こ は る び よ り 探 偵 日 記 ― 第五話 さまよえる奇術師達




第五章「告白」

   1

 それで放課後、俺たちは小学生時代みたく揃って呼び出しを受けた。奴の髪がちゃんと揃えてあったものだから、また自分でやったのかと茶化すと、親切な同級生たちによるものらしい。……案外皆仲良しなんだなC組ってのは、とそう呟くと、俺を殴り返したってことで英雄視されてのことだと言う。――じゃ俺は魔王かよ! 否定できねえけどさ!
 C組の担任はご丁寧に俺の担任まで呼んできて、二対二で説教されることになった。そして直実の方が「子供の論理」であることを懇切丁寧に説明して騒いだことを謝って――それも何だか昔みたいな気分だった――、俺は昨日と今日のことを謝罪した。すると担任らは少し困った顔をしたが事情は判ってくれたらしく――出身中学が同じだから、関係については元々バレてた――、事件のことは警察に任せておきなさいと釘を刺されてから解放された。
「――警察に任せとけ、か。任せといたら不安だっての」
「まだ僕が犯人だと思ってる?」
 そう直球で訊かれると答えに困る。
「弱小文化部の部長が部員を殺すか? 普通」
 ああ、全くもってその通りだよ。殺す道理がない。……普通なら。
「けどな、お前ぐらい頭のいい奴なら完全犯罪ってやつも――」
「あのね」奴は鞄を背負い直して、「僕が本当にバレないように殺すなら、あんな面倒な手段取らないよ」
 いきなり何を言い出すかこいつは。
 俺が呆気に取られている間に、奴は何故か自嘲のように笑って、続きを話し始めた。
「そう、僕なら完全犯罪も可能だ。犯罪であることが露見しないように殺せる。でも、やらないってだけ。僕が兄さんたちを殺したんじゃないかと父さんに疑われている理由が判るか? そういうこと(、、、、、、)だよ」
 そういうことって――……どういう、ことだ。訳が判らん。
 考えていること、というよりも話を理解できてないのが顔に出てたのか、直実は少し苦笑いを浮かべた。
「……右目、見たよな」
「あぁ」
 説明を求めた。奴も承諾した。そういえば朝も、見たような気がする。
「見てて」
 そう言って奴は、背負った鞄を再度下ろし、腕を伸ばして手から吊るした状態にした。
 何だ、何のつもりだ。
「行くよ」
 そして奴は、持ち手を掴んでいた手を、ゆっくりと開く。
 当然鞄は地に――……落ち、ない?

 宙に、浮いている……だと……?

