形と探偵の何か
Page.26 「点線の運命」




      1

「暇だな……」
現在時刻は午前10時。客が来なければ何もすることはない。研究に時間を費やすことも出来るが、今はとても、そんな気分ではなかった。
 流人は店の奥にある6畳の生活スペースに戻ると、何気なくTVの電源を入れた。女性アナウンサーの高らかな声が聞こえたかと思うと、「ニュースです」との合図と共に、今度はベテラン男性アナウンサーが画面に現れた。

『今日午前8時ごろ、神奈川県横浜市のある林道で、男性の遺体が2体並んで置かれているのが発見されました。遺体はどちらも20代前半と見られ、神奈川県警では現在身元を調査中だということです……』

「物騒だな」
流人はこの先を気にせず、TVの電源を切った。この近くで起こった事件でもなければ、身辺で死んだ人間もいない。赤の他人だ。それに、殺人事件なら毎日何件ともなく発生しているではないか。ニュースに取り上げられることがないだけで。
 いつもと変わらない平穏な日々。流人にとっては、これが普通の毎日だったのに。
 秋野冬雪に出会ったのは今から8ヶ月ほど前だった。その頃の彼は全く悩みなどない、余りにも普通で普段の生活が何一つ奇妙しくない、ただの中学生の1人だった。それなのにいつからか、彼は命の危機に晒され始めている。

――何故こんなことになったのだろう?

 そしてそれに、何故自分は巻き込まれているのだろう。
 彼を責める気は毛頭ない。ただ、彼が落ち着いた生活を取り戻しさえすれば、自分も同じように、前と変わらない生活に戻れるのだ。

――それが、本当に良いことなのか?

 彼が元の生活を取り戻す為には、夢見月家とStillの対立が治まる必要がある。その為には、何が必要か?
 夢見月家が全滅してしまえば、それは彼の死を意味することになる。これでは話にならない。
 ではStillが全滅するには?どれだけの規模なのか想像もつかないが、それにはかなりの年月が必要になる。それに、Stillには岩杉の生徒の1人もいる。これもダメだ。
 となれば、互いに和解するしか方法はないのだろうか?彼らにとって和解がどれだけ大変なことか―――流人には想像もつかないが、CE享受者というのはこの社会に於いては差別的に扱われている存在だ。流人の周囲にも多くいるが、もしCEを受けていることがバレてしまえば大変な事になりかねない。
 彼らがCE制度を作った夢見月家を恨んでも、それは当たり前の事だろう。

――ただ、流人にはこの社会が信じきれていない、それだけだった。

      *

「え?逮捕って、誰が?」
 5月24日木曜日、秋野家にて。冬雪は自分の部屋のベッドに座ったまま、藍田胡桃と携帯電話で話していた。
『銀一って人、ほら――先生のお姉さんの、旦那さん?さっきニュースで見てさ、どっかで聞いたことあると思ったらそうだったから』
「……何で?」
『人、2人殺したって。何でもStillの人っぽくて、襲ってくると思ったから殺した、ってさ。多分過剰防衛だな、この場合は』
冬雪はベッドに寝転がった。このまま寝てしまいたかった。
「2人……」
『なぁ、冬雪』
「ん?」
『初めてなんじゃないの?逮捕、された人』
 そう――今まで夢見月家の人間がどんな理由にせよ逮捕されたことはない。あれだけの事件を起こしていながらも、噂にしかならなかったり証拠がなかったりと、容疑者にこそなれ逮捕状は出ていないのだ。
「でも、別に奇妙しくないよ。多分、銀一さんも勢いでやっちゃったんだと思うし、銀一さん、元々真面目だから」
『真面目、なんだ』
胡桃は意外そうな声を出した。少し残念に思った。
「また梨子さん騒ぐだろうな……そんで、先生が項垂れる」
『そうかもなー』
何かしらの事件が起こると騒ぐ彼女の愚痴に付き合わされて、その翌日の岩杉は使い物にならない状態になる。授業だけは仕方なさそうにやるが、ホームルームは適当に済まされてしまうのだ。
『でもさ』
「ん」
『これから、どうなると思う?厳格兄貴も阿久津も、お前ンちのすぐ傍じゃん。いつ殺されるかも判んねェだろ』
「……怖いこと言うな」
『ゴメンゴメン。でも、気ィつけとけよ、俺の言うことじゃねェけど』
胡桃は最後まで笑っていた。普通なら、これで良かったのに。

