形と探偵の何か
Page.38「The Lie」




   1

 清々しい朝だ。
 秋野冬雪は今まで、冬の朝を清々しいなどと思った事は無い。窓を開けて、冷たい風が流れ込んで来ることなど、苦痛以外の何者でもなかったのだ。
「……一昨年までは……あいつが居たのにな」

――外には雪が積もっていた。

『どうして嫌いなんですか?』

明るい、鈴の音のような声が耳に戻ってくる。

『こんなに綺麗なのに――……奇妙しいよっ、そんなの』

奇妙しいのはそっちだ。
毎年毎年雪が降る度にはしゃいで、嫌いだと言っているのに冬雪を外に押しやるのだから。

――でももう、会う事は無い。

すぐ傍に、居たのに。これから先も、ずっと居るものだと思っていたのに。

何故、ここに居ないのだろう。

――チリン。

本物の鈴の音がした。

「ミャァオ」
ついでに、猫の声もした。

「……スノーか」
首に鈴のついた赤い首輪をした白い猫が部屋に入ってきた。精々、冬雪を起こすために葵が派遣したのだろう。冬雪は彼女を抱き上げて、そのまま部屋を出て階段を下りた。そして、リビングに向かう。

「おはようございます、冬雪。今日はちゃんと起きてくれましたね」
リビングに入ってすぐ、梨羽から声が掛かった。彼女はキッチンに向かった。冬雪はスノーを床に下ろし、指定席に座った。
「…………別に」
「ま、起きようが起きまいがあんま変わんねェけどな。ケーキが食えねェだけで」
冬雪の斜め前に座る葵が紅茶を飲みながら嫌味ったらしく言った。相変わらず毛先だけ金色の髪はもういい加減伸びて肩に到達している。
「そうですね。――はい」
梨羽が冬雪の前にトーストの載った皿と紅茶のカップを置いた。
「さんきゅ」
「お前、今日葬式出んだろ?」
「うん――……先生と駅で待ち合わせ」
「そか。お前のママさんは?」
「判んない。来ると思うけど」
待ち合わせには参加しなかった。来ないことも無いだろうが、彼女との約束を破って彼にあの事を話してしまったのは自分たちの責任だ。本当に『とんでもない事』になってしまったし、言い訳のしようもない。
「ふゆ坊」
「?」
「何で俺、さっさと本当の事言わなかったんだって……後悔してる」
「え?」
何の事を言っているのだろう。
「――鈴のヤツ、俺が兄貴だなんて知らなかっただろ。こっちは知っててもよ……どうしようもねェんだ」
「そんな事――……!今から気にしなくてもいい事だろ?」
「あぁ……まぁ、そうだけどな。それは……そうなんだけど」
何故そんなに、勿体つけて話すのだろう。葵にしては珍しいと思った。
「とにかく、今はもう関係ないことなんだ――……食事しよ、食事!」
冬雪が言って、その話題を無理矢理終わらせた。
 ただ何となく、自分が辛くなっていくのが怖かったのだ。

