こ は る び よ り 探 偵 日 記 ― 第三話 虹色メビウス



  Prologue

何かがおかしい。

今までと違う何かに、

父親譲りの第六感が警告を発している。


これは――……まさか、そうなのか?


いや、考えたくない。

あいつに限って、そんなことあるわけがない。


――なぁ、お前たちもそう思うだろう?


   *


 ――春。
 桜が咲き乱れる丁度その頃、うららかな日の午後だった。
 現場は東京都羽田杜市蒼杜本町、羽田南駅前。駆けつけた警察、救急車、歩道に倒れる青年、野次馬達。刑事は苦虫を噛み潰したような顔で「またか」と呟き、青年は担架に乗せられて病院へと運ばれていく。

 携帯電話片手に、そんな様子を無表情で眺める彼を、さらに遠くから彼女が眺めていた。

「気付きなさい――早く。全てが、終わってしまう前に」

 誰に言うともなく、そんなことを呟いて。


第一章「動き出す世界」

   1

「――ありがとうございました!」
 小春茶屋でバイトを始めてから約2ヶ月、あたしの地道な広報活動が功を奏した……のかどうかは判んないけど、主観的には着実にお客さんが増えてる感じがする。
 カウンターの直実さんの方を見ると、あたしに気付いてニッコリと笑ってくれた。うわ、ドキッとした。何これ。別に、変な気があるつもりないんだけどな――。
「本当に、楓さんには感謝しています。やっぱり宣伝の方法は大事ですね」
「えっ、と、とんでもないですよ! あたしの宣伝以前に直実さんのケーキあってのことですからっ!」
 素直にそう言うと、直実さんは一瞬きょとんとして、それからすぐにまた笑い始めた。うぅん、やっぱり不思議な人。でも、嫌な気は、しないかな。あたしも釣られて一緒に笑ってたら、また店のドアが開く音がした。
「あ、いらっしゃいませ、」
「――おー、楽しそうだね」
 ――普通と違う言葉。知り合いの人かな……?
 振り返って確認すると、入ってきたのは茶髪というか……金髪に近い? そんな感じの不思議な色の髪に、同じような色の瞳をした人だった。背は……あたしと同じぐらい、かな。声は男の人にしては少し高いけどハスキーで、それがまた印象的。その人は店内をざっと見渡してから、直実さんの方を見て、ニヤリと笑った。
「結構繁盛してきてるようじゃないか? 良いこと良いこと。あ、キミが噂の楓君か。うぅん、ちょっと古風で可愛い子だ」
 え? えっと、初対面ですよね。ど、どうしよう、か。
「え、あ、ありがとうございます……」
 こんなところでいきなり可愛い子とか言われても困るよ!少なくとも謙虚なあたしは困るんだい!
 その人はあたしの答えを聞いて、ケタケタと楽しそうに笑った。からかわれてる感じではなかったけど、何なんだろう。……っていうか、何であたしの名前知ってるんだ? 噂って何のこと……?と思って直実さんの方を見ると、彼は驚いて呆然としたような顔のまま固まっていた。お、おーい。知り合いが来ることがそんなに珍しいのかっ。
「何だい、普通に客として来てるだけなのにそんなつれない反応はないだろ、ナオミ君」
「……ナオザネです」
 あ、眉間に皺が寄った。
「あーごめん、そうだったね!」
 言葉は謝ってるけど、顔は笑ってる。こりゃーわざと間違えてるな?
「やっぱりさ、一度はお邪魔してみたいって思ってたんだよね。何だったら紹介記事書いてあげてもいいよ。それで売り上げ伸びたら感謝してくれよぅ?」
 わー、お喋りな人。雑誌の記者さん、かな。本当に楽しそうに笑いながらカウンターの直実さんに迫っている。
 ――でも何か、直実さんの表情が冴えないのが気になるところ。笑ってたから勝手にお友達かと思ってたけど、もしかして――……敵?
「それはありがたいですが……でも、麻耶さんは血生臭い事件が好きだって言ってませんでした?」
 ……うっわ。もしかしてあれか、週刊誌の怪しげな記事とか書いてる人かな。うん、きっとそうだ。間違いない。それと名前は――マヤ、さん? 直実さんの発音は「ヤ」の方が上がってたし、名前じゃなくて名字みたい。
「えー何だよー、人がせっかく厚意で言ってるんだから素直に受け取ろうよ。これでも守備範囲広いつもりなんだよ? 甘い物だって好きだしー」
「嫌いだったら珍しいとは思いますが……取材はまた日を改めて」
「あっはは、ホントにつれないなー。じゃーまぁとりあえず――」
 そんな感じでとりあえず、麻耶さんは近くの椅子に座って、

