形と探偵の何か
Page.16 「禁断の果実〜Yumemidsuki side〜」




     Prologue

 少年は歩き出した。

足音が耳に響く。

――何故、ここにいるのか?

 僕は何故、存在しているのだろう。

僕のような者がいるから――、

   世間は成り立っているんだ。

 君はそれでも、僕を殺そうとするかい?

馬鹿馬鹿しいじゃないか。

 君に簡単に殺されるほど、

   僕の人生は甘くないんだ。


      1

「最近また、姉さんが騒ぎ立ててるんだ」
いったいこれから何の話が始まるのか、冬雪には何の予想も立てられずにいた。普通なら大体、想像もつくような話をするのが彼だ。

――しかし、『姉さん』とは誰のことだ?

「先生のおねーさん?」
冬雪は何気なく尋ねた。
「あぁ、血の繋がった姉……・そうだ、話してなかったな。梨子だ、冬村梨子。知らないとは言わせないぞ」
「………………げ」
冬雪は飲もうとしていた茶を口から離した。
「まさか、嘘だよね?」
「嘘な訳があるか。流人が何も言わないんだから」
「えー、だって……」
「仲悪いんだな。まぁ諦めろ、30年も前に決まった事だ」
岩杉はさも何でもないことのように、茶を飲みながら笑った。
「ところで、どうして騒いでいると?」
頬杖をついた流人が言う。
「あぁ……最近の事件がおかしい、って言って。Y殺しは絶対に香子を殺さない、しかし一般人が殺せる訳が無い、ってな」
「一般人しか考えられないじゃんか。まさか、家の中で殺人なんて有り得ないよ……特に夢見月ならね。もし殺したりしたら、後から全員に袋叩きにされて、もみ消されるのがオチだよ。Y殺しは別だけど」
「別?あれは一般人じゃ」
「…………ま、言えないけど一般人じゃないよ」
冬雪は危うく情報漏洩しかけ、何とか押し止まった。もし他人に話したら――岩杉の場合、夢見月家に接点があることが判ったので余計に怖い。
 しばらく何かを考えていた流人が、顔を上げた。
「『一般人』の範囲、物凄く広いですね。夢見月家など、数十人に過ぎないんですから……日本中の1億人を疑っても仕方ない」
「そう、それなんだ」
岩杉は何かにハッとしたような顔をして言った。
「一般人の中で、そんな重大犯罪を犯せるような人間……暴力団に程近い存在の何かがいて、平凡な日本人を脅かしている」
「暴力団かぁ」
冬雪は茶を飲み終えた湯飲みをカウンターに置き、そんなような話を思い出そうとする。だが、どうしても出てこない。
「秋野、知らないか?」
「知らない……オレはまだ中学生だから、教えてもらってないだけかも知れない。ほらあの人たち、子供には隠したがるから、いろいろ」
「そうか」
「でも、梨子さんだって簡単に情報漏洩はできないんだよ?先生だって、『一般人』の1人なんだから」
「悪いな、心配してるのか?でも――もう遅い、大分足を踏み込んでしまったようだ」
岩杉はそう言って、寂しそうな顔をこちらに向けた。彼にしては珍しい、あまり見られない表情だった。

――足を抜くには、今からでも遅くない。仲間になってしまわない限り、彼等は強要したりはしない。しかし冬雪のように、生まれた時から仲間だった者に対しての『教育』――彼らの中ではCEと呼ばれている――は、度を越していると言ってもいい。

 幼い頃、人が死ぬ様をしょっちゅう見ていたような気がする。今でこそ、そんなことがあれば倒れてどうしようもなくなってしまうが、それもきっとCEの1つだ。あらゆるタイプの拳銃の撃ち方、扱い方も知っているし、急所を外さないようにする為の科学知識も詰め込まれた。
 何故、嫌がらなかったんだろう?
 幼心に、何かの面白みを感じていたのか?

