形と探偵の何か
Page.28 「記憶の海」




    Prologue

――どうして、ここにいるの?

自分でも、判らなかった。

――どうして、ここにいなければならないの?

もう二度と、戻る事は出来ない。


――どうして……こんなことになったの?

それは、自分自身が一番よく判っていた。


      1

 今日は7月27日、金曜日。世間の学校はもう夏休みに入った。
 葵はまだ寝ている。いい加減に起きてきてもらわないと、話にならないと言うのに。
「あの――……起こしてきていただけますか?さすがに、いつまでもこうして待っているわけにも行きませんし」
梨羽はため息をつく叔父に頼んだ。彼はそうだね、と頷き、立ち上がった。そして、葵の寝ている部屋へと向かい、リビングから出て行った。
「何事かと思いましたよ」
梨羽はテーブルに麦茶を置きながら言った。
「……ゴメン」
彼はそれを受け取り、小さな声でそう言った。麦茶を一口飲む。
「謝ることはありませんが、連絡ぐらいしてくれても良かったのに。お兄様もあれで結構心配してらしたんですからね」
「だって、携帯忘れたんだもん」
「公衆電話がどこかにあるでしょう?」
「テレカ持ってなかった」
「…………呆れますね。小銭ならあるのに」
彼が黙り込んだ。要するに、電話を掛けようともしなかったということだ。それはつまり、連絡を取る気が全くなかったということ。理由として挙げたのは単なる見栄だというのだ。
「でも、やっと安心できます」
「何で」
「どこにいるか判らないより、判ったほうがいいでしょう?お兄様だってそうです、勝手にどこか出掛けて、全く連絡くれなくて。貴方だって、それがどれだけ面倒なことか、判っていたはずですよ―――冬雪」
彼はまた麦茶を飲んで、静かに話し始めた。
「結構、楽しいもんだね。一人旅」
「こっちはいい迷惑です」
「――葵の気持ち、判った気がする」
「判って欲しくないですけど」
別に、行き先が判って出掛けるなら何ら問題はない。しかし、勝手にどこかへ行って連絡の1つもないという状況が困るのだ。
「あ……やっと起きましたね」
 リビングの扉が再び開いた。中へ入ってきたのは白亜と寝ぼけ眼の葵。葵は白亜に何か文句を言いながら、髪をぐしゃぐしゃとかき回しつつこちらへと歩いてくる。
「よぉ、ガキ。やっと帰ってきたか」
「葵、いい加減金髪じゃ名前に似合わない」
「別にいいだろ。青に染めろってのか」
「そうは言ってないよ」
「言ってるようなもんだ」
しかし、起きたばかりでここまでのことがよく言えたものだ。梨羽は自分の兄に呆れつつ、ソファに座る彼に麦茶を出した。
「で?警察には行ったのかよ?」
「まだ。これから行く。だからご挨拶」
「自分チにご挨拶も何もあったもんじゃねェだろ」
葵は麦茶を一気飲みした。
「大体何だ、警察行くの躊躇ってんならよ、さっさと俺らに言ってくれりゃ良かったんだよ。別に俺ら、お前に早く警察行けって催促もしねェし」
「…………言うのは、嫌だった」
「だからって逃げるかよ」
葵は空になったコップをテーブルに置く。しばらく、沈黙があった。
「じゃ、これからオトモダチにも挨拶して、先生にも挨拶して、じゃあさようならっつって出頭すんのか。イミフメー」
「でも、みんな知ってる」
自分が殺人者であると言う事――か。梨羽に発言権は与えられなかった。
「わーったよ、お前の自由にすればいいだろ。別に俺らがあーだこーだ言ってお前に干渉する意味もねェしな。そーだろ?そんなことしたところで、お前は反抗して『もういいよ!葵なんか大っ嫌いだ!』とか言って逃げ出すだけ」
「…………そんな風にはキレないよ」
冬雪は反対したが、葵は自分の出した案に大笑いし、止まらなくなっていた。酔っているわけではないからまだマシだが、笑い始めるといつでも止まらない。いい加減どうにかして欲しい。
「明後日にでも、行くよ」
「警察?ご自由に」
葵は彼の言う事全てをいい加減に返し始めた。
「…………なぁ、葵」
「何だ?」
「これで、良かったんだよね。これでオレが警察行ったら、これで事件は終わるんだよね」
「一応はな。それからお前がどうなるかは知らんけど」
「終わる……全部」
「何ワケ判んねェこと言ってんだよ?その後どうなるかは判らない。ま、勝手にしろって」
葵はまた笑い始めた。いい加減にイライラしたらしい白亜が葵の脳天をはたいた。葵が悲鳴を上げる。
「いってぇなぁ、白亜叔父…………力入りすぎだってーの」
「近所迷惑だっていつも言ってるだろ」
「そしたら白亜叔父が歌えよ」
「意味不明」
そして、葵も黙り込んだ。誰も喋らなくなった。

