形と探偵の何か
Page.7「夜と探偵」




      Prologue

――初めての経験だ。

一晩中起きていようなどと考えるのも、

それを本当に実行しようとしているのも、

まさか自分だなんてことは。


それが信じられないのも、

普段、自分はいい子だから、などと思っているからではない。

あの日の恐ろしい記憶が、

すぐに脳裏に蘇ってくるからこそ、



――――……夜が、怖いのだ。



      1

「鈴夜?」
「眠れないです」
弟、鈴夜は仰向けの状態のまま冬雪に言う。冬雪はベッドに寄りかかってマンガを読んでいた。
「慣れない場所だしなー。しょうがないよ。もう少しそーしてな」
「冬雪は寝ないんですか?」
「さぁね」
寝る気はなかった。それを鈴夜に言ってどう思うかは、火を見るより明らかだから言わないでおく。
「どうしてお正月過ぎてからこっち来なきゃいけないんですか?」
「それはもう、桃香の策略だな。ま、しばらくは遊介と遊んでりゃいいだろ、お前は」
――ここは横浜市外れの町に位置する、かの夢見月家。呼び出された2人に用意された部屋は他の部屋と違わぬ広い――15畳くらいだろうか?――部屋だった。
 冬雪は持ってきていたマンガを読みながら過ごしている。仲の良い人間がいるわけでもなく、暇でしかなかった。鈴夜の相手となっていたのは季本遊介、現在の当主である季本桃香の三男であり、鈴夜と偶々同い年だったのだ。大人しいタイプだが鈴夜とはとても気が合う様子で、もう既にかなり打ち解けていた。
「オレは暇でしょーがないんだよ」
「じゃあ寝ればいいじゃないですかー」
「……何だかなー」
「安心しきれないんですか?」
「それはお前もだろ、お互い様」
冬雪は右手を上げて鈴夜の頭にゴン、と拳をぶつけた。
「……痛いです」
「悪い」
謝ったものの全く悪びれた様子はない。鈴夜は通例のようにそれに怒って飛び起きた。
「もぉっ、僕も暇なんですよぉっ」
「そりゃそうだろうな。夜は暇だよ。どうせ起きてる人なんかいないし」
冬雪はマンガを鞄にしまいこみ、鈴夜のベッドに並んだもう1つのベッドに寝転んだ。しかし寝る気はない。
「はーあ。何してよっかなー」
冬雪の視界には部屋のシャンデリアと天井のみが入る。耳に入る音は何もない。
「…………冬雪着替えてもないですしー」
「大人軍団に交じって麻雀でもしにいくか」
大人というか、夢見月姉妹の夫たちが集まってわいわいやっている。つまりは宴会なのだ。
「ルール知らないでしょ?」
「知らない」
「意味ないですよ」
「くそぉ、大人は楽しく時間潰しやがってよー」
「じゃあ寝たらどうなんですか」
「いや、意地でも起きててやる」
いっそのこと、やはり大人たちのいるところへ行ってみようか。
「じゃあな。おやすみ」
「え、行くんですか?」
「あぁ。行ってみるよ。それじゃ」
「……はい」
冬雪は部屋の電気を消すと、ドアを開けて廊下に出た。大人達は多分、娯楽室に集まっているはずだ――。