……CEを受けていない、純真無垢な鈴夜の姿が羨ましかった。外見特徴ですらあまり表れなかった鈴夜は、今でも母の本当の子ではないと疑われている。
 彼はきっと、冬雪のことを大事な兄として見ている。CEのことなど知らず、偽の冬雪を見つづけた彼に、もう本当の、薄汚い冬雪の姿は見せられない。

「……Still,あれだ!岩杉さん、秋野君、それです!」
「え?」
「何が?」
2人が異口同音に訊きかえす。流人は自信たっぷりに言う。
「兎堂くんの話にあった気がします。Stillという名の、独自に活動を続ける謎の悪党集団がいると」
「悪党、集団?それって、暴力団じゃないんだ?」
「うん……彼等の場合、様々な種の悪党が集まった、まぁ簡単に言うなら、組織だった殺し屋かな。ボクは詳しいことは知らないが、恐らく」

――『Still』。和訳すれば「まだ」――。

(あん?)
冬雪は奇妙なことに気がついた。いやもしかしたら、これは単なる偶然か。
 それでも尋ねてみるだけの価値はある。
「……ねぇ、流人」
「ん?」
「それってもしかして、『マーダー』のシャレ、だったり…………なんて、思っちゃったり」
『murder』イコール殺人者、だ。冬雪が遠慮がちに尋ねると、唖然とした2人が顔を合わせ、再びこちらを見た。
「ああ!」
「……随分茶目っ気のある悪党だな」
「判りました、兎堂くんに確かめておきます。彼等がどういう存在なのか――……彼ならきっと、すぐに調べてくれるはずですから」
「そうだな」
「よっし!じゃ、解散だねっ」
冬雪が久々に叫ぶと、大人2人は冷静に肯定を示した。

      *


――夜空に、星が浮かんでいる。

酷く、寒い夜だった。

――ぼくはどうして、生きているの?

幼い少年は、何も知らない。

――帰ってきてよ……。

もうこれ以上、居てはならない。

――ねぇ、母さん。

少年の心に、傷を作ってはならない。

――母さん?

これで、彼は助かったのだ。

――つらいよ……。



私の魔の手から、彼は救われたのだ。

――星は、いつまでも瞬いていた。

―――……ぼくが救われたのを、見届けるように。

      2

 翌日、冬雪は神奈川県内のとある寺院に向かっていた。そこで、香子の葬式が執り行われるのだ。
「やっほぅ、雪子」
冬雪は大勢の人間の中から1番気軽に話せる人を見つけ出した。他の人間に迂闊に話し掛ければ、ケンカになりかねない。冬雪の話はどうしても暴走しがちだ。
「あら、来たのねふゆちゃん。りんちゃんはどうしたの?」
「鈴夜は調子悪くして寝てる。休日に風邪なんか引きやがって、ロクに休めもしない、勿体無いな」
「学校休んで授業受けられないよりいいわ。テスト対策」
「あいつは小学生だっつの」
 喪服など持っていないので制服――否、普段はほとんど着ない学ランだ。始業式などの時は着させられるが、はっきり言って買うだけ無駄な代物である。 しかしそれを雪子は褒めまくり、どうして普段着ないの、とまで言い出す始末だった。その質問には答えなかったが、無理に答えるとしたら「誰も着てないから」である。本当に誰も着ていない。もし着ていけばきっと、教師に驚かれて笑われる。

「……これで3人目」
「3人?何が」
「あら、あたしたちの姉妹の中で死んじゃった人数よ」
「3人って、母さんの前にも誰かいた?」
「…………そっか、知らないんだ……知らないのよね。それもY殺しよ。桂華ちゃんっていう、そう!可愛い可愛い妹……そう、1番下の子だったの。まだ……あぁ、今のふゆちゃんと同じ歳の時ね、中3。銀ちゃんてば本気で怒っちゃって、『俺がそいつ見っけて殺してくる!』なんて言い出したの。勿論、みんなで止めたけど」
「……」
残った4人はどうするのだろう――などと考えても無駄だろうが、多少の興味はあった。冬雪は襟をいじりつつ、昨日の集団について尋ねてみた。
「え?」
雪子は意外な反応を見せた。驚くというより、何故、という色が強い表情だ。
「知ってるんだな?」
「ここで話すことじゃないわ。ホント、惨くて酷いヤツらなの」
その怯えているような目は――見たことがなかった。

――あの強靭な雪子が、ここまで怯えるなんて!