 何だこれは、手品か? 新しい趣味でも見つけたのか? 女だらけの部員たちと仲良くお菓子か何か作って、お茶飲みながら雑談するのが一番の趣味なんじゃなかったのか。
 奴の顔色を窺うと、昨日と同じように右目の色が変わっている。普段にも増して日本人離れしたエメラルドグリーン。左右で色が違うってのは、どうも落ち着かない感じがする――。
「何だよそれ、手品か?」
「……手品、か」
 奴はそう呟くと、右手を軽く動かすような仕草。すると浮きっぱなしの鞄のチャックが開いて、その中から一冊のノートが浮かび上がってくる。それが奴の手元まで移動して、チャックが再び閉められ、鞄も奴の手元に戻ってくる。……うえあ、……気持ちわりい。
「手品に見える?」
 そう言ってこっちを向いてニヤリと不敵に笑った直実の顔は、俺を馬鹿にしているというか、見下すというか、それはもう普段の俺なら虫唾が走って仕方ない顔だった、ん、だが。
 その時の俺には、こいつをまた殴るような余裕なんか無かった。
 ただただ恐ろしくて、現実が見えなくなりそうで――……常識とか科学とか、俺の中で構築されていたこの世界の法則が一瞬にして崩れ去ったみたいな――末恐ろしい気分に、襲われていた。
「おい……それ、マジ、なのか」
 中学時代からずっと、特にあの事故以来、教室じゃあ医学書やら物理学の専門書やら読んでる奴のことだ。今自分がやったことがどれだけ現実から掛け離れているかぐらい判るだろう。まさか変な宗教でも始めようなんてこと言い出したりしないだろうな、とふと思って気が付いた。
「純、知ってるだろ。ウチが何なのか。兄さんがいつもやってたじゃないか」
 あぁ――知ってたよ。お前ら『術師』なんだろ。
 ただ俺の解釈では、神主さんがお祓いするのとかと同じようなことをする一族なんだと――そう思ってた。おまじないだの何だのって奴だ。それが何だ今のは、完璧に超能力じゃねえか。兄さんがいつもやってた? そうか、あのおまじないはマジだったってのか。この世界ってのは――……俺が知るより、よっぽど無茶苦茶だったらしい。
 いやいや、素直に信じて堪るかよ!
 違う違う、これは夢だきっと夢だ。俺はまたこいつに騙されてるだけだ。こいつの得意の思わせぶりの冗談だ。
「もう引っ掛からねえぞ。お前は俺を怖がらせたいだけなんだろ」
「……じゃあ、これは?」
 ――これ以上怪奇現象を見せるつもりか!
 俺がぶち切れそうに――いや、正直に言おう。怖気づいて逃げ出す前に、奴は既に行動を起こしていた。
 鞄から飛び出して奴の肩に上ったのは小猿のハル。実家に居る変な外人の子供と同じ名前のペット。寮はペット飼っていいのか知らないが――いや普通駄目っていうか無理だろう――、こいつは時々肩に乗せて登校してくる。そもそもこういうのってペットとして飼っていいのか? まぁともかく、特に騒ぎを起こしたことはないからか、教員もほとんど黙認してるらしい。直実が片手をちょいと動かすと、小猿は床に飛び降りる。
 そして次の瞬間、小猿の姿が消えて人間の子供が現れた。いや――小猿が人間になったという方が、きっと正しい。
 見覚えのある風貌。どう見ても、同名の彼。
「お、おいおいおい、お前、じゃあ」
「同一人物だ。僕が姿を変えてやってる。――ハル、挨拶」
「よぉ、久し振りだな、純」
「久し振り……っていや何だよそれ! 物理法則無視してるどころの騒ぎじゃねえだろ! ああ、夢だやっぱり夢だ。サネ、お前、直実だよな? 変な化け物に乗っ取られたりとかしてねえよな?」
 ワケが判らなくなって滅茶苦茶なことをまくし立てると、何故か直実は深刻そうな顔になって黙り込む。ハルのほうが不思議そうな顔をして、俺とサネとを交互に見る。
「純、大丈夫か?」
「大丈夫なワケあるか」
 ハルが相変わらず呑気なのは救いになるのか、ならないのか。
 違うのか、これは本当に夢じゃないのか? 今俺は何を見た? 見てない見てない、何も見てない。そうだ俺は何も見なかった。そういうことにして帰ろう、そうしようじゃないか。なぁサネ――……と顔色を窺うと、奴はさっきとは打って変わって、震えるような声を出し始めた。
「……ハル、ごめん、戻ってて。人に見られるといけない」
「……お、おう」
 不安そうだったが、ハルはまた小猿の姿に戻って、鞄の中へと潜り込んだ。
 また、俺とサネと、二人だけの空間になる。
「直実」
 声を掛けても奴は表情を変えず、中途半端に開いた掌を見つめている。心ここにあらず、といった感じだ。奴はしばらく黙り込んだ末にこっちを向いて、呟くように言い始める。
「……僕にとっては、これが『普通』なんだ。おかしいだろ?」
 何と言って返せばいいのか判らない。ああ、確かにおかしいよ。超能力とかってレベルじゃない、人間じゃない。でも正直に言っていいものか、判らない。さっきので傷つけたんだとしたら、あぁおかしいなんて言ったら余計傷つくんじゃないのか。俺が悩んでいる間に、奴はさらに話を続ける。
「喧嘩するときだってそうだ。ほとんど無意識に自分の力を増幅させたりしてる。でも、少しぐらいズルしたって誰も気付かない」
 それが事実なら今までの対戦成績はリセットしてもいいってことだな、なんて冗談を言えるものなら言いたかった。まだ軽口を叩けるほど、状況を飲み込みきれてない。だが、この筋肉なんかほとんどついてなさそうな身体から繰り出される馬鹿力の正体はそれかと思うと、妙に納得させられてしまう。
「――だから、完全犯罪も可能だ」
「ちょ、ちょっと待て、飛躍しすぎだ」
「相手に一切触れずに殺すことだって可能なんだよ。そして僕が犯人である証拠は何処にも、残らない」
 さっきみたいに、サイコキネシスみたいなやつで、人も殺せるって言うのか。
 だったら、今この場で、俺のことだって。

