形と探偵の何か
Page.14 「Are you my enemy? 」




      1

「…………」
 何が起こったのか――辺りを見回せば見慣れない空間で、自分の唯一の頼みの綱、記憶と照合してもそれに見合う場所はない。冬雪は目を擦ってもう一度見回してみた。
「よ、おはよ。3年寝太郎」
 声の主はベッドの右側に座っていた。こちらに目を向けたその姿は紛れもない、久海葵だった。久々に切ったらしい髪はいつものように金色に染められている。とにかくその態度といい、服装といい全く変わらないいい加減さだ。
「……葵。3年も寝てないよ」
「判ってるって……ったく、心配させるなよ?ほら、起きると響くぜ」
葵は起き上がろうとする冬雪の肩を押さえて再びベッドに寝かした。
「響く?」
「お前、撃たれたんだろが。そろそろ思い出せ」

――撃たれた?誰に、どうやって、いつ?

冬雪は微かな1番最近の記憶を引っ張り出す。夢を見たことは覚えている――幼い頃の、しかして懐かしいというよりはつらい、嫌な夢だったような気がする。それで、現実の出来事は?
「あ……」
「思い出したか?」
「そっか、そうだったね」
「ちなみに今は午前10時ナリ。おそよう、だな」
「生きてるんだよね……?」
「何バカ言ってんだ」
葵は冬雪の額をパシッと音を立てて叩いた。冬雪が悲鳴を上げる寸前で、その口を塞ぐ。
「病院だ。静かにしろ」
と、にこやかに微笑む葵。
「あっ、あんたが叩いたんだろっ」
「ははっ。まぁいい。12時にこの部屋で待ち合わせしてる」
「葵が?ったく、人の病室を待ち合わせ場所にすんなよな」
「違う。お前が待ち合わせしてんだよ。お、ま、え、が」
「……は?」
何を言っているのだ?冬雪は誰と待ち合わせした記憶もない。勝手に待ち合わせさせられたと言うのか?訳が判らない。
「ちょっと待って、それ、誰とだよ?」
「さぁな。今は言えない。おっと、俺はそろそろ家に帰るからな。とりあえずお前が退院するまでは家にいてやるから。そいじゃ」
「あ!ちょっ、おい!」
冬雪が必死に訴えるも虚しく、葵は部屋を出て行ってしまった。
(いったい誰と待ち合わせなんかしてるんだ?まさか、葵が犯人を知ってて、オレが生きてることを犯人が聞きつけて、葵を媒体としてオレを殺しに……)
有り得ない。葵はほとんど消息不明に等しい旅人なのだ。
(……はは、まさか)
 冬雪は布団をかぶって、再び目を閉じた。

      *

 久海葵がその人物から連絡を受けたのは、その日の朝6時だった。自宅にいた葵が猫のスノーとじゃれあっていたまさにその時、携帯にメールが入ったのだ。
(誰だよ?こんな時間に)
 見てみれば差出人はどうやらパソコンからで、Kuryu-w@……という、何と読んでいいのかすら曖昧なアドレスだった。実際そういうものは多いし、どうでもいいやと中身を開く。
『葵、久し振りです。覚えていますか?白亜です。もし覚えていたら、なるべく早めにお返事ください。相談したいことがあります。では』
「……白亜?これ、ってまさか」
 葵は猫を放り出し、その悲鳴も聞かずに立ち上がってリビングのソファに座りなおした。白猫――硝子のほうだ――が走ってきて葵の膝に乗る。
「あ?何で叔父から来るんだよ」
返事を書きながら不思議に思い、どうもおかしいことに気がつく。いや、明らかにおかしい。

―――叔父はもう随分前に死んだではないか!!

(死者からのメール?バカにすんなってんだ……いや待てよちゃんとアドレスがあるんだから少なくとも誰かが送ってきたってことで)
 そもそも何故葵のアドレスを知っているのだろう。
 疑問点は他にも色々あった。でもそんなことはどうでもいい。葵は、とにかく返事を書いて送った。相手から反応があるかないか――それに掛かっているのだ。むしろ、返事をくれと言っているのだから、送るだけの価値は……あってほしい。メールを1通送るのにも金が掛かっているのだ。

 すぐに返事は返ってきた。相談内容は『冬雪に会って話す必要がある、場所を時間を取り持ってくれないか』とのことだった。
「今あいつは夢の中だっての。ったく」
 葵は一応昼12時に冬雪の病室、と設定し、容態は安定したがまだ意識が戻っていないことも伝えた。叔父らしき人物はそれを承諾し、事情はまた今度話す、とも言ってきた。
「何者なんだかな、おい?白亜叔父。な、硝子」
硝子の様子を見ると、彼はひとつ大きな欠伸をして目を瞑った。
「ホント、変な家族だ」

