東京想街道
Page.47「終わりと始まり」




  Prologue

視界の中に、ターゲットを入れた。

相手は何やら周囲を見回し、警戒している様子である。

――だが、こちらには気付いていなさそうだ。

彼は手に隠し持った拳銃を確認し、もう一度ターゲットとの距離を見定める。


あともう少し、こちらへ――…………


そして標的は、丁度いいところで足を休めた。


   *

「動くな!!」
彼の発した声と同時に、標的は慌てたように逃げ惑う。彼は拳銃を標的に向けたまま、ゆっくりとそちらに向かって歩いていった。
標的の男が、手に持っていた大きな鞄を取り落とす。そして壁際まで後ずさったところで、完全に腰を抜かしたらしかった。
「……何だ、バイトか。そんな弱腰じゃ幹部は務まんないもんね、おじさん」
「だっ、誰だ、お前……ッ!!け、警察の手先か!?それとも殺し屋か?それとも……」
口だけは怖がっていないつもりらしいが、声が震えている。
「それとも、何て言いたいのさ?ま、オレはどっちでも無いけどね。まぁ――敢えて言うなら、両方かな」
そこで男は、彼の持つ拳銃が本物である事を悟ったらしい。
「ひ、ひゃああッ、た、助け……ッ」
いよいよ本性を出した。本性と言うよりかは、ただの怖がりというだけだが。
「この証拠品は押収しますね。それと、貴方の組織と取引相手の連絡先――……教えていただけます?」
男が落とした鞄を持ち、なるべく静かな口調で彼が尋ねる。男は必死の形相になりながら、拳銃を突きつけられた頭をほとんど動かさずに、ポケットから小さな紙切れを取り出し、彼に渡した。彼はそのメモを見、確認して、早口に言う。
「OK,sir. So I must bring you to the police. ― Can you stand up? Follow me.」
男はきょとんとした顔をしている。どうやら伝わらなかったらしい。彼はこの程度の英語なら、普通の日本人でも通じると思ったのだが。男が聞き取るのには、早口すぎたのだろう。
 彼はこう言った仕事をする場合に、怪しまれないようになるべく外国人の振りをしている。自分が日本人である限り、こういった標的の組織で、自分が疑われる事はまず無い。もし自分の顔を見られて、内部に報告されたとしても、外人だと報告されれば自分の名が引っ掛かる事は無いだろうと言う考えだ。尤も、それがどこまで通じるかどうかは判らないが。
 彼は頭を掻いて、参ったな、という表情を装う。
「……とりあえず、来て」
「は……はい」
男は素直に従った。これで何も問題無い。あとはこの男の身柄を警察に引渡し、拳銃を返すだけだ。

   *

 近所の警察署、にて。
「はい、今回も一切発砲してません。まぁ……バイト団員でしたけどね」
「ご苦労様です、久海さん。いつも申し訳ないです、こんな仕事ばっかりさせて」
「いえ――……これが『社会奉仕』ですから、構いません」
彼は苦笑して、部屋を出ようと鞄を背負い直した。それから室内の全員に会釈をして、刑事課から廊下に出た。扉を閉めた途端に、ため息が零れる。中に知り合いがいる訳でもない、刑事ばかりの部屋などに居て気持ちがいいはずがない。
 廊下をせかせかと歩きながら、出口に向かった。時々通りかかる人々の会話が耳に入る。
 その会話の端々に気になる単語があるものの、通りすがりの若い婦警たちが誰の事を話しているのかは全く見当がつかない。が、敢えて彼が尋ねたところで彼女たちは答えてはくれないのだろうし、答えてもらったとしても彼は何の利益も得ない。ただ、情報が入ってくるだけの話だ。それだったら、もしかしたらという可能性を期待して待っていればいい話ではないか。彼はそのまま歩調を変えず、すぐに警察署を後にした。

――それから、1週間が経過した。

   1

 東海道新幹線小田原駅、上り線ホーム。
「――……あと、5分かな」
彼が腕時計を見ながら呟く。
「そろそろ並んどいたら?もう来るよ」
隣の妻が、待合室からの出発を促した。
「……指定取ってるから大丈夫だよ」
言い訳だ。ただの我侭に過ぎない。
「乗り損ねても知りませんけど?」
彼女は判っている。
「……そういう意味じゃない」
「あ、ほら来たよ――」
会話は終わる。
2人は待合室から出て、席のある12号車入り口前へ向かった。彼が列とは名ばかりの列に並び、彼女は隣で待つ。
「……ここで生まれて、ここで消えるの」
隣で彼女が呟いた。
彼は一呼吸置いて、答える。