 いったいどこで、彼と道を別けてしまったのだろう?
幼稚園の頃からずっと同じクラスで、割と近所で、仲も悪くない。幼なじみなりに互いのことを理解し合って、過ごしてきたのに。
 全ては、生まれた時から決まっていたのか?
 それが運命とかいうモノなのか―――今の冬雪には信じられない。

運命は絶対じゃない。

神は人の運命を定めたりなんか、しなければいい。

神が存在しているとも思えない。

人生なんて、これから変えられるんだろう?

もしそれが変えられないと言うのなら、

自分の意志なんて―――あったものではない。


 また、冬雪に辛い現実が立ちはだかっていた。


      2

 それから3日後の日曜日。霧島家の食卓では、いつものようにたった2人で食事をする兄妹の姿があった。
 ただ、その空気はいつになく重苦しかった。
「――本当の……コト、話してよ」
詩杏が口火を切った。神李は数秒、味噌汁を飲んでごまかし、椀を机に置く。
「…………話されへん」
「どうして?何でよ?あたし、兄さんの妹なのに……どうしてあたしには知らせて貰えなくって、周りじゃいろんなこと起こってるのに」
「詩杏に話したら、きっと怒ると思たからな」
「じゃあ、そういうコト、やってるんやね」
詩杏の口調がきつくなって、神李が一瞬たじろぐ。が、すぐに元の微笑を浮かべた。
「あぁ――そうや」
「そこまで言えんのに、何で内容言えへんの」
詩杏が白米を口に運びながら呟くと、神李もさすがにプライドを刺激された様子で「あのなァ」と語り始めた。
「何よ」
 詩杏が反抗すれば、神李はため息をつくだけになった。
「でも、大体想像つくよ」
「つくやろな」
「じゃあ話して?」
神李はまた黙り込む。
「……ふゆちゃんを撃ったのは兄さん?」
「何でそう思った?」
「何となくよ」
その詩杏の言葉に、神李は何も答えなかった。
「答えてよ」
半分、泣き掛けていただろうか。神李の表情が変わり、詩杏を哀れむようなものになった。
「――……ずっと隠してた。詩杏が生まれる前から、ずっとやってたことやから……辞める訳にもいかんかったし、かと言ってやり続けるのも危険。いつ明かすことになるかと思ってたんや。―――俺はそう、ヒットマンや」
「人を、殺す、しごと」
 詩杏は一言ずつ言葉を紡ぎ――その怖さを悟った。

―――ガタンッ!

「どうして今まで隠してたのよ!?どうして…………何も、あたしに何にも言わないで、毎日」
「詩杏!」
「どうしてよ……」
詩杏は顔を抱え込んで、彼のことを見ないようにした。
 途端に様々な考えが頭の中に浮かぶ。

――彼に……殺される?何故?

有り得ない。

――何故、今まで隠していたのか。

責められるのが怖かった?

隠していたら、余計責めたくなるではないか……。


「詩杏」
神李の声が耳に入る。
「…………あたし、しばらく帰らないから」
「詩杏!どこ行くんや!?」
「心配なんかせんといてよ?その内帰るわよ」
詩杏は食事を放り出して、玄関に掛けてあった財布の入った鞄を持ち、外へ飛び出した。家にいること自体が嫌だった。

