こ は る び よ り 探 偵 日 記 ― 第四話 暗闇アナロジィ




第六章「黒い仮面」

   1

 兄さんと玄と一緒に家に帰ると、母さんが夕食の準備をして待っていてくれた。父さんはまだ帰っていない。……地下室に閉じ込められてた話はするべきなのか、よく判らない。十年前のことがあるから、あんまりあたしの口から話したいことでもない。だから、ちょっと寄り道してたら色々あって、ってことにして流しておいた。もうすぐ大学生なんだし、これから気を付ければいいことよね。
 とりあえずクリスを呼んで五人で夕食を食べながら、今度は玄次郎から話を聞くことになった。
 直実さんは「関連はある」って言ってたけど、どういうことだろう。交番に居たって言ってたっけ?
「記念館に居た怪しげな男を問い詰めたら逃げ出した。追いかけて色々やって、荷物を開けさせたら中身は全て貴金属と現金だった」
 記念館? 玄たちも記念館に居たの?
 あ、だから関連があるって――?
「その時点でそいつは観念したらしく、さらに問い詰めたら自ら空き巣の常習犯だと言った。だから交番へ連れて行った。……なかなか解放してもらえなくて、遅くなってしまって済まなかった。警官は家に連絡をしていないなどということは思いもよらなかったらしい」
 よれよ!
「じゃあ、玄が空き巣捕まえたってこと?」
 尋ねると、玄はさくっと無表情のまま頷いた。本当感情読めないな、この子。
 ――でも、関連性って何だろう。
 浅生さんの待ち合わせ相手の人がその空き巣の犯人、とか?
 それが一番しっくり来る話、なのかな。あんまり考えたくはない、けど。盗んだ物はあの倉庫にこっそり貯めてたとか。でも、そうするとわざわざ待ち合わせの日にそれを取りに行ったってことになる。どうして? 浅生さんがあの倉庫に行くかも知れないから、それが不安だった? ――それで鉢合わせちゃったんじゃ、本末転倒じゃない!

「ゲンは勢いで行動しすぎると思うわ。今回はいいけど、もっと怖い人だったらどうするの?」
 様子を窺っていたクリスが、ここで初めて口を開いた。というか、苦言を呈した。
 しかし玄も負けては居ない。
「正しいと思ったことをしたまでだ。関係ない」
 ……おいおい、本当に悪魔かこいつは。
「でも、今日はマコトも一緒だったんでしょう? 人間は私たちとは違うのよ。まして、あの子はマスターや直実さんとも違うわ」
「彼に危害が及ばないようにすればいい話だ」
「あら、いつもそう上手く行くかしら?」
 あ……あぁ、喧嘩が始まった。マスターたる兄貴は呆れ顔で、でも口を出そうとはしない。……いつものことなのかも知れない。そのうち収まるんだろう。

 いつも上手く行くわけじゃない。――そう。当たり前だ。
 十年前のあの日は――イギーが助けてくれて。とても頼れる人に見えた彼でさえ、倒れるときは倒れたんだ。一気に四人も殺すなんて、並大抵の人に出来ることじゃないって聞いた。もしそんな人に出くわしたら、いくら玄だって完全に対応することは出来ないかも知れない。どんな敵が来たって大丈夫だなんて保証は、無い。

 ……あれ、何だろう、この漠然とした不安感。
 何に対する不安?
 目に見えない敵?

 もしかしたら近いうちに訪れるかも知れない死への恐怖?
 あるいはそれは自分のことではなくて、別の誰かの【、、、、、】――?

 ……やめやめ、怖いことは考えたくない。ただでさえ今日は怖い思いしたんだから、ご飯食べて、はやくお風呂入ってはやく寝よう。明日からもう授業なんだから、ね!

   2

 客人たちは帰って行った。真珠を二階に上げて着替えさせておく間に、私は店内を少し片付けてから夕食にしよう、と何となく考える。
 厨房からドアを開けて店内に戻ると、見覚えのある黄緑色の生物が、カウンターにちょこんと乗っていた。
「……みっちゃん?」
「ミッチャンダヨ! ナオザネ、コンバンハ!」
 麻耶ミノルのペットであり相棒、コザクラインコのみっちゃん。セキセイインコよりは少し大きい。いつも彼女の肩に乗っている。記憶が正しければあまり喋る種類ではないと思ったが、やたらとよく喋る相棒である。
「……こんばんは。勝手に飛び回って怒られない?」
「怒ラレナイヨ。ミッチャン、イイ子ダカラ!」
 会話が成立してしまう。通常、オウムの類の『会話』は人の真似をしているだけで、本当に理解しているわけではないはずなのだが。尤も、非科学的なことが当たり前に起きてしまうこの世界で、その代表たる自分がそんなことを気にしていてはいけないのかも知れない。
「――で、何しに来た?」
 わざわざみっちゃんが来たということは、何か用事があるに違いないのだ。何の用もなく、たった一羽でこんなところに遊びに来るわけがない。それも、こんなに暗くなってから。
 案の定、みっちゃんは明るい声で言った。
「ミノルカラ、伝言」
「何て?」
「『兄貴ノ事件。本当ニ事故ダト思ッテル?』」
 唐突すぎて、一瞬何の話か判らなかった。
 兄貴の事件と言うのは、十一年前の兄たちの事故のことを言っているのだろうか。――あれが事故でなければ何だと言うのだ。殺人だと言うのなら、容疑者の筆頭は唯一の目撃者である私になる。

 ――実際、そうだった。
 術がどうこうと言う訳にも行かず、曖昧に誤魔化した証言をせざるを得ない部分が多かったせいもある。見ていたのに水を使った形跡が無い、動機も色々考えられる、中学生ともなれば狡猾なトリックぐらい思いつくかも知れない以下省略。散々に言われたが証拠は何もなく、結局は事故で片付いた。
 もっともそれは警察の中では片付いたというだけに過ぎない。まだ私のことを多少なりとも疑っている人間は居る。父などは判りやすい例だし、茨木純は仲良くしているようでもやはり疑っている――と言うより、人を殺しても奇妙しくない人間として見ているだろう。
 しかし、麻耶はどうだ。味方だということを強調しては来なかったか。ここで脅しを掛けてくると言うのも妙な話だ。

 あるいはこれは、脅しではないと言うのか――?

「……どういう意味だ?」
「知ラナイヨ。ミノルニ聞イテ!」
 何の質問も許さないとは、役立たずなメッセンジャーだ。いや、伝言の役目は果たしたのだから、それ以上のことを鳥に期待しすぎる方が間違っているか。
 ――違う。
 それはこれが本当に普通のインコならば【、、、、、、、、、】、の話だ。

 私がみっちゃんