形と探偵の何か
Page.15 「灰色の転校生」




     Prologue

 彼女は車のドアを開ける。

――カシャ。

耳障りな音に、彼女は動きを止めた。

「無防備ですね」

彼女の耳に届いた、何者かの声。

「貴女が、夢見月香子さんですか。さすが、お美しい」

到底、それを褒め言葉などとは受け取れない。

酷く尖った棘を持つ、その言葉を。

「……私を殺しに来たのね?」

「さすが、ご察しがいい。確かに、貴女を殺すよう命じられた」

彼女はその声の主の姿を追う。

――黒い服に身を包んだ、いかにも「殺し屋」的な少年。

「さっさと撃つがいいわ。殺されて当然の人間だもの」

「いけませんね。こんな状況で撃ったんじゃ、ボスも喜ばれない」

「なら、どうすれば?」

返答の察しはついている。

でも、訊いておきたかった。

「ちょっとくらい、反抗してもらわないと」

「残念だけど、私にはそんな能はないわ。さぁ、早くして」

彼女の心に余裕が残されていないことは、充分わかっただろう。


――パァン!


彼女が走馬灯を回さないうちに、少年は事を終わらせた。


      1

 青年の横にいる1人の教師。さっきからずっとボーっとしたまま、何か考えているのかいないのかすら定かではない。青年はニヤと笑った。
「ははーん?眠いんですね」
「お前に言われたくはないよ、眠りの鬼が」
「失礼ですね。これでも朝は6時に起きてるんですよ」
「夜は8時だろう?えらく早い」
「早寝早起きのどこが悪いんですか」
「悪くないから、こっちの苦労も考えてくれ」
そうまで言うからには何かがあるのだろうと問いただす。
「…………転校生が来たんだよ、あぁ――1番今人数が少ないからって理由だもんで、連続になってるが」
「それって有りですか」
「有りです、だな。ま、苦情は出てないからいいらしい。で、だ」
「で、何ですか?」
半分期待して顔を覗き込む。効果なし、いったいこの人は何をすれば調子が治るのだろう――。
「良くは知らないが、色々あって父親がいないらしい」
「だったら秋野君も同じじゃないですか」
「それはそうなんだが、それとはまたちょっと違う」
「……複雑ですね」
青年――流人は少し笑ってみせた。岩杉は溜息をつく限りだった。
「そう、複雑なんだよ」

その『複雑』がいったいどこまで複雑なのか、流人には想像も付かなかった。

      *

 冬雪は遅刻寸前で廊下を走る途中、「彼」を見つけた。足踏み状態で、とりあえず声を掛ける。
「おはよぉ、阿久津くん」
「……おはよ」
転校生の少年は振り返って一瞬黙り、それだけ言って去って行った。まるで――否、完全に、バカにしている。
(むっか)
 冬雪は一瞬動きを止めたが慌てて追いかけ、チャイムが鳴る寸前で教室に滑り込んだ。
「お、今日もギリギリかよ、秋野ー」
「うるさいっ」
冷やかす男子たちを振り切って、冬雪は自分の席へと向かった。

――転校生の席は、50音順によりすぐ後ろ。

「よぉ、冬雪。少々ご不満ですな?その顔ー」
胡桃が冷やかしてくる。
「…………」
「あれっ、少々どころやないみたいやね、ふゆちゃんてば妬いてる?」
「うっせぇ」
「はは、ついに壊れやがった。霧島、撤退するぞ」
「あはは、そーしよぉ」
2人は笑いながら自分の机に向かう。どっちにしろ胡桃は目の前、詩杏は右隣だから撤退されてもあまり関係ない。
 そもそも、普通なら人にいらついたりなどしない冬雪が例になく不機嫌なのには訳がある。