 でも、今日のうちには帰るつもりだ。あまり、大きな事件にはしたくない。
 詩杏が行こうとしているのは岩杉の自宅――彼なら話を聞いてくれると思った。いつも冬雪と話しているから、そちらのコトにも詳しいはずだ。
 詩杏は何故か、必死に走っていた。何となく彼が――神李が追いかけてくるような、そんな気がしていたからだった。実際にはそんなことはなく、家の玄関は全く動く気配がなかった。
 十数秒ほど走って、岩杉の住む2階建てアパートが現れた。その正面には胡桃の自宅もある。詩杏はアパートの階段を上り始めた。確か、彼が住んでいるのは階段を上ってすぐの部屋―――。

 詩杏がインターホンを押すと、部屋の扉はすぐに開いた。日曜日で全く出掛けなかったらしく、整髪料を全く付けていない髪はいつもより長く見えた。前髪が目に掛かっている。そして、ここを直接訪れた事のなかった詩杏がいきなり現れて、彼は吃驚したらしい。しかも今は夜――何事かと疑うような目を向けた。
「あの――えっと」
「兄貴のことか?寒いだろ、上がったら」
詩杏が何を言っていいか戸惑っていると、岩杉は微笑んで道を開けてくれた。詩杏はそれを受け入れ、中へと入る。鳥の声がした。綺麗な部屋だった。
「大した物は無いだろ」
部屋を見回す詩杏に気付いたのか、岩杉は自嘲的に笑った。そして、机に広がっていた書類をがさがさと片付けた。
「インコ、飼ってるんですね」
「そいつは秋野から預かったヤツだ――街中で弱ってるのを見つけたけど誰のだか判らない、って言ってな。名前はピコ」
またも笑った岩杉は、部屋の中央に置かれた丸テーブルに着席した。正面を詩杏に勧める。詩杏はそこに座った。
「で。本題は」
「兄さんが、人を殺す仕事をしてるのは……知ってらっしゃるんですか」
「想像はしてる。実際そうなのか?」
「そう、みたいです」
詩杏は俯きがちに答えた。
「ふゆちゃんを撃ったのは、やっぱり兄さんなんですか?」
「そうだと秋野は言ってたが、まぁ真偽は不明ってトコだな。1人の証言にしか過ぎない……まぁしかし、あいつが霧島の兄貴を恨んでるとも思えないのが事実」
岩杉が言いたいのは、たかが冬雪1人が『神李が撃った』と言ったところで、本当にそうだとは言い切れないと言うことだろう。
「どうだかな」
「あたしは――……信じたくなかった。でも、兄さんはやり始めたら止まらない人で、きっとふゆちゃんのことを標的に選んだら、絶対、殺すまで追い掛け回すと思うんです。だから、心配で」
「秋野と、お兄さんを比べて、どっちが勝ちそうだ?」
「……判りません」
答えようがなかった。冬雪がどれだけやり手の人間なのか。詩杏には知る由もない。
「実のところ、俺も人1人、殺したことがある」
「え?冗談、ですよね」
「いや――……別に、冗談じゃない」
「そんな」
考えられない。こんなに真面目で、こんなに優しくて、いつも生徒の全てを理解してくれるような、こんな先生が?

 詩杏もさすがに、混乱し始めていた。

「人間はそんなものだと認識しておいてもらおうかな。大丈夫、殺したりはしないから安心していい。中学時代の話だ」
「中学校、で?」
「あぁ――……当時の俺は荒れてたからなぁ。まぁ、4組の奴らみたいな感じだと思っといてくれるといい」
 岩杉は煙草に火をつけた。この学年の、つまり3年4組と言えば、いったい何をやっているのか疑いたくなるほどのワルばかりで、いつか誰かが逮捕されても奇妙しくないとまで言われている。
「最初はちょっとしたケンカだったんだよ。ホント、何でもないケンカだ。それが発展して、相手の打ち所が悪かったんだな。死んじまった」
「…………」
絶句。答えようがなかった。いきなりそんな話を聞かせられて、感想を求められても困るものだ。
「――俺はまぁ、そんな大事にはならなくて済んだけどな……今考えると恐ろしいだろ。CEなんてそんなものかもな。まぁ、当時の俺はそんなこと知らなかったけどな。でも……秋野が勝つと思う。お兄さん、CEは受けてないんだろう?」

――いつもと変わらない、優しい笑顔だった。

「え」
「昨日、姉さんに調べてもらってな。秋野のヤツ、狙った的には百発百中ってくらいの射撃の腕前持ってるんだそうだ。信じられるか?」
「射撃?って、ライフルとか」
「娯楽なら良いんだろうが」
岩杉は紫煙を燻らせ、ため息をつく。

……娯楽でないなら?

