東京想街道
Page.56[闇色の視界]




   1

「諒也君!そんな事は無いですよ、そんな事したらお客様が入って来られな……、って」
その場が急に静まり返った。
諒也は照れ笑いをして、軽く頭を横に傾げた。短くなった髪が揺れる。
「――切ったんですね」
「昨日な。あまりにも久し振りだから変な感じがするよ」
笑いながら、諒也は泊里の隣に椅子を運んでいって座った。店主を囲むバーの客3人、のような状態になっているが志月が何も言わないのでこの際気にしない事にする。
「諒ちゃん、何かあったの?失恋?」
「玲央……その思考回路はどうにかした方がいいよ……」
呆れた志月に「そぉ?」と玲央が平然と返した。
「『何か』あったのは事実だけど、別にそこまで悪い事じゃない。まぁ……完全にいい事だとも言えないけど」
言いながら、前髪を少しいじる。その後右耳のピアスに手が伸びた。
それを見て志月が言う。
「前にも言った気がしますけど……今度こそピアスはまずいでしょう?遠目に判らない肌色だとかならともかくですよ」
そんな色の装飾品と言うのも微妙だ。冗談で言ったのだろう――諒也は苦笑した。
「……あぁ、学校にはしていかないつもりだよ。こんな事で色々言われるのもシャクだ」
「煙草もダメですよ。校内禁煙!もう随分前から言われてます。少しは控えてるんでしょうけど、完全には止めてないでしょう」
「判ってるよ……今頑張ってるんだから言わないでくれ」
「40過ぎて禁煙して、果たして長生きできるのかどうか知らないけどね……」
「だから言うなって言ってるじゃないか、志月……吸わせたいのか、俺に」
志月はケラケラと笑っている。からかわれている。諒也はため息を吐いた。
眼鏡を外して、ケースごと鞄に突っ込んだ。
 その様子を笑いながら見ていた志月がまた言う。
「しかしこうして見ると……変わりませんね、全然」
「そうか?多少は老けたかと」
「ボクが貴方と何年付き合ってると思ってるんです?」
「……そうだな。! あぁ……泊里君、この前はどうもな。島原も」
先日の会談についての――単なる挨拶だ。特に深い意味を持って言った訳ではなかった。だが何故かその場は静まり返り、諒也だけが反応の無い2人の顔を交互に見る。傍から見れば相当奇妙な光景だったに違いない。
「ど……どうしたんだ?」
「そっか、諒ちゃんはさっきの話、聞いてなかったよね」
「さっきの話?」
「トマリ君がキツネさんっておはなし」
「……あぁ……そんな話してたのか」
諒也は泊里の方に振り返った。
「悪い、気付いてたけど言い出せなくてな――……もし違ったら嫌だから」
「でもさっきは……僕も居たのに」
「あぁ、ドア開けて気付いたんだ。人間の気配が欠片も無かった」
だから『人間は立ち入り禁止なのか』と冗談で尋ねたのだ。
「――それで君の確証が取れた。やはりヒトではない、と」
「よく……判るんですね」
泊里が呆けた顔で言う。諒也は笑いながら答えた。
「いや――……ただ雰囲気を感じ取るだけだよ。何か気配が普通と違う、そんな気がするだけ」
「いつ気が付いたんですか?」
「……最初に会った時は君が……入ってくる時に『ヒトの気配』がしなかった。まぁヒトじゃない気配はしたけどな。その上君が『気付いてたのか』って言っただろ。わざと自分が気配消してるのをばらしてるような発言だ」
「気付いてないように見えたので……普通そう言うと」
「『気付いてたのか』プラス『驚かそうと思ってた』ぐらいあった方がいいと思うな、俺は。それだったら騙されてた」
泊里は不思議そうな顔をした。

