形と探偵の何か
Page.9 「情報と作家」




      1

 2月中旬の東京。1番寒さの厳しい時を迎え、駅前に群がる人々の服装は様々であるが、平均すればかなりの分厚さだ。そんな中でも群を抜いてトップかもしれない厚着少年とその友人は、紅葉通駅から西へ向かう裏通りへと進んでいった。
 街路樹は完全に葉を落とし、雪が降ってもおかしくないような気温である。少年は自身の茶色い帽子の裾を更に下ろし、風に冷える耳を覆った。
「寒い」
 首に何重にも巻かれたマフラーは彼の口を覆い、話す言葉は曇ってよく聞こえない。
「……お前それでも寒いって言うのかよ」
手袋、帽子どころかマフラーもしていない彼の友人が言う。
「寒いよ」
彼らの向かった先は言わずと知れた雑貨店、日本人形。今日詩杏がいないのは、またも『厳格兄貴』が彼女をパシリに使い、忙しいから、との理由である。帰ってこない久海葵も問題だが、霧島神李もなかなかの問題児だ。岩杉がいないのは、単に平日で忙しいからである。
「やっほ」
――軋むドアを開けると、中にいた店主は暖房の効いた部屋に入ってきた冷気に、身震いした。
「……一気に3℃くらい下がったよ」
「熱の移動。暖房の掛けすぎは地球温暖化に繋がるよ、流人さん」
「設定温度を1℃下げると?」
「年間約1800円の節約」
「ってことはー……えーと、マンガ4.4冊かぁ」
「……・・判ったよ」
節約マニアと言っても過言ではない胡桃と、マンガマニア間違いなし、ついでにやけに計算の速い冬雪の説明のおかげで、流人は暖房の設定を2℃下げることになった。年間約、3600円か。
「ところで今日は、何か問題でも抱えてるのかい?」
「一応問題はないモヨウ」
冬雪は軽く言った。流人はそう、と言って、お茶を淹れに奥の部屋へと入っていった。
「問題はないけど、聞きたいことはあるよ」
「聞きたいこと?」
流人は声を張り上げて、店内の彼らに答える。
「後でね」
冬雪たちはいつもの席に着席する。冬雪は店の向かって右側の椅子に、胡桃はその隣だ。ちなみに岩杉の場合、カウンターを肘掛にする。
 流人が戻ってきて3人にお茶を配ると、再び冬雪は話を始めた。
「流人はTVとかよく見るほうだよね」
「人並みにはな」
「龍神森冬亜って、知ってるよね?」
「……それまた渋い、随分昔のアイドルだ」
「渋かないと思うけどなー?」
冬雪は首をかしげる。が、胡桃はまんざらでもない様子だ。
「まぁいい。で?」
「あの人に、何か噂なかった?えーっと、すきゃんだるってやつ」
「そんな、知らない単語みたいに言わないでくれよ、判り難い……んー、そうだな。無理に押し付けた感じのはあったような気がするが」
流人の言葉に反応した冬雪が、身体を乗り出してどんな?と聞いてきた。
「スキャンダルって言ったら、熱愛疑惑しかないだろう?そんなもんだよ。実際にどうなのかは不明だったけどね。会見もしなかったし、まあ、当時のマスコミはまだ弱かったかもね。んん、晩年って感じだったしなぁ……それを苦に自殺したとまで言われたくらいだよ」
「え、自殺じゃないでしょ?」
「飛行機事故だったはずだよ。そ……それが何か?」
流人が訊き返すと、冬雪は悩むような顔を見せて着席した。何が聞きたかったのか、彼は附に落ちないらしい。
「彼に、何か関係があるのか?」
「流人さん」
冬雪の代わりに答えたのは胡桃。胡桃は耳打ちで、とあることを告げた。
「冬雪がこないだ言ってたんだけど、冬亜が、冬雪の父親かも知れないって」
「な……っ」
「胡桃」
「何だよ」
「気付かせようと思ってたのに」
不満そうにそう言った冬雪の顔を、改めて見る流人。その表情は、明らかに変わっていった。
「…………そっくりだ」
「ね?そうでしょ?ま、そっくりさんって居るもんだけどさ、オレの父親って、久海白亜って言うんだ。亜って字も同じだし、誰に聞いたら確認できるのか判んないけど、ちょっと前から気になってる」
「彼が亡くなったのは確か、15年前で」
「1992年2月、ぴったりなんだ」
「ちょっと待て!2月……確か15日、命日は今日じゃないか!」
そう、バレンタインデーの翌日。
「きょう」
冬雪がその言葉をゆっくりと復唱し、はっとしてこちらを見た。
「今日!!だ、だったら、TVとかっ、何かやってない!?」
「やっているかも知れないな。2人とも、中へおいで」
流人は2人を奥の部屋へと招きいれた。滅多にないことだが、入られて困ることもない。TVの電源を入れて、ワイドショーをやっているチャンネルを探す。
「! 芸能ニュースだ」
冬雪が真っ先に反応し、流人の持つリモコンの動きを止めた。
 しばらくして、彼の名が画面上に上がった。しかし結局、事件の概要を洗っただけで、彼の本名はおろか、顔すらもほとんど出なかった。ただ、彼の歌う明るい歌だけが、スピーカーから流れてきていた。
「この歌……?」
「どうした?秋野君」
「聞いたことある……TVとかじゃなくって、その……もっと、近い場所で、小さい頃に」
「…………冬雪のお母さん、よく歌ってたぜ」
「え?」
突然言葉を発した胡桃に、2人の視線が集まった。胡桃は続ける。
「俺がたまに遊びに行くと、おやつの準備とかしながら歌ってたりするんだ。それで、いつも同じの歌ってるから、何ですかって聞いたら『龍神森冬亜っていう人が、1番最後に出した曲』だなんて言ってた。大ファンだったのーなんて笑ってたけど、ホントはやっぱり、付き合ってたんじゃない?」
「判らない……母さんだってもうっ、死んじゃったんだから!!」
「秋野君、気を確かに持て……しかし、ボクら他人がいくら考えても答えは出ないさ。久海白亜氏と1番近くにいた人間に訊かなければ」
流人はTVの電源を切った。
「……やっぱり葵しか、いないのかな?」
「久海葵さんか。そうだな。帰ってきたら、訊いてみたらいい」
「……うん」
冬雪が笑ったのを確認して、流人は立ち上がって、店内へと戻った。
――と。

