こ は る び よ り 探 偵 日 記 ― 第三話 虹色メビウス



第二章「想いは七色」

   1

 ――いつも通りの、風景だった。

 店内には直実さんとあたし、それからお客さんとして、非番だという純さんと、恐らくカップルの若い男女の、合計えーと五人が居た。まだ春休み中なので、真珠君は自分の部屋に居るらしい。ハル君はいつものように、キッチンで待機――そう、いつものように。
 純さんは「休みの日まで事件の話はしたくない」と言って、直実さんとの間で本当に平和な会話が繰り広げられている。あたしはそれに何となく参加しつつも、こっそりとカップル客の会話も伺っていた。――いや、ちょっとは悪いと思ってるよ、うん。一応。
 つまりその、漏れ聞こえてくる会話が、
「昨日の夕方、どこにいた?」
「え?」
「昨日の夕方だよ。えーっと、四時ぐらい。さすがに覚えてんだろ?」
「えっと、大学。ちょっと図書館に用事があって」
「――本当に?」
 ――とかなんとか、ちょっと、いや、かなりシリアスな雰囲気でして。浮気疑惑追及現場、みたいな? 興味沸かないわけないじゃないですか。え、悪趣味とか言わないで。
 責めてるのは、片目が隠れるほど伸ばした髪を金色……というか真っ黄色に染めた男の人――うーむ、チャラそうな感じ。ピアスとかネックレスとか色々付けてて、正直パッと見、怖い。責められてるのは、茶色い髪をアップにした小柄な女の子。……本当に浮気してたとしたら、勇気あるな、この子。
 ――そういえば、金髪男に気を付けろって純さん言ってたな。もしや、他の男なんか居なくなればいいんだ!とかなんとか考えて通り魔の犯行に及んで……。無いか。そんなんだったらこんな冷静に追及してませんよね。
「な……何、疑ってるの? 信用してくれないんだぁ」
「俺だって違えば良いたぁ思ってるよ」
「何でそんなに疑うかな……」
「だから、違うって証拠を見つけたいんだろ、俺は」
「…………」
 女の子は黙り込む。
 ――人のプライベートに入り込むのもはこの辺にしよう。あたしが向き直ると、直実さんと純さんも、あからさまにその二人の方を見ていた。そして、小声で話し始めた。
「……金髪だな」
「だな」
「体格から見て、一七〇くらいだろう。あとで職質……じゃなくて話を聞きに行こう」
 結局事件の話してる。
 ――と思いきや、突然手を叩き、

「――そうだ、サネ。モンブランだ」

 と、何故か真剣な顔で、言った。先生、最近純さんがよくわかりません。
「は?」
「俺は今猛烈にモンブランが食いたい」
 一同、沈黙。
「…………。えーと、……ハル!」
 直実さんは複雑な表情を浮かべつつもハル君を呼ぶ。

 ――が、返事が無い。

 いつもだったら割とすぐ反応するんだけどな。静かだったから寝ちゃってるのかも知れない。三人で顔を見合わせて、最終的にあたしが立ち上がった。
「ハル君?」
 待機用のテーブルの上で、布巾をベッドにして寝てることが多いんだけど――。
「……あれ?」
 影すら見当たらない。居ない? 退席してるだけ?
 ――と、ふといつも彼が居るテーブルの上を見て、異変に気付いた。

 何だろうこれ、――置き手紙かな? 家出します捜さないで下さい、とか。いやいや、冗談で……。

「――……えっ……?」

 テーブルの上の紙を手にとってすぐ、おかしいと思った。背筋がゾクッとした。あれ、この感覚、前にも――。
 その紙は――ドラマとかでよくある、新聞を切り抜いて作った文字で書かれた手紙。
 内容は、

『小ざルは預かった。
大人しく待っていれば、危害は加えない。
まずは指示を待テ』

 ……とのこと。こんなことって、本当にあるんだ――……って、ボーっとしてる場合じゃない。
 あたしは夢中で店に戻って――その紙を、直実さんたちに、渡した。

「ゆ、……誘拐だとぉ!? あんの騒がしい小猿を誘拐できる奴が一体どこに居るってんだ」
 紙を見るなり、純さんがヤケに大きな声で叫んだ。お、お客さんも居るのに。刑事さんでしょうアナタ。お二人がこっち見てるじゃないですか。
「お気になさらず……。小猿自体はエサで釣れば一瞬だと思うが……それ以前に、この家の玄関は店の入り口だぞ――そもそもどうやってそこに入ったんだ。勝手口の鍵はいつも閉めてある」
 エサって何ですか血ですか。……なんて野暮なツッコミはやめておくとして、つまりその、えーと。
 密室……とはちょっと違うけど、ハル君の居るキッチンに入る手段が、ない――? それってどういうことよ。そもそも入れなきゃ、連れ去るなんて夢のまた夢じゃない。
「ま、真珠が開けたかも」
「そんなわけあるか。勝手口からは誰も出入りしないんだよ」
 さすがの直実さんも焦ってる様子。ど、どうしよう。
「じゃあ何だってんだよ名探偵さんよ。魔法でも使って壁すり抜けたってのか?」
「そんなことが出来るんなら泥棒し放題……、え……?」
 魔法?
 また3人で顔を見合わせる。
「……試してみる」
 直実さんは小声でそう呟いて立ち上がると、重い表情のままキッチンの方へ向かっていった。
 試すって、それってつまり、どういうこと?

