形と探偵の何か
Page.8 「ベランダと中学生」




    〜Prologue〜

――嫌いだ。この世の喧騒、全てが嫌いだ。

何故、関わらなければならないのだろう。

関わりたくもない者と、何故?

きっとそれが、世の大人達の出した答えなのだろう。

叶えられることのない子供の願いと嘆きは、

いつ、誰の目に止まるのだろうか?

――目にした者の、憂いや苦しみも、

―――世の人間は、誰も理解はしてくれない。

      1

「さーてと」
緑谷駅前のコンビニで、今後必要最低限の物を買った帰りだった。
「帰るかな」
藍田胡桃はコンビニの袋を左手に下げて、駅前通りをのんびりと歩いていた。

――まだ年が明けてすぐ、いつもは賑やかな駅前も人通りが疎らだ。
(へぇ、田舎町って感じでいいんでない)
大都会もド田舎も好きではないが、適度に発展している郊外のこの辺は悪くない。都会と田舎、どちらのいい面も持っているからだ。
 病院も学校も商店もあり、交通の便もいいし、生活には全く支障はない。その反面畑も田んぼもあるし、山だって森だってある。これこそ真の都会だと、胡桃は考えていた。
 胡桃が銀杏並木の通りに入る為、バスの通る大通りを渡ろうとした時、ふと反対側に人影が見えた。
(あれ?)
――見えたのは紺のフード付きの長いコートとクリーム色のマフラー、アイボリーの綿パンとこげ茶色の革靴。そして極めつけに長めのブラウンの髪と眼鏡。
(冬雪か?)
身長的には子供か女性。でもその外貌としては間違いなく冬雪だ。胡桃は声を掛けようと息を吸う。
「ふゆ、き…………?」
反応したのか人影は少しこちらを見た。しかし少し笑うような仕草を見せただけで、あまりいい反応はしなかった。その目がやけに寂しそうで、いつもの元気がないのだ。いつもなら「おー」なんて言って手を振って、こっちが行く前に向こうから走ってくるようなヤツなのに――。
 しばらくして、そいつは駅の方向へと歩き出した。心配なのかこちらをチラチラと見てはいたが、胡桃は気にせずに通りを渡ってすぐに銀杏通りへと入ってしまい、立ち止まる。
(あいつ…………?)
そいつの方からこちらが見えないことを確認して、胡桃はまたゆっくりと歩き出す。
(まさか、また何かあったのか……?)
たまにああしていつもの調子を失う彼のことは、胡桃もよく判っているつもりだった。しかし、事件があったなどという話も聞いていないし、彼が元気を無くすような要因は見当たらない。
(わかんねぇや。ま、大したことじゃねーかな)
胡桃は混乱してくる思考を中止すると同時に、一気に歩調を速めた。
「寒ーっ」
その言葉とは裏腹に何故か笑顔になっている胡桃を応援するかのように、北風が一筋、吹いた。

      *

「暇だな」
一体真面目なのか真面目でないのか、胡桃は宿題も終わらせていて暇な1月3日、TVも見ずにのんびりとしていた。寝正月が嫌いな彼にとっては、食っちゃ寝生活は辛いらしい。
「出掛けてくればー」
暢気な提案は胡桃の兄、英都である。こたつに入って蜜柑を食べている。同じくこたつに入ったままだが寝てしまっている両親は無視して、胡桃は立ち上がって部屋を出た。
「じゃあ出かけてくるよ」
「どこ行くんだ?」
――行く場所というと――……普段はあまり行かないが、冬雪の家なら近い。
(……確かめられるかもな)
「まぁそれはご想像に任せますよ、兄貴」
「……行ってら」
「うん」
胡桃は玄関に掛けてあるコートを取って着ると、すぐに外へと出た。
「さすがに寒いな」
ここから冬雪の家までは歩いて数分だ。
(けど……あの状態だと行っても面白くないかな)
そうは思ったものの、戻るのは面倒なのでそのまま歩きつづけた。