 今度こそ俺は本気で怖くなった。逃げ出したくなった。でも、足がすくんで動かない。
 ――もう、何が何だかわからねえ。
 俺が知ってる直実は、ガチ理系の母親の血が濃いのか理屈っぽくて無駄に頭が良くて、細っこいクセにやたら喧嘩が強くて、兄貴が死んでるってのに親を継ぐ気はなくて将来は喫茶店やるんだなんて言ってる呑気な幼馴染みだ。
 それが何だ、バラエティ番組に出てくる超能力者なんか目じゃないぐらいの、本物のエスパーだったって? 信じろって方が無茶な話だろうが。俺はこいつが幼稚園の頃から知ってるんだぞ。会ってからもう十年以上経つんだぞ――!

 こいつはいつから、こんなワケの判らないものになったんだ?
 今までこんな兆候は、なかった……と、思うが、自信がない。
 ……違う、これが普通だと言うからには、そうじゃないのか。

 生まれたときから、こいつは俺たちとは違ったのか――?
 右目について昨日は確か、悪魔だという印、と言ったか。つまり超能力を使うたびに目の色が変わっちまうと、そういうことなのか。
 奴が珍しく暗い顔をして言う。
「ごめん、純。怖がらせたなら謝る。やっぱりいきなり言うんじゃなかった」
「ば、馬鹿野郎、怖がってなんか」
「事件の話はまた明日――」
「話逸らすな馬鹿!」
「……ごめん。でも、これ以上話してても、もっと怖がらせるだけだと思うし」
 俺の大声に珍しく驚いたような顔をして、いつになく弱気な声を出してきやがる。まるで俺がいじめてるみたいじゃねえか。ほとんど人の居ない職員棟の廊下でいつまでもこんなやり取りしてる訳に行かない。ため息が零れた。
「……何で、隠してた?」
 それだけ、訊いておきたかった。
 今度は別段驚いた様子もなく、いつもの冷静な調子で答え始める。
「何でって……これは秘術だから、人に見せびらかすものじゃないんだ。……まぁ、何かの遺伝的な異常なんだろうね。知られれば大変なことになるから代々普通に好きな仕事して、裏でこっそりやるものだった。純が特別ってわけじゃない」
 つまりそれが普通なんだと。
 なら、俺に明かしたことの方が特別なんじゃないのか?
「……だから、言わなきゃ良かったって言ったじゃないか」
 ばつが悪そうな顔をする。
 気分が悪いのはこっちもだ。何かこう、そう――……俺の理解力が足りなくてこいつの期待に添えなかったみたいな、そんな感じだ。やけに悔しい。
「不愉快なんだよ」
 俺の呟きに、奴は目を見開いて反応した。
「自分で言い出したことの責任ぐらい取りやがれ。中途半端に言って投げられちゃ堪んねえ。俺は言ったぜ、納得の行くように(、、、、、、、、)説明しろってな」
 俺はまだ、納得できていない。怪奇現象を見せられて混乱して、現実世界の秩序の崩壊を味わっただけだ。どういうことが出来るのか、逆にどういうことは出来ない(、、、、)のかを聞かないと、捜査の役にも立たない。
「別に、言い触らしたりしねえからその心配はすんな。言ったところで正気を疑われるのは俺だ」
 俺がこいつの正気を疑ったように。まぁ、正直今でも怪しいが。
「……純」
「じゃーな、また明日」
 手を振って、さっさと職員棟の出口へと繋がっている階段を降りて奴の前から立ち去った。
 ――彼に『また明日』なんて言う日がまた来るとは思ってなかった。
 お互いにまともに口を利かなくなったのはいつだっただろう。中学の卒業式の日に、二人は同じ高校に行くんだよね、みたいなことを誰かから言われて――それで、いつも通り罵り合いになって。名前で呼ばなくなったのはそれからだったと、思う。今から思えば最低な卒業式だ。
 別に、今更仲良くしたいとかそういうわけじゃない。だが、馬鹿にされたままじゃ不本意だ。超能力が使えるって言うなら、それ抜きでまた決戦を仕掛けないといけないしな!