「――自慢のチーズケーキを頂こうかな!」

 ――と、あたしと直実さんにちょっとわざとらしい感じの笑顔を見せた。



「――うん、これは美味だよ!」
 麻耶さんはチーズケーキを一口食べるなりそう叫んだ。おお、良かった。さり気なく直実さんの方を窺うと、まだどこか腑に落ちないような顔をしていた。何がそんなに気になるんだろう。教えてくれたっていいのに。
 ちなみにハル君は出るのを面倒臭がってキッチンで休憩中……と言う名の昼寝タイムです。
「なーんだーもっと早く来れば良かった。この若さで店持ってるってのも凄いしさ、才能あるんじゃない、ナオミ君。ね、キミもそう思うよな」
 え? えーっと……急に振られると困る。
「も、勿論です! だからバイトしたいって言ったんですしっ」
「ほらほら。だから紹介記事書くって言ってんじゃん? 遠慮することないよぅ」
「……褒めても何も出ませんよ? 紅茶のお代わりぐらいは出しますけど」
 眉をひそめてそう言われて、楽しそうだった麻耶さんが一転、不機嫌そうな顔に。……直実さんも大人気ないなー、もう。
「何だよー、敵じゃないって何度も言ってるじゃんか。いつになったら信用してくれるんだい?」
「信用してない訳じゃ、」
 直実さんが答えていた、まさにその途中。

 凄まじい爆音がした。
 何て言うか……事故か爆発でも起きたような、凄い音。単純な擬音では表現しきれない。

 ……えっと……あぁ、ドアが思いっきり開けられた音だったみたいです。漫画だったらドアから煙が立ってそうな雰囲気で、何故か息を切らしながら店の入り口に立っているのは紛れもない、茨木純さん、その人でした。
「直実ッ、先週の件はどうなってる! まーた駅前で通り魔だ! ――ったく、警察からかうのもいい加減にしろってんだ」
「……まだ調査中。それから営業中にそういうことはしないでもらいたいな、純」
 色々言われても全部受け流して優雅に紅茶を飲んでいた直実さんが純さんを睨みつけて、一掃。
「へ? ……客?」
 ドアに手を掛けたまま止まってた純さんの頭がゆっくり回転して、五秒ぐらい掛けて麻耶さんが座っている方向に向いた。声に出しては言えませんが、気付くの遅いです。
「どうも、客です」
 そう言って片手を挙げてニッコリ笑う麻耶さん。ちょっぴりお茶目。
「でもさ、営業中とかそういう次元かなぁ……凄い音したけどドア大丈夫?」
「あ……あたし一応見てきますね」
 何にしても、普通のお客さんが居なくて良かった。あたしが入り口の方に向かうのと入れ違いで、純さんが驚いた顔をしつつ店内へ進んでいく。……うん、ドアは大丈夫そう。
「そーか、君が噂の刑事君だね。しかし、通り魔が出てるとは知らなかったな。気をつけなくちゃ」
 そんな麻耶さんの呟きに、純さんは適当なところに座りつつ、反応。
「あー、ここ二週間ほどですね。人通りの多いところで白昼堂々と、って感じで。今日ので三件目です」
 純さん、仕事モード。確か被害者が皆若い男の人ばっかりで、春休みに入る前に学校でもかなり言われてた。麻耶さんだって、結構若く見えるから狙われたっておかしくないよね――。
「……って何で一般人に余計なこと喋ってんだ。って、あれ? 何でアンタ俺が刑事って――」
 あぁ、もうアンタ呼ばわりしてるよこの人。そして私と同じ疑問に至ってる。
 でも麻耶さんは特に気にする様子もなく、またニッコリ笑って右手を額に敬礼、そして一言。

