形と探偵の何か
Page.22「忘却の宙(そら)」




    Prologue

あなたは知らない

あなたが世界に 何を求められているのか


私は知らない

私が世界に 何を求められているのか


なら誰が知っているというのか


誰も知らない―――――…………生きている間は。


      1

 彼女は初めてその地を訪れた。
 当然だが土地鑑もないその場所で、迷うこともなく目的の店に辿り着くことができたのは、彼女が一番頼りにしている少年のおかげだった。
「……ここだわ」
 彼女は店の扉を開ける。油が切れていてキーキーと音がするその扉が開ききると、どこか懐かしい雰囲気の店内が視界に広がった。
「こんにちは」
彼女はとりあえず、中に声を掛けた。
「いらっしゃいませ」
中から返ってきた返事の主は、爽やかに微笑んで彼女を迎え入れた。

――……群青色の髪をした、彼女より幾分も若い青年だった。

      *

「ふゆちゃんから聞いて来たの。三宮さんね」
長いウェーブヘアを揺らし、彼女は店主に話し掛けた。
 店主は不思議そうな顔を見せた。
「秋野君に……ボクのことを?」
「えぇ。でも、ホント変わってらっしゃらないのね。もしかして、ホントに人間じゃなかったのかしら?」
彼女が思った通りのことを冗談交じりに言うと、彼は疑問を顔に浮かべた。
「どうしてそれを?」
「だって、一度お会いしたことありますもの。ずっと前、そう――……30年も前になるのかしらね」
彼女は薄く笑い、青年は急に表情を硬くする。
「椅子、借りてよろしいですか?」
「どうぞ……ご自由に」
「ありがとう。ふゆちゃんがね――……話すのよ、ほとんど愚痴みたいだったけど。あたしが相手になってあげないと、あの子にはそういう人間がいないのよね。その話であなたのことを思い出して、場所を聞いてのこのこやって来たのよ。馬鹿にしていいわ。でもホントに昔のことだから、あなたは覚えてもいないでしょう?ねぇ、話してもいいかしら、あたしがあなたに会ったときの話」
「是非……話していただければ、思い出せるかも知れませんし」
「じゃあ、長い話になりますけど」
彼女はひとつ溜息をつき、ゆっくりと話し始めた。

      2

 少女が2人、知らない街を駆け回っていた。
 見たことのないモノ、聞いたことのないモノ。彼女らにとって、街の全てが不思議であり、面白い物だった。様々な店を見て周り、息を切らしながら走っていた。
「お姉ちゃん」
ふわりと広がったショートの髪に赤いリボンを結んだ少女が、姉らしい少女の服を掴んで引き止めた。
「何?」
「ここのお店」
妹が指差す店の名は『深海屋』、何の店なのかも判らなかった。
「入ってみよう?」
「…………うん」
姉妹は店の、木で出来た洒落た扉を開ける。扉についた小さな鐘がカランと鳴って、客の来訪を店主に告げた。店主の青年は小さな客に少し驚き、しかして笑顔で姉妹を迎え入れた。
「! いらっしゃい」
「こんにちは」
まるで喫茶店のような――……整った空間で、まず妹が歩み出した。
 そして何かに気付き、堰を切ったようにはしゃぎ出した。
「すごい、何か色々ある!お兄さん、ここ何のお店?」
「雑貨屋、かな。近所では道具屋だとも言われてる。大体の物はあるよ。物理学的に有り得る物なら」
 店主はくすくすと、嬉しそうに笑った。青年は――……大学生くらいの年齢だと見えるが、その風貌はまるで学生とは違う。ストレートの髪は何故か濃い青色で、肩近くまで伸ばしている。大きめの瞳は髪と同色。外国人なのか、しかし顔はどう見ても日本人だ。姉妹に判断はつかなかった。しかも服装が着物とあらば、現代における一般的日本人とは少し違うことも判る。
「君たちはこの辺の子じゃないよね?旅行?」
「うん、小田原に……自由にしてていいって言われたから、2人で色んなところ回ってるの。でもここが一番すごい!ね、お姉ちゃん」
「うん」
「ありがとう。褒められたのは久しぶりだな。良いものを見せてあげようか」
「良いもの?」
姉妹が店主の顔を見上げる。彼はにっこりと笑ってから、そう、良いものだよ、と言った。
 姉妹は店内の椅子に座ってしばらく待った。彼が奥の部屋に入っていってしまって、することがなかったのだ。怪しいとも疑わず、少女らはじっと待っていた。
「待たせたね」
 店主が中から出てきた。その手には、何だか奇妙な物が抱かれていた。
「それ……何?」
「子鬼だ。危害は加えないから、心配はないよ」
店主はそう言って、『子鬼』をカウンターにちょこんと座らせる。眠っているのか、目を閉じていた。

