こ は る び よ り 探 偵 日 記 ― 第五話 さまよえる奇術師達




第六章「異分子」

   1

 救急車には若松さんと仲の良い大江さんが付き添いで乗っていこうとしたが、顧問によって留まらせられた。全員なんだか呆けて立ち尽くしたままで、座ろうともしない。部外者の俺は、大変気まずい。
「それで、ひー君」
「はい」
 しばらく静寂が続いて、最初に口を開いたのは――顧問だった。顧問がサネのことを『ひー君』と呼ぶということは、佐久間はそれに影響されたのか。とすると、俺の名前を間違えるのにも何か原因があるのかも知れない……なんてくだらないことを考えている場合じゃない。
「結局……部員の中に犯人が居るのは、確定したってことかしら?」
 そう言われて直実が返答しようと口を開いたが、彼が答えるよりも先に、宮路の悲痛な声が室内に響き渡った。
「蓮田先生! そんなこと、そんなこと……言わないで、下さい」
 この中では恐らく一番感情的になりやすい宮路のことだ。身内で殺し合いが起きたなんてとんでもないことを言葉にされてしまうのは、途轍もなく辛いだろう。
 で、顧問の名は蓮田と言うらしい。覚えておくか。
 宮路が叫んだので蓮田は黙り込んでしまう。直実はテーブルに寄り掛かって腕を組み、改めて先刻の質問に返答する。
「……その便箋を信じるなら、犯人は若松さんということになりますね」
「桧村!」
「信じるなら、って言っただろ」
 そう言って諭す直実の表情は、いつもと違って宮路を心底心配しているようだった。俺も宮路はこの場に居ない方が良いような気がするが、だからと言って追い出すわけにも行かないから厄介だ。
「でも、さくらちゃんのアリバイはひー君も証人のひとりでしょ?」
 いつも通り冷静な佐久間が問う。
「うん。でも、そもそもあれに関してはかなり怪しいから」
「怪しいってどういうことだ?」
 俺が訊くと、目の前に立つ直実はまた嫌味な笑みを見せてから、答える。
「僕も犯人になり得るってことだよ、純。僕を疑うなら喜んで然るべきじゃないか?」
「そ、そういう意味じゃなくて! アリバイが怪しいってのがどういう意味だつってんだ」
「じゃあ訊くけど。戸川さんは七時四十分から八時までの間に、一年C組の教室で殺されたとしよう。その日部活が終わったのは五時半だ。彼女はその時点でこの部屋を出て行った。七時四十分に警備員さんがその教室に来るまで、彼女は(、、、)一体何処で何をしていたんだろうね?」
「え――……?」
 眼鏡越しの鋭い視線が、真っ直ぐに俺を捉えている。何故か、妙に、怖さを感じる。
 しかし、被害者のアリバイなんてそんなもの聞いてない。判るわけないじゃねえか。何が言いたいんだ、どういうことだ。五時半にここを出て、七時四十分までの約二時間、何処で何をしてたか? 知らねえよ、図書館で勉強でもしてたんじゃねーの……いや、図書館にはサネと大江さんが居たのか。どっちかにぐらい見られてたっていいよな。じゃあ自分の教室……は確か一年A組か。するとそこには美園さんが居るな。彼女は誰も居なかったと言ってた。ついでにB組とC組にも誰も居なかったようなことも言ってたな。
 じゃ、後は何処だ? 何処かの特別教室か? ん……?
 そもそも彼女は何のために、自分の教室でもないC組なんかに行ったんだ?
「変だろ? 被害者なのにずっと隠れてて、警備員さんをやり過ごしてから教室に行ったみたいで」
「誰かと怪しげな待ち合わせをしてた、とか」
「うん、C組に行ったのはそういうことだと思う。実は昨日、警察に疑われた人たちの証言を若松さんが拾ってくれたんだけど――それによると、七時四十分から八時の間で、一年C組に電気が点いていたり人の気配がした様子が全く確認できない(、、、、、、、、)
 何、だって?