   *

『冬雪にはきっと判りません、僕がどんだけ頑張ってるかなんて』

ふてくされて彼は言った。近くて遠い、存在だった。

でもその明るい声が、自分を救ってくれるものだと思っていた。

世界中の誰もが冬雪から離れていったとしても、彼だけは味方になってくれると思っていた。

――でもそれも、今となっては無駄な考えだ。

『僕が何言ったって、冬雪、聞いてくれないんでしょ?』

どうしてそんなに、怒っているのだろう。

何故、冬雪に対する批判的な言葉しか思い出されないのだろう。

判らない。

何も、判らない。

『兄ちゃん……助けて』

彼の最期の声を、聞いたような気がした。

妙な、感覚だった。

   *

 冬雪がようやく緑谷駅の上りホームに到着した時、既に岩杉はそこに立っていた。ある意味、当然である。彼は喪服に身を包みその上にコートを羽織り、毛糸のマフラーをしていた。いつもの銀のピアスの代わりに、初めて見る黒のピアスをつけている。色が濃い分、いつもより目立っていた。先日切ったばかりらしい前髪は、まだ眉にかかるくらいで短い。
「よ、秋野。いつも通り、ジャストだな」
彼は軽く敬礼をしながら言った。冬雪は昔から時間には忠実に、ぴったりに来る事を破った事が無い。故に、今まで遅刻した事は無い。
「それがオレってモンだよ」
冬雪がそう言い終えた瞬間、アナウンスが流れ始めた。そろそろ電車が来る。
「北青庵(キタセイアン)だよね?」
「あぁ……あいつの実家があった所だ」
「ふぅん。何で過去形?」
「それは――」

――電車がホームに入ってきた。

二人はそれに乗り込み、ドアの傍で話を続けた。
「……あいつの『両親』は4年前、通りすがりの強盗に殺された事になってる。警察の見解では、な」
「え……死んでたの?」
「噂ではあいつが殺したんじゃないかと言われてる」
「そんな」
ダイスケはそんな酷い人じゃない、と答えかけて止めた。先日の様子を見ていれば、彼が何でも出来る人間である事がすぐに判る。尤も彼は香子の息子、悪人気質でも奇妙しくは無い。それに、彼が義両親を嫌っていたことは明らかだ。
「ま、今となっては闇の中だけどな。4年前って言うと、あいつが緑中に来る前の年だ。秋野が……中2の時か」
「ダイスケが緑中に来たのはただの偶然?」
「さぁ、その辺のことは幸原先生に聞いたらどうだ?」
岩杉は小さく笑って言った。
 そういえば、岩杉は人の呼び名を全く変えない。自分がこう呼ぶと決めたら、一生そう呼び続けるのだろう。冬雪のこともずっと『秋野』と呼ぶし、正体が明らかになっても『幸原先生』だ。仕事意識が強いのだろうか。あるいはそう認識してしまったらそこまでで、変えることが出来ない不器用な人間なのかも知れない。
 そんな事を考えている間に、電車は北青庵駅に到着した。
 2人は電車を降り、大した会話も交わさずに駅から外へ出た。
「――……ダイスケ、どうしてあんなにあの手紙、見られたくなかったんだろ」
「知られたくなかったんだろうな。手紙というよりは……幸原先生との関係だろう。お前がいくつの時まで同居してた計算になるか?」
「えっと……2,3歳かな?」
「俺らだけが知る分には問題ないかも知れないが、もしこの情報が周りに漏れたら大変な事になる。だろう?」
「……よく判んないけど」
冬雪が首をかしげた、その時だ。
「充分大変な事になってるわよ、仲良しのお2人さん?」
「!!」
女の声――夕紀夜の声がしたのだ。2人は思わず振り返った。彼女もまた、喪服の上に茶色のコートを着ているらしかった。ちなみに冬雪は、2人とは比べ物にならないほど厚着をしているため外からは全く判らないが、コートの下に着ているのは二度と行かない学校の制服である。
「一緒に行きましょう。――ついに私が生きてる事もばれちゃったしね」
夕紀夜はそう言って苦笑した。岩杉が不思議そうな顔で返答する。
「ばれたんですか?」
「そんな暢気に言ってる場合じゃないのよ、岩杉君。生きてるCECSは4人……あの予告状の内容とちゃんと合致するの。知らなかったかしら?生きてる人間は3人しかいない、他にも誰か居るんじゃないかって大騒ぎだったんだから」
世間とは一体どこのことを指しているのだろう。あの予告状のことはまだ、全国ネットには乗っていないはずだ。乗っていたとしても精々警察関係――夕紀夜と接点はあっただろうか。
「誰に、ばれたって?」
「警察よ?まぁ少なくとも……私はどこかで死んだ『幸原美桜』さんに成りすましてる訳だし、生きてるってことさえばれなければ狙われることはなかったんだけど……どこで漏れたんでしょうね、あの予告状は4人になってたわ」
「そうか……そうでしたね」
「とにかく、この件はもう終わった事だから――……仕方ないわ」
夕紀夜はそう言い捨てて、すたすたと歩いていってしまった。

