形と探偵の何か
Page.19「人生の選択 S.Akutsu side」




      1

「じゃあな、秀」
「あぁ」
来駆に手を振り、秀は駅から自宅へ向かう道を歩き始めた。
(……いよいよだな)
ついに、あの一世一代の大イベントが始まる。本当に死ぬかも知れない、大切な計画だ。だとしても、彼ら一族を抹殺するだけの価値はある。我々の組織が世間に名を知らしめる為の――否、表面上は彼らを消すだけでいい。犯罪集団など、居ても仕方ないのだ。
(あいつも、消すことになる)
 同級生に、まさかいるとは思っていなかった。しかしあの秋野とやら――。なかなかの兵で、そう簡単に消えてくれるとは思えない。秀が先日殺害に加担した香子は、自ら死ぬことを望んだ。でも彼の場合、生きることを何よりの幸せとして考えているような性格だ。殺させてもらえるとは全くといって思えない。
(あれはネックだな)
 秀は銀杏並木の途中で曲がり、自宅の玄関を開けた。

「おかえりなさい、お兄ちゃん」
「ただいま」
1番に駆けつけたのは、8歳下の妹、珠(メグミ)だった。自分とはあまり似ていないが、黒髪に翡翠の目は綺麗だ。まだ幼い彼女は、計画のことはおろか、秀がこういった『仕事』をしていることも知らない。尤も、知らないほうがいいということもある。
「秀!いるならちょっと手伝ってくれない!?」
台所のほうから、姉の大声が聞こえた。姉の名は綾(アヤ)、3歳上の高3生。ちなみに彼女は、秀の『仕事』も知っているし、状況も理解している。それから呼んだ理由は恐らくアレだ。秀は暖簾を手で押し退けて台所を覗いた。
「姉さん、また料理てこずってるのか?」
「悪かったわねっ、どーせ下手ですよ」
そう言いながらこげすぎた野菜炒めを処理するところはやはり下手なのだ。
「貶してはいないが」
「…………その言い方、ますますムカツクわ」
「だったら認めなければいいものを」
秀は無表情のまま台所に入り込んで、綾の手からフライパンを強奪する。かろうじて無事に残っていたキャベツを見、油を調節した。
「……しっかし、ここ数日まともな夕食食べられてないな、メグ」
「うん、お姉ちゃん、頑張ってー」
珠は邪気のない笑顔で綾を見上げた。
「頑張ってるのは、頑張ってるのよね」
綾はハア、と大げさに溜息をつき、珠の頭を撫でる。
「でもどう考えてもおかしいわ、どうしてあんたに出来てこの才色兼備のあたしに出来ないってのよ?」
「それはもう、神様のお導きだろ」
秀はコンロの火を点けながら平然と答えた。
「……あんたってキリスト教徒だったかしら?」
「冗談を冗談と受け取る能力も身に付けてくれ」
半分は事実だとも思ったが。
「あぁもう嫌、あんた勝手に作っといてね。それじゃ」
綾はCMのモデルのようなストレートの髪をサラリと揺らしてその場を去った。才色のうち色だけはあるのだろうが、才は明らかにない。成績は中の下と言ったところか。
 秀は一応完成品となった野菜炒めを皿に移して、どうしてあそこまで焦げたのか不明という姉の無能さを実感した。