――そこへ新幹線が、入ってきた。

彼の声は騒音に、掻き消された。
「……え?何て?」
妻が訊き返してくる。
列車の扉が開いた。

答えなおす必要は、ない。
聞こえなかったのなら聞こえなかったで、構わない。

「――……じゃあな。3人に、宜しく」
彼は進み始めた。
「ちょ、…………ちょっとッ」
扉が、閉まった。

その後も彼女は何か言っていたようだったが、彼にはそこまでしか届かなかった。

 自分の席に座って、外の風景を眺める。そういえば、と昔の事を思い出した。
(もう、30年前か)
具体的な数字で考えるのが怖い。同じように流れていくこの風景でさえも、30年前とは全く異なるのだ。彼は眼鏡を外し、ケースに仕舞う。ため息が零れた。
 小田原から東京まではすぐだ。彼は窓際で頬杖をつきながら、何も考えずに風景を眺めて過ごした。

   *

 東京駅で下りて、中央線に乗り換えた。今度は新宿で下りて、かつて長く使っていた私鉄に乗る。それからしばらくは電車の中、各駅停車で30分ほど乗ると目的の駅に辿り着く。下り線という事もあるだろうが、客はほとんど居なかった。
『次は――羽田南、羽田南――……お出口は左側です』
アナウンスが流れる。彼はやっとだ、とため息を吐き、鞄を背負う準備を始めた。
 電車がホームに滑り込み、停車する。ドアが開くと同時に、彼は電車から降りた。
(……さすがに変わったな)
近代的なデザイン。階段は既に無く、全てエスカレータになっている――尤もそれはスペースの問題なのだろうが。この駅は急行どころか準急さえも止まらない、小さな田舎駅なのだ。
 彼はエスカレータで上り、改札を通ると、方向を確認して南口に下りた。
(さて――……ここからどう行くんだったかな)
彼はファックスで送ってもらった地図を見ながら、目的地に向かって歩き始めた。
 運命の歯車はまた、回り始める。
 それに気付く者、三宮諒也は再び東京の地に下り立った。

   2

 春の暖かい陽光が、彼の顔に当たっている。久海冬雪は眩しくて目を覚ました。
「…………まだ8時じゃん……」
そろそろ日の出も早くなってくる頃。出かける必要の無い仕事をしている冬雪はいつも遅く起床するが、太陽には勝てない。彼はため息を吐き、ベッドから下りた。
 寝相の悪さで乱れまくっている髪を直す事もせず、彼は部屋から出て階段を下りた。そして、リビングに入る。食堂の方で、妻であり従姉でもある梨羽が何か作業をしているのが見えた。
「おはようございます。今日は早かったんですね」
「……眩しいんだもん……」
「そうですか。あ、そういえば……さっき携帯がそこで鳴ってましたよ。すぐ切れたのでメールだと思いますけど……リビングに置きっぱなしなんて、目覚まし掛ける気も無かったんですか?」
「だって今日仕事無いじゃん」
「……本業の方はどうしたんですか」
「………………ゴメンなさい。ちゃんとやりますから朝ごはん下さい」
梨羽は返答もせずにキッチンに戻り、トースターにパンを1枚入れた。冬雪はいつもの指定席に座って、のんびりと新聞を眺める。
 ここ数年、この国は平和だ。特に世界で大きな戦争も事件も無く、景気も安定してきていると聞く。尤も、そんな一般的な『社会』とは離れて暮らしている冬雪にとっては関係の無い話ではあるが。
 英字新聞の方を見ても、文面が英語なだけで特に変わったニュースは載っていないようだ。今日も一日、平和ならそれでいい。冬雪は紙の束を綺麗にまとめて、誰も座らない隣の椅子の上に置いた。