――……職業病だ。

諒也は慌ててフォローに入る。
「……作文指導だとでも思ってくれればいいよ」
「は……あ、はい。そうですね」
「あと……この前会った時も少し変だとは思ってた。駅で会った時だな。でも外だろ、だから何処からその……“ヒトじゃない”空気が来てるかは判らない。その後は島原が居たから、島原のものだと思い込んでたから」
泊里は笑って「凄いです」と言った。
諒也は苦笑して、「大した事はしてないよ」と応じた。
「そこまで出来れば充分ですよ、諒也君――……お茶、もう多分ぬるいです」
言いながら、志月が湯呑みを差し出している。諒也はそれを受け取った。早速飲む。珍しく丁度良い温度だと感じた。
「ありがとう、美味しいよ。――でも結構悩むんだぞ?誰にも言い出せないし」
「言い出されちゃこっちが困ります」
「……悪かったよ」
やり取りを聞いて、玲央と泊里が笑った。このまま平和が保たれればいい。それで一向に構わない。
 ふと、思い出した。
「今日は秋野は来てないんだな。仕事が忙しいとか」
「さぁ……そんな話は聞いてないですけど。――何か彼に連絡でも?」
「うーん……彼と言うよりはどちらかと言うと――……今の彼の一番、大事な人にかな」
「あぁ、なるほど――」
志月が微笑んでそう答える途中。

電話が鳴った。
諒也の携帯電話が鳴っている。

それだけならよくある事だ。連絡用にと持っているのだから。


だが何故か――……妙な、胸騒ぎがしていた。



またあの頃の悪夢が甦るかのような、猛烈な恐怖感が――……彼の胸の中に、押し寄せる。


諒也は何故か震える指で、通話ボタンを押した。


   *

 悲劇は突然訪れる。
だからどうしようもないのだ。その場に居合わせなかった事を後悔したところで何にもならない。

とにかく今は、助かる事を祈るのみ。


――彼女は、いつものように笑顔を残して出掛けていった。


何が起きたのか、彼にはよく判らなかった。

突然の事故は、本当に事故なのか――あるいは、何らかの意図を持った事件なのか。
少なくとも彼女を轢いた車は逃走している。犯罪である事に違いは無い。

彼は病院のベンチに腰掛けながら、今まで彼女が感じてきたであろう不安を――……一挙に、味わったような気になった。

   2

『先生?俺だよ、藍田です』
第一声は妙に慌てた声だった。

やはり何か、いつもと違う。

「あぁ、判るよ――……どうしたんだ?」
諒也の問いに、胡桃は少し間を置いてから、小さな声で答える。
『……り……梨羽さんが事故、って言うか車に轢かれて、今病院に』
「……交通事故?」
『いや、ひき逃げだって――……命に別状は無いと思うけど冬雪の方がヤバイから、もし時間あるなら来て欲しい』
あまりいい連絡とは言えないが、ひとまずそこまで深刻ではなくて良かったと安心する。
「あー……判った、何処だ?」
『花蜂総合病院、俺は1階のロビーから掛けてる』
「じゃそこに居てくれ。今すぐ行くよ――……あぁ、深海屋だから20分は見てくれるか?」
『了解。待ってる』
通話は切れた。
早く行かなくては――……。
「悪い、先帰るな。あいつの『一番大事な人』が一大事だ」
苦笑した諒也に、志月は寂しそうな目を向けた。
「また大変な事になりそうですね――」
それに返答しながら、諒也は出発する準備を済ませた。
「あぁ。今度は『仲間』の協力を期待する事にするよ。君達に比べたら人間は非力だからな。じゃ」
3人の挨拶を聞く前に、諒也は店から飛び出していた。

   *

 病室の中で、何も言わずに、ただ何かを待っていた。
 冬雪は目の前で眠る梨羽の姿を眺めながら、自らに出来うる限りの事を考えた。常に彼女の傍に居ればいいのだろうか。だが、完全に『常に』というのは不可能だ。それに、彼女の事ばかり気にして仕事が出来ないのでは、彼女を守る以前の問題になってしまう。まずは何より、生活を確保しなければならない。