      *

「……遅かったわね、秀」
「姉さんが料理の腕上げればどうにかなる」
「もううるさいなっ、その話はしない!」
綾は思いっきり枕を投げ付けてきた。秀はそれを難なく受け取り、逆に投げ返す。いつものことだ。ちなみにここは綾の部屋ではない。秀の部屋だ。
「ところで、人の部屋に入ってまで何なんだ?」
「あんたらが今度企画した、あの計画のことよ」
「……アレか」
――冒頭で述べた、夢見月家抹殺計画。
 それと綾に何の関係があるというのだろう?
「死ぬかも知れない計画に、何であんたが携わってんのよ?いくら元ボスの息子だからって、子供が関わることじゃないんじゃない」
結局いつもの、綾の説教ぶった意見交換だ。秀は仕方なく乗ってあげた。ここで乗らずに逃げたところで、延々と追い回されるのがオチだ。
「じゃあ、僕に手を引けって言うのか?今更遅いことだろ」
「それじゃこれであんたが死んだら、メグはどうなるのよ?あの子のことも考えてよね」
「死ぬ予定もない」
「そういうプライドの高いとこが命取り」
綾はうんうんと自分で頷き、秀の脳天を叩いた。
「……叩く事ないだろ」
「そういえば、あんたのクラスに夢見月が1人いるって、言ってたよね」
「あぁ、それが?」
秀の答えを聞いて、綾は何故かにっこりと笑った。理由は判らなかった。
「そいつ、成績がすごい良さげだとも言ってたよねー」
「……あぁ」
そして、綾の笑顔は一気に難しそうな表情に変わった。
「それって、大変なことじゃない?頭がいいってことは、今後の動きの計算も出来るよ。あんた、それほど天才じゃないんだから、軽視しないほうがいいんじゃないの」
「それは判ってる」
判っている――判っているが、仕方ないのだ。
『Still』と呼ばれる――秀たちの組織は、そう言うほどの大きさではない。表向きは小さな印刷会社として動いているのだが、社員の人数といえば、10人にも満たないだろう。となると、これまでで一番大きな計画といってもいいこの話に参加しない者は、まずいないだろうと思われるのだ。
「それに、成績がいいとはいえ、学校の勉強が出来るってだけじゃダメだ」
「もう、大人ぶっちゃって。あんた、まだ中学も卒業してないんだよ。義務教育なの、義務。判ってんの?」
自分こそ大人ぶってどうする。綾はまだ高校生ではないか。しかし他にも矛盾した点はある。秀はすぐにツッコんだ。
「……姉さん、義務教育は親の義務だ。子供は権利」
「か、母さんにも関わるって言いたかったのよ」
秀のツッコミに、綾は逃げ切れずに奇妙な言葉を吐いた。仕方なく、秀は平然と否定した。
「関係ないな」
「……つくづくあんたの姉だって立場疲れるわ。じゃあね、あたし下に行ってるから」
(結局逃げるんじゃないか)
秀は精神年齢の低すぎる姉に溜息をつき、もし彼女に計画を手伝わせることになったら、と思って怖くなった。
(馬鹿にされて終わりって所か)
秀はベッドから立ち上がり、夕食を取りに階段を下りた。

      2

 夕食後。兄弟3人はリビングでくつろいでいた。くつろぐというより――TVのチャンネル選択についての論議がされていた。論議というより綾が1人で興奮しているだけか。
「いい?あたしに選択権があるのよ。あんたのは優先されないの」
綾は左手に持った団扇を秀の方に向けながら言ってきた。いつものことだ。
「……もういい、勝手にしろ」
「よっし。で、メグは何が見たいの?」
(結局はメグの意見じゃないか)
秀はミルクコーヒーを飲みながら思った。
 実際問題、可愛い盛りの珠は基本的に優遇される。母親は看護婦で、帰りの時刻も一定ではない。そして姉の料理の腕、生活の知恵の無さを思えばつらい。もし自分が死んだらどうなるのだろう。ある意味恐怖だ。
 結局チャンネルは珠の趣味に治まったが、秀には特に見たいものがあった訳ではない。この時間はとりあえずリビングにいればいい。する事もない。
(暇、ってやつだな)
 夕刊を眺め、あまり興味のない一面の記事を無視する。スポーツは新聞よりTVで見たほうがいい主義だ。精々三面記事――事件の報道あたりか。それでも最近は大きな事件はなく、夢見月に関するものは小さな囲み記事で載っているだけだった。
 珠はアニメ番組に見入っている。綾はおやつを食べながら雑誌に夢中になっている。それぞれ――……趣味だ。珠は違うが、綾のは暇つぶしというやつである。秀も暇つぶしに入ろうか、と決めた。
「僕は上に行ってるから」
「何よ、楽しい楽しい家族ダンランを乱すわけ?」
「これのどこが団欒なんだ」
秀はソファに置いてあったクッションを綾に投げ付けてから部屋を出て、廊下を少し左に進んで階段を上った。

 階段を上って180度回転し、目の前に横切る2階の廊下を左に進む。一番左――玄関側――に位置するのが秀の部屋だ。
 部屋に来たところですることがある訳でもない。秀は図書館で借りてきた薄い文庫本を手に取った。
 その作者は――……佐伯葵。ファンという訳ではない。むしろそれなら買っている。しかし、どこか気になるのだ。世間で評価されるだけの能力があるというよりは、文の響きに何故か惹かれてしまうのである。理由が判らない。
 そんなことは、初めてだった。
 以前から、好きな物や嫌いな物には理由があった。どういうところが面白くて、どういうところが気に入っているから、これは好きなのだと――分析することが可能だった。どんな物でも同じだ。秀にとって、全ての現象には原因があり、結果がある。だから心霊現象も、超能力も、信じない。トリックだとは思わないが、何かしらの原因があるに違いないと思っている。それが解明されるのに、時間が掛かっているだけなのだ。