 もし俺が犯人だったとしよう。それを隠すために嘘を吐くなら、俺だったら怪しい人影を見たとか、架空の犯人像を作り上げるか何かする。自分が居た時間に何も見なかったと証言するのは、むしろ自殺行為だ。誰かに見られていたら証言が食い違って、すぐに疑われてしまう。
「だから多分警察ももう方針転換したと思うけど、その時間には本当に何もなかったんだと思う。……尤も、若松さんが僕に嘘の証言を伝えてれば別だけど」
 ……でも、そんなことをしてもきっとすぐにばれると判るだろう。信用した方がいいような気がする。
「じゃあ、何だ。七時四十分にはもう、終わってたってのか」
「その可能性が高いと思う。だから僕も犯人になり得るし、若松さんにだって不可能じゃない。ただ、今の段階では誰がやったかは確定できない。まだ捕まってないってことは、細かい工作もちゃんとしてたんだろう。七時から七時四十分までの間に学校を出た人ならかなり居ると思うし」
 だと、すると。
 七時四十分、教室に異常はなかった。つまり、机の配置がいつも通りだったということで多分間違いないんだろう。あの円卓が作られていれば嫌でも目に付くし記憶にも残る。その時彼女の遺体が何処にあったかは判らないが、もしかしたら教室内にあったのかも、知れない。何かで覆っておけばただの荷物のようにも見えるだろうから、警備員が気付かなくてもまぁそこまで無理はない。なら、彼女を殺した時刻と、あの儀式を作り上げた時刻は全く別で、学校に泊まり込んだ生徒なんてのは居ないそうだから――……次の日の朝、あの現場を作ったってことか。
 でも、朝は危険だ。俺やこいつみたいに、やたら早く来る生徒が意外と居る。そいつらが毎日何時に来るか把握できてればいいだろうが、大抵は日によって違う。ならもっと早く来ればいいかと思えば、あんまり早すぎると入れない。それに、目立ってしまう。だから、適度に早く登校してきて、誰かが来るかも知れないことに常に注意しながら作業を進めなければならない、わけだ。
 俺がそこまで考えたところで顔を上げると、直実は組んでいた腕を解いて、大袈裟にため息をついた。……何だかわざとらしいと思ったのは俺だけか?
「と、言うわけです、先生。若松さんが自分で毒を入れたなら、この場でこれ以上悶々としていても仕方ありません」
 ――おっと、何をシメに掛かってるんだ、こいつは。
 いや……容疑者が不在の今、残された俺たちがゴチャゴチャ考えていてもどうしようもない、か。宮路は耳を塞いで何も聞かないようにしていて、佐久間が心配そうに彼女を見守っている。美園さんは縮こまってしまって何も言わないし、半ば無理やり残されてしまった大江さんはもうさっきから座り込んだまま動かない。一人落ち着いた顔をして立っている部長がむしろ異常に見える。
 本棚にもたれ掛かって奴の話をじっと聞いていた蓮田もため息をついて、サネに同調し始める。
「まぁ、そうね。ついカッとなっちゃってごめんなさい。警察には私から連絡しておくから、待ってなさい。――あ、机の上は弄っちゃ駄目よ」
 そう言い残して、蓮田は颯爽と調理室を出て行ってしまった。また、その場が静けさに染まる。
 その中で、直実がゆっくりと動き出した。二年のテーブルに寄り掛かっていた身体を起こして、一年生のテーブルの方へと向かう。何をし始めるかと思えば、ハンカチを片手に紅茶のカップや砂糖の壷なんかを見ている。……こいつ、言われたそばから現場を弄りやがって。
「おい、サネ」
 俺が呼びかけたその時、奴は置きっぱなしになっていた若松さんのカップの中に残っている紅茶に指を浸けて、あろうことかその指を口の中に――、
「ば、馬鹿野郎お前何してんだ! 死にてえのか!?」
 俺は叫びながらそれを止めようと手を伸ばし、奴の右手首を掴むが時既に遅し。奴の右手人差し指は完全に口の中に入っていて、奴の、何故か潤んでいる目が、俺を捉えて離さない。あれ、また右目が碧になってるじゃねえか――ってことは、何か、やったのか?