――ここにかつて座っていた兄と弟は今、幸せだろうか。

尤も、幽霊の存在でも確認しない限り、幸せかどうかなんて判らないが。
「はい、卵はこれから焼きますから――……、冬雪?」
「……ん、ん?ありがとう、何でもないよ」
「? ……そうですか」
梨羽は明らかに疑っていたようであるが、それ以上追求する事はしなかった。
 冬雪はトーストにマーガリンを塗りながら、梨羽に気付かれないようにひとつ、ため息を吐いた。

   *

 早朝からメールを送ってきた主は、緑谷駅構内の喫茶店を待ち合わせ場所に設定し、朝から優雅にコーヒーを飲んでいるらしかった。既に紅茶を2杯も飲んでしまった冬雪は、先にメールを見ておけば良かったと後悔しつつ、3月末の穏やかな気候の中をゆっくりと歩いて駅に向かった。
 緑谷駅。外観はほとんど変わらないが、周辺の店はここ数年でかなり入れ替わった。昔から構内に2軒あった個人経営の店も、1軒は既に全国チェーンのファーストフード店に変わっていた。
 待ち合わせはそのもう1軒。数十年前から店主がひとりで――バイトが偶に居るらしいが――営んでいるらしいこの喫茶店『Fairy Tale』にはかなりのファンがついており、そう簡単には潰させてはくれない。恐らくは、店主が天寿を全うするまでは続くのだろう。そう考えると何となく微笑ましくなって、冬雪は街中でひとり、年甲斐も無く駆け出していた。

 駅南口の5段ほどある階段をその勢いのまま駆け足で上ると、その左側手前には喫茶店が、券売機を挟んで向こう側にはファーストフード店がある。右側には自動改札機が5台並んでいる。真正面には北口がぽっかりと開いている。ここ十数年の高架化の波にようやく乗れたこの駅では、数年前にようやくその工事が終了した。
 ともかく、今冬雪が向かっているのは喫茶店だ。彼は軽い荷物を背負い直し、手前の店の扉を開けた。