 そんな事を悶々と考えている時、部屋の中に乾いたノックの音が響いた。

冬雪は慌てて返事をする。ドアはゆっくりと開き、2人の男が心配そうな顔で現れた。
「! 胡桃、先生」
先に会っている胡桃は軽く敬礼で済ませ、冬雪の隣の椅子に座った。そして手に持っていたペットボトルの茶に口をつける。喉が乾いていたのだろう。
 代わりに不安そうな諒也が尋ねてくる。
「――……大丈夫そうか?」
言いながら移動し、彼は左肩に掛けていた鞄を冬雪と反対側――……窓側の椅子の上に置いた。
 違和感どころではない、感覚を覚える。
「……髪、切った」
ほとんど呟きに近い言葉に、彼は素早く反応して振り返り、苦笑した。
「あぁ……ちょっとあってな」
昔と同じ髪型だ。改めて見て思うが、本当に初めて会った頃と印象が変わらない。彼は眼鏡を掛けていても別人に見えたりはしないタイプだから、尚更だと思った。
「でも今はそれどころじゃない」
「……まぁね。でも大丈夫、死にはしないって医者は言った。オレも、生気が消える感じはしない」
冬雪のその言葉に、諒也の動きがふと止まった。
「先生?」
「あぁ、いや……何でもない。そうだな、秋野は生気の抜け殻が苦手なんだったか」
「……表現がちょっと嫌だけど」
「悪かったな。それでも――……志月たちに違和感感じたりはしないのか」
発言の意味を取りかねる。
「……何の話?」
冬雪があからさまに変なモノを見る顔をしたからか――……諒也は苦笑して、再び鞄をいじりはじめた。
「あぁ、気にしなくていい。今の話は忘れてくれ」
「……?」
「先生、冬雪余計混乱してるぜ。もっと穏やかな話頼むよ、穏やかなの」
「あぁ判ったよ、こっちが悪かった。――色んな事が判明した。その連絡をしようと思ってたんだ」
諒也は半分だけ笑顔だった。この場で笑うのははばかられると判断したからだろう。微妙な気分だ。
 冬雪は無言をもって話の続きを彼に促した。
「実家に帰るってのは言っただろ。それで――……祖父さんに訊いてみたんだ。ウチの母親はコトリ……あぁ楽器の琴に、その……ナシの梨と書いて琴梨って言うんだけど」
「……それで?可愛らしい名前だね」
「……ありがとう。で、知っての通り姉が梨子。何とも作為的じゃないか?今目の前で寝ている梨羽さんと、そのお母さんの花梨さんを含めると」
きょとんとした顔のまま何も言えなかった冬雪を差し置いて、胡桃が先に気付いたようだった。
「全部同じ字が入ってる」
言われて気付いた冬雪が胡桃と顔を見合わせた。やはり、何も言えなかった。
「今まで気付かなかった俺も馬鹿だったな。――花梨さんと琴梨は姉妹だよ。だから……旧姓は佐伯だ」
「! あの時葵が言ってた……」

