形と探偵の何か
Page.18 「人生の選択 F.Akino side」




      1

 秋野冬雪は悩んでいた。
 昨日、伯母の雪子に聞かされた重大な話。

『もしやつらが本当に動き始めたなら、無防備じゃいられないわ。どうにかした方がいいわよ』

 身を守る為に、法を犯すのか?本当に、身を守る為だけに――。護身する必要があるのは、冬雪だけではない。鈴夜だって、夢見月の名を持つ存在なのだ。冬雪1人、悩んでも仕方ない。でも、鈴夜なら決して許さないだろう。犯罪など、決して許されるモノではない。

――仕方ないのか?本当に……。

 でもその行為がなければ、本格的に始まる『戦争』には耐えられないだろう。それなら、徹底的に法など無視して――……ダメだ、そんなことは出来ない。長年積み重ねられてきた道徳心がそれを邪魔する。

――鈴夜に、話してみるか。

真実を。そして、現状を。
それで、彼に指示を仰ごうか。答えてくれるわけがないと判っていても、どうしても諦められない。

 冬雪は部屋のドアを開けた。

      *

――キィ、ガチャッ。

 その店に彼がやってきたのは、4月中旬も終わりに近い木曜日だった。
「やぁ、秋野君……今日はなんだい?」
「…………月曜みたいな、暢気な話じゃないんだけど」
彼の表情はいつになく張り詰めていて、相当重大な話であることは判った。
「ここ、雑貨屋なんだよね」
「あぁ」
「流人、何でも作れるって、言ったよね」
「……あぁ、一応はな」
「――……まさかと思うけど、銃とかって、扱ってないよね」

――こっちがまさかだ。彼の口からそんな単語を聞いてしまうとは。あるいは、先日の違法な取引を彼が知ってしまったのだろうか?

「扱えないことはないが……軽率に頷けるものじゃないぞ」
「判ってる、でも……オレの今の状況考えたら、そんなこと言ってられなくて……鈴にも、励まされちゃったから」
どうやら知らないらしいが――状況は最悪らしい。
「それで、ボクにどうしろと?」
「銃を買いたい……それだけだ」
「本気で言ってるのか?」
「本気だよ、そこまで追い詰められてるんだ」
彼はいつもの指定席に座り、側にあった小さい玩具をもてあそび始める。多分、意味はないだろう。
「とにかく……お願い、何でもいいから、オレが生き延びるにはそれしかないんだ」
「…………本当に、そういう気があるんなら、協力しても構わないが」
「本当?」
「――君にそれだけの覚悟があるのならね」
「うん」
「判った」
流人は小さく笑った。

――彼に見つかってはならない。今後の、信頼関係においても。

      *

 翌日の帰りは掃除当番だった。冬雪は掃除の度に箒&机運び係だ。
 そんな訳でいつも通りの平凡な放課後を過ごしていたのだが、掃除終了すぐに岩杉が声を掛けて来た。
「状況はどうだ?大変そうだが」
「どうもこうもないよ」
「姉さんの騒ぎ方は半端じゃない、どこまで狂ったら気が済むんだろうな。お前も例外じゃないみたいだが?」
「…………そりゃそうだよ、従兄弟が一気に3人も死ねば狂うって」
冬雪は箒を掃除用具入れに仕舞い、自分の席に戻る。
「悪いな、共感してやれなくて」
「いいよ、そういう問題じゃないしね」
「無理しなくていいんだぞ?休みたければ休めばいい」
「ううん、皆勤賞貰えないもん」
「そういう問題なのか」
「そういう問題だよ」
最後にだけニッコリと笑っておき、鞄を肩に掛ける。一応、これまでの2年間は休んでいない。
「それじゃあね先生、多分、月曜も来るから」
「……あぁ」
冗談に過ぎない。ただの―――冗談だ。先生だって、きっと真面目になど受け取っていない。冬雪はそう大したことにも思わず、廊下を駆け出していた。
「廊下は走るな、だね」
そんな小さなことに拘ってはいられない。
 何故か、自分が酷く滑稽なように思えた。

