東京想街道
Page.51「明けない夜」




  Prologue

いつまでもいつまでも

どこまでもどこまでも

深い夜の底

誰か私に 光の手を差し伸べて


   1

 羽田杜市、深海屋店内。三宮志月は茶をすすりながら何かの雑誌を、その父親は紫煙を燻らせながら何か商品を眺めていた。赤の他人久海冬雪は相変わらずルービックキューブをバラしては戻しを繰り返す。まったりとした雰囲気。何があるか判らない世界どころか、それしかない世界に成り果てている。
「…………先生、志月、冬雪。この……緊張感の欠片も無い雰囲気何とかしてくれ」
「あれ、胡桃だ。ここで会うのはひっさしぶりだね」
最初に反応したのは恐らく一番暇人だった冬雪だ。続いてゆっくりと諒也が首だけ振り返る。
「ホントだ。店はいいのか?」
「定休日!年中働き詰めは俺だって嫌だよ」
「働き詰めって、そんなに客居たか?」
「……先生、どうしてまたそう俺を虐める」
「虐めちゃ居ない」
からかっている、と返されるのがいつも通り。胡桃はため息を吐いて冬雪の隣の椅子を確保し、座った。諒也は再び何だか判らない商品選びに戻った。
「志月、これはあれか?ノートパソコンに挿すといい感じのバッテリーになってくれる」
「その表現は何ですか……対応機種に限りはありますけどね」
「例えばどんな?」
「……諒也君が使ってるのは多分、使えないと思うけど?」
「……残念だな」
「それは貴方が古いにも程がある中古品を買うからです」
「仕方ないだろ、ノートは高いんだぞ」
「学校で支給されないんですか?」
「あいにく自サーバを持ってるような金持ち私立学校には勤めてないんでな。今も昔も」
別にサーバを持っている必要はないと思うがその認識に間違いはあるだろうか。最近の学校であれば、校内に1クラス分ぐらいのパソコンがあってそれが全てインターネットに接続されているのが標準だと思う。
 恐らく諒也が言いたいのは、職員にまでパソコンを用意する余裕が無いという意味だろう。各教員が持っているのは個人的に買った物、という事か。
「ワードとエクセルとメールソフトとブラウザが入ってりゃいいんだよ、要は」
「……適当ですね」
「それだけなら20世紀の科学でも充分だ。プリントアウトも出来るしな」
「だからってサポートもしてくれないような物を買う事は」
性能に問題は無いのだろうか。
隣の冬雪がため息を吐く。
「最低環境さえあれば生きてけるもんね、先生は」
「どうしようもなければしょうがない」
「お金だったらあるんだろーに」
「実家に頼る訳には」
「仕事に必要な分くらいはくれてもいいところだと思うけどね。ちなみにオレは葵のパソコ、ありがたく使わせてもらってるよ」
それもかなり古いと思うが――……葵のパソコンはかなり重装備だった記憶がある。
「……前世紀の遺物に頼るんだね君たちは……凄いと思うよ」
「21世紀はまだ4分の1も過ぎてないぞ、志月」
「4世紀またいで生きてるから言ってるんです、ボクは」
「4世紀!」
思わず叫んでしまった。よく考えたら凄い事である。
冬雪が一瞬、深刻そうな顔を見せた。
「……忘れてた……今思い出した。変な夢見たんだ、オレ」
彼がそう言った瞬間、諒也もまた表情を硬くした。数秒開けて、低い声を発した。
「多分、俺も同じだと思うが……『真実の夢』世界観そのまんま、なヤツだろ。葵が居て」
「……先生も見たの?」
冬雪が驚いたような表情になる。ルービックキューブを手放した。
「あぁ。葵が『ふゆが昨日来た』って言ったから……多分お前も見てるんだろうと思った」
「…………」
「あんまり深く関わるのは得策じゃなさそうだな。あの世界に触れるのは個人的に嫌だ」
「嫌?」
意味が判らず、胡桃が訊き返した。彼がそうしょっちゅう発する単語ではないと思ったからだ。諒也は「あぁ」と呟くように言って、話を続ける。こちらを全く見ていない。
「……何だか判らないが……居心地がいいとはとても思えない。あそこにずっと居たら気が狂うよ。……多分、生きている間は良くない」
「『真実の夢』ってそういう設定だったっけ」
冬雪が呟く。胡桃は何となく内容を思い出して――……答える。
「確か……『死者の世界』と繋がってんじゃなかったか?細かい事は判んねェけど」
「確かそうだ。だからかも知れないけどな」
諒也はそう言って煙草を銜えなおした。冬雪が話を仕切り直す。
「それで、先生は何言われたの?あそこに行ったって事は……葵が何か変な事言い出して」
