こ は る び よ り 探 偵 日 記 ― 第一話 黒板の裏側




第四章「猿と吸血鬼」

   1

 それから数日が過ぎた。あたしは言われた通りの調査をして、その結果をまとめた紙を持って、あの店の前に立った。

 ――何て言うか、入るのに物凄く勇気が要る。

 最初にここに来た時には、こんな風な緊張なんてしなかったのに――……何か、心境とかって変わってるのかな、やっぱり。あたしはひとつ、ため息を吐いた。それからポケットに突っ込んだメモを取り出して眺めて、またため息を吐く。報告義務がある。やると言ったんだから、やった事はちゃんと報告しなきゃ。直実さんが困るだけじゃない、事件だって解決しないし、しいてはあたしたちの学校生活にだって関わるんだから。

 そしてあたしは、その店の扉を、ゆっくりと開けた。
「いらっしゃいませ――……、あぁ! こんにちは」
「こんにちは――」
 この後に続く言葉が見当たらない。うーむ、こういう場合はあれかな、『結果報告に参りましたッ!!』とか叫んでみた方がいいんだろうか――……って、そんなはずがない。そんな事したら、直実さんに変人だと思われる。変な人に変人だなんて思われたらもう、最悪だ……。
 あたしはとりあえず、前回ここに来た時と同じ席に座った。直実さんも何も言わずに紅茶を淹れ始める。それが、当たり前の事であるように――……。

 勿論それは、彼にとっては当然の行為なんだろうと思う。
 仮にもカフェの、マスターなんだし。

 ついこの前まで、あたしはこの店の存在も知らなかった。ずっとこの近くに住んでいたのに、ただ通り過ぎるだけで――……気にする事もせず。二年前って言うと、中学の頃か。うーん、普通に生活してたと思うんだけどなぁ。
 でもとにかく、ここは全く知らない、未知の世界だった。そこにあたしは今居て、何だか不思議な人とか、妙な生き物とかと話している。偶然って、やっぱり凄いと思った。
 そんな、訳の判らない事を考えているうち――、紅茶が入ったらしかった。その間ずっと無言だったあたしの座っているテーブルに、あの小猿がちょこちょこと走ってきた。
「何だよ、元気ねェな。やっぱ気乗りしねェのか?」
「……え? な、何の話よ」
「ははーん、さては図星だ!サネ、この子嫌がってるぜ。あんまり客をこき使うのも良くないぞ、大人としてさ」
 小猿が甲高い声で直実さんに向かって叫ぶ。当の直実さんは小猿……えっと、ハル君をあからさまに嫌がる顔をして、応答した。
「うるさい、小猿。その口塞ぐぞ」
「かッ、勘弁してくれよサネッ、俺そこまでの事したか!?」
「してるな。――スミマセン、こういうヤツですから。紅茶、どうぞ」
 あたしの目の前にスッとカップを差し出して、直実さんは微笑む。そういう仕草はさすがに客商売、慣れているんだろうと思う。
「――あ、ありがとうございます」
 あたしは礼だけ言って、目の前の紅茶だけを眺めた。正面とか横とかを一切見ないようにして、ひたすら立ち昇る湯気を凝視した。そこに何か目的がある訳では、無かったけど。
 直実さんはカウンターから出てきて、あたしの正面の席――カウンターからは一番近い――に座ったらしかった。それから自分の紅茶をカップに淹れて、ポットをカウンターに戻した。
「――調査は、どうだった?」
 前回よりも何となく、優しげな声に聞こえる。あたしはようやく顔を上げて、ポケットのメモを慌てて取り出す。あぁもう、こんな調子じゃ緊張してるのがバレるじゃない……。
「それだけで、いいんですか? 普段の登校経路と、時間と……」
「守衛が確認していれば、尚更いい。覚えていただろ?」
「はい――……でもどうして覚えてるって」
「いや、それならいいと思っただけだ。生徒ならともかく、先生や助手の数はそんなに言うほど多くない。毎日様子を見ていれば、同じ顔が同じ時刻に来なくて奇妙しいと思うのも当然だと思うよ」
 現実には、同じ顔は同じ時刻に来た訳だけれど――……。
 あたしが聞き込んだのは、家庭科研究室に居る三人と、守衛さんの四人。
「サネ、話聞かせてくれよ。俺まだ捜査の経過全然聞いてねェぞ?」
 ハル君があたしと直実さんの中間に座って、あっけらかんとした口調で言った。直実さんは今の言葉には怒る事もなく、ただ「あぁ」とだけ言ってメモをあたしに返した。
「それじゃ――……証言を、まとめよう」
 今日初めて見る、彼の真剣な目だった。