      *

 娯楽室。中からは声が聞こえている。
――ガチャッ。
冬雪がドアを開けると、中にいた数人がこちらを向いた。
「あら?ふゆちゃんじゃない、どうしたの?眠れない……訳じゃなさそうね、着替えてないもの」
「何だ、もう大人になったのか?」
極悪人と称される香子の夫――つまり夫婦ともに――言った。結局は、麻雀、しかも賭けをすると告げてあるこの場にわざわざやってきたことを茶化しているのだ。実際は、賭け麻雀どころかトランプゲームをしているようだが。
「……冗談じゃない」
駆け寄ってくる雪子を無視して、冬雪は娯楽室端に設置された椅子に座る。香子の夫を睨み付けてやると、奴はふいと向き直った。
「ふゆちゃん、何しに来たの、こんな所」
「こんな所とはなんだよ」
彼はあくまでも正当化しようとしている。
「あら?ここが綺麗で汚れない空間だとでも言うの?」
「馬鹿言うな。その全く逆だろ」
「貴方はそれに誇りを持っちゃってる訳ね。さ、ふゆちゃん、こんな人に汚されない内に早く寝なさい?ろくなこと無いわよ」
「………………寝たくない」
「どうして?いつも寝坊して起きてくるくらいじゃない」
「正月ぐらい特別に過ごしたいからね」
「……ふぅん。あたしには判らないわね。で?ここで何時間も過ごすの?」
「出来ない?」
冬雪が逆に尋ねると、雪子はんー、と考える。
「あたしとずっと話してる?」
「それはまた豪勢な」
余りにも突飛な答えに、冬雪はおどけて返答した。
「あたしずっと話してる自信あるわよ」
「…………そういえば客と始終話し通すって噂聞いたことあるな」
「それくらいしなきゃダメでしょぉ?人と関わる商売なんだからー」
雪子はこれでも美容師である。
「で、どうするつもり?そだ、卓球でもやろうか?」
「……マジで?」
「何か運動したくならない?ルールはあたしよく知らないから、ラリー続けるくらいで、どぉ?」
――運動すれば眠気も取れるか。
「いいね」
冬雪は笑って答えた。雪子は笑い返して、よっし、と立ち上がった。

「はい」
卓球台のネットを張り終えると、雪子は冬雪にラケットを渡した。
「よっしゃー」
せっかくやるなら徹底的にやろう、と決めた冬雪は、ポケットからゴムを取り出して髪を縛る。
「こっちはOKだよ」
「……本気ねふゆちゃん」
「もっちろん、やる時はやらなきゃな」
「さっきとは大違いだわ」
――カコッ。
さすがと言うべきか、喋りながらいきなり打ってきたのだ。

――カコンッ。
「あっぶねー」
「あら、凄いじゃない」
打ちつつも全く語調の乱れない雪子に半分感心し半分呆れながら、冬雪は的確に球を返す。
「何かすげぇな、その空間」
その発言は冬雪の母親の弟、つまり叔父に当たる冬村銀一のものだ。隣ではその妻である梨子がクスクス笑っている。
「凄いわよー」
と言いながらも雪子はガンガン打ってくる。……本当にさすがと言うべきか、全く言葉は乱れない。
――カコンッ。
「あ」
「やった!」
冬雪がガッツポーズを作る。球は床を転がり、雪子はそれを追ってしゃがんだ。
「雪子さんが負けるなんて珍しいねー」
梨子が笑いながら言った。
「ま、まだ1点なんだからっ」
「あはは、雪子姉ってば真剣になってる」銀一もつられて笑った。「それに雪子姉、ラリー続けるだけじゃなかったか?」
「それを先に言ってくれなきゃダメじゃないっ、それにふゆちゃんが『やった』なんて言うからっ」
「まーまー、そこはご愛嬌でね」
話を振られた冬雪は適当に誤魔化す。
「〜〜〜〜」
結局自分の所為にされたと雪子は唸り、早速と剛速球を放つ。

――カコッ。

「何で打てるのよ!?」
「だーからっ、続けるんだろ?」
「あ、そっか」
意味のない会話が続く。
「さ、梨子はそろそろ寝たらどうだ?奏梨が寂しがるだろ」
「もう寝てるから大丈夫よ、それに負けたままなの」
――銀一と梨子、そして香子の夫と雪子は元々、トランプで大貧民に高じていたのだ。4人なので仕方なく大富豪と大貧民、平民2人という設定で行っていたのだが、前回大富豪の雪子が勝手に抜けて、現在のところ大富豪・銀一、平民が香子の夫、大貧民が梨子になっていた。
「悔しいから勝つまでやるわ」
「梨子ちゃん負けず嫌いだからねっ」
――これは雪子の発言による。
「あ」

――カンッ、カ、コロコロロ……。
「また落としちゃった」
「雪子ー」
と、冬雪が雪子に対して悲痛の声を上げたその時だった。

――ガンッ、ガラ、ガラッ。
「え?」
最初に反応したのは梨子だった。
「上だよね?」
続いて銀一。
「上って何の部屋?」
冬雪。
「ここの上はただの物置よ?」
雪子。
「物置の何かが崩れたんだろ」
「そっかー」
と、全員が納得の意思を示した、が。

――ガシャンッ!ドン、ガラガラガラッ。

「……いい加減にしろよー」
「行ってみるか」
銀一が立ち上がった。


      2


――ガッシャーン!!