      *

「……来ちまった」
来てしまったものは仕方ない。玄関の扉にしめ飾りの掛けてある他はいつもと変わりない彼の家の敷地へと入る。
――ピンポーン。

「はい」
覇気のない声で答えた家の主は玄関の扉を開ける。
 出て来たのは冬雪だった。
「どうしたの?」
「いや……その、暇だから、えっと」
「そっか。今朝も会ったね。中入ったら?」
「え」
「寒いでしょ?」
「あ、まぁ……」
思ったよりか正常らしい、しかも平然と対応する冬雪に、胡桃は順応しきれずにしどろもどろになっていた。
「座っていいよ」
「え、他の人は……?」
「ん?上だけど」
上つまり2階。では冬雪は1人で1階事務所に居たというのか。しかし普通の時は大体2階で騒がしくやっているのが彼で、しかもこの家の中では盛り上げ役に徹しているはずだ。そんな彼が1人で事務所にいるのは、やはり何かあった証拠だろう。
「お前こそ……どうかしたのか?」
「え?」
「なんか元気ないし」
胡桃が言うと、冬雪は立ち止まった。
「……気付いてたんだ?」
「そ、そりゃそうだろ!あまりにも予想外の反応するからっ」
「……判らないんだ」
冬雪は給湯室からインスタントの紅茶を2杯淹れてくると、胡桃の前の席に座ってコップを置き、再び話し出した。
「何でかな?何でか判らないけど……どうしてもちょっとね」
「……?何かあった訳じゃないのかよ?」
「ぼくが判るところでは無い。それなのにおかしいんだ」
彼は額に手を当てて俯いてしまった。
「お、おい、そんな落ち込むなよ、俺が困るじゃねぇか」
「……ゴメンね、ホント……迷惑掛けちゃってさ」
迷惑ではないのだが――。
「でも、ホントに判らなくて。何でだろうね、でも……霧島の奴が羨ましいよ」
「霧島が?」
「あいつさ、夏に両親いっぺんに亡くしたんだよ?それなのにあんなに元気でいられるなんてさ」
冬雪は胡桃を見つめて言い放つ。答えを求められているような気がして、胡桃は慌てて回答した。
「……それは、そうだろうけどさ。個人個人色々あるんだよ、じっくり癒していきゃいいんだからさ」
「そんなもんかな」
「そ、そんなもんだろ!!っ、だから、き、気にするこたないって」
 何とかしてこの空気を奪回しなければならないような気がして、胡桃は必死になって説得していた。しかし……ここまで暗くなっているなら戻らないかもしれない。
「と、とにかく……ま、暇だから遊ぼうぜ」
「? 何しよっか」
「よっし、上にゲームねぇか」
「あるよ、何がいい?」
「したらなー」

 案外このままでもいいかも知れないとふと思ってしまった自分が怖かった。
 冬雪は冬雪であってずっと変わらないはずなのに――そう、性格が変わろうが外見が変わろうが、1人の人間でしかないのだ。その1人の人間が、ちょっと元気がないとかちょっとおかしいとかで、いちいちただの友人でしかない自分がコメントするのはそれこそ変だろう。
 ここまで来たら、後はいつも通り接するしかない。胡桃は今までのことを全て忘れて、勢いで頑張っていこう、と誓った。