「お昼御飯、作ります」
 梨羽が最初に席を立って、バラバラと全員が立ち、リビングには誰もいなくなった。
 救いようのない何かが、この家を支配しているように感じた。

      *

 その日の午後、秋野冬雪は藍田胡桃にメールを送った。どう返事が返ってくるかは判らなかったが、とりあえず明日、日本人形へ行くことだけは伝えておいた。
 数分後、すぐに返事は返って来た。やはり、今までどこへ行っていたのかと尋ねるものだった。
「…………どこともつかない、か」
答えたかったが、答える訳にはいかなかった。ここで答えてしまったら、今後どうなるか判らなかったからだ。
 この2週間で冬雪がまず最初に向かったのは、Still頭領菅沢一磨の実家、つまり春崎架の実家だった。場所を知っていたのは架が以前勝手に教えたからで、特に理由はなかったが、あの桃色の手帳に唯一書き記されていたのがその住所だった。
『いい人たちだから、何かに悩んだら行って問題ナシ』だと、架は以前そう言っていた。その台詞を心の隅に置いて、その家を訪れた。怪我のことなど、もう気にしていなかった。

 彼らの両親はどちらの味方にもついていなかった。理由は勿論、どちらについても危険だからだ。2人がどれだけ多くの人間を殺してきたかを考えたら、貴方の判断は正しかった――彼らはそう言った。
 確かに、Stillは裏でかなりの数の人間を殺していたようだし、架は香子と結婚する以前から『Y殺し』と名乗って夢見月家の者を殺している始末だ。彼に殺されかけてStillの者に助けられている手前、どちらの味方にもつけないのは冬雪にとっても同じコトだ。
 彼らは冬雪を励まし、またちゃんと家へ帰るように、また警察へ行くように説得された。結局、2週間も家出したままになってしまったが。
「……人を殺したんだから当然、か」
 冬雪は返信メールを打ち終えると、いつものようにベッドに寝転がった。

 天井が、見えた。いつもと変わらない、白い天井。そこにカバーの掛かった蛍光灯がぶら下がっていて、部屋を明るくしている。ここは3階、ベランダから飛び降りたら簡単に死ねるだろうか――。
「考える事じゃねェな」
 冬雪は起き上がり、目をこすって胡桃の返事を待った。
 今度は、電話が鳴った。
「……はい」
 誰とも確認せず、出た。
『冬雪か?メールより電話で話したほうが楽だろ。そっち文字数少ねェんだもん、情報量少ない』
いきなり早口でまくし立ててきたのは胡桃だった。予想通り。
「しょうがねェじゃん、そういう機種だもん」
『早いトコ機種変しろよ。でさ、今から先生呼んでお前ンち行っていいか?』
「何で先生呼ぶんだよ」
『兼連絡』
「…………判った」
冬雪はまた目をこすった。眠い。
『でもさ』
「んー」
『お前、これから警察行くんだろ?帰って来たってことはさ』
そう言った胡桃の声は、いつになく重くて、低く感じられた。
「――うん」
冬雪はなるべく明るい声で、そう答えた。
 しばらく、沈黙があった。さっきのリビングでのような、嫌な空気があった。
『ちゃ、ちゃんと帰ってこいよ、高校も行かねェで少年院なんてっ、お前らしくねェことこの上ないからなっ』
「何でそんな文学的な言葉使うんだよ」
『……答えろよ』
「判った、大丈夫だってば……オレも撃たれてるのにそんな一方的にオレが悪いみたいなの、嫌だもん」
『そう、だよなっ、うん、そうだよ』
胡桃が焦っている。理由は判らないが、焦っているように感じられた。
「じゃーな、くる。待ってるから」
『おぅ、すぐ行くよ。先生が上手いこと付き合ってくれれば』
「付き合ってくれるよ」
『あはは、じゃーな』
「おぅ」