   *

「まずは家庭科の教員、小杉夏江、三十八歳。彼女は非常勤の講師だから、学校には毎日来る訳では無さそうだな。住んでいるのは学校の最寄駅近くか。いつもは自転車通勤で、守衛の話だと誰より先に登校すると。この日もいつも通り、七時十分頃に通ったのを目撃されているし、本人もそう認めている。被害者の登校はその直後か。小杉先生は一番に研究室に行って……調理室にも、誰にも居なかったと証言しているか」
「その後、小杉先生は研究室から出ています……戻ってきたのは事件発覚の後だったと」
「何をしに行ったのかは?」
「事務室の方に用事があったとか……事務室の方にも聞いた方が良かったですか?」
「いや、今の段階では構わないよ。――次、田宮一美、二十六歳、家庭科助手。彼女は電車だな。で、駅からは徒歩。正門を通ったのは七時三十分頃……守衛が挨拶されたのを覚えていた、と。彼女は研究室へ行ってから昼食を買い忘れていた事に気付いて、近くのコンビニへ買い出しに行った。その時はもう守衛も見ていなかったか」
「はい。さすがに全員覚えている訳じゃなさそうでした」
「そりゃそーだよ、サネ。守衛を天才だと思うなよ?」
 ハル君の言ってる事は正論なんだけど――……直実さんが小猿の耳を引っ張った。
「いででででぇッ、何しやがるッ」
「別開口」
 え? 今何て言った? あたしには――聞き取れなかった。日本語じゃなかったのかな? 代わりにハル君の声が聞こえなくなった。
 直実さんは平然と続ける。
「続いて初島小夜、二十八歳、同じく家庭科助手。彼女も電車、駅からは徒歩。門を通ったのは七時四十分頃か。研究室へ入ってからはずっとパソコンで仕事をしていて――調理室の方は見ていない」
「アリバイは全員無ェな」
 ハル君がすかさず突っ込む。直実さんが頷く。
「そうだな」
「あの……この中に、犯人が居るんですか?」
 あたしは恐々と尋ねた。だって、誰にしたってあたしの学校の人なんだよ? 内部に犯人が居るってだけでも、嬉しくなんて無い。むしろ辛いし、学校のイメージだって下がっちゃうし。
 直実さんは少し考えてから、こう言った。
「――まだ判らない。でも、その可能性はかなり高いだろうな、残念ながら」
「……そうですか」
「他の科目の教員あるいは事務員が、家庭科室を訪ねるって言う理由が見つからないんだ。しかも朝だろ。それと、殺した訳も判らない。よく知った仲だと言うならともかく、この……何だ、松井先生か。この人は五年前にこの学校に来たばっかりだ」
「積年の恨みってヤツは無ェんだな」
 ハル君はそう言うけど、直実さんは頷かない。五年でも充分、積年になる気がするから――……あたしも、頷けなかった。
「何だよー、賛同者ナシ!? 俺って孤独ー」
 おいおい、これだけで孤独になるな、小猿よ。
「で、アリバイは全員無い……」
 疑わしいのは全員、って話か。何だか残酷。
「まぁ、何処から攻めるかは後の問題だな。それで――楓さんにひとつ、第一発見者として聞きたい事がある」
「? 何ですか?」
 直実さんは少し考えるような仕草をしてから、静かな口調で、言った。
「――……被害者……松井さんは、どっちを向いて倒れていたか?」
 どっちを――……向いて。
 どう、だったっけ? あんまりよく、思い出せない――どちらかと言うと、思い出したくなかった。