「……………………」
「あーらら?」
「真っ暗、ね」
「今の衝撃で落ちたとか?」
「それくらいで落ちるように付けられてなんかないはずだろが」
――部屋の照明……かなり小さいタイプのシャンデリアが落ちたのだ。人の上に落ちなかったのは良かったものの、暗いのでは話にならない。
「懐中電灯かなんかないの?」
「その辺にあるはず……梨子ちゃんそこにない?」
「あった!はい」
梨子が電灯のスイッチを入れ、僅かに部屋が明るくなる。
「……悲劇だな、こりゃ」
冬雪が感嘆の声を上げた。
「とにかく外出ましょう、ガラス踏んだら危ないし」
「そうするかな」
懐中電灯の灯りを頼りに部屋の外へ出て、廊下の電気を付ける。当然だが、2階廊下には何も問題はない。
「3階物置だね?」
「ええ……」
案外早く消す事になった懐中電灯を手に持った銀一を先頭に、ぞろぞろと揃って階段を上る。
「ここか」
銀一が物置の扉に手を置いた。
「開けるぞ」

――ギギィ、カチャッ。

ドアが完全に開ききる。
「!何やってるんだ!?」
「も、申し訳ございません、銀一様!」
――中にいたのは使用人の1人、大船氏だった。子供には特にだが、非常に優しい初老の男性である。何をしていたのか、彼は崩れた物置の中身にあたふたとしながら、必死に弁明し始めた。
「あ、あのですね、箒を出そうと思いましたらですね……」
「箒なら2階の物置だよ?さっき見た」
冬雪が大船氏にアドバイスもそこそこに言うと、彼は引き攣った顔になって動かなくなった。
「大船さん何か、隠してなぁい?」
雪子が前へ進み出て言う。大船は、その場に座り込んでぶつぶつと話し出した。
「私が…………あぁ、お約束は守らなければ……」
「あのね大船さん、あたしも、この家の1人なんだから、ね?答えて」
「香子様が!香子様が私に、渡すものがあるとのことで――それで、それをこの物置に隠してあると」
何だか危なそうなものだが―――誠実に探しに来ている大船も大船である。
「大船さんに渡すものぉ?香子が?えー、そんなのあんの?」
愚痴っぽく言うと、大船氏が最初に反応した。
「冬雪様、それは私にも判らないのですよ」
「それじゃ、どうして訊かなかったの?内容がなんなのか」
「訊きましたが――答えてくださらなかったのです」
大船は真剣な顔付きで、そう答えた。