「あ、申し遅れました。ナオミ君のストーカー、麻耶ミノルです」

 ……ほえ?
 周囲の空気が、一気に3℃、いや5℃ぐらい冷めたような……気がする。

 あたしが固まって動けずに居る中、純さんが直実さんの座るカウンターに近寄っていく。それからカウンターに身を乗り出して、声の大きさが全然耳打ちになってない耳打ちで直実さんに問い掛ける。
「……なぁ、サネ。お前のストーカーを名乗る野郎がお前の名前を間違えつつお前の店で優雅にケーキを食ってるが、その点に関してお前の思うところは何か無いのか」
「『お前』連呼するな。……まぁ、驚きはしたがお客様はお客様だからな」
 まぁ、確かにそうなんですが。
 ……ただ、表情とか態度とかがさっきから全然伴ってないけど? そこはツッコんじゃいけないんだろうな。
「いや、そりゃそうなんだろうが、ストーキングされてて構わんのか? 場合によっちゃストーカー規制法でしょっぴいても」
「あーあーあー刑事君! ちょっとした比喩だよ。本気にすんなって!」
 逮捕するとか言い出した純さんの台詞を遮って、慌てたように苦笑しながら麻耶さんが取り繕う。でも、比喩でストーカーって……どんな関係だ。想像つかんぞ!
 あ、でも……直実さんが吃驚してたのはそれでなのかも。
「比喩って何ですか比喩って……紛らわしいことを言わんでください」
「あはは、ごめんごめん。でもそれ以外に表現のしようもなくってさー。大丈夫、犯罪になるようなことはしてないから! ナオミ君がノイローゼになるほど無言電話掛けたりとか変な手紙置いたりとか下着ドロとかしてないから!」
 最後のは何ですか最後のは。また空気が冷めていくぞ。
 っていうか、今の言い訳の仕方って伝統的には全部「やってること」だよね。……いや、これもツッコんじゃいけないんだろうけど。
「……直実、何なんだこいつは。本気でストーカーか? ストーカーの癖にわざと名前間違えてるのか?」
「私に訊くな」
 ――麻耶さんに訊け、と。
 純さんがつかつかと、今度は麻耶さんの方に近付いていく。
「な、何だよ、正直に言ったろ。ストーカーに近いことはしてるけど犯罪になるようなことはしてないってば。大体刑事君、人の店で事件に何の関係も無い一般人に尋問するなんてよろしくないよぅ」
 困った顔で語る麻耶さん。言ってることは正論以外の何者でもない。
 でも、それと同時に、純さんの眉間に皺がひとつ、ふたつ。
「さっきのキミの行動だって場合によっちゃ営業妨害っぽいし、最近お客さん増えてるみたいなんだから気をつけてあげ――」

 眉間の皺、みっつ。

「――純、落ち着け」
 直実さんの静かな声が、多分純さんには届いていない。

 椅子が派手に倒れる音がした。
「てめえ、ストーカーの分際でゴチャゴチャと――ッ」
 声を荒げた純さんが、麻耶さんの胸倉を掴み上げていた。
「ジョン、やめなさい」
 冷静な声。……いや、ジョンて誰ですか。ドサクサに紛れて何言ってるんですか直実さん。
「そうやってすぐ感情的になるー。良くないよ、キミ刑事でしょ」
 当の麻耶さんはそんな状況でも冷静だけど……えーと、どうしよう……。直実さんのほうを見ても、彼はため息を吐いて呆れ顔。ど、どうしろってんだ。
「いくら幼馴染だってさ――……完全に通じ合うのなんて無理だよ、刑事君」
 ……?
 言っていることが良く判らない。純さんも不思議そうな顔をする。
「キミが思う以上に事態が深刻化する事だってあるんだよ。親しき仲にも礼儀ありって言うだろ? さっきのは個人的に頂けなかったんさ。それだけ判ってくれれば嬉しいんだけどな」
 麻耶さんの視線が鋭い。
「…………」
「年上の一般人の言うことは素直に聞いといた方が良いと思うけどなー。ペンは剣よりも強いんだよ? 何書かれても良いの?」
 さらに、掴み上げられた状態のまま脅しを掛ける麻耶さん。……この人只者じゃないな。それと、年上には見えない。

