形と探偵の何か
Page.24 「虚偽の生活」




      1

「そうか――……流人とな。判った、スケジュール調整はしておくから、行けそうだったら知らせる」
「ありがと。ね、先生」
「何だ?」
「――先生もCE受けてるって、ホント?」
「流人の入れ知恵か」
岩杉は舌を鳴らした。肯定の意らしい。
「俺も最近になって聞いたんだよ、祖父さんから。ここは許すが、学校で言うなよ。大概の大人はCEが何かってのは知ってる。無論、俺もだ。もしお前が口滑らしたりしたら、俺もお前もどうなるか判らないぞ」
岩杉は大げさな顔をして言った。冬雪がすぐさま反論する。
「オレは何にもならないよ。公立中の生徒だもん。退学には出来ないもん」
「…………相変わらず減らず口だな。さっさと寝ろよ」
「はーい」
冬雪はスリッパをパタパタ鳴らしながら部屋へと走った。部屋の扉を開け、スリッパを脱ぎ、畳の上へと上がった。
「ただいま」
「何してたんだよ?そろそろ見回り来るぜ」
「うん」
胡桃の言葉に冬雪は笑って頷き、班員によって敷かれた布団を一枚確保した。
「明日はお前も布団敷くの手伝えよ」
「手伝うよ。今日は偶々オレが用事あったってだけ」
「用事も何もあるかってーの。よっし、寝るか」
胡桃はそう言うと、笑って布団の中に潜り込んだ。そして、すぐに寝息を立て始める。
「藍田ってば早ェな。秋野」
「ん?」
「どうする?トランプやんない?」
班員からのお誘いだ。やっても構わないが――。
「んー……悪ィ、オレも寝るわ」
「判った。じゃあ3人でやっか。阿久津ももう寝てるし。おやすみ」
「おやすみー」
そして、冬雪も布団の中に潜った。目を瞑る。眠りに、堕ちていった。

――……そう、これは修学旅行。中3生の1大イベントでもある。しかし今はゴールデンウィークでやけに早い。ゴールデンウィークに重なるのは、生徒にとっては苦痛だ。しかし冬雪にとっては東京でのややこしい日常から離れられる束の間の休息時間になってくれる。阿久津がいるにしても、この場でそんな会話をする訳でもないし、ただの班員としての付き合いしかしない。そんなものだ。
 そして、夜の劇場が始まる。

      *

 冬雪の視界に入っているのは、いつもと変わらないリビングだった。ソファに誰かが座っている。誰だろう?冬雪は傍へ寄った。

――栗色の髪を肩まで下ろした女性。そしてまだ幼い、黒髪の少年。

(母さん)
無意識に脳はそう呼び掛けた。女性は振り返り、優しい顔で「何?」と訊く。冬雪には――……答えられない。
『どうしたの?』
彼女は不思議そうな顔をして、もう一度尋ねた。
『――……奇妙しいよ。奇妙しいよ、母さん』
自分でも何を言っているのか判らなかった。その声に幼い少年が元気よく振り返って、嬉しそうに笑う。最後に見た彼と同じくらいの年代のはずなのに、妙に子供っぽく感じられた。
『お帰り兄ちゃん、どうしたの?』
冬雪は答えたくても答えられなかった。

―――どうしてここにいる?

 居てはならない者。ここに居てはならない者。彼らはもう既に――……死んだのだ、既に死んだ者なのだ。では何故、実際にこうして会っているのだろう?仮令夢だとしても、居てはならないような気がする。誰か、誰か帰ってきてくれないか――――……。

 冬雪が床に座り込んでため息をついたその瞬間、何かの衝撃があった。

      *

 冬雪は、班員に起こされて目を覚ました。
「…………もう6時かよ」
 やけに変な夢を見た―――……否、変ではないのかも知れない。弟が死んでからは、まだ1週間しか経っていない。何も奇妙しいことはないのだろうか。とすれば、冬雪は彼らのことを思い出して、一緒に過ごしていたいと願っているのだろうか。
 冬雪の前に父は現れた。それは確かに嬉しかった。しかし、彼は今までのブランクの期間を埋めることは出来ないのだ。突然現れた謎の人間に、自分の全てを曝け出すことなど出来ないのに、それをしろと言われても困る。勿論、彼を信用していない訳ではない。彼は確かに味方になってくれるし、冬雪のことも、母親のことも理解している。父親として認めることは出来ても、それ以上の関係を望めない。――……辛かった。
「朝飯何時だっけ?」
「7時ー」
 班員たちの何気ない台詞が耳に入り込んでくる。冬雪はとりあえず制服に着替えながら、1人で今日の夢の反省をした。ネクタイを締める。ひとりでにため息が零れる。
「冬雪?」
胡桃の声が聞こえた。
「ん」
「――何か考え事か?」
「え、いや、別に」
冬雪が曖昧に答える。
「どう見ても考えてたね。僕もそう思うよ」
「阿久津!」
「―――……気にしなくていいから」
冬雪は2人の攻撃を振り切って自分の作業に集中した。