      *

「ただいま」
「お帰りなさい、あの」
いつも通り普通に冬雪を迎えた鈴夜は、何かを言いたそうにしていた。
「弘原海さんが、来てるんです」
「……そっか。そうだったっけな。うっし、そしたら百人力ってところだな」
「百人力?そんな凄い人なんですか?」
「判ってないな、お前」
冬雪は階段を上りながら、病院での1コマを思い出す。
『弘原海さん』は、鈴夜に一言も『冬雪の父親』であることを言っていない。ただ香子の発言に従って彼は判断し結果を述べただけで、しかも鈴夜は珍しく理由を訊かなかったのだ。
「――判ってますよ、そんなの」
「あ?何か言ったか?」
「……弘原海さん、冬雪のお父さんなんでしょ?んだったら、最初に言ってくれれば良かったのに……僕、だからってヤキモチ妬いたりしないし、それに」
「それに?」
「……冬雪だって、ホントは、お父さんと一緒に居たかったんでしょ?何で――我慢なんか、しなくたっていいのに」
「してねぇよ」
「してる!いつも、いつも僕にばっかり気ィ遣って、それでいっつも自分のこと犠牲にして…………僕が冬雪に心配してもらうようなこと、全然ないのに」
 鈴夜は階段を上り終えた冬雪の腕を掴んだ。
「だから、僕の心配なんか、しないで平気だから……ね?」

 何故、そんなに寂しそうな顔をして言うのだ。そんなに冬雪に自由にやって欲しいなら、もっと堂々として言えばいいではないか。そんな屁理屈ばかりが頭に浮かんで、最も言うべきことが浮かんでこない。
 図星だったからこそ――……反抗したくもなる。鈴夜を心配させたくない、不安にさせたくない一心で、この数年間は必死だった。
 少なくとも―――母がいなくなって、鈴夜は唯一、長く共に暮らしてきた家族だったから。

      3

 リビングに揃っていたのは総勢3名。葵、梨羽、そして白亜の3人だ。こうして見ると久海家大集合なのだが、ここは現実に冬雪の家だ。保護者は葵でも久海の資産ではない。
 そんなことを考えている暇もないが、白亜は「挨拶もなしに」と謝った。しかし、来ることは知っていたし、学校に行っていたのだから仕方ない。別に気にも留めなかった。
 冬雪は鈴夜に、何故彼が父親だと判ったのか、と尋ねた。しかし答えは簡単で、顔が似ていたから、だった。何ともファジィな結論の出し方である。『久海白亜』の名を知っている鈴夜が『弘原海さん』を同一人物と判定できたところがある意味で素晴らしい。そうは言っても似ているだけで親子だとは判別できまい。寧ろ親子でも似ていない場合は多い。例えばほらここに、母親とほとんど似ていない兄弟が居たりして―――。

 という訳で、葵はまた明日から放浪の旅に出発とのことだ。今回の行き先は国内らしいが、詳しい場所は不明。連絡が携帯電話で取れる現代人で良かったとつくづく思う人種がいるものである。
 保護者不在でも、白亜のようなちゃんと人間のなっている大人がいると楽なもので、梨羽の労働数もだいぶ減ることだろう。

―――全てを、壊されたくなかった。

      *

「本当に、いいんだね?これを君に渡せば、君はもう犯罪者だ」
「…………判ってるよ」
「君の担任がどう思ってもいいね?」
「……知られないようにしたい」
「そう上手くいくものかい?」
「そう、しないといけないんだ」
「判った」
青い髪の青年は、その物体を茶髪の少年の両手に握らせた。

もう―――後戻りは出来ない。

闘うと決めたのだ。だから、もう何も、考えることはない。
それが、自然の流れというものだ。

「君に1つ忠告しておこう」
「え?」
「――君の前に、少年が銃を買っていったんだ。誰だと思う?まぁ、ボクも名前は知らないんだけど。金髪をこう、後ろで束ねてる――……ボクほど長くもないけど。いかにも外国人だけど、日本語はペラペラだった」
「……それ」
「知ってたり、するんだね?」
やはり彼は――……関わっている。
 認めたくないその名が、脳内を循環して――意識下に送られる。
「知ってるかも、知れない」
冬雪は敢えて、答えを断定しなかった。
「曖昧だね。判ってるんだろう?妙に口調が大人びてる子さ」
「…………どうして、あいつが」
香子の葬儀の時に見かけたのは、本当に彼だったのだろうと思った。
 彼は夢見月側の関係者ではない。だとしたら?
 答えは自明の理だ。
「『Still』の人間だって言うの?」
「かも知れないっていうだけの話」
「でも、そんな――……毎日顔合わせてるのに」
「やっぱり、同級なんだね――岩杉さんの苦労も、考えたほうがいいよ」
「……!」