      2

――コンコン。

 ノック、らしい。そう、ノックだ。冬雪は目を覚まし、枕元にあった時計を見た。午後0時、まさしく約束の時間。冬雪は適当に返事をした。
 扉が開く音がして、中に2人ほどの人間が入ってくる。冬雪は頼りない視力でその姿を追った。1人は女だ。茶色い髪の、背の高い女――見覚えはある。その派手な服装からして、
「……香子」
間違いない。しかし何をしに来たのだ?あまりにも奇妙な登場に驚いた冬雪は彼女の後に続く人間のことを半分忘れていた。
「ええ。良かったわね、生きられて」
「うるさいな、あんたに言われる筋合いないよ」
「…………いつもいつも私にはそうやって反抗してばっかりで、雪子とは仲良くするのね」
「アレはあっちから『仲良く』してくるんだよ」
冬雪は彼女から視線を逸らす為に、顔を背けた。
「人と話をする時は目を見て話さない?」
「別にいい」
「この部屋にいるのは私と貴方だけじゃないっていうのに」
「んだって、どうせ香子のお付きの人でしょ?オレとは関係もない……」
「関係あるから話に出してるんじゃない」
香子が溜息をつくのが聞こえた。
「……もう、しょうがないわね。ワダツミくん、後はご自由にね。私はここにいるから」
「えっ」
ワダツミとかいうらしい名前の、知らない男の声が一瞬だけ聞き取れた。高い方だろう、それに、くん付けだったところから見ると香子よりも年下、まだ若いらしい。
 冬雪は香子じゃないから、と再び顔を右に向けた。男は椅子に座っていた。長い髪は真っ黒で、夢見月の血を引いた者でないことだけは判った。もしそうであれば、大抵の場合髪の色素は薄く、一般に見て茶色になる。例外的に鈴夜は黒いが。
「…………こんにちは」
とりあえず挨拶だけしておいた。冬雪が何をすればいいのかは判らないので、相手の出方を待った。
「いきなり来て、悪いと思うけど――……今日の待ち合わせは、香子さんじゃなくて、僕が葵に、頼んでたんだ」
「香子じゃ、ない?」
 てっきり香子によるものだと思っていた。ついでに、葵が呼び捨てなのはやはり、彼と知り合いなのだろう。
「うん」
「葵の、友達だったりするんですか」
「え、いや……友達、じゃあないんだけど」
ワダツミがうろたえ、背後の香子に指示を仰いだ。香子は仕方ない、という風に言う。
「正直に言ったらどう?そう、友達じゃないわ、なら何?」
「親戚、というか……いや、うん、親戚」
「葵の親戚」
誰が生きていただろう。両親は既に亡くなっている。その兄弟のことはよく知らないが、久海家にはもう葵の祖父しか残っていない。
「遠縁とかですか?」
「遠くないでしょ、さっさと言っちゃった方が早いわ」
「でも、説明が」
「説明なんか後でいいのよ、ほら」
香子がイライラし始めているらしい――……男はようやく口を開いた。
「僕は葵の叔父で、一応、君の――父親」
「え?」
何だって?でも確かにそう言った。父親、つまりは久海白亜、葵と梨羽の叔父で、冬雪と彼ら兄妹を繋ぐ唯一の接点。しかし彼は冬雪が生まれるより前に、亡くなっていたはずで?
「嘘!?」
「冬雪君、落ち着いてー。起き上がると痛むわよ」
「なっ、そんなこといってもっ」
「いいわ、私が説明する。いい、15年前に亡くなったのは貴方のお父さんじゃなかったの。彼の身代わり、まぁ……ホントのこと言っちゃうと、貴方のお母さんが仕組んだことなんだけど、とにかく生きてたのよ。その、15年前にホントに亡くなった身代わりの人の振りして生きてたの。それを私が探し出して、秘書として働かせてかくまってるって訳」
「生きてた?香子の秘書?何、どういうことだよ?」