――ぴ。

 冬雪は通話を終了させた。たった2分の会話だった。
 最後に笑いが戻ったものの、暗い空気になってしまうのは何故だろう?帰ってきたとしても、自分がまた人殺しになってしまった事実は変えられないからか――。仮令相手がこちらを先に撃ってきたとしても、最終的に相手を殺したのは自分。もし相手が先にこちらを殺していれば、自分は罪無き少年として扱われた事だろう。
 もし本当にそうなったとしたら――……怖い。これまで自分はどれだけ悪い事をしただろう?被害者の人生として、これまで起こしたいくつかの事件を引き出されたら、家族は、友人はどれだけの迷惑をこうむるだろうか。
 少なくとも今回の場合は、加害者の人生を洗われることはなさそうだ。少年法という何とも不思議な法律に守られて、プライバシーは明らかにされない。ただし、夢見月家の人間であることはバレバレだ。それは要するに名前が判っているということ。プライバシーなど、本当にあってないようなモノだ――。

 十数分が経って、胡桃と岩杉が家へやって来た。結果論として、日本人形で話そうと言う事になった。斜向かいの詩杏も誘い、一行は駅へ向かった。

      2

 ほとんど無言のまま紅葉通駅に着き、4人はいつもの店へ入った。
「こんにちは」
岩杉が声を掛けると、奥の部屋にいた流人が顔を出し、冬雪の存在に気付くと、あっと声を上げた。
「帰ってきたんですね!良かった、これで安泰だ」
「…………まぁ、な」
「元気ないじゃないですか!ほら、折角帰ってきたんですからっ」
流人は不満そうに叫んだ。4人は顔を見合わせ、ため息をつく。
「…………全く、今後のこと不安だからってそこまで落ち込むことないんじゃないですか」
「しかしなぁ、流人」
「大体何ですか?素直に喜ぼうとかいう気持ちはないんですか?これから確かに秋野君は警察へ行かなきゃいけないかも知れませんけどね、行方不明だったのがやっと帰ってきたんですよ。ボクだったら素直に喜びますけどねっ」
「どうしてそんなに怒ってるんだ?確かに……喜んではいるんだ」
「だったらどうしてそんなに暗いんです?」
流人は音を立ててカウンターの椅子に座った。沈黙があった。
「――まぁとにかく、これで事件が終わるってことでしょう?Still側もボスがいなくなったってことで、解散の方向で話を進めてるみたいだし」
「解散……するのか?」
「そうらしいですよ。ほら、座ったらどうですか」
流人が4人に席を勧めた。いつもの通り、4人は指定席に着席した。店内向かって右、カウンター側が冬雪、入り口側が胡桃。左カウンター側が岩杉、入り口側が詩杏。全くもめずに決まった席としてはかなり理に適っていた。
「最初の話では、どちらかが全滅するまで争いを続けるつもりだったらしいですが……指導者がいない状態というのは無理があると判断したんでしょうね」
「夢見月の勝ち、か」
「そうなりますかね。決定打は秋野君」
「…………しょうがないんだよ。あっちが呼び出してきたんだから」
「それに応じてる君も君」
「まーね。どうやってメアド知ったのかは知らないけど?」
冬雪がおどけた調子で言うと、胡桃が真っ先に反応した。
「メール来たのかよ?」
「うん。『午後3時30分、緑谷駅前駐車場地下1階に来い』ってさ」
「誰から?」
「さぁ?知らない人。返信しようとしても送れなかった」
冬雪は放って置かれていたルービックキューブを手に取り、カチャカチャ動かし始めた。
「知らない人からのメールは開くなって教わらなかったか?」
胡桃が不可解な顔をして言った。
「……タイトルが『by Still』だったんだもん」
「………………。素直な奴らなんだな」
「素直だよ。あのボス、すごく変わってた。オレと話した時、『勉強大変か?』って訊いてきたし」
「菅沢一磨、か」
呟くような声は岩杉のモノ――冬雪は思わず彼を見た。彼は顔を上げて、にっこりと笑って言った。
「中学の2年先輩だったな――……生徒会長で」
「は」

――生徒会長?あれが?

 冬雪は完成しかけていたルービックキューブを取り落とした。そして、現緑谷中生徒会長の――何故か――胡桃を見る。
「俺が荒れてた頃によく世話になったよ、真面目一直線な感じだったかな。剣道部の部長で」
「ひ」
剣道部の部長と言えば、冬雪が1年の時に散々突っ掛かってきて、飛び降りまでさせようとした隣のクラスのヤツがそうだ。腕は本物らしいが、最近はほとんど無視している。
「まぁ別に、気にする事じゃない。昔の話だ」
「気にするなって、言われてもさ……気にするじゃん」
冬雪は落ちたキューブを拾って、全ての面を揃え終えた。
「で?これからどうなるんだ?夢見月家、は」
岩杉がこちらを見て微笑んだ。
「……まだ判んない。事態終結の記者会見やるかも知んないけど。でもまぁ今後、事件は起こさないと思うよ?残ってるメンバーがメンバーだしね」
冬雪も笑って返した。彼は笑って頷くにとどまった。
「まぁとにかく、一件落着――かな?」
流人が笑うと、店内の空気は一気に安堵感に包まれた。

