東京想街道
Page.48「黄昏深海魚」




   1

 横浜・夢見月家。かつて香子とその秘書が管理していた一室――……情報管理室に、1人の女が居た。パソコンの画面を見ながら、独り言を呟く。
「ちょっと待ってよ、これ――……重大事件じゃない」
冬村梨子。現在の夢見月家広報担当。
 彼女は慌てて、すぐ傍にある電話を取った。そして、ある番号に電話を掛ける。
『――はい、泊里でございます』
トマリ。そう名乗った。彼女は1人で頷いて、用意した言葉を話した。
「突然申し訳ありません――……私、夢見月家広報担当の冬村と申します、」
『夢見月家の方が……何か?私、何もしておりませんが』
「……桐一郎さんはご在宅でしょうか」
何もしていないとは、何とも奇妙な言い訳だ。夢見月家は警察ではない。尤も、夢見月家の冬村、と言うのも変な話ではあるのだが、わざわざ下の名前を名乗る意味は無い。だが「ワタクシ」という一人称はかなり疲れる。
 電話の相手は数秒間を置いてから、「少々お待ちください」と小さな声で言って、保留にした。音楽が流れる。10秒ほど待って、受話器が取られる音がした。
『はい、お電話代わりました――』
「桐一郎さんですね?」
『えぇ……僕に何か?』
不安そうな声である。資料によれば今年で19歳だ。少し大人しそうな感じがした。梨子は続けた。
「――……私も初めての事で、どう話していいのかよく判らないんですけど――……あの、桐一郎さんが、CECSと認定されてしまったんです――」
『…………CE、CS・……って、それって、CEの完成形……ってヤツですか!?』
声が上ずっている。必死の様子だ。こちらも落ち着かなければ。
「は、はい――……これから私も、マスコミの方に連絡しなければなりませんし、あ、でも桐一郎さん未成年ですから、実名報道はされません。それと、」
『どうして……僕、何も……』
「あの、桐一郎さん……心配なさる事はありませんよ。昔に比べたら、社会の考え方も変わって来ていますし、それに貴方に施されたCEは意図的なモノでもない訳ですし、」
『僕はどうすればいいんですか?』
何度も何度も台詞を遮られた。何とも言えない気分だ。
これからの身の振り方、か。確かこの青年――まだ少年なのか?――は、東京の何処かに住んでいたはず。
「それじゃ、今から言う所へ行ってみて下さい。詳しい人が居ると思いますから」
居なかったら、その『詳しい人』を一発殴ってやろうと決めた。
 梨子は『詳しい人』の現在の居場所を告げて、電話を切った。
 切ったところに、1人の人間が入ってきた。
「――……梨子さん、今の電話――……もしかして」
「! 香遊ちゃん!聞いてたの!?」
秋野香遊。彼女は次期当主となる事が決まっている。今でこそ誰も居ない当代の秋野家元当主――人によって認識は異なるが梨子にとっては冬雪の事――とは、従兄妹同士という事になる。今現在26歳、既に結婚もしている。
「少し、ですけど。――完成形が、出てしまったんですか?」
「……えぇ、そうみたい。やっぱり無理だったのかな、CE自体の禁止」
「そんな事は無いはずです!いつかは必ず、無くなるものだと信じています」
本当にそうなってくれれば、誰も苦労はしないのだが。
夢見月家が制度を作っておいて何を言う、と言われるかも知れないが――……今の世代は、皆CE制度の存続を望んではいない。今現在この屋敷に暮らしている者暮らしていない者、夢見月の血を引く者名を持つ者全てがそうだ。
 本来ならもう、この夢見月家が『犯罪一家』と呼ばれる必要は無いはずなのだ。
 だがこの半世紀以上もの間、世間を騒がせた罪は余りにも大きかったのだろう。先祖の――梨子にとっては他人だが――遺した、正直なところ要らない遺産、と言うところか。
「……ね、香遊ちゃん」
「? 何でしょうか」
「冬雪君と、連絡――……取れるかな」
「! 冬雪君とですか?引っ越していなければ、連絡先は変わっていないと思いますけど」
義理の、が付くが甥に当たる。姻族で3親等だから親族の内だ。
梨子は周囲から、連絡先の記されたメモを探し出した。
「これか……」
「梨子さん……冬雪君に、何を訊くんですか?」
「色々と、訊きたい事はたくさんあんのよ」
ふふ、と笑ってから、梨子はメモに書いてあった番号を押した。
 呼び出し音が鳴る。少なくともこの番号を、誰かが使っているという事だ。
『はい、久海です』
梨子は心の中でガッツポーズをした。電話に出たのは男の声。間違いはない。
「――お久し振り、夢見月です。冬雪君よね?」
向こうが詰まっている。その間に、梨子はスピーカーホンのボタンを押した。これで香遊にも声が聞こえる。
『…………何で?』
「何でって……何が?」
『何でわざわざそっちから電話なんて……』
「貴方も夢見月の人間よね?」
『……残念ながら、血はモロに継いでおりまス』
冗談のような口調だった。
「今何やってるの?仕事」
それが一番知りたかった。使えるのなら使いたい。彼も東京に住んでいるのだ。
『翻訳だけど?』
在宅勤務。