――先生。

 いつも、冬雪たち生徒を一番に考えているような――教師。
そういう人間が、この世に何人いるか判らない。でも――彼はそういう人だ。もし、彼にこのことがばれて、それを流人が手伝ったことを知ったら。
 彼はきっと――……まず流人を責める。
 勿論、直接的に冬雪たちを叱りはするだろう。それは当然のことだ。でも、それに協力した流人を、彼は恐らく、一番に蔑視する―――。

「クラスに2人も、大きな爆弾を抱えているんだね、彼は」
「せ、先生には、迷惑掛けないように頑張るから、」
「もう――無理だよ。君は既に、『Y殺し』に殺されかけてる。そう――そんなものだよ。その迷惑を、膨らませないように頑張ってね」
流人が優しくしてくれていることを、笑って受け取りたかったのに。
 冬雪には何も出来ないのだ。
 ただの、子供だ。何も出来ない、小さな子供に過ぎない。
「…………ゴメン、オレ、」
「いいんだ、岩杉さんが心配しないように――何とかしよう」
「……お金は」
「ん?そうだな、後で請求書でも渡すよ」
流人は他人事のようにケラケラと笑った。どうやら――話は軽く流されたらしい。冬雪は小さく頷き、その物体を鞄に仕舞って出発する準備をした。
「じゃあね――……流人」
「あぁ」

その日以来、冬雪はほとんど『日本人形』に行かなくなった。
      、
  否――行けなくなったのだ。

      *

――兄ちゃん。

少年の声無き声は、彼の壊れかけた心を修復する。

――僕、ずっと一緒だよ。

何も知らなかった少年は、彼を崖下から救い出したのか――。

――ずっと、兄ちゃんのこと、見てるから。

その言葉に突っ込んだりなど出来ないほど――彼は狼狽していた。

――それが、いつまでだって。

彼から少年に掛ける言葉は、何一つとしてなかった。

ただ一言、ゴメンと謝る他は。

      4

――ピンポーーン。

かなり高い音でインターホンが鳴る。何も、自宅のものを鳴らさなくてもいいのだろうが、鍵が開いていない時があるため、癖で押してしまうのだ。

 だが――……返事がない。

どちらにしろ、返事はすぐに返ってくるはずなのに。葵は出掛けているが、梨羽か鈴夜か白亜の誰かは必ず家の中にいることになっている。家を無人にしておくことは基本的に有り得ないのだ。

冬雪は玄関の鍵が開いていることを確認し、扉を開けた。

――運命の、扉を。

「ただい・・。……・!?」
冬雪が室内に入ってまず見えた、赤。そして、その先にあった……。
「鈴!!」

――うつ伏せに倒れた血まみれの少年は、ぴくりとも動かずにこちらに顔を向けていた。白いはずの絨毯は、赤く染まっていた。
 冬雪は彼の側まで寄った。
「り…………ん、や……?」
立っている力を失くした冬雪は膝をつき、動かない少年の頬に触れる。
「何で、こんなに冷たいんだ?鈴……寝ている、だけだろう?」

認めたくない。認めたくない。判りきっている答えを――。

 何故、避けられない?

 普通なら――……この感情を避ける為に、冬雪は……。

「嫌だ……鈴、鈴ってば、おい、」

――ガチャ。

何の、音だ?そう――そうだ、玄関のドアが開く――。

「あ、冬雪君、帰って―――……うわっ、り、鈴夜君!?冬雪君、おい!」
帰ってきた白亜が叫び、冬雪は我にかえった。
「え」
「早く、救急車を呼ばないとっ」
「…………無駄だよ」
冬雪は少年の手首を取って、寂しく言った。
「え……?」
「脈、ないもん。もう――……だいぶ、冷たいんだ」
「そんな」
「認めたくないのは、ぼくだって、同じだよ。ねぇ……鈴、答えてよ」
血に濡れた鈴夜の髪を指で梳く。もう二度と開かない瞼に、言葉を発すことのない喉。もう―――この小さな体は、動かない。
 冬雪の頬を、久々に涙が伝った。