 でも、協力しなきゃ。あたしが協力者になるって、あたしが自分で言ったんじゃない。
 思い出せ――……あたしは目を瞑る。

 あたしが現場を見たとき、確か――そう、あたしは倒れてるのがゴジラだって事にすぐ気付けた。
 って事はつまり、ゴジラの顔が見えたって事よね。
 身体は半分調理台に隠れていて――要はうつ伏せで、顔を横に向けて寝てる状態って事か。

 あたしはそれを説明した。
「……なるほど、ありがとう。犯人が素直かどうか、計画性の有無――……微妙な所だな」
 直実さんはいつの間に取り出したのか、シャーペンをくるくると回しながら考えている。小猿状態のハル君がそのシャーペンの動きを止めたけど、その瞬間に直実さんに押し潰された。叫び声が耳につく。
「うるさい。人の思考を邪魔するんじゃない」
「お前なッ、何でもかんでも邪魔なら排除していいモンだと思うなよッ! 俺はな、これでも偉大なるドラキュラ伯爵の血を引いた――」
「はいはい判りましたよ。だからこそ猿にしてるのに、そう騒がれちゃ意味が無い。今度は店で一切喋れないように術を掛けておこうか?」
 直実さんがハル君を睨みつける。結構怖い。あたしは傍観者としてその様子を眺めながら、笑いを堪えた。やっぱり端から見るだけだと――……人の不幸って蜜の味、なのね。
 ん? そう言えばさっき、気になる事言ってたような気がする。
「ドラキュラ伯爵……?」
 ハル君が敏感に反応して、あたしの目の前まで走ってくる。
「そうッ! 楓サンも勿論知ってるだろッ、ドラキュラ伯爵――……」
「まぁそりゃ……名前ぐらいは。血を引くって、どういう事?」
 自分の話だからかも判らないけど、ハル君の目が輝いている気がする。猿の顔で嬉しそうに笑いながら、「それはなぁ」と説明を始めようとする。
 そこへ直実さんが手を出して、小さな身体を摘み上げた。あー、小動物って無力だ。
「血を引いてる、ってだけだ。力も遠く及ばない、ただ血を糧とするだけの鬱陶しいヴァンパイアに過ぎない」
「鬱陶しいって何だよッ、俺だって頑張って生きてるんだぜ!?」
「じゃあ私の術に負けないように鍛えるんだな。毎日筋トレ三時間とか、やってみるか?」
 それって術と関係あるんだろうか。すっごく、関係無さそうに思えるんですけれど?
 でもあたしはそれを決して声に出したりはしないで、ただそのやり取りを眺めて、笑った。

 何だかやっぱり、楽しい。
 こうして傍観者で居られるからかも知れないけど――……でもやっぱりこの店、入ってみると不思議と落ち着ける。

 入るまでは、やたらと緊張するんだけどな――。

 そうか、ハル君ってヴァンパイアなんだ――……何だかホントに、お伽話の世界。
 凄いトコに入り込んじゃったな、あたしってば。
 それなのに、物凄く不思議な事なのに、何故か自然と受け入れられた。
 普通だったら半端じゃなく驚くか、あるいは冗談と受け取るかのどっちかだろうな。