――今度の転校生阿久津秀は、明らかに日本人じゃない。

 後ろで軽く束ねた髪は金色、碧色の瞳、その高身長と彫りの深い顔立ち。
 どうやら、父親がイギリス人とかでそうなっているらしい。無論、その抜群な外見にヤキモチなど妬いているつもりもない。少なくとも、自分の茶髪と青紫の目が他の日本人と違うのは判っている。
 ただ、全く反応がないのが気に入らないのだ。何度何を言っても答えは簡単だし、泣きも笑いもしない。まぁ、転校してきてすぐ泣かれても困るが、せめて少しくらい、笑ってくれてもいいのではないか?クールだと考えるにも限度ってものがある。
(笑わなくていいから、少しくらい喋ってくれよ)
 自らを『ぼく』と呼ぶ、冬雪の第2人格――もとい本性の場合、喋りこそしないが笑うだけ笑っているような人間だ。因みに、調子が良い現段階では、そこに『喋る』が追加される。典型的な「おしゃべり」ということだ。
(しかしなー)
 そして冬雪が何より疑問に思っているのは、
(何で金髪ってだけで持て囃されてしかも!遅刻寸前でも何も言われないってこと)
だった。結局のところはずるいと思っているのだが、単に付き合い3年目の冬雪が単に軽く見られているだけだ。
(ったく)
 冬雪は1時間目の数学の準備を始めた。

      *

 阿久津秀は目の前の席に座る少年について考えていた。大して他にすることもなかったので、唯一自分に批判的な目を持っていると見える彼が何者なのか、判断しておきたかったのだ。
(髪は素でブラウン……否、それより明るいか。瞳は青系。身長150cm台、体重は想像する限り。眼鏡は銀縁、部活は…………不明。学業成績も不明か。性格としては社交的で、いつも笑っているようなタイプ……表向き。裏は不明ってところか)
 そこで分析を終えると、その対象がこちらを見ていることに気がついた。
 秀は挨拶ばかりに声を出した。
「…………やぁ」
「やぁ、じゃないよ、ホント。オレのこと何か考えてたりする?」
そのコメントから、分析結果を追加する。
(なかなかの洞察力、一人称はオレ。声はソプラノ寄りのアルト。声変わり初期だな)
「……多少」
「その多少、が気になるんだけど。あ、家近かったりするよね。今日、一緒に帰ってみる気とかない」
「別に構わない」
「そ。ま、大した距離じゃないけど」
確かに、秀の家と近いというのなら大した距離ではない。走れば十秒で着けるくらいの距離だ。全速力で走ればの話だが。
 秋野はそこで表情を変えた。
「…………君は何をしに、ここに来た?」
秀の答えがつまる。その間に、秋野は更に続けた。
「何を知る者だ?何が目的で、ここにいる」
「僕は何も知らない、目的もない。単に引っ越してきただけだ」
「嘘だろう?」
「どうしてそう言い切れる?君だって、何を目的としてここに住んでいるか訊かれたら、答えられるのか?」
すると、秋野は鼻で笑った。
「答えられるさ」
「なら答えてみろ」
答えられるはずがない。ただ、見栄を張っているだけだと思っていた。
「公表できない理由がある。それを君が知れば大きな問題になるさ」
「僕には話せないわけだ」
「他人にはほとんど漏らせない。勝手に解釈してくれればいい、これが嘘だとでも、本当だとでも」
秋野は腕を組んで、窓際の壁に寄り掛かった。いつも藍田と話している時の軽さとは全く違う気迫があった。
 その正体をここで見破れていれば、何もそこまで苦労することはなかったものを。
 秀は後に、この時のことを酷く後悔することになる。

      *

 その日の帰り際。帰宅部はすぐに帰れるのが魅力的だ。無論、それに準じたネーミングだが。冬雪が鞄を肩に教室を出ようとした時、ふいに鞄の端を誰かに引っ張られて振り返る。
「はうっ」
「明日午後2時、日本人形集合」
声ならぬ腕の主は岩杉だった。
「集合?」
「話すことがある。ここじゃまずいから、流人を交えて3人で話そう」
「…………うん、判った、うん。じゃあね」
「あぁ」
 何の―――話だろう。流人や岩杉が関わって、胡桃や詩杏には話せない問題には何があるだろうか。夢見月家に関するものなら、詩杏は知らないが胡桃なら知っている。大人の話なら冬雪が話に参加する必要はない。
(ま、行けば判るってもんかな。成績の話じゃないだろうし)
 冬雪は鞄を肩に掛けなおし、階段を一気に駆け降りた。

