形と探偵の何か
Page.33「Last Battle?」




   Prologue

冷たい雨が降る 爽やかな秋の夜


僕は傘を差して 一人 道を歩く

君も傘を差して 一人 道を歩く


いつもと同じ毎日を繰り返し

僕らもまた 同じコトを繰り返す


そんな事をしても

何も変わらないコトに 気付きもせずに


冷たい雨が頬を打つ 涼しい秋の夜


   1

「どうして鈴を殺したりしたの?――父さん」

 冬雪が問い掛けても、白亜は何も言わなかった。何を突然言うのかと否定することも、肯定することも。ただ、冬雪の淹れた紅茶を一口飲んで、少し顔をしかめただけだった。
「・・・これ、薄すぎるよ」
「はぐらかさないで下さい。紅茶は確かに薄いかも知れませんけど。――答えて下さい」
「私が殺ったと?」
白亜は何故か一人称を『私』に変え、鋭い目を向けてきた。いきなり言われて本性を現したのか何なのか。冬雪には判らない。
「――少なくともぼくはそう考えていますが、真偽の程は?」
「さぁ。君に話を聞いてからにしようかな」
彼は飽くまでも、こちらに話をさせたいらしい。
「・・・・・・判りました。こちらから話します。まず、あなたは医者です。人を一発で殺せるだけの知識はあるのでしょう。急所を押さえる事が出来るのなら、それは簡単な事です」
「私にそれが出来たと」
彼は不敵な笑みを浮かべた。ものすごい自信があるようだった。
「えぇ。そしてあなたは香子の秘書だった。架と接触するのも容易だったんじゃないですか?彼と話すうち、無理矢理やらされたのかも知れませんが?この辺で認めておけば、後悔しないで済むと思いますけど」
「話は最後まで聞くよ」
彼は表情一つ変えなかった。冬雪は素直に話を続ける。
「判りました。更に、鈴夜が家に上げる人間として、一番可能性が高いのは勿論、家族です。ぼくは第一発見者ですから、ぼくが殺したのかも知れませんが・・・でも――・・・ぼくのアリバイには証人がちゃんと居ますから」
「そう。話はそれで終わり?状況証拠だけで、私を犯人だと決め付けるかな?」
「――・・・あなた以外には有り得ない。あなたはあの時、どこへ行ってたんですか?本来あの日、あなたには外出の予定は無かったはずなんですよ。だってあの時、あなたは手ぶらで帰ってきた――・・・一体どこへ行ってたんでしょう?もしかして、鈴夜はそもそも外から来た人間に殺された訳ではないのかも――・・・と」
白亜はコメントを挟まなかった。
「――あなたはあいつを殺すのに、2階から下りて来て、1階事務所の鈴夜を殺したんだ。それから外に隠れて、ぼくが帰ってくるのを待った」
「梨羽も容疑者のうちだぞ?そうすると」
「確かにそうかも知れませんが――・・・梨羽も葵も、架との接点が全くない。夢見月家の屋敷にすら入れない2人に、そんな計画を進められる訳がないじゃないですか。友人というのはちょっと奇妙しい年齢ですし。でも、あなたなら何も、奇妙しくない」
「・・・それでも状況証拠に過ぎないはずだが、それで私を追い詰められると思ってるかい?物的証拠が無ければ、」
「ある訳ないじゃないですか。あるんなら、その時明かしてますよ。認めてくれませんか?認めてくれるなら、ぼくはこの義務から開放されるんですけどね」
冬雪は先日届いた手紙を見せる。
「・・・それがどうかしたのか?」
「『夢見月鈴夜』という呼び名を何故使ったんです?世間的にあの事件は、秋野夕紀夜の息子が殺された事件――・・・『秋野』のほうで知られてると思うんですが?基本的に、夢見月家の人間は通称で表記されるものじゃないですか?」
「私に訊かないで貰えるかな。まだ犯人と決まった訳じゃないんだ」
「・・・そうですか。あなたにとって、何ですか?母さんは――・・・ただの元彼女って訳じゃなさそうですけど?」
 ここで、白亜は黙り込んだ。犯人にではなく、白亜本人に宛てた質問だからだろうか?冬雪は静かに、彼が答えるのを待った。