 修学旅行には朝礼と言う名のラジオ体操がなかった。そして食事は自分の部屋で取れる。朝の冬雪には最高の日程だ。起きる時刻が早いのは玉に瑕だが、それはいつものこととして諦めるしかない。
 朝食の準備も終わっていた。
「冬雪、調子悪ィのか?」
班員の1人――森川という――が言った。
「へ?な、何で?」
「何かそんな気がしただけ。別に」
森川はへらへらと笑って自分のスペースに戻った。そんな顔をしていただろうか。冬雪はため息をついた。
「けどよ」
 突然、胡桃が真剣な顔をして声を発した。手にはTVのリモコンが握られていて、電源を入れているが、意識はそれとは違うところにある。
「ん?」
「――訳判んねェ。お前が夢見月だって話聞いたときは、さすがに吃驚したけど、こんな大事になるとは思ってなかった。そしたら鈴は殺されちまうし、先生とか流人さんの妹とか……何も判んねェ」
「だから胡桃は関わらないほうがいいって言ったのに。危険で、面倒で、とんでもなく長い鬼ごっこだって」
「悪ィ。でも、関わらないわけにはいかない気がしてた。俺がただの傍観者で居たところで、お前の状況は変わらないし、変わったとしても心配することしか出来ないだろ。どうせ関わるなら徹底的に関わりたい」
「――その意識は胡桃らしいよね。あ、射手座1位じゃん、やった」
冬雪は一気に話を終わらせた。全く関係のない方向――TVの星占いだった。胡桃はしばらく画面を眺め、占いが終わってからボソッと一言だけ漏らした。
「……蟹座は11位、か」
「へへっ。残念だったなー」
「うるさい」
冬雪がからかうと胡桃はさっさと朝食の席へと移動し、
「おっし!今日はオムレツかー」
と、嬉しそうに、豪快に笑った。何も心配はいらないことは、明白だった。

      2

 帰宅前日の、終礼だった。冬雪は岩杉に呼び止められ、また不吉な話を聞かされた。
「――……犯行声明が、Stillから?」
「あぁ。姉さんから携帯に連絡が来た。気を付けるんだぞ、屋敷に住まない誰かを殺すっていう設定になってたからな」
「それ、オレじゃんか」
「だから言ってるんだ。気を付けろってな」
岩杉はいい加減に答えた。現実にはそれどころではない。修学旅行から帰ったら殺されるなんて、馬鹿らしい事この上ない。
「……先生てば、酷いよ」
「俺だって困ってるんだよ。だから、絶対殺されるなよ。殺されたら承知しないからな」
「何でオレが責められなきゃなんないんだよ?」
「別に責めては居ないじゃないか」
「まーね。あはは。お休み、先生」
「おぅ。ちゃんと起きろよ」
岩杉は火のついていない煙草を指に挟んだまま手を振った。冬雪もそれに振り返して、自分の部屋に戻った。
 殺される可能性があるのは自分だけではない―――雪子や、その家族という可能性も充分にある。だからこそ、この報せは困ったものなのだ。屋敷に住んでいない人間、それは平均して冬雪とは仲の良い人間が多いのである。
 だとしたら、何としてでも今度の襲撃を回避しない訳には行かず、そして襲撃を回避出来たとしたら、最終的にはこの戦争を終わらせなければならない。終わらせるためには敵を倒すつまり、殺さなければならない――その場で。
 今の冬雪に出来る所業ではないことは判っていた。絶対に無理だ。死ぬことに抵抗はなくても、人を殺すとなれば話は別だ。
 

――死ねと言われ実行するのと、殺せと言われ実行するのと、人はどちらが楽なのだろうか?