 直実はゆっくりと指を引き出して――……その、惨状に、眉を顰めた。俺が突然叫んだせいで驚いたらしい。第一関節の辺りにくっきりとついた歯形が何とも、痛々しかった。
「すまん、いや、えっと」
 つい謝り始めてしまったが、よく考えれば俺のしたことは極めて正当なんじゃないかと思うと言葉がこれ以上出てこない。
「……いや、別に」
 その後に続く言葉は何だ。以下省略してないで言えよ、判りにくい。無口キャラってわけでもないのにこういう時ばっかり黙りやがって。
 そして俺を完全にスルーして別の話を始める。
「美園さんは砂糖は入れた?」
「え? あ、はい――」
「飲んだ?」
「い、いえ、まだ、でした」
「そう、ありがとう」
 それだけで美園さんとの会話も終わった。結局何だったんだ、今のは。
 いや待てよ、砂糖の話をし始めたってことは、砂糖に毒が混ぜられてた可能性を考えて、若松さんが飲んだ紅茶に砂糖が入ってたかどうかを確認するために舐めてみたってことか? それにしたって、飲んで人が倒れたと判ってるものを口に入れようって発想が沸くのが理解できない。いくらほんの少量とは言っても、だ。目の色が変わってたってことは、それじゃあ、毒の成分を消したとかってことか? そんなことまで出来るのかこいつは? ……そう考えると本当に怖いものなしだな。簡単には殺せやしない。
 ん? じゃあ、こいつと同じ能力を持ってたはずの母親と兄貴は、どうして二人揃って死んだんだ。焼死ってことは、……あまり考えたくはないが即死ではないだろう。ってことは、何らかの策を取ることだって出来たはず。あぁ勿論、目撃者であるこいつにも。何が出来るのかはよく判らないが、何かこう、水を降らせるとか直接火を消すだとか。
 あぁ、それで、か。
 だからこそ尚更こいつが俄然怪しくなるのか。犠牲者が普通の人間には出来ない抵抗手段を持つからこそ、ただの事故ではありえない(、、、、、)。それを知っている父親は、当然こいつを疑うわけだ――。

   2

 その後警察が到着して、毒殺かも知れないってことでその場に居た俺たちは全員事情聴取を受けることになった。小耳に挟んだ情報によると、どうやら毒は砂糖壷の砂糖に混ぜてあったらしい。まだ、決定打には欠ける。……やっぱり、結局のところ若松さんのお目覚め待ち、ってことか。
 警察に解放されたので、直実に訊きたい事を訊きつつ帰ることにする。尤も、一緒なのは校門までだが。
 ――ひとまず、単刀直入に。
「とりあえず今回に限っては、お前は犯人じゃないよな?」
 単刀直入すぎたか、サネは俺を不審がる目つきで睨んできた。……お前を疑ってると言ってたはずの俺がそんなことを言い出したのがおかしいと思ったのかも知れない。フォローに入ろうと思ったが、その前に奴の方がいつもの無表情に戻って呟き始めた。
「まぁ、僕が犯人なら助ける必要ないよな」
「ん、でも待てよ。逆にそれも想定の内だったとしたらやっぱりお前が犯人って可能性もあるのか……?」
「どっちかにしてくれ」
「だってよ、青酸カリって強い毒なんだろ。一か八かの賭けで飲むのに使うにしちゃあ強すぎねえか? それをお前が助けてやっと『運次第』だ」
 奴が足を止めてこっちを見る。驚いたような表情だった。が、割とすぐに視線を逸らして眉間に皺を寄せた。
「……そういう計画なら逆にもっと確固たる死ぬ意志が見える『遺書』を作るなぁ」
 むっ……それも、そうか。まるで若松さんがサネの能力を知ってたみたいな話になっちまうな。
 だとすると、あれは――犯人にとっては想定外だった、ってことか。本当に運任せにする気なんかなくて、最初から殺す気満々で。直実が変な超能力なんか持ってたから結果的に運次第になっちまったが、計画通りなら助かる確率は圧倒的に低かったとか。
