形と探偵の何か
Page.25 「傍線の喪失」




    Prologue

 人の居ない、嫌な雰囲気の漂うとある地下駐車場。

人も居なければ車も停まっておらず、しばらくすれば閉鎖されるであろうことは容易に想像できた。

そこから、人の話し声が聞こえる。

彼はその声の主を探る。

 そこでは、秋野冬雪がカズマ・グレイこと菅沢一磨と対峙していた。

「―――……それで今、オレを殺すつもりなんですね?」

「そういうつもりだ」

「残念ながら、そう上手くは行かなさそうですよ?」

「何だって?」


―――パン!


彼には拳銃の名前の知識などなく、冬雪が握っているのが何なのかは判らなかった。

ただ、彼が違法性のある物体を持っていて、それを今使った、それだけしか判らなかった。

「……俺を威嚇しているのか?」

「まぁある意味そうですけど」

冬雪は自分の持つ拳銃に弾を装填しながら答えた。

その視線がふと彼とぶつかって、彼は慌てて身を隠した。

「そろそろ出てきてもいいんじゃないのか?」

冬雪の、挑発するような声。
彼は自分のことを言われているように感じた――否、そうだ。

自分のことを言われている。

 彼は頃合いを見計らって、その空間に出た。

「秀。どうしたんだ、まだ1人で外に出たらまずいだろう?」

「スミマセン、ボス――でも」

「状況を考えるべきだな。同級生に撃ち殺されたいのか?」

「いえ」

「だったら、素直にここで帰ろうと思わないか?」

カズマは優しく笑って言った。

冬雪は見ているだけで何もしようとしない。

この間に撃ってしまえば殺せるのに、何もしなかった。

「思いません。

2人の対峙が、どれだけ僕にとって重要なことであるか。

――ボスは判っていらっしゃらない」

秀は正直に答えた。

「2人とも、僕には大切な人です。

その2人が互いに銃を向け合って、どちらかが死ぬ状況に出会って。

――帰れると思われますか?」

「あいつも、大切な人間か?」

「ええ」

「どうして……」


――パン!


硝煙の匂いが鼻についた。

冬雪の撃った弾はカズマのすぐ横の壁に当たっていた。

多分、わざと外したのだろうと思う。

それでも10cmほど――かなりの腕だと思った。

「阿久津、やめとけ……オレはお前の味方じゃねェんだぞ?」

「それは判ってる。でも帰るわけにはいかない。

秋野だって、これからどうするつもりなんだ?ここでもしボスを殺したりしたら――」

「素直に捕まるよ」

冬雪が笑顔でそう言い終えるのと同時に、カズマの持っていた銃が光った。

放たれた弾は冬雪の右肩にかすったらしい。

白の制服が赤く染まるのが見えた。にわかに彼が崩れかかった。

「秋野!」

「平気」

そう言いつつ、冬雪は左手に持ち替えた銃をカズマに向けていた。

「どうして1回で殺さなかったんですか?」

「様子を見る為だ」

「そんなことしなくても、1回で殺すほうが明らかに楽でしょう。

さっきから言ってますけど、オレはただの中学生ですよ?」

「お前だってさっき撃っただろう?」

「あれは阿久津に対する威嚇です。弾は使いましたけど。

オレは銃撃戦はやるつもりありませんから、撃っても1回で終わらせるつもりです」

「俺も銃撃戦だけはやりたくない。1対1だしな」

「ところでカズマさん、オレが死体嫌いってこと、ご存知でしたか?」

「何だって?」


乾いた音が、彼の耳に届いた。

彼のすぐ横で、カズマの身体が崩れ落ちた。

「ボス」

彼が駆け寄る――……弾は心臓の位置を見事に射抜いていた。即死だと思った。

 彼の視線の先には、寂しそうな表情をする冬雪がいた。

左手に持っていた銃を取り落とし、小さな声で呟いた。


「―――……夢見月の人間は、誰もが冷酷で、無慈悲なんです」


 そして、冬雪もその場に崩れ落ちた。


――彼には、何も出来なかった。


      1

 運命の日の、1ヶ月半前。秋野冬雪は悩ましげな表情の下、国語の授業を受けていた。今日の6時間目、これが終わったら帰ることができる。修学旅行を終えてから、今度は中間テストが何やらで、校内はいつになく忙しそうにしていた。そんなこととは関係なく常に忙しいと自負している冬雪にとっては中間テストなど二の次で、自分の置かれている立場をどうするものかと悩んでいた。
 そうする間にも授業は進んでいた。担当教諭でもある岩杉が板書を始める。冬雪も慌ててノートを取り始めた。何故この小説を、この教科書は取り上げて、しかも授業で使っているのか?冬雪は疑問符でノートを全て埋めてしまいそうな気分だった。