それは何らかの恐ろしい行為。

「先生!何で……あたし、あたし……怖い、みんな怖いよ」
 詩杏は泣き叫んでいた。岩杉が、子供を諭すように、ゆっくりと言葉を紡ぎだす。
「少なくともお兄さんは、霧島に危害を加えたりはしないだろう。あくまでも彼の狙いは夢見月家の人間だ。秋野のことが心配なら、俺が何とかする。今日は帰ったほうがいい、そのほうが賢明だよ。明日も学校なんだからな」
「…………はい」
「宿題も忘れずに。じゃ、気を付けて帰れよ」
「はい」
何を話したのか、ほとんど覚えていなかった。
ひどく衝撃的なことを聞かされて、ひどく恐ろしい感情に浸った。
 それだけしか、覚えていなかった。

 外の冷たい空気が、詩杏の頬をかすった。


      3

 いつもと変わらず、中学校の時は刻まれていた。

 緑谷中の、3年5組の教室。男子生徒たちは未だ走り回り、女子生徒たちは互いに談笑する――……いつもの風景と、何ら変わりはない日だった。

 そこに、岩杉の姿はなかった。

 代わりに教卓に座っているのはボーっとした表情をした結城大亮。真新しい白衣を着ていた。数学の授業という訳ではない。では何だ?



―――HR。そう、最後のホームルーム。



 2008年の、春を迎えようとしていた。


      *

 それから半年以上、さかのぼると思う。

 2007年6月28日。

運命の歯車は、きっとここで、狂い始めた。


      4

 その日は何の変哲もない木曜日だった。

いつものように授業を受けて、いつものように帰ってくる途中。

 秋野冬雪はある場所へと向かっていた。

 昨日、彼の携帯電話に入っていた不審なメール。



―――そこで、全ては決まるのだ。



 冬雪はそう確信していた。

確実に、そう、今日でもうあの恐ろしい日々と別れる事ができる。

これで、落ち着いた生活を取り戻す事ができる。


たとえ、結果がどうなろうと―――。


       *


 冬雪はズボンのポケットに手をやった。固い感触。これさえあれば何とかなるかも知れない。何とか、凌げるかも知れないと持ってきたのだ。
 今日素直に家に帰らないことを決意していなければ、単純にポケットに入れたりなどしなかっただろう。これから決戦が始まるのだと認識してこその決断だった。

―――古ぼけた、誰も利用しないような、駅前地下駐車場。

 戦闘にはうってつけの場所だ。ほとんど誰も入ってこないし、暗いし、見通しは悪い。ここで今までに、何人もの人間が死んだらしい。冬雪は知る由もなかったが、それだけ多くの殺人者に利用された場所だと言うことだ。それなりの設備は整っている。

――コツ。

 中に入ると、足音が妙に響いた。冬雪はそれを少し気にしながらも、どんどん奥へと入っていった。

「!」

柱の影に、男が1人、隠れていた。彼は冬雪に気付いたらしく、素直に姿を現す。

―――灰色の髪をほとんど固めずに自然に下ろしている。色素の薄い瞳は遠くからでも認識できた。真っ黒なスーツに身を包み、左手には拳銃、右手には火の点いた煙草を持っていた。年は恐らく30代。