「でも、自殺っぽくはなくなっただろ?」
「可能性が消えたわけじゃない」
 けっ、可愛くない奴だ。さっきは「それには気付かなかった」みたいな顔してた癖に。
「それじゃ、お前は若松さんが犯人ってことで解決すりゃ満足なのか?」
「――それが本当なら受け入れるしかないけど、まだ確定できないから」
 また、『確定できない』だ。可能性がひとつに絞れるまでは何も言わないつもりなのか。
「そんじゃ、砂糖に毒入れた奴が前回の犯人ってのは確定してんのか?」
「声明文。内容はともかく、使った便箋とか字体とかまで知ってるのは、犯人と僕らとあの先生だけだと思う」
 あぁ……だから、お前も容疑者に含まれるのか。それに、俺も。事件のあった日に俺が学校を出た時刻は、保井よりは早かっただろうが、こいつと比べたら恐らくどっこいだ。会ってこそ居ないが。
 だと、したら?
 そもそも、今回の事件の犯人はあの中に居たのかを考えてみる。調理室のテーブルの砂糖壷なんか授業のときも砂糖使いたい奴が使うんだから、放課後になってから毒を入れたに決まっている。それに便箋の置いてあった場所からして、若松さんが座る場所も把握してた人間だ。そんなのは部員ぐらいのものだろう。普通に考えれば、あの中に居る。
 それで――……どうなるんだ。頭の中が混乱してきた。
 あの中の誰かが、前回の事件の犯人。若松さんかも知れないが、他の誰かかも知れない。砂糖に毒を入れたってことは、自分は砂糖を入れない人とかどうだ。そういえば大江さんは紅茶、ストレートで飲んでたな。普段は砂糖を入れるのに今日だけ入れないなんてことがあれば不自然だが――。
「大江さんは普段から紅茶に砂糖入れないのか?」
「? あぁ、入れない」
「……そうか」
「純」
「何だよ」
 奴が俺の目の前に一歩出て足を止め、俺に向かい合って立つ。いつもの無表情だが、どこか愁いを帯びているようにも見える。……まぁ、俺の気のせいかも知れないが。もう、下駄箱のすぐ傍まで来ていた。
「僕も色々考えてるけど、今は若松さんを待った方がいい。彼女が目を覚ませば、全部判る」
「目を覚ませば、だろ」
「……だからその時のために、色々考えてる」
 彼は俺から目を逸らした。
 でも、このまま若松さんが目を覚まさなくて、もし彼女が犯人じゃなくて殺されたんだとしたら――……そのまま事件が終わってしまうのは、問題じゃなかろうか。いや、彼女が犯人じゃない証拠が見つかれば捜査は続けられるんだろうが、それが見つからなければ――……。
 …………。
 まぁ、どっちにしろ今は待つしかない、か。
 俺はため息を吐いて、何も言わずに奴を置いて靴を履き替えに行く。奴も後から自分のクラスの下駄箱に向かって行った。
 昇降口を抜けて、青空の下に出る。後ろから付いて来た直実に、今度は違う話を振ることにした。
「――で、どうやって助けたんだ? 説明してもらおうか、納得の行くように(、、、、、、、、)
 俺の台詞が終わると同時に、俺の隣まで辿り着いた奴が立ち止まった。それから逡巡するように目線を泳がせて、少し眉を顰めながら、数秒後にようやく口を開いた。
「普通の人に出来る範囲のことしかしてないよ。簡単に言えば……胃洗浄、みたいな」
「いやそれ普通の人出来ねえだろ」
 思わず突っ込んだ。少なくとも、目の前に座ってるだけじゃ出来ない。
 俺の言った意味は理解してくれたらしく、奴はまた目線をふらふらさせ始める。
「……うーん、そうじゃなくて、必要なものさえあれば普通の人でも出来ること、というか。それ以上のことは、どうなるか判らないから、やってない」

 ……どうなるか、判らないから?