――鬼?これが?

 サイズは小さい。子というだけある。ただ、その姿形は鬼とは程遠いところにあった。御伽噺に出てくる、赤とか青とか、変な色をした生物ではない――……人間に近かった。
 確かに小さな角が生えていた。しかし、耳はどこか尖っているものの、他の部位では人間と相違ない。黒っぽい髪、小さな手足。
「ホント?」
 妹が疑わしげに訊く。
「ホントだよ。この子は――……人に近い種族だからね。山の近くを彷徨ってるのを助けたんだ」
「嘘、鬼なんていないわ」
 姉が否定的に出る。
「――……今の世ではそういう風潮が大きいな。超能力はあって妖怪はあってはいけないと?そんなものはおかしい……そもそも、超能力なんてのは科学的には解明されてないけど、妖怪なら新種の生物って可能性がある。鬼は現にこうしているんだ。決して、嘘ではないよ」
「……いないわ」
少女は髪を振り乱して否定を示す。
「君は怖いんだね。『鬼』という、不気味な存在が」
「そ、そんなことない」
「隠してもしょうがないよ。ボクには判るんだから」
「どうしてあなたに判るの?あなたも超能力者?」
「…………一種そうかも知れないね」
「あなたも、妖怪なの?」
「そうかも知れないっていうだけの話さ。この子はただ少し預かっているだけ、普通に暮らせるだけの生活能力を身に付けたころになれば放すつもりだ。ボクはこの子を助けたに過ぎない」
「不思議ね」
「そう―――……世界は不思議なんだ」
店主は笑い、子鬼を抱きかかえる。そして、奥の部屋へ向かおうとする。
「その青い髪は本物?」
姉が尋ねた。彼は子鬼を布団に寝かせながら、答えた。
「本物だよ」
姉妹は冗談だと受け取ったかも知れない。
「欲しいって言うなら一本くらいあげるけど」
店主はケラケラ笑って言った。ただの冗談だ。
「別に、いらないけど……」
姉はバツが悪そうに返答した。店主は笑うだけだった。
「……どうして深海屋って言うの?」
「うーん……そうだね、何があるか判らない未知の世界、かな」
「そうやって自分で言うの?」
「そうだよ。謎の世界なんだ、ここは」
「面白い人ね」
「そう言ってくれると嬉しいな」
姉と店主が同時に笑い、妹もそれにつられて笑う。
「君たちはいくつ?」
彼は何気なく尋ねた。
「あたしは10歳」
「11」
「年子なんだね」
「うん、だからいつも一緒なの」
青年はそうか、と言って楽しそうに笑った。人と話すのが好きなのだろう。姉妹は顔を見合わせて笑った。
「お姉ちゃん、そろそろ帰らなきゃ」
「ホントだ……ねぇ、明日も来ていい?」
「構わないよ」
「今度は『子鬼』さん、起きてると嬉しい」
「はは、ホントかい?じゃあ起こしておくよ」
彼がそう答えると、姉妹はまた笑った。
 最後に姉が尋ねた。
「お兄さん、何て名前なの?」
「三宮流人。君たちが死ぬまでには変わるかもしれない」
「どういう意味?」
「そのままさ。君たちの名前は?」
「あたしは雪子。この子は夕紀夜」
姉が答える。それに対して、店主は微笑むだけで何も言わなかった。
「じゃあ、また明日ね」
「あぁ」
2人が扉を閉めた。鐘がカランと音を鳴らした。