 その時の俺には、そんな馬鹿馬鹿しいことを考えるのが、精一杯だった。

   2

 家に帰っても次の日になっても、俺の気分は晴れなかった。まぁ、何せ現実の全てをぶち壊されたわけだからな――そう簡単には立ち直れない。だから、部活は休むことにして――せいぜい事件の捜査でもやって頭を回して落ち着こうと考えた。
 しかし部活を休むからには、その辺をちょろちょろ動き回るわけには行かない。目撃されると後から何言われるか判らないから。そういうことに関しては、俺は殊に気を遣う。俺の悪ガキとしての噂が未だに噂に過ぎず、教師たちが証拠を握れないのは俺の慎重さ故だ。目撃されていいのは、最小限の人数でなければならない。かと言って、捜査もしなければならない。
 だとしたら行くべきは、あそこしかない。
 C組の授業が終わったのを確認して、すぐに俺は教室に飛び込んだ。奴の席を目指す。ノートその他を片付けようとしていた奴は、俺の顔を見るなり固まっている。俺が横に立つと、奴は俺の顔を見上げながら不機嫌そうな顔をして、呟いた。
「……何か用事?」
「何って、昨日約束しただろ。忘れたのか」
 事件の話はまた明日、と言ったのはこいつの方だ。
「今日は僕も純も部活だろう」
「だからだ。休むから、お前のとこに紛れ込ませろ」
 鞄に仕舞われようとしていたノートが、奴の手から零れた。とてもわざとらしい。というか、わざとだと思う。
 直実さんはそれを自ら拾いながらため息を吐いて、
「……今日は多分何も作らないぞ? 食事がしたいなら他所に行ってくれ」
 とおっしゃった。飯目当てと思われてるのか?
「ち、違うに決まってんだろうがァ! 何で俺がそんな馬鹿みたいなこと、」
 と、途中まで叫んで気が付いた。これはこいつの、天然を装ったボケだ。本気にしちゃいけなかった。
 案の定サネは半笑いで、ムキになっちまった俺は完全に晒し者だ。しかも今はまだ、C組の生徒がほぼ全員残っている。恐る恐る振り返ると、教室内の時間が止まったかのように全員の動きが止まっていて、その視線が見事に俺に集中していた。うわぁ、馬鹿だ俺。
「判ってるよそれぐらい。冗談だって」
 サネはサネで笑いを堪えている。それがまた鬱陶しい。
「俺だって判ってらァア! ちょっとツッコミの声が大きかっただけだろッ」
「顔が赤い。焦ってたクセに」
「うるせえ! それでどうなんだよ、いいのか駄目なのかはっきりしろ!」
 尋ねると奴は急に複雑な表情になり、短くなった前髪をかき上げるとそのまま片手で頭を抱える体勢になった。そんなに悩まれても困るんだが。
「何だよ。何がネックなんだよ」
 そんなものがあるわけない。部員の気分的に今日は何も作らないってのは事実なんだろうし。単に俺を、自分の安心できる場所に連れて行くのが嫌なだけだろう。
「いや……純が僕を疑ってる話は一年生も知ってるみたいだから、どうなのかと思って」
「あ?」
「どうせ教室でそんな話したんだろ。心配までされたんだぞ」
 あぁつまり、俺が宮路たちとそういう話をした二年B組を起点として噂が学校中に盛大に広まったと、そういう話か。だから何だってんだ。関係ないだろ。
「で、俺が行くとどうまずいんだよ? 別にまずいことないだろ」
 和気藹々と会話を楽しむ料理部の部活中に俺が押しかけて、怪獣のごとく暴れ回るっていうんでなければ。サネは少し考えるような仕草をした後、平然として言った。
「一年生が怖がる?」
「……。サネ、一発殴っていいか」
「拒否。事実だろ」
 疑問符がついている辺りからして半分は冗談で言ったんだろうが、そう堂々と断言されると否定できない。……あぁそうさ、俺は魔王さ。いい子ちゃんだらけのこの学校で随一の悪ガキとしても名を馳せてきた。一年だって俺の噂ぐらい知ってる。苦笑するしかない。
「怖がられようが何しようが関係ねえ。お前と会ったって言う一年も料理部なんだろ。だったら今日一気に話聞いちまった方がいいじゃねえか」
「……皆居るところで証言取ると信用性薄れると思うけど」
「お前、そんなに俺に来られたくないのか」
「別に来てもいいけど、居心地悪いと思うよ? 純、脅してないのに怖がられるの好きじゃないんだろ」
 あぁ、まぁ、確かに。好意が好意として受け取られないのは苦手だ。その代わり、脅しても怖がらないお前みたいな奴は大嫌いで――って関係ねえ!
「そんなこと気にしねえよ。ほら、さっさと片付けて連れてけ」
 急かすと、奴は「はいはい」と呟きながら荷物を持って立ち上がった。
 ――直実の忠告が身に沁みたのは、活動場所の調理室の端のテーブルに、全員が揃ったあたりだった。

