形と探偵の何か
Page.27 「真実の夢」




      1

 秋野冬雪が失踪してから、数日が経った。久海葵は部屋で1人、今後のことについて考えていた。
(やっぱり予想通りになったな)
 彼が何かしら重大な犯罪行為を犯してしまえば、彼は決して、素直に捕まったりはしないだろうと思っていた。少なくとも、家族の鉄拳が飛んでくることはすぐに判っただろう。よってして、『失踪する』という選択肢は彼にとって大きなハンデが伴うがしかし、非常に効果的な選択肢だったはずだ。
 だとすれば、彼は今いったいどこで、どう過ごしているのだろう?
 彼の担任が今、どんなに大変な思いをして自分を探しているのか、彼は知っているだろうか。

――葵は椅子から立ち上がった。

 小さなタンスの上に置かれた、小さな写真立てを手に取る。貝殻で作られた手作りのものだ。作ったのは鈴夜、葵に宛てた数年前の誕生日プレゼントだった。その写真立てに挟んだ写真は3年ほど前の写真――冬雪と鈴夜がリビングのソファに座っていて、後ろには梨羽も映っている。要するに葵が撮った写真だった。
 この頃は冬雪がまだ中学に上がる前で、まだ眼鏡も掛けていなかったし、今よりずっと長くて、後ろで束ねている髪が印象的だった。中学に上がると同時に切ってから、以前ほどは伸ばしていない。

(しかし、いったい何考えてんだかな)

 葵はため息をついてから再び自分のデスクに戻った。仕事用のデスクトップパソコンの電源は入ったままだが、さっきから魚が泳ぐスクリーンセーバーが流れているだけになっていた。葵はマウスを動かして、画面を元に戻した。
 ワープロソフトを起動し、書き途中の新作のファイルを開く。舞台はフランスには持っていかなかった。先日のはただの旅行だ。取材旅行ではない。というわけで、舞台はここ、東京。主人公・紀屋楓季の故郷、という設定になっている。
(ふゆが紀屋と同じように動いてくれりゃあ、想像もつくんだけどな)
 いくらモデルが彼でも、彼の行き先までは予想できない。ただ、彼はそんなに土地鑑もないはずだ。都心には滅多に出ないし、出ても精々紅葉通、地元緑谷とか、お隣羽田杜くらいなら精通しているだろうか。

――コンコン。

「はい」
返事をすると扉が開いて、白亜が入ってきた。
「食事だよ、葵」
「あ……おぅ」
「まだ連絡はないみたいだね」
「だろうな。あいつ、やるときゃとことんやるヤツだし、いつ帰ってくるかも判んねェ」
葵は自室の扉を閉め、同じ階にあるリビングに向かった。
「お兄様」
 食事の支度をしているはずの梨羽が何故かリビングのソファに座っていて、心配そうな目でこちらを見た。
「んだよ?」
「Stillのボスを殺したのは自分だって、病院で言ってましたよね?冬雪」
「あぁ……それが?」
「大丈夫なんでしょうか、逃げたりして……」
梨羽はTVの画面を見つめた。この近くの古い駐車場での事件。現場検証を行う警察の姿が映し出されていた。
「今更そんなの心配してもしょうがねぇだろ。それがあいつの決めた答えだったってこった。ほら、今はそれより食事だ、食事。オニーサマに上手い料理食わせな、リウ」
「………………はい」
葵が梨羽の頭を撫でて言うと、彼女は最後には小さく微笑んで、パタパタと駆けてキッチンへ戻った。
「でもさぁ、梨羽」
「何ですか?」
「もしあいつが捕まったりしたらよ、ここどうなるんだ?ここ、一応だけどあいつの家だろ?」
何気なく訊いてみると、梨羽は料理を運びながらにっこりと笑い、言った。
「白亜叔父様の家です、冬雪のお父様ですから」
「ナイス判断、梨羽」葵は口笛を吹いた。「しっかしあいつはどこほっつき歩いてんだろうな」
「あの……お兄様」
「何だ?」
梨羽が席につきながら言った。
「冬雪は、警察には会っていませんよね?そしたら、後から捜査されて、」
「心配すんなってーの。あいつも撃たれてんだよ、そしたらまぁ、正当防衛までは認められるだろ」
「過剰防衛って可能性だってあります」
「撃たれて撃ち返した、別に奇妙しかないぜ。銃刀法違反はしょうがねぇかもな」
葵はそう言って笑ってから、『いただきます』と食事を始めた。
「……」
梨羽が黙り込んだ。
「帰ってきたら自首すんだろーよ。出頭、かな。よく知らねェ。ま、少なくともあいつぁ夢見月の人間な訳だし、警察もそんなに強くは出られないだろうな。だろ?白亜叔父」
話を振られた白亜が、『あぁ』とだけ答えた。興味がないのか、話に乗れないのか。乗れないということはないか。
 その時だった。
「あ」