 数分経って、彼はようやく口を開いた。
「――・・・彼女は私を殺したから」
「え?」
「彼女が私を殺したから、私も彼女を殺した」
「・・・・・・どういう事です?」
どこか、目つきが急に変わったような気がする。まだ判らないが、かなり危険な状態にありそうだった。
「君も彼も、彼女の子供だろう!?私の子だという根拠はどこにもない!」
「でもあなたはぼくの事を――」
「あぁ、確かに彼女に騙されて認知したかも知れないね。彼女はずっと私を――否、私だけではなく世界中の全ての人間を騙していたよ。家族以外の者を、全てね!」
白亜は叫びながら立ち上がり、まだ紅茶の入っていたカップをテーブルからはたき落とした。大きな音が立って、カップは割れる。冬雪は身体を収縮させた。白亜の表情を覗きみると、冬雪に対して恐ろしいほどに鋭い、冷たい視線を向けていた。そんな顔は――・・・見た事が無かった。
「決して認めない。君も鈴夜も、私の子だとはね!」
「え?」
 何を言うのだろう・・・認めないと言っているのは判るが、鈴夜はそもそも白亜の子ではないはずだ。
「へぇ、君も彼女に騙されていたのか?彼女はきっと気付いていたんだろう。私が久海白亜本人であると。どうしてだ?あの彼女が、私の稚拙な嘘に気付かないはずがないだろう!まさか自分の姉の夫の名を名乗るなんてね」
「・・・・・・佐伯菖蒲・・・夏岡」
「そうだ。そいつだよ。私はそいつの名を騙って彼女と再会した。気付かない振りをしていたようだがね」
もう、昨日までの彼ではなくなってしまった。
 冬雪は思わず叫んでいた。
「ち・・・違う!母さんは――・・・気付いてない、気付いてるんだったら・・・、もっと別の反応を見せるはずだ!!オレにだって、何も言わないはずないだろ!?」
「だから君も騙されていたって言ってるんだよ。まぁそれも――今日で終わりだったってコトだね。君がこの事件の真相に気付いてしまったから」
「! じゃあやっぱり、鈴夜を殺したのは・・・」
冬雪が顔を見ると、彼はにやりと笑う。
「あはは!!そうさ。私を殺した彼女に復讐する為にだ」

――復讐?復讐の為に、鈴夜を殺したと言うのか?

「・・・母さんに復讐するんだったら、もっと早くにしておけば良かったのに」
「そうなったら君達が残ってしまうからね。まぁ、先に君達を殺してしまえば彼女への復讐にもなるかとは思ったが、彼女は死んでしまったから。君にも彼女と同じ血が流れているんだ。汚れた、恐ろしい人間の血がね。そんな者をこの先、生かしておく訳にも行かないんだ、判るか?」
「・・・・・・・・・オレを殺すって?」
まさか。
「あぁ、そういう事になるかな?出来るなら、今すぐにでも殺してやりたいんだけどね――・・・作戦は既に実行済みだよ。今ここでじゃなくても、君はどこで殺されても奇妙しくない状況下に居る」
「・・・!?」
「葵と梨羽を催眠術に掛けた。君を見ると、憎くて憎くて堪らなくなるようにね。君には解けないよ。さぁ、どうするかな?この状態で、大晦日まで暮らせるかい?仮令暮らせたとしても、父さんにも掛けておいたんだ。君はそこで殺される事になるよ」
「・・・・・・長期戦のつもりだったんだな」
「あぁ。現に戦いは始まってたんだ。君は少し、乗り遅れたんだよ」
ニヤリと笑った白亜は、いきなり冬雪の首を締め付けようと手を伸ばした!

――伸ばしたが、冬雪の反射神経で止められる。

「・・・・・・オレと父さんと、どっちが有利か考えてね。力もオレのがあるし、素早さには自信あるんだ、これでも。ここで先生が居れば百人力なんだけど」
「先生?あぁ・・・あの中学の担任か。今どこで何をしてるのかも判らない人間が、ここに来るわけが無いだろう?ははっ、運が悪かったんだな」
悪びれもなく笑う白亜。恐ろしかった。こんな人間が傍にいるだけでも、居心地が良い訳がない。しかし、葵も梨羽も催眠術に掛けられている――つまり、彼らが帰って来たところで、冬雪は誰にも助けられない?

――何気に四面楚歌!?