      3

「懐かしいですね。小鳩町の頃ですか」
流人は笑って、感想を述べた。
「思い出して頂けたの?」
「ええ――……そんなこともあったか、くらいですが。子鬼を客人に見せたのはほとんどありませんでしたからね」
「その子は今は?」
「勿論、放しましたよ――……然るべきところへ。彼には彼の生きる場所がある。ボクはこうして、この紅葉通を選んだ」
「どうしてこちらへいらっしゃったの?あそこでずっと暮らしていても良かったのに。綺麗なところじゃないですか」
「あまり同じ所に長居することは出来ません。貴女が先程仰った通り、人間ではありませんから」
「…………それは、本当のことだって言うのね?」
「翌日は結局、貴女達は来られませんでした。きっとご両親に何かしら言われたのでしょうが――……確かに鬼はいます。今、ここに」
「あなたはやはり鬼だったのね?あの時は否定も肯定もなさらなかったわ」
雪子の表情に曇りはない。驚きもない。
「子供にしか教えないことなのですよ」
「そうなんですか?」
雪子が不思議そうに言った。流人は少し考えてから答える。
「10が限度です。それを超えてしまうと、もう信じることが出来なくなってしまう。だから秋野君にも教えていません。知っているのは、貴女達がいらした後に出会った少年――……今は学校の先生になっているのですが、彼くらいなものです。あ……その彼、秋野君の担任の先生で、冬村梨子さんの弟さんなんですよ」
「梨子ちゃんの?本当ですか?じゃあえっと……岩杉さん」
旧姓まで知っているらしい。雪子と梨子は仲が良い。理由は知らない。
「ええ。偶然は重なるものですね。いいことも、悪いことも」
「そうですね……・ふゆちゃんがここに来たのも」
「それも偶然ですね」
「不思議ですね。でも――……縁ってあるのかも知れませんね。うちと縁がある、何て悪いこと言いたくはありませんけど、でも多いですよね」
流人は頷いた。案外、そういう物なのかも知れません、と付け加える。
「兎堂君という子が、よくいらっしゃいます」
「あら?聞いたことのある名前ですね……えぇと」
「知名さんの彼氏くんだとかですよ」
「あぁ!そういえば……そうですね、まだ紹介してもらってませんけど」
「最近は会ってないですね。この状況下で――彼もいろいろ、忙しそうですし。雪子さんこそ、こんな辺鄙な所へいらっしゃるなんて、お強いのですね」
流人の言葉に、雪子はゆっくりと首を振った。
「いいえ、そんなことはありません……あたしなんて、子供がいくら励ましてくれてもダメで……しばらく仕事も手につきませんでした。追い討ちを掛けるみたいにりんちゃんまで」
「彼を殺したのは『Y殺し』でしょう?」
「そう――……香子姉さまの夫です。匿名で情報が入って。これで舞香……姉さまの娘は1人になりました。彼女が死ねば春崎は消えてしまいます」
雪子はつらそうに話した。本当に――つらいのだろう。
 その時、流人には別の疑問が浮かんでいた。
「ところでその――……通称はどのように決めるのですか?」
流人が尋ねる。雪子は一転、笑顔になって答えた。
「決めると言うより、決まっているんです。長男あるいは長女が本家・季本。次が春崎、その次が夏岡、その次は秋野、そして冬村。それ以降は自由です」
「自由とは面白いですね」
「色々ありますよ、春日井とか何とか。結果的には漢字で季節が入っていればいいみたいです。『夢見月』自体は3月ですから、春だけにすればいいのに、って思う時もありますけど」
雪子は笑う。最初から『夏岡』さんになると決まっていたはずの雪子は何故、『雪子』と名付けられたのだろう、と流人は不思議思ったが、それとは別の質問を出した。きっとそんなものは、ただの冗談か気まぐれだ。