――タイトルは『真実の夢』。彼のデビュー作である。

 処女作であるかどうかは知らない。彼についてはそこまで詳しくない。表紙に花々の写真が載った、少女趣味なデザインの本だ。学校の図書室にもあるらしいが、借りられていた。図書室にあった紹介文を見れば、どうやら少女小説ではないらしい。短編が2本入っているとかだった。

 秀はページをめくった。

      *

――少女は、笑った。

彼の姿を決して凝視しようとはしない。

――何故?

少女にとって彼は、何者だというのだ?

――彼は犯罪者だ。

少女は彼を知っている。

――彼も、少女を知っている。


……だから、見ようとしないのだ。


      *

(……終了。速かったな)
ページ数が少ないだけあるかもしれない。数十ページの薄い本は、1時間足らずで読み終わってしまった。普段の読書は遅くも速くもないスピードだ。それにしては速かったほうだろう。
(不思議な感覚、か)
流し読みではない――内容は理解したつもりだ。そこまで複雑な内容でもない。だからこそ自然に進められたのだろうが。
 佐伯葵というのは不思議な人間だと聞いたことがある。
 会ったことはないが、会ったらきっと色々分析したくなるだろう。顔も見たことがないので、会っても判らないだろうが。
 秀は髪を縛り直し、本を机の上に置く。そして、ベッドに大の字に寝た。
(何故だろう?)
 彼の作品が『好き』なのだろうか。1人の人間に対してファンにまでなったりしたことはない。それが――……不要だから。
 それを心の拠り所にするという手はあるが、もしそれを無くした時には、どうなるというのだろう?例えば大好きだったアイドルが突然、事故で死んだりしたら……。ファンたちは様々な行動を起こす。時には後を追うように自殺する人間まで現れる。そして、社会現象にまで発展してしまうのだ。それが、怖い。
 何にも頼らずに生きていけるのであれば、それが一番いい。
 秀は一旦目を瞑り、深呼吸してから目を開けた。単なる蛍光灯の光だけでない、明るい世界が見えたような気がした。
 そんなファンタジックなことを考えている自分を珍しいと思うと、自分のことながら笑わずにはいられなかった。

      3

 その日から3日後の午後。秀はいつものように『社長室』の壁に寄りかかっていた。実際、本当に居心地がいいだけで、他意はない。適度に涼しいし、人があまり通らないため、うるさくもない。
「よぉ、秀」
「……来駆。また呼び出されたのか?」
「はは、そう。じゃあな」
来駆は中へと入っていった。いつものことだから――またきっと、『仕事』の連絡だろうと思っていた。

      *

 カズマの表情はいつもと違っていた。
 何故か物凄く真剣な顔で、来駆を見る視線も異様に鋭かった。
「ボス?」
仕事の内容に似合わず庶民的で寛容な彼に思えない。いったい何の用で呼び出したのか。
「あぁ、来駆……重大な話だ」
 カズマは煙草の灰を落とす。来駆が近くに寄ると、話を始めた。
「――『8人目の生贄』が出された。ガキだ」
「またですか?」
「また、というか……『7人目』の弟なんだよ。ったく、あいつは小学生しか殺れなくなったのか、なんなのか」
「小学生」
そういえば、『7人目』は中学生だった。中学生を殺せなかった彼が、今度は小学生を相手にしようと決めたのか。しかし夢見月家の中にいる小学生以下の人間は限られた数しか居ない。これから彼はどうするつもりなのだろうか。
「そう――小学生だ。『7人目』も狂い掛けてるだろう。秀にも言っておけ、明日はきっと来ないとな」
「はぁ」
今日のカズマの口調はどこか重い感じがする。ゆっくりと、一言一言を確実に話している。
「あれでもまだ『7人目』を狙ってるらしい。殺せる訳がない、狂い掛けてる人間は外には出ない」
「しかし、学校があります。チャンスなら幾らでも」
「いつ行くか判らない状態だろう?あいつの――夢見月家からじゃ遠いんだよ。電車で2時間以上も掛かる場所だ。まぁ、あいつの性格からして車を使うだろうがな。どうだ、来駆。あいつの殺害計画を俺に任せてはくれないか?」
「え?」
表現が奇妙しい。ボスは飽くまで命令を下す立場だ。
「『7人目』を殺しに来たところを狙う作戦で行こう。それが一番効率がいい。ここからでも近いしな。『7人目』本人はたかが子供だ、その後でどうにでもなるだろう。まずは架なんだ。俺個人的に、あいつだけは気に食わない」
「ボス……?」
何を言い出すのだろう。来駆は正確に返事を返すことが出来なかった。しかし、カズマは話を続けた。
「来駆も協力してくれるだろう?叔父を殺すのに気は引けるだろうが、あいつは味方じゃないからな。本格始動だ」
カズマはニヤリと笑みを浮かべた。
 そして、決定的な一言を放つ。
「俺にとって、あぁいう兄貴を持ったことは汚点だよ。来駆、是非ともこのカズマ・グレイこと菅沢一磨にご協力願えないかな?」