 今更になってピンチだというコトに気付いた。少々、いやかなり遅かった。冬雪は反省しながら、白亜の奇襲に注意した。

――その時突然、インターホンの音が鳴り響いた。

     2

――ぴんぽーん。

こんな場に相応しくない、高く澄んだインターホンの呼び出し音。部屋にいた2人が玄関を見る。
「・・・相手も諦めるはずだ。このまま放っておくんだ」
「・・・・・・さぁ」
しかしもし、この相手が葵だったとしたら?それはかなりのピンチという事になるか――。
 そう思った時。

――ガチャッ。

「え・・・」
扉の開く音だった。冬雪は白亜の影から、玄関に顔を見せる人間の顔を見た。
金に染められた髪がまず目に入る。遠い所為で、顔がはっきりしなかった。
(葵か?)
と思ったが、どこか様子が違う。葵ならすぐに上がってきて、何か大声で注文してくるもの――。
「あの・・・そこで何を、なさってるんです?」
その声は、その姿は――・・・冬雪が待ち望んでいた人物のものだった。
「先生!!」
冬雪は逃げ出そうとしたが、白亜に右腕を掴まれてしまった。
「離せ・・・っ、」
「離す訳がないだろう?先生、失礼しました。お見苦しいところをお見せしましたね」
「・・・?」
岩杉は不思議そうな顔をして、そこに立っている。
「何やってんだよお前ら?おい」
新しく聞こえた声は、長年聞き慣れた葵の声だった。
(葵も居たのか・・・)
 これはもしかすると大変な事になってしまったか。
「あぁ、葵――帰ってたのか。ちょっと手伝ってくれないか?」
「手伝う?何をだよ。てーか白亜叔父、息子相手に何やらかしたワケ?もしかしてイケナイコトか?おいおい、龍神森冬亜が聞いて呆れるなー」
葵はケラケラと、馬鹿にするように笑った。
「葵・・・っ」
白亜がキレそうになる。この状態でキレられると非常に辛いのだが。
「スミマセン、私には全く状況が読めないんですが――・・・」
岩杉が問うた相手は白亜。しかし彼は答えようとしない。答えないどころか、葵に向かって話し掛けていた。
「葵、どうして判らない?この間言っただろう・・・覚えていないのか?」
「・・・あぁ、あの催眠術の事か。残念だけど、もう解いちまったぜ。それも、とっくの昔にな」
そう、葵は笑いながら言った。白亜が驚いて訊き返す。
「何故!?どうやって解いたと・・・」
「判ってないな。俺はこれでも超超超有名ミステリ作家のムスコよ。やたらと博識なオヤジに色んな事レクチャーされてたからよ、催眠術くらいパパッと解けるワケ。勿論、人のもな。だから梨羽のもさっさと解いてやったぜ。ご愁傷様、白亜叔父。これでもう天下は終わりだな、さっさとこの家から出て行きな。ここはあんたの居場所じゃねェぜ」
 その葵の態度は、冬雪以上に彼に対して冷たいものだった。冬雪は白亜に腕を掴まれたまま、彼らのやりとりを眺めていた。岩杉も同様に、何も言わずに見つめているだけだった。
 葵は淡々と続ける。
「白亜叔父さぁ、どっかで歯車狂っちまったんだろ?まぁ多分、俺なんかの知るコトじゃねェけどよ」
その場にいる3人は、何も言わなかった。
「あんたの指図でコイツがここを出て行かされる事になったんだろ?俺は素晴らしい情報網持ってるんでね、そういう事はすぐに判るんだよ。あんたのパソコンいじらせてもらったら、一発で判ったぜ」