 冬雪には、その答えを出している暇などなかった。


その回答が可能なのであれば、その人物は狂っている――……そんな気がした。


       *

 新幹線の中で散々寝た上、東京駅から新宿へ移動してそこから私鉄に乗っている約20分間、冬雪はほとんどの時間を睡眠に費やしていた。横で胡桃と阿久津がマンガや本を読みながら呆れていても、全くお構いなしだった。
 緑谷駅で3人が降り、大荷物を肩に持ちながらゆっくりと移動した。そして、阿久津は最初に2人から別れた。そして、冬雪の家の前で胡桃も別れる。そして、バラバラになった。冬雪が家の門を開けようとし、
「よぅ、お帰り」
「え?」
「詩杏まだか?まぁどうせ女子らとぺちゃぺちゃ喋ってるんやろうけどな」

――霧島神李。詩杏の兄が声を掛けてきたのだ。
 冬雪は素直に答えた。
「まだ、みたいですけど……電車では会いませんでした」
「そうか。なら好都合や」
神李は嬉しそうに笑った。

しかし、言っている意味は理解出来なかった。

……何が、好都合だと?

「髪色は薄茶で長め。瞳は青紫。垂れ目で龍神森冬亜似の顔立ち。銀縁眼鏡、背は150cm台。動きは俊敏―――……ぴったりやな」

――パシュッ。

左の二の腕に痛みが走った。慌てて彼のほうを見れば、その手には見たことのある物体が握られていた。

(…………銃?)

「何も言わんで悪いな。こっちにも事情はあるんや」
「…………あんたもStillのヤツだったのかよ?」
「勘の良いガキやな。まぁ俺も、こんな街中で殺人犯すほどの度胸は正直ない。これは挨拶代わりってことで。それから警察にチクるような真似はしないこと。夢見月のクセに警察を頼るなんて、そんなことは出来ひんやろ?それと、詩杏に近付かないこと」
「は?」
正直、もっと意味が判らなかった。意味のない会話をする間にも、怪我の様子が気になって仕方ない。
「お前、俺がどんだけ詩杏を大切にしてるか判ってるやろが。それが何や、宿敵夢見月の人間に近付かれて、俺が黙ってるはずがない」
「…………霧島、他にもいっぱい狙われてるんだけど」
「……そりゃ困ったな」
神李は本当に困ったような顔を見せた。
「勝手に困ってて下さいよ。オレは帰りますからね。それと」
「何や?」
「――阿久津も霧島の事は気にしてます。それも、かなり。Stillの仲間として妹さんを彼に渡す気がありますか?」
冬雪は門に手を掛けた状態で訊いた。
「そんなもんない。あの子は嫁にはやらんぞ。シスコンと言われてもしゃーない。シスコンやねんからな」
神李はケラケラと笑った。今さっき人を撃ったということさえ、彼の記憶の中にはないようで、楽しそうに笑った。こんな人間が――詩杏の兄だと言うのだろうか?世の中本当に判らない、と冬雪は思った。
「――それじゃ、またいつか」
「おぅ。次会う時は覚悟してることやな」
「判ってますよ」
冬雪は門を開けた。急いで庭を横切り、インターホンを押して、家の人間が出てくるのを今か今かと待つ。こんな手では荷物は持てない為、外に置いてある。
 現れたのは予想に反して梨羽だった。
「お帰りなさい――……冬雪、どうしたんですか、その腕!?早く上がってください、それから荷物は?」
「荷物は門の外にある、ゴメンな、梨羽」
「いえ、大丈夫です。白亜叔父様のところへ行って、まず診てもらってくださいね」
「うん」
指示に従い、まず階段を上る。リビングにいるだろうから、と扉を開けた。
「父さん」
「お帰り……何、どうした?」
「外で撃たれた―――Stillのヤツに」
「それだったらまず病院だな」
白亜はそう言って救急車を呼んだ。

 冬雪はそのまま病院へ向かい、とりあえず治療を受けてから帰宅すると、既に時刻は9時を回っていた。
「…………面倒なことになりそう」
「先生にちゃんと相談しておいて下さいね。これで1人で抱え込んでも大変ですよ」
「でも、先生に言っちゃったら」
「平気です。先生ですよ?梨子さんの弟さんでしょう?」
梨羽はにっこりと笑って言った。珍しく、怖く感じなかった。
「……判った」
「そうして下さい」
梨羽は包帯を少し直してくれた。
「制服、次に学校行く時ははもう一枚のほう着てって下さい」
「うん――……梨羽」
「はい」
「どうすればいいんだろう」
 今まで出会ってきた敵は――……単なる敵でしかなかった。Y殺しも、阿久津秀だって、ただの敵だった。けれど今回は違う。仮にも冬雪が気にかけている同級生の女子の兄。容易に対抗すること、ましてや殺す事など出来ない。霧島詩杏が両親を亡くして、兄を唯一の身寄りとして大切にしていることは承知している。冬雪にだってその大切さは判る。それを無くして、苦しんだのはつい最近のことだ。
 もしその彼を殺してしまったとしたら、彼女は少なくとも、この町を出て行くことになるだろう。――冬雪を、恨んだまま。
「先生たちに相談してください。貴方1人で解決できる問題ではないんです。判っていらっしゃるでしょう?」
「判ってる、けどさ」
「判ってらっしゃるなら、速やかにそう動くべきだとは思いませんか?後でお兄様と白亜叔父様も交えて話し合いましょう。ね?」
「…………うん」