――訳が判らなかった。

突然そんなことを言われて、来駆に答えられる訳がない。来駆が答えに詰まっていると、カズマは声を上げて笑った。からかって楽しんでいるのだろうか。カズマはそういう人だとは思わなかったが――。
「俺の本名を知る奴はほとんどいないよ。時本が唯一知ってたがな。お前の父親は俺の兄貴だ。2番目の架は幼い頃から悪ガキでな、」
「ちょ、ちょっと待ってください!それじゃボスは……まさか、僕の叔父さんだって仰るんですか?そんなの、何故最初に言って下さらなかったんですか!」
「言わないほうがいいと思った――……かな。菅沢家が汚れていると思われたくなかったからね。架があぁなったのは有名な話だし、架がここを抜けてからの話だしな。だから、元ボスの従弟だっていうことだけを公表したんだよ。そうしたら言い出すに言い出せなくなってな、あはは……そういうことだ」
カズマは飽くまで笑い続けた。彼にとっては――……全て笑い話らしい。
 来駆は軽く一礼した。
「……では、架叔父を殺すのは近い時期なのですね?」
「そうだな。あいつが『7人目』を殺しに掛かるのを見張ろう。あるいは秀に協力要請するかな。『7人目』が殺されても殺されなくても構わない。1人敵が減るだけだから――よし。それで行くか」
カズマは独り言のように
「張り込み、ですか?」
「そういうことになるが、仕方ないだろう?」
「判りました、ボス」
「よし。それじゃあ秀にも連絡を頼むな。じゃあ」
カズマは先程とは打って変わって、笑顔で手を振った。来駆は少しだけ笑顔を作り『社長室』を後にした。

      *

「――それで結局、張り込み作戦決行ってことか。重労働だな」
来駆から話を聞き、秀はそれだけ答えた。
「なぁ、秀」
「何だ?」
「関西弁のヤツ、知ってるか?」
「……何だそれ?TVの話か、組織の話か、友人の話か……」
秀がツッコミを始めると、来駆は慌てて言い直した。
「あぁ判った判った、組織の話。何ヶ月か前にこっちに来たって言う、関西弁の若い男。知ってるか?確か、今は庶務に回ってるらしいけど、今度こっちの仕事に入るって言うからよ」
「名前は?」
人の顔は名前と一致させない限り、秀は記憶にとどめられない。
「いや、知らない。聞いてねェんだ」
「じゃあ僕にも判らない」
秀はそこで話を終了させ、不満げな顔になる来駆を無視した。判らない話を長引かせても、時間の無駄になるだけだ。秀は手に持っていた週刊誌に集中する。某政治家の汚職事件についての記事だった。
「――聞けよ」
「聞いてるさ」
「何かそいつについて話聞いたらよろしくな。俺、そいつと関わることになりそうだからよ」
来駆はその人物の話を再び持ち出して、無理にでも秀に話をさせようとしだした。無駄な悪足掻きだ。
「――判った。だからこの話は終わりだ」
「ったく、いい加減お前は頑固だな」
「性格だからね」
 秀があっさりと認めたことを不満に思ったらしい来駆が襲ってくるまで、数秒と掛からなかった。秀は週刊誌を投げ出して来駆の襲撃から逃げる。来駆は素早く駆け回る秀を追いまわす。

―――迷惑極まりないと判っていながら、2人は何故か走り回っていた。


 ビル内で騒ぐ2人を大人らしく牽制したのは、何故か如雨露を手に持った、殺し屋たちのボスだった。

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