――完璧だ。

『あ、でも探偵もやってんだよ、忘れないでよね』
「犬猫鳥捜索隊でしょ。今あたしが探偵の貴方に頼みたいのはね――……もっと重大な事。
ついさっき出てきたの。――新しい、CECS」
『うーわッ、最悪。出てきたのかよー?』
声のトーンが一気に下がった。
「仕方ないの。こればっかりはあたしたちじゃどうにもならない事なんだから……それで、お願いなんだけど」
『……はい、何ですか?CECSナンバー5、秋野冬雪。何でも聞きますよ』
そうは言うがほとんど投げやりな口調だ。だがそんなところも微笑ましく思えるほど、彼の人柄は一族の中でも評判だった。
「諒也がいつも入り浸ってるお店、あるでしょ?えっと、今は羽田杜だっけ……確か今あいつ、そこに居るはずなのね。それで、今度の人にそこへ行くようにお願いしたの」
『……先生が居るならそれでいいじゃん。それに、日にちは?』
「明日って言ってた。――……諒也だけで説明しきれると思う?それにあいつは実名報道されたクチよ。感じ方も違うはずだわ」
『まぁそりゃ、感じ方は違うとは思うけど。説明って、何を説明すんの?これからどうすればいいかって事か?』
さすが、呑み込みが早い。梨子は電話口ながら、1人で頷いた。隣で香遊が真剣に話を聞いている。
「えぇ、そういう事。説明って言うよりも……話し合いになるかも知れないわね。CECSって、今までも仲良く同じ境遇の『仲間』みたいにしてやってきたんでしょ?そう聞いてるわ」
冬雪の答えが、止まった。
意外な事を言っただろうか。

受話器の向こうで、彼は突然、笑い始めた。
『ふふ、あはは……そーだね、仲間だと思って皆で傷舐め合ってたんだよ。でもね――……互いに殺し合う、それもそれで、有った事』
「……それは昔の事でしょ。今の貴方たちにそれは無いと思うけど」
『さぁ、それは判らないよ。玲央は無くても、オレと先生は判らない。……梨子さんに言う事じゃないけどさ』
最後に彼は、鼻で笑って締めくくった。強い事を言っているのに――その声が妙に、切なげだった。
「とにかく、明日……行ってあげてくれない?2人居れば彼も安心だと思うのよ。いきなりそんな事言われて、不安になるのも当たり前なんだから」
『……判った。オレに出来る事はやる』
「! ありがと、さすがは諒也の生徒」
『さすがは?』
「下僕体質」
『う、うるさいなッ!!それとこれとは関係無いッ』
言い訳はしているが、どうやら自覚はあるらしかった。梨子は思わず笑った。
 ふと、思い出した事があった。
「あ、それでひとつ訊きたいんだけど――」
『まだ何かあんの?』
「諒也、何で東京に行ってるの?春休みで旅行に行くんなら、家族全員で行けばいいし……1人で行くにしたって、東京は無いと思わない?」
返答は数秒間、無かった。
『…………知らない。オレは何も、聞いてないよ』
「そう……ありがとう。それじゃあ明日、宜しくね」
『はいはい、それじゃね』
「はい」
そして通話が、切れる。梨子は受話器を置いた。