――その時、リビングの電話が鳴った。

      3

「はい、はい――判りました。伝えておきます。はい、失礼します」
梨羽は受話器を置き、こちらへ戻ってきた。
「誰?」
「雪子さんです。その――」
「何?」
「襲ってきた男を、殺してしまった、って」
「え」
「本人は正当防衛になって欲しいと仰ってました。向こうが突然ナイフで襲ってきたから、抵抗して」
「…………男って言ったからには、阿久津じゃないよね」
「ええ、それはそうでしょうね。ちゃんと警察にも届けたようですし、ちゃんとした司法が適用されることは間違いないでしょう」
「雪子初の逮捕かな」
冬雪は冗談っぽく言った。梨羽は寂しそうに答える。
「そうあって欲しくないですね」
「人殺したのは確かだろ」
冬雪がそこまで言ったところで、リビングの扉が開いた。現れたのは相変わらず金髪の葵で、風呂上りであることはすぐに判った。
「お、お帰りふゆ。大丈夫か?」
「うん、平気。葵こそ仕事は?」
「ちゃんとやってるだろ?だから白亜叔父がせっせと働いてくれてるんじゃねェかよ。俺のとんでもない変換間違いを直してくれてるんだ。有り難いな」
「ホントだよ、葵。間違えすぎだ」
「うわっ!白亜叔父っ、急に登場するなっ」
「仕方ないだろう。さ、家族会議でも始めるかな」
白亜は優しく笑って、ソファに着席した。葵も続く。
 白亜がまず口を開いた。
「――……僕は香子さんの秘書をしばらくやらせてもらっていた。だから、Stillについてもそれなりの知識は持っているつもりだ。あの家で重要なことは、香子さんと桃香さんがほとんど握っていたからね」
「そっか。白亜叔父、あそこに住んでたんだっけ」
葵が意外そうな顔を見せた。
「そう――そうだ。Stillは当初、CE制度を作った夢見月家を恨む何人かが集まって作られた集団だった。それからまず、表向きには小さな印刷会社として働きながら、裏では殺し屋として動くことになった。要するには彼らはみんなヒットマンなんだけど、本来はCE享受者であるが故に理不尽な扱いを受けてきた人たちの集まりだ」
「理不尽な扱い、ねー」
葵が興味なさそうに呟いた。
「葵みたいなのは問題なく生きてこられたけど、世の中ではそう上手くいかないこともあるんだ。CEを受けていることが会社に見つかったりしたら、即刻クビになることだって有り得る。葵みたいにフリーじゃないから、結構神経すり減らしちゃうみたいだよ」
「葵みたいな葵みたいなって連呼しないでくれよ」
白亜は一瞬葵を睨んだが、無視して話を続けた。
「今のリーダー……一般的に言うとボスはカズマ・グレイっていう日系3世の人。表向きには若社長って感じで結構評判みたいだ」
「若社長?じゃあそれなりに若いんだ」
「確か30代だったと思う。詳しいプロフィールまでは知らないけどね」
白亜はそこまで言って、小さく微笑んだ。
 その時だった。

――ピリリリリ。

「あ」
冬雪の携帯にメールが来たらしい。会議は中断され、冬雪がそれを確認する。
「先生。明日か……行けるかな」
「何かの話し合いかよ?」
「うん」
結局、会議はそこで中断されたままになった。それでも、白亜のおかげでStillの情報が集まった。案外、役に立つかも知れない。