「お前は何を言われたんだ?」
ここで諒也はようやくこちらを向いた。煙草は再び右手の指の間へ。何故結婚指輪が右手薬指なのか若干気になったが、言い出さなかった。
 冬雪の方を見ると、彼は少し考えてからゆっくりを話を始めた。
「えーと……葵は自殺じゃなくて殺された、って言うのと、その犯人は葵と先生の両親を殺した事件の犯人で……って言うのと、」
諒也の表情が変わった。
それからすぐ、冬雪が最後の一文を発する。
「次は子供の、先生が危ないって言うのと」
「俺の前に姉さんだろが。……ったく」
「どうしてお姉さんが先って言い切れるんだよ?そーやってタカ括ってたら、ある時突然犯人が現れて拳銃で――……」
「――藍田、俺が誰だか忘れたのか?」
諒也はとびっきりの笑顔をこちらに向ける。決して好意ではない。脅迫だ。
「……へ?」
「……まぁ、忘れたくもなるよね……」
冬雪の手はまたも懐かしの1970年代玩具にのびる。何がそんなに面白いのだろうか。
「秋野、お前が言う事じゃないだろ」
そういう諒也の顔は不満げだ。
「おい、どういう意味だよ?」
よく判らない。
胡桃の疑問に冷静に答えてくれたのは志月だった。
「――諒也君はCECSだよ。彼ら同士、あるいは自身でないと殺せないと言われている彼らだ。実際にどうだかは知らないけど……そんな人間を迂闊に狙えば、自分が殺されかねない」
「でもそいつは葵さんを殺した犯人なんだろ?その前提で話してるんだよな。だったら先生だって油断は出来ないだろ」
「あの時の葵は怪我人だ。昔死にたいなんて言った人間を6階に入れたのも良くなかったと思うが」
「でも『いざという時』には違いないだろ……ッ!?それなのに何の抵抗も無く落とされるなんて、葵さんらしくねェよ」
胡桃が叫ぶと、その場が静まり返った。
数秒経って、暗い表情で切り出したのは冬雪だった。
「……ホントかどうかは、まだ判らないよ……胡桃。あの大馬鹿兄貴が死ぬ間際に『グッバイ、エブリワン』なんて言ったんだったら尚更奇妙しい」
「俺は確かに聞いたよ。落とされたって言うんなら、あの叫びは何だったんだって話になる。聞いたのは俺だけじゃない」
納得いかない。
「それだったら……それだったら、次先生が危ないって話自体が破綻するだろ」
「だから、まだ判らないんだよ」
「でももし本当に葵さんは自殺したんじゃないとしたら……、色々奇妙しくなってくるんじゃんか」
話が完全にループしている。これでは進まない。
 胡桃が悩んでいる間に、諒也が呟くように言った。
「CECSを殺したんだからその犯人がCECSである可能性、は捨てきれない、かな」
と、言うと?
「ちょ、ちょっと待てよ!何でそうなるんだよ」
「当然の思考だろ?殺されないはずのCECSが自殺じゃなく『殺された』んなら、その犯人がCECSだと疑われても無理は無い、当然だろう」
自分で自分たちの首を絞めているではないか。諒也が何を考えているのか、全く判らない。
「じゃあ誰が犯人なんだよ」
胡桃が勢いで尋ねると、諒也は少し天を仰ぎ、しらっとした顔で答えた。
「さぁ、玲央かな」
「先生……冗談にも程ってものがあるよ、それ」
呆れた胡桃が肩を落とすのを見て、冬雪が楽しそうに笑った。
「何で笑うんだよ」
「だって、胡桃が面白いから」
意味不明だ。これで27とは到底思えない。
「でも……もしその話が公になれば、間違いなく貴方たちが疑われますよ。気をつけておかないと、どうなるか判りません」
志月が盆から湯呑みを配りながら言う。恐らくこの部屋の中で今一番冷静で、事を真剣に考えているだろう。
「大丈夫だ、俺はアリバイがある」
「通報したってだけでしょうが。病院の1階カウンターの看護師さんに確実に見られているって言えます?」
「……志月、怖い事言うな」
「だからそうなり得るって話をしてるんですよ」
諒也はため息を吐き、煙草の火を消して携帯灰皿に突っ込んだ。それから数秒何かを考えているような仕草を見せて、独り言のようなノリで言う。
「……自分の親と後輩の親を殺して、挙句にその後輩を6階から突き落とすか……極悪人じゃねェか、俺」
「ホント、極悪人だねぇ」
しみじみと茶を飲みながら笑う志月。真面目モード脱却。完全にからかっている。
「志月ッ!!俺は自分の親まで刺し殺すような悪人になった覚えは無いぞッ」
「……叫ばなくてもいいじゃないですか、諒也君。でもCECSは世間でそれぐらいに思われているでしょう、実際」
「…………確かにそうかも、知れないけど」
また静かになった。

