形と探偵の何か
Page.2 「珈琲と人形」




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 三宮流人は眠かった。何故かはわからないが、とにかく眠かった。
とにかく今すぐにでも店を閉めて、奥に帰って布団に入りたい。今日は本来土曜日、明日に向けてゆっくり寝ても余裕の残る曜日のはずだった。しかし今はそういう訳にはいかない状況がある。――うとうとしている流人の目の前では、子供3人がぎゃーぎゃー喚いているのである。
 内訳を紹介しよう。1番背の高いのが藍田胡桃、黒髪に金縁眼鏡の少年だ。次いで、もう一人の少年が秋野冬雪。最後に――、
「こんな面白いお店あるんやったらっ、もっともっと、はよー教えてくれたらよかったのにっ」
「面白いかー?」
男ども2人はからかいっぽく反論する。全く、人の目の前で。
「何で?面白いやんっ!すごい、すごいよ、こんなんあったらー」
ここまで褒めちぎってくれるのは常連客にも滅多に居ない。流人は心の中でにんまりした。
――霧島詩杏、彼らの同級生で、ここに居る中では唯一の女子だ。最近転入してきたらしく、家の近かった彼らとは最初に仲が良くなったらしい。
「ねぇ、これって何?何に使うのん、これ?」
詩杏は流人に迫り、質問を浴びせた。
「……霧島、起こさない方が。眠そうだし」
「はい?何でございましょーか?」
ほとんど眠りの世界に入りかけているのだが、無意識に自分の口が勝手に動いてしまう――職業病は辛い。
「これって何に使うの?」
「それは……あぁ、まだ開発中なんだ」
「そっか、出来たら教えてね〜!」
詩杏が手に取っていたのは、流人が現在研究中の鞄だった。一見しただけでは普通の鞄である。しかし詩杏が「これ何?」と聞いてきたというのはこれいかに、だ。一体どういうことだろうか。もしや妖怪である流人から見れば普通でも、人間から見れば普通ではなかったとか――それなら早めに直さなければ。
「流人?この鞄が開発中の何?どういう鞄?凶器になりますとか?」
冬雪が鞄をひょいと持ち上げて、項垂れた体制の流人の頭に乗せる。
「冬雪、重いモン入れればどんな鞄だって凶器になるだろ。大体んな犯罪的な商品売れるか」
胡桃からツッコミが入った。詩杏がクスクスと笑う。冬雪は冬雪で不満げに舌を鳴らしている。本気で言った訳ではあるまい――と、信じたい。
「これはだな、ふふ、今世紀最大の発明なんだ」
「今世紀最大?じゃー流人、今頃ノーベル賞受賞してるね。んん……これ何だろう、化学賞かな?」
「化学じゃないだろ……とにかくそれはだな、どんなものを入れても重く感じない鞄なの、だ……」
語尾がフェイドアウトしてしまう。そろそろ限界が来ているようだ――睡魔には勝てそうにない。
「――……。そんなの無理だよ、あきらめな?流人」
冬雪は鞄を机に置きなおし、流人の頭をぐしゃぐしゃとかき回した。まだ10数年しか生きていない子供に、そんな事を言われる筋合いはないのだが――流人にだって、小さいかも知れないがプライドくらいある。
「もう少し静かにしていてくれないか――?」
「ん?何?寝るの?じゃあオレが店番とか?」
「……4回も疑問符を付けないでくれ、答えるのが大変になるじゃないか――」
答えも答えになっていない。もう相当キているようだ。一体なぜこんなに眠いのだろう?もしや、誰かに睡眠薬をかがされ……いや、飲み物に入れられて?確か、最後に飲んだのはお茶で、いや、あれは自分で淹れたものだから違うか。――等とどうでもいいことを考えながらも意識は次第に遠のいていき、子供たちの話し声もフェイドアウトしていった。

