だいじょうぶ、説得済みやから」
何をだ。
一瞬彼女を疑ったが、深い意味は追求しない事にした。

いつもの席に着席し、昔と同じようにまず新聞に手を伸ばす。
料理の方は逆に危ないので手伝うなと言われている。中学在学中に家庭科室で火柱騒ぎを起こした腕は伊達ではない。

秀が言った。
「今日はこれからどうするんだ?」
「ん――……しばらく本業」
「最近『仕事』入ってないんじゃないか?」
「それは警察が真面目に仕事してるからじゃないの?良い事良い事」
寝起きでまだぼけている頭で、のほほんと答えたのだが――……次の瞬間に凍り付いた。

「……いや……嵐の前の静けさじゃなきゃいいと思っただけだ」

沈黙。

だが今はそんな事を考えている気分ではなかった。
「大丈夫。そんなんじゃないと思っとかないと、人生楽しくないよ?阿久津君」
「……お前が言う事か」
「お互い様。今はとにかく食事を楽しみたいの」
秀はそれ以上何も言わなかった。

あの頃隣に座っていた幼い少年は、夢の世界で幸せに暮らしている。
 そう思うと、妙に身が軽くなった気がした。



BackTopNext