      *

「つまり――香子が大船さんに渡したかったのはこれだね」
「え?」
その場にいる全員が、冬雪の方を見た。
「これは…………まぁいわゆる、拳銃てやつ」
「ど、どういうこと!?」
最初に叫んだのは大船でも雪子でもなく、梨子だった。
「どういうことって……それは香子に訊いてみないと」
申し訳なさそうに冬雪が言うと、梨子は銀一に抑えられてそのまま引き下がった。
「ついでに、娯楽室にいる人間をここに呼び寄せるために、ここの中の物を崩れやすくしていた可能性はある」
「それは確かに有り得るわね……私たちはそれでやってきたんだから。でもふゆちゃん、電気が落ちたのは?」
「あれは偶然じゃない?まだ判断はしきれないけど。でも、これは何なんだろ?」
「香子様が、私に拳銃を…………?」
温和な使用人は呆気に取られている。
「大船さんに何か、犯罪を示唆してるのかな?」
「ちょっと、やめてよそんなの!!」
またも、叫んだのは梨子だった。どうもヒステリックになる癖があるようだ。
「だから、推測してるだけだって、梨子さん……それとも、香子のことを庇護する気があるの?」
「ち、違うわよ……ただ、そんな話をして欲しくないだけ」
梨子はどうもぎこちない調子で引き下がり、冬雪の行動を瞠った。冬雪はビニール袋に入れられた拳銃を軽く一回転させると、元あった場所に戻した。
「何だかね。家の中でも何が起こってるかわかんないなんて、大変だよね」
「――そんなもんだ、なぁ?雪子姉」
「そうね、昔からそうだったわ。多分――夕紀夜ちゃんが飛び出す前までは」
雪子はしみじみと語った。梨子がまたも反応して、虚ろな目のまま発言した。
「彼女が飛び出して、色々あって、この子たちがいるの?」
「何言ってるんだ梨子!どうしたんだ今日は!?寝ぼけているのか!?」
銀一が梨子を再びセーブするが、どうも酔っているのか何なのか、全く焦点が定まっていない。
「……梨子を寝かせてくる。雪子姉たちは娯楽室……はまずいから、部屋に戻ってたらどうだ」
「そうするわ。それじゃ、大船さんも、ふゆちゃんも、戻ってね」
「暇なのにー」
「りんちゃんが待ってるわよ」
雪子が冬雪の頭にぽんと手を置き、そのまま2階の廊下の奥へと消えていった。大船氏は物置を軽く片付ける。
「大丈夫?」
「いえいえ、これくらいは大丈夫でございます……とりあえず今日はここまでにして――あぁ、それでは冬雪様、もう遅いですからお休みなさいませ」
「うん、おやすみ、大船さん」
冬雪は2階廊下を雪子と同じ方向に駆けて行き、自分の部屋を見つけてドアを開けた。
「鈴、起きてるか?」
反応はなかった。どうやら寝付けたようだ。冬雪は電気を付けるに付けられず、そのままベッドの端に座った。
(――判らないな)
彼ら一族の中で最も極悪だと言われている、夢見月香子。彼女が起こしたとされる事件は数知れない。それに冬雪にも――無い訳ではないのだ。子供だから大して取り上げられないが、冬雪だけでなくその他の子供たちにも、それなりの疑いが掛けられているのである。もし今後冬雪に疑惑が掛かったとしたら、歳が歳なので裁判沙汰になりかねない。
(鈴夜は、逃げた万引き犯の疑い)
冬雪は暗い部屋の中で、何も気にせずにただボーっとしていた。
(オレは、自転車ひき逃げ犯の疑い)
これは数年前の話だ。ひかれた相手が「子供だ」と答えたことから、色々探られて冬雪にたどり着いたらしい。尤もそれが噂からという可能性も捨てきれない。それに、何より冬雪はそんなことはしていない。そんな記憶は全くないのだ。
(記憶障害だったりして?)
まさか、と苦笑しながらも、自らの弱さを身にしみて思った。ちょっとしたことがあるとすぐにダウンし、『ぼく』に戻ってしまうのである。その時にはいつもの調子を失い、全くやる気のないボーっとした感じの子供になってしまうのだ。
 冬雪は布団に潜り込んで、閉じようとする瞼を自然に任せ、鈴夜の反対をむいた。
(どうして―――ここにいるんだろうな)
思考はそこで遮られ、冬雪はそのまま眠りに落ちていった。

