形と探偵の何か
Page.40「What Shall I Do?」




   1

「あーほらぁ、動かんといて」
詩杏の声に従う気も起きない。さっきからずっと髪が引っ張られている。しかも痛い。普段こういう事に慣れていないからだ。
「サイッコー、似合い過ぎ」
不満を誰かにぶちまけたい冬雪の目の前で、胡桃が腹を抱えてゲラゲラと笑っている。
「るっせー」
「お前が負けるからだろ?ねぇミカコさん」
「可愛いじゃん!似合ってるよ、三つ編み」
その一般的な名称を、悪気のないミカコの口から聞くと尚更嫌な気分になった。

 正月の日本人形。
 今現在店内に居るのは、店主・三宮流人とその妹ミカコ、常連客・秋野冬雪とその友人藍田胡桃と霧島詩杏、それから流人の友人である岩杉諒也の計六人。
 話の流れで、六人で初詣に出掛けようという事になったのだが、どうせ行くなら着物が着たいという話になったのが悪かった。急な話で、流人が用意できたのは自身の分ともう一着。サイズの関係もあって、もう一着は岩杉に渡った。
 それから先が更に問題だった。
 ミカコが出来るだけ用意してくれた。それは構わないのだが、男物でサイズが合いそうなのは一着しかないという事で、冬雪と胡桃で取り合いになったのだ。結局、ジャンケンで冬雪が負けた。だったら洋服で行くと言い張ったのだが、『一人だけ洋服じゃ変』というミカコの不要な計らいで女装させられる羽目になったのである。

「…………何で洋服じゃダメなんですか……」
「並んで歩いとって、一人洋服やったら奇妙しいやん!その方が尚更目立つって」
何故か、質問対象ではない詩杏から回答が返って来た。
「目立っていいから女装だけは止めてくれよ」
とは言ってもその準備は着々と進められてしまっている。
 髪は大分伸びていたのをいい事に、一体どうなっているのか自分でも確かめるのが怖いほど編みこまれている事だけは確かだ。既に着物の着付けは終了している。はっきり言って、苦しい。
「オレより胡桃のが髪長いのに」
「関係ねェだろ。お前が負けたのが、全ての原因なんだってば」
胡桃は粋がって金色の髪を高い位置できつく縛っている。多分、今冬雪と見比べたら相当格好良い――……のだろう。
「可愛い顔立ちしてるから平気だろ。な?」
向こうの方で、本を読んでいるらしい岩杉が冷徹にコメントした。
「せっ、先生までそんな事言うのかよ!!」
もうここまで来たら悲劇的だ。諦めるしかない。
「ほら、レディはそんな風に言わないー」
クスクスと笑いながらミカコまでもが茶化し始めた。
「レ……っ、レディじゃないっ!!」

冬雪が何を反論しても、その場には笑いが起こるだけだった。

   *

 いつバレるかと気が気ではなかった初詣も何とか終了し、冬雪たちは店に戻ってきた。が。

――誰かの声がした。

「誰?」
詩杏が言う。
――男の声だった。聞いた事はある――……気がする。赤の他人ではない気がするのは、単なる気のせいだろうか。

 流人が店の扉を一気に開けた。

「――……ナオト!!」

そこは、惨劇だった。
 血を滴らす木刀を手に持って店の真ん中に立ち尽くす、赤い髪の青年。
 それでは血を流しているのは、一体誰だろう?冬雪は視線を下に向けた。

 見慣れた顔。彼の事を、判らないはずがなかった。

「あ………………っ」
声がこれ以上、出て来ない。声を、言葉を紡ぐのを、喉が防いでいるかのようだ。

――何故?何故、彼が?