――さらっとプライバシーを侵害しているところが葵らしい。

簡単に許す訳には行かないのだろうが。冬雪の携帯電話の一件もある事だ。プライバシー侵害癖も直した方がいいだろう。と、呑気なことを考えている場合ではない。
「まぁ少なくとも、ここにあいつと先生がいる限り、あんたに勝ち目はねェだろーな。CEの完成形に2人も出会って、『いざという時』か。殺されるぞ」
「・・・自分の親を殺せる訳が無いだろう」
「おやおや、自分のことを父親だと認めたようデスネ。あんた前々から、認めたくない認めたくないってほざいてた癖によ。やったね葵っち、成功報酬くれるか?ふゆ」
「オレは何も葵に依頼した覚えねェぞ」
「・・・・・・ケチだなお前。ま、ってコトで白亜叔父、ここでジ・エンドでいいかな?俺としてはさっさと終わらせたい限りなんだけど。こんな暗いシーン」
白亜は俯いたまま、何も答えようとしない。
「おい、何か言えよ。ホント、元アイドルだとは思えねェな」
「・・・アイドルアイドルって言うな、葵。私を馬鹿にするような発言はやめてくれないか」
「いつまで保護者面してるんだか。俺はこれでも大の大人だぜ?まぁ、あんたを殺す事はしねェよ、祖父さんに向ける面無くなるからな」
また白亜は黙り込み、その場は完全に静かになった。
 ふと、白亜の手の力が緩み、冬雪は右腕を自由のもとに晒した。すかさず岩杉が冬雪の腕を引き、対峙する2人から離れさせた。
 そして、岩杉が尋ねてくる。
「――いったい何があったんだ?」
冬雪はゆっくりと答えた。今さっき起こったことを、ゆっくりと忠実に、正直に話した。岩杉もそこで黙り込む。
「先生は、どう思う?本当に、父さんが鈴を殺したんだと思う?いくら、いくら母さんへの復讐だからって、そんなの」
「・・・・・・本人が認めるんなら、そうなんだろうな。でもな、このまま虚偽の人生続けるよりは良かったんじゃないか?きっと」
「虚偽の」
「・・・少なくとも、彼は『優しい父親』を装いながら、秋野を殺す機会をうかがってた訳だろう?だったら先に気付いておけば、それ以上の事はない。まぁ、最初に気付いたのは葵さんだったようだけどな」
「え?」
岩杉は苦笑した。
「長崎で会ったんだ。そこから帰ってきたんだけど――道中、その話を聞かされてね。もしかしたらそうかも知れない、と」
葵がこちらに振り返った。白亜がこちらに歩み寄る。何かを考えているような、違うような――、冬雪には判らなかった。

――ガッ。

先程と同じく、彼は岩杉に向かって手を伸ばした。
「先生!」
冬雪が叫ぶより早く、岩杉はその手を防ぐ。白亜はすぐに両手を引いた。
「素早いのですね」
「――・・・反射神経と言語中枢にだけは自信がありましてね。相手の奇襲を避けられるようにと、幼少期に鍛えられましたから」
「冬雪君と同じですか」
「そんなものです。さぁ、いい加減に何とかしてくださいませんか?この――この状況を」
彼らの受け答えなど、耳には入らない。岩杉の似合わない金髪と、彼の鋭い目とが、冬雪の目に焼き付いていた。
 白亜はため息のようなものを漏らして、傍のソファに崩れるように座り込んだ。
「――上手くいきそうだったんですけどねぇ。このまま、冬雪君はここから出て行く。私は葵たちを殺して自殺。このままこの家は全滅して、冬雪君一人残して。世の中を思い知るでしょう」
「彼は充分、その理不尽さを理解していると思いませんか?少なくとも、私にはそう思えますけどね――・・・久海さん。あなたが思っているよりかは、彼は大人なんですよ。常に命の危険の付きまとう状況下を、身一つで生き抜いてきたんです。何も知らなかった私なんかよりも、です」
「先生、オレは――」
大人なんかじゃない、そう言いたかった。しかし言葉は出て来ない。そのまま岩杉は向き直る。葵がこちらを眺めている。
 冬雪は居づらくなって、葵の傍へと向かった。
「ふゆ、ご苦労サン。いつかはこうなっちまうとは判ってたんだけどよ。なかなか言い出せなくてな。俺が言ったところで、お前は信じてくれねェと思ってたからさ」
葵はぶっきらぼうに言った。
「・・・・・・ゴメン」
「別に謝ることじゃねェだろ。とりあえず、生きてて良かったぜ。帰ってきたとき殺されてたらどうしよう、何てマジに考えちまったもんな、俺」
くすくすと笑う。笑っているのに、どこか泣いているようにも見える。今まで冬雪は、葵が泣いているところなど見た事がない。両親を亡くした事件の時も、葵は2人の亡骸の前で大泣きする梨羽を慰めるだけで、自分は何も、そういう仕草を見せなかった。

――何故だろう?どこから、こんなに奇妙しくなってしまったんだろう?