「しかし『季本』さんの子供たちは最初からそう……順番の名字を名乗っているわけではないでしょう?」
「ええ、勿論最初はみんな季本さんです。で、家では10歳の時に変えるんです。小学校は季本で通しますが、中学校からはそれぞれで」
「何だか大変ですね」
「そう、大変なんです……けど、近所の人たちはみんな、私たちが夢見月であることは知っているし、学校でだってみんな知られています。それでも平気だったのは、周りの子供たちの心理がそれだけ寛容だったってことなんですかね」
「クラスに受け入れる心、ですか」
しかし冬雪は知られていない。近所ではない、遠く離れた場所だからだ。勿論担任は知っている。でもだからといって責めない。そういうものなのかも知れない。
「ふゆちゃんは幸せだったんですね。でも――……隠している分、彼は負い目を感じています。隠していたことを責められても、仕方がないんです。自分を世の悪人であり、同時に敗者であることを認めたことになってしまうんです。隠している時点で。だから、大っぴらに言い出すことが出来ずにいるんでしょう。彼の友人に……知っている子はどれだけいるんでしょう」
「確か……幼なじみだという子は知っているようでしたが」
 藍田胡桃。それでも『中学にあがってから』だと言っていた。霧島詩杏はどうだろう?流人にあのことを話した場面には詩杏はいなかった。しかし、学校で話したかもしれない。話していないかもしれない。
「あまりいないでしょうね」
「そうですか……そんなものですね。知名が『理解者』を求めたのもそんなものでしょう」
夏岡知名の恋人・兎堂勇雅は犯罪マニアだ。夢見月家の者に対して、敵対心どころか憧れを抱いている。勿論それは犯罪を犯したいからだとかそういう訳ではないが。
 だからこそ知名は、半端な知識を持った一般人ではない、本当の理解者を求めた。それが兎堂で、2人は個人的な理由から近付き、段々と深い仲になっていったのだろう。ある意味幸せだった。
「ふゆちゃんにもそういう子が現れるといいですね……『理解者』となりうる女の子」
雪子はにっこりと笑った。そういう痴話話は好きそうだ。
「どうでしょうね」
「法的には従姉弟同士でも結婚できますけどね」
それはつまり――……知名の妹である美名のことを言っているらしい。
「…………どうでしょうね」
「冗談ですよ。美名とはあまり、仲とか言う前に話したこともあんまりないようですから。あ、従姉弟とは出来ても、甥とは出来ません」
「……雪子さん……」
「ふふ、冗談ですよ。でもホント、あの子はあたしの救いでした。自分の娘が救いにならないなんて変な話ですけど。小さい頃からよく世話してましたから、息子みたいなものなんです。夕紀夜ちゃん、体弱かったし……りんちゃんが産まれる時だって、ほとんど命懸けだったんですよ」
「そう……だったんですか」
流人にとっては初耳だった。鈴夜がここに来たことはなかったが、話には聞いていた。しかし、そんなことは聞いたことはなかった。
「そのことはふゆちゃんも知らなかったみたいですけど、大変だったんです。彼女が亡くなっても――……ショックと言うより、これでもう苦しまなくて済むようになって良かったって、まるで延命装置で生かされてる患者の家族みたいですけど、そう思いました。あの時もし葵君が現れなかったら、あたしが引き取るつもりでしたし」
「養子ですか?」
「いえ、飽くまで夕紀夜ちゃんの子供ですから、そこまではしなかったでしょうね」
雪子は懐かしむように微笑んだ。それだけ、多くの想いがある。
 流人はお茶を淹れてきます、と奥の部屋へ向かった。