 あたしは行くべきかどうか迷って、一旦座った椅子から立ち上がろうとしたけど――何故か純さんに腕を掴まれて、止められた。
「――あんたはやめとけ。現実を見失うよ」
 そう言った純さんの目は、どこか少し哀しそうで、不思議だった。やはり、意味はよくわからない。
 あたしは仕方なくまた座って、何を考えるべきかを、考える。背中の方から、「何があったんだろう」「小猿が何とかって」って言うお客さんの声が聞こえたけど、気にしない。

 でもどうして、ハル君を……?
 確かにハル君は人間じゃないし、希少価値みたいなものはあるのかも知れない。でも、身代金目当ての犯行ってことはないよね。じゃあ何? 売り飛ばす、とか――? だ、ダメダメ、そんなこと考えたらダメだ。
 あるいは、ハル君が自ら出て行った可能性はまだ、捨て切れない。結局、とにかく指示を待てってことか。

 そんな事を考えているうちに、直実さんがキッチンから戻ってきた。またあの時のように、右目が少し碧色がかっている。
「――……考えても無駄だ。待つしかない」
「おうよ。じゃ、とりあえずモンブランだ」
「……お前は……。何でもない」
 ん? いつもの直実さんの調子じゃない。当たり前、か。
「サネ、動揺してるのは判るが、落ち着け。一緒にモンブラン食おうぜ」
「……野郎とケーキ分け合う趣味は無い」
 あったら困る。あたしが困る。色んな意味で。
「あっ、お前、人がせっかく傷心の幼馴染みを気遣ってだな」
「言っておくがこれ作ったの私だからな」
 純さんなりの気遣い、か。
 妙に静かな店内。壁にかけてあるレトロな振り子時計の音が響く。

 何か話しかけるべきか否か。
 気まずいと言うか、落ち着かないと言うか。

 ――結局その後、カップルのうちの女の子が先に帰ると言い出すまで、誰も一言も発さなかった。

   *

 それから少しして、金髪のお兄さんの方も店を出る雰囲気になったので、純さんは声を掛ける態勢に入った。
「それじゃ、ごちそうさ――」
 と言いながら彼がドアを外側へ開けようとするも空しく、ドアは何故か勝手に開いて、ドアに寄りかかる状態になっていた彼は思いっきり後ろに、――……転んだ。
「…………」
「いやっほーナオミ君おはよー今日も元気に……って、あれ? うわ、ごめん! あっちゃー、開けるタイミング悪かったみたいだね!」
 犯人は麻耶さんかッ! っていうか謝り方軽ッ! お兄さん怒っちゃうよ!?
 わざとなのか素なのか……多分わざと、不自然なほど派手に転んでいたお兄さんは、あたしが声を掛けようとしたらむっくりと起き上がって、ため息を吐きながらよろよろと立ち上がった。
「あははは、ごめんごめん! 今度からは気を付けて開けるよー……って、あぁあああぁッ!」
 麻耶さん、何を思ったか、立ち上がったばかりのお兄さんの顔を指差して叫んだ。
「う、うええぇ?」
 転ばされた上に指差されたお兄さん、素っ頓狂な声を上げる。可哀想に――。
「金髪!」
「え、あ、えぇまぁ金髪ですけども……それが何か、」
「何かってアンタ知らないの? 通り魔だよ通り魔! 最近この辺で出てる通り魔の目撃情報に金髪の男ってのがあってさ、身長も多分アンタ一七〇ぐらいだし、ぴったりだろ? な、刑事君」
 ここで同意を求められた純さん、半分呆れ顔で頷いた。
「刑事? 通り、魔――……、!」
 喫茶店を出ようとしたらギャグのごとく転ばされた上に通り魔疑惑を掛けられた大変可哀想な金髪青年は、急に何かを思い出したように目を見開いて、何故か――笑みを零した。何だこの人。この人も変人か!

「――本当だったらどうしますか?」

 え? 今なんて?