 静まり返っている。会話がない。……部外者かつ悪い意味で有名人の俺が居るせいか?

 俺の右隣に座っている直実が一人呑気に薄そうな緑茶をすすっているが、目の前の佐久間は苦笑するばかり。右斜め前の宮路は何か言いたそうにしているが何も言い出さない。
 二年が何も言わないんだから、二つくっつけた隣のテーブルの一年なんかもっと何も言わない。何だか怯えたような顔で、ちらちらとこっちを窺っているのが見えて、どう対応していいのか判らない。くそ、言った通りになりやがった。しかも本当に直実以外に男子居ないし。
 直実が湯呑みを置いた。そして例の呆れ顔を少しだけこちらに向けて、静寂を破る。
「だから言っただろ。この環境で取調べは無理」
「む、無理ってこたないだろうが」
「じゃ、ご希望通り一年生に話聞いたらどうだ?」
「え、えぇと――」
「ストップ! 先に私があんたらに話聞きたいんだけど」
 ずっとうずうずしている様子だった宮路が、ここぞとばかりに右手を高々と掲げた。
「はい何ですか宮路さん」
 返事をしたのは直実の方。
「あんたら一体どういう関係だ? 昨日の騒動で意気投合して仲良くなったのか?」
「意気投合はしてない。仲良くもなってない」
 即、きっぱりと否定。
 しかしサネ、答えるなら否定するだけじゃなくてもうちょいちゃんと説明してやれ。宮路が変な顔になってるじゃねえか。……いや、この場合は俺がフォローするべきなのか。二人に訊かれてんだし。
「わりぃ、俺もこいつもずっと嘘吐いてた。幼稚園のガキの頃からの腐れ縁だ」
「え?」
 宮路が声を上げるのと同時に、佐久間も少し驚いた顔をしたのが目に入った。
 今度は俺の発言を聞いたサネがにやっと笑って、余計なことを言い始める。
「ああ、まさしく腐れ縁だな。もう腐ってるんだから切ってしまえってことでお互い隠してたけど、結局こうなるってことはもうどうにもならないんだろ。諦めた方がいいのかも知れない」
「……お前、本気で俺のこと嫌いだろ」
「だったら何か問題が?」
「……別に何も」
 判りきったことだから問題はないが、それにしたって本人に対して堂々と嫌い宣言して悪びれない……こいつは本当に恐ろしい奴だ。いや、嫌われるようなことばっかりしてる俺が何言ってんだって話なのかも知れないが。俺にとっては、対等に渡り合える、その、ライバルって奴か? そういう奴が居ないと、どうにも張り合いがない。
「……。そんな仲悪いのによく同じ高校なんか入ったな」
「ホント。わたしだったら無理だと思う」
 仲良しこよしの宮路と佐久間が顔を見合わせつつそう言って笑うので、釣られて俺も視線だけ直実の方に向けるが、一瞬目が合っただけでお互いすぐに背けてしまった。そして俺から目を逸らしたまま直実が言う。
「関わろうとしなきゃ何とかなるもんだけどね」
「こういうことがなけりゃーな」
「突っ掛かってきたのは純の方だろ?」
「るっせぇ。久々にそのすまし顔を殴りたくなったんだよ」
「まぁ、そういう素直なところは評価してる」
「!?」
 何か今いきなり褒められなかったか俺。どう反応していいのか判らねえし、当然宮路たちも困った顔をしている。しかし当人は相変わらず何を考えているか判らない顔で、さらっと流してしまう。
「殴られたら殴り返すけど。――そろそろ真面目に事件の話しようか?」
 僕は紅茶でも淹れてるから勝手に進めてて、と付け足し。……まぁ、サネの話は一昨日聞いたから関係ないっちゃー関係ないか。
 ――というわけで、それぞれのアリバイを確認する作業に、入ることにした。
 まず、七時半前にサネと会ったという二人が誰なのか尋ねる。