――……問題はこれからだ。
マスコミに連絡して、それから先――……この世の中は彼に、泊里青年に対して、どのような態度を取るのだろうか。梨子としては、個人的にも非常に興味のあるところだった。
 梨子の実の弟は随分前にCECSと認定され、しかも夢見月以外の生きている人間では初めて、実名報道されたのだった。以前から仲の悪かった姉弟だが、その時ばかりは梨子も自己弁護とばかりに、夢見月の立場を使いながら必死にマスコミから弟を遠ざけた。彼が責め立てられる事で、やがては自らの立場をも危うくするだろう事は明白なのだ。梨子は姉弟の旧姓・岩杉の名で今も仕事を続けているのだから。
 目を付けられた時は、「ただ名前が同じだけの親戚」と言って誤魔化した憶えがある。何が「名前が同じだけ」なのだろう――……自分でも馬鹿らしくなる。完全に血を分けた弟ではないか。2人で並んでいて、恋人やら夫婦やら――つまり他人同士――と間違われた事は一度もない。要は姉弟と判る程度に、似ているのだ。それだけの関係を持っていながらも、その誤魔化しが今でも通用している辺りが怖い。

「梨子さん……?」
香遊が心配そうな表情で、梨子の顔を覗き込んでいた。
「えっ……あ、ゴメン、何でもないの。さて、テレビ局に連絡かぁ……ファックス原稿書きますか」
「それじゃ私がやります。梨子さん、何かまだやりたい事があるんですよね?」
「……え?」
「誰かに電話、掛けるんでしょ?」
香遊がニッコリと微笑む。全てを、見透かしているようだった。
「…………そうね。掛ける事にする」
「じゃ、集中して下さい」
「えぇ」
そして、梨子は記憶している1つの電話番号を押し始めた。

   2

 プルルルルル、と耳障りな電子音が鳴った。
「志月――……電話が、」
向こうの部屋に居る家主に声を掛けるが、遠くから「取ってくれ!」と叫ぶ声が返ってきた。彼は渋々立ち上がり、受話器を取った。
「はい、三宮です」
『お、そのやる気のない声は諒也かな?おっひさー』
こちらこそ、聞きたくない声だった。
その明るい声の主は諒也の実の姉だが――……仲は決して、良くない。
「………………切っていいかな?」
『ちょ、ちょっと待ちなさいよッ!!今日は真面目な話なんだからッ』
「いつもいつもそうじゃないか!それに俺が巻き込まれて愚痴聞かされて、もう会わないって決めたのは何処の誰だ」
『だから、ホントに真面目なのよ。――新しいCECSが出てきたの』
「――…………何だって?」
久々にそんな単語を聞いた気がした。
 CE完成形――……法的な制限の及ぶ立場。なって嬉しいモノではないし、なってしまったら最後――……一生、『社会奉仕』という名の無賃労働が待っている。とは言っても報酬は必ずタダと言う訳ではなく、依頼者の気持ち次第、という仕組みになっていた。諒也もその内の1人だから、偶に何処かの会社で通訳として働く事がある。冬雪は治安維持関係で警察に貢献しているらしい。玲央は恐らく、日常的ないざこざの解決だろう。恐らくは彼女が、一番使われる割に一番儲かっていなさそうである。可哀相に。
「それで……俺に何か?」
『うん、その人東京の人だから……明日、そっちに行かせる事にしたの。あと冬雪君にもお願いしといたから、3人で是非とも話し合って?やっぱりほら、あたしなんかが言うより……当事者同士で話し合った方が効率もいいでしょ』
「それはいいだろうが……」
『あんたの時とは状況違うけど、そこそこのアドバイスくらいなら出来るでしょ。曲がりなりにもあんた先生なんだしさ、そういう教え方には長けてるんじゃない』
「……姉さん、その表現にはいささか不満を覚えるんだが」
『あんたのその表現も時代錯誤してると思いますが?――あ、そうそうアンタ……何で東京に居んのよ?』
何故いきなり話を逸らすのだ。
だがさすがに――……答えない訳にも、行かないだろう。
だから正直に、答えた。