葵。

長い間連れ添った、兄であり従兄であり親でもある彼。

冬雪が呆けてしまっていた数秒の間に、横から岩杉が店内に入り込み、倒れている青年の方に声を掛けた。決して身体を揺らすような事はせず、僅かながら反応を見せる彼と静かに対話する。
「秋野!」
 突然呼ばれ、冬雪は我に返った。
「救急車と、警察を――……あぁ、出来なければ、」
「――……はい」
出来ないはずがない。それぐらい、今の自分にだって出来る。
 出来る――……はずだ。

 冬雪は必死の思いで携帯電話から119番に回した。110番は、胡桃が代わりに掛けてくれた。

――……血の赤に濡れる金と赤茶の髪。網膜に焼き付いて離れない。

 何故?判らない。ナオトとか言うこの赤髪の青年はそもそも誰なのだろう。思考回路を走る電流は急激に速度を落とし、その場の状況を理解する事さえ出来なくなってきた。
「ふゆちゃん、大丈夫?」
 答える為の言葉すら見つからない。ダメだ。携帯電話をポケットに仕舞って、それから、何をすべきなのだろう――……。

意識が、遠退いて行った。
最後に聞こえたのは、冬雪の身体を支えようとする詩杏の声と、叫んでいるも同然の胡桃の呼び声だった。

   *

 彼は死んだ訳ではない。だから、倒れる必要は本来無かったはずだった。

――何故だろう。何故、こんなに差があるのだろう。

 母親が『死んだ』時は、生気を失っている彼女の姿を見て率直に倒れた。確かに彼女は生きていたが、今回のように意識は無かったはずだ。
 弟が死んだ時は、何故か意識を失う事は無かった。既に息絶えている彼に近寄っても尚、冬雪は倒れる兆候も無く、ただ呆然としていた。
 Stillのボスを殺した時は、ほとんど瞬間的に倒れた。死んだ人間が他人だとやはりそうなのだろうか。

 尤も、今こうして分析したところで、何が判るという訳でもない。
 冬雪は彼の横たわるベッドの傍で、小さくため息を吐いた。

――何故、今横で眠っているのが自分ではなく、彼なのだろう。

 いつもこうして入院する羽目になるのは自分の役目で、彼はいつも寝ている冬雪の前に現れて茶化して帰る。今まで彼が入院したのは一度だけだ。
「沈んでるな」
 岩杉の声がする。彼が病室に入ってきて、入り口に近い壁に寄り掛かった。
「――当たり前じゃん」
冬雪が答えると、岩杉は哀れむように笑った。
「それを乗り越えなきゃやっていけない世界、だろ?」
「…………だけど、オレは先生とは違う」
「確かに違うが、CECSの順位としてはお前は一番下だ」
腕を組んだ岩杉が淡々と話す。
 そう。判っている限りの4人のCECSの内、一番強いとされるのは秋野夕紀夜だ。次に岩杉、その次に冬村銀一、最後に冬雪が来る。強さが数値で決められるものではないが、飽くまでも冬雪はまだ子供、経験も体力も大人には足りないのだろう。
「……諭してる、って事?」
「一応俺も教師なんでな。教えなきゃいけない事は幾らでも転がってる」
「だからって、CECSの先生じゃないだろ」
岩杉は飽くまで現代日本社会に於ける『教師』という職業に就いているだけであって、他の何者でもない。
 だが、彼は笑うだけだった。
「悪いが、幸原先生から仰せ付かってるんだ。何かあったら教授してやれって」
「……母さんも手強いな」
「あぁ、手強いよ。彼女に戦いを挑んで勝てる人間はまず居ないだろうな」
だから最強なのだ。
 彼女が何かを言えば必ずその通りになる。彼女の考える事は全て当たる。彼女のやりたい事も、全て叶う。
 それは息子の冬雪だからこそ、理解に値する。
「手強いから、越えなきゃいけないんだ。いずれ彼女を越す大物が出てくるだろう……少なくとも、俺ではないだろうけどな」
「どうして?」
「これ以上俺は『強く』はなれないよ。普通に、平凡に生きていられればそれで構わない」
それが出来ないから、皆が苦労しているのだ。冬雪だって、それが一番良いと思っている。だが、実現できない。こうして今も、大切な人間が横で昏々と眠っている。
「『強く』なれば、普通に生きていけるよ。まだオレらがそんなに『強く』ないから、いつも変な目に遭うんだ」
「そう思いたいなら、そう思っていれば良い。俺と賛同は出来ないかも知れないがな。少なくとも、俺は二番目に『強い』人間だって事に誇りなんて感じてないから、いつでも抜いて構わないぞ」
岩杉はそう言って、明るい声で笑った。本心としか、思えなかった。
「――……先生は普通が良いんだね」
「『普通』がどういうモノかって言うのは判らないが、まぁそんなところだろう。今までずっと、そういうつもりで生きてきたからな」
周囲の、世間の人間から見たら、岩杉の生活はとても普通では無かったのだろうが、彼にとってはそれが普通だった。CEを受けている事を彼が知ったのもつい3年前の事で、彼が今まで生きてきた年数の10分の1にもならない最近の事だ。
「オレだって、今まで通り生きてって構わないならそうしたいけど」
出来ない。今でこそ岩杉は普通に、やりたいように過ごせているらしいが、冬雪にはそれが出来ていない。
 名前を世間に知られずに済んだ者としての代償がこれだったのか、何なのか。
 あっという間に有名人になってしまった岩杉だが、今はそれほど苦労させられてはいならしい。実質、知られてもそんなに変わらないのかも知れない。
「――……こんな暗い話してても仕方ない。明るい話をしよう」
「明るい話ったって、ネタがないよ、ネタが」
冬雪が言うと、岩杉は「確かにな」と言いながら笑った。
「ところで秋野、残りのCECS3人が発表されたそうだよ」
「――……え?」
「まだその内訳は聞いてないが――……、!」
岩杉は台詞を中断した。
 否、中断したのではない、させられたのだ。
「秋野、後ろ……」
「邪魔でしたね、先生。貴方が居なければそのまま殺せたのに」
声は、冬雪と岩杉以外の第三者から発せられる。
 ここには、彼しか居ない。

