形と探偵の何か
Page.5 「硝子と探偵」




     1

――雪の朝だ。
いつもと変わらない朝、今日もまた、新しい一日が始まる。
朝から雪掻きの作業を始める近所の大人たちに、冬雪は相当感謝していた。
 つまるところ、冬雪は名に似合わず雪が苦手なのだ。もとい、雪自体が嫌いなのではなく、それによる寒さが苦手なのである。
 現在は冬休み中ゆえ、外に出ることはまずないだろうが、気分的にも雪の積もった道路などを見るのは嫌だ。3階自室からその様子を見てすぐ、冬雪は朝食を取りに部屋を飛び出した。

     *

「おはよう、冬雪っ」
「……妙に跳ねた台詞だな」
「だって、雪ですよっ?天気予報当たったんだー♪」
冬雪とは完全に対称的に、雪にはしゃぐこの小さな少年は冬雪の異父弟、鈴夜だった。現在小学4年、つまり冬雪の4つ下になる。冬雪のことを呼び捨てにする割には、何故か敬語を使っている。艶のあるストレートの黒髪に、一見しただけでは黒に見えるダークグリーンの瞳。冬雪と似ているのは垂れた目元くらいだろうか。
「嬉しいんなら、家の前の雪掻きは鈴がやれよ」
「えー!何でですかっ」
「……オレは外に出たくない」
「僕1人じゃ無理ですよっ!ちょっとぐらい手伝ってくれるとか、してくれないんですか?こないだだって、」
「外が寒くなければ行ってやるけど?」
しかし寒くないはずがない。寒がりな冬雪がそう感じないほど外の気温が高いなら、雪はその時点で溶けているだろう。
「もっと着るとかしたらどうなんですか?いつも3枚しか着てなくてー」
「組み合わせ方?」
「それもあるし、あ、綿のほうがあったかいんですよ、こないだTVで」
「それぐらいは知ってるけどさ」
知っていても、寒いものは寒いのだ。
「……とにかく、メシだな」

     *

 いつも通りの朝食だ。トースト一枚に紅茶、そして目玉焼きが一枚。一見、育ち盛りの冬雪には少ないように思えるが、朝だけはこれで充分なのだ。ただし、スピードは並大抵の一般人よりは格段に早い。今ももう、既にパンと目玉焼きは食べ終えて、ゆっくりと紅茶を飲み始めたところだ。
「今日も寒いんですよね。窓に結露が起きてました。鈴夜は落書き始めましたけどね」
従姉で料理係の梨羽が言う。
「ふぅん、後でオレも参加させてもらお。で、今日も葵は帰ってないワケだ?」
――久海葵。梨羽の実兄のことだ。大作家先生の息子で、自身も作家である。そして、時々取材旅行と称してどこかへ消える、この家の保護者であるべき人間だ。唯一の成人である。単なる旅行好きなのか、放浪癖があるのかどちらかだ。
「沖縄でしたね」
 つまり、寒い寒い東京を無視して、自分1人取材という名目で年平均気温20℃を超える場所でのんびりしているということか。彼は実の妹や従弟たちが可愛くないのか?
「じゃ、次回作は『めんそーれ』か?」
「違うでしょう。きっと主人公が旅行にでも行くのではないですか?」
「オレに聞かれても困るよ」
紅茶の最後の一口を飲み終えて、冬雪は1つ溜息をついた。
「しっかし、部屋ん中でも寒いってのは、これいかにだな」
「まだ暖房が効き始めたばかりですからね」
原因の一つには、冬雪が珍しく早く起きてしまったこともあるのだが。
「でも歩道の雪は何とかしませんと」
「あれは鈴が……」
「冬雪もやってくださいね?」
「は?」
「子供1人の体力では、そうすぐには終わりません。私が手伝ったとしても、その時間だけ冬雪も暇でしょう?」
「暇じゃないよ、その時には宿題とか、」
「本当にやりますか?」
「さ、さぁ……?」
梨羽に笑顔で問い詰められ、どうしても頷けなくなってしまった。まずい。
「やらないでしょうね」
「やる!やるってば!」
「貴方の性格なら10分で放り投げられますね」
「…………」
「図星ですか」
平然と言った梨羽はトースト用と卵用の皿を下げ、キッチンへ移動した。
「1時間以上続けられる自信がおありでないなら、外のほうを手伝って頂きますけれど?」
「そ、そのさ、笑顔で強迫するの止めてくれないか……?」
「では決定ですね」
「……仕方ねーな……全く」
ということで、冬雪も雪掻き作業参加が決定したのである。