      2

――トゥルルルルルル、トゥルルルルル。

秋野家の電話が鳴ったのは、その日の午後だった。
「はーーい、秋野れっふ」
『え………………っと、』
おやつ途中でノリにノッていたらしい冬雪の応対に、相手方が困惑した。無理も無い。発音が正確でない。冬雪はビスケットを噛み砕いて飲み込むと、再度応対した。
「もしもし?」
『は、はい。えと、秋野様のお宅……ですよね』
「そーですけど」
『あ、はぁ……私、夏岡雪子の秘書をやっている者なのですが、1つ大事な連絡がございまして、お電話させていただきました。あ……冬雪様、ですか?』
「様なんて付けられる立場じゃないけど、そうです。連絡?連絡網かなんかですか?」
『ええ、そんなようなものです。生憎、本人が忙しくしているようなので……。で、用件なんですが、単刀直入に言いますと、香子様が亡くなられました。それで、お通夜が明日……あ、えぇと、』
「え?」
冬雪は一瞬、自分の聞き間違いかと思った。

――香子が死んだと?

殺したって本当に死ななさそうな、あの人間が?
『はい。えぇ、その……撃たれて亡くなったとの連絡ですので、お葬式の方はもうしばらく経ってからになりそうなのですが』
「撃たれ、た…………それって、犯人は……?」
『いえ、まだ捕まっておりません。あ、それから、そちらで最後ですので、桃香様の方にお戻しいただけると幸いです」
「は、はい。わ……判りました」
冬雪は受話器を置いて、異様なまでに速い心臓の鼓動を確かめる。度が過ぎると危ない。
(Y殺しは香子を殺さないと明言している。間違いなく、違う犯人だ……ってことは、ホントに誰が……?)

 冬雪は再び受話器を取って、電話台の前に貼られたメモを見ながら、夢見月家へまわした。

      *

「何だったんですか?電話」
未だおやつ途中の鈴夜が軽々しく訊いてくる。
「……まぁ、な。あー、えっと、香子が死んで、その……」
「へ!」
「へ!じゃない、ホントのことなんだからさ」
「お葬式とか行くんですか」
「……行っても行かなくてもいいって桃香は言ってた。ま、葬式くらいは行ってやるか。どうせ休日なんだろうし」
冬雪はソファに座って、バスケットの中のビスケットを取った。
 その時、梨羽がリビングに入ってきた。
「何だか大変なことになってますね、冬雪」
「……知ってんのか、梨羽」
「知ってるどころか……TVでやってますよ」
「え」
「そっか、そうですよね。『有名人』ですもんねっ」
鈴夜が便乗して笑い、梨羽もそれに相槌を打ってから、キッチンへ行った。
(しかし、あの香子がいきなり、何で?)

そこまで無防備でいたのだろうか。

そこまで覚悟が出来ていたのだろうか。

そこまで――――……。

(ダメだ、考えられない)

冬雪はジーンズの上着を脱ぎ、ソファにそのまま置いて立ち上がった。どこへ行くあてもなく―――座っているのが嫌だったのだ。

「冬雪ー、そのTシャツいつになく派手ですね」
「うるさい、小僧」
鈴夜の頭を叩こうとしたが寸分の差で避けられる。それだけ――感覚が鈍ってしまっていたのか。

――あれだけ嫌っていた人間なのに。

 冬雪は落ちてくる前髪をかきあげ、上着を持ってリビングを出た。そのまま階段を上って、自分の部屋へと戻る。

――もう、何も嫌がることはない。

 夢見月は敵ではない。

そう―――信じたかった。

信じたくても、信じられない自分が居た。

      3

 春休みにこの部屋に新しく導入されたTVの電源を入れる。1人暮らし用みたいな小さい物だが、1人で見たいときにはうってつけだ。今なら丁度、夕方のニュースが始まった頃だろう。チャンネルを回し、適当なところで止める。
『続いて、速報です。今日午後4時頃、作家の藤村聡さん28歳が、都内の自宅から遺体で発見されました。えー、身体には数箇所の深い刺し傷があり、直接的な死因は出血多量と見られております。警察では殺人事件と断定し、捜査が始められています』

「藤村?って誰だっけ」
冬雪は普段本など読まない。いくら親族に有名作家がいるとはいっても、そんなものは関係ない。しかし、それでも聞いたことのある名前だった。
(ってことは、相当有名か、あるいは)

―――葵の知り合い?