      *

 Still東京支部、ビル3階エントランスにて。阿久津秀と霧島神李は静かにそこで話し合っていた。

――最後の、談話会。

「……これでもう、事態は終わりやな。どっか、仕事探さなあかんわ」
「えぇ」
「子供はええな、何も心配することなくて」
「そんなことないですよ」
秀は窓から外を眺めた。変化のないビル群が視界に飛び込んだ。
「そもそも俺は何でこの仕事してたんやろな」
「さぁ……それは貴方のご意志でしょう?」
「まぁな。でも、何か理由があったはずやねん……思い出せへんけど」
「Stillに入ったのは何年前ですか?」
「えーっと」
神李は指を折って数え始めた。
「せやな、まぁええトコ17、8年ってトコか。あ、入ってたのはな。その頃は親があんたの父親と友人関係にあってな。俺をわざわざまぁ入れたってワケや。たった6歳やったけど」
神李は何でもないことのように笑う――それだけで、充分CEのような効果は得られたのだろう。
 CEの完成形だという秋野冬雪と岩杉諒也、そして冬村銀一――更に、秋野夕紀夜もその1人だったと言う。彼らの共通点は「一見して殺人者に見えないこと」、そのように育てられた彼らにとって、自分の意志と言うものはあるようでなかったということか。罪の意識のない殺人者ほど、怖いものはない。
「ま、実際人殺し始めたんは10歳の頃やな。詩杏が生まれた頃やけど。ガキやってたばかられて、まぁバカにされたけどな。それが頭に来て、バンバン殺してった。怖いとも思わんかったわ」
「……僕がここに来たのは随分前ですけど――依頼が回ってきたのは中学に上がってからでした。その前に来駆と知り合って、ボスに紹介されて。確か、最初の仕事はケンカした彼氏を殺せって話でしたね」
「随分まぁ、激しい彼女やな、そりゃあ」
神李は秀の話を聞いて、面白そうに笑った。
 確かに、ちょっとケンカしたくらいで殺し屋に依頼するのはどうかしている――狂人だ。

 狂人と言えば、長い間「狂人」と言われ続けた夢見月の者たちはこれからどうなるのだろうか。確か明日辺りに記者会見をやるとか言っていたような気はする。尤も、秀にはそれを観るつもりなどなかったが。

「で?秀君はどうするんや?これから」
神李が笑顔で尋ねる。
「――普通に、受験の準備でも始めますよ」
「おぉ、そりゃあ大変やな、頑張りや」
「えぇ」
秀は無表情のまま返したが、満更でもなかった。
「ま、詩杏に勝てるかな」
神李は自信満々な口調で言った。確かに彼女は秀よりもかなり成績が良い。
「勝てたら何かくれますか?」
「せやなァ、そしたら……」

――Still東京支部、いつになくにぎやかな最後の日。

灯りの消えた社長室には、主を失ってしおれたポトスが未だに放って置かれていた。誰も、水をやる人はいなくなった。


    Epilogue

 それから数日が経った。7月末、今日も真夏日。
 秋野冬雪は白のTシャツに普段通りのジーパン姿だった。
「平気だって――……その時はその時だよ、ね」
そういう表情が明るくないことを、胡桃はすぐに察知していた。
「…………感情溜め込みすぎ。大丈夫か?お前、絶対いつか爆発すんぞ」
胡桃が冬雪の鼻に指を突きつける。彼は慌てて避けた。
「う、うるさいなっ」
「ま、元気で頑張れよ。2学期来れるように」
突きつけた指と同じ手を彼の顔の目の前で振った。彼はやはり嫌がった。
「……先生なら直すかな」
「来られるように。ったく、お前までうるさくなられちゃ堪んねェよ」
「あはは、そーだな。じゃーな、くる」
「…………あぁ」
彼は笑顔だった―――けど、それが本当に彼の気持ちだったかどうかは判らない。
 保護者同伴で警察署の中に入っていった彼の姿を目で追いながら、どうしてここに自分しかいないのか判らなくなった。

――あいつは、見られたくなかった?

 見られたくない相手、つまり胡桃以外の全ての人。その中から選ばれた特別な相手が、胡桃?

――……そんなに仲良かったかな……

胡桃はその場にいられなくなり、思わずそこを離れた。



彼の周囲にいる人間の中で、誰よりも彼と長い付き合いをしているのが胡桃だと気付いたのは、それから数日が経った頃だった。

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