答えたら、だ。

『ぶはッ』
電話の相手はいきなり吹き出し、爆笑し始めた。
予想通りの反応ではあったが、腹が立った。
「笑うなよ、姉さん」
『だって、そんなの有り得ない…………あ』
最後に何かに気付いたような声を出す。
「何だよ」
『…………もしかして、父さんの流れなの?』
「俺はそう思ったけど、違うと思うか?」
『いえ、まさしくその通りだと思います。でも生徒はそんな事知らないでしょ?あたしたちだって、父さんがそんなに有名な人だなんて知らなかったし』
「まぁな。社会に出て初めて知ったよ」
『でもあんた、崇め奉られた訳じゃないんでしょ?』
「当たり前だ、ただの息子だからな……それに本人は死んでる、どんな扱いをしようと自由だ」
『皮肉ね』
そう、皮肉なのだ。
 彼の父は存命中、日本中の教師達から尊敬される存在だったらしい。尤も、子供である諒也はそんな事など知らずに育ったし、親の事とは関係無く今の職に就いた。全く同業になったのは偶々の事だ。それに、どういう意味で尊敬されていたのかは未だに判らない。他の教員に訊いても、「とにかく凄かった」と答えるだけだ。要は彼らも詳しい事は知らないのだ。噂などそんなモノである。
 随分前になるが、諒也も一時期父の勤めていた高校に身を置いていた事がある。だがその時も、父の事を知るのはごく一部の関係者だけだった。それに本人に近すぎる存在では、周囲の評判は入って来ない事が多い。この時もまさにそうで、結局何も判らずじまいだった。
『ま……頑張れ。あたしに迷惑掛けないでよ。泊里さんの事も宜しくね。明日だから、出かけないでよ?』
「あぁ、判ってるよ……じゃあな、用が終わったんなら切るぞ」
『はいはい、じゃーね、二度と会いませんように』
「俺もだ」
ガチャン、と音がするほど力強く受話器を置いたのを、志月は聞いていたらしい。
「……親の仇?」
「似たようなモンだよ」
我ながら随分と仲の悪い、と言うか――信用し合っていない家族である。
 諒也はそのまま部屋を出て、2階の自室へと移動した。
 誰とも、会話をする気にはなれなかった。

