形と探偵の何か
Page.6 「料理と天使」




    Prologue

――お母さん?お父さん?ねえ、答えて、ねえ!

冗談であって欲しかった。

すぐに目を覚まして、名前を呼んで、返事をして欲しかった。

――……でもそれは、ただの夢でしかない。

そう、叶う事のない幻。


あたしがいくら望もうとも、

あたしがどれだけ涙を流そうとも、

運命は、酷にもあたしを引き裂こうとする――。

      *

――詩杏、詩杏……。

誰の声?お父さんに似ているような――――……気がしただけだ。

「おいコラ、詩杏!起きろって言うてるやろがボケ」
声の主は詩杏の9つ上の兄、神李(かんり)だった。神李は叫びつつも詩杏の布団を剥がす。
「いやあっ!何すんの!!にーさんっ」
それに一編に反応して詩杏が飛び起きる。
「うるさいわ、こっちが起きろっちゅうてんねんから、お前は起きなあかんのや」
「関係ないわそんなんっ」
「そっちこそ関係ないわ。朝メシは出来てるから、はよ来ぃや!」
(行きたくなんかない!)
布団を奪い返した詩杏はそれに潜り込んで心の中で文句をぶちまけた。
 足音が部屋を出て行ったのを確認すると、詩杏は手に取った枕を思いっきり入り口のドアに投げ付けた。
「もうっ、兄さんなんか大っ嫌い!!」


      1

「え?おせち料理が何?」
詩杏があっけなく答えたのを見て、神李はムッとした表情になった。
「俺は知らんからな」
「何が?」
「内容」
どうやら、兄が言いたいのは「おせち料理を作るなら俺は何を入れればいいのか知らないぞ」、らしい。
「そんなん、買ってくればええやん。それに、あたしは無くても構わない」
「あのな、日本の正月に欠かせないもん言うたら、鏡餅におせちに雑煮やろ?大体、うちじゃ毎年母さんが用意して――、」
「そこまで言うなら何で覚えてへんのよ!あと、欠かせへんものにお年玉が足りひん!!」
「そんな叫ばんでもええやんか」
霧島神李は味噌汁をずずず、と飲みながら、それに、と付け足した。
「お前にお年玉やれるような状況とちゃうぞ」
「べぇ。別にくれなくてもいいですもんね」
「訳判らんわ」
「結構ですよー、判らんで。はい、ゴチソウサマ」
詩杏は茶碗の中身がなくなったのを確認して、片付けに入った。茶碗類と漬物の小皿を全て持って、キッチンの流しへそれを一気に入れ込むと、兄を無視して階段を上がった。
「詩杏!宿題進めろよ」
この後も神李の叫び声が幾度か聞こえたが、詩杏は全て無視して2階自室へ戻った。

――パタン。

「はー……。これからずっとこうなんかなー」
詩杏は改めて部屋の勉強机に着席した。部屋にいる時は大体ここが指定席だ。ベッドの上よりかどこか、居心地がいい為だ。多分、腕の置き場があるためだろう。詩杏は机に突っ伏して、色々と考えをめぐらせた。
(全てはあの事故の所為や)

――今年夏に起こった飛行機事故。あまり被害が大きくなかった為に、そこまで人々の記憶に残ってはいないようだ。しかし――その少なかった被害の中には、詩杏の両親が巻き込まれていた。そして秋のある日、残された詩杏たち兄妹は、開け放たれた元・親戚の家のここへと移り住んだのだ。事故による悲しみを決して忘れず、しかしてそこから立ち直る為に。
(あたしも一緒に行ってたら、あたしも一緒に死ねたのかな)
机に飾っている写真の中の、笑顔の自分が怖い。この後何が起こるか――予測出来ていたなら、どれだけ良かったか。
(2人で行かせたから……)

――ふと、涙を零している自分に気がついた。

(まだたちなおれてへんな、しあん……しっかりし)
服の袖で涙を拭い去って、再び思いをめぐらす。
(だからこそ、こっち来たんやもんな)
机の側に置いたCDラジカセ(MDナシ)の電源を入れて、せめて部屋の雰囲気を明るくしようと試みた。

――詩杏が昨日録音した、陽気なクラシック音楽が流れた。

      *

「――……あれ?あたし寝てた?」
目を擦りながら部屋の時計を見れば、既に午前11時をまわっていた。先ほどかけていたテープはもう終わっている。
「いっけない!」
机に散乱しているプリント類を掻き分け、昨日やりかけていた数学の宿題を探し出す。
「は…………そういえば卵昨日無くなってたんだっけ」
買いに行かなければ、と数学の事をムリヤリ忘れて立ち上がり、ハンガーに掛けてある薄茶色のダッフルコートを取って部屋のドアを開けた。

 階段を下り、リビングに声を掛ける。
「兄さん?卵買ってくるからね!」
「おせちの材料も忘れんといてやー」
「………………」
財布の入ったバッグを手に、詩杏は靴を履いて玄関のドアに手を掛けた――。