――佐伯葵「真実の夢」。主人公の水紀が見た夢の話である。舞台は異世界、いわゆるファンタジーだ。彼のデビュー作であり、同時に出世作でもある。
 同居しているとは言え、情けで流し読みしかしていない冬雪には、どの辺がいいのかすら判らない。
「ここ!ここの一文で作者が言いたかったのは、要するに何だ?えーとそれじゃ今日は7日だから7番、加藤」
「え……っと」
加藤が口篭もる。
「何となくでいいよ、そんな感じかなーと」
「え、水紀はまだ夢ってことに気付いてない、?」
「そうそう、それでいいんだよ。いいよな、そうだよな?『水紀はこれから一生どうして行こうかと考えた』そうだろ?」
教室のどこかから「あぁ」とかいう声が何度か聞こえた。
 そんなことはすぐに判る。葵の意思もあったものではない。彼は全てを適当に済ませるタイプだ。多分、この一文だってどうでも良かったのだろう。冬雪は岩杉の書く言葉を全て正確に写した。単なるテスト対策だ。
「ここでだ、水紀がこれを夢だと気付くのはいつだ、ってことで、さぁどこでしょう、霧島」
「えっと」
冬雪の横の席で、詩杏が教科書をぱらぱらめくり始める。教科書に載るには多少長い話だから、探すのも一苦労だ。
「82ページの3行目」
「82ページ3行目、うん、そう、それな。『ここで何をしようと水紀の人生が狂ってしまう訳ではない』。ここまでの間には、気付いたと確定できる要素はないから、この73ページから82ページの間に何があったかっていうのが、水紀に夢であることを気付かせる要因、ってことになるだろ?いいよな?それで、今日はこれからそれを探して行こうってことなんだけど、長いから2回に分けような」
2年間聞き慣れた岩杉の声が教室に響く。いつも通り静かな3−5の教室が、余計に静かに思えた。

 昔、葵にこの作品について話を聞いた事があった。
 この話は元々、葵が中学生の頃に書いた話で、それを後からリメイクしたものだと言っていた。中学生の時分、葵が酷く追い詰められる状況にあったということも言っていたが、具体的な意味は判らなかった。それでも思い出の作品であることは確かだったらしい。

 父親である有名作家・新海碧彦と母親、久海花梨が事件に巻き込まれて亡くなった年、葵はこの作品をとある新人賞に応募した。そして一発で最優秀賞までのし上がり、彼はデビューを果たした。
 その賞は結構有名だったから、その時点でもう既にかなり売れていたらしい。葵が新海碧彦の息子であることは、誰も気付かなかったはずだった。しかし、新海氏の知り合いから人伝に話は伝わり、佐伯葵が新海碧彦の息子であることはすぐにバレてしまったらしい。

 バレてしまってからは爆発的大ヒットを生んだ。葵はそのおかげで今の地位を得て、同時に秋野家の生計も立ててもらっている。

 冬雪は教科書に載っている葵の写真を見た。著者近影に載っているような楽しげな物ではなく、証明写真みたいなもので、それもモノクロの写真だった。
 彼はデビュー以前から――多分高校生の頃から――金髪にしていたからこの写真の時もそうなのだろうが、モノクロなので黒ではないことぐらいしか判らない。これは教科書会社が頑張ったのかも知れない。

 略歴には『1982年生まれ。作家。父に新海碧彦を持つ。浜桜大学文学部在学中の2000年、「真実の夢」発表。代表作に「光栄の証」「紀屋楓季、風に出逢う」など』と簡単に書かれていた。
 ちなみに紀屋楓季(きのや・ふうき)シリーズは未だに続いていて、件の沖縄とかフランスはこのシリーズの1つだ。しかもモデルが冬雪ときたから頭に来る。実際の人間を行かせろ、と不満が募るばかりだった。

 しばらく岩杉の話が続いて、チャイムが鳴った。授業が終わり、学級委員の声で起立、礼、着席、がいつものように行われた。岩杉はそのままホームルームを始めた。
 そして、1日が終わった。冬雪はいつものように机と椅子を後ろに下げてから、鞄を背負って素直に帰ろうとした。
「ちょい待ち、秋野」
「な、何?」
岩杉がホウキを片手に持って冬雪の鞄を掴んでいた。冬雪は振り返り、彼の表情を窺う。意外にも彼は笑顔だった。
「これを頼みたいんだ」
「原稿用紙?んなの、オレ書かないよ」
「お前が書くんじゃない」
「じゃあ誰?」
「葵さんだ。せっかく身近にいるんだし、3−5に直筆メッセージでもくれないかと思ってな」
岩杉は楽しそうに笑いながら言った。緊迫感のまるでない、優しい笑顔だった。冬雪は白紙の原稿用紙を受け取り、「とりあえず書かせてみる」と笑い返した。あの面倒くさがりの葵が素直に書いてくれるかどうかは判らないが、やってやれないことではない。冬雪は原稿用紙を鞄に仕舞って、再び教室を飛び出した。