 冬雪は恐ろしくなった。もし、本当にその者たちが関わっているなら。身近な誰かに、彼等の仲間がいたら。

 考えるだけで、寒気がしてきそうだった――……。

      *

 冬雪の視線の先に、見覚えのある人物が映ったのは、それから間もないことだった。

――金色の髪、スラリと長い足、その外国人のような容姿。

(阿久津……?嘘、でもここは)
今回は他人が来ておかしくはないが、彼がいる必然性はないはずだ。彼は、ただの冬雪の同級生に過ぎない。しかし彼は現実にいて、黒い服を着て、携帯電話で誰かと話している。
(いや、阿久津じゃなくって、ただの他人ってことも……)
 たとえ他人であっても本人であっても、可能性があるのは事実だ。冬雪はなるべく彼から離れた位置に立った。雪子が不思議そうな顔をしたが、仕方ない。気付かれてはならないのだ。もし雪子が「ふゆちゃん」などと呼んでも、ばれる可能性は高い。どうにか――乗り切らなければ。
「そろそろ行きましょう」
「ん」
「始まるわ」
雪子はそれを察してか――それも無いと思うが――、冬雪の名を呼ばずに歩き始めた。しかしこの中で学ランを着ているのは少数。これから数時間、絶対に気付かれないように頑張るしかなかった。

      3

 寺院近くの料亭。冬雪は雪子の隣に陣取って、食事をしていた。
「……話、聞かせてくれるよな?」
天麩羅をくわえたまま冬雪は、雪子を睨み付けて脅した。
「もう、仕方ないわね。食事まずくなっても知らないわよ」
「別にいい」
「珍しいわね、いつもなら……・」雪子は冬雪の食欲についてコメントしようとしたらしいが、首を振って諦めた。
「……まぁいいわ。そいつらって言うのは、ホントの悪党ばっか集まってるんだけど……ただのヤツらじゃないのよ。無慈悲で『有能』な人間ばっかりで、理由は知らないけど恨みの対象であるあたしたちをいいことに、罪をなすりつけてるの」
「なすりつける?」
冬雪は今度はマグロの刺身を食べながら言った。どうやら、まずくなる兆候もない。
「勝手にあたしたちの名で犯行声明を出したり、あたしたちが疑われるような工作を行ったりするの。あ、花蜂の連続放火事件については香子姉さまが自白してるから、あれは別件。で、銀ちゃんが今疑われてる銀行強盗は、まず誰もやってないって言ってるわ。勿論、ふゆちゃんもやってないわよね?」
「あれ平日の午前」
学校にいるのだから、犯行など不可能だ。アリバイの証人でも聞かれれば、友人の名をあげる。そもそも、この身長だ。有り得ない。
「あは、そうだったわね。多分、あれもそうだと思うの……。疑われるにはそれなりの根拠があるわけじゃない?警察にも。ってことは、その『根拠』がやつらから出されてるってことなのよ」
「……他にはない?」
「香子姉さまを殺したのは彼らじゃないかって言われてるわ。あんな簡単に銃を扱えるような人間は、普通にはまずいないでしょ。ためらってるうちに姉さまなら逃げる。だから……多分、あたしたちが疑われてて、その理由が物体だったら、まず疑っていいわ」
雪子は小さく笑った。笑って話せるくらいなら食事も美味しい。
「1つ訊いていい?」
「何?」
「香子を殺した理由は何だ?」
雪子は黙り込んだ。
「…………オレ、ずっと考えてたんだけど……判らない。Y殺しは確かに7人目の被害者を出してる。それを知らないってことも考えられない」
「ふゆちゃん、もしかして知らないの?」
「え?」
「『8人目の生贄』を出そうとしていたの、Y殺しが。多分、彼らはそれに便乗したんだと思うわ。まぁ、姉さまは狙われないってことを知らなかったのね。あ、ふゆちゃん、ニュース見てなかったでしょ?TVっ子なのに珍しいわねー」

――8人目の生贄。

冬雪はお吸い物を飲んで嫌な感じを消した。
「社会が嫌になったんだよ、しばらく見てなかった。で……雪子がどうして、香子が狙われないってことを知ってるんだよ」
「え?あぁ、弘原海さんが言ってたの。死んだって連絡が来たときに、Y殺しってことは有り得ないって」
「…………なるほど『弘原海さん』がね」
大体冬雪の席の対角線上にいる――弘原海こと久海白亜。彼はこれから、どうするつもりなのだろう。香子がいなくなった今、仕事はないということで?
「あ、そういえば彼ね。貴方のところに行く事になったのよ」
「は?」
まさか。それをすれば大変なことになると踏んで、見送ったのに。
「秘書、みたいな仕事らしいわ。正確に言えば、ボランティアのお手伝い。学校とか行ってる間に受け付けておくんですって」
雪子はくすくすと、楽しそうに笑った。そう――雪子は知らない。冬雪のことも何も、知らないのだ。
 それなら真の理解者は、誰なんだろう?