――そう、なのだろうか。

胡桃は詳しい事は知らない。身近にそういう人間が居て、普通に接してきて、確かにそんな風に言われている事を小耳に挟む事はあったけれど――……でも、そこまで酷くは無いと信じていた。自分が幼い頃からずっと付き合っている友人を、長く世話になった恩師を――……悪くは言われたくない。彼らは何もしていないではないか、そう思ってきた。
 世間の風当たりはまだ冷たいらしい。『社会奉仕』をさせられるようになってからも評判などは変わらない。第一、そんなもので世間の評判が変わるはずも無い。人間誰しも『表の顔』と『裏の顔』ぐらい使い分けているのだろう。CECSがたとえ表で『いい事』をしたとしても、裏では人を殺めているのだと言われても――……奇妙しくないのだ。
 そう考えると妙に寂しい。悔しい。彼らの事を本当に理解していないのに、勝手な噂だけで彼らのイメージを作って欲しくは無い。
 だがそれをただの知り合いに過ぎない胡桃がここでいくら言ったところで、何の解決策にもならないではないか。一体どうすれば、この先の見えない暗闇から抜けられると言うのだろう――……。

「……話、戻すけどさ」
静寂を切り裂いたのは冬雪。目は真剣だった。
「先生は、葵に……何言われたのさ?」
そういえばそんな話をしていたのだったか。諒也は「あぁ」と呟いて、笑いながら答えた。
「そうだな……忘れてたよ。えぇと、確か……他愛も無い話をして、母親の旧姓を訊かれて、知らないって答えて」
「知らない!?」
そんな家庭があるのか。
「――話聞け。そうしたらあいつが『佐伯と言う名に聞き覚えは』ってな」
「聞き覚えってどころじゃないじゃん……そんなの」
「秋野は佐伯家に行った事あるか?」
「え……っと、1回だけ」
「いつ?」
「……ちょっと待って。……あぁ……うん、小1」
随分前だ。
「20年以上前って事は、20世紀だね」
志月が補足する。
「……って事は事件の、前だな」
「先生は行った事は?」
「いや……俺は無い。事件の後も建て替えたりとかはしてないそうだが……行く気にはなれなくてな」
それはそうだろう。自分の親が殺された現場など、あまり見たくは無い。
 諒也が話を続ける。
「その時に誰かと話をしたか?例えば――佐伯家の当主、だとか」
「うーん、あんまり憶えてないけど……誰かとは話してると思うよ。憶えてるのは……葵の、お母さん?」
「……知り合いの域を出ないな」
「……ゴメン」
「いや、いいんだ……そういえば秋野、何でまたそんなトコに行ったんだ?」
「判らない、葵と一緒だったのは憶えてる。多分、初めて会った時」
「誰かに連れられて葵と会ったのか?」
「ううん……そんな、感動のご対面みたいな事やってない」
また静まり返る。胡桃も色々と考えてみるが、詳しい事を知らないので考えはまとまる気配も無い。
 志月が言う。
「葵さんが佐伯家に行って、そのお母さんも居るのであれば……それなりの集まりがあった、って感じですね。そうしょっちゅう行く訳じゃないでしょう、彼だって」
「葵の実家はこの近く――……羽田杜だろ。記念館だ。佐伯家は確か紫苑」
「……紫苑ねぇ」
「佐伯って金持ちだろ?そんな微妙なトコにそんな豪邸が。青梅行けばいいのに」
胡桃が素直な感想を漏らすと、図らずもその場の全員から同意を得た。
「交通の便も悪いしな」
「引きこもりたいのか、なんなのか」
「……ボク、行った事無いですよ」
冬雪、諒也、志月の順。紫苑町は花蜂市内で唯一、緑谷から電車移動の出来ない場所だ。南北の移動となるからである。そこへ行くにはバスしかないが、そのバス自体が1時間に1本程度しか出ていない。紫苑町はただの住宅街で需要も少ないからそれ以上にはならない。その繰り返し。
「頻繁にはない集まり、か――……。母さんが佐伯家と、なぁ」
諒也の呟きに冬雪が反応する。
「関わりがあるって?」
「あぁ……詳しい事はよく判らない。だが実際事件の時はあそこに居たんだし……何らかの関わりはあるんだろうが、『関わり』だけじゃ話にならない」
「友達だっただけかも知れないしね」
友人をパーティに招くくらいなら有り得る話だ。
 人間3人がそれぞれに考え込んでいたその時、志月が妙に静かな声を発した。
「……あの事件の4人の、子供が狙われるなら…………諒也君でもお姉さんでもなくて……、梨羽さんが一番、では?」
素早く反応したのは冬雪。当然と言ったところか。目を見開いて、志月の方へ振り返る。
「確かにその場合、秋野君が強敵になるのでしょうが……でも、本人ではない」
冬雪の表情が途端に不安げになった。慌てて胡桃がフォローに入った。
「だ……気にするなよ、そいつだってそんな、すぐに襲ってくる訳じゃないんだろうし……第一、葵さんの事件からもう9年も経って」
「9年も経ってたら余計不安になるじゃんか……ッ」
そう叫んだ彼の顔に、冷静さなど欠片も感じられなかった。
 一度感情的になった彼は、最早誰にも止められない。そこら辺の性格は幼い頃から、全く変わっていない。彼は玩具を放り出し、挨拶もせずに店から飛び出していった。
「冬雪!」