 冬雪は尋ねた。
「……貴方がオレを呼び出した?」
「いかにも」
 男は不敵な笑みを浮かべ、挨拶代わりか自分の横の壁をいきなり撃った。ものすごい騒音だった。
「菅沢一磨。普段はカズマ・グレイと名乗っている」
「了解。判ってると思うけど、オレは秋野冬雪。この通り、学校帰りだ」
「……勉強は大変か?」
「No, it isn't」
冬雪がそう言って笑って見せると、カズマは「それは良い事だな」と呟いた。
 そして、また本題に戻った。
「夢見月の中ではかなりの腕だと聞いている」
「そんなことはない」
「CE効果が最もあった人材だとね」
「…………?」
それがどういうことなのか、理解に苦しんだ。
 冬雪の答えを待たず、カズマは続けた。
「CEの完成形だとも言っていたかな」
「――まさか」
冬雪が条件反射的に否定しようとすると、カズマはすぐにそれを否定した。
「嘘じゃないさ。我々の中ではかなりの噂だぞ。CEについての話を、先日桃香本人から聞いたんだ。接触する機会があってな。
 CEと言うのは――いかに効率良く違法行為を行うか、そこに掛かっている。その為には、普段は何気なく暮らし、いざと言う時に力を発揮する。これが必要だと言っていた」
「普段は、何気なく?」
「君のように、一見そうは思えないのに、ってことだ。君が外界で暮らしたのは、CE環境のもと、『普通』を学び、また自分が『普通』でないことに気付くためだ。他にも何人か、完成形と認められる人間がいると言っていたな。確か、夢見月ではないと思ったが」
 カズマはそう言って考える仕草を見せたが、すぐにやめた。そしてまた、別の話を始めた。冬雪は何も言えなかった。
「君はかなり幼い段階で拳銃の使い方を学んだはずだ――それが君の最強の武器となり得るように。そして、その際に見た多くの衝撃的なものによって、精神を病んだ」
「……どうしてそんなことまで知っている?」
「全て桃香氏の情報だ。これから俺が君と接触する事を知って、彼女は全て教えてくれたよ――負けを認めたのか、それともその逆か」
そこまで言ったカズマは、またも不敵な笑みを浮かべた。
「――君がまともに学校に通えるようになったのは小学3年の頃。しかしそれからそう長く経たない内に、夕紀夜氏が亡くなったらしいな」
「それはみんな知ってることだろ」
「挑戦的に出たな。ところで君の家で今暮らしている、長髪の兄さんはどなただ?データにはない人間だが?」
カズマは何か、答えを求めると言う表情ではなかった。データにないと言っておきながらも、それが誰なのかはもう既に判っている、そんな表情だった。

―――白亜のことだ。

 答えることは出来ない。戸籍上ではそもそも赤の他人で、しかも死んだ事になっている人間の名を言う訳には行かない。
「――それは答えられない」
「ある人の証言によれば、それはかの龍神森冬亜に似ていたとか。まさか本人ってことはないだろうが、親戚関係にあることは確かかな?」
 どうして知っているのだ。本人が死んでいると疑わないところはまだ救いがあるが。
「貴方が龍神森冬亜の本名を知っているなら答えられる」
「……さすがにそれは知らないな」
「じゃあ残念、答えられません」
冬雪が僅かに笑って、カズマは不思議そうな顔をしてため息をついた。
「なかなか酷いな、君も」
「性格なので」
冬雪はズボンのポケットから拳銃を取り出した。カズマがそれを見て「へぇ」と呟き、にっこりと笑った。
「君が本気になったら恐ろしいよ」
「大人しい子は怒ると怖いんですよ」
「君が大人しい?」
「そう見えませんか?」
「……見えないね」
カズマはやけに正直だった。
「ご冗談を」

――パン!