 尤も――……もしここに来てなかったとしても、この二人には事件現場で出会ったんだろうけど。

 うーん、そう考えるとやっぱり運命って酷ね。

「とりあえず、細かい証拠物品は警察を頼ろう……純が何とかしてくれるだろう。さて、考えないとな――……外向き、か」
 直実さんは自分の世界に入りそうな感じ。
 ハル君はハル君でため息を吐いて、あたしの方に寄って来た。
「……ったく、俺を何だと思ってるんだか……」
「そういえば、いつから一緒に居るの?ハル君たち」
 あたしが訊くと、ハル君は自分と直実さんを交互に指差した。あたしは頷く。
 そしたらまたハル君、ため息。
「サネが子供の頃からだぜ。まぁ俺も……子供っていうか、赤ん坊だったけどな。二十五年間でニンゲンの十歳程度成長したんだから……ヴァンパイアとしちゃ速い方だ」
「え……何、どこで会ったの? 街角でバッタリ、って訳じゃないでしょ? 直実さんだって子供だったんだし、」
「あいつの家ン中さ。俺が偶々入り込んだところで―――ちょっとした、事故があってさ」
「ハル、その辺にしておけ。赤の他人に無駄な話をする必要は無い」
 直実さん復活。
 何だかちょっと、怖い感じがする。
 これまでも何度か感じた事はあるけど――……やっぱりこういう顔を見ると、この店の雰囲気が一気に変わる。主人のイメージの問題なのかな、店の雰囲気って。不思議。
 ハル君が身体全体を使って反論した。
「何だよ、楓さんは俺らに興味持ってくれたんだぜ!? ちょっとぐらい言ってもいいじゃねぇかよッ」
「お前は『ちょっと』の程度を判ってない。どの辺りまで話していいのかを理解してないな。だからまだ子供扱いされるんだ。ハル、今年でいくつになる?」
「お前と同じだよ、悪かったなチビで!」
 会話が錯綜してる…………この中にあたしが居てもいいのか、正直よく判らなかった。
 あたしはまだ残っていた紅茶を飲みながら、二人のやり取りを眺めた。一見、一方的に直実さんが色々言ってるように見えるけど――ハル君もそれを全部跳ね返して、ちゃんと会話が成り立っている。それが凄い。さすがに二十五年も一緒に居ればそうもなるか、やっぱり。

 そんな事を考えていたら、会話があたしに関わる方向に逸れていた。
「大体サネ、ケーキの一つくらい出しゃーいいのによ。茶だけ飲ませてハイサヨウナラ、か? 協力してもらうんならそれなりの誠意を持って接しないとな!」
「……ハルの言ってる事は的を射てたり射てなかったりするから嫌だよ……」
 そう言いながらも直実さんは立ち上がって、店の奥の方へ向かった。

「ったく、不器用なんだよ」
 不意にハル君が真面目な顔で、呟く。
 それ以上は、何も言おうとしなかった。

 誰に向けられた言葉なのか。

 誰の事を言っているのか。

 それすらも、彼は話そうとはしなかった。
 多分、ただ独り言を呟いただけで――……あたしの事は、考えてなかったんだと思うけど。

 ハル君はそのまま机の上で寝転がって目を閉じると――……すぐに寝息を立て始めてしまった。あたしは彼を起こさないように、なるべく音を立てないように努力した。

 店の中が、静かだった。
 人が居ないんだから当たり前だけど――、静かで、穏やかで、ゆったりとした空気。
 家とか学校じゃ考えられないような、雰囲気。

 こういうの、人間って求めてるのかなぁ。
 にぎやかなのはそれはそれでいい。でもやっぱりほら、『癒し』って流行ってるじゃない、随分前から。そういうのもきっと、必要なんだろうね。
 少なくともあたしは、今のこの状況が、気に入った。

 そんな事を考えている内に、奥から直実さんがお盆を持って戻ってきた。
「何がいいのか判らなかったので――……とりあえず、先日と同じモノで。――代金は要りませんからね」
 そう言って、直実さんがあたしの前にチーズケーキを置いてくれた。
「え、あ、ありがとうございます! スミマセン、ケーキまで奢ってもらうつもり無かったんですけど」
「いえ――……こいつの助言ですから」
 苦笑しながら、直実さんは寝ているハル君の耳をつついたりして遊んでいた。当のハル君は睡眠中ながらもその辺りの事には気付いているようで、何とも言えない、辛そうな表情をしている。そんなところが何だか面白くて、あたしはつい、声を出して笑っちゃった。そしたら直実さんも気付いてくれて、一緒に笑ってくれた。
 ハル君はそれにもすぐ慣れて、またすぐ気持ち良さそうに寝入ってしまった。結局、二人で笑ったのは数秒だった。面白い事があったから笑う、ごく当たり前の事なのに――それが何故か、嬉しかった。
 何だろう、こういうの――……あたしにはまだ何も、判断できない。
「――とりあえず……明後日、だったかな。土曜日。ここに純……この前の刑事が来る予定なんだ。だからもし都合が良ければ、その時にも来て貰えるか?」
「えっと、明後日の……いつですか? 時間が」
「あぁ、そうか――午後、午後なら大丈夫だろう? 土曜の午後まで授業があるなんて学校は生まれてこの方聞いたことが無い」
「あー、そうですね。午後……それじゃ、食事してからすぐ来ます。それでいいですよね?」
 あたしはそう言いながら、チーズケーキを口に運んだ。
 やっぱり美味しい。えっと、全部直実さんが作ってるんだよね? そうか、和服着てるけどいわゆるパティシエなんだよね。そう考えるとやっぱり変かも、この人。
 当の直実さんはあたしがそんな事を考えているのに気付いているのか居ないのか、微笑みとも苦笑ともつかない、微妙な顔で笑って答えてくれた。
「そうですね。それでお願いします。警察を交えればもっと話が進めやすくなりますから」
「はい――」
 頷きながら、ふと思う事があった。
 チーズケーキ、最後の一口。
 これを飲み込んだら、言おう。言わないと、いけない気がする。