      *

「い……いらっしゃい」
「こんにちは」
――そこに立っていたのは、下半分の毛先だけ金色の、伸びすぎた髪を無造作に下ろした、普通の青年だった。凡そこんな古びた外観の店には来そうもない。しかしその風貌には見覚えがあった。
「久海、葵さん」
「ええ――ふゆのやつがこっちに来てるって言うもんですから、妹が。そいで、訪ねてきたんっすよ」
多少崩れた言葉が、若者らしさを強調させた。流人は奥の部屋に声を掛けた。
「秋野君、藍田君。噂の葵さんだ」
「え」
冬雪が慌てて、店へと戻る。胡桃はゆっくりとした歩調で戻ってきた。
「葵!帰るんなら帰るって、前もって言ってもらわないと困るって、梨羽いつも言ってるだろ!?」
「わりぃな、金が底を尽きたもんでね。とりあえず一時帰宅」
全く悪びれない葵と、全く別のことを口にしながらも、先程のことを気に掛けているらしい冬雪。
「話があるんだけど、あ、後でね」
「? あぁ……まぁ、想像はつくけどな。結論だけ言おうか?そうだ。そうだよ。あはは、気にするこたないぜ。俺が何とかしてやるから」
「そうだ、って!葵っ、知ってたのか!?何で、何で今まで言ってくれなかったんだよ!ずっと、ずっと気になってたのに!」
再び興奮し始めた冬雪は、一気に葵にまくし立てる。しかし、彼は落ち着いた様子で、一言ずつ答えた。
「――言ったら、それをプレッシャーに思うんじゃないかと思った。だって、隠し子ってことだろ?まぁ、戸籍上は全然関係ない他人ってことになってるけどな。――ところで、そんなことよりもっと重大な話があるんだ……スイマセン、こいつ、ちょっとお借りしてもいいっすか?」
「それなら……貸すというよりも返しますけど?」
「酷いなっ、人を物みたいに!!」
「物だろ。はは、それじゃあ貰ってきます」
「ええ」
流人は始終、葵の冗談にノッて笑い続け、店の扉が完全に閉まるのを確認してから溜息で締めくくった。
「……流人さん」
「ん?」
「あいつ、すげぇんだね」
「うん……まぁね」
――過去のアイドルと、警察も恐れる一家の娘との子供。どういう繋がりがあっての付き合いだったのかは想像もつかないが、結果としてああいう子供が出来てしまっていることは事実だ。
「しかし……秋野君は人じゃなくて物だったのか……驚いたな」
「あいつ何も言わなかったね?認めたのかな?」
「ロボットだったとか?」
「かも知れない!」
胡桃が手を叩いて喜んだ。
 2人は完全に話題を転向し、ゲラゲラと笑い続けてから、夕暮れを迎えた。