 そう、彼の、声。

 冬雪はゆっくりと、振り返ろうとして――……止めた。首筋に、刃物の切っ先が見えたからだ。
「――……葵」
「おっと、大声は出すなよ……って、出す訳ねェか。お前だもんな」
葵は笑う。いつもと同じ、笑い声。
「内訳を言わせて貰いましょうか、先生。一人は島原玲央、まぁ我々の知り合いではありませんね」
「――……まぁ、全員のではないですね」
「? それはどういう意味で?」
興味津々、といった感じで葵が問い返す。岩杉は冷静に返答した。
「俺が昔、担当していた事のある生徒です」
「へぇ、偶然は素晴らしい。二人目は――……三宮尚都。俺が殴られた相手ですよ」
「三宮?」
冬雪が声だけで反応した。その名字は流人のものと同じ。赤の他人で同姓なのか、あるいは――……否、流人が彼の事を呼び捨てにしていたから、近い存在である事は確かだろう。とすれば家族、親族。
「ルーさんの弟だ。梨羽のヤツと同級でな。――で、三人目ですが」
葵はここで何故か一呼吸置いた。冬雪は身体を動かさないようにしながら、その言葉の続きを待った。
 もったいぶる葵。こっちは命の危機に晒されていると言うのに。

――命の危機?

「――久海葵、この俺なんですよ」

やはり、命の危機には変わりなかった。
「だからって、何故――……何故です、こんな事を」
「ははっ、全部こいつの所為なんですよ。全部ね」
全部。全て。何もかも。
 どれも同じ意味の言葉だ。しかし全部と言うと――……どういう、事だろう?
「――お前が俺を完成形へと導いた。不完全だった俺へのCEを、お前が完成させちまったんだよ」
「――……オレが、葵を」
まさか。一緒に暮らしていただけではないか。
 それが、それこそがいけなかったと言うのだろうか?

 岩杉は何も言わず、ただこの状況を眺めているだけのように見えた。だからと言って、冬雪が何を言っていいという訳ではない。ここで何か口にしてしまったら、どうなるか判らない――……危険だ。
「さぁ、どうしますかね。貴方の目の前でこいつを殺すか、否か。それとも切り替えしてこいつに俺を殺させるか。まぁ、どっちにしろ誰かが死ぬ事には変わりないでしょうかね」
岩杉に向けた、葵の言葉。
 それまでずっと沈黙を守っていた、岩杉が口を開いた。
「――……CECSじゃいけませんか?もう、幸せにはなれませんか?」
「はは、なれる訳ないでしょう。貴方だって、それぐらい判ってらっしゃるんでしょう?」
「さぁ、そうは思いませんね。俺は俺を完成形へと導いた人間を恨んではいないし、殺したいとも思わない、思わなかった。確かに今の生活は大変ですが、だからと言って彼女の事を恨めしく思って、責任を彼女に押し付けるつもりはない」
岩杉がゆっくりと、こちらに近付いて来る。葵がナイフを握る力を強めるのが判った。
「――……何をする気です、先生」
「飽くまで俺を『先生』とお呼びになる。俺は葵さんの先生ではありませんよ」
柔らかく笑いながら、彼は言った。
 それからの動きは素早かった。