 葬式は形式的なもので、2人はすぐに焼香を済ませて北青庵駅前の喫茶店に入っていた。夕紀夜とは葬儀会場ではぐれてしまったから、今どこに居るのかは判らない。
「……クリスマスなんだがなー」
岩杉が窓から見える駅前デパートの装飾に対して呟く。
「クリスマスなんてあってないようなもんだよ、日本人にとってみたら……あ、そーだ先生、なんかプレゼント交換しない?」
「…………生憎俺にはそんな可愛らしい趣味はないんでね」
岩杉はあからさまに嫌そうな顔をして、コーヒーを一口飲んだ。
「ちぇ。せっかく互いの誕生日祝いでもしようかと思ったのに」
「……誕生日には遅いだろ」
「たかだか数週間じゃん!ちょっとぐらい融通利かせてよ」
「だったらメールの一本ぐらい入れろ」
「い……忙しかったんだよっ」
冬雪は言い訳を連ねてから、慌しくレモンティーを飲んだ。
「ところでこれは先生の奢り?」
「どっちでもいいんだが、どうする?」
そして互いに睨み合って、止まった。

「……もう、私が奢るわよ」
予想外の人物の声がした。否、決して予想外ではないのだが、突然やって来られた事に2人は相当驚いていた。
「…………吃驚した、母さん」
「…………全く気付かなかった」
「気配を消すってこんなものよ。――すみません」
夕紀夜は冬雪の横に座って、ウェイターを呼び、アップルティーを注文した。
「紅茶飲むときはアップルティーって決めてるの」
2人の視線が気になったからだろうか、夕紀夜は照れながらそう言った。
「姉さんと同じですね」
岩杉がそうコメントした。
「梨子ちゃん?」
「えぇ」
「あぁ……そういえばそうだったわね、2人で意気投合して語り合った事があるわ」
まさか彼女らにそんな過去があったとは。2人が驚いて言葉を失っている間に、夕紀夜はコロリと話題を転換してしまった。
「そうだ――……冬雪、今日は家の予定は?」
「予定?これから帰って、梨羽のスペシャル手作りケーキを頂いて、」
「私も参加して構わないかしら?あ、梨羽ちゃんのケーキ目当てじゃないわよ」
「…………だったらいいけど」
クリスマスと言ってまず思い出すのは梨羽の作るケーキだ。それを目的に、秋野家の人々はそういうイベントを楽しみにする。プレゼントなど二の次である。それぐらい、彼女の菓子は優れているのだ。
「……いい加減子供なのね。私はただ、1人でクリスマス過ごすのが嫌になっただけなんだけど……岩杉君の家に押し掛けるのも悪いと思って」
夕紀夜は苦笑して、アップルティーを飲んだ。
「俺は別に構いませんけど」
「先生ってば、母さん奪おうとしてるな!?」
「……そういう意味で言ってるんじゃ」
「あら、私はまだ独身よ?」
そうだった。

――その場の空気が凍りついた。

「……失礼しました」
「いいえ、私には大切な人が居ますから」
夕紀夜はにっこりと微笑んだ。どうやら、企んでいることも無さそうだ。

――大切な人とは、誰のことだろう?

