形と探偵の何か
Page.12 「会議と高校生」




      1

 流人が彼に予約を取った、春休み始まってすぐの土曜日。
 いったいどういう人間が現れるのか――想像もつかない。何より、『犯罪マニア』という先入観が強すぎて、岩杉にとっては期待よりは不安のほうが強かった。今、店内にいるのは流人と岩杉の2人だけ。

――そして、扉は開いた。

「どもでーっす!」
妙にテンションの高い少年――背は低い――が、まるで宅配便のお兄さんの如き大声を張り上げ、店内に入ってきたのだ。それは――……あまりにも予想外だった。
 若干茶色みのある髪は短めに見えるが、全体的に静電気が働いているかのごとく逆立っている。後で聞いた話によれば、整髪料は使っていないらしい。どうしてああなるのか今度尋ねてみようと、岩杉は思った。また、服装は紛れもない学ランで、コスプレでもない限りは彼の学校の制服であることは明らかだ。
「えーっと、呼びましたよね、ぼくのこと」
「うん、ちょっと事情があってね」
流人が笑って見せると、兎堂少年はてへへ、と実際に言って笑い、いつも胡桃が座っている椅子に着席した。
 岩杉と目が合うと、思いっきり目を細めて「こんちはです」と楽しそうな顔で言った。不思議な人だ、というのが、岩杉の持った第一印象だった。

      *

「へえ!本人なんですか!?すっごいですねぇ、ぼくも会ってみたいなー」
流人が全ての事情を説明したところ、兎堂は始終通した笑顔のまま、言った。自分で持ってきた差し入れのクレープを頬張ったままでもあった。本当に犯罪マニアなのか、疑わしかった。
「ところで三宮さん、クリップないっすか?」
「クリップ……って、針金の?」
「いや、目玉クリップで」
「何でまたそんな……」
「へへ。ちょっとトリックの実験に使うんです」
兎堂はそう言って立ち上がった。流人はクリップを探しに、在庫をあさり始める。
「――岩杉さん、ですよね」
「え、ああ」
「ぼくの方でも今、誰が狙われているのかという予想立てを始めています。ただ――これがなかなか難しくて、はかどらないんですよ。そもそも、夢見月っていう名前の人があの一族だけで38人居ます」
「38人……」
岩杉が知っている人間は、その中のほんの一握りに過ぎないのだ。それでも、19分の1に相当する。
「まず、以前の事件を分析しました。以前起こった事件では、殺害された5人はみな、前当主の姉妹でした」
「とすると……?」
「もしそれで、現当主である桃香さんを殺害するとなれば、彼らの家では世代交代することになってしまいます。だからこそ以前の事件では、当主を残してその姉妹たちを殺害していったのでしょう」
「そうか……。ところで、兎堂君」
「はい」
兎堂は初めて、普通の顔で振り返った。
「君は、38人全てのデータを、持っているのか?」
「勿論です。その程度なら、集められますよ。まぁ、名前と簡単な住所、誕生日、血液型……そんな感じです。プロフィールってやつですね。相手に知られても、さして問題のない程度のプライバシーです。あ、これは、夢見月家だからですよ?」
「ああ……」
兎堂の目付きはかなり真剣だ。それだけ、熱心に研究を重ねてきたのだろう。
「横浜から1番離れた所に住んでいるのは、ロンドン……前当主の妹の1人の子供です。まぁ……離れすぎていますから、これはないでしょう」
「1人ずつしらみつぶしなんだ?兎堂くん」
「三宮さん……まあ、そうですね。あ、ありがとうございます……100円でいいんですよね」
「ああ」
兎堂は100円玉を1つ流人に渡しクリップを受け取ると、椅子に戻った。
「これで37人です」
「まだ先は遠いな」
「今度は、あの屋敷に住んでいる人間……それが、21人」
「それ以外が…………17人」
「勿論、その17人が狙われているとは限りません。その17人のうち3人は、ロンドンの家族です。ということで日本にいるのは、14人。その14人は全員、関東圏内ですね」
「なるほど」
残り14人――……その中に、岩杉の知る2人の兄弟が入っている。
(ん?)
 兎堂がどこか怖がっているような目になったのを、岩杉は見逃さなかった。