――チリンッ。

 最近では珍しい、本物の鈴の音が鳴る。
「いらっしゃい」
初老の店主の声が耳に届く。冬雪は彼に笑顔を返し、腕時計で時刻を確認してから待ち合わせ相手の姿を探した。この店は入り口正面と右方に席が配置されているので、待ち合わせに利用する客は大概正面の席を使う事が多い。だが今現在、冬雪の正面には1人の人間も存在していない。入り口右方に設置された2台の机の内、呼び出した主はいつも手前の、入り口側の机を利用している。それが彼の指定席になっているのだ。
 冬雪が右に視線を移すと、そこには当たり前のように1人の男がこちらに背を向けて座っていた。背中まであるまっすぐな黒髪は首の後ろでゆったりと束ねていて、先の方が背もたれに僅かに掛かって波打っている。
左耳に、見覚えのある銀の十字架が見えた。――ある意味、それこそが目印だ。
「せんせ」
軽い調子で声を掛けると、男は右手にカップを持ったまま振り返る。振り返ってようやく、一度だけ見た事のある四角いフレームの眼鏡を掛けている事に気付いた。
 三宮諒也、旧姓岩杉。冬雪の中学時代の担任であると同時に、CEの完成形「CECS」として社会から抹殺されかけた仲間の1人でもある。そしてまた、冬雪が唯一「先生」と呼んで慕う人間でもある。
「おー、時間通り来たな」
「遅刻はしないよ」
「こんなに早く設定したのに、偉いモンだな」
「……狙った?」
「少しな」
そう言って彼は苦笑し、しばらく眺めていた腕時計を袖の中にしまった。
 冬雪は彼の正面の席に座る。注文を取りに来た店主に、ここは敢えてカフェオレを、頼んだ。
「珍しいな、いつも紅茶なのに」
「……あさごはんでいっぱいのみました。オレ今紅茶はゴチソウサマ」
冬雪が不満を顔に出すと、諒也は本当に可笑しそうに笑った。
 恥ずかしくなって思わず叫んだ。
「そこッ、笑わないッ」
「……はい。っはは、やっぱり久し振りに会うとテンション上がるな」
「そーかぁ?オレは朝っぱらから呼び出されて不機嫌だけど」
「もう9時半だ、1時間目は終わったぞ?」
「……………………」
学生と言うのは冬雪よりよほど早起きらしい。ため息ふたつ。また諒也が笑った。
 こうずっと笑われているのは気持ちいいものではない。話題を逸らそう。
「――その眼鏡はどうしたの?この前もしてたけど」
「あぁ……大した意味は無い、眼鏡でも掛ければ誤魔化せるかと思っただけだ」
童顔をか。改めて見ても、彼の顔は十数年前に初めて会った頃と大差無い。
という訳で、あまり誤魔化せていない事は突っ込まないでおく。別に、今の彼の歳にもなれば、童顔を誤魔化さなくても『若い』で通るのだからいいではないか。背も高くて太ってもいなくて、顔もそれなりに整っているなら申し分ないだろう。
 そうこうしている内にカフェオレが冬雪に届けられた。それを飲みながら、次の話に切り替えた。
「――新刊出てたね」
「2学期後半は落ち着くんだ。何も無くて好きじゃないから、暇つぶしに書いた」
行事も終わって授業とテストだけ、か。しかし『暇つぶし』の代物をも出版してしまうのだからこの人は怖い。
「誕生日もクリスマスもあるじゃん。そういうのは?」
「……祝って欲しい歳でもないわ」
「…………先生って関西の人だっけか」
「俺は神奈川。昔の本家は京都にあったらしいから、祖父さんは今でも関西弁だな」
「ははん、それが移ったのか。――で、クリスマスは?」
「……志月にまでプレゼントをせがまれるのは気持ちのいいものじゃなくてな?」
「………………意外と凄い人だね、志月って」
「あぁ、そういう奴だよ。さすがに強かだ」
そう言って少しだけ微笑むと、諒也はコーヒーを一口飲んで一息ついた。
会話が少し、止まった。
再開したのは諒也の方だった。
「――この前の『Maybe You Know』は良かったな」
先日、冬雪が翻訳した本だ。確か元々はイギリスの作家が数年前に書いたものだったと思う。
「あーれ、知ってる?原題のままでいいか迷ったんだけど」
「そこまで訳したらお前の日本語力が疑われるぞ」
直訳では格好がつかないが、冬雪なら敢えて全く異なる意味のタイトルにはしないだろう、と言いたいらしい。
「……判ってますよ、日本語出来ないのは重々。原書読んだ?」
「あぁ。英語科で流行ってたから読まされて……で、そんな事してたら邦訳版はお前が書いてるって言うから読んで」
「何で英語科行くんだよ」
「教師同士の繋がりを馬鹿にするなよ。職員室は2つも3つも無い」
確かに。
「国語科の反応も結構良かったぞ?さすがに俺の教え子で、とは言わなかったが」
「それ賢明」
「なんでも秋野冬雪の訳は佐伯葵の作風に似ている、らしい」
「!!」
そんな事を言われるのは初めてだ。しかもそれを言っているのが、数多くの本を読んでいるのであろう国語教師たちなら言っている事は確かなのだろう。
 葵は兄だ。従兄でもある。いくら同じ環境で育たなかったとは言え――……血の繋がりがあった事に違いはない。
「親族だからって作風が似るのかどうかは判らないが、それを言えば新海碧彦まで突っ込まないといけなくなるな。でも葵はファンタジーしか書かないだろう」
「書かなかった、だよ。現代モノのはずなのにどっか奇妙しかったりするからね。あの人、普通にしてても非現実的だったから……オレとは正反対」
「そう、正反対だと思っていたのに『似ている』と来たから驚いたんだよ。俺はそういう目で読んでなかったから判らなかったが……考え直してみればそうかも知れないな。――よくよく考えてみたら、冬雪が葵の弟だって話はあまり聞かない」
「……出版社が明かさないだけ。オレも訳者紹介欄にそんな事書かない。そんなの書いても、後が面倒なだけだし」
「賢明だな」
「そ。オレはいつでも賢明な判断しかしないの」
カフェオレを一口。温かくて、少し甘くて、少し苦い。今の気分には丁度良かった。
そんな風にして、また会話が止まった――……一瞬の出来事だった。