      2

――あの時は確か、胡桃たちが小5の冬だったはずだ。
 その日、冬雪は学校に来ていなかった。
(っかしいな?)
滅多な事では学校を休むようなことはない人間である彼がいないとなると、相当の大事であることが窺えた。
(前に休んだ時は確か、腕骨折して1日だけ入院した時だったし?)
「あ、胡桃」
「おー、おはよ」
「お前、聞いたか?冬雪が休んでるワケ」
「知らない。お前知ってんのかよ?」
普通、『聞いたか?』となれば本人は知っているのが筋だ。
「いや、知らないんだよ。胡桃なら知ってるかと思っただけでさ」
「何だよ……知ってるもんだと思ったのに」
しかし、他に知っているのは担任教師のみだろう。5年当時の担任は羽田という人で、冬雪はおろか胡桃でさえあまりいい扱いをされていなかった頃だ。
「〜〜訊きたくないんだよな」
「話してくれんじゃねぇ?」
「いや……あの人のことだから重要なことは言わないだろ。きっと風邪とでも言って誤魔化す」
冬雪は昨日の今日で風邪をひくような弱体ではないはず――。
「何なら家行ってみたらどーだ?」
「……そーだな、連絡帳持ってくことになりそうだし」

――予想に違わず担任は何も話さなかった。胡桃は連絡帳の返却を頼まれ、予定通り冬雪の家へと向かった。

――ぴんぽーん。
耳をつんざく高さの高音しかも大音量のインターホンに圧倒されながら、胡桃は家主の登場を待った。普通ならここで返事があって玄関のドアが開いて、冬雪の母親が出てくるはずで――。
(あれ?)
 誰も出てこないのだ。留守か、反応しなかっただけか。胡桃は嫌々ながらもう一度ボタンを押す。
――ぴんぽーん。
「…………」
……それでも反応はない。やはり留守なのか。それなら連絡帳はポストに入れておけばいいだろう。
(けど、気になるよな……?)
見てはいけないと思いつつ、胡桃は冬雪の連絡帳をゆっくりと開く。
「…………12月、15日」
今日の日付だ。
「『母が緊急入院し、予断を許さない状況なので今日は休ませて頂きます――秋野』」
文字は冬雪のものではないから、誰かが代筆したのだろうと思った。
(こ、こんなこと考えてる場合じゃないっ)
――緊急入院?それも、予断を許さない状況だって?
「どうなってんだよ……」
いつになれば冬雪と話せるだろうか。いつになれば、家に帰ってきているだろうか――。
「……夜、かな」
一種迷惑だが仕方ない。夜になってから電話することにしようか。
 胡桃はやりきれない思いを胸にしまいこんだまま、帰路についた。

      *

 その日の夜、9時。
「電話借りていい」
「え?いいけど誰に掛けるの?」
確かにこの時間になると微妙かもしれない――。
「……冬雪」
「?ふぅん?」
「か、借りるねっ」
胡桃は赤面したまま電話の子機を持って部屋へと走ると、冬雪の家の電話番号を押した。

――トゥルルルルル、トゥルルルルルル。
『……はい、秋野です』
受話器が取られて少し間が開いてから、声が聞こえた。
「もしもし、藍田ですけど、」
冬雪君いますか、と言おうとしたが、
『胡桃か……』
と先に反応が返ってきた。取ったのは冬雪本人だったようだ。
「おー、冬雪?大丈夫か?」
『ゴメンね今日、急に休んで』
「そんなことはどうでもいいんだよ、その――」
連絡帳を見たことがばれてしまう。率直にいうわけにはいかない。
『明日も多分、行けないと思う』
「え?」
『……胡桃は、ぼくがどうして今日休んだか知ってる?』
「え……っ」
いきなり確信をつかれても困る。胡桃が答えにつまっていると、冬雪の方から返事が来た。そしてそれは、決定的な一言となってしまった。

『母さんが…………死んだんだ』

――それを聞いた後のことはほとんど覚えていない。電話を切ってしまっていたかもしれないし、切らずに気を失っていたかもしれない。どうして冬雪は平然としていられるのか、どうして自分は何も覚えていないのか、ある意味情けなくなった。