―――意識がはっきりしない。


何だろう?突然……。


まさか。


………………睡眠薬?


「……しばらくお休みになっていて下さい、お兄様。決して、迷惑はお掛けしませんから」
梨羽が静かに告げる声が、聞こえた。

(充分掛けてるっつーの)

葵の意識は途切れた。


      *


 花が咲き乱れている。ここはどこだろう?見たことのない、世界だと思った。否――……見たことがある。しかしそれは、実際の世界ではない。

(……パーライト・ワールド)
嘘だ。現実に有り得るモノではない。そう、信じたかった。
何年か……否、10年も前に葵が書いた小説の舞台――『真実の夢』。

――あれは夢の中だ。

それに、葵はその作者本人。
……有り得ないコトではないのかも知れない。

 葵は歩を進めた。幾ら見回してもそこには花と空しか見えず、この花畑が終わったら何があるのか、全く想像もつかなかった―――否、つかないはずはない。確か、花畑を抜けると一人の人間が立っていて、自分はこの世界の案内人だと名乗る。

(……まさかな)

 葵は夢だと判っていながらも、花畑を抜けようと必死に進んだ。一体誰がそこに立っているのか、想像もつかなかったが。
 10分ほど歩いて、ようやく花畑が終わった。そこには草原が広がっていた。ただ広いだけの、草原。辺りを見回すと、誰かが歩いてくるのが見えた。
(あれが案内人か?)
 案内人らしき人物は、葵の姿に気付き、会釈らしい動きをした。