何も奇妙しいところなどなかった久海家に、冬雪たち夢見月の問題を投げ込んでしまったからいけないのか。そう思うと、どこか罪悪感を感じずにはいられなくなる。
「――ふゆ。あと1ヶ月だ。この人と暮らすつもり、あるか?それとも、殺人未遂で訴えるか」
「・・・・・・オレも先生も止めたから、いい。それより、葵が父さんに言ったことの方が、怖かったけど」
「あぁ・・・さっきのな。悪ィ、ちょっと暴走してたんだ。弟が大変な目に遭ってると思ったら、ついついキレちまってな」
「弟?」
「・・・弟みてェなモンだろが」
葵は冬雪の頭をポンと叩いた。
 もしここを出て行く事になったとしても、自分と葵たちとの関係が無くなるわけではない。鈴夜も夕紀夜もいないが、自分はここに生きた人間なのだと、そう思っていなければならないと思った。
 冬雪はため息をついて、自分の世界に入り込んだ。その後のコトは、ほとんど覚えていない。

      3

 それから1週間も経った頃だ。秋野冬雪は藍田胡桃の自宅――隠れ家にいた。
「――・・・捕まったのか。父親」
「まーな。世間じゃ大騒ぎだぜ、龍神森冬亜は生きていた、ってさ」
「興味なさそーだな、お前。自分の親だぜ?それに、隠し子発覚だろ?しかも2人」
「別にそんな事に興味なんて沸かねェよ。ただ、少し辛いだけでさ」
胡桃はよく判らないという風に、コーヒーを飲んだ。
 冬雪は胡桃の手から週刊誌を奪い取って、その記事を眺めた。
「おい冬雪、どうせ読んでねェんだったら返しやがれ」
「この優等生」
「何が優等生だ、お前のがよっぽど成績良いだろーによ、この天才」
「このクソバカ。ドアホ。マヌケ」
「・・・・・・・・・。それはそれで傷付くな」
「だろ?だから優等生って言ってあげたのに」
胡桃はまんまと罠にはまったようだ。それに気付いてか、いきなり暴力手段に出ようとしてきた。
「おっ、やるか胡桃、悪いけどオレは強いぞ?」
「お前なぁ・・・」
手を引く胡桃。冬雪はケラケラと笑った。
 胡桃はため息をつき、椅子に座りなおすと、眼鏡を外してレンズを拭いた。
「・・・・・・なぁお前、知ってるか?髪の毛伸ばして隠してたみたいだったけどな、先生昔っからピアスしてたんだ。あの時の――クロスじゃなくて、丸い、ちっこいヤツをさ。アルバム見てて気付いた」
「ピアス?知らない」
「そりゃ知らねェよな。俺だってこないだ気付いたんだよ。もしかしたら、また形見かも知れねェかなって」
「まさか。いったい誰の形見だって―――」