「……ま、それはありがたいや」
それだけに関しては事実だった。
「良かったじゃない。大人が1人いれば梨羽ちゃんの仕事もぐんと楽になるでしょ」
「それもそーだね」
そう答えながらも溜息をつく自分に、少々呆れかかっていた。
「『8人目の生贄』は、どうなるんだろう……」
「さぁ、犯人も驚いてるんじゃない?多分、自分に罪を着せられたって判って、怒ると思うけど」
雪子は注がれた日本酒を飲んでふふふと笑った。冬雪のコップには定番のオレンジジュースではなく烏龍茶が注がれた。
「でも、宣言されてるわけだから、どうなるかは見ものね」
「見ものって……自分が殺されるかもとか思わないのかよ?現にオレは死にかけたわけだし」
「あたしは自分が死のうが誰が死のうが関係ないわよ、家族以外なら」

――家族って……一応家族だろが、姉妹は。

冬雪は烏龍茶を一口飲んだ。
「冗談よふゆちゃん、やだな、本気にしないで。あたしは香子姉さまと違って家族思いなの」
もう酔い始めているのか、雪子はオバサンのように――オバサンだが――手を上下に振って言った。冬雪はさすがに呆れて、1人食事に没頭した。


 冬雪の携帯に酷く憔悴した様子の雪子が電話してきたのは、それから2日後のことだった。

      *

「遊桃(ユウト)が、死んだ……?」
『どうして、どうしてなのかしら?香弥(キョウヤ)君も、そう!彼まで死んじゃったのよ!?』
雪子の声は嗄れ、相当なショックを受けたらしい事が判った。姉である香子が死んだ時より、よほど状態が悪い。
「ちょ、ちょっと待て、状況整理して……雪子、死んだのは何人で、誰だ?」
『遊桃ちゃんと、香弥君と弥助(ヤスケ)君の3人』
「そんなに」
 冬雪は言葉を失った。

 季本遊桃は桃香の長女。いつも笑っているような女子高生で、従兄弟たちの間ではかなりの人気だった。
 季本香弥は桃香の長男。跡継ぎという立場の、背の高い青年だった。
 季本弥助は桃香の次男。奔放な性格と優しげな顔立ち、背はあまり高くない、従兄弟たちの『お兄さん』的存在だった。

何故――……何故、殺される必要があるのだ!

雪子は電話口で叫ぶ。
『ホントに……やつらが動き出したのよ!本気でヤバイわ、この状況……あぁもう、あたし本気でダメみたい』
「葬式はいつ」
『そんなものやってられる場合じゃないわよ。厳戒態勢』
「……なぁ、TVは何て取り上げてるんだ?」
『まだやってないわ。そっちで見といてよ……どうしよう、次は誰が』
「雪子!」
そんなことを考えていては――始まらない。
『ごめんなさい……でも、もし本当にやつらが動き出したなら、無防備じゃいられないわ。どうにかした方がいいわよ』
「どうにか……?」
『何か、対応できるモノを何か。あたしたちとすぐ連絡取れるようなのとか……ダメだわ、あたしもう寝なきゃ……それじゃあね』
「え、あ、あぁ……じゃ」

――いくら、付き合いが少なかったとはいえ……親戚だ。
 母親が亡くなった時、1番に駆けつけてくれたのは雪子だった。その後すぐに葵たちが来たが――。彼女は母と1番仲が良かったと言い、幼い頃から、1番身近な存在だった。

――次、誰が被害に遭うのか?

 考えてはいけないことだと思いながらも、考えずにはいられなかった。自分は、先日殺されかけている。――体が弱っているのも確かだ。そこを狙って来るかもしれないし、他の誰かがまた……という可能性だってある。それにもう、3人も死んでいるという事実を考えると――……恐ろしい。
 本格的に、戦わないといけないんだろうか?

 決断を迫られても、すぐに答えを出せない自分がいた。


     Epilogue

少年は気付いた。

決して失くしてはならない存在。

決して恨んではならない存在。

決して敵にはできない存在。

こんなに近く、こんなに多く、こんなにも優しくしてくれて――。

どうして気付かなかったんだろう?

自分独り、苦しんでいる気になって――。

でも、本当は違った。

本当に独りなら、きっと生きてはいない。

もう――……苦しむことはない。


+++



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