 ケーキを飲み込んで――……最後の紅茶を、飲む。

「あの――……犯人、絶対見つけて下さい。
 あたし、ゴジラの……ま、松井先生の事、そんなに好きだったって訳じゃないけど、でも殺すなんて――……酷すぎると思うから。前にもウチの学校の先生で事件に巻き込まれて死んじゃった先生が居て、その人の事件はまだ解決してないんです。あたし、それ聞いて――……警察の事、疑い始めたんです。あんな人たち、信用出来ないんだなって」
「そういう事もあるんですよ。信じられなくなっても仕方の無い事――……その事件は多分、まだまだ解決しないでしょうね」
「……ご存知なんですか?」
「何となくあの事件だろうと、想像はついています。――貴女はその先生が好きだったんですね」
「……え?ど、どうしてですか?」
 それから直実さんはニッコリと微笑んで、答える。



「随分哀しそうに話すから――……そう思ったんです」



 穏やかな口調。あたしに同情しているのか、否か。

 全然嫌らしくなんて無くて、ただ――……右の瞳が、薄っすらと碧く色づいたような気がした。

 それが何だったのかは、よく判らない。やっぱりただ単に光の加減、かも知れない。


 とにかくあたしは店を出て、帰路についた。
 歩いている内にあの先生の事を思い出して、少し辛くなった。

 ただ、それだけ。
 あたしはまだ、諦めてはいないの。


   2

 翌々日、土曜日。午前授業を何事もなく終えて、あたしは家に戻ってきた。そういえば、家庭科の担当は別の先生に代わった。この前調査した、小杉って人。まぁ授業は気楽だけど、まだまだどういう人なのかは判らない。これから、ってところかな。
 ん。そういえば直実さん、あの人たちの中に犯人がいる可能性が高いって言ってたよな――……もしあの先生が犯人だったら、ウチの学校どうなるんだろう。急遽講師募集でもするのかな?あともう少しで今年も終わりだって言うのに……大変そう……って、そんな不吉な事考えちゃいけないよ、楓。
 昼食――ラーメンだった――を軽く食べて、私服に着替えて、財布の入った鞄を持つと、あたしは兄さんに挨拶もしないで家を出た。さすがに三回目だから、今度は自腹でお茶飲もう。

 いつもの店の前で、立ち止まる。そして見上げる。そういえば、あたしがこの店に居る間に、他のお客さんが入ってるのを見た事が無い。そういうのを突っ込むのは嫌だけど――……でも、やっぱり入りにくいんだろうな。主人はちょっと変だけどケーキも紅茶も美味しいし、入って損は無いかな、ってところだけど。やっぱり場所かな。駅から少し遠いし。
 あたしはドアを開けた。