顔が見えた。その人物はどう見ても、冬雪にしか見えなかった。服装は夏の制服。少々ぼさぼさの髪はいつも通り。
「葵」
彼がこちらに声を掛ける。
「――何でお前がここにいるんだよ、ふゆ」
「それはこっちが訊きたいんだけどな」
冬雪は呆れたような顔をする。
 葵の夢の中に、彼が現れた事はほとんどなかった。最近では全くといってなかった。葵が見る夢は大概非現実的で、現実の人間と出会うことはほとんどない。それが今、目の前にいるのは何だ?ほとんど毎日顔を合わせる、まさに現実を象徴するような人間ではないか。
「これ、夢なのかな?」
 目の前にいる冬雪は、不可解そうな顔をして言った。
「……夢に決まってんだろ?」
「じゃあ、何でオレ今夢見てんの?オレ、ずっと起きてたのに」
「…………は?」
何だかこの会話は奇妙しい。これは――葵の夢だ。彼の、冬雪の夢ではない。ではどうして、こいつはこんなことを言っているのだ?
 もしかすると葵は、目覚めることを求めているのだろうか――?しかしそれは叶わない。目を開けようと努力しても、接着剤でつけられたように重たくまぶたは閉じ、しばらくこの世界にいなければならないことを改めて確認させられる。
「葵、今何時?」
「んなもん判るか……時計なんか持ってねェよ」
「持ってんじゃん」
 冬雪が指差す。どこを指しているのか?葵の左腕――……あった。普段なら絶対つける事のない腕時計をしている。
「気付かなかった」
「で?何時よ」
「――…………この時計、動いてねェぞ?」
葵が確かに所有している時計ではあった。何年か前に買いはしたものの、ほとんど使っていない、あの時計だ。しかし、針は止まったまま、全く動く気配を見せなかった。
 一応、差している時刻は6時30分。多分、葵が睡眠薬を飲まされて眠りについた、その時刻と一致するだろう。
「ハリボテ?」
「知らん」
葵は素っ気なく答え、冬雪が不満げに自分の左手を振るのを見た。恐らく、自分が時計を持っていないことに不満を抱いているのだろう。当たり前だ。そもそも葵が腕時計をしている時点で奇妙しいのだが。
「――でも、何なんだろ……夢に葵が出てくるなんて初めて」
「俺もだよ、お前が出てくるなんてさ」
「もしかして、同じ夢見てるとか、そういう系?」
「知らねェよ。ま、ホントにパーライト・ワールドが存在するとも思えねェけどな」
「! あらー、そっちに行きますか」
冬雪は不自然なまでの反応を見せた。
「あ?そりゃあ考えるだろ、こんなの見せられたら……お前が案内人かと思ったぜ」
「なぁ、葵」
「あ?」
「オレを起こして」
「は?何言ってんだ?お前……どうやったら起きるんだよ、ふゆ。それに、起きるんだったらお前、どこにいるのか教えろってんだ」
「!」
驚いた表情を見せた冬雪は、少し悩んで、答えた。
「これが本当に夢かどうか、ね」
「知るか」
「――オレは今旅行してるんだ、葵みたいに……お金だったら貯金してたのからかなり持ってきたし、いつ帰るかもまだ判んないけど」
冬雪は僅かに微笑んで、そう言った。確かに、そう言った。
「じゃあ、帰ったら警察行けよ」
「うん……行くよ」
これが本当に、葵の、葵1人の夢であれば、この冬雪の発言は葵が望んだ彼の答えだということになる。しかし、もしこれが冬雪自身の夢とドッキングしているとなれば、彼自身の言葉である可能性も―――有り得ない、同じ夢を違う人間が同時に見るなんてことは、実際には有り得ない。2人の脳が同じワケではないのだ。

 それとも本当に、パーライト・ワールドが存在する?

「……ふゆ」
「何?」
「――早いトコ、帰ってこいよ」
「判ってるって。夏休みが終わるまでにはね」
冬雪はそう冗談のように言って笑うと、くるりと方向転換して元来た方向へと戻っていった。そして、見えなくなった。
「何だった、んだろ……?」
 そう、これは夢だ。ただの夢に過ぎない。今のは全て、葵の幻想なのだ。彼が死んで幽霊になったわけでもあるまいし――。

――死んで?

 そんなことを考えてはいけないと思いながらも、その可能性を否定しきれない自分がそこにいた。確かに帰ってこないのは死んだから――有り得ない話ではないはずだ。
「……耐えらんねェや。帰ろ」
 葵は頭をかきながら、長く続く花畑へと戻った。ここを抜ければ、また目を覚ます事が出来る――……そう信じていた。


 しばらくして、葵は目を覚ました。

―――そこは……病院だった。

      *

「……?」
周囲には誰もいなかった。正直言って、これが夢なのか現実なのか、全く判断がつかなかった。
 仕方なく、葵は立ち上がり、静かに部屋の扉を開け、外を覗いた。どこかで見たことのある廊下――いつも冬雪が世話になっているあの病院か。葵は自分が青い、入院患者が着る服を着ていることに気が付いた。
「誰か来ねェかな」
 葵は何となくそう呟き、後頭部に手をやった。が、まさにその後頭部に痛みを感じた。
「いっ…………んだよ、俺怪我してんのか?」
痛い。つまり夢ではない。これが現実?なら、さっき梨羽が自分に睡眠薬を盛っていた、あの食卓の風景も夢か?
 葵はため息をつき、ベッドに戻った。仕方なく横になり、横を向いて目を閉じた。