白亜のことだろうか。しかし彼は夕紀夜を恨んでいたということを明白に示している。そんな彼を今でも大切に思っていると言うのなら――それは悲痛だ。
「岩杉君はどういう予定?」
「特に予定はありませんが……友人の店にでも寄りましょうかね」
「そう。あ――……もう3時だわ、そろそろ帰りましょうか?」
つられて冬雪も店の時計を見た。現在時刻は2時53分。ここから電車に乗って、緑谷まで掛かる時間は10分弱。どうせなら夕方には家に居たい。
「そうですね」
岩杉も立ち上がった。最後に冬雪が立ち上がる。
「私が奢るから気にしないで。岩杉君、今職無いんでしょ?」
「……そこまで気を遣って頂かなくても構いませんが」
「まぁ、そうよね。そうよね」
夕紀夜は1人で確認するように呟いていた。冬雪は何も言わなかったが、どこか彼女に奇妙しさを覚えずにはいられなかった。

   2

 岩杉とは途中の駅で別れて、残った2人が緑谷駅まで戻った。そこから10分ほど歩いて、冬雪は自宅の玄関を開けた。後ろを見ると夕紀夜は庭の桜の木に触れて見上げていた。
雪はもう既に止んで、薄く積もった雪が幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「……母さん?」
「! ゴメン、何でもないわ……」
冬雪が中に入り、後から夕紀夜が続く。
「懐かしい」
部屋に入っての彼女の第一声はこうだった。
「……あの日以来だろ」
冬雪がまだ、小学5年だった頃。冬雪の誕生日の翌日に、彼女は死んだことになっていた。
「誕生日おめでとう」
「! 覚えててくれたの?」
問われても、冬雪は答えなかった。

――彼女の誕生日は12月24日、忘れる方がバカだ。

彼女は事務所内をゆっくりと見回してから、
「上に行きましょう」
と言った。

 2階リビングには梨羽がいた。彼女は夕紀夜の姿に驚き、しかして丁重に対応し、仕事中だった葵までも呼んできた。
「ど、どうも……えっと……初めまして、っていうか」
葵は照れているのか、しどろもどろになっていた。夕紀夜は微笑んで、「お久し振り」とだけ答えた。
「座ろ」
冬雪が一声掛けると、沈黙を守っていた2人が動いてそそくさとソファに座った。

――恐らく、どちらも緊張している。

この場に於いて緊張していないのは冬雪だけだろう。梨羽はキッチンに戻ってしまったから、関わらせるわけにはいかない。冬雪が何とかしなければならない。
「んーっとー……」
「き、緊張することねェんだよな、な?ふゆ」
葵はそう言ったが、その表情は明らかに冴えていない。
「うん……だよね、母さん」
返答は、なかった。

――代わりに、彼女は泣いていた。

「……母さん?」
「ゴメンなさい、私――……やっぱり無理だったかな」
夕紀夜は完全にうつむき、その表情は全く窺えなくなった。葵の表情を覗き見ると、彼は彼で動揺している様子だった。
「……俺はやっぱ、夕紀夜さんの息子っすよね」
「葵?」
「葵って花の名前ですよね。夕紀夜さんの本名、桜さんでしょ。そうやってさり気なく隠してたんっすね?」
「……どうして判ったの?」
夕紀夜が顔を上げた。
「葵彦さんが提案して下さったの……私は遠慮したんだけど、花梨さんも賛成してらしたから」
「! お袋は……知ってたんですか?」
「私と花梨さんは元々知り合いだったわ。花梨さんの指令で、私は葵彦さんとしばらく付き合わなければならなかった――……葵彦さんの浮気だった訳じゃないの、判ってもらえる?葵彦さんに浮気をさせるように仕向けて、私に子供を産ませて、もう二度とこんな事しないようにって牽制する為に……」
そんな人、だったのだろうか。佐伯花梨という、人間は。

――ガシャン!!