      4

「最近何だか大変そうですね」
「大変も何もないだろう」
岩杉はぶっきらぼうに答える。片手には煙草、片手では頬杖。完全に愚痴モードになっているらしい。
「大体だ!子供がどうして、そんな大犯罪に関わらなきゃいけないんだ」
「それは、状況の問題じゃないんですか?」
「そんなことは判ってる」
判ってるなら、何故愚痴るのだろう。
「――……大変なことになるなら、連絡のひとつくれてもいいのに」
「身内だけで片付けたかったんではないですか?すぐに片付けて、問題を解消してしまえば、誰にも迷惑をかけずに済むと」
「……確かにあいつはそういうやつだからな」
岩杉は紫煙を燻らせる。
「しかし、とにかく問題が大きすぎるんだよ。何たって、このままじゃ一族抹殺、何てことになりかねないじゃないか」
「確かにそうですね。しかし、一般人が関わっていけば、尚大変なことになりますよ。岩杉さんは特に、近付きすぎてしまっています」
「近付きすぎだって?」
「偶然とはいえ、一家の2人と関わっているのですから、充分でしょう。小さなクラスのいじめ問題ではないんですからね」
流人が諭すように言うと、岩杉は不満げな顔を見せた。どこか子供らしい。実際、子供の頃から付き合っているのだから、気を許しているのだろう。
「まずいんだよ。あいつが休み中に撃たれたなんて話が持ち上がった時点でやばいんだ。弟が殺されたなんて――……言語道断なんだよ」
「学校で、ですか」
「自殺したなんてのじゃないからまだいいものの、な。『そんな素振りは見せなかった』なんて、誰も信じちゃくれないだろう?世の中の子供がみんな一緒だと思ったら大間違いだ」
「それは言えてますね」
流人は茶を勧める。岩杉は煙草の火を灰皿で消して、湯のみを受け取った。
「こないだ入った転校生なんだがな」
「えぇ」

――阿久津秀のことだ。

「あいつにも嫌な噂がたってるんだよ」
「嫌な噂、ですか」
流人に心当たりはある。確かに――……まずい。
「あいつもその『犯罪戦争』に関わってるんじゃないかとな。ほら、秋野と席が前後だろう?それで、時々真剣な顔して2人が話してる時があるらしい。『犯罪戦争』については、みんなTVとかで見て知ってるしな。あぁ、そうだ――……思い出した、弟が殺された時点で、あいつが夢見月だってことはクラス全員に話したよ。さすがに驚いてはいたものの、状況が状況だもんでそう悪い反応は見せなかったが」
「話した……・んですか?あのことを」
それにはさすがに驚いた。
「あぁ、あいつ自身がそうして欲しいって言ったからな。別に、今でもあいつは人気者だけど」
岩杉はここでようやく茶を一口飲んだ。どうやら猫舌らしく、まだ熱そうにしている。
「一応、クラスだけの秘密だとは言っておいたんだが――そう上手くはいかないだろうな。その内すぐに広がるさ……学校中に」
「しかしそうなってしまうと、岩杉さんにも」
「責任問題はどうでもいい。本人がそうしてくれって言ったんだ。俺は最後まで反対した。不思議なもんだな、入学する時は本名出すなって校長脅して通名で入ってきたのに」
脅してはいないだろう、幾ら彼でも。
「……考えも変わるんですよ、きっと」
「卒業証書はいずれ本名だ。クラスも知っていたほうがいいだろう」
「名前を変えることはないのですね?」
「少なくとも中学の間はないだろうな、あいつの場合」
流人に疑問が浮かんだ。
「小学校の卒業式はどうだったんでしょうね?」
「あぁ、それなら証書だけ本名で、呼んだのは『秋野』だったらしい。気の利く担任だったのか、あるいは呼び間違えたかだな……ま、それはないか」
「岩杉さんは『気の利く担任』になるつもりはないんですか?」
「さぁな。あいつがそうしてくれと頼めばそうするさ」

――依頼制だったのか!

 それは初耳だ。
「そういえば、先日夏岡雪子さんがいらっしゃったんです」
「あぁ……あの……何だ、秋野が呼んだのか?」
「いえ、以前会った事があって、彼の話で思い出されたんだそうですよ」
「へぇ!偶然はすごいな。いつ頃の話なんだ?」
「そうですね、岩杉さんが生まれた頃かな」
流人がおどけて言うと、岩杉は唖然とした。
「…………相当前だな」
「そうですね。あの時は秋野君のお母さんも一緒でした。2人で来られたんです」
「秋野本人も確か……この辺で遊んでて」
「藍田君と2人で転がり込んで来ましたからね。吃驚しましたよ」
流人はその時の感慨に浸った。