――コンコン。

「あーい」
葵がいい加減にノックに返事をすると、引き戸はガラガラと音を立てて開いた。
「葵」
その呼び方から、一瞬冬雪かと疑った。しかし、よく見てみれば、
「んだよ、白亜叔父……」
だった。
「大丈夫か?冬雪君の見舞いの帰りに事故に遭って入院なんて、カッコつかないよ」
どうやらそういうことらしい。
「余計なお世話ってモンだろ。どーせふゆも帰ってきてねェんだろ?」
「まぁね。でも、警察には話をしておいた」
「は?何の話だよ」
「――Stillのボスを殺したって話だよ」
白亜はいつになく低い声で言った。
「言ったのか!?」
葵が起き上がろうとするのを白亜が押さえる。
「ああ。じゃあ葵は何だ、『人を殺した』と宣言した子のことをあぁそうですかって放って置くのか?いくら失踪したとは言え、家族に対して明かしたんだ、かなりの勇気が要ったはずだよ」
「でも!」
「彼はあの場で、彼の友人に対してこう言ってるんだ――『素直に捕まる』って」

なら―――ならどうして逃げ出したりしたのだ!!

葵はそう訴えた。
「……それは、彼がそれだけ悩んでるってことさ。その内帰ってくるだろう、心配することはないよ、葵。彼の中で決断できれば、すぐに帰ってくる。今はそう信じないか?」
白亜は優しい声で、静かに葵のことを牽制した。15年前にはトップアイドルだった人間だとは、到底思えなかった。

 葵が幼い頃、白亜はよく葵の前で歌ってくれた。TVで騒がれている彼が目の前にいて、しかも自分の名を呼び、笑いかけてくれる―――それ以上のことはなかった。その頃は彼も若かったから、今の冬雪に近い外見をしていたかも知れない。
 でも、彼は突然いなくなった。あの飛行機事故で彼は死んだ事になり、戸籍上での「久海白亜」はこの世から消え去った。彼と付き合っていた彼女に子供が出来ていたと聞いた時、葵は何故か嬉しくなっていた。白亜が完全に居なくなる訳ではない、そんな気がしたからだ。
 冬雪は実際、かなり白亜と似ていたと言える。周囲が驚くほど――もう少し成長すれば、もっと驚かれるようになるだろう。少なくともそれまでに、彼には死んで欲しくない。幸せに、そう、平穏な日々を送らせなければ――。

「失踪事件だから――警察も捜査に乗り出してくれた。見つかったらすぐに保護されると思うけど、多分彼はその結末は望んでないだろうね。自分で戻って、自分から自首する気でいるんだと思うよ」
「俺だってそう思ってる。そうあって欲しいって思ってる」
「いや、冬雪君ならそう思ってる」
白亜は微笑んだ。何年か振りに見た、彼の人を騙すほどの優しい笑顔だった。
「……何か、ワケ判んなくなった」
「ゆっくり休んだほうがいいよ。葵のこと、ニュースで取り上げられてるみたい」
「はっ。マジかよ」
葵は布団を被った。
「同居人の見舞いの帰りに交通事故に遭って入院、ってさ。笑っちゃうね」
「ホント、笑っちまうな」
そしてまた、葵は目を閉じた。
それ以降、白亜は一言も喋らなかった。