ガラスの割れる音が響いた。3人がその音のした方を見た。
「お母様がそんな事を」
「梨羽!」
梨羽が震えながら立っていた。
 夕紀夜が慌てて彼女の傍に駆け寄り、声を掛けた。
「ゴメンね梨羽ちゃん、花梨さんが悪い訳じゃないのよ、2人でやった事なんだから」
「でも!でも、私……」
「私の言い方が悪かったのね、2人で考えた事だったのよ。葵彦さんに、仕事に専念してもらう為に」
「仕事に、専念?でも夕紀夜さんと付き合っていたら」
「そう、だから私は葵君を産んで、すぐに彼の前から姿を消したわ」
梨羽はそれ以上何も答えず、割れたカップを片付け始めた。夕紀夜は「手伝うわ」と言ってガラスの破片を共に拾っていた。
 冬雪はその様子を眺めながら、話をずっと聞いていたらしい葵の様子を見た。
「……俺は何者なんだよ。お袋たちに利用されたのかよ?」
「何言ってんだよ、そんな訳あるか……」
「もしその話し合いが無ければ、俺は生まれてねェんだぞ?親父にちゃんと仕事させる為に、俺は生まれてきたって事じゃねェかよ」
カップを片付け終わったのか、夕紀夜が帰ってきて、答えた。
「――花梨さんは葵彦さんの子供が欲しかったの。もし自分に子供が出来なかったら、彼の遺伝子を残すことすら出来なくなる。だったら桜ちゃんに頼む、そう言ってきたの。私は勿論断ったわ、勝手に彼と付き合っていいなんて事、素直に受け入れるほうが難しいもの。でも――……彼女は指令として私に指示を出した」
「結局、誰が一番悪いんですか?」
葵は顔を上げずに、尋ねた。
「――……誰も悪くない。確かに法律とか無視しちゃってるけど、そういうのを考えなければ誰も悪くないわ」
静かに、優しい声で、夕紀夜は答えた。
 葵はやっと、顔を上げた。
「じゃあ俺は、引け目に感じること無いんっすね?」
「えぇ、勿論……花梨さんは貴方のお母さんでしょう?」
夕紀夜がそう言うと、葵は「えぇ」と頷いて、笑った。笑いながら、泣いていた。

――初めて見た、彼の涙だったと思う。

それから後は、全員で馬鹿騒ぎをした事だけしか覚えていない。

   *

 紅葉通駅で降りて、岩杉諒也は雑貨屋『日本人形』に到着した。
「1人で来るなんて珍しいね」
岩杉の姿を見て、店主は楽しそうに笑った。
「……前はこれが普通だったんだが」
いつもの指定席に座り、傍にあった雑誌を何の気もなしに開く。特に意味は無い。
「ちゃんと最後のお別れはしてきたかい?」
「俺ももう子供じゃない、言われなくても――」
「だって、君は結城君の親友だろう?」
「…………っ!」

――もう彼の事を親友とは呼べまい。

岩杉は思わず片手で顔を覆った。寧ろ、自分のほうが彼の親友には不似合いだ。
 あの時、大亮は最期に確かに、岩杉に向けてこう言った。

『裏切り者』

確かに裏切った。彼のことを調べようなどと考えたのがいけなかったのだ。

「もう終わった事だろう、諒也君。少なくともそれまでの長い間、彼は君の事を信じてたんだよ」
ため息をついて、店主・流人は言った。
「でも最後には俺が裏切って終わった」
「……そうかも知れないけど、いくら足掻いたって彼は帰ってこない訳だし……気にしてても始まらないんだよ、今後は。秋野君の事だってあるし、君だって春には仕事が始まるんだろ?そうそう悩んでも居られないんだよ」
「それは判ってるけど」
判っていても、落ち着く事が出来ない。気分がどうしても優れないのだ。
「そもそも君、今日何しにここに来たんだい?」
「…………悪い、暇つぶし」
「………………。酷い!!」
「悪いって言っただろう……1人でクリスマスなんて惨めじゃないか」
「君が彼女を作らないからだろう!!」
そうは言っても、出来ないものは出来ないのだから仕方ない。
 岩杉はそう訴えたが、取り合ってはもらえなかった。
「ボクだって1人なんだ、お互い寂しいメリークリスマスと行こうじゃないか。な?仲間だ、仲間」
「だったら一緒に過ごさせてくれないのか」
「…………暇つぶしなんて言うから」
「悪かった、謝るよ。ダメか?」
「……帰ってくれ」
「何か嫌な気分だな。じゃあな流人、また来るよ」
「……あぁ、またな」
結局、居座ったのはたったの15分間だった。