「はい。あたし――若松と、佳織ちゃんです」
 佳織ちゃんと呼ばれた二つ結びの娘は少しびくっと肩を震わせて、遠慮がちに「美園です」と名乗り直した。――お下げの若松さんと、二つ結びの美園さん、か。先に若松さんが話し始める。
「あたしは被服室でずっと課題をやっていて――……他に何人かミシンを使ってた人も居たと思いますけど、誰かは判りません。七時過ぎて、さすがにそろそろ帰らないとまずいと思って片付けて、……被服室を出たのが十五分頃です。それで、道具をC組のロッカーに置きに行ったら、佳織ちゃんがお手洗いから出てきたところに偶然会ったんです。あとは正門を出るまでずっと一緒でした」
 女子トイレってのは廊下挟んでC組の向かいだ。
 美園さんもそれに続く。
「わたしはずっとA組の教室で勉強していて……誰も居なかったと思います。気付いたら七時二十分だったので、お手洗いに行ってから帰ろうと思って……行ったときは、C組に人は居なかったと思います。電気も消えてました。B組も誰も居なくて、ちょっと怖いぐらいだったので……。それで、出てきたらさくらちゃんが居たので……あとは同じです。A組に鞄を取りに行って、一緒に校舎を出ました。あ、出たところで丁度見回りの警備員さんに会って、『もう七時半になるよ』って言われたので、それぐらいの時間のはずです」
 若松さんも頷いた。彼女らが会った警備員が、七時四十分を証言した人なんだろう。一階二階と順番に見て電気消したりカーテン閉めたりして回れば、三階に着く頃がそれぐらいになるはずだ。階段は廊下の端にひとつしかない。
 どちらも、互いに顔を合わせるまでのアリバイは危うい。まぁとりあえず、全員の話を聞くことにしようか。一年生最後の一人、ポニーテールの子にアリバイを尋ねると、急にうつむいて動かなくなってしまった。あれ、俺、地雷踏んだか――?
「と、智ちゃん――」
 その子の斜め向かいに座る若松さんが心配そうに声を掛ける。俺も何か言うべきかと頭の中でごちゃごちゃ考えていると、全員分の紅茶を淹れ終わっていたらしいサネが一年生三人分のカップを盆に載せて、そっちのテーブルに運んでいく。
「――大江さん。大丈夫、皆に訊いてるだけだから」
 カップを配りながらフォローしてくれやがる。そういうとこばっかり部長ぶるんだな。……大江さんっつーのか。
 直実が席に戻ってきた頃にようやく大江さんは少し復活してきて、砂糖もミルクも入れてない紅茶を一口だけ飲んでから証言を始めた。
「私、帰るの遅かったんです。……部長もそうだと思いますけど、帰ってすぐご飯は食べられないので、部活の日はいつも……。ずっと図書室に居ましたけど、部長とは会ってないと思います」
 サネに同意を求める。軽く頷く。この学校の図書室はそこそこ広いから、居る位置によっては会わなくてもまぁ疑問はない。
 大江さんに続きを促す。
「はい。本を読み終わって時計を見たら七時四十五分だったので、早く出ないと怒られると思って図書館を出て――ロッカーに忘れ物をしたのを思い出して、それを取りに戻ってから、帰りました。B組に直行したので、C組がどうなってたかは判りません……でも、特に物音とかはしてなかったし、電気も消えてたと思います。校舎の中で警備員さんには会いませんでしたけど、正門の守衛さんとはちょっと挨拶したので、それで警察の人に」
 そこまで言われてハッとする。なるほど、彼女も容疑者のうちの一人だったわけか。それで最初落ち込んでたんだな。
 大江さんに礼を言って、一応宮路と佐久間にも訊いておこう――と、俺は自分たちのテーブルに向き直った。