――岩杉の寂しそうな視線に気付かず、彼と自分の状況を忘れたまま。

      *

「――誤魔化しにもならないな」
 岩杉諒也は黄と緑のインコの姿を眺めながらため息をついた。
(この状況の打開策としては何だろう?)
インコはピィと一声鳴いて、動いた。
 岩杉の姉・梨子は、買い物途中に車に轢かれて今も重体だ。意識はまだ戻っていない。いつ戻るのかも知れないし、戻らないかも知れない。その時には諦めよう、岩杉の中には既に覚悟は出来ていた。ここで姉が死んだら、残るのは自分ただ一人になる―――両親は岩杉が晴れて教師になった年に死んでいる。実家に今住んでいるのは祖父母で、大して帰らないから疎遠な生活を送っているが、どうして若い人間ばかりが死ぬんだ、と正月に2人が言っていたのを覚えている。
「秋野に掛けるかな」
岩杉は机に置いてあった二つ折りの携帯電話を取り出して、彼の携帯の電話番号を押した。普通なら生徒の携帯番号を知っている担任など滅多にいないだろうが、この場合は特別だ。事態が事態である。先日すぐに連絡が取れるようにと、互いに番号とアドレスを教え合ったのだ。取り留めのない話を彼の方からメールしてくることもあるが、基本的には何か起こったときのための対策だ。時々彼から宿題を教えろとのメールも来る。それはとにかく断って返す。クラスで一番の成績を取る彼だからこその選択だ。

――トゥルルルルル、トゥルルルルル……。

無機質な電子音が続き、4回目のコールで電話が取られた。
『もしもしっ』
「秋野か?岩杉だ」
『先生?どうしたの?』
「あぁ……何だ、原稿用紙のことだけどな」
『あ、まだ葵がバイトから帰ってきてないから渡せてないけど』
冬雪は普通のトーンの声で言った。
「いや、別に渡さなくて構わない、ただの冗談だったから」
『冗談?何で?』
彼の声は高く跳ね上がった。多分何の疑いもなく、岩杉の言葉を受け入れていたことの象徴だろう。これでは――……生きていけない。
「状況はこっちもそっちも良いもんじゃない。それは判るだろう?俺だってまともに授業やってるように思えるかも知れないが、実際にはそんなもんでもないんだ。姉さんがいつ死ぬかも、いつ目を覚ますかも判らない。精神はズタズタだよ」
『…………明るくしようと努めた?』
彼の声のトーンが一気に下がった。真剣に話し始めたからだろう。彼の声は感情で簡単に上下する。そして、それを見分けるのは物凄く簡単だった。
「あぁ――……俺とお前の関係を険悪なものにはしたくない。仮にも担任と生徒の関係だ。ここで関係が悪くなったら、取り返しのつかないことになりかねない」
『そんなのは、いつも同じだよ。オレが仮令夢見月の人間であろうと、なかろうとね。先生が、CEを受けていようがいまいが……バレたらやばいって言ってたよね?』
「――それが何か?」
先日の修学旅行での1コマが言いたいのだ。
『バレたら先生、クビになる?』
「なるだろうな。少なくとも、来年以降はこの学校に居られなくなる」
『けどさ、梨子さんがもし死んだら、TVで報道されるよ?それで学校休んだりしたら、きっと何かしら疑われる。オレなんかもう知れ渡ったじゃん、学校中』

 そう――……先日、彼の弟の鈴夜がY殺しに殺害された事件の際、岩杉はクラスにだけ彼の秘密を明かした。しかし噂は広まるもの、彼が夢見月の人間であることはもう既に学校中の人間が知っている。幸い、その噂にはついでがあって、彼が悪人でないという話も同時に広まった為、今のところ問題は起こっていない。PTAからも最初は抗議されたが、彼が何の問題も起こしていないことを学校が説明し、何とか今は治まっている。