――バタンッ。

店の扉は無情に閉じる。胡桃に追いかける隙は与えられなかった。
「……走らせとけばいい。梨羽さんだって葵の妹なんだ、そこまで弱い人じゃない」
「でも葵さんは死んだだろ!?そんなの……そんなのただ、他人が勝手に言ってるだけで何の基準にもなんねェだろがよ」
思わず、叫んでいた。
 諒也はひとつため息を吐いて、それからいつになく冷たい声色で、胡桃に告げた。
「――言っておこう、藍田。この場に於いて、誰より『他人』なのはお前だ――……迂闊に関わって、死んでも知らないぞ」
「わ……判ってるよ、ただ……俺は、あいつを助けたいだけで」
でも気付けばいつの間にか、彼は自分を追い抜いて。
この空間は、自分にはとても追いつけない世界になっていって。

――……彼の為に、無力な『一般人』に過ぎない胡桃に、一体何が出来るのだろう?

いつか、胡桃の事など忘れられてしまうのではないかと思うと怖かった。
幼なじみである事を当たり前のように思って、もし二度と会えなくなったらとふと考えて妙な気分になる。

どうして、『ここ』は特殊な場所になってしまったのだろうか――……?

胡桃が黙り込み、諒也がまたため息を吐き、志月は――……奥の部屋へと、戻ってしまった。

「……藍田」
「…………何だよ」
「悪いな、こんな知り合いばっかりで――」
「せ……先生の所為じゃねェだろ」
諒也はこちらに顔を向けようとはしなかった。
「時々自分が嫌になるんだ。正直、世間様に顔向けできないような立場になって、それでも我が道を突き進んでいられるほど……俺も強くなかった」
「……先生?」
「関係の無い他人を巻き込んで、大事にしてるのは自分自身。大亮も砂乃も、結局のところ死んだのは俺の所為。葵だって、もう少し俺が長居していれば助けられたかも知れない」
「そんなの……『かも知れない』ってだけだろ?今更そんな事言ったってしょうがねェって」
「……それで、自分ばかり助かって今に至る」
「……A型」
「……悪かったな」
ようやく、彼はこちらを向いてくれた。顔は、半分だけ笑っていた。
 胡桃は続けた。
「俺は……俺にとってあいつは、その……友達ってよりむしろ兄弟みたいなモンだからさ。あいつが不安になってんの見てると……気になるんだよ」
「……結果としてあいつの所為で命を落とす破目になっても、あいつを恨んだりしないか?」
「恨む訳ねェじゃん。別に、先生が気にしてる事の話だろ?あいつ自身に殺されるとかじゃない限りは、あいつは関係ない」
諒也からの返答は無かった。胡桃はそこまで言ってから自分の荷物を持ち、奥の志月に聞こえるように「ごちそうさまでした」と言ってから、店を出た。
 その後、残った2人がどういう会話を交わしたのかは、知らない。