 ――ガタン!

 急に大きな音がした。一年生のテーブルの方だった。何の音かと再びそっちを見ると、三人居たはずの一年が一人欠けている。
 居ないのは誰だ? ――お下げの娘。若松さくら。
 ……違う、ドアも窓も開いてないのに居なくなるわけがない。倒れたんだろうが! ああ、さっきのは椅子が倒れた音だよ。ほら、その後に女子何人かの悲鳴も確かに耳に入ってたじゃねえか。どうしてそれが聞こえなかったことになってるんだよ。
 しかし、倒れたってのはどういうことだ? 毒でも盛られたってのか?
 ――そんなわけあるか! 紅茶を飲んで倒れるなんて、そんなベタな展開、――……。

 そういう場合、真っ先に疑われるのは、紅茶を淹れた人間じゃないか?

 俺と同様の思考過程を踏んだのか、その一瞬、ほぼ全員の視線が俺の右隣で立ち上がっている奴に集まっていた。
 いや、いくら怪しいって言ったって、まさかこんな単純なことするわけがないだろ? そうだろ直実……? そんなのは許さない。俺が許さない。俺が全力で戦ってる時に、手を抜くのは絶対に許さない。
「……やむを得ない。緊急事態」
 それは誰に言うでもない、彼の中での、彼にしか通じない呟きか。
 彼は硬直している他の部員を押し退けて、倒れている彼女の元へと向かっていく。俺もその後についていくが、誰も彼を止めようとはしない。彼女のすぐ目の前まで至った時――真っ先に駆け寄って介抱していた大江さんが、若松さんの身体を抱き寄せながら、叫んだ。