      3

 気紛れで始めたレースゲームは結局冬雪の圧勝に終わり、やっぱり慣れって重要だ、と胡桃はまたも勝手に解釈した。ゲームで勝てるくらいならまぁ大丈夫だろうと思いつつも、胡桃は少し心配になって彼の不調の原因を改めて話題に持ってきた。そういえば、あの日彼の母親がどうして倒れたのかすらも聞いていなかった。
「母さんは病死だったよ」
冬雪はそう言って笑った。
「病気?」
「……気にすることじゃないよ、ずっと前から言われてたことなんだからさ。心臓病だったかな。ぼくはよく知らないけど……けど、いつ死んでもおかしくないぐらいだったって聞いてた」
そんなに大変な状況なら、どうして今まであんなに普通に生活していたのだろうか。
「その日倒れて運ばれて、それからすぐ」
虚ろな目になる彼を止めなければならないのだが、このままだと何を言っても変わらなさそうだ。
「…………ぼくには何にも出来なかったからさ」
冬雪のその目は、予想した通り虚ろな、空虚な目だった。

     *

 秋野冬雪は夢を見ていた。
 いつもと変わらない、銀杏並木に立っている。
周囲には木々が立ち並び、家々も共に建っている。ここが並木のどこに位置するのかは不明だが、そのどこかであることだけはわかった。
 自分の前に、誰かが歩いてくる。
(誰?)
危うく声を出しそうになった。
 誰かは、冬雪を見つけて近寄ってくる。
「こんにちは」
その誰かは冬雪に言った。
――背は大して高くない。染めているのか明るい色の茶髪に、綺麗な澄んだ瞳は灰色というか、若干青みを帯びていて垂れ目だった。年齢で言うなら20代初頭。服装はどこか時代遅れの感を思わせたが、それは無視しておくことにした。
「ここで君に会えるとは思っていなかったよ」
「貴方は……?」
「君は知らないかもしれないね……龍神森冬亜って言うんだ、知ってる?」
「名前くらいは」
15年くらい前に事故で死んだらしい、いわゆるアイドルだ。何故、そんな人間が今、夢なんかに出ているんだろう?
「あぁ、光栄だよ」
 青年はそう言って笑った。
知っているのは、以前から似ている似ていると言われていたからで――。
この青年が、龍神森冬亜。自分の知らない、会った事もない人間。
「秋野、冬雪君」
「はい」
「いい名前だね」
名前は自分で付けたものじゃないから何とも言えなかったが、褒めてくれたのに違いはなかった。
「……ありがとうございます」
夢の中のその人物は妙にリアルに存在した。どうして、冬雪の名前がわかる?
「貴方は、誰ですか?」
無意識に、冬雪はそう発言していた。龍神森冬亜本人だと、そう判っているのに、そう言った。それでも冬亜はにっこりと笑い、冬雪の頭を撫でた。
「……君は、よく僕に似ていると言われるそうだね」
「はい」
「本当に光栄だ。君が僕に似て生まれてきてくれたなんてことは」
「……どういうことですか?」
夢は、夢でしかない。冬雪が、冬雪の頭の中で考えていることなのだから、この人物が名前とかを知っていても、おかしくはない。しかし――本当にどういうことだ?
「君のお母さんは、秋野夕紀夜さん」
「……はい」
「君のお父さんは?」
青年は笑顔で尋ねた。
「久海白亜さん」
冬雪が知っているのはここまでだった。
――冬雪の、冬雪だけの、父親の名。
 鈴夜は冬雪の異父兄弟だ。冬雪の父親は、冬雪が生まれる前に亡くなったのだと――そう聞いている。そして鈴夜の父親は、鈴夜が生まれる前に姿を消した。今も消息は不明である。
 冬亜はまた、優しく笑った。
「そう。じゃあ、僕は誰だと思う?」
「龍神森冬亜さん」
冬雪は正直に答えた。当たり前だ。それに冬亜は苦笑いして返事をした。
「それは確かにそうなんだけどね――後でじっくり考えてごらん。それじゃあもう、僕は帰らないといけない……もう会えない、さようなら」
 冬雪が答える前に、冬亜の姿はスゥと消えていった。
 どこか虚しさの残る、銀杏の木だけが視界に入った。