   *

 翌日、羽田杜市西蒼杜町――……志月の開く店、深海屋にて。
店内、カウンターに向かって雑誌を枕に突っ伏している長い黒髪の男が約1名。カウンター内でのんびりと茶をすすっている和装の男が約1名。
 店の扉を開けた冬雪がため息を吐きたくなるのも当然の光景だった。
「おーい、そこの人ー……そのカッコでよく寝られるね。その椅子、腰痛くなんない?」
「んぁ……秋野か……?」
黒髪の男が上体を起こした。目を擦り、思いっきり背伸びをする。
「今は秋野じゃありませんって何回言ったら判るんだよ、先生?」
「あぁ……判ってるよ、あぁ」
そうは言うが、意識していない時は確実に間違えるだろう。
尤も、ペンネームは葵のやっていた事を真似して秋野姓ではあるのだが。
「おはよ、志月。オレにしちゃ早いと思わない?」
「そうだね、まだ午前中だけど……お昼はどうしたの?食べてきた?」
蒼い髪をした和装の男――志月だ――が答える。
「んー、ブランチで。まだ腹減ってないんだ」
てへへと声を出して笑い、冬雪は傍にあった椅子を確保して座った。
「……いつもの事だろうが……1日2食じゃ太るぞ」
眠そうにしていた諒也が、そう言いながら眼鏡を掛けた。
「う……だ、後から調節すればいいんだよ!ちゃんと運動して、」
「翻訳家さんって運動する機会あると思うかい?諒也君」
「いーや、多分小説家以上に無いだろ。日本語の文章をまとめる前に、読むって行程があるからな。俺がやってるのは遊びだが、仕事になるとそれだけで疲れそうだ」
「で、でもオレ、副業も『タダ働き』もあるから――……先生よりは動いてると思うよ」
ほとんど言い訳に近かったが――だが、『タダ働き』に関してはかなり神経をすり減らす仕事なので色々な意味で疲れるのだ。
「俺の『タダ働き』だってな、結構キツいんだぞ。赤の他人なのに商談なんかに参加して、意思の疎通が上手く行かなきゃ、それでパーになる事だってあるんだ」
「君達…………それは自慢かい?」
志月が冷静に突っ込んで、その場が静かになる。諒也が咳払いでごまかし、冬雪は雑誌を手に取った。
 志月は奥の部屋へ入って、そこからこちらへ声を掛けてきた。
「お茶淹れますけど、要りますか?」
「あぁ、俺と冬雪のと―――……それと、もう1人分」
「はい?ボクの分は最初から入れてますけど」
「だから、もう1人分だ。
――泊里君、って言ったかな?」
諒也は台詞の途中から、その対象人物を替えた。入り口側に振り返って、そこに立っている人物に向かって話し掛ける。
 そこには驚いた表情の、穏やかそうな黒髪の青年が立っていた。
「あ……気付いて、らしたんですか?」
「勿論。ドアに直接付いてる鐘を鳴らさずによく入って来たと思ったよ。特技か?
――えーっと、初めまして泊里君――……俺は三宮諒也、こいつは」
「久海冬雪です」
間違えられては堪らない。ペンネームでも構わないが――その仕事関係の人ではないのだし、基本的には本名で付き合うのが原則だ。
「……そう。これからどうぞ、宜しく。良かったら椅子、座って」
「あ、はい――……ありがとうございます」
そこで茶を淹れ終えたらしい志月が、急須と湯飲みを盆に載せて戻ってきた。
「あれ、いつの間にか人が増えてる……噂の新しいCECSさんかな?」
「あ、はい!えっと、初めまして――……泊里桐一郎と言います」
「ようこそ、泊里君。ボクは三宮志月。戸籍上ではこの人の息子」
そう言って、志月は諒也の頭をポンと叩く。
「え……えッ?」
そんな事を言われて、戸惑わない方が奇妙しい。
 40代ではあるが、一見20代と見紛うほどに若い諒也に対して、志月はそれとほとんど変わらない歳にしか見えないのだ。その辺の事に関しては、大概諒也が実年齢を言う事で解決するのが大半だった。
「気にしない方がいい、俺はこれでも今年で42だ」
「よ……よんじゅ、えぇッ!?そうなんですか!?」
「泊里君、知らない?CECS関係の報道とかだと先生ぐらいしか出て来なかったから、知ってるかと思ったんだけど」
志月が淹れてくれた茶を受け取る。もう1つ湯飲みを受け取って、それを泊里青年に渡した。
「そんなに報道されてたんですか?僕、あまり知らないんですけど……いつ頃でしたっけ、そういうの」
「んー、オレが中学の頃からだから……2007年か8年くらいだと思うけど」
「7年……小学生ですね」
「ぶはッ」
思わず吹き出しそうになった。

――小学生、だと?
という事はこの青年、冬雪よりも年下と言う事か。尤も――年上でも困ると言えば困るが、これまで冬雪よりも年下のCECSは居なかったから、初めての事だ。
「泊里君、生まれは何年だ?」
諒也が冷静に尋ねる。泊里青年は笑顔で答えた。
「ぴったり2000年です。ミレニアムだって教えられました」
ただ少し――寂しそうにも、見えた。
「随分若い子が出てきたモンだ、よくCE続いたな」
「8歳も違うんだ……結構大きいな」
「…………23……生まれた子供が成長して大学まで卒業する……」
「諒也君、落ち着いて。貴方が大学出た年でしょう。お茶どうぞ」
「……あぁ、ありがとう」
「って事は泊里君、今年で19か。まだ未成年なんだ……あ、それで梨子さん、先生だけじゃ足りないって言ってたのか」
「俺だけじゃ足りない?」
諒也は湯飲みを持って茶を飲もうとしているらしいが、まだ飲めなさそうだ。
「『実名報道されたクチだから』って。未成年なら名前は出ないだろ。だから感じ方も違うって」
「そういえば、確かにそう言われました――……夢見月家の方に。こちらへもその方に言われて来たんです。詳しい方がいらっしゃるって聞いて」
「……多分俺の事だと思うが。そんなに詳しいか?俺」
自信が無いのか。
「一般の人に比べたら詳しいと思うけど?一番振り回されてんじゃん」
「……まぁ確かに、振り回されてはいるな。今回の事もそうだ。あ――……泊里君は大学生、だよな?」
「あ、はい。青梅学園です」
近い。恐らくはこの近くに住んでいるのだろう。
 冬雪の感想はそれだけだったが――諒也は違った。
「! そうか、後輩だ!学部は?」
「文学部国文科です、けど」
ここまで来たら独壇場だ。冬雪はのんびりと雑誌を読みながら茶を飲み始めた。
「んー、23年は大きいかな……もしかして高校も?」
「えぇ、はい。中学からです」
「――翠川サン、元気かな?まだ居る?」
「!! ご存知なんですか?僕、高校3年間ずっと担任してもらったんです。もう、あんなんで大丈夫なのかなってぐらい元気です」
「そっか、それは良かった……俺もあの人にはずっとお世話になったんだ。――恩師、ってヤツだな。今だから言えるけど――……彼が居なければ、今の俺は無いと思うよ」
話が、冬雪の知らない方向へと逸れていく。何だか――……不思議な、感覚だ。
「あ、あの――……少し訊きたいんですけど、えっと、三宮さん」
泊里青年の問いだが、その場が一瞬静まり返った。
 それからすぐに諒也が反応した。
「俺かな?マズイな、ここだとややこしくなる――……何て呼んでもらおうかな」
「あ、はい……済みません、そうですよね。どうしましょう」
面倒なのは良くない。冬雪が冗談のような口調で――実際冗談だ――切り出す。
「――『岩杉さん』、は?」
空気が変わった。言われた本人はきょとんとした顔で、冬雪の方を見ている。冬雪は話を続けた。
「志月は三宮さん、先生は岩杉さん。ややこしくないでしょ?先生だってオレの事秋野って呼ぶし、別にいいんじゃない?旧姓で。オレもさ、久海さん多いから秋野で良いよ」
面倒な事は好きではない。
自分が慣れたいが故に、旧姓で呼ばれる事を拒んでいただけなのだ。
本当は別に――……構わない。それが自分の名だと認めてくれているのなら。