 それ以上ってのは一体何処までのことを指すのか。
 毒を飲んで倒れた人間の、毒にやられた部分を直接回復する、みたいな――?
「ちょ、ちょっと待て。それじゃ、やろうと思えば出来るってことか」
 答えない。明後日の方向を見つめて、魂が何処かへ飛んでしまったような顔をしている。
「直実」
「そう。だから、僕が兄さんたちを殺したんだ」
 ……え?
 話が、読めない。
 奴の目が、……色が変わっていないから何をしているわけでもないはずなのに、俺の知らない恐ろしい化け物のように、見える。
 今、こいつは、兄さんたちを殺した(、、、)と……言ったのか?
 誰に言われようと、警察に疑われようと、決して認めなかったその一言を、言ったのか?
「助けようとして失敗した。とどめを刺したのは、多分、僕だ。疑われても無理はないし、仕方ない。でも、警察にそれを言うわけにも、行かなかった」
 失敗。そうか、失敗か。失敗すると何が起こるか判らないってことか――。
 警察に話せないってのは、術の話のことを言ってるんだろう。つまり、殺そうという意図を持って殺したわけではないってことを言ってるわけで、結局のところは『事故』で変わらない、のか。少なくとも、こいつの主張としてはそういうことになるんだろう。
「……逆に殺しちまう可能性もあるってことなのか?」
「そう、だね。でも、だからって何もしないのは気が引けるから、……勉強してるつもり、だけど」
 あの頃からいつもいつも読んでいるのは、医学部の研究者だった母親の遺品から持ってきたと思しい医学書の数々。そんな様子を周囲の生徒も教師も皆知ってるから、当たり前のようにこいつはきっと東大理三に行くもんだと思ってんだろう。中学時代からこいつの夢が変わってないなら医学部なんてそんな面倒な進路を選ぶわけがないので、きっと教師どもは腰を抜かすんだろうな。それを見るのはちょっと楽しみだ。まぁ、死んだ母親の遺志を継ぎます、とか言い出せば別だろうが。
「つまりそういう、ヒーリングみたいな奴か? それは危ないからやらないで、普通の人間っていうか医者が出来る治療の仕方に則ってやろうってのか」
「うん。理解が早くて助かる」
「……そりゃどうも」
 こいつにそういう面で褒められると何だか嫌な気分になるが、ここは堪えておく。
 ……医者になんかなる気ないのは知ってるが、そんなに真剣に勉強してるんなら、進路のひとつとして考えたっていいんじゃねえか――なんて思ったりもしたが、どっちにしたって通常の手段は使ってないんだから駄目か。こいつにしてみれば、わざわざ腹を開いて手術なんかする方が危険で面倒なことなんだろうし、だからと言って超能力で治しますなんて言い出せば、それは色々な意味で大問題だ。
「お前には、何が、出来るんだ?」
 素直に、単純なことを、訊いてみる。
 すると彼は特に表情を変えず、淡々と答え始めた。
「外界への干渉。死者の蘇生と時間制御以外の、あらゆること。自分に近ければ近いほど扱いやすくて、視界から外れると一気に難しくなる」
 こうもすらすらと言うってことは、自分なりに、自然界の法則を無視してるなりに独自の法則を見つけようと、色々分析したことがあるのかも知れない。理系だしな。
 しかし、
「……あらゆること、か」
 何でもって言われても逆に判りにくい。
「魔法、って言った方がむしろ判りやすいのかも知れない。物を動かしたり、別の物にしたり、見た目は変えずに性質だけ変えたり……怪我を、治したり。ただし、的外れなことをしようとしても上手く行かない……目で音を聞けないのと同じこと。あと人によっては予言みたいなことが出来たらしいけど、僕は苦手だ」