      2

「14人くらいなら、内訳はわかるね?」
「はい。14人で、家族は5つです」
「5箇所……なら、ロンドンを含めれば全家族で7箇所にばらけている訳だね?そうするとまた、全てを警護するには大変だ」
「そうなんです。だから――……こちらの14人を襲ってくるという可能性は、屋敷の中の人たちよりも若干高いと思うんです」
 警備がそれだけ、手薄になるということだ。自らで守るというにも、限度がある。だから、犯行もしやすいということになる。
「……そのうち、当代の家族は2つ」
「当代」
岩杉が訊き返す。兎堂ははい、と言って、説明を始めた。
「前当主の兄弟の子供たちの家族が、3つあります。兄弟自体は、前に皆殺しにされましたから――……それが、家族全員で8人。ということは、現当主の姉妹の家族の2つで、6人」
秋野家は兄弟2人のみだ。2家族で6人となると当然、もう1家族は4人ということになる。それが誰なのかは知らないが。
「そのうち、未成年は4人。年齢は様々ですが、平均して14、5歳くらいでしょう。更にその内の2人が、お二人の知っているご兄弟です。彼らは緑谷ですよね」
兎堂はニッコリと笑った。
「後の2人は、ぼくが知ってる姉妹です。両親は夏岡雪子さん夫妻――ご存知でしょう?彼女らは……練馬に住んでますね。交通の便はいい所です」
「そのどちらかの家族が襲われるという可能性は……?」
「いえ、他の方たちと全くとして変わりません。犯人がどれだけ狙いやすいか、という意味で言えば、主婦よりは外に出る機会が多い学生です。ただし、雪子さんは主婦ではありませんけど」
「…………そうだな」
しかし、学生のほとんどは春休みに入ってしまった。となると、家でごろごろ、という生徒は多い。
「ただ――先代の子の方々の場合、大半がサラリーマンを夫に持つ女性で、主婦ばかりなんです。子供がいらっしゃる方もいます。一人暮らしの大学生もいます……あ、もしかしたら彼かも知れませんね」
 サラリーマンが夫でも、彼女らの名字は夢見月である。つまりはそれだけの人間の大半が、婿養子として夫を迎えているのだ。多分、彼女らが一人娘だとかそういうことに関係なく、夢見月の者を家に入れたくないという夫の家族の意思なのかも知れない。勝手に想像するには大変過ぎる問題でもある。

      *

「……やっぱり予想は難しいな」
「あまり適当に予想しても、後が困りますしね。ぼくだって、関わりがないわけじゃないですから」
 兎堂はしゅんとなって、溜息をついた。夏岡雪子の娘を知っているのなら、彼女のことが心配なのかも知れない――いや、もしかすると、知り合いというだけでなく、本当に『彼女』なのか?……まぁ、想像はやめておこう。
「問題は、犯人が何を目的としてまた現れたか、なんです。夢見月の者達を殺していたのは――4年前から3年前の1年間です。その間に、Y殺しとは関係なく、秋野夕紀夜さんが亡くなってますし」
「それは……関係があるのか?」
岩杉は不思議に思って尋ねた。
「あるかも知れないんです。何か――……犯人が、彼女が亡くなったのを子供が勘違いしていると勘違いして……あぁややこしいな。とにかくそういう可能性も、無きにしも非ずですから」
 まさか。確か冬雪はその時小5で、しかも倒れる場面に遭遇したと聞いている。救急車を呼んだのは彼ではなく、弟だとも言っていた。多分――……彼特有の『元生物嫌い』が災いしたのかも知れない。
「その当時の犯人の言い訳は、はっきり言って夢見月への単なる反抗でした。世間を代表して、という感じですね。それが、18年前の時は……」
「え?」
 18年前?何故、突然そんな話になるのだろう。その頃というと、岩杉は確か、11歳。小学生か。
「18年前にも、同じようなことがあったんです。当代姉妹の、1番下……つまり、冬村銀一さんよりも下の妹さんが、殺されました。15歳くらいで、名前は――」
「ああ!思い出した!そうか、そんなことがあった……覚えているだろう?流人、あの時だ……・俺が目覚まし時計を直してもらってる時にTVで」
「……良く覚えてますね。そうか、そんなことがあったね」
突然話を中断された割には笑っている兎堂は、再び話を始めた。
「名前は、桂華(ケイカ)さんです。ぼくも生まれる前の話ですから、詳しいことはまだ理解しきれてはないですけど。その時の動機は、犯行声明によれば恋愛感情の縺れ……要約すれば振られた腹いせです」
「何だ……そりゃ」
「そうなんです!で、交際していたってことは、犯人も捕まりやすいはずなんです。でも――捕まらないんですよ。何故って言ったら、隠れて付き合っていたからだって、言われてるみたいです」
しかし、その犯人が今現在騒がせているY殺しであると、何故断言できるのだろう。全くの別人である可能性は充分にあるはずだ。
 岩杉はそれを話した。
「筆跡から見て一緒だと、分析されたそうです。今回も多分、同一犯だと」
「18年前か……付き合っていたとなれば、同じ年代なんだろうな」
「それならいいんですけど、そうとも限りませんよね」
「……あまり考えたくはないが」
 その可能性を消去して、桂華と同年代であると仮定すれば、現在33歳くらいか。働き盛りというところか。
「今度はとなると――予告状の内容が内容ですから、想像もつかないんです。誰か、という設定からしてまず変です。人数がとにかく多いですから、きっと警戒態勢を弱めようって目的はあるんでしょうけど……。でも多分、ターゲットは既に決まっているはずです。そうじゃなきゃ、こんな大掛かりな予告状まで出すなんて、おかしい」
「決まっていない可能性は……0なんだな?」
「ほぼ0ですね。もし犯人が屋敷に入り込んで手当たり次第に殺害ということになれば、『夢見月さん』以外の人を殺してしまうなんてことにもなりかねないですし。それだったら、標的を絞ってその人の行動パターンとかその日の予定とか調べたほうが、効率がいいですからね。決まっていないなんていったら、犯人の行き先だって変わりかねないですよ」
そう、先程も言ったが彼ら親族は7箇所に分かれて暮らしている。そのどこに行くのかを決めていなければ、どうしようもない。