   *

「あ、そういえば!ねぇ流人、起きろ、おーい?」
――冬雪の馬鹿でかい高音ヴォイスに刺激され、再び意識が回復していく。ゆっくりと開いた視界に最初に映ったのは、彼のやはり馬鹿でかい目だった。
「あのさ、流人クンに嬉しい嬉しいお知らせがあるんだけど」
「……なんだい?」
寝ぼけ眼で答える。まだ意識は半分朦朧としている。
「ほら、クッキー持ってきたんだよ」
冬雪は笑顔でクッキーらしきものの入った袋を掲げて見せた。
「あ!俺にも食わせろ!!」
「あたしにもっ!!」
冬雪と彼に群がった子供たちが騒ぎ、未だふらふらと揺れる流人の頭を痛めていく。
「あ、流人……紅茶とコーヒー、どっちがいい?」
「え?」
「だから、紅茶とコーヒーと、どっちが飲みたいかって」
「……コーヒー、コーヒーを頼む……」
なるべく早くこの眠気を覚ましたかったので、コーヒーを選んだ。即効性がどうとかいう話はよく判らない。とにかく眠気にはコーヒー、そういうものだと思い込んでいたからだ。オーダーを受けた冬雪はカウンターの中の生活空間に移り、ポットの様子を見に行った。
「コーヒー?クッキーにコーヒー飲むの?」
そんな流人に疑問符を飛ばしたのは胡桃だった。
「あー、流人はそうなんでしょ?」
部屋の奥のほうから冬雪が叫んだが、答えなかった。
 別にクッキーにどっちが合うだとか合わないとかを考えた訳ではない。ただ単に、眠気を覚ましたかっただけだ。それなのに、話題が全く別の方向にずれようとしている。しかし、この状況で流人がコーヒーを選んだ理由を普通、想像できないモノだろうか?コーヒーと言えばカフェイン、徹夜のお供と言えばコーヒーではないか。勿論、紅茶にだって覚醒作用はあるけども――。
「クッキーには紅茶だろ!絶対紅茶だ!」
胡桃は見事に話題を180度転換した。淹れ終わった冬雪がお盆に4つカップを載せて運んできた。
「何?何争ってんの?」
「別に争っているわけではなく……」
「いやッ、徹底的に闘ってやる!」
そう言った胡桃は笑っている。恐らく、半分は冗談なのだろう。
「……だからさ、人には好みってもんがあるんだよ。まぁオレは紅茶派だけどね。――はい」
冬雪と胡桃には紅茶、詩杏にはミルクと砂糖入りのコーヒー、流人にはブラックのコーヒーが配られた。
「けどさ、何か気分的に」
「じゃあ試してみれば?」
冬雪は興味なさそうに言い放って、紅茶に砂糖を1杯入れて混ぜた。ところが一口飲むや否やカップから口を離し、紅茶の水面を睨み付けた。薄かったのか、苦かったのか――紅茶に限ってそんな事は無いはずだが――更に砂糖を入れて、何とか一段落付いたらしい。流人のコーヒーは至って普通だった。
「試すって……冬雪、俺が淹れるってことか?」
「何でオレが?」
台詞は怒っているが複雑な表情を浮かべて言った冬雪に胡桃が一瞬たじろぎ、「ワカリマシタ」と呟いてカウンターの中へ入っていった。冬雪は恐らく紅茶の味に自信喪失したのだろう。
 奥から、胡桃の声が聞こえてきた。
「あ!クッキー、どれくらい残ってる!?」
「あと5枚!さぁさぁ選り取り見取りどれでもどーぞ」
適当にまくしたて、冬雪は5枚のうち1枚を取った。流人と詩杏も1枚ずつ取った。――ということで、
「あれ?2枚じゃん」
「……よく考えろ、胡桃」
「じゃあこの2枚は俺がっ」
「バカ、持ってきたオレの労働力分、1枚はオレのだっ」
ケンカ開始。
彼らにしてみれば日常茶飯事、だ。流人もようやく慣れてきた。
「男の子ってホンマにアホっぽいことでケンカするんよねー」
1人平然と、ミルクコーヒーで少しずつクッキーを食べる清楚な女性、詩杏が久し振りに発言した。男ども2人は未だに1枚を取り合っている。発展して眼鏡の壊し合いになっては困る。
 流人は口を開いた。
「……そろそろ止めないか?秋野君、藍田君」
「だーから、オレは持ってきたんだってばッ」
「お前はいつもいつもおやつで食ってるだろが!!」
全く聞く耳を持とうとしない。

(……ホント、手懐けられる岩杉さんを尊敬しますよ)