 単なる威嚇の為。カズマは冬雪が銃口を向けた先に一応、という感じで目をやったが、そこにやはり何も残っていないことを確認すると、
「……空砲か?」
と尋ねた。
「えぇ。どこにでもある、エアガンってヤツです」
「それで人は殺せないだろう?」
「殺せません。本物なら」
カズマを刺激するのも目的。冬雪はデイパックから、青い巾着を取り出した。
 中に入っているのは当然、アレだ。
「常備用。弾丸の種類を調べても無駄です」
「小型だな」
「オレには丁度いい」
「…………早いところ終わらせないと。俺と君の銃声を聞いた人がいるかも知れないだろう?」
カズマはそう言いつつも、全く慌てた顔を見せていなかった。むしろこの状況を楽しんでいる、そういう感じがした。
「貴方たちの目的は、夢見月家を潰す事」
「そう。最終目標は桃香だ。しかし君のように腕の優れた人材がいるとなると――手強いね」
苦笑したカズマは、煙草を地面に落とし、火を消した。左手に持った銃をこちらに向ける。
「……オレはただの中学生です」
「さっき言っただろう。CEの完成形と」
「いえ。有り得ません。他の中学生と何一つ変わらない」
「ならどうして君は今、銃を握っている?」
「それは状況がそうさせているんです」
冬雪は右手のエアガンをデイパックに戻す。いつ撃たれたとしても奇妙しくなかった。しかし彼は撃たない。そう感じられた。
「思い出した、CEの完成形と謳われた人間。1人は冬村銀一だ、あれはすごいらしいな」
「彼は先日逮捕されましたよ?」
「あぁ、我々の仲間を殺した。夢見月には惜しいことだろうな。だが彼らにはもう1人重要な人間がいる、夢見月の名を持たない、CE導入家庭の一派だ」
「だから、どなたですか?」
半分イライラしかけていた。
「君が知っているかどうかは判らないが――岩杉諒也という」
「え」
まさか、こんな場で聞く名前か?それも――CEなどという恐ろしいものの、完成形だって?
「嘘、でしょう?」
「嘘じゃないさ。桃香氏本人が言ったんだからな。何だ?知り合いか?」
「…………担任」
冬雪はカズマを睨みつけた。彼は冬雪の言葉を聞くと、拳銃を下ろし、哀れむような目を向けた。
「それはまた大変だな。しかしそれももう今日で終わりだ、そうだろう?」

そしてカズマは再び、銃口をこちらに向けた。

「―――……それで今、オレを殺すつもりなんですね?」
「そういうつもりだ」
「残念ながら、そう上手くは行かなさそうですよ?」
冬雪の視界には、別の人物の姿が確かに入っていた。隠れようとしているが、見えてしまったものは仕方ない。
「何だって?」

―――パン!

 冬雪はその人物とカズマへの威嚇として、初めてその銃を使った。使い心地がいいと言ったらなんだが、銃を扱う人にとっては扱いやすい物だと思った。
「……俺を威嚇しているのか?」
「まぁある意味そうですけど」
冬雪は自分の持つ拳銃に弾を装填しながら答えた。柱に隠れようとする人物と、ふと目が合った。
「そろそろ出てきてもいいんじゃないのか?」
 冬雪はなるべく大きな声で、そいつに聞こえるように言った。カズマがそちらのほうに顔を向ける。

 そして、その人物は姿を現した。

 最初に反応したのはカズマだった。
「秀!どうしたんだ、1人でここへ来るなと言っただろう?」
「スミマセン、ボス――でも」
秀は何か言いたそうにしていたが、カズマにあっけなく否定された。
「状況を考えるべきだな。同級生に撃ち殺されたいのか?」
「いえ」
秀は素直に引き下がる。珍しいように思えた。
「だったら、素直にここで帰ろうと思わないか?」
 カズマは秀に、優しく笑って言った。こんな笑顔は初めて見た。少なくとも、さっきここへやって来た時から今までに、こんなに優しい顔などなかった。

 冬雪は2人の会話を聞いているだけで、何とも複雑な気持ちになっていた。
 秀がカズマの問いに答える。
「思いません。2人の対峙が、どれだけ僕にとって重要なことであるか――……ボスは判っていらっしゃらない。2人とも、僕には大切な人です。その2人が互いに銃を向け合って、どちらかが死ぬ状況に出会って――……帰れると思われますか?」
「あいつも、大切な人間か?」
「ええ」
「どうして……」
カズマがこちらに一瞬、顔を向けた時。

――パン!