     2

「さてと」
マフラー、帽子、コート、手袋そして極めつけにマスクと重装備の冬雪が玄関扉を開ける。今の所、一面銀世界である。
「……どうしてこう積もるかな、関東は降りにくいはずなのに」
日本列島を縦に分断する山脈によって、関東に季節風がやってくるころには乾いた風になっているのだ。だから、新潟や秋田などの日本海側は世界的に有名な雪国なのに、東京や埼玉ではあまり雪が降らないのだ。
「降る時は降りますよ。だからこうして今積もってるんです」
「天気を自由に操る装置、早く出来ないかなー」
「あと10年は待ってくださいね」
「ちぇ」
と言いながら、受け取ったスコップを動かし始める――と、家と隣家の間辺りに、妙なダンボール箱があった。
「何だこれ?」
不審だが、開けてみる。
「!!ね……」
「どうかしましたか?」
「猫っ!ねこっ!!猫!」
「ネコ?」
冬雪の開けた箱の中には、小さな猫が2匹、固まって入っていた。生きているのか死んでいるのかは一目瞭然だった。
「まだ生きてる」
冬雪が倒れないところから見て、生きている。冬雪は元・生物が嫌いで、生気のない者は見た瞬間に倒れてしまうのだ。人間は勿論、動物界に分類されるものなら大半に当てはまる。
「梨羽、これどうするよ?」
「とりあえず家の中へ連れて行ってください。あまり外に居させるとかわいそうです。少しくらい食べさせるものもあるでしょう?」
「……仕事上で使うしな」
「早くなさってください、衰弱しては困りますから」
「はーい」
冬雪は中に入れるチャンスと踏んで、仔猫2匹を連れて暖房の効いた1階事務所の中へ入った。とりあえずダンボールの中に敷いてあった毛布で温めておいて、梨羽の指示を仰ぐ。
「ミルクか何かありますか?とりあえず……」
「おー」
冬雪はバタバタと階段を駆け上がり、2階キッチンの冷蔵庫から牛乳を取り出してまた降りてくる。
「どうやって飲ませましょうか……」
「手からでも飲むかな」
完全に目を瞑っている2匹に向けて、冬雪が手にミルクを少し乗せて口の側へ持っていく。
「……どう?」
少しだけ目を開けた一匹の猫が、小さい動きだがミルクを飲んだ!
「やった」
「もう一匹はどうですか?」
「まだ起きてない」
「でも……どうして捨てたりしたんでしょうね」
梨羽の口調は静かだったが、恐らく怒りの感情を内に秘めているだろう。ふと見れば、冬雪の手のミルクはもうなくなっていて、仔猫2匹はそのつぶらな瞳でこちらを見上げていた。
「あ」
「案外早く起きましたね」
「どうしようかー、とりあえず中に入れちゃった分、しばらくは預かっとかないとな。少しすりゃー里親くらい見つかんだろ」
「飼う気はありませんか?」
「んー、微妙。猫は嫌いじゃないけど、別に……餌代も高くつくしー」
結局、特に理由はないのだ。
「梨羽は飼いたいの?」
冬雪が尋ねる。梨羽は少し考えて、えぇ、と答えた。
「そっかー」
梨羽が申し訳なさそうにしているのを尻目に、冬雪は2匹を連れて2階へ上がる階段へ向かった。
「じゃあ決定だよ。とりあえず、リビングにダンボールは置いとくからね」
振り返って見たその時の梨羽は、妙なほどに寂しそうな顔をしていた。冬雪の知らない過去に、何かあったのかもしれない――。

     *

「え?名前?」
「決めませんと」
「名前かー、白猫だからー」
冬雪が悩んでいる横で、梨羽がボソリと言った。
「雪……」
「え?」
「あ、いえ、何でもありません。ただスノー、なんてどうかなって思っただけですから」
「……スノー」
あまり寒そうな名前は好きではないが、梨羽が何かコメントを持っているなら仕方がないかもしれない。
「いいよ?別に」
「いいのですか?」
「何かありそうだしね」
冬雪がつつくと、梨羽は顔を赤くして黙り込んだ。――やはり、何かがあるのだろう。
「で、もう一匹だな。一匹が白なら黒とか」
「ブラックとかはやめて下さいね」
「――そうしようと思ってたのに。じゃあスケルトン?」
「それは意味がおかしいですよ」
「透明人間」
「人間じゃありません」
「ガラス」
「……いい加減にして下さい」
梨羽が呆れてキッチンへ向かおうとした時、決定権は冬雪に移行した。
「よし!ガラス!それも漢字で何かいいんでない」