      3

 秋野冬雪と久海葵は、紅葉通から緑谷へと電車で移動し、自宅へと戻っていた。そして、リビングのソファーでココアを飲みながら暢気に『重大な話』を始めようとしていた。
「で、何の話さ?オレを強制送還してまで」
「おいおい、お前の家は牢獄かよ……まぁいい、とにかく話をしよう」
葵はおもむろにカップを木のテーブルに置き、一呼吸置いた。
「――何故かは知らんが、俺の携帯に夏岡雪子からメールが来た」
「……雪子が?何考えてんだか」
「今度あの家に1回帰るから、誰かに伝える事ないかって聞いとけとよ」
確かに、何故葵の携帯に入れる必要があったのかは不明だ。アドレスを知っていたという時点で冬雪にとっては驚きである。
「……そもそも何で知ってるの?アドレス」
「あん?はっはー!知らなかったのかお前!あのな、あの人は俺のファンなんだよ、へぇ!ホントに知らなかったのか!」

―――……夏岡雪子が佐伯葵のファン、だと?

冬雪の思考回路は半分ショートしかかっている。危険だ。
「本気、なの……それ」
「何言ってるんだ、本気だぜ?」
「ちょっと待った!だからってメルアド知ってるなんておかしい!!葵……まさか、まさか……!!」
「あはは、多分そのまさか」
葵はケラケラと、さも何でもないことのように笑った。葵の友人に雪子と通じているような人間はいないだろう。すると、この家の中でただ1人、雪子にストーカーとも言えるほど溺愛されてしまっている――……冬雪が、葵と雪子を繋ぐ唯一の掛け橋。
 しかし、アドレスを訊かれた覚えは一切ない。だとしたら?
 冬雪は1つの解答に行き着いた。
「葵!ひ……人の携帯メモリー見やがったな!!」
冬雪は顔を赤くして怒った。もしかしたらメールの中身まで見られていたかも知れない!恐ろしい…………いったいいつ見たのだろう。
 葵が前に家に帰ってきたのは?冬雪が携帯電話を家に置いていた時間は?疑問はいくつでも浮かび上がる。葵はココアを一口飲んで、平然と回答した。
「んー、昨年10月12日、君が体育祭などという会で必死になっている時に、ワタクシ佐伯葵、このテーブルの上に乗っかってるのを見ました」
 しかも、笑っている。いい加減にこの能天気を何とかして欲しい。
「体育祭……って随分前じゃん!!しかもその時……帰ってきてたのか?」
「まぁ一時帰宅。梨羽は置手紙見て、確認したらしいけどな。金だけ頂いてった」
「それってある意味強盗」
「ここは自分の家だ」
「オレの家だもん」
「でもお前の保護者は俺だろ」
「…………年上ってだけで」
葵は冬雪の脳天を思いっきり一発はたき、ココアを一気に飲み干した。
「ところで、誰かに伝える事」
「忘れてたよそれ……あーん?特にないけど」
「ホントか?大船が何とかって言ってたぜ」
「……ねぇ葵?」
「あん?」
葵がこちらに顔を向ける。
「いったいいつから『メル友』なんだよ?雪子なんかと」
「おぉ、楽しくおかしいメールがほぼ毎日」
「毎日!?……ん?ってことは、誰かに伝える事ってメールもいつも通りってことで……そーだよ、葵のほうが慣れてたんだ!メール打つのー……って、大船さんが何なんだよ?」
冬雪は葵に、ごちゃごちゃな文章で迫った。ココアが入っていたカップを揺らし、何をしようとしているのか判らない青年は、突然喋った。
「『大船さん』が、やめるかも知れないとよ」
「え…………?」
――大船氏。先日、冬雪たちがあの家へと出向いた時に、騒ぎの中心となったあの人物だ。しかし、あの騒ぎ程度でやめるなどと言う話は普通、出ない。
「何でそんな?」
「知るかよ、俺の関わることじゃねぇからさ。とりあえず、伝言ってことで伝えた。俺の任務は終わり」
「〜〜〜……」
冬雪は最後まで唸って反抗したが、葵は立ち上がり、ココアのお代わりに向かってしまった。この話よりもココアのほうが、彼にとって重要らしかった。
(でも)                  、、
冬雪には、彼がやめるだけの理由に心当たりがある。仕事をなくしてまで、人生を壊してまでやりたいと考える行為には、アレしか考えられないのだ。それを、言葉に出して言う事を避けたくて、ずっと記憶の彼方に葬ってきたのに。それが、先日の香子の行為と大船氏の話題で、全てが現代における冬雪の、大きすぎる荷物となってしまった。       、、、、、、
 それは、並大抵の人には担げない重荷――……人殺しであるということ。