冬雪の撃った弾はカズマのすぐ横の壁に当たった。狙い通りだ。2人が同時にこちらを見た。冬雪は2人を睨みつけ、秀に向かって言った。
「阿久津、やめとけ……オレはお前の味方じゃねェんだぞ?」
「それは判ってる。でも帰るわけにはいかない。秋野だって、これからどうするつもりなんだ?ここでもしボスを殺したりしたら―――」
秀は何故か、冬雪を心配するようなことを言い始めた。
 そんなことは―――必要ない。
「素直に捕まるよ」
冬雪が笑顔でそう言い終えるのと同時に、カズマの持っていた銃が一瞬、光ったのが見えた。それとほぼ同時に、右肩に弾丸が当たったらしいことが判った。すぐに痛み出し、血が滲んでいるのが確認できた。
「秋野!」
「平気」
 死にはしない。右手に持っていた銃を左手に持ち替える。そして、それをカズマに向け、尋ねた。
「どうして1回で殺さなかったんですか?」
「様子を見る為だ」
カズマは何故か、銃を下ろした。
「そんなことしなくても、1回で殺すほうが明らかに楽でしょう。さっきから言ってますけど、オレはただの中学生ですよ?」
言いながら、自分で何を言っているのかよく判らなくなっていた。
「お前だってさっき撃っただろう?」
「あれは阿久津に対する威嚇です。弾は使いましたけど。オレは銃撃戦はやるつもりありませんから、撃っても1回で終わらせるつもりです」
「俺も銃撃戦だけはやりたくない。1対1だしな」

――もう、耐えられない。

 ここで終わらせるしかない。あの手に出るしかない――そう、あの時と同じ、不意をついたあの手――。
「ところでカズマさん、オレが死体嫌いってこと、ご存知でしたか?」
「何だって?」

すぐに、引き金を引いた。

それは―――……自分でも驚くくらい、軽かった。


 呆然と立ち尽くしていた秀のすぐ横で、カズマの身体が崩れ落ちた。
「ボス」
秀が慌てて駆け寄ったが、すぐに諦めたらしくこちらを見上げた。


―――それは怒っているようで、怖がっているようでもあった。


 もう、終わったのだ。

 何も――怖いものはない。

 これでまた、自由な日々が戻ってくる。



―――違う、それは錯覚だ!



 冬雪はだんだんと身体の力を失い、銃を取り落とす。かろうじて出た声は、秀に、カズマに届いただろうか。

「―――……夢見月の人間は、誰もが冷酷で、無慈悲なんです」

 そして、冬雪もその場に崩れ落ちた。

 その後のことは、全く覚えていない。





―――起きたらまた、目の前には呆れ顔の葵が待っていた。



    Epilogue

 7月1日、日曜日。紅葉通の雑貨屋『日本人形』に居たのは、岩杉諒也と霧島詩杏、そして店主・三宮流人の3人だった。
「……藍田君、遅いですね」
「どうせまた見舞いにでも行ってるんだろう。別に大した怪我じゃないって言ってたけどな」
「岩杉さん行ってないんですか?」
「電話で話した。それで見舞いに代えるって言ったら、しょうがないって怒ってた」
「行くべきでしょうね」
流人が湯のみに茶を注いでいたまさにその時、店の扉が壊れそうな勢いで開いた。
「大変!」
そう叫びながら入ってきたのは予想通り、藍田胡桃だった。
「藍田君!遅れたのはいいが、お茶が零れただろう!?」
「ってそれ普通逆だから!そんなのはどうでもいいんだよ!なぁ、俺今さ、病院行ったんだよ、っしたらさ、葵さんが居てさ、」
「藍田、落ち着いて話せ」
岩杉が慌てふためく胡桃に指示する。胡桃は頷き、2回ほど深呼吸した。
「くるちゃん、何かあったん?」
詩杏が改めて尋ねた。
「そう―――……冬雪が、いなくなったって、そう、失踪したって」
「何だって?」
大人2人の表情と声色が変わった。
「本当なんだな?」
「う、うん」
岩杉の問いに胡桃が頷き、店内の空気は一変した。

―――どうしても暗くなってしまうのを、誰も防げなかった。

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