「へ?」
 その場に居た全員が固まった。当たり前だ。
「もし、ですよ。もし本当に俺がその通り魔だとしたら、あなたはどうしますか?」
 チャラい見た目に反して、妙に丁寧な言葉遣い。しかもちょっと強気。うーん、でもこれは逆に怖い。
「ど……どうったって、とりあえず警察に突き出すしかないじゃん?」
 おぉ、あの麻耶さんがうろたえておられる。
「……ふむ」
 答えを聞いたお兄さん、含みのある笑みを見せる。思わせぶりすぎだ。
 そして彼はしばらく考え込んだ後、急に声をあげて笑い始めた。あ、ダメだ――……こりゃ変な人だ。
「あっははははは! いやあ、物騒ですよねぇ、この羽田杜で通り魔なんてね。多摩の中でも超マイナーで、言っても東京以外の人には通じないこの羽田杜でね!」
 ……何だ、この人。羽田杜市馬鹿にしてんのか。確かに小さいですよ、確かにJR走ってませんよ。あんまり小さいから合併話まで出てくる始末ですよ。住民投票で蹴りましたけどね!
「そーか、俺疑われちゃってるんだ、参ったな。やっぱこれじゃ目立っちゃうか。先生にも怒られちゃったし今度黒にでもしようかな」
 最後の方はどう聞いても独り言でした。
 しかし、先生に怒られるって、小学生じゃないんだから。……大学生っぽく見えて、実は高校生とかなのかしら。うーん、有り得ない話じゃない。その場合、相手の女の子は大学生みたいだったから、傍目に見ると変な感じ。……やっぱ違うかも。
「ん? 目撃されてるのは認めるのかい?」
「まぁ多分俺でしょう。怪しまれてるとは思いませんでしたけど」
「その見た目じゃしょうがないんだよー。結局人ってそうなんだよね。いかにも悪そうな奴を記憶しやすいんだろ。多分だけど」
 とか何とか言いながら、麻耶さんは金髪お兄さんの横をすり抜けて店内に入ってくる。それからくるりと振り返って、お兄さんに笑い掛けた。
「いかにも悪そうな奴、ですか。ごもっともですね」
 お兄さんは苦笑しながらそう言って、それから、

「――犯人は超能力者ですよ。俺みたいな一般人じゃ無理ですって」

 と付け加えると、笑顔で改めて「ごちそうさまでした」と言って、爽やかに去っていった。
 超能力者ってどういうことだ――って、純さん! 職質はどうした!

「いいんですか? 追いかけなくて」
「……え、え?」
 あー、放心状態だ。
「あの人に話聞くって言ってませんでした?」
「はっ!」
 忘れてたのか、超能力者発言で呆けてたのか、純さんは慌てて彼を追いかけていった。

 ――が、追いつけなかったのか、しばらくすると肩を落として帰ってきた。どんまい。
「ご苦労様、純」
「……何がご苦労だよ。ったく、さっさと逃げやがって」
「目撃されてる自覚はある。ってことは、毎回現場に居たのを認めてる。だが犯人じゃないと言い張っている。――あまり深入りされたくなかったのかも知れないな」
「犯人かも知れねえじゃねえか、俺が刑事って判ってんだぜ。素直に言う馬鹿がどこに居る」
 それも確かに。
 妙に思わせぶりな台詞も吐いてたけどね――。
「――まぁ、逃げられたなら仕方ないだろう。目撃されていた人物に接触できただけでも良かったと思うしかない」
「…………でも、超能力者って……。何かしらのことを知ってると思うべきだろ」
「事件現場に毎回居ればそれぐらいのこと知ってておかしくはないさ」
 二人の間で話が勝手に進む。こうなるとあたしは何も出来なくなるんだけど、麻耶さんはそうではなかった。
「ちょ、ちょっと待った。どういうことだ? 犯人は超能力者って何だ。さっきの彼のは世迷言じゃなかったのか? マジ話なの?」
 カウンターに身を乗り出してそうまくし立てた麻耶さんに対して、直実さんは一呼吸置いて、冷静に返した。
「――悪趣味な記事を書くのがお好きな雑誌記者さんにはお話ししたくありませんね」
 そう言った彼の目は、いつになく冷たい色をしていた――ような、気がした。
「ま、待ってよ、今度のは個人的な興味だってば。増して術絡みの話だったら絶対書いたりしないって、約束する! 何度も言ってるだろ、敵じゃないって」
 麻耶さんが妙に慌てている。何だろう。術絡み? それってつまり、通り魔の犯人が術師かも知れないってこと?
 ――あれ? それっておかしな話にならない?