      *

『8人目の生贄はご賞味させて頂いた。7人目に訪れなかった不幸を、他者へ向かぬことを願う』

(……まだオレのこと狙ってるんだな)
警察と医者が到着してから、しばらく経った。
 一応第一発見者の冬雪は、一応保護者の葵の携帯に電話を掛けるよう言われた。呼び出し音が――鳴り響く。

――トゥルルルルル、トゥルルルルル、カチャ。

「あ!」
室内で冬雪の声はよく通ってしまう。割と高い故――部屋にいた人間が全て、冬雪の声に反応した。
(スイマセンです)
『もしもし』
「葵?葵だよね!?」
『おぅ、ふゆ。何だ?俺の素晴らしいハスキーボイスが聞きたくなったのか?』
「そんな暢気な事言ってる場合じゃねんだよ、この馬鹿!!」
ほとんど泣き声である。
『…………どうしたんだよ。大事な従兄に向かって馬鹿って叫ぶか?普通』
警官たちに大丈夫か?と尋ねられる。しかし、そんなものに答えていられる暇は最早冬雪にはない。
「葵」
『何なんだ?』
「鈴が死んだ。さっさと帰って来い!んじゃーな、馬鹿兄貴」
『え!?お、おいコラ冬雪!もっとその、詳し……』

――ピッ、ツー、ツー、ツー。

「連絡しました。これでいいですよね?」
「え……あ、えぇ」
睨み付けられたも同然の警官は唖然としている。
「あーもうっ!ムシャクシャする」
冬雪は壁をダンと拳で叩き、赤い染みを見ないようにして階段まで逃げ込んだ。上に行く事は――許されるのだろうか。
 今この家の中にいるのは、冬雪、白亜の2人だけだ。鈴夜の遺体は既に運び出されている。買い物に出ているらしい梨羽にはもう連絡済だ、もうすぐ帰ってくる頃だろう。
「お兄さん」
「は、はい」
そう呼ばれることもほとんどないので多少不思議だった。
「この紙――……お兄さんが撃たれた時にあったものと同じやつですね?」
「筆跡、一致したんですか?」
まさか。こんな短時間では有り得ないだろう。
「いえ、これから回すんですよ。もし一致すると……つまりY殺しが犯人という可能性は、大きいということですね?」
「……多分、そうだと思いますけど。香子以外なら、彼は感慨なく人を殺しますからね。香子は死んじゃいましたけど?」
「随分冷静ですね」、、
「そう見えるなら。ぼくはクールなんかじゃない」
冬雪は立ち上がり、階段を上った。白亜がこちらを見ている。だが――階下には居たくないのだ。
「冬雪君」
「………………」
「梨羽ちゃんが帰ってくるまで、下に居た方がいいよ。上の階に、犯人がいたらたまらないからね」
「そんなことはないと思いますけどね?」
さすがに白亜に言われては敵わない。
 冬雪は1階に落ち着いた。

      5

 その日の夜、リビング。
ソファに寝そべる冬雪の横にいるのは、梨羽1人。
「…………桃香に、連絡した。凄い、沈んでたよ」
「冬雪」
「ぼく、明日ちゃんと学校行くからさ。平気だよ……うん。だって、父さんも、梨羽もいるんだから」
「冬雪!」
「変だよね。弟が死んだっていうのに、こんな、普通でいられるなんてね」
「全ッ然、普通じゃありません!冬雪、しっかりなさってください」
梨羽の言葉も、何も、聞こえていない。
梨羽はグロッキー状態冬雪の両肩を持って支え、まくし立てる。
「そんな状態で学校に行くと言うのですか?そんなの無理です!ちゃんと私が連絡しておきますから、貴方は明日は充分休んでください!いいですね?」
「ダメだよ、学校、行かなきゃ……先生に、迷惑掛かるもん」
「何言ってるんですか!」
「……流人と、約束したんだ。銃、買ったんだよ」
「…………今、何て?」
さすがの梨羽も驚きを隠せない。

――銃、だと?

「うん、銃だよ……。先生に迷惑掛けないように、ばれたらいけないんだ」
「休んでもばれませんから……いいから明日は休んでください!」
「…………梨羽、ぼく……どうしよう、壊れちゃったな」
「ちゃんと直してくださいね」
何を言っているのか――梨羽は自分でも判らなくなっていた。

 側に寄ってきた硝子を冬雪に抱かせると、彼は喜んで白猫の頭を撫でた。

―――首輪の鈴が、チリン、と澄んだ音を鳴らした。

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