   2

 秋野もとい久海冬雪は自宅に駆け込んだ。1階事務所に人影など無く、普段通りの静寂を保っている。ただ1匹だけ、白い猫がのっそりと現れて一声鳴いただけだった。
「……硝子」
もう1匹居た白猫・スノーは昨年その生涯に幕を閉じた。冬雪は硝子の身体を持ち上げて、抱きながら2階に上った。恐らく、今の時刻ならリビングに彼女は居るだろう。
 リビングのドアを開けて、ソファに座っている彼女の姿を確認する。
「ただいま、梨羽」
声を掛けると彼女はすぐに気付いて振り返った。
「! お帰りなさい、あれ……硝子、下に行ってたんですか」
「うん」
梨羽が両手を差し出したので、冬雪は白猫を引き渡した。彼女の方が扱いは上手い。
「……どうしたんですか?顔色が冴えませんけど?」
「え……あ、うん、色々とね」
「調子も振るいませんね。どんな話し合いをしてきたんですか?」
冬雪は彼女の隣に座った。
それからゆっくりと、口を開く。
「……梨羽は、『命の危険』って感じた事ある?」
「命の……?」
「そ」
「……直接近くで殺気を感じた事はありませんけど、それが何か?」
「じゃ、直接じゃなくて……うーん、説明しにくいけどさ」
「それは、あの頃はひしひしと」
梨羽は笑顔で答えた。
冬雪は続ける。
「……もしまた、あの頃みたいな事になっても――……」
「なっても?」
「…………絶対、死なないでくれよな――……」
直接顔を見ながらは、とても言えなかった。
普通なら、笑われるような台詞だ。

だが梨羽は決して、笑うような事はしなかった。

「――……私は貴方を置いてなんて、死ねません」
冬雪が顔を上げると、彼女は悪戯っぽく笑って、続けた。
「だって、私が居なかったら――……冬雪、何にも出来ないじゃないですか。だから、私が死ぬ時は……貴方の後です」
「そんな……気遣わなくてもいいんだよ?オレ、」
「貴方は私の家族です。多分……たったひとりしか居ないんです」
にぎやかだったはずの食卓は、1人減り2人減り――……やがてたったの2人になった。
互いに支え合う事しか出来ず、結局今もこうして2人で暮らしている。
かつてここに座っていた父と母、そして兄と弟。今更何を言っても遅い事は判っているが、どうして居なくなってしまったのかと思うと、辛い。
「お兄様が死んで、1人で居るのが辛いから――、だから冬雪を呼び戻したんですよ。話の通じないお祖父様よりよほど、一緒にいて落ち着きます」
「……じゃなきゃ結婚なんてしてねェっての」
泣きそうになったのを堪えて、笑った。
人の前で泣くと言うのはとても出来ないのだが――……多分、彼女には判っただろう。付き合いは、長い。
「……夕飯、作りますね。硝子、宜しくお願いします」
「…………。うん」
冬雪は彼女からミャーミャー鳴く白猫を受け取って、膝の上に載せた。

拾った頃の事を、何となく思い出した。

 あの頃は――……まだ何も起こっていない、平和な日々が続いていて。
鈴夜が生きていて、葵は家に居なくて、雪が降った寒い日で。

そんな事ばかり鮮明に思い出して、自己嫌悪に陥る。
「……硝子……飯、食う?」
言葉を理解しているのかいないのか。猫は不思議そうな顔で冬雪を見ていた。
「……食うね」
勝手に決め付けて、冬雪は彼の餌を用意しに行った。
 そうして気晴らしでもしていないと、先刻の不安は全く治まってはくれなかった。

 やはりこれからまた重大な何かが、起こるのではないかという――……。



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