――梨羽は何も言わなかった。

     3

 風の強い日だったと思う。まだ幼かった梨羽が、家の近くで凍えている仔犬を見つけたのは――。
「兄さま、わんちゃん!」
「え?」
今から14年前――梨羽はまだ5歳。兄である葵は10歳だった。
「捨て犬かなぁ?」
「さぁ……そうなんじゃない」
「兄さま、どうする?わんちゃんー」
――白の雑種だった。葵は、さして興味を示さなかった。
「ねぇ、兄さま」
「……連れて帰ったら」
「いいの?」
「さぁ……母様と父様が何て言うかは知らないけど」
「……絶対飼うもん」
「じゃそうすれば?」
「うんっ」
梨羽は笑って、毛布と共に仔犬を抱くと、犬が寒くないよう、急いで家へ帰った。後ろを歩く兄は、優しくそれを見守っていた。


――家に着くと、両親はのんびりとお茶を飲んでいた。
「お、お帰り」
「ただいまっ」
「?梨羽、それは……?」
父親が疑問を示して尋ねると、梨羽はパタパタと走って、父親の下へ向かう。
「拾ってきたのか?」
「うん」
「……そーかー、優しい子だな、梨羽は」
父親は笑って梨羽の頭を撫でた。
「えへへ」
「で、どうしようか花梨」
「犬……ねぇ」
母親・花梨は梨羽から仔犬を受け取り、その顔を見つめる。
「可愛いのよねー。どうしてこんな可愛い子捨てるのかしら」
「それは判ってるんだけど、どうする?」
「あたしが飼いたいわ」
「……花梨?」
「いいわよねー、葵彦さん?」
父親は顔を引き攣らせつつ、半ば強制的に頷くこととなった。

     *

 この後、仔犬はその色から「スノー」と名付けられ、家族全員から可愛がられると共に、父親――久海葵彦の書く小説にも登場するようになった。一家全員をモデルにしたその物語は、いつもベストセラーになっていた。
――10余年後、スノーは息を引き取った。それから数ヶ月後には、本の人気は絶えないままに作者の命が絶たれ、残された梨羽と葵は長年暮らしたその家とも別れることとなった。

 そして――今に至っている。

     4

「硝子が雄で雪が雌だな」
「雪って訳さないで下さい」
冬雪の横の席で、梨羽がコメントを挟む。
「まぁいいじゃん?ほら、鈴夜もそれのが呼びやすいと答えなさい」
鈴夜の頭に左手をポンと載せて、命令形で指示する。
「……呼びやすくないです」
不満げな顔の鈴夜は反論し、冬雪が襲い掛かる。
「言ったなこいつ!」
いつもいつもケンカに発展しながらもなかなか仲の良い2人を見て、梨羽がくすくす笑った。
「可愛いですね」
「……?あぁ」
「だいぶ元気になりましたし。色々用意しないといけないですねー」
嬉しそうに立ち上がる梨羽を見て、冬雪が不審に思って鈴夜に耳打ちした。
「な、なぁ……妙に楽しそうじゃねぇか?」
「単に嬉しいんじゃないんですか?」
「……そうかな?」
「きっとそうです」
鈴夜も笑顔を浮かべ、冬雪の側から離れていった。

――以前久海家で飼っていた犬のことなど、冬雪たちは当然、知らない。それを敢えて秘密にしておくのもいいかな、と、梨羽は心の中で思った。
 いつかそれを、笑いを交えて話せるようになった頃には、きっと現代のスノーも今よりかずっと大きくなっているだろう。このまま、あの犬のことを、そして懐かしい両親のことを、ずっと忘れずにいられればいい。冬雪と戯れる2匹の仔猫を覗き見て、梨羽は再び笑顔を浮かべた。多分数年振りに、心から嬉しいと思った出来事だった。

***



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