形と探偵の何か
Page.13 「有名人一家」




    Prologue

―――電話が、鳴る。

それを、店主が取った。

内容は、聞こえない。

――ただ。

店主の受け答えがいつもと違うのに、

言い知れない不安が、頭をよぎった。

……受話器が、置かれた。


 店主がひとつ、溜息をついた。


      1

――コツ。

香子はその音に振り返った。暗い駐車場、不似合いな派手なワンピース。明らかに目立つ彼女に、香子は半分呆れた。
「どうしたの?調子は大丈夫なの?」
彼女は何も言わなかった。ずっとこちらを見つめて、立ち尽くしているだけだった。
「答えなさいよ」
「…………また、姉さまが『犯人』役を負うのですか?」
「役、じゃないわ、ホントのことなんだから……貴女が心配することじゃないの。貴女は家に帰って、子供と自分の体の心配しなさい」
「私には……出来ません」
いつもこうなのだ。香子のことを心配しては体調を崩し、病院に掛かることになって――その繰り返しなのに、本人は全く感知していない。
「でも実際、貴女自身は治ってないのよ?本当なら安静にしてなきゃいけないのに、こんなトコまで出てきちゃって。遠いんでしょ?乗せてってあげるから、帰りなさい」
「結構です、自分で帰りますから――……姉さまはどうして、Y殺しなどと」
「その話はしないで!いいから、送っていくから乗りなさい。ただし、その話はしないこと」
 もう、そのことは忘れたい。彼女が話すことによって、香子のなかの小さな罪悪感は次第に大きくなり、また鬱状態になってしまう。そうならない為にも、そのことを忘れて過ごすしかない。
 香子は彼女を車の後部座席に乗せて、自分は運転席に座ってシートベルトをした。
「姉さま」
「シートベルト、ちゃんとしなさいよ」
「あ、はい」
事故なんかで死んでしまったら元も子もない。
 香子はアクセルを踏み込んだ。
「ねぇ」
「はい?」
「あの子の様子はどうなの?最近会ってないから、良く知らないんだけど」
「ええ、快調です。何も心配はいりません」
「そう」
香子は運転を続けた。何にもとらわれることもなく、決して、気を逸らされないように。
 ハイウェイに乗ってから、しばらく経っていた。
「『犯人』が私なのは、知っての通りよ」
「どうして、姉さまが負うのですか?いつもいつも、私に回ってきた話は全て姉さまが受けてくださって」
「貴女は正しい道を行く者だもの。私は貴女を守ってるの」
「守ってるって……私には、話を受けるだけの義務が」
「ないわよ。私みたいな汚れた人間が犯したほうが、警察も貴女を見逃すわ」
「だったら、Y殺しの件も」
――仕方がない。話したいのなら話せばいい。香子に彼女を止める勇気はなかった。
「仕方なかったのよ。彼は、そうと知ってて私に近づいたの。結婚するとなれば――彼はきっと、私を殺すに違いないって判ったから」
「それで、どうしたのですか?」
「もし私を殺したいのなら、私から離れてほしい。私と結婚したいのなら、私を殺さないと約束して。そう言ったわ」
「卑怯ですね」
「結婚しなかった貴女よりマシ」
「し、しなかったんじゃありません。する前に亡くなったんです」
「殺したんでしょう?」
「…………違います」
「殺したも同然よ。全ては我が子の将来の為、ね?夕紀夜」
 後部座席の彼女は黙り込んだ。
 しばらくして、口を開く。
「彼は、生きてるんです。戸籍の中では、もう死んだことになっているのに!私がパイロットに示唆したのも確かです!でも……彼はそれを感知していました。だから、身代わりをあの便に乗せて」
「何百人を殺したのね、貴女は」
香子は溜息をついた。
「素晴らしい勇気と決断力だと思うわ。まあ、それを悪い方向に使ってしまったのは残念だけど。でも身代わりまで使ったのに、どうして死んだことになってるんでしょうね、彼」
「判りません……身元確認の際に間違ったんでしょうか」
「さあ、知らないわ、私は。どこでどうやって生きてるのか知らないけど、その事件は貴女自身で解決するのね」
「…………はい」
 夕紀夜は渋々ながら頷いた。
「着いたわ」
香子はドアのロックを外した。夕紀夜は自分でドアを開けて、外に出る。
「姉さま」
「はい?」
 香子がそちらを向くと、彼女は助手席の窓から何かを差し出していた。
「何?」
「差し上げます。来年はきっと、もう会えないでしょうから」
「桜……?もう咲いたの?」
「ええ。失礼します」
 ほとんどのつぼみは花を咲かせ、春の到来を告げたらしいその桜の枝。彼女の家の庭にある桜の木を見れば、既に8分咲き……見頃だ。

 香子は少し笑って、車をUターンさせて出発した。
 

――2003年春。今からもう、4年も前の出来事である。
 香子は、自分の部屋の扉を開けた。

      2

「! 香子様!な、どうして僕がいると」
目の前に立っていたのは、香子がしばらく雇っている秘書の青年だった。
「いえ……偶然でしょう?私はただ換気しようと思っただけ」
それが真実だ。香子は超能力者ではない。
「換気をなさるなら窓も開けられたほうがよろしいですよ。はは……で、それよりも」
「どうなったの?あの話は」
香子はドアを閉めて、部屋をまた密室にした。この話は聞かれてはならない。
「…………実行されました。確かに」
「え、されたの?教えて、誰があの人に」
「…………」
青年は黙り込んだ。よほど言いにくいのか、視線をうろうろさせるだけだ。
「どうしたの?ね、誰なのよ。生きてるの?死んでるの?」
「まだ、生きていますが判りません」
「…………ねぇ、弘原海(ワダツミ)くん?もしかして、もしかすると……貴方の?」
「……はい」