流人は苦笑して、小さくため息を吐いた。

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「しっかし……何でこんなに上手く焼けるんだ?梨羽は」
「慣れてるんだろ?」
「オレだって何回も挑戦者やってるのに」
クッキー最後のひとかけらを口に放り込んだ冬雪が愚痴を零し始めると、周りは逆にしらけ始めた。決して、聞いていて面白い愚痴ではない。むしろそんなものがあったら飛びつきたい。恐らくそんなものはその時点で愚痴ではない。
「じゃあどうして秋野君は全然慣れないんだ?」
久し振りの流人の真っ当な発言に、冬雪は一瞬たじろいで、それでも尚愚痴口調で返答した。
「知らないよー、それが判ったら苦労しないって」
「生地に問題は無いのかい?」
冬雪は少し天を仰ぎ、唸ってから答える。
「さぁ、わかんない。1人で勝手にやってるから」
「生地が間違っている可能性だってあるだろう?」
「小麦粉の量とか?」
再び会話に復帰した詩杏。それでも大した興味はないらしい。視線は雑誌に向かっている。
「む、あるかも。今度聞いてみるかなー」
「それで冬雪に出来るんなら凄いことだよな。この数年、冬雪がまともな食い物調達できたためしねぇだろ。家庭科だって、班に入れたくないヤツナンバー1だしな」
胡桃がさらっと暴言を吐いた。しかし反論しない辺りは事実らしい。
「仕方ないじゃんか。出来ないもんは出来ないんだっての」
どうやら開き直りモードに入った様子である。ここまで来るともうフォローのしようがない。
「とにかく……もう5時だ」
――冬の午後5時。つまり外はもう真っ暗、である。3人の中に寒がり少年が入っていることも考えれば、もう帰るべき時刻だろう。
「あ、ホンマや」
「帰るか」
「そうだなー」
それぞれに一言ずつ呟いて――ちなみに詩杏、冬雪、胡桃の順で――、またそれぞれに帰宅の準備を始める。準備とは言っても、コート等を着て自分の鞄を手に取るだけの話だが。
「それじゃ流人、また来るね」
「あたしも来ます!」
「ああ……ご自由に出入りしてどーぞ」
流人がいい加減に答えると、今度は胡桃が反論した。
「何でそんなに覇気ないかな?それじゃねー」
反論はしたものの特に大きな理由があったわけでもないらしく、一転、笑顔になってこちらに手を振った。

――キィ、パタン。

店の扉が閉まり、子供たちは最寄の駅に向かって歩き出したようだ。その影を中から確認した流人は、立ち上がって閉店モードに入った。
「さてと……部屋でお茶でも飲むかな」
扉の鍵を閉め、ショウウィンドウのシャッターを下ろす。それから奥の部屋へと戻った。
(そろそろ夕食の準備も始めないと)
壁に掛かった古めかしい振り子時計を見て、ふと思い出し笑いをしてしまった。


        『これ、直せる?』


思い起こすのは小さな少年が自分の身体の半分はあろうかという時計を抱えて持ってきたその姿――。

不安げな表情をして流人の作業を見つめていた、少年の大きな瞳の色を憶えている。


気付けば彼も成長して大人になった。

時はとどまる事を知らない――……長命な流人がそう思うほどだ、人間ではさぞ強力な枷となる事だろう。

(あれからもう――そっか、30年近いのか……って、それより食事だ)

空腹にはどうしても弱い。没頭していれば空腹も忘れる、と言えるような趣味も持ち合わせていない。
(今日は肉じゃがだったか、な)
記憶力にも自信はない。なので食事のメニューは先に考えてメモしておくのが通例だった。材料もそれに合わせて先に購入して――いなかったらしい。
「……じゃがいもが無いじゃないか」
これでは肉人参だ。人参と肉以外に大きな物体がない。買いに出なければ……となると、この寒い中駅前のスーパーまで出かけないといけない……苦痛だ。
「今日は予定を変更して肉人参で行きましょうね」
――袋入り、3本の人参を手にして、流人は1人、乾いた笑いを室内にこだまさせた。