 冬雪は自分の部屋に戻り、1つため息をついた。
「雪子に連絡取るか」
冬雪は携帯電話から雪子の自宅へ電話を掛けた。呼び出し音が鳴る。5回ほど鳴ったところで、受話器が取られた。
『はい、夏岡でございます』
「あ、雪子。秋野ですけどー」
『ふゆちゃん?』
「うん。人殺したって聞いたけど平気?」
『あぁ……その事ね』
雪子の声は急に重くなった。
「どういう人だったの?よく判んないけど」
『――若い子だったわ。Stillの人か違う人かはまだ判らない。でも、警察と救急車呼んだ時に免許見させてもらったら、菅沢って名前だったの』
「……菅沢?名前は?」
『えっと……振り仮名があったから読めたんだけど……そう、えーっと……』
「早くしろよ」
『ら、そう、菅沢来駆。そういう名前だったわ』
聞いた事のない名ではあった。
「判った、サンキュー。それで、怪我とかないのか?」
『一応はないわ。精神的にはすごくダメージ受けたんだけど』
「じゃあ、もう1人危ないヤツ言っとく。背高い黒髪の男だ。こいつも若い。関西弁で、サングラス掛けてることが多いな。名前は……」
『その人が何なの?』
「そいつに今日撃たれた。左腕だから、一応生活に問題はないけどさ」
『撃たれたって……大変じゃない、両方狙おうとしてた訳?』
「ご挨拶って言ってた。名前は霧島神李。神のスモモでカンリだ」
『何で名前知ってるのよ?』
雪子は不思議そうな声をして言った。
「オレの同級生の……斜向かいの家の、女子の兄貴。オレらが、厳格兄貴って呼んでる……人だった」
『知り合いなの!?…………ホント、大変ね』
「そんな暢気なこと言ってる場合じゃねェんだよ。雪子、殺されかけたんだろ?そいつを雪子に殺されたことで、向こうも多分反撃に来る。まだ油断は出来ないぜ?」
『それは、そうなんだけどね――』
雪子はそこで言葉を詰まらせた。
「とにかく判った。ありがと。また明日情報求めてくるから。じゃあな」
『うん……またね』
「あぁ。死ぬ前に1回くらい会っとこうぜ。それじゃ」
『ええ――』
そして、通話を終わらせた。何故か、酷く虚しい感覚に襲われた。理由は判らない。そして冬雪はまた、ため息をついた。

      *

 翌日、午前10時。冬雪は昼食は要らないと梨羽に言ってから、駅に向かった。胡桃は先に行っているらしいから、今日は1人だ。
 緑谷駅に到着し、2駅分の切符を買って改札を通り、正面に見える階段を上った。そこから右側に見える階段を更に上って、上りのホームに出る。

『まもなく1番ホームに、各駅停車、新宿行きが参ります――』

 小さな私鉄駅に過ぎないこの駅に来るのは、日本で一番利用者が多いらしい新宿駅に向かう電車。ここと都心が繋がっていることすらが信じられなくなるくらい、新宿などとは縁遠い暮らしをしていた冬雪にとっては、2駅上った紅葉通に通うようになっただけでも大きな進歩だった。それでも紅葉通は花蜂市内だし、都区内へ行く事は今でもほとんどない。精々雪子が住んでいる練馬へ行くときくらいだろうか。
 そんなことを考えている間に電車はホームへ入ってきた。冬雪はドアが開くのと同時に乗り込む。車内はさすがゴールデンウィーク真っ只中、適度に空いていた。冬雪は椅子に座った。聞きなれた音楽が鳴って、扉が閉まり、発車する。窓から見える風景が流れ始めた。