「ち、近付かないでください! どうして、どうして――」

 ――あ、まずいな、と直感で思う。
 止めようかどうか迷ったが、やめた。

「どうして? 死なせたいんですか?」
 先日の現場で聞いた時と同じ、冷たい響きを持った声。一年生相手だからか口調こそ丁寧だったが、言われた当人ではない俺でさえ、背筋が凍るような気がした。動けなくなった大江さんの目の前までずかずかと歩み寄って、何をし始めるかと思えば――床に正座して、じっと若松さんを見つめ始める。
 ここでようやく宮路が動いた。恐る恐る、と言った調子で、謎の行動を始めた直実に声を掛ける。
「ひ、桧村、お前、何して――」
「ああ、宮路は……佐久間がいいか、早く先生と救急車呼んで」
 ずっと放心していた佐久間は呼ばれてはっとしたのか、大きく頷いて部屋を飛び出していく。だが、はぐらかされた宮路がそのまま大人しくしているわけがない。
「質問に答えろよ!」
「ちょっと黙ってろ。集中できない」
 そう言われても、身体に触れるでもなく、ただじっと待っているようにしか見えないのだから、何をしているかなど判るわけがない。宮路の表情がますます混乱してきたことを物語っている。
「な、何をだよ……? い、茨木、こいつどうかしちゃったんじゃ」
 泣きそうな顔で俺にまで助けを求めてきた。ここまで来ると、さすがに宮路が可哀相になってくる。……まぁ、無理もない。一年生がまた倒れた上に、想い人がワケの判らない事を言い出したんだからな。俺だってよく判らないが、少しぐらいフォローしておいてやるか――。
「多分、祈祷だ。お祈りだ。こいつの実家は鎌倉の由緒正しい祈祷師の血筋でな。特に病気とか怪我にはよく効くんだってことで、向かいの神社と懇意にしてるんだが、不治の病の患者さんなんかも良く来るって話だから、きっと――」
 捏造にも程がある。由緒正しいのは事実なんだろうが、祈祷師なんかやってない。母親は白衣の似合うキャリアウーマンって感じの研究者だったし、向かいの神社と仲が良いのは、そこの跡取り息子と直実が同級生ってだけの話だ。多少の誇張は助太刀の賃料として、後で本人に払ってもらおうじゃないか。
「……それ、本当?」
 しかし、宮路は信じてくれなかった。
 俺が更なる捏造を重ねようとすると、今度は本人が立ち上がった。――もう終わったのか?
「大体ね。最後の方は大嘘だけど」
「うるせえ馬鹿。地元民としてフォローしてやったんだから感謝しろ。この場に俺が居て助かったと思えよ」
「……まぁ、それもそうか。宮路――……、宮路?」
 サネの呼び掛けに宮路が応じず、何かを見て固まっている。彼女が凝視している方向へ、俺と直実がほぼ同時に視線を向けた。そして、同じタイミングで息を呑む。
「おい、これって――」
「この前のと同じだ」
 一年生のテーブルの下の、棚。本来なら教科書ノートとか、荷物を置く場所だ。若松さんが座っていた場所のそこに、紙切れがポツンと、置いてあった。それは明らかに、俺とこいつがこの前の現場で見た便箋と、同じもの。
 直実がハンカチを手袋代わりにして、それを机の上に引っ張り出す。若松さんを介抱している大江さん以外の全員が、それを覗きに集まった。
「自らを、生贄に――?」
「サネ、これって、遺書になるのか……?」
 その文面は要約すると、この前の生贄では足りなかったから、自分を新たな生贄として幸福の女神に捧げることにより、幸運が訪れることを願う、という――それで自分が死んだら本末転倒じゃねえか、と全力で突っ込みたくなる内容だった。
 それはつまり、こうして運任せの自殺行為をして、幸運が訪れれば助かるっていう、そういう意図があってのことなのか? だとすればまぁ、判らなくはないか。遺書、でもないわけだ。
 そんなことを俺が一人で悶々と考えていたところに、佐久間と家庭科の教員が駆け込んでくる。
「まだ息はあるのね? 何飲んだの?」
 サネに向かってそう尋ねつつ若松さんの元へ駆け寄った彼女は俺の知らない教員だったが、料理部の奴らは馴染みらしい雰囲気だったので、もしかしたら顧問なのかも知れない。そういえば、顧問が居なかった。
 尋ねられた部長が冷静に回答する。
「息は、あります。飲んだのは多分、……多分ですけど、青酸化合物だと思います。僕に出来る限りのことはしました(、、、、、、、、、、、、、)が、後は……運次第、かと」
 多分、俺を含めたその場に居た全員が、お前は一体何をしたんだと――心の中で、突っ込んだと思う。俺がなまじ「お祈りだ」なんて言ってしまったものだから、余計だ。しかも本人が「大体合ってる」って言ったし。
 でも今こいつ、飲んだのは多分青酸化合物だとかなんとか言ってたな。……それってあれだろ、最近流行りの漫画とかに良く出てくる、青酸カリとかそういうやつだろ。あれって確か、こんな風にのんびり救急車待ってられるような毒じゃなかったと思うんだが――……そういう意味ではこいつがさっき確かに何かをやったのは事実、ってことになるのか?
 だが、そんなことをわざわざ突っ込むような奴はこの場には居なくて、俺もこの張り詰めた空気を破ってまで直実の能力の話なんかする気にはなれなかった。だから結局、救急車が駆けつけて彼女が運ばれていくまで、皆ほとんどその場を動かず、ほとんど何も喋らずに時間が過ぎて行った。

 しかし、本当に彼女が犯人だったのか。
 彼女が自分で毒を飲んだとしたら、今回に関しては不思議なことは何もない。でも、前回はどうだ? 若松さんだって、直実と顔を合わせて七時四十分には学校を出てたんだろ――?
 ……まぁ、今はとにかく彼女の無事を祈る、しかないか。
 彼女が目を覚ましさえすれば、きっと全てが判るから。