 よく判らないが、本当に魔法としか言いようがない。それが『何かの異常』で片付けられてしまうのも納得行かないが、原因なんか別にどうでもいいんだ。今、現実問題として何が出来るのか、それが問題だ。
「じゃあ例えば、自分の分身を作ってアリバイを作るとかは」
 急に事件の話に戻してしまったが、そもそも俺はこいつを疑ってるんだ。それを判っているからか、直実は一瞬きょとんとした顔をしていたものの、すぐに真面目な顔で答え始めた。
「……生命体の創造は無理。でもあのアリバイはもう意味を成さな」
「あぁ判った判った何でもない! じゃあ、一切触らずに砂糖の中に毒を仕込むことは」
 大体、最終的には自分も帰らなきゃいけないんだから何の意味もない。何か物凄く馬鹿なことを訊いたみたいで恥ずかしくなって、慌てて次の質問に移った。それだって別に出来たら何だって話ではあるが、一応訊いておきたかった。
「出来るよ」
 その答え方があまりにも明快だったので、別にこいつが犯人と決まったわけでもないのに、何だか恐ろしくなる。
 俺がそんなことで息を呑んでいたのを勘違いしたのかどうか知らないが、サネは不審なものを見るような目つきでさっきと同じように反論を開始した。
「正確には砂糖の一部を毒の粉末に変化させるような形になるだろうけど。でも時間は充分あったから、毒を入れられたかどうかで判断は出来ないと思う」
 あぁそうだろうさ。裏をかいて本当に紅茶を入れた奴が犯人ってことも有り得るだろうが、つまり証拠は何もないってことだ。……本当に、完全犯罪が出来てしまう力を持ってやがる。とんでもない奴と関わり合いになっちまったもんだな、と今更思っても遅い、か。
「……さっきお前、予言できるかもとか言ってたよな」
「苦手だって」
「でも出来ないわけじゃないんだろ? この先どうなるか判んねえもんか?」
 訊くと、直実は珍しく自信の無さそうな顔をして、じゃあやってみる、と不満げに言いながら目を閉じた。
 ――そういえば、下駄箱の前に立ち止まったままだった。もう授業が終わってからだいぶ立つので人は少ないが、いつまでも男二人でこんなところにたたずんでいるのも変だ。これが終わったら歩きながら話すことにしよう。
 と、思ったときだった。
 直実が突然、音が聞こえるほど大きく息を吸った。異常に目を見開いて、驚くにしたって驚きすぎな顔だ。いきなりそんな顔をされたら不安になるじゃねえか。
「お、おい、どうした。大丈夫か」
 訊いてもすぐには答えない。片手で目を覆って、自分を落ち着かせているように見えるから、よほど恐ろしいものを見たのかと思わせられる。
「ごめん、若松さんがどうなるかは判らなかった。……見て良かったかも知れない」
「何だよ、何見たんだよ。怖くなるだろ……」
 若松さんの容体は、判らなかったなら判らなかったでもいい。普通は判るものじゃないんだから。だが、知り合いの死体を見ても、部員が目の前で倒れても動じなかったこいつがそんなに驚くようなものを見たと言うなら、それはきっと、ただ事じゃない。
 直実はいつもと比べて少し弱々しく笑って――それはあまりの恐怖によってもたらされた笑いのように見えた――、その後ひとつため息を吐いてから、小さな声で、答えた。

「――僕が、死ぬところ」

 そんな残酷な結果を見せてしまうなら予知なんかさせなきゃ良かったとか、もし俺が最初に睨んだ通りこいつが犯人なら自殺するつもりなのかとか、犯人じゃないならどうしてこいつが殺されるんだとか、色んなことが頭の中を駆け巡ってぐちゃぐちゃになって、結局まともな言葉はしばらく出てこなかった。
 その後はほとんど何も言葉を交わせないまま正門に辿り着いて、直実はいつも通りの冷静な顔を装いながら手を振って去って行った。
 俺の正面で点灯する赤信号が、いつもよりずっと長く感じられた。