――やっぱり。

 香子は溜息をついた。そして、青年への慰めモードに入る。
「判ったわ、どうしようもないことだから……多分、あの人は貴方を懲らしめる為におこなってるの。心配することじゃないわ、大丈夫、彼が苦しんで、貴方が苦しむのを見たいだけなの!死なないわ、だから心配しないこと、いいわね?そうじゃなきゃ、仕事だって捗らないんだからね?」
「……はい。判りました」
青年は立ち上がり、窓の外を眺めた。
「ね、弘原海くん」
「はい」
「彼の容態が安定したら、会いに行きましょう」
「え……?でも、会いに行っても彼は僕のことを知らないですし」
「大丈夫。全部話すの。全て話してしまえば、彼だって納得してくれるわよ。私との対立はどうなるか知らないけどね。少なくとも、貴方だけは許してくれるはずよ?まさか彼が、貴方を許さないわけがないもの」
 青年は困ったような顔を見せた。       、、、、
「やってみましょうよ?やるだけの価値はあるわ、久海くん」

――青年は、小さく肯定の返事をしてから、部屋を去って行った。

      *

 岩杉は溜息をついた。
 さっきから、状況はほとんど変わらない。岩杉が何をしようが、誰がどう祈ろうが、何も変わらないのだ。
(神は不公平だな)
「助かっただけ、良かったのかな」
岩杉の横で弱気なコメントを出すのは、秋野鈴夜だった。
「心配すんなよ、俺のほうが大変なんだから」
「お兄様も発言控えといてください」
「あん?俺が東京にいなかったら、まだ駆けつけられてなかったぞ」
「そんなこととは無関係です」
こんな場で兄妹喧嘩を交わす2人には多少呆れたが、仕方がないのかもしれない。
 今ここにいるのは、岩杉と鈴夜、梨羽、葵と胡桃、詩杏の6人。流人と兎堂は店で待機することになった。

――まさか本当に、冬雪が襲われるとは。

 その可能性は確かに消えていなかった。それでも、そうではないことを祈るばかりで、実際に計画が実行された時のことを想定していなかった為に――それなりの衝撃があった。
 彼が襲われたのは、彼の家のすぐ目の前だった。
 冬雪が買い物に外へ出たその時、影に隠れていた犯人がいきなり銃撃したらしい。その音は小さく――サイレンサーつきだとか――、周囲の住民はほとんど気付かなかった。もし、そこに帰り際の詩杏がいなかったとしたら……どうなっていたか判らない。無論、通報したのも救急車を呼んだのも詩杏で、結果としてここにいる。
(とにかく理由が判らないな)
 そして、その場には奇妙なメモが残されていた。

『儀式は遂行された――……我が7人目の餌食となりし者の不幸を祈る。8人目は今日から100日以内に我が餌食となる』

奇妙、というよりは具体的過ぎて怖い。8人目、つまり次の被害者が出ることを予告しているのだ。警察が警戒しないはずもない。既にもう、冬雪の自宅前では現場検証が――……その響きはまるで殺人事件だが、行われている。冬雪が目を覚ませば事情聴取も始まるだろう。とんだ春休みだ。

「先生」
「はい?」
岩杉が呼びかけに応答する。声の主は葵だった。
「8人目っていうメモ、どう対処すりゃいいんでしょうね。100日以内……鈴坊、気ぃつけろよ」
「でも、100日経ったらもう春休み終わってるし」
「じゃボディガードでも付けていけ」
「そんなの無理だよー?」
そもそも鈴夜の場合、まだ春休みは始まってすらいない。
「……危険ですね」
岩杉はほとんど独り言に近い調子で言った。葵はそれに反応して少し笑う。
「ね、危ないでしょう?どうなることやら……なによりふゆが襲われたっていう時点で、こいつが危ない。どうする?鈴」
「僕に聞かれてもー」
鈴夜はしゅんとなった。
「そうですよ、お兄様。本人の目の前でそんな話をするのもダメです」
ここで梨羽が鈴夜のフォローに入る。
「本人に危険意識がなきゃダメなんだよ」
「それにしても、必要以上に怖がってしまうこともありえます!まだそうと決まった訳じゃないんですから」
「まぁな」
葵はひとつ溜息をついて立ち上がった。
「しっかし、そろそろどうにかなってもいいんじゃないすかね」
「まだ安心は出来ないってことですね」
「先生、敬語なんか使わなくていいっすよ?俺、間違いなく年下ですし、ふゆの親でもないんですから」
「でも彼の保護者ですよ」
「いーんです」
それでも葵の調子は軽い。自分の気持ちを隠しているのか、それとも本当にこんなに軽い人間なのか――。岩杉が思うには前者だ。

「あ」
鈴夜が突然声を漏らした。
 部屋の「手術中」のランプが消えた。少しして扉が開いて、中から医者たちが現れた―――。


+++



BackTopNext