 ――と、その時。

「な……ッ」
 無表情で話を聞いてたはずの純さんが、突然叫んで麻耶さんから飛び退いた。……え、年上にそんな驚いたの? しかも何故か顔を真っ赤にしてる。
「……急にどしたの? ……あ、キミ、もしかして」
 麻耶さんはそんな事を言いながら、相変わらず冷静に服を整えている。うーむ、大人ですのう。
「あ、ああああ、あああ」
 うわ、純さん壊れてる。何、年上に掴みかかったのが自分のポリシーに反したとか? ……いや、そんなキャラじゃないですよね。うん。我ながら妙なことを考えてしまった。
「あー……、なるほどね。何だったら、キャーッこの人痴漢よーッとか叫んでも良かったんだけど。ま、どうせ外には聞こえないし、からかうのも楽しいから見逃してあげる」

 え……?
 もしかして、女の人……ですか……?

「お……あ……女の方……だったら……最初にそう、言ってください……」
 純さん、顔が酷いぞ、顔が。さっきの壊れようはそれでですか。
「女で悪かったね。まぁ紛らわしいカッコしてるから仕方ないけど……でもさー、ストーカーのあたりで男じゃおかしいって思わないかな? それともキミもしかして」
 モーホー? と、麻耶さんはニヤニヤ笑いながら口の動きだけで言った。
 ……う、比喩だって言うからあたしもスルーしてた。ごめんなさい。
「ち、ちがっ……! サネッ、何とか言えッ!」
「私は止めた。聞かなかったのが悪い」
 いやいや、適当に名前呼んでただけでしょうよ。しかも2回目はジョン呼ばわり。
「ぐ……と、とりあえず……失礼なことをしてしまい……本当に申し訳ありませんでした……」
 ジョンとか呼ばれてたことに関してはツッコミ無し。ってことはやっぱり聞こえてなかったんだな。
「いや、別に謝ることないけどさ。下着見られたぐらい気にするタチでも無いしー」
 な、なんだとー!?
 当の麻耶さんは苦笑しながら言ってるけど、純さんの顔がまた崩れていく……。
 あたしと直実さんが顔を見合わせて、直実さんは相変わらずの無表情で、一言。
「純、変態だったんだな。失望したよ」
 ……カッコ、棒読み。しかし直実さんも結構言うねえ……冗談か本気か判りにくいって。
 一方、棒読みで失望された純さんは慌てて弁明に――、

「し、失敬な! 偶然見えただけだ……ッ」

 失敗した。
 あー、こりゃ駄目だ。
「……見たんですね、純さん」
「見たんだな、このエロ刑事」
「ぐはぁああぁあッ!」
 はい、墓穴。
 ……でも直実さん、エロ刑事は言いすぎじゃないですかね。思わずツッコんじゃったのはあたしだけどさ。
「あっははは、楽しい人たちだね! ホント気にしないから大丈夫だよ、こっちも挑発したんだしさ」
「そ……そうですかね……すみません……」
 純さんの頭上に煙が見える気がする。重症ですね。
「何だよ、何の騒ぎだぁ? 落ち着いて寝れねぇじゃんか……」
 ん? 四人以外の――子供の声。この騒ぎでハル君が起きてきたみたい。
「お、ハルだ。ひっさしぶりぃー」
「え……げッ、何でマヤがここに」
 小猿姿のハル君はそう呟いて、慌てて直実さんの方に駆けて行く。こうして見ると、なかなか可愛い。
 どうやら麻耶さんはハル君とも面識があるらしい。
「何でって……客として来るのに理由なんか要らないだろ?」
「そ、そうなんだろうけどよ……」
「――あ、刑事君、ナオミ君に用事があって来たんだろう? こっちこそ邪魔して済まなかったね」
 おっとハル君、スルーされたぞ。反撃しなくていいのか?……とちょっと突いてみたけど、「逆に潰されるのがオチだ」とか何とか言って、また奥の部屋に戻って行った。ヴァンパイアも大変なのだな。
 純さんが本来の用事を思い出して、直実さんと何かを話し始めた。今回はさすがに無関係だし、盗み聞きするのは悪い。ということで、あたしは二人から少し離れて、麻耶さんと話せるぐらいの位置の席に座った。

 そういえばさっき、先週の件は……とか言ってたな。つまり直実さんは先週からずっと例の通り魔について調べてるってことだ。あたしは春休みに入ってから暇な日は大体ここに来てるけど、営業時間中に直実さんが外に出ることはほとんど無かった。ってことは、調べてるのは、定休日と閉店後?