      *

――……ふゆき……―――お……て……さい!
 何を言っているのか判らない少年の声と共に、冬雪は現世に戻ってきた。
「〜なんだよ?」
「もぉ、早く起きてくれないと初詣行けないんですよう」
半分泣き顔で訴える鈴夜に、冬雪は冷たくあしらった。
「……そっちで勝手に行っていいよ、別にぼく行かなくていい」
「よくないんですっ」
行きたくないと言っているのに引きずり出そうとする弟は、布団の端をぐいぐい引っ張って無理に起こそうとしていた。
「何でだよ?」
「あのですね、おみくじ引いて、誰が1番いいか勝負するんですよっ」
「あー」
秋野家恒例のあの行事だ。
「冬雪選手、棄権しまーす」
奪われそうになっている布団を取り返し、頭までかぶる。
「しないでくださいよっ!梨羽と僕だけじゃつまんないじゃないですか!」
それを鈴夜が一気に引き剥がした。
「2人いれば充分じゃんか?」
冬雪は頭をかきながらゆっくりと起きた。
「2人じゃ少ないです」
「じゃ葵も入れて」
「葵君は帰ってきてませんよー」
「……ったく」
ここまで反論しながらも折れてしまうのが冬雪だ。不承不承起床し、ベッドから下りた。
「あの、朝御飯はまだ作ってないですからね」
帰り際に鈴夜はそれだけ言って、パタン、と部屋のドアを閉めた。
(……龍神森冬亜が、久海白亜とか?)
それはそれで難儀だ。伝説のアイドルに隠し子発覚ではないか。
「どーせ夢かな」
そんなものは幻、冬雪自身が作り出したただの幻想に過ぎない――。今はそう考えるよりなかった。そうでもしなければ、不安に押しつぶされてしまいそうだったから。

      *

――お父さんは、ふゆきが生まれる前に、死んじゃったのよ。

 まだ幼い頃に聞いた、母親の寂しそうな声が蘇る。でも……確かに、辻褄は合っているのだ。アイドル・龍神森冬亜が交通事故で亡くなったのは今から15年前の冬――1992年になって少し経った頃。つまりそれは『冬雪が生まれる前』と見事に一致するのである。

『君が僕に似て生まれてきてくれたってことは』

夢に出てきた冬亜は、確かにそう言った。父親の言う言葉として解釈すれば何もおかしいことはない。しかも自分は、死んでいるのだから。
(それにぼくは、確かに冬亜に似てる)
自分を棚に上げるつもりもないが、目元や顔全体の印象はかなり似ていると言っていいだろう。もしかしたら、身長も。夕紀夜は背が高かったのだ。
(だったら本当に……?)
しかし、今となっては確認する術はない。唯一の手段としては……親戚である梨羽たちに尋ねることだろうか。