 8年前に起こったあの事件が、事故であったことは確かなのだ。ちょっとしたことが原因で引き起こってしまった、事故。しかし、現実的に考えれば、過失であっても直接的な原因として、あの行為は犯罪になるはずだ。
(……耐えられない)
 冬雪は額に手の甲を押し当て、溜息をついた。と、リビングに鈴夜が入ってきていることに気がついた。そろそろ夕食時だ。
「! 鈴」
「どしたんですか」
何も知らない、無垢な弟はにっこりと笑い、サラサラの黒髪を揺らして冬雪の隣に着席した。
「ところで鈴、チョコは貰えたか?」
「あ!」
バレンタインデーは昨日だが――報告を受けていない。一昨年は2個、昨年は1個と年々下がっているらしかったので、興味は倍増だった。
「凄いんですよ、初めて4つも貰いました」
「義理?」
「当たり前です」
鈴夜はぷぅと膨れて言い放つ。
「本命4個、義理10個」
「………………それ、本気で言ってるんですか」
「本気、ではある。で、あって欲しいなーと」
事実本気ではあったのだが、本当ではなく、本命4個は嘘である。本命は1個だった。本気と本当は同意語ではない――と、冬雪の辞典には書いてある。
「それって確か、本当とは限らない、ですよね」
「何だよ、覚えてんじゃん」
冬雪は梨羽の持ってきた2人分のアイスティーに、砂糖を入れて撹拌した。鈴夜に1つコップを渡し、自分の分を半分飲む。
「それで、ホントはいくつなんですか?」
「さあ?それはもう、ご自分で推理していただけないかな?名探偵君」
「……知りませんもう」
鈴夜はアイスティーを一気に半分飲んで、コップを持って立ち上がり、キッチンの流し台までそれを運んだ。
(……油断は出来ないってことだ)
カラン、とガラスと氷の当たる音が鳴る。冬雪は残っていた半分のアイスティーを飲み干し、テーブルに置いてから身体を反らした。
(……香子が彼に示唆してたのは、オレの殺害計画だった)
考えれば考えるほど、嫌な言葉が頭をよぎっていく。
(考えて気持ちいい話じゃないな)

冬雪は起き上がり、コップを手に家族の揃うダイニングへと向かう。その光景が、彼にとってどれだけ幸せそうに見えたものか――計り知れなかった。

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