      2

「まだ、帰ってきてないんですね」
「……まぁ当然といったところかな」
「なーんか、大変ですよねぇ」
 今のは三宮流人、岩杉諒也、三宮未佳子の順での発言だ。
 ここは日本人形、いつものような楽しげな会合ではなく、冬雪を探して走り回り、疲れきった岩杉と、暇つぶしにやってきたミカコが互いに愚痴りあっているのみ。この2人は案外気が合うかも知れないとつくづく思う流人もいた。
 確かに2人は2人とも、教育関係の仕事に就いている。気が合うのも当然か。それに、中学生と幼稚園児、どちらも別の意味で大変な年頃ではないか。
「……なぁ、流人」
「はい?」
「あいつが、言ってたんだ。自分と先生は、CEの完成形らしい、ってな。どういう意味か判るか?」
「CEの完成形?そんなこと言ってたんですか?あの子」
最後のはミカコの発言だった。
「えぇ……先日電話で話した時に」
「どういうことかな……ねぇルー、判る?」
ミカコが信頼の目を向けた流人は、平然と否定した。
「ボクに訊かれても困る」
「……む〜」
否定されたミカコが子供のように怒った。上目遣いでこちらを睨む姿は本当に子供そのものだ。
 そういえば、今流人の目の前にいる2人は、流人がそう名乗り始めて間もない頃からの知り合いだ。子供のように思えても、仕方ないのだろうか。
「CEの完成形、か」
流人は一応考えを巡らせてみる。2人に共通するのは全く悪人の気がないことだが、それに関係するのだろうか?もしそうだとすれば―――。
「どういうことかと思ってな」
「――もしかすると、CEはただの訓練的教育ではないかも知れない……岩杉さん、自分がCEを受けていた記憶はありますか?」
「自分が金属バットで何かを殴らされた記憶ならある。多分、それがそうだ」
「では、それだけがCEではないとしたら?」
「え?どういうことだ?」
岩杉は興味津々といった目をこちらに向けた。
 流人は説明を始める。
「それはただの訓練に過ぎなくて、本当の教育はもっと大きなところにあるとか。普段の生活の中で何気なく仕込まれているとしたらどうですか?記憶にありますか?記憶になくて、無意識にCEが行われる可能性だってあるんですよね。ってことは、そういう具体的な訓練だけではないってことです」
「! それは……しかし、俺は姉さんと同じように過ごしていたはずだ」
梨子と諒也の姉弟に、片方は受けさせ、片方は受けさせない、その差を普段の生活で作り出すことは可能なのだろうか。流人は考える。
「貴方には許嫁がいました。彼女と付き合う内に、彼女から何かを仕込まれた可能性だって有り得ます」
「まさか!砂乃は俺と同い年だったんだぞ!?」
 彼の許嫁は若葉屋砂乃と言った。猫が好きな、可愛らしい子だった。しかし、彼女はとある事件に巻き込まれて亡くなった。それ以来、岩杉には彼女がいない。
「同い年でも、幼い頃に洗脳されていれば有り得ます。彼女と付き合う環境がCE環境、自宅は通常環境。その差が完成形へと導いたと」
「有り得ない!そんなことは有り得ない!」
「岩杉さん。一概に否定するのも良くありませんよ」
流人の一言で、彼は黙り込んだ。
「でも、ルー」
「何だい?」
「あたしは、ナイフで布団ザクザク差してたことしか記憶にないけど……それだけじゃなかったってこと?」
ミカコが心配そうな顔をしてこちらを見た。
「ミカコは完成形じゃない。それだけで済まされた、不完全なCE享受者だ」
「不完全……」
「少なくともボクには、そういうことをやらされているミカコのことを見た記憶がある。やらせていたのはミカコの母親で、ボクの昔の姉だった」
「じゃあ、お母さんも不完全な?」
「そういうことになるね」
流人がそう告げると、ミカコはふぅんとだけ言って黙り込んだ。その場が静かになった。
「彼らの『完成形』がどういうものか判りませんが、恐らく全くそう見えない人物が平気で人を殺したりすることが出来る状態、それを言うのだと思います。どうでしょうか?秋野君も一見、ただの中学生にしか見えません。しかし、彼はかなりの実力者ですよ。これまで幾度となく襲われてきましたが命を落とす事もなく、しかも今度は人1人殺して自ら失踪しているんです。彼らが本当にそういう表現をしたのなら、そうとしか思えません」
「……さすが、すごい推理だな、流人」
「いえ……大したことはありません。秋野君の環境を考えると、学校が通常環境、家がCE環境。鈴夜君は受けていないと言いましたが、多分嘘ですね。彼は訓練は受けていないかも知れませんが、精神的圧迫は受けていたはずです。まぁ、そうだとしても不完全にしかなりませんが」
「あの子は秋野のことを疑っていた。いつもいつも、兄は自分に本音を零してくれないと嘆いていたよ」
岩杉が煙草に火を点けながら言った。
「ご存知なんですか」
「たまに行くとな。そういう話をしていくんだ、あの子が。なぁ流人、本当に砂乃が俺に何か仕込んだのか?」
「まだ判りません。それに砂乃さんはもう随分前に亡くなったでしょう?確認のしようがありません。ミカコの場合は、ハルに訊けば判るかも知れないけど……ね」
母の名前を出したが、ミカコは表情を変えなかった。岩杉は悩ましげな表情になって、煙草の煙を幾度となく吐いた。彼は煙草の灰を灰皿に落とし、ため息をつく。
「なぁ」
「何でしょう」
「――これで、本当に大丈夫なのかな?」
岩杉は久々に、子供のような質問をした。ミカコが彼の顔を覗き込んでいた。
「仮令あいつが見つかったとしても、俺は何もしなくていいなんてそんなはずがない。見つかったら、あいつは警察へ行くんだぞ?俺が何の責任も取らないなんて話はない」
「そう、でしょうね」
「いざとなったら、辞めても構わないと思ってる」
「どうして!」
叫んだのはミカコだった。
「どうしてそんなことおっしゃるんですか?すごくいい先生だって話なのに、どうして辞めなきゃいけないんです?先生に……先生になりたくてなられたんでしょう?」
早口でまくし立てたミカコに、岩杉は一瞬ひるんだように見えた。
「そうです。でも――……無理なんです。CE享受者であるだけでも十分危険なのに、CEの完成形とまで言われて、公立学校に勤める事は出来ません。確かに職業選択の自由はありますが」
「だって……」
「自分から辞めれば何も問題はありません。それだったら、『CEの完成形』でも構わないと言ってくれる学校を探して就職しましょう。その方が、確実に身の安全が守られます」
岩杉はそう言って、ミカコに微笑んだ。
「最初はこんなことになるとは思ってなかったんです」
最初つまり、彼が数年前に教師になった頃のコト。自分がCE享受者であることを隠して――否、自らも知らずして職場を見つけることが出来、まさかそれがばれるとは思っていなかったらしい。尤も、今も一応ばれてはいないが。
「とにかく今は―――あいつを見つけることが先決、かな」
 岩杉は呟くように言った。
「えぇ……そうですね」
「岩杉先生、ファイトです!」
2人が彼を励ます――そして、彼は席を立った。
「それじゃあ、探しに行って来るよ。金が掛かってしょうがないけどね」
「頑張ってくださいね」