             3

――翌日、日曜日。通例のように押し込んできた子供とその担任は、珍しくあの寒がり少年のいない組み合わせだった。

「あれ、秋野君は?」
「アレは仕事。“ご町内限定ペット探偵”だからな」
流人の疑問にきっぱりと回答を示したのは担任教師、岩杉だった。
「ご町内限定ペット探偵?」
――何とも長ったらしい名前の職業だ。しかも内容も微妙、である。
「逃げ出した動物を捕まえるってこった。町内の犬猫鳥は全部覚えてるらしい、結構凄いだろ」
「覚えてんの?」
胡桃が意外そうな表情になった。
「あぁ、本人が誇張してなきゃな……ま、鳥を捕まえるのは一苦労だろうけど」
岩杉が言いたいのは、空高く飛んでいる生物を捕まえられる人間が何処に居るのだという事だろう。ついでに鳥の顔は見分けづらい。むしろ流人には出来ない。
「それで、今日はそのお仕事……ですか」
「あぁ。なんでも犬が逃げたとかで悪戦苦闘してた」
「無償なんですか?」
「そりゃそうだ、ご町内限定だからな。それにあの家の収入はあいつじゃない、保護者の従兄だ」
判りにくい説明である。
「本名は久海葵、今をときめく新進作家の佐伯葵」
今をときめく新進作家――。
「なんだよ、お前ら知らないのか?……流人も」
「あたしはその話もう知ってますもん」
「あー、図書室の新刊コーナーにあったな、そういえば」
どうやら発言を求められているらしいので見解を答えておく。
「聞いたことがないわけではないですが読んだことはない、さすがに国語の先生とは違いますから」
流人はそこまで読書家ではない。
真面目かどうかは微妙だが一応ながら国語教師である岩杉は三者三様の返答に困惑したらしい。次の発言までに数秒、空白があった。
「……とにかく、それとバイトと何やらでやりくりしてるらしい」
「久海家が金持ちだったからじゃなかった?」
「新海碧彦?」
――会話が錯綜してきた。
 秋野少年の家の保護者として君臨しているのは彼の従兄である久海葵で、人気作家である。そして葵の実家である久海家は裕福な家庭であったらしく、恐らくは実家から金銭的援助を受けているのだろう。
 新海碧彦というのは、“伝説”の推理作家だ。名を知らない者は居ないとまで謳われた有名作家である。新刊を出せばベストセラー、これまでに出版した全作品の発行部数の合計で日本記録を出したらしい。詳しい数字は覚えていないが、恐らく一生遊んで暮らせるぐらいの売り上げはあったのだろう。印税がどれだけ彼に入ったのかは流人の知った事ではない。しかし数年前、正月のパーティ中大量殺人の被害に遭って亡くなっている。
 彼の本名は久海葵彦と言うらしく、つまり――葵の父親であるという事らしい。
「あぁ、それもあるしな……。あともう1つ収入源はあるんだろうけどまぁ、それはまた今度話すか」
岩杉はそれで話を打ち切った。しかし随分、話が飛躍したものだ。メンバーが1人いないだけで、そのメンバーの家の経済に発展してしまった。恐ろしい。
「岩杉さんは何か飲みますか」
「あぁ……コーヒーでも貰えるか?」
「はい。一応余ってますから」
余っているのはインスタントコーヒーだ。流人は普段、ほとんど飲まない。
「余るのにどうして買ってるんだ?」
「そりゃまぁ時々飲みますから。それにこうして来客に出す事もあるでしょう?」
「来客って……店の客には出さないだろうが。サービス業じゃないんだからな?」
「ボクに友達が少ないとでも言いたいんですか?」
嫌味のつもりで、岩杉を睨み付けた。実際、そんなこともないのだ。
しかし岩杉は全く動じない。完全に慣れている。
「そういうつもりはないが。毎日来るわけじゃないだろ」
「来てるじゃないですか」
実際来ている。間違いなく来ている。岩杉以外はほとんど毎日だ――迷惑だとは言わないが。
「あ、そういえばあの鞄は?」
詩杏が突然話題を変えた。
「あぁ、今は中にあるけど」
「どこまで進んだん?開発」
現在は中身の質量に耐えられる鞄の材質調査、だ。どんなもの、とはいえ鞄自体が耐えられなければ困る。
「完成まではまだまだだよ」
「そっか」
詩杏は少々不満そうに、また着席した。ラックから料理の本を見つけて早速読み出す。趣味なのだろうか。
「でもすごいやんね、重くないなんて」
どうやら詩杏は完成を楽しみにしてくれているようだ。これこそ発明の醍醐味と言うべきだろう。
「だから……こうしていつも店でのんびりしてるのか?」
「え?」
「もっと開発に励んだらどうだ?こうしてまったりしてる時間を開発に費やせば、少しくらい完成の日程も近くなるだろ」
「それも言えてるね、先生」
岩杉は真面目な顔をして言い、胡桃はくすくす笑いながら言った。多分この笑い方は冬雪から移ったのだろう。
流人は顔を赤くしてインスタントコーヒーの瓶を置き、奥の部屋へと駆け戻った。
「冗談だよ、流人」
岩杉は言ったが、聞いてやらない。
「今更だッ!」
こちらも半分は冗談なのだが――。
 店の方で、笑い声が少し、沸き起こった。

――店とは一転静かな空間である奥の和室には、振り子時計の音だけが響き渡っていた。


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