 冬雪は適当に着替えて、朝食に餅が食べられる事を少し期待しつつ、階段を下りて2階リビングにやってきた。
「おっはよ」
「おはようございます、冬雪」
キッチンの方から梨羽の声だけが聞こえる。
「お餅、何個ですか?焼くだけですけど」
「3個ね。きなこもぷりーず」
「…………判りました」
内心食事に関して、やったと思いながらも、質問の言葉を頭の中でシュミレーションしてみる。なかなか難しい問題なのだ。訊くタイミングも図らなくてはならない。
「ん?鈴夜はどこ行ったんだよ?」
「鈴夜なら下にいますよ。多分、年賀状でも分けてくれていると思います」
それぞれになかなかの枚数が来るから、150枚は確実に超えている。何よりも、本人不在なのに大人気な久海葵――筆名佐伯葵――宛ての年賀状は相当多い。多分、全体の3分の1以上。それにきちんと返しているのかも定かではない本人は、まだ沖縄でのんびり中である。正月ぐらい帰ってきてほしい。
「ふーん」
「後で手伝ってあげてくださいね。いつもいつも鈴夜が働いてくれるんですから」
「何だよ?」
「貴方が一応、お兄様の居ない時の家主なんですからね」
「一応って何だよ、一応って」
「一応でしょう?」
確かに『一応』以上の働きはしているとは言い難い。
 梨羽が平皿に焼いた餅3個を載せ、深皿にきなこと砂糖を入れるだけ入れてダイニングへ持って行く。
「だんきゅー」
「なんですか?」
「英語とドイツ語の中間。オランダ語」
「……馬鹿にしないでください」
「でも事実だよ?」
冬雪が笑いながら言ったのが悪かったのか、梨羽は半分怒ってオランダ語を無視した。
「砂糖はまだ混ざっていませんので、ご自分で混ぜてくださいね」
「……へーい」
冬雪はスプーンを棚の引出しから取り出して軽く混ぜると、そのまま餅に振りかけた――かなり多めに。
「あ!冬雪ー」
「おぉ」
鈴夜がリビングからどたどた走ってくる。
「はい、こっちが梨羽の、これは葵君ので、これが冬雪で、こっちが僕の」
鈴夜が丁寧に仕分けした葉書の数は、圧倒的に葵宛てのものが1番多かった。冬雪と梨羽は大して差はなく、1番少なかったのは鈴夜だった。まぁ、当然だろうが。
「……さすが葵」
「すごいですね」
「すごかったんですよ。『久海葵様』っていうのはあんまりなかったんです」
つまり、彼に届いてる内の大半はファンレター兼年賀状であるということだ。
「とにかく……餅が固くなるから後でな」
花より団子……年賀状より餅か。食事は人生最大の楽しみだ、と冬雪は何故か、その場で1人しんみりとしていた。

      4

 久海葵はホテルで、TVを見ていた。
――特集?
いわゆるワイドショーだ。その時組まれていた特集は、『奇跡のベストセラー作家・新海碧彦氏の人生』とかいうタイトルのつけられた物だった。
――奇跡って何だよな?
 それでも少し興味があって見てしまうのが、自分でも馬鹿らしかった。
 ただ――気になったのは、途中のとあるセンテンス。
『弟の白亜が誕生――時に、葵彦4歳のことでした』
妙に静かに喋るナレーターはそう言った。
――久海白亜。
事実上の冬雪の父親だ。彼があってこそ、葵は冬雪の従兄という肩書きを持っている。
『後に白亜は、日本中で絶大な支持を得たアイドル、あの龍神森冬亜となるのです』
……この特集は葵彦のものではなかったか?しかし、ナレーションはまだまだ続く。少し昔の写真を次々に映し出し、葵彦を棚に上げてべらべらと喋った。
 最終的には子供の話も出てきたが、本当にタイトルどおりの特集だった。人生を洗っただけである。
――つまんね。
 弟、龍神森冬亜に子供がいることすら知らずに、特集を行っているのか。誰にもインタビューしなかったのか――葵は多分、見つからなかったことになっているだろうし、名前を出されても全く構わない。
――龍神森冬亜が父親だって知ったら、ふゆのやつ、どう思うんだろな。
 その事実を知っているのは、現在日本中で恐らく葵1人だ。梨羽ですら知らない。久海白亜と龍神森冬亜が同一人物であることを知っているのは、他にはTV局関係者くらいだろうし、冬亜が冬雪の父親である事を知っているのは、久海家の者と冬雪のみだろう。
 でももし、冬雪が今のTVを見ていたら?
 それで、自分の父親が龍神森冬亜だということに気付いてしまったら?
――ま、それでも別に問題はないわな。