      3

 翌朝、香子は何の反応も示さず、平然としていた。大船氏も普通の様子で、笑いながら銀一に紅茶を淹れていたのが見えた。冬雪は自分の席で朝食のパンをかじりながら、周りの様子を窺っていた。
「ねぇ冬雪、これ何ですか?」
鈴夜がサラダに入った物体を指して訊く――が、冬雪はそれどころではなかった。
「……何なんだ一体?」
香子が何を企んでいるのか。冬雪はずっとそれを考えていたのだ。
「冬雪ー」
鈴夜が身体を揺すって言い、やっと気付いた冬雪が振り向く。
「あ?」
「これ何ですか?」
「……知らない。海藻じゃないのか?」
「あ、そっかー」
「オレが知ってるわけないだろ」
「冬雪、素っ気無い」
「悪かったな」
冬雪はコメントを挟みつつ、食事をしつつ、香子と銀一の様子を探り、自分でも訳の判らない状態に陥っていた。
「冬雪、昨日からちょっとおかしいです」
「そうか?そんなことはないと思うんだけど」
「そういえば、昨日どうだったんですか?夜あの後」
「ああ、雪子と卓球してたら上でガラガラーッとなって、シャンデリアが落ちて見に行ったりなんだりしてた」
冬雪は全ての状況を簡潔すぎるほど簡潔に話した。鈴夜は混乱中である。
「……判りません。シャンデリアってどこのですか?」
「じゃあ最初から話す。いいか、雪子とオレは卓球してた。それはいいな?他の人が周りにいた」
「はい」
鈴夜は難なく頷く。
「そしたら、娯楽室の上ででっかい物音がして、何だろって言ってたわけだ」
「はい」
「そこで、娯楽室の電気がドガシャンと落ちた」
「ええっ!?だ、大丈夫だったんですか?」
鈴夜は飛び上がりそうな勢いで叫んだ。冬雪はコホンと咳払いをして答える。
「大丈夫も何もこの素晴らしい肉体を以ってすればあの程度のシャンデリアなんぞひとひねりで」
「……何言ってんですか。それにシャンデリアひとひねりしても意味ないよ?」
「あーもう、ホントに怪我人はナシ。へーき。もし居たらもっと重大ニュースになってるよ」
冬雪が周りの状況を示すと、鈴夜はふぅん、とだけ言って再び食事に戻った。
――大船が紅茶を淹れにやってくる。
「おはようございます、冬雪様、鈴夜様。お目覚めはいかがでしたか」
「うん、だいじょーぶ。あ、砂糖だけちょうだい、鈴のも」
「それは良かったです―――はい、お砂糖でございます。それから、昨夜の香子様からの物のことですが」
大船は途中から耳打ちで話した。
「ん?それは……」
「無くなっていたのです」                、、
無くなった?何が――つまり、昨日あそこに居た者全員が見たアレが、無くなったと言うのだろうか。
「つまり、その――アレが?」
「ええ、今朝見ましたら、無くなっていました。もしかしたら、香子様が何か企んでおられたのかも」
「大船さんが、昨日アレを受け取らなかったからかな?」
「……かも知れませんね。! ああ、スミマセン、お食事中なのにこんな物騒な話をしてしまって。それでは、また御用がありましたらなんなりと」
「はーい、ありがとう」
冬雪が紅茶に角砂糖を入れる。鈴夜が横からコメントを挟んだ。
「何のことですか?」
「……大人のハナシだ」
「冬雪だって子供なのにー」
鈴夜は不満をぶちまけて膨れる。
「わりぃな。小学生以下お断りだね」
冬雪の冗談交じりのその台詞に、鈴夜は諦めモードに入る。
「もうっ」
「あはは。食事しよーぜ、食事。はっきり言って、ここ来たのはこれが目当てなんだからさ。食べとかなきゃ損だぜ」
「…………はぁい」
鈴夜は素直に食事に戻った。冬雪も、彼に不安を抱かせないよう注意しつつ食事と監視を行う。どちらかが疎かになってしまうのは否めなかったが。
 鈴夜はサラダのレタスを口に挟み、何かを考えているような表情になった。しかし、冬雪は無視することにした。細かい事を気にしていては始まらない。
「…………うっし、ゴチソウサマ。オレは部屋に戻ってるからな」
「えっ」
「先に帰ったりはしねぇから。部屋に来れば居る」
「……はい」
――そうは言ったものの、調べないことには始まらないのだ。何か、香子に繋がる情報源はないだろうか。
 昨夜居た者からまず、訊いていくことにしようか。冬雪はまず、夏岡雪子に照準を合わせた。彼女の席へと向かう。
「雪子」
「! あらふゆちゃんおはよう、どうしたの?もう食事は終わり?」
「うん、これから部屋戻る……で、昨日のことなんだけど。香子に何か訊いた?オレがいきなり尋ねるのもなんだし」
「……訊いてみたわ、でも答えるはずもないでしょう?」
「いくらうちでもね」
――『夢見月家の中では、自身の犯した罪は隠してはならない』。そういった掟が、長年守られてきた。だから、仮令隠そうと思っても、尋ねられれば絶対に真実を話さなければならないのである。もし、それが嘘で実はやっていたとバレたとなれば、警察に突き出されるのは勿論、一歩間違えば殺される可能性だって無きにしも非ずである。だから、雪子は冬雪が今まで犯してしまった唯一の犯罪行為も知っている。そしてそれは、決して外に漏らさないことが第一条件なのだ。
「それで、結局は姉さま、ちょっと笑っただけだったわ。全くもう、だからあの人は嫌いなのよ、ふゆちゃんもそう思うでしょ?」
「それはもう、重々承知。あんな人と結婚したあの人が理解できない」
「当たり前ね」
雪子はフフと笑い、情報なくてごめんなさいね、と言って食事に戻った。冬雪は彼女から離れ、冬村家のテーブルへと向かう。銀一と梨子を訪ねる為だ。
「梨子さん」
「! 冬雪君」
冬村梨子は驚いた声を上げて振り返った。その表情はやけに張り詰めている。
「昨日のことで、香子に何か訊いたりした?」
「してないわ、あたしは香子さんとは仲良くないもの。銀一さんですら、あまり付き合いのない方よ。調べたいなら、貴方自身で訊いたらどう?その方が効率もいいし、確実だわ」
梨子は冬雪を突き放しこそしたものの、冬雪を排除するような雰囲気は全くなかった。冬雪は少し安心して、ありがとう、と小さく言って彼女から離れた。
 そして、鈴夜との約束どおり、自身の部屋へと戻った。