尤も、諒也がどうかは知らないが――……こう呼ぶと決めたら譲らない性格だから、恐らくは似たような事を考えていただろう。

案の定、諒也はすぐに笑顔を見せた。
「そうだな、それでいい。――泊里君、話止めて悪いな。俺の事は岩杉って呼んでくれるか?旧姓なんだ」
「あ…………はい。あ、えっと、話もその事なんですけど」
「その事?」
「中高文芸部の部員OB名簿に、確かそんな名前があった気がして……そう、諒也さんって名前だったので、もしかしたらって思ったんです。翠川先生が見せて下さって、面白いメンバーだろうって」
「面白いって……『リョウヤ』って名前の何処が面白いんだ……?
――まさかと思うが、その岩杉諒也が高校時代からどんな名前で何をしてたかを翠川サン、言わなかっただろうな?」
それは恐らく、あの事だろう。
街の名前と、付けられるはずだった名前を組み合わせた――……アレだ。
世間では未だに謎の作家のままである。
「あ、僕だけにって事で…………小鳩、聖夜さんですよね」
「あぁ――……見事にバラしてるな、翠川サンめ」
「大丈夫です、他の人には言ってません――。でもホント、凄いメンバーですよね。あと確か佐伯葵さんも」
「それオレの兄貴ね、変人で酒飲みで笑い上戸だから覚えといて。でもさ、先生たち……そこの文芸部、危ない感じがするよ?何でCECSがそんなにいっぱい居るの?」
3人だ。CECS自体は、死んだ者も取り消された者も含めて9人しか居ない。実に3分の1にも相当する。
 諒也と泊里が顔を見合わせ、表情を変える。深刻そうな顔をして、冬雪の方を見た。
「そうだな――……偶々のような気もしないではないんだがな」
「CECSはどうしても互いに接点が多いから仕方ない事だと思うよ。もしかしたら、翠川先生も何かしらの影響を受けているかも知れない――……随分長い事顧問をやってるならね。それはどうだか判らないよ、諒也君、泊里君」
ここで志月が発言した。諒也が大きくため息を吐いた。
「事態は意外に深刻だな。判った――今度、翠川サンに会いに行こう。そこで話してみるよ。
――えっと……泊里君、自宅は何処?」
「家は北青庵です。あ、連絡先教えておきます」
「あぁ――ありがとう」
それから、携帯電話の番号なども教え合った。
 端から見れば、普通の知り合い同士なのだが――……そうではないところがやはり、哀しい。
 最後に玲央の事も紹介して、その日は解散した。

有意義と言えば有意義な1日だったが――……どこか、釈然としないものを覚えた。




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