―――キィ、パタン。

 一瞬、店内が静まり返った。
「素敵な先生ね」
「だろう?」
流人が笑って見せると、ミカコは楽しそうに語った。
「何より痛みを共感できるところがいいのよね。まさか、中学校の先生にCE享受者がいるなんて思ってなかった」
「国中探したらいるさ」
「そりゃあいるでしょうけどね、こんな近くにいるとは思ってなかったから」
「ミカコは楽観的だな」
「どういう意味よ?」
こんなに切羽詰った状況で、彼のことを恋愛対象としか見ていないことについてだ。しかし、面と向かってはさすがに言えなかった。
「さ、ミカコもそろそろ帰ったほうがいいだろう?」
「あ、ホント……それじゃあね、ルー。また来るね」
「あぁ。それと」
「何?」
ミカコが振り返る。
「岩杉さんはあれでミカコと同い年だよ」
そう言ってやると、ミカコは驚いた顔をした。多分、一般の人と同様に、彼を年上に見ていたのだろう。あの口調と落ち着いた風貌のどこに若さが感じられるだろう。精々あの中途半端な髪型と、表情の所為であまり判らない童顔くらいなものか。
「――インプットしとくわ。同い年なら余計にいいじゃない」
 そう言ってにっこりと、それでいて嬉しそうに笑ったミカコは、再び店内を静かにさせた。

      *

――星が見えた。

1等星?知らない。今度、彼に訊いてみよう。

――月が見えた。

あれくらい欠けた月は、何て言うんだろう。

――そして、街が見えた。

立ち並ぶビルに、自然は感じられない。

でも、そのどこかに美しさを感じられるのは何故?


少年はまた、静かな夜の街中を歩き始めた。

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