そこでは直実さんと純さんの、物凄い死闘が繰り広げられていた。
「だからないいかサネ。研究室にずっといたって言うこいつが犯人に決まってるんだよ。動機だってそもそも全員にあるんだ」
「動機だけで犯人が決められるんなら苦労しないさ」
「だーからさ、他の二人は外に出掛けてるんだぜ? 絶好のチャンスじゃないかよ! 一人で黙って研究室に居る方がおかし……あれ? この前の第一発見者さん」
「こ……こんにちは」
 開けていきなりこの惨状を見せられて、挨拶なんて出来るはずがなかった。
 あたしは苦笑しながら、端から二人の会話を眺められそうな席に座った。
「純、チャンスがあったってだけで人が殺せるんなら、今頃世の中は殺人犯だらけだよ。もっと複合的な原因が無いと、そこまでは踏み切れないさ――特にこの場合は女性だ」
「男女は関係ないっつーの! いいか、この事件はな、被害者も加害者も女で、心臓一突きにして即死させられるほどの体力は無くて、結果何度も何度も刺して抜いてを繰り返してるんだよ、惨い事にな。関係者に男は居ないし、犯人が女なのは確定事項で」
「第一発見者の前でそういう事を平然と言うな、純。……刺して、抜いてるのか」
「あぁ、抜いてる。当然返り血は浴びてるな。現場も血の海だったし……そうでしたよね」
 え、あたし? いきなり訊かれて戸惑いながら、あたしは必死に頷いた。
 確かにそうだった。だからこそあたしは気を失ったんであって――……ただ倒れてるだけだったら、別に何てことは無い、普通に救急車を呼んだだろうと思う。
「浴びた服をどうしたか、だな」
「あぁ。ゴミ捨て場に棄てたんじゃねェかとは言われてるぞ。あの辺りはゴミ収集が八時で早いからな、既に証拠は隠滅されてるってトコだな」
「…………どうしてそれを言わなかったんだ」
 直実さん、明らかに嫌悪感が表れてるんですけど。でも純さんはそんなこと全然気にせずに話を続ける。やっぱりこの2人、さすがは幼なじみ。
「嘘だよ。収拾業者の方が、血のついた服があったつって警察に通報してたさ。証拠品は今、署の中で眠ってるぜ」
「眠らすな。ちゃんと使わせてくれよ?」
「判ってます判ってます、名探偵直実サマ。頼みの綱なんだからさ」
「お前で解決出来るんなら、私は店に集中できて良いんだよ。事件を持ってくるなら、それなりの報酬を貰うって前から言ってるだろ?」
「あぁ、だからちゃんと払ってるじゃねーか。それでご不満なのか?」
「不満って訳じゃなくて……外部に金を出してるってことを警察はもっと自覚して、ちゃんと自分達でも努力しろよ」
「うーん、生憎と早期解決の方が重要視されてるんですよねぇ。費用を掛けてでも早く解決するんだったらその方が良いって皆思うぜ? なぁ?」
 あたしにまで同意を求められる。いや、うーん、どうなんだろう。市民の税金が……と思うとここは直実さんに味方しておくべきなのかとも思うけど、事件の解決も重要だよね――。悩む。
 直実さんがため息を吐いた。
「前々から純がどういうヤツか判ってたけどな――」
純さんがニヤリと笑った。
「あぁ、お前がどういうヤツかも判ってるよ。伊達に二十年も付き合ってないさ。桧村家の御曹司が、何をまぁ大都市東京で寂しい茶店開いてんだかってのが不思議だよ」
 御曹司? 御曹司って言った?
「実家が何だろうと関係ない話だ。勘当されてるも同然だしな」
「おぉ、可哀相な直実君。でもお前が本当に離れたら、実家は困る訳なんだろ?」
 話が判らなくなってきた。
 あたし、退席した方がいいのかな――……。
「困るから、今度の話だってあるんだ――……こんな家に兄弟二人プラスハル、三人で生活なんて出来る訳が無い」
「出来ないんなら何で受けたんだよ」
「……仕方ないからな」
 直実さんが小さな声で呟いて、話しながらも淹れていたらしい紅茶をあたしに差し出してくれた。
「あっ……スミマセン、あたし」
「いいんです。来て頂いたのに構いもせずにこんな話をしていた方が悪いんですから」
 申し訳なさそうに微笑む。笑っていれば、全然怖くなんて無いんだけどな――……。
「いい加減に――……何とかしないと。こんな事件を長引かせる訳には行かないでしょう。――話を、進めましょう」
「やっと本気になりやがったな」
 純さんが嘲笑する。直実さんもそれに応じて、少しだけ、笑った。
 あたしには、意味が判らなかった。
 旧い友達って――……それだけで、不思議なモノ、なのかも知れない。