      *

――いったい、何故?

何故、貴方はここにいるの?

もう、私には何も判らない。

どうして、私はこんなにも必死になっているのだろう。

何も、ここまで頑張ることはなかったのに。

――いったい、何故?

      *

 冬雪は、部屋でベッドに寝転びながら昨夜のことを考えていた。
――問題は本当に、香子側にあるのだろうか?
 実は、大船側に何かあって、それを香子が指摘しようとしていたとしたら。あの温厚な大船氏が、何らかの罪を犯したとも思えない。
 冬雪は、真相を求めるのが次第に嫌になってきていた。
 もしこれで、本当の答えを見つけたとしても、それが冬雪、そして大船氏の為になるとは言い切れない。

―――問題が何にしても、冬雪が敢えて関わる必要はあるのだろうか。

 もしも、真実が冬雪にとって辛いものであったとしたら。それを考え始めると、今までやってきたこと全てが嫌になった。これを求めることによって、何がどうなると言うわけでもない。ただ、辛い事実が残るだけとなってしまう。
 それなら、知らなくても良い真実だって、ある。

――もう、やめにしよう。

 冬雪は勢いをつけて上体を起こすと、帰りの支度を始めた。

もう二度と、こんな事実に出会いたくはない。それだけが、望みだった。


    Epilogue

 夢見月香子は、使用人・大船の元を訪ねた。
「こんにちは」
「! 香子様。お食事はいかがでしたか?」
大船は偽りの優しい笑顔で、香子に尋ねた。香子は、本当の笑顔でえぇ、と答えた。返答を聞いた大船は、それは良かったと笑う。
「――昨日の連絡は、受け取っていただけなかったのですね」
「! いえ、あれは――……私が探しておりましたら、2階にいらっしゃった方々が物置にいらして、」
「それだけではないでしょう?」

――香子が求めていた最終的な結果は、こうだった。
 香子は、銃を物置に隠した。それを、連絡を受けた大船が探し、発見する。大船は勿論、それを香子が隠した事を理解してくれるはずだ。そして、銃を手に入れた彼は、あの過去の事件の恨みとして、ある人間を殺害する。

 無論、それが全て上手く行くはずはない。計画の大半は、彼に伝えていないのだ。彼が仮令、その『ある人間』を排除する機会を窺っていたとしても、それを香子が後押しする必要は皆無のはずだからである。彼が、この行為を、香子の好意と受け取るかは不明なのだ。

――計画は、失敗で良かったのかもしれない。

 香子の中で、何かが弾けるような感覚があった。これで、全ては解決したのだ。だから、置き去りにしていた銃も回収した。彼は、大きな犯罪に手を染めることもなく済んだのである。これで―――……良い。
 香子は薄っすらと微笑み、机の上に置かれた写真を手に取った。

――そこに写っていたのは、小学校に上がるか上がらないかくらいの少年が2人、楽しそうに笑っている姿だった。

+++



BackTopNext