――ガッ。

 葵が持っていたはずの果物ナイフは今、岩杉が左手に握っている。そう至るまでの経緯は、冬雪には見えない程素早かったらしい。一体どういう行程があったのかは判らなかった。
「まだまだですね、葵さん。俺が止められる程度の実力なら、こいつを殺そうなんて考えない方が無難ですよ」
「――……どういう意味です?」
「そのまんまの意味だよね、諒ちゃん。今の話、しかと聞いてたよん」
3人が3人とも、部屋の入り口に他人の存在を認識して注目した。
 冬雪が今まで見た事の無い、明るい茶色――オレンジに近いだろうか?――の髪をおさげにした、背の低い少女がそこに立っていた。年の頃は10代前半から後半に掛けてと言ったところだろうか。尤も、人の年齢など見た目で断言できるものではないから、冬雪には判らない。
 今目の前にいる岩杉だって、顔だけ見れば高校生で充分通るくらい若いのだ。それは本来喜ぶべき事なのだろうが、彼はそれを嫌がってわざと堅苦しい口調で話す。だがついでに長い前髪の所為で目が隠れているので、彼は実年齢を通り越して40代に見られていた。それが気に入らず、悩んでいるらしい。だったら普通にしていればいいじゃないかと思うが、彼は気付いていない。
 だが彼女はセーラー服を着ていた。学生ではないとしたら、一体何者だと言うのだろう。もしやコスプレ趣味の社会人とは言うまい。
 各人の思惑を他所に赤毛少女は飛び跳ねるように部屋の中を進み、冬雪に対してだろう、深々とお辞儀をしてから屈託無く笑った。
「初めまして、島原玲央です。諒ちゃんには昔からお世話になってるの」
その名前は先程聞いた、新しく発表されたというCECSの一人だった。
 なるほどこの少女が――……しかし、岩杉の話では『昔担当した生徒』ではなかったか?
 とするとその年齢は?冬雪の思考はだんだん珍妙な方向に傾いていった。
「……こう見えてこいつは今年成人式だ。まぁそれは性質というか、何と言うか……」
「あーやだなぁ、それは言わない約束だよ。諒ちゃんだから言えたけど、他の人間には禁句なんだかんね」
彼女は怒りながら言うが、意味が判らなかった。
 岩杉がため息をついて、話の路線を元に戻した。
「――……話が逸らされましたね。
確かに俺よりもこいつは力不足かも知れませんが――……それは発覚時の話で、今はもうほとんど同等のはずです。こんなにも簡単に貴方は秋野を殺す機会を失った。幾らご自分がCECSと判ったからと言って、調子に乗っていきなり殺そうなどと考えない事ですね」
 葵を諭す岩杉の口調は、いつもとは比べ物にならないくらい、冷たかった。葵を同じ境遇の仲間として認めない、そう言おうとしているのが判った。
「先生、葵は――……葵は先生とは違う、だから考える事も違う」
「さっきも言っただろう。違うが、やる事にはそれなりの理由と意味が伴う。葵さんが秋野を今殺したところで、何の意味も無い事は明らかだ」
もし岩杉がこの場に居らず、冬雪が殺されていたとしたら、葵はどうなっていただろう。
 いや、葵の事だ。自分が犯人と判らないように細工ぐらいしているだろう。となれば今までと変わらず、普通に暮らしていく事になるのだろうか――……。

――許せない。苦しい。何故?