      *

――ガタンッ、バタッ。

「わぁっ!」
その謎の音と声と共に、謎の物体が中に入り込んできたのだ。
流人は不思議に思ってそちらに顔を向ける。
「すみませんっ、ごめんなさいっ、謝りますっ、お詫びしますっ」
 ひざまずいて両手を合わせ、いきなり日本語における様々な謝罪の言葉を連ねたのは冬雪だった。どうやら胡桃に冗談半分で店の中に押し込まれ、カミナリオヤジ店主の怒号が降って来るとでも思ったのだろう。さすがに謝られては怒る気もしなかった。
「あの……?」
「ふえっ」
流人が声を掛けると、彼は素早く顔を上げてこちらを見、驚いたらしい。
「ご、ごめんなさいっ、すぐ帰りますからっ」
「いや、帰らなくても……何があったのかと思って」
「何、が……?」
「怒らないよ、少し話していかないかい?」
「話して……?」
冬雪は何が何だか判らない様子で、流人の顔をしげしげと見ていた。不思議そうな目で――……透き通るような青い目をした少年は、流人の一風変わった容姿に違和感を覚えたようだった。

――ガチャ……。

「ん?」
「冬雪……?」
ドアから胡桃が覗いていた。冬雪は素早く動き、胡桃を店内に引き入れる。
「こっ、こいつが原因なんですっ!こいつがオレを押し込んでっ」
「いやっ、だから、その、冗談で……」
「…………名前は?」
流人が笑顔で尋ねると、2人は顔を見合わせた。
「こいつは胡桃っ、藍田胡桃……藍色の藍に田んぼの田、漢字で木の実の胡桃」
「何でお前が紹介するんだよ!」
「ちなみにオレは秋野冬雪、季節の秋に野原の野、同じく季節の冬に雪」
笑顔で語る冬雪はいい加減胡桃を悪者にしたいらしい。別にどちらでも構わないのだが――。
「秋野君に藍田君か。ボクは三宮流人。漢数字の三に宮だけ、流れる人。由来は彷徨う人」
「さまよう?何で……」
「色々あるんだよ」
流人が言うと、2人はまた顔を見合わせる。不思議に思ったらしい。
「紅葉通にはよく来るのかい?」
「え…………まぁ」
今度は2人揃って同様に答えた。
「じゃあ、どこに住んでるの?」
「緑谷です。あのっ、ここって何の店なんすかっ」
顔を赤くして――緊張しているらしい――胡桃が尋ねた。
「ただの雑貨屋だよ。緑谷……ってことは、学校は?」
「学校……え、緑中っすけど」
「じゃあ、岩杉って先生知ってるかい?いると思うんだけど」
「いる!担任ですっ」

――……そんなこんなで、2人はここに入り浸るようになっていったのだ。

      *

「しかし、阿久津が関わっているとしたら――……明らかに夢見月側じゃないだろう?」
「さぁ、そうとは限りませんよ?」
「まぁそうだがな」
「『Still』側だとも断定できません。もしそうだとしたら、どうして秋野君と話したりなんかするんでしょうか?」
「……それが妙なんだよ。味方じゃないなら、普通に話している時点でおかしいんだ」
岩杉は茶を飲み干し、カウンターに湯のみを置いた。
「探ってみたいが……プライベートだしなぁ」
「……そうですね」
探られれば――……ばれる。冬雪と、岩杉には隠しとおすと約束したのだ。破るわけにはいかない。
「あ、そろそろ帰る……ラッシュと被ると大変だからな」
「そうですね。それじゃ」
岩杉は立ち上がり、小さい鞄を持って玄関へ向かった。
「じゃあな。また今度」
「はい」

――ガチャッ。

そして、流人は薄暗い店内に1人残された。
「…………何だか……大変なことになったな」
自分が種なのは判っている。彼の生徒2人に、銃を売ったのは自分自身なのだ。彼にどう言って、謝ればいいものではない。後は彼ら自身で、隠し通してもらうしかないのだ。
「上手くいけばいいんだがなー」
流人は溜息をついて、奥の部屋へと戻った。

+++



BackTopNext