「あぁ――そうだな」
『先生の親ってもう死んだって言ってたよね?』
 冬雪は鋭いところを突いて来た。親がいない。つまり梨子の親族インタビューの候補として上げられる可能性があるのはまず自分なのだ。勿論祖父母のところにだって行くだろうが。
『メディアって、怖いよ』
 彼の声は更に低くなった。実際に被害に遭ったことがあるのだろうか。岩杉は失礼だと承知してそれを尋ねた。彼は一呼吸ほど置いてから、ゆっくりとした口調で答えた。
『母さん、有名人でしょ?ほら、家出したって言う…………あの話、前に聞いたことがあるんだけどね。家出した理由は、みんな「夢見月家に嫌気が差したから」だって思ってる。TVが、そう言ったから』
「――そう、だな」
岩杉は素直に頷いた。自分が知っていたのも、それと同じだったからだ。
 秋野冬雪は、辛そうに言った。
『母さんはそんな理由で家出したんじゃない。夢見月家に飽きて、外の世界に出てみたいって言い出したんだ。――雪子は、そう言ってた』
「飽きた……?」
『夢見月程度の犯罪じゃ気が済まない。自分は人に言われて殺人をしたい訳じゃない、だったら自分一人で生きていく。それが母さんの考え方だった』


それは―――……恐ろしくて酷くて惨たらしい、彼の母親の言葉だった。


「バカな!そんなことを言い始める人間が、無償でペット探偵などの仕事を始めると言うのか!?」
岩杉は無意識の内に叫んでいた。冬雪は咳払いをして、正確に返答した。
『母さんはそれを誤魔化すためにペット探偵を始めた。オレや鈴夜に隠れて、裏では何人もの人を殺してた。夢見月家に殺人依頼が回る前に、先回りして――……。オレは何も知らなかった。そんな人間の子供だってことも、何も知らなかった』
「そ」
岩杉は二の句が告げなかった。夢見月家の中に於ける数少ない良心を持った人として有名になったはずの彼の母親は――……その全く逆、極悪非道極まりない悪党だったと言うのか?そしてその息子である彼は、その表向きの態度とは全く別の性格を持っているのだろうか。
『先生』
「な……何だ?」
『これでも、オレを信じられる?オレに全てを明かして、仲間として付き合える?もしかしたら、校長にチクるかも知れないよ?先生が、CE受けてるってコトさ』
秋野もとい夢見月冬雪は、ひどく辛そうな声で、しかし威勢のある声で訊いた。簡単に頷くべきことだったと思う。しかしこんな話を聞いてしまった後では、すぐには頷けない自分がそこに居た。岩杉は答えられず、十数秒のブランクがそこに生まれた。
『…………先生、答えて』
そう搾り出すように言った彼の声は、今にも泣きそうな声だった。
「――信じる、信じるよ。ここで誰も信じられなくなったら終わりなんだ。死んだのも同然なんだよ」
『ホントに?』
「あぁ――そう、本当だ」
『良かった』
彼はいつも通りの明るい声に戻った。多分、この答えを彼が求めていたのだろう。自分が仮令悪人の子だったとしても、決して自分を否定されたくない、そういう気持ちがあったのだろうから。
 岩杉は通話を終えた。突然こんな話をされたからか、妙な心境になっていた。彼が今どういう気持ちになっているのかは、岩杉には想像することは出来なかった。

      2

「――悪い報せや、秀君」
霧島神李は奇妙な笑みを浮かべながら言った。
「何ですか?」
秀は何も知らず、素直に尋ねた。
「来駆が殺された。――あの夏岡雪子にな」
神李の声は、力強く、そして、恐ろしかった。
「来駆が……?」
秀が信じられずに訊き返すと、神李はため息をつきながら、頷いた。そして、
「ボスもちゃんと認めてる。困ったな、こういう状況で戦力を失うのはまずいんやけど」
と言った。呟きに近かったかも知れない。秀はまだ信じられず、何も言えずにその場に立ち尽くしていた。
「――……カン、さん」
「何や?」
神李は笑っていた。何故この場で笑うことが出来るのか、秀には理解出来なかった。