判らない、判らない!自分が何を言われているのか、自分の目の前にいる人間が誰なのか……何故、何故、何故……。
 父は生きていた?まさかそれも、香子の秘書として?ちゃんちゃらおかしい話ではないか!
 冬雪は視線を逸らし、布団をかぶった。
 しかし、香子は続ける。
「もっと言っていいかしら?貴方を撃ったのは私の夫なの。あの人が『Y殺し』で、今までずっと実行してきた犯人よ。でも勘違いしないで。私は貴方がターゲットだってことは知らなかったわ。そんなことで私を恨まれても困るからね。いいわね?」
「ちょっと待てよおい……何でY殺しを家ン中置いて平気なんだよ?必ず、お前の親戚の誰かが殺されるって判ってるのに、どうして平気なんだよ!?」
「そんなの、家にいたっていなくたって変わらないことじゃない!結局誰かが死ぬことになって、それで犯人がいなくなるよりも気が楽なのよ!私は確かに、絶対に通報しないって彼と約束してしまったわ、ええ、私は確かに共犯よ、でも計画の事は何も知らないの。彼が1人で勝手に計画を進めて、貴方を殺そうとしたのよ!全てはワダツミくんを苦しめる為なの」
「訳わかんねぇよ……もう来るな……もう来ないでくれ!」
「香子さん!冬雪くん!2人とも落ち着いてください、ここは病院です!」
ワダツミもとい白亜が制し、香子は叫ぶのをやめた。
「いいかな?冬雪くん」
「…………」
「僕が香子さんの手伝いをしてることが、犯人は気に入らなかったんだと思う。僕みたいな人間が、犯人の名を知る僕が邪魔だったから、君を苦しめることで、間接的に僕への嫌がらせになるように仕組んだんだ。僕に行き場所がないことを知っていて」
「ホントに貴方は……父さんなんですか?」
冬雪は布団の中から尋ねた。傷が少し痛んだ。
「あぁ――、あの事故まで『久海白亜』だった人間なのは確かだ。兄たちが亡くなった時も、夕紀夜さんが亡くなった時も――白亜としては行けなかったけど、弘原海紅竜として挨拶だけさせてもらった」
「その弘原海っていう人が、身代わりの人ですか?」
「そう――そうだ。僕の友人だった」
「どうして」
息が苦しくなって、布団から顔を出した。改めて見ると、確かに彼の顔は写真で見た白亜そのもので、多少年齢は進んだもののまだ若い印象が強かった。
「どうして、今まで黙ってたんですか……?」
 白亜は悩みこんだ。その後ろでは香子が疲労困憊といった雰囲気をにじませている。
「死んだ者は、死ななきゃいけないからね」
――白亜は苦笑して言い、立ち上がって窓際に立った。
「だからって、本当のこと教えてくれても良かったのに」
「まだ早いと思ったんだ。君はまだ――幼かったから。夕紀夜さんが亡くなって、誰が保護者になるのかと思ったら葵が買って出て……その時はホントにヒヤヒヤしたよ。まだ葵、ハタチになったばっかりだったのに」
「これから、どうするつもりなんですか」
 もし、父親として一緒に暮らしてくれるのなら。冬雪は少し期待した。
「住民票をそっちに移して住むことは可能だ。でも、梨羽たちに迷惑は掛けたくないし、鈴夜くんのお父さんだって、まだ行方不明だろう?君がどういう結果を望んでいるのかは知らないけど、まだどうなるかは判らない」
「…………そうですか」
少し残念だった。でも、白亜は冬雪の父親であって鈴夜の親ではない。そのことを理解済みである鈴夜は、この中で1番、そういうことを気にするタイプでもある。白亜が冬雪のことを贔屓するなどということはないだろうが、鈴夜がどう思うかは目に見えている。

―――ガラッ。

「え?」
3人が3人とも驚いた。部屋の扉が開き、入ってきたのは幼い子供――今話題沸騰の鈴夜だった。いや、鈴夜だけではない――……葵と梨羽、今のところ冬雪と同居している全員がやってきたのだ。
「あら吃驚ね、弘原海くん」
 香子が冷やかしのコメントを挟んだ。鈴夜がこんにちは、と言ったが、彼女は軽くうなずいただけだった。
「私は帰るわ。後で帰るか帰らないか、連絡ちょうだい。もし帰らないなら、ご自由にね。私が関わることじゃないもの。それじゃ冬雪君、お大事に」
「冬雪、何で香子さんがいるんですか?」
「……話したくもない」
香子が部屋を出て行き、その場が賑やかになってしまったのは無理もないことだった。

      3

 結局、白亜は香子のところへ戻ることになった。行けば会えるし、連絡が遮断されている訳でもない。鈴夜の心情も考えて、これが1番適切だと判断したのだ。
 一週間後、冬雪が自宅に戻った時には、既に葵は旅立っていた。今度は海外らしく、数日で帰ってくるとは言ってきたものの、『予定は未定で決定ではない』色の強い葵がその通り帰って来るとは思えなかった。

「それで、どうなったんですか?その、Y殺しって」
鈴夜がオレンジジュースをストローで飲みながら言った。
「知るかよ、もう来ないだろ」
冬雪がいい加減に答えると、梨羽が満面の笑みを浮かべて言った。
「来なければいいですね、本当に」
「梨羽……お前いつも何か怖いこと言うよな」
「事実を申し上げてるだけです」
「隠しといたほうがいい事実だってあるのに」
「はい、屁理屈はその辺にしておいて下さいね」
 梨羽はそこまで言って立ち上がり、おやつの載っていたお盆を持ってキッチンへ向かった。こちらのことを思っているのか、いないのか。一応前者なのだろうが、言うことはキツイ。冬雪はいつか復讐してやると心の中で誓って、コップに入ったスポーツドリンクを一気に飲み干した。

      *

 後日、TVで報道されたとある事件を、社会に無関心になっていた冬雪は知る由も無かった。

――Y殺しではない何者かによって、夢見月香子が射殺されるという――。

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