――『佐伯と言う名に聞き覚えはあるか』という問いだ。

諒也が頷く。
「あぁ、まさにそのままだった」
となると――……どうなるのだろう。
頭がよく回らない。
その事実が、一体どのような事を指すのか――……。

「……あとひとつ、訊きたいんだが」
「何?」
「――……雪子氏のご主人の……彼は、」
言いにくそうな諒也が台詞を言い終える前に、第三者の声が耳に届いた。
「はい――……彼は、私の……叔父です」
「梨羽!大丈夫か?」
「えぇ……少し痛むぐらいで」
起き上がろうとする梨羽を冬雪が抑える。胡桃が立ち上がり、諒也の方に向かった。
 小声で、諒也が言った。
「……妙な関係になった」
「……何が?」
胡桃が訊き返す。
諒也は顔を少し上げて、ゆっくりと答える。
「って事は俺から見ても叔父なんだ。そんな人が、自分の下に居る」
「……?」
梨羽を寝かせておくことに成功した冬雪が話に戻る。
「下に居るってどういう事?達樹さん、鈴夜の父親だって思われてた人」
「そうなのか?」
「いや、ホントは違うけど」
数秒間の沈黙を置いて、表情の冴えない諒也が言う。
「――……俺を東京に呼んだのは彼。でも……彼は副校長だ」
「んな事気にしてちゃ始まんねェだろ。呼んだ本人で、先生の事自分より上に置くんなら、それなりに」
「彼だけ無事だったんだ――……」
調子が奇妙しいらしい。冬雪がため息を吐いた。そして呟く。
「無事じゃ、ないよ」
うつむいていた2人が顔を上げた。
冬雪は続けた。
「……父さんが言うまで……鈴夜は達樹さんの子だと思われてた。皆そう思ってたから、だから……鈴夜も葵と梨羽の従弟だった」
「どういう意味だよ?どっちだろうと従弟だろ」
真っ先に胡桃が反応する。
「うん、でも……異父弟なんだよ。周りの認識だとね。オレにとって、葵も梨羽も父方の従兄妹。その関係に、母さんは関係ない」
「……鈴は?」
「2人に立ってみた方がいいかな。梨羽の……父親の弟の子供がオレで、母親……佐伯花梨の弟、つまり達樹さんの子供が鈴だった。どっちも従弟だけど、オレと鈴夜の間に兄弟関係は見えないよね」
一瞬、沈黙。
「それで無事じゃないと」
諒也の声だけが届いた。冬雪は小さく頷く。
“秋野鈴夜”を佐伯達樹の息子と見てしまえば、その立場は諒也や梨羽と同じ――佐伯兄弟の、子供の一人。いささか歳が離れすぎている感も無くはないが、今の段階で鈴夜は梨羽の義弟なのだから問題は無いだろう。
「鈴を殺したのは確実に父さんだ……でも、その裏に何があったのかは……まだ全部は、判ってない。あの時のあの人は……絶対、奇妙しかった。ホントの父さんじゃなかったはず」
「『犯人』がどこまで詳しいのかは知らないが……夏岡家は無事だろう」
「いや、雪子は襲われてる。……Stillにだけど」
「襲われて無事だったんだっけ?」
胡桃の問いに、冬雪は軽く頷き、「殺した」と付け加えた。
「あ……あぁ」
そういえば、と言う表情で胡桃は黙った。

そしてその沈黙の中に――……ノックの音が、響いた。

冬雪が応答し、扉が開く。
現れたのはベージュのスーツ姿の、金髪の男だった。
「……阿久津」
「仕事だ」
言いながら、彼は警察手帳を広げて見せた。背後から、医者と看護師が現れた。冬雪は立ち上がってベッドから離れ、諒也たちの居る方へと向かった。秀もそちらへ寄ってくる。
「――……事情聴取?」
「それが仕事。一人部屋は好都合だ。それと――……」
諒也の方を向いた秀が一瞬黙り込む。復活。
「あぁ……そう、貴方にも」
「俺が何かしたか?」
「そっちは仕事じゃありません」
「…………なるほど」
諒也がにやりと笑った。普段なら見せないような顔だ――秀と何か、妙な取引でも交わしているのだろうか。
 そんな事を考えても冬雪には判るはずもなく――……その前に、医者たちの方へと呼び戻されてしまった。

   3

 胡桃は開店準備で帰っていった。その場に残ったのは、怪我人・梨羽と冬雪、秀、諒也の4人。今は梨羽も目を開けていて、話の出来る状態だ。
「……梨羽はさっき起きたばっかりだ……事情聴取は明日にしてくれないか? それよりも」
明らかに嫌悪感の見える冬雪の発言に、秀は少し眉をしかめてから、しかして冷静に答えた。
「あぁ、気になるのは僕だって判ってる。――……このままじゃ恐らく、どちらも言い出さないだろうと思ってね」
「どちらも……?」
「言っただろう?彼の過去に起こした所業だ」
「所業と言うよりは単なる事実だ。大事件を起こした訳じゃない――……下手な事を言わないでもらいたいな」
思わず、息を呑んだ。
慌てて声の主の方を見る――……彼はいつになく、冷たい目をしていた。前髪に隠れない分、尚更だ。
 それを聞いて秀は諒也の方へ振り返り、小さくため息を吐いた。
「……じゃあ訂正致しましょう。過去にあった事実」
諒也は何も言わずに、腕を組んで膝の上に載せた。
 秀は窓際の方へ少し、進んだ。窓の外を眺めながら、彼はこちらを見ずに話を始めた。
「いつまで隠しているつもりで居たのかは知りません――……でもいずれは話さなければならない事」
「そんな事は判ってる」
諒也も諒也で下を向いたまま――……先ほどの口調のまま、答える。
「貴方が『隠す』事は必然かも知れませんが、周りにしてみればそれは、必要のない事。むしろあっては欲しくない事でしょう。貴方にそれが判るかどうかは、それこそ判りませんが」
誰も答えない。
秀が冬雪の方を向いた。
「秋野、彼が髪を切った理由を聞いたか?」
「え――……」
言われて思わず諒也の方を見る。彼もこちらを見ていた。気まずくなってすぐに目を逸らした。
「聞い……ん、軽く流された気が」
「説明を省いたまでだ」
また彼の口調が元に戻った。やはりいつもと――……違う。
「って事は、説明するような事情があった訳でしょう?貴方にとっては重要ではなくても、他の誰かには重要になるかも知れない」
「ならないさ」
「ではどのような事情で?」
「……子供に自分がCECSだと話した」
「1文で終わった」
からかう調子で秀が言うも、諒也は小さくため息を吐くのみだった。
「先日言った事……訂正しておきますね。貴方の最後の『仕事』の時点では、貴方は既にCECSと認定されていましたね」
「……疾っくにだ。姉さんによれば高校3年の頃らしいからな」
「『仕事』って――……何の話だよ?いつの話?オレともう知り合った後?」
「後」
諒也は目を逸らした。