――ターゲットが決まっているはずなのに、こちらには知らされていない。

「条件が悪いですね。2人とも、お茶でも飲みませんか」
流人がカウンターに湯のみを並べた。2人はほぼ同時にそれを受け取る。
「誰が狙われているか判っていれば、警備は簡単です。勿論、そこに固めますから――……犯人は、自信がないんでしょうか」
「自信がないって……18年前から何度も事件を起こしてるのに、それで捕まってもいないのに、まだ自信がないっていうのか」
「そんなもんなんでしょうかね。悪い事してるんですから」
兎堂はずず、と音を立てて茶を飲んだ。一見ほのぼのとした雰囲気が、内面との差を引き立たせる。
「それに、一般の人殺すのと違いますから」
と言ったそのすぐ後、兎堂は茶柱立ってる!と喜んで、一気にテンションを上げた。彼にとって、茶柱と犯罪論議は同次元に存在しているらしい。
「うわあ、こんなの初めてです!でも……ホントに予想、つかないですね。もう事件が起こるの待つしかないんでしょうか」
「それはそれで大変だな」
 しかし、予告状は今週中に、となっている。梨子との会見は前の月曜だったから、少なくとも今日か明日には事件は起こるということになって――。
「……今日は土曜だ」
「ってことは、もう起こってもおかしくない……」
兎堂は急にはっとした表情を見せて立ち上がった。
「これは……相当大きな事件になりそうですよ」
 兎堂のその張り詰めた表情の中に、半分期待が入っているのを確認して、岩杉は何とも言えない気持ちになった。

      3

 秋野冬雪は、家の小さな庭に植わっている背丈の低い桜の木が、花を咲かせている事に気がついた。まだ3月も中旬、例年より早い開花に驚くと共に、また1年経過したという事実に圧倒された。
「もう春だ」
これでもう、心身を脅かす寒さから解放される。東京、桜前線通過中。冬雪は肩に鞄を掛けなおして、家の前の歩道へと駆け出した。

      *

 夏岡知名は睡眠中だった。母親である雪子はいつも起こしに来ないし、妹である美名も2段ベッドの上で寝ているものだろう。いつも、昼過ぎになってからようやく目を覚ますのが2人の日常だった。
「……?」
 目を覚ました知名が横を向けば、そこには美名の笑顔と雪子の疑わしそうな顔があった。
「お姉ちゃん生きてた、良かったー」
それが予告状のことを指していると理解するのに、数秒と掛からなかった。

      *

 冬村梨子はTVを見ていた。今日は夫も娘も家にいる。それがいい事なのか、悪いことなのかは判らない。この一週間、ずっとあの予告状のことが気になっていた。もしこの屋敷に犯人がやってきて、家中がパニックになったとしたら、3人は生きていられるだろうか?そんなことは――考えちゃいけない。
 梨子は頭を振って、再びTVの料理番組に見入った。

      *

 春崎香子はパソコンの前に座っていた。ただ息抜きにゲームをしていただけだったが、それで1日を潰してしまいたいくらい、鬱な気分だった。

――この前の計画は、失敗ではなかった?

 結局の所、大船氏は確かにあの人物を襲ったらしい。襲ったとはいえ、標的は無傷だったのだが。やはり彼は一筋縄ではいかない、なかなかの実力者だ。

――……そんなことを考えている場合じゃないのに。

 もし、今度の予告状の犯人が、この場所で暴走しようと言うのなら。命の危険は香子自身にも迫るはずだ。油断は出来ない。
「あ」
 気付くと画面上のテトリスは、酷く穴だらけになっていた。
「……やり直しね」
香子の独り言を、側で紅茶を淹れていた青年秘書が聞いていた。
「あはは、失敗ですか。しばしご休憩されてはいかがです?」
「そうするわ」
差し出された紅茶と青年の笑顔に、香子は何故か懐かしさを感じていた。

      *

香子だけが、犯人を知っている。

でも、計画の内容は、判らない。

誰を、狙っているのか。

誰を、この世から消そうとしているのか。

香子には、何の干渉も出来ないというのだ。

犯人は何をしたがっているのだろう?

何がしたくて、こうまでしなければならないのだろう?
            、、
香子の唯一の理解者だった彼女は、数年前に死んだ。



―――……酷いのね。私1人、ここに残すなんて。



 もう2度と、幸せは戻らない。


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