 あたしは、直実さん以外の術師を、――知らない。


 当の直実さんは少し悩んでから、意を決したように麻耶さんの方を見て、話し始めた。
「……ここへ来て、術師によるものかも知れない犯行が続いています」
「続くって、通り魔はそもそも連続してるだろう?」
「先ほど、こんなものを残して、ハルが居なくなりました」
 キッチンにあった例の紙を目の前に突きつけられた麻耶さんは、眉をしかめて、怖い顔をして――その紙を直実さんの手から奪い取った。
「――これもそうだってのか?」
「店内に居た私たちに見られず、2階に居た真珠にも気付かれずキッチンに入り、尚且つ外へ出る手段が無い。勝手口の鍵は閉まっている」
「…………」
 麻耶さんの表情は冴えない。
「もっとも、何らかのトリックがある可能性もまだ否定は出来ませんけどね。――あるいは、私が犯人かも」
 直実さんが少しおどけてそう付け加えても、麻耶さんは微動だにしなかった。難しい顔のまま、ただずっと、例の手紙を睨んでいた。
 ……っていうか、私が犯人かもとか軽々しく言わんで下さい。
「麻耶さん。先日の忠告は、これのことですか?」
「――……知らない。私は知らない。ただ、そうかも知れないとしか言えない――」
 そう呟くように言った麻耶さんの顔は、どこか哀しそうな雰囲気になっていて。
 それは、やはり何かを知っているのかと追及することなどはばかられるもので。
 あたしは、誰に何を訊くべきか、何を訊いて良いのかも判らなくなって、結局身を引いた。

 直実さんも同じように感じたのか、それ以上は何も、言わなかった。

 ――これが、事件の始まりでした。
 もっとも、本当はもっと前から始まっていたと言うべきなのかも知れないけれど――。


   2

 もうだいぶ、日が暮れた。
 桜の綺麗なこの公園には、ちらほらと花見客が見受けられる。
 夜桜――綺麗な名前だと、自分でもよく、思う。だから下の名前よりも、気に入りの名字の方で呼んでもらうことが多い。

 夜桜がベンチに座ってボーっと桜を眺めていると、
 ――彼女が、自転車に乗ってやってきた。

「――久し振り、だね。元気してた?」

 自転車から降り、笑ってそう告げた彼女に、夜桜は無言で笑顔を返した。

「……大変なこと、してるみたいね」

 抽象的な台詞だったが、何の話をしているのかはすぐに判った。
 彼女とはもう何年も会っていなかった。それで久し振りに連絡があったから、少し嬉しさのようなものも感じていたのに。結局彼女も、会っていきなり、そんな話なのか――。

幸穂(ゆきほ)には……関係、ないよ」

 怒鳴り散らしたいのを堪えて、精一杯、言葉を紡いだ。
 彼女は予想通り、昔と同じように――少し寂しそうな顔をした。

「じゃ、どうしてそんなこと……するの?」

「あの人は何も知らないから。僕が気付かせてあげないといけないんだ」

「……そんなことの為に手を汚すの? 前に言ったよね。そうやって1人で突っ走って、葉摘は死んだんだって」

 彼女はいつもこうして、夜桜の姉のことを引き合いに出す。
 やはり、相変わらずだ。

「姉さんのことも関係ない。僕は死んだりしない。幸穂は心配しなくて良いんだよ」

 夜桜が夜桜の考えで何をしようとも、彼女には何の関係もないのだから。
 心配などされても困るだけだ。

「……幸穂は僕が誰か知ってるでしょ。全部上手くやる。幸穂の心配には及ばない」

 黙り込んだ彼女はまた、寂しそうな顔をする。

 ――むしろ、下手に関われば彼女が危険な目に遭うだろう。
 だから夜桜は、徹底して彼女の介入を避けなければならない。

「――もう、この話は止めよう。この話だけの為に呼び出したなら、僕はもう帰るよ」

 夜桜がそう言うと、彼女は慌てたように――苦笑して、それからはそれぞれの積もる話をして、別れた。

 ――またいつか、必ず会うと約束して。


   *

 風の穏やかな、春の夜。自室の窓から、コーヒーを片手に眺める桜と言うのもまたオツなものだ。
 こんな穏やかな日には、憂鬱な未来など考えなければ良いというものを。何故か自分は、ついつい身を乗り出してしまう――。

「――……あぁ、またなのか……」

 誰にも聞こえない呟きを零す。
 結局、自分は非力なのだ。これだけのことしか出来ず、その『これだけのこと』を何にも生かせない。

 だからいつも、苦しんできた。こんな力など持たなければ良かったと、何度思ったことだろう。
 それでも、『これ』から逃れることなど叶わない。ただ存在していることに意味があるのだと説かれて育った。結局平凡な人生を歩み、人並みの幸せを手に入れたはずの現在でも、『これ』を生かせない自分が、惨めに見えた。

 ――だから、せめてこれぐらいは。今回だけは、やり遂げたい。

「今度こそ何とか、止めてくれ――」

 土壇場で人に頼ると言うのも妙な話だとは判っている――。
 自分の無力さを嘆きながら、彼はまた、キーボードを叩き始めた。