――テニスの練習場、学校、林。そして、住宅。

 長年見慣れたこの風景でさえも、冬雪には嬉しく思えた。こうして自分は今生きていて、いつもと変わらない花蜂の様子を眺めている。
 そうこうしているうちに、列車は紅葉通駅に到着した。冬雪は電車を降りて、階段を下りる。改札を通り、南口に出た。そこからすぐ右に曲がって、人通りの少ない裏道に入る。そこをしばらく進めば、左側に雑貨屋「日本人形」は見えてくる。
 そして、店の扉を開けた。
「おはよ」
「おーっ!冬雪ぃ!何だ、何だよ?この包帯よぉ」
いきなり胡桃が冬雪に駆け寄ってきて喚き散らした。冬雪は彼を抑えつつ、返事をする。今日は暑い為半袖を着ていたから、胡桃にもすぐ判ったらしい。
「あー、うん……えーと、触んないどいてな」
「あぁ……何かあったのか?」
「ちょっとね。先生は?」
「まだ来てねぇけど」
「そっか」
冬雪はいつもの指定席に座った。そしてまず、ため息をつく。
「お疲れモードだね。秋野君」
「当然……」
「それで、その包帯の真意は?」
「――撃たれた」
冬雪の素直な答えに、真っ先に反応したのは胡桃だった。
「撃たれたのかよ、冬雪!?お前、銃撃戦で生き長らえたのか?」
「何バカ言ってんだ、胡桃?んな訳ねェだろ。向こうから一方的に撃たれただけ。それに、街中で銃ぶっ放すような神経はオレにはないよ」
胡桃のふざけた言葉を平然と否定してから、冬雪はその撃たれた相手の名を言うべきか言わないべきか悩んでいた。
「それで、誰に撃たれたんだよ?顔見たんだろ?」
「……それ、なんだけどさ」
冬雪が打ち明けようとしたその時、店の扉が開いた。
「悪いな、遅れたか?」
「先生!」
「岩杉さん」
ワイシャツ姿の岩杉が現れた。端から見ると、会社帰りのサラリーマンだ。実際には公務員なのだから何とも言えない。
「しかし暑いな、今日は――……まだ5月初めなのに……お?何だ秋野、怪我でもしたのか」
「今その話をしててさ」
「どんな?」
「撃たれたって話」
「撃たれた?昨日帰ってきたばっかりだろう。俺だって帰り着いたの6時なんだから、お前もそれくらいなんだろ?いつどこで撃たれたんだよ」
「帰ったとき、家の前で」
「!」
岩杉は嫌そうな顔をした。
「――誰に?」
「そう、丁度そこまで話したトコだったんだ。で、それがね……すごい、言いにくいんだけど」
「言え、言った方が得だぞ。俺は天下の公務員だからな」
「先生、暑くて狂ってるの?」
「ちょっと」
ケラケラと笑いながら、岩杉は肯定した。冬雪はそれには答えず、話を本線に戻した。
「うん…………厳格兄貴にさ」
「嘘だろ!?」
叫んだのは胡桃だった。無理もない。厳格兄貴――霧島神李と会った回数は、岩杉より胡桃のほうが明らかに多いのだ。
「そんな……何でそんなことになるんだよ?」
「オレだって知らないよ。ただ、そういう現実があるってだけ」
「……冷たいんだな」
「冷酷なのはあっちの方だよ。妹のため、なのかな……」
「そんなの、そんなの卑怯だろ?」
「卑怯じゃない。偶々、敵が妹の同級生だったってだけなんだ。それにオレが気付かなかったのも、原因の1つ。ほら、霧島がここに来てただろ?様子が奇妙しいってさ」
冬雪は感情的にならないように、気をつけながら話した。岩杉は話を聞いているだけで、返事をするのは胡桃だけだった。その胡桃も段々と口数が減って、答えようがなくなっていった。
 岩杉が久々に声を出した。
「霧島の兄貴に、撃たれたんだな?」
「……そう」
「最悪の事態だな」
岩杉が真剣な顔になった。そして、救いを求めるような声で呟いた。
「オレにどうしろって言うんだよ」
「ゴメンなさい、先生」
「別に秋野は悪くないんだよ。悪いのは霧島の兄貴だ。阿久津は今のところ何も起こしてはいないからな」
明るみになった事件でないなら、秀にだってあるかも知れない。岩杉はそれには言及しなかった。
「それで?警察には?」
「話はしてないよ。チクったところで、あいつらを全員逮捕させても、後々怖いし、それに霧島が」
「――……それはそうかも知れないけどな。お前を撃ったのは事実なんだろ?」
「だけどさ。無理だよ……怖い」
「怖がってたら仕方ないだろ?……今日な。実は姉さんと銀一さんにな――……会ってきたんだよ」
「え?」
姉さん――冬村梨子だ。しょっちゅう話をしていることは今までの岩杉の言葉からも容易に想像できたが、今日は会見してきたらしい。
「雪子氏が襲ってきた男を殺した?お前は撃たれた?さぁ今後どうなるかだな。一概にどっちの味方も出来ないオレとしては、非常に辛い状態なんだが――どうすべきだ?ってことを話してきた」
「オレが撃たれたの知ってたの?」
「悪い、知ってた。霧島の兄貴ってのは知らなかったが」
「そっか、知ってたんだ」
冬雪は小さく笑った。まさかもう知っているとは思っていなかった。岩杉は一瞬、何かを言うのを躊躇ったような顔をした。
「先生?」
「あぁ、いや――……ちょっと話しにくいことがあってな」
「何だよ?」
今度こそ岩杉は、重い口を開いて、柄にもなく小さく呟いた。
「姉さんは事故に遭った――……重体だ」

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