嫌な気分だ。

「阿久津、さっさと教えてくれてもいいだろ!?いつまでも……いつまでももったいぶったって判んねェよ!2人だけ話判って、オレだけ置いてきぼりか?」
「秋野、目を覚ませ」
「……?充分目は覚ましてる。ボケてなんかいない」
秀も目を逸らす。
「……最後の『仕事』は秋野と知り合った後かも知れない。でもそれは、」
「判った、腹を決めよう。秋野――……逃げるなよ」
突然立ち上がった諒也が、先刻よりは少し語気を強めて言った。

冬雪が頷いて、彼の目を見る。

彼は一度ゆっくりを瞬きをして、口を開いた。

「秋野が殺した、あの――……ボスが居ただろ」
「……あぁ」
カズマだ。Stillの、最後のリーダーだろう。
「彼が俺の……『仕事』上の、パートナーだった」
「……え?」
「尤も俺はただの補佐だったけどな――」

と、言う事は。

秀の顔を見る。彼は小さく頷いた。
「言っただろ、彼の名を見たって。――警察が押収した、昔のデータベースで見かけたんだ。データベースに載るのは名前だけだが――……『諒也』という名はありそうで意外と珍しい。写真を見て間違いないと思った」

彼がStillの、メンバーだったと言う事。

「……随分昔の写真じゃないのか?」
嫌そうな顔をして諒也が尋ねる。秀が僅かに笑って答えた。
「えぇ……でも貴方は20年経っても顔が変わっていない」
「……これだから嫌なんだ」
そう言って顔を真っ赤に染めた彼は、ヤケクソのように眼鏡を外した。少し、いつもの調子を取り戻したような気がして、冬雪は思わず笑い声を零していた。
「笑うな、秋野」
「ゴメン、でも……怖かったから。先生が『こっち』に戻ってこないような気がして」
「……『こっち』?」
妙な顔をされた。

ここは無視だ。

冬雪は笑顔だけ彼に返して、ベッドの方に方向転換した。
「梨羽、大丈夫?――なぁさっき聞いてた?先生、梨羽の従兄だってさ」
「え……そうなんですか?」
「秋野!話逸らすなッ」
掴み掛かろうとする諒也を秀が牽制する。
「まぁ、いいじゃないですか――……秋野だって隠したい事ぐらいあるんですよ」
「……」
「同様にして梨子さんもだよ。凄いな、何か訳判んなくなってきた」
「そうですね――……でも少し、そんな気はしてましたよ」
意外な返答に、その場が一瞬静かになった。
諒也が歩み寄り、そして尋ねる。
「どうしてまた?」
「梨子さんにお会いした時に――……少し、ホントに少しですけど……母に似てるって思ったんです。血が繋がってるなら、当たり前ですね」
「なるほど。血縁があっても似てない人は居ますから、一概には言えませんけどね――」
「先生と梨子さんとか?」
「いや、似てるな。まったくもって不本意だけどな」
まだ仲が悪いのか。冬雪が笑うと、梨羽も一緒に笑い始めた。


 平和、だった。


だが事件は、何一つ解決していない。

 事態はまだ、動き始めたばかりである――……。



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