 何故葵が、何故冬雪を殺さなければならないのだろう。殺してしまったら、そこでCECSとしての値打ちは下がってしまうも同然なのに。
 冬雪が考えていた事は、玲央と同じだったらしい。
「ダメだな、えっと――……葵さん?CECSは一般人らしく生きててやっと完成形なんだよ。確かにCECS同士でなら殺せるかも知れないけど、それはほら、『いざという時』じゃなきゃね」
「――チャンスだと思ったんだけどな」
葵が苦笑する。
 こんな人間だっただろうか。
 何年も、近くに居たはずの人間。ずっと同じ家で暮らして、共に笑い合ったはずなのに。

――何故、殺されなければならないのだろう。

 もう、誰も信じられない。その気になったら、岩杉だって玲央だって尚都だって夕紀夜だって銀一でさえも、冬雪の事を殺せるのだ。
 辛い。苦しい。どうして冬雪は、普通に生きる事が出来ないのだろう。何故、他の皆と何が違うと言うのだ。
「さぁ、何とかしましょう。これは俺が預かる事にしておきますか……いつまでもそこに置いてあったら危険極まりない。『刃物のエキスパート』は、俺の役柄ですからね」
岩杉は笑った。担当者は岩杉であって葵ではない。担当も何もはっきり言って無かったが、それぞれに得意分野があるのは事実だった。
 岩杉は果物ナイフを畳んで、ポケットに仕舞った。ここで警察が出てきたらかなり危険な立場だろうが、彼の無実はここにいる冬雪や玲央が証明できるだろう。

――否、そんな事を呑気に考えている場合ではなかった。

「やだなぁやだなぁ、暗い暗い!レオ、こんな雰囲気嫌だからね。てゆーかこんなメンバーと一緒なんて嫌だからー」
女子高生のように本気で嫌がっている訳ではなく、どうやら『嫌』というよりは『辛い』らしかった。
「そう嫌がらないの。仕方ない事なんだから」
レオをそう優しく諭したのは、葵でも冬雪でも岩杉でもない。

幸原美桜。本名は――……と言えるのかどうかは判らないが、秋野夕紀夜。

いつの間に部屋に入ってきていたのか、冬雪は驚きそのものと言った表情でいた。岩杉は満更でもない様子で、彼女に声を掛けた。
「お久し振りです、幸原先生」
「うん。岩杉君も元気そうで何より。で、どんな騒ぎがあったのかはもう聞きつけちゃったんだけど」
「――……」
その場に居る全員が黙りこんだ。
「いい加減にしましょう。仲間割れなんて無駄なんだから。別に、仲間だなんて思ってない人も居るでしょうけどね。少なくとも私や岩杉君は、殺し合いなんて言う事態は避けたいと思っているはずよ」
「……何故俺を?」
「あら、そうでしょ?」
「……そうですけど」
「とにかく、無駄なのよ。今更……今更、考えても無駄なんだから」
どこか様子が奇妙しいように感じた。多分、他の者たちも判っていただろう。一気に空気は重くなり、声を出す者は誰も居なくなった。
「な、何よ……急に静かになっちゃって」
「そりゃなりますよ、そんな風に言われたら」
岩杉がため息を吐きながら言う。
 夕紀夜が苦笑した。
「……まぁ、そうね。報告するわ。――銀一が死んだの」
「!」
全員が一様に絶句した。沈黙が数分続いた。
「……何故?」
その中で初めて声を発したのは岩杉だった。夕紀夜は冷静に答える。
「自殺、だって。詳しい事は知らないけど、何らかの方法でね。だからとにかく……何とかした方がいいのよ、この状況」
その表情は暗かった。
 当然だ、弟が死んだのだから――。

 弟。

 冬雪の気分もまた沈んだ。髪をかき回し、ため息を吐く。そして、立ち上がった。
「――……オレ、帰るね」
「秋野?」
「後の事はそっちに任せるから。それじゃ」
誰からの咎めも受けないまま、病室から外に出た。気分は冴えなかった。

(……どうして葵が)

葵にとっても冬雪は弟のはずだった。

『弟みてェなモンだろが』

仮令兄弟として血が繋がっていなくても、彼はそう感じていたのではなかったのか?
それとも今はもう彼の中で、勘当されてしまったのか。

どちらにしても、答えは全て葵が握っている。

それを冬雪が調べる事など、到底出来そうもなかった。

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