チリン、バタンとドアを乱暴に開けて閉める音がする。
そしてそれとほぼ同時に、男の声が耳に届いた。
「冬雪!珍しいなお前が朝から出掛けてるなんてな。あ、おじさん俺にもコーヒー!」
「あいよ」
店主は男の言葉を受け取ってコーヒーを淹れる準備を始める。そして男は冬雪の隣にちゃっかりと座って、鞄を下ろした。少し長めの黒髪と金縁眼鏡、スーツのような灰色の服を着崩し、その上に薄手のコートを羽織っていた。
 藍田胡桃、冬雪の幼なじみである。もう20年以上付き合った仲だから、お互い相手が何を考えているかぐらいは判っている。
「……何とも奇特なご登場で。オレの前に居る人の存在判ってる?」
「お?」
ここでようやく、胡桃は正面に視線を向けた。
「ほら見ろ、オレだけ確認して勢いで入ってくる辺りがお前だよ。用事あって駅来てるんじゃないのか?」
胡桃は今は実家に身を寄せている。帰らないと言ったのは何処の誰だ。
「いや、別に……暇だから先に店入ってのんびりしてようかと思っただけでさ、用事はねェんだよ。――えっと…………それで、何で先生がここに?」
彼もまた、中学時代に諒也に世話になった内の1人だ。ちなみに彼の言う『店』は紅葉通にある彼のバーの事で屋号は『Stardust』、星好きの彼らしいネーミングである。
 問われた諒也は軽く微笑んで、
「少し遊びに来たんだ」
とだけ答えた。
何処となく、その笑顔が寂しそうに見えた。
「へぇ。遊びに……はいいけどまた、何しにこんなトコまで?こんな片田舎で、特にする事もないじゃん」
「いいんだよ、そこら辺は。遊びにと言ったら遊びにだ」
「屁理屈だな、相変わらず。それで何、2人が一緒に飲んでるのはただの偶然?」
「んな訳無いだろ、勿論……先生に呼び出されたの」
冬雪がカフェオレを飲みながら答えると、胡桃は何故か笑い始めた。
「『先生に呼び出された』のか!そーかッ、呼び出し食らったんだな!!優等生のお前にしちゃー珍しいこって」
言葉のアヤだ。
つられて、笑った。
「そうだね、そう、呼び出されたんだよ」
「んで?用事はもう済んだのか?」
用が終わったら早く、職員室から退散して。
「あ――……」
そういえば、呼び出された理由を聞いていなかった。
 諒也に視線を向けてみると、彼は少しだけ微笑んで、いつもと同じ声で――答えた。
「少し一緒に、話がしたかっただけなんだ。
――何て言うか――……久し振りに会って思った。やっぱり少し似てるんだな、葵と」
「……偶に言われる。葵と、冬亜とを足して3で割ったような顔って」
「何で3なんだよ」
また隣から突っ込まれる。だが今のは決して、間違いではない。本当にそう言われるのだ。
「そう、少し薄いんだって。夢見月の血が濃いから――……だから3で割れば平均より少し下の数値が出るだろ」
「敢えて3で割らんでもいいのに。……兄貴と親父を足して2で割っても俺の顔にはなんねェな」
「胡桃、母親似?」
「おぅよ、そう思わねェか?先生もそう思うだろ?」
突然話を振られて、諒也が困ったような顔をしてから苦笑した。
「そうかもな、目の雰囲気が何となく」
何故諒也が胡桃の母親を知っているのだろう、とふと考える。
 だが答えはすぐに見つかった。
 かつて諒也が住んでいたアパートは胡桃の実家の目の前だ。いわゆる『近所』に当たる。恐らく、よく顔を合わせてはいたのだろう。
「だっろー。兄貴は親父似なんだよ」
「でも冬雪は父親似だな?2で割ってもいいんじゃないか?」
「そーかな?」
訊き返すと、諒也は楽しそうに笑って答えてくれた。
「言っとくが俺は冬雪のご両親の顔をよーく知ってるぞ。まぁ年齢に開きはあるけどな」
「……あ」
父は昔、日本中を騒がせた『国民的アイドル』。その全盛期に学生だった彼が知っているのは当然の事だ。母は彼の、かつての同僚――毎日のように顔を合わせていたのだ。
 それから少し、雑談をして、そのまま普通に解散した。
 諒也は本当に、『遊びに』来たのだと思った。

――運命のサイコロを握りながらも気付かぬ者、久海冬雪もまた、知らずに一歩を踏み出していた。



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