――ガチャ。

何故か、玄関の開く音がした。
「誰だ?」
胡桃が立ち上がって様子を見に行く。冬雪の位置からでも玄関は見えるので、そこを眺めていた。
 現れたのは岩杉だった。髪は染め直したらしく黒に戻っている。改めて見ると、胡桃より頭一つ分背が高い。
「やっぱりここに居たんだな。だいぶ探したんだぞ」
「――・・・せ、先生何でここが」
胡桃の横をすり抜け、彼はこちらへと来る。
「親御さんに聞いたんだよ。おっと、秋野も居たのか――1週間振りだな」
岩杉は勝手に椅子を持ってきて座った。
「胡桃に何か話したい事とかあったの?」
冬雪は訊きながら、彼の耳元を見ていた。――ある。確かに、葵のモノとは全く別の、銀の丸いピアスが両耳に付けられている。
 胡桃が戻ってきた。
「んだよ先生っ、勝手に人の家上がってっ」
「悪いな、お前らも自由にウチに出入りしてただろう?反省しなさい」
「・・・・・・〜〜」
反論できなくなった胡桃が唸る。
「! そーだよ先生、そのピアス何者?ずっと昔から付けてただろ?何か因縁とかあんのか?」
「因縁って言葉は失礼だな。別に先祖代々伝わってる訳じゃないんだから。まぁ確かに――・・・昔から、な。うん。砂乃に――・・・許嫁に貰った、唯一のプレゼントだったから、ちょっとした戒めとその時の記憶を封じ込めて。ずっとあいつの事を忘れないように、あいつの事件を忘れないようにって言う、恐ろしいシロモノだよ」
岩杉は笑って話した。
「・・・オレも何か作ろうかな」
鈴夜の事件を。いつまでも、忘れてはならないような気がして。
「はは、俺のはただの未練だよ。忘れなきゃいけない事だって沢山あるんだ」
「未練・・・かな?俺はそういうの好きだよ。本当に好きだった子の事を絶対忘れないように、か。いいなー、そういう相手欲しいなー」
胡桃は笑ったが、その為には相手が死ななければならないという条件を忘れている。
「いつ気付いた?これに気付いた人間はほとんどいないんだが」
「あぁ、ついこの前――アルバム眺めてたら、何かあるなーと思って、よく見たらそうだった、っていうだけ」
「・・・相変わらず観察眼がすごいな」
「へへん。褒めてくれたね」
「・・・いや、凄すぎるだろ。写真なんて、ただのスナップ写真なのに――」
「ま、それが俺のいいところ。で、何しに来た訳?何か用事があるんだろ?」
胡桃が問うと、岩杉は何故か黙り込んだ。2人は顔を見合わせて、再び岩杉の表情を窺った。
 彼はつらそうに、ゆっくりと口を開いた。
「警察への対応が長引きそうで・・・な。なかなか難しいんだ。本来ならお前も参加するべきなんだぞ、秋野」
「・・・判ってるけど」
「だからとにかく、しばらく連絡取れないかも知れないな――・・・悪いが、今の住所も教えられない」
「! どうしてだよ!?俺だってここバレたんだ、教えてくれたって良いだろ!?」
「お前らに押し掛けられたら堪らないからだよ。状況を打開しなければならないから――それに集中していたいんだ」
岩杉はそう言って、にっこりと微笑む。胡桃が不満そうに、上目遣いで尋ねた。
「・・・金とかどうしてんだよ?」
「実家がなんだかんだ言って裕福でな。気にする事は無い、両親はいないし、岩杉家で生きてるのは祖父さん祖母さんと俺だけだ」
「ったく、コレだから金持ちは嫌だよな。働かなくても生きていけんじゃん」
胡桃が愚痴を零すように言い、コーヒーを淹れに席を立った。
「・・・いつまでも頼っていられないから、働いてたんだがな」
独り言のように小さな声で、岩杉は呟いた。冬雪はそれを正確に聞き取れず、何もコメントを挟む事が出来なかった。
 胡桃が帰ってきて、なみなみとコーヒーの注がれた陶器製のカップを岩杉に手渡した。
「はい先生、確かブラックでいいんだよね」
「あぁ――・・・ありがとう」
「他に用事はないの?」
冬雪は何も尋ねる事がなくて、適当に質問をぶつけた。岩杉はコーヒーを熱いまま飲めないらしく、カップを手の中に持ったままそれに答えた。
「別に用事ではないんだが――・・・最近TVで騒いでるだろう、15年前の連続通り魔事件がもうすぐ時効だって」
「あぁ――・・・何かやってた、かも」
冬雪は記憶を探って、通り魔事件のファイルを開く。相当昔で、もうすぐ時効を迎える事件。この近所のことだろうか?
「それがどうかしたのか?」
冬雪が言葉に出す前に、胡桃が尋ねた。岩杉は少し微笑んで、ゆっくりと答える。
「――・・・砂乃が殺されたのはこの事件でな。同じ時期に、俺の周りで妙な事件はいくつも起こってる。俺が今までずっと不思議だったのは、あいつ――砂乃が死ぬ間際に『あの人は悪くない』って言った事、かな」
「悪くない?犯人の事かな?ね、胡桃」
「うーん・・・それ以外有り得ないんじゃねェ?」
2人が顔を見合わせて岩杉を覗き見ると、その表情はいつもの柔らかいモノではなく、硬く、真剣な表情に変わっていた。
「もし犯人が生きているのなら、俺は――そいつに何て言うべきなんだろう。砂乃を、殺したって言うのに」
「・・・先生、その子の事マジに好きだったんだね。純粋だなぁ、先生ってば」
「ホントだよなぁ。今でも懐かしくって仕方ない訳だろ?すごいな、マジにそういう相手欲しいよ、俺も」
子供2人が互いにケラケラ笑い合っている横で、岩杉はようやくコーヒーを一口だけ飲み、小さく笑っていた。
「とにかく――・・・事件の経緯を見守りたいんだ。お前らに何か情報があったら、俺にくれないか?」
「任しといてよ、オレはこれでも情報のエキスパートだよ」
「よく言うよ、冬雪。新聞もまともに読まねェクセによ」
「! 言ったな!?」
ガタン、と冬雪が立ち上がる。胡桃もそれに合わせて戦闘態勢を取った。
「おぅ、やるか?」
「望むところだ!!」

 2人が口と手を両方使ってケンカをする横で、岩杉はのんびりとコーヒーを飲みながらそれを観戦していた。

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