 何だか――……大変そう。
 2ヶ月前の事件の時は、現場にも足を運んでたし……その間、お店に関することは出来ないわけで。

 あたしに何か、手伝えることって無いんだろうか――。
 せめて、直実さんがここを離れる時でも、店を閉めなくて済むように。
 ……あたしが紅茶さえ淹れられれば良い? でも、それってそう簡単には行かないよね……。

 じゃあ、捜査の方を手伝う?
 間違いなくあたしの方が自由に行動できるんだし、この前みたいなことぐらいなら、あたしにも出来るはず。
 後で少し、打診してみようかな――。

「ナオミ君は幸せだよね」
「え?」
 麻耶さんの呟く声。あたしに話しかけられてる?
「術に頼らなくても生きていける。自分の趣味があって、自分の世界があって、警察にも頼られてる。最高じゃん。でも本人はそんなことにも気付いてなくて、兄貴と実家のことが気掛かりで仕方ない」
 あれ、この人――術のことも知ってる、ってことはホントにただの知り合いじゃないんだ。
 ……まぁ、あたしだってただのバイト店員なのに知っちゃってるけど。
 あと、気になることを言ってたな。
「直実さんってお兄さんが居るんですね」
「知らなかった? ま、もう随分前に死んじゃったけどね」
「あ……そう、なんですか」
 それは知らなんだ。この先、本人に不躾なこと訊かなくて済んだかも知れない。

「いっそそんなもの――放り投げちゃえば良いのにね?」

 紅茶のカップ片手に、頬杖をついた麻耶さんは――少し困ったような顔をしながら、何故かあたしに、そう言った。
 どういう、意味だろう――? そんなものって、どれのこと?

「ふふ、ごめんね。キミにこんな話しても仕方ないよね」
「ご……ごめんなさい、判らなくて」
「良いんだ、きっとそのうち判る。本人に言ったってまともに聞いちゃくれないからさ――」
 独り言みたいにそう言った麻耶さんの表情は、どこか少し、哀しそうにも――見えた。
 あたしがそんなことを感じたのに気付いたのかどうか、麻耶さんは無理やり笑って――あたしにはそう見えた――、全然違う話を始めた。
「――あ、キミも気をつけなよ、通り魔。通り魔って言うからには、誰が襲われるかなんて判ったもんじゃないからね。そういえば隣も片付いてなかったなぁ」
 隣って何のことだろう。良く判らなかったけど、あたしは頷くだけにして、訊き返すことはしなかった。

「あーそうそう、お二人にも情報提供しとこう」
 突然、純さんがそう言ってあたしと麻耶さんの前に立った。
「通り魔のことですか?」
「そうそう。まだそれが犯人かどうかってのははっきりしてないですが、今まで起きた三件全てにおいて、金髪の男の目撃情報が入ってます。どうやら同一人物っぽいんで、もしかしたら一連の事件に関係してるかも知れません」
「要するに、パツキン男に気をつけろって言いたいわけね」
 ……パツキンって、久々に聞いた。麻耶さんの言い回しってところどころ不思議。
「……まぁ、平たく言えばそうです」
「忠告アリガト。金髪って、これより明るい色? 身長とかは?」
 麻耶さんが自分の前髪をつまんでそう尋ねると、直実さんとの仕事トークで完全復活したらしい純さんは、手帳をぺらぺらめくってから答えた。
「そうですね……ブロンドじゃなくて、いわゆるその、黄色!って感じの金髪だそうです。身長は一七〇センチ前後なんで、俺と同じぐらいですね。で、年齢は二十歳前後、と」
「イマドキの若者だね。つってもこの辺じゃ珍しいけど。被害者に共通点は?」
「今のところ明らかな共通点は見つかってません。まぁ全員男性ですが、この先女性が襲われないとも限りませんし」
「……男……か。変わってんね」
「まぁ、あまり聞きませんね」
 ふむ、確かに。通り魔事件の被害者って女性が多いような――イメージがある。そんな沢山知ってるわけじゃないからイメージしかないけど。
「尤もまだ犯人とは決まってませんけどね。そんな目立つ格好で何度も犯行に及ぶかな、ってのは俺もサネも同意見です」
 せめて帽子ぐらい被れと。
「目立ちたがりとも考えられるかな?」
「……それも有り得ます。まだ情報不足で何とも言えないですがね」
「ふむ、ありがとな刑事君。今は油断すると何が起きるか判らない時代だからね、たとえこんな住宅街でも」
「えぇ、全くです――」