――仮にも、大切な仲間を亡くしたと言うのに。

「何とも思わないんですか?来駆がいなくなっても、それはただ、一人の兵がいなくなったことだとしか認識出来ないんですか?」
「え?あー、うーん……そうやなぁ、この仕事し始めてからは、味方が死ぬこともしょっちゅうやったからなぁ」
神李は平然と言い放った。彼が大阪支部に居た頃のことを話しているのだろうが――哀しみの欠片も感じられない話し方だった。
 秀は思わず拳を握り締めた。
「それがどうした?秀君」
「どうして平気なんですか―――……確かに貴方にとって、来駆はまだ短い付き合いの人間だったかも知れませんけど――僕にとっては、ホントに大切な人だったんです」
秀は必死に訴えかけた。ここで反応を見せて欲しいと、願う限りだった。
「そやろな」
「その言い方が嫌なんですよ!――人の気持ちも判らないで、人のことを統制出来るとお思いなんですか?そんなの……心外です!そんなに酷い方だとは思っていませんでした」
秀が感情を全てぶちまけると、神李は意外にもその全てを受け入れてくれた。
「そう。俺は酷い人間や。人の事も、何も判ってない。しかしなぁ、秀君?こういう仕事をしている内には、人間みんな、そうなってまうものやで」
神李は何でもないことのように、笑いながら言った。
「――秋野を撃ったのも貴方でしたよね」
「その通称は使わないと決めたやろが」
「あだ名だと思ってください。――そうでしょう?」
「あぁ、そうや――それが何や?何が言いたい?」
 神李の口調は彼を撃って何が悪いと、何がいけないのだと言っているように感じた。実際、そうだったと思う。秀はそれに反論しない訳にはいかなくなっていた。珍しく、自分で自分を統制出来なくなってしまっていた。
「――……どうして勝手に動くんですか?作戦があるなら僕や来駆にも教えてくださらなければ、次の行動を考えられないでしょう!」
「どうしてそんなに怒るんや?もしかして秀君、君は」
神李が言葉を発す前に、秀は堂々と宣言した。
「僕にあいつを殺すことは出来ません。確かにあいつは恨むべき夢見月の人間です。しかもいつでも殺すチャンスはある――……でも、それを実行に移すことは出来ないんです。どうしてかは、自分にも判りません。あいつ以外の他の奴らなら、いくらでも殺せるのに」
神李はその言葉を聞いて、ため息をついた。
「秀君……思った通り、あんたはあいつのことを好いてるんやろ。自分ではそのことを自覚していないかも知れん……実際にはそうや。
 教えたろか?今度、あいつを殺しにボスが出動することになってるんやで。ボスやぞ、ボス。Still最高地位に立つボスが、たかが中学生一人の為に重い腰上げるんやぞ。すごいことやと思わんか?そんだけあいつは、力を持った奴ってことや」
「…………」
秀には答えられる道理がなかった。神李は尚も続けた。
「俺も実際張り合ってみて判ったけどな。あいつはホンマにすごい力を持ってる。精神力もかなりのモンやった。何回も会っとった俺に対して、すぐにStillの人間ってことを認めた。しかも自分から言ったんやぞ。何でそんなことが出来ると思うか?
 あいつはな――……今な、人を信じることが出来ひんねん。それは秀君、あんたに対しても同じや。いくら同級生やって言うても、いつあいつが銃口あんたに向けるか判らんぞ。仮令あんたが、あいつのことを好いてるとしてもな」
 神李が答えを求めているのが判った。これまで秀が訴えたこと全てを撤回するように、彼は話しているのだ。
 そんなことを認めてたまるものか――秀は珍しく、自分の心を信じきっていた。
「今秋野が人を信じられなくても、今の僕なら誰もを信じられる」
秀は一言、呟くように言い放ち、その場を逃げるように走り去った。
 エレベータに乗り込み、ボタンを必死で押しつづけた。ようやくドアが閉まり、1と書かれたボタンを押す。エレベータが動き始め、ぐんぐん降下していくのを感じた。



――――……・・ぐんぐん?



 秀の頭の中が真っ白になった。

(…………霧島神李は最初から……全て判っていたんだ)

最後の足掻きなど無駄だ。

もう、何も考えたくなかった。


      *

 その夜岩杉諒也の元に届いた連絡は、全てがとんでもないモノだった。

 1つ目は、冬村梨子が目を覚ましはしたものの、記憶の一部が飛んでいるらしいという連絡だった。銀一からの電話だった。
 2つ目は、阿久津秀が落下するエレベータに乗っていて、どうやら大怪我をしたらしいという話。大怪我と言っても右腕を骨折したとかで、文字を書けないこと以外は生活に支障はないそうだ。

――ただ、人々の平穏な生活が、ぐしゃぐしゃに崩れ去っていくのを目の当たりにしながら、自分に何も出来ない悔しさが胸にこみ上げた。


    Epilogue

幸せを求む全ての人は

自分が充分な幸福を得ている事に

全く気付かないまま

自分は不幸せだと勘違いして

一生を終える

それが何度も繰り返されて

理想は高くなり

人々の手に届かない場所まで

上っていってしまった

人々はそれを手に入れようと

右往左往する


――本当の幸せに気付かず、

  ―――偽物の「幸せ」に惑わされて。

+++



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