(まさかね)
自分で考えながら失笑し、再びTV画面に目を向ける。しかし、さすがは速報、中身を伝えるのも速い。次のニュースに移っていた。
 香子のニュースなど、今更聞いてもしょうがないと思った冬雪は、手持ち無沙汰に携帯電話をいじり始めた。連絡用にしか使っていないし、学校の友人は冬雪のアドレスはおろか、電話番号すら知らない。持っていることも知らないかもしれない。なので、専ら『連絡相手』は葵か雪子であって、そうでもなければ誰からの連絡も来ない。
(葵にでも送ってみるか)
 彼も一応は作家だ、知っているかもしれない――と思い、メール作成画面を開いてふと思い出す。

―――葵は今フランス周遊中じゃねぇか!!

 呆れて溜息が自然と出た。そう――ワープロ片手に旅人・佐伯葵は世界へ旅立っている途中だ。無論、今度の本の舞台がフランスとは限らない。まぁ、先日までいい加減沖縄にいただけあって、何時書いたのかも判らない新刊は舞台を沖縄に持っていったらしい。それで次がフランスなのもどうかと思うが。
 しかし、次の瞬間。

――ピリリリリ。

高い音域の呼び出し音が1度だけ鳴って、携帯電話は静かになった。画面にはメールが来ていることを示す紙飛行機が、確かに表示されている。
「うっそぉ、ま、雪子だな」
が、予想は往々にして外れた。
「…………兄貴ぃ、いったい何処にいるんだよ」

 差出人は葵、どうやら日本にいて、しかも駅に着いたから梨羽に伝えておいてくれ、という単なる帰りの連絡だった。テレパシーも期待したがダメだったらしい。冬雪は藤村聡の名を尋ねた。
 メールはすぐに返って来た。知っているが、そいつがどうした?とのことで、事件については知らないらしい。帰ってから話す、と再度返した。

 何だかやけに賑やかで、生活が窮屈に感じられた。

      *

 葵は藤村の事件の話を聞いて、へぇ……と感想を漏らした。大した感慨もなさそうで、それほど親交もなかったのだろう。葵は自分で買ってきた缶ビールをぐい、と飲んで、軽くコメントをはさんだ。
「そうか。最近は訃報が多いな、お前は死ななかったが」
「殺しても死なないって言うんだろ」
「言う、当たり前だろ」葵が冬雪の脳天をはたきながら言う。そして、冬雪の悲鳴も聞かずに続けた。「しかし――……あいつはあれだ、『清純』だぞ?賄賂もしてねぇし、何のスキャンダルも」
「……あのさ、アイドルでも政治家でもないの。自分の職業、判ってる?もう、出版社からの電話は懲り懲り。それに酔っ払うなよ、疲れるんだから」
 葵は酒には強いが、1度酔ってしまうと――……使い物にならないどころの話ではない。笑い上戸にも程がある。冬雪の見解では、この人はきっと笑い死にすると考えられているくらいだ。近所迷惑も近所迷惑。
「ははっ。酔ってやるかよ、オイ。俺だって疲れるんだよ」
「だったら飲むな。飲むなら笑うな」
「交通標語かよ」
 そう言いつつ葵はビールを飲み干し、リビングのテーブルにカン、と音を立てて缶を置いた。
(でも何で、あんなに暢気にしてられんだよ、なぁ?硝子)
 ダイニングの椅子で眠っていた白猫の頭を撫でると、猫は小さな声で、優しく鳴いた。

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