 純さんはそれから少しして出て行った。残ったあたしたちはしばらく麻耶さんと他愛もない話をして時間を過ごした。麻耶さんは取材の約束をちゃっかり取り付けて帰っていき、あたしはいつも通り閉店時間で退勤した。
 直実さんの表情がまだ少し冴えなかったような気がしたけど、ツッコむのも悪い気がしたから、特に何も言わなかった。

   *

「――よぅ。バイトさんは帰ったか?」

「……あぁ」

 直実に確認しても尚不安なのか、純は他に誰も居ないのを確認しつつ店内に入ってきた。

 そして、静かに切り出した。

「俺はお前を疑いたくはない。疑うに値するような証拠もない。だから、課の誰もお前の名前なんか挙げちゃいない。――でも、ただ一点において、俺はお前を疑わざるを得ない」

 何の話をしているのかは、敢えて言葉にせずとも伝わっているようであった。

「令状が取れるとは思えないな」

 直実は無表情のまま、純の方を見もせずに答えた。

「あぁ、俺も無理だと思うよ。だからこうして直接話しに来てる」

「前から言ってるだろう。何か現実的な方法があると考えるべきじゃないか?」

「あぁずっとそうやって考えてきたよ。刑事課の総意だ。でも調べれば調べるほどその可能性が消えていくじゃねえか――! 何だよ、何だよ死因は心臓発作って……ナイフは後から刺しただけって……」

 純の顔が歪んだ。悲しいのか、怒っているのか。あるいはその両方か。

「気持ちは判るが、そう感情的になるな。もし私がのっぴきならない事情で誰かを殺さなければならなくなったとしても、そんな手段は絶対に取らない。判るだろう?」

「だから逆に怪しいんだろうが。お前は頭のいい奴だからな」

 冷たい声と視線。直実がため息を吐く。

「全ての死因が心臓発作なら――……犯人は術師と思ったほうが、確実だろうな」

「じゃあ、お前を容疑者に挙げてもいいってことか?」

「別に構わないぞ。私が犯人じゃないのは私自身が一番よく知ってるからな。大体、術師が犯人だからと言って私を逮捕できるとは思えないし、そんなこと言い出したらお前が変な目で見られる」

「…………まぁな」

 その事実が何を意味しているのか、純はまだ気付いていないようであった。

 直実は嫌な予感がするのを押し殺しながら、ただ黙々と、自分の仕事を続けた。

 ――純はそれからすぐ、暗い表情のまま帰っていった。


   2

 片付けを終えて家に帰ると、既に夕食の準備が出来ていた。まぁ、当たり前か。
「ほら、帰ってきた帰ってきた。お疲れさーん」
 真っ先に声を掛けてくれたのは父さん。その後キッチンから母さんの「おかえりー」と間延びした声が返ってきた。
「ただいま。お、今日はロールキャベツですかっ」
 うーむ、良い匂い。あたしが母さんに一個増量を願い出て却下されると同時に、ダイニングにもう一人の影が現れた。兄さんだ。
「あぁ、楓帰ってたのか」
「帰ってたよ。何か?」
「……や、別に?」
 そのまま兄さん着席。何故か不満げ。何なんだ一体。何か嫌なことでもあったんか。まぁ、あたしの知ったこっちゃないけどね!
「――言いたいことがあるなら素直に言った方がいいぞ? ま、修羅場になっても父さん知らないけどな」
 父さんが何故か楽しそうに兄さんに何か言ってる。
「んなこと言われて言えるか」
「えー、残念だな。せっかく久々に修羅場が見られると思ったのに」
 何の話だかよくわからんけど、この変人親父め! 人の不幸は蜜の味ってか!
 あたしは母さんからロールキャベツの皿を譲り受けて、着席。それから結局修羅場になることもなく、普通に夕食の時間は過ぎていった。どこか納得できないところはあるけど、まぁ、気にするほどのことでもないか――。

 ――そして翌日、事件が起きた。