「行ってきます!」

      *

「寒ーい」
マフラーを忘れた事を後悔しながらも、戻るのも面倒なのでそのまま行く事にした。まだ落ちきっていない銀杏の葉が時々舞って、目の前を横切っていく。黄色に染まったアスファルトの地面を一歩一歩進みながら、初めてここに来た日のことを思い出していた。
「あの時はまだ葉っぱみんなついてたなー」
「何しみじみしてんだ?霧島」
予想外の声に、詩杏は慌てて振り返る。誰の声か――想像はついていた。
「ふ、ふゆちゃんっ!な、何してんのよっ」
「それはこっちの台詞だろ?」
そう言いつつも素通りしていく冬雪のコートのフードを掴み、進行を阻害した。
「人に話し掛けたら素通りなんかしないの!!」
「……急いでんだよ」
「何か用事でもあるん?」
「あ?寒いからに決まってんだろが」
冬雪はしれっとして答えた。詩杏は彼に呆れて、別の質問へと移った。
「じゃあ買い物?」
「そーだけど」
「ねぇ、おせち料理って言ったら何思い浮かべる?」
「……はぁ?」
振り返った冬雪は本当に訳がわからないという顔をしていた。
「んー、栗きんとん」
「うん」
「卵」
「うん」
「魚」
「……うん」
「マメ」
「黒豆ね」
「……もう思いつかねぇよ」
「ちょっと!!」
「ちょっとじゃねぇっ!!お前が勝手に訊いて来たんだろが」
「……むぅ〜」
それもそうだが、せっかくのチャンスを逃すのは惜しい。
「訊きたいならうちの姉貴(←梨羽)か流人に訊けっ!あの人なら知ってるだろ……とにかくじゃあな!オレはタイムサービスに参加しないといけないのだ!」
「何よーー」
詩杏が1人で膨れていたが、冬雪は颯爽と走り抜けていってしまった。
「そういえば……ふゆちゃんもお母さんとお父さんいないんだっけ」
そう聞いた事があるだけの話だ。詳しいことは転校生の詩杏ごときが知っているはずもない。
「それより卵やっ!」
詩杏は肩の前に下りて来る髪を後ろにはらって、走り出す体制に入った。
「よぉし!」

――駅前のスーパーまで残り、300m!

      2

「――それで……うちに来たのかい?」
「だってあたし、ここの電話知らないんやもん」
偶然にも安売りしていた卵を購入後、詩杏は電車に乗ってここ、紅葉通の雑貨屋『日本人形』まで来ていた。
「それは秋野君に聞いといてくれ……で、おせちの内容だったね」
「うん。兄さんが判らないって言うから。でも、おせちとかって本にもあんまり載ってないやん?」
「それはそうだろうな」
流人はそう言って、カウンターのペン立てからボールペンとメモ用紙を取り出した。
「じゃ、始めるかな」
「うん」
流人は手に持ったボールペンの芯を出すと、サラサラと文字を書き始めた。
「説明はいらないよね。内容と材料だけ判ればいい?」
「うん。あたしが作るの」
「よし」       、、
全く違和感のない動きで左手を動かしていた彼にようやく気付き、詩杏は関係のない質問をした。
「流人さん、左利きやったの?」
「え?あぁ……んー、どっちでもないかな。でも文字に関しては左のほうが楽だからね。――はい、これで全部。後は用事はない?」
「ええっとぉ……特にはないよ。うん、ありがと、また今度来るねー」
「おぉ」
詩杏が玄関から出て行くと、流人が小さく右手を振ったのが見えた。

      *

 詩杏がおせち用の材料も揃えて家に戻ると、神李は未だにリビングでくつろいでいた。
「…………ねぇ兄さん?兄さんの仕事って何?」
「俺の仕事?何訳わかんないこと言ってるんや、お前。とーぜん、アルバイターだろが」
「だったら何でうちにいるんよ」
「はぁ?休みだからに決まっとるやないか、お前どうかしてんのか?もし記憶なくしてんのやったら病院行かなあかんで」
「ふざけないでよー、もう」
詩杏はスーパーの袋をダイニングテーブルに置き、その全てを神李に預けたことに決めて2階へ上る階段へと向かった。
「詩杏……これは俺にどうしろと」
「勝手にしてよ、冷蔵庫入れるなりなんなり。あたしは宿題やってるからね」
「……ったく」
神李が立ち上がった音が聞こえる。詩杏は一気に階段を駆け上がった。

 こういう時だけは、とても楽しいと自信を持って言える。


    Epilogue

――霧島家の斜向かい、夕暮の秋野家。
2階リビングでは大掛かりな荷造りをする少年たち2人の姿があった。

「だからー、暇なんだってば。色々持ってっとけ」
「重くなっても知りませんよ、冬雪?」
「梨羽は心配しなくても平気だっ…………お、重っ!」
「言った通りでしたね、お兄様」
梨羽は一時帰宅中の兄・葵にマグカップを渡しながら言う。
「あぁ」
兄はカップを受け取り、平然と頷く。
「お前ら………………今に復讐してやる…………」
「復習?それなら今、すぐにでもやったほうがいいぜ、ふゆ」
「字が違うっ!」
やりとりを静かに見ていた鈴夜はくすくす笑いながら、自分1人真面目に荷物を詰め込んでいた。
「鈴!お前も何か言えっ」
追い詰められた冬雪は鈴夜に発言権を与えた。
「自業自得です」
鈴夜は飛びっきりの笑顔で暴言を吐く。

「…………最悪だ、この家族……」

彼の独り言でその場は終焉となり、笑い声に包まれた。

+++



BackTopNext