 葵は水を飲んで、TVの電源を切った。

      *

 冬の夜。冷たい風が頬を掠めていく。どちらかというと暑がりな彼にとっては、気持ちいいものだった。
 彼はいつものように、自分の部屋のベランダに出て、近くにある山――森精山という――を眺めていた。
(ここで寝ちまいたいなー)
無論、そんなことをしてしまったら、風邪をひくくらいは当然、体のあちこちが痛くなってしまうだろう。
「あ、胡桃!何やってんの?」
(え!?)
予想外の、人間の声に胡桃が驚いて下を見ると、地面に立っている少年の姿が見えた。冬雪だ。しかし、こんな時間にどうしたのだろうか?
「お前こそ何やってんだよ?」         、
「ん?ちょっと大平さんちにごよーじだよ。愛猫様、やっと捕まえたの。すぐ帰るけどさ」
そういえば、右手に動物を入れるケージをぶら下げている。ちなみに、彼は普段、愛猫「様」などとふざけたことは言わない。大平家がそういう人種なので、皮肉って言っただけだろう。この近所の大平家の猫は確か、いくつかのコンテストで優勝するような猫で、室内で飼われているのが当然のはずだ。それなのに逃げてしまったとは――何と迂闊だろうか。
「あぁ……仕事か。ふぅん」
「胡桃もついてく?面白いよ」
一体何が面白いというのだろうか。猫の引渡しが面白いとでもいうのか?馬鹿げている。しかし――誘われたのは断れない性格が、その考えを邪魔した。
「……行く」
「よーし!お仲間参戦ー」
冬雪が空いている左手を高く掲げて喜んだので、胡桃はベランダから身体を乗り出した。下は庭だから地面だ。ベランダの塀を乗り越え、手すりに手を掛けてぶら下がる。そして、静かに地面との距離を縮めていき、丁度いい場所で手を離して飛び降りる。
「お見事ー!」
冬雪は楽しそうにぱちぱち拍手をした。本当に喜んでいるかどうかは不明だ。
「……行こうぜ」
「おー」
随分ハイテンションだが、気にしないことにした。胡桃はスキップをしながらはしゃぐ冬雪を追って、小走りに進んだ。

「ここだ」
冬雪が突然停止して指差した、適度に大きく綺麗な家。ここが大平家である。胡桃の家からは歩いて1分程度で、回覧板の最初の家と記憶している。
「いくよー」
インターホンを押して、家人が顔を出すと、冬雪は愛想良く振舞って家人の機嫌を取った。
「あーら、助けてくださったのね?ありがとねぇー、ほんと嬉しいわぁ。報酬代わりに今からお夜食ご馳走するわ。ささ、はいって入って。あら、お友達?いいわよー、はいって」
――……お嬢様という名目であるが、列記とした(?)オバサンである。30代後半、そしてやはり金持ちらしい。体中妙なほどにキラキラさせていた。冬雪はそれには何も言わず、ずかずか平然と大平家へと入って行った。胡桃は少し遠慮しつつ、冬雪の後へと続いた。不思議な感覚だった。

「まあー、ローラちゃん!!」
大平オバサンは冬雪が渡した猫を、絞殺しかねないほどに抱きしめて叫んだ。
「元気だったのねぇー、嬉しいわぁ。もお、アタシ感激しちゃうわー。あらあら、遠慮しないでどんどん食べてどぉぞー、あんまり遅くなっちゃうと悪いしねぇ」
あんたが1番うるさいと思いながらも、胡桃は振舞われた夜食を口に入れる。それなりに美味いのが不思議なところだった。
「胡桃」
横に座った冬雪が耳打ちで声を掛けてきた。
「何だよ?」
胡桃も同様に返す。
「もしかしたらぼくの父親、龍神森冬亜かもしれない」
「りゅ……っ!?」
胡桃は危うく、大声を上げるところだった。
「だからそれは――――これから調べるしかないんだ」
冬雪が、いつになく真剣な顔付きで言った。ウィンナーをくわえたままだったので、やけに滑稽だった。
 今回の彼の異常は、一体どこに原因があるのだろう?

――謎が謎を深めたまま、素朴なお茶会は終了した。


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