(電車賃が無駄だったか)

仕方ない事と思いながら、岩杉は自宅まで帰るため、再び下り電車に乗り込んだ。


 自宅アパートに帰る。中ではインコがせわしなく動いている。室内でインコを飼っていると、その糞から何とかウイルスとやらが舞って大変とかいう話を聞いていたので、換気扇を回す。寒いので窓は開ける気分になれなかった。
「…………本当に暇だな」
こうして独り言を呟くのも辛い。
 岩杉は何となく、ポケットから携帯電話を取り出して見た。

――メールが一通届いている。

 誰かと思い差出人を見ると、藍田胡桃のものだった。
「珍しいな」
内容を見てみると、暇だから部屋に行ってもいいかという問い掛けだった。岩杉はOKの旨を返信して、その返事を待った。返事はすぐに返ってきた。もうすぐそこに居るからあと数分で着くとの事だった。どっちにしろ来るつもりだったんじゃないかと疑ったが、それは送らなかった。
 岩杉はとりあえずこたつの上に散らばっていた様々な書類を片付けた。仕事が無いのに書類とはこれいかにだが、政府関係者やら警察やらマスコミ関係者やら、様々なところから様々な書類が届く。そしてその応対に追われる。このまま仕事が始まっても大丈夫だろうかと、今更ながらも心配になった。

――ピンポーン、ピンポーン。

連続で2回呼び出し音が鳴って、それとほぼ同時に玄関の扉が開く音がする。岩杉が応対に出なくても、彼の場合は勝手に入ってくる。
「やっほー先生、久し振り。クリスマスの気分はどう?」
肩まで伸びた髪は先日染め直したままで黒、どういうこだわりか知らないが決してコンタクトにしようとしない金縁眼鏡、彼の基本スタイルは一切変わっていない。
「……最悪だよ。お前は?」
「俺だって最悪だよー。彼女なんて居ないしさー、冬雪とかは家で楽しくパーティだろ?ずりーよなぁって」
胡桃は岩杉の正面に座り、マフラーを取った。そしてこたつに入る。
「…………お前は家出してるんだからそれぐらい考えろ」
「先生だって家出じゃん」
「俺のは家出じゃない、独立だ、独立」
その違いぐらい判ってほしかった。
「……みかんでも食うか?」
岩杉が差し出すと、胡桃は嬉しそうにそれを受け取った。
「うん、さんきゅ。何か寂しいよな、クリスマスにみかん」
「わがまま言うな。それが30男の悲しい現実ってモンだ」
「ふーん?」
みかんの皮をむきながら、胡桃は鼻歌を歌っていた。
「あーじゃあさ先生、今度行く高校でさ、女の先生探してみるとか」
「そんな事が出来るんだったら苦労しないよ。お前も自分の心配しろ」
「ひっどいな先生、俺に彼女が一生出来ないとか言うつもり?」
「一生だなんて一言も言ってないぞ、俺は」
何にしろ、同等に話し合える相手がいるのは幸せだ。
 岩杉には砂乃が居た。でももう彼女は居ない。このまま、1人で生きていったほうが安全なのかも知れない。最近はそう思えるようになってきた。
「よし判った藍田、俺がスペシャルメニューを作ってやろう」
「マジで!?先生の愛情こもった手作り!!なんて面白い企画!!」
「企画じゃないんだが……まぁ待ってろよ」
「うぃっす、のんびり待機してます!!」
胡桃の鼻歌が聞こえる中、岩杉は普段作る余裕の無い品々を仕上げていった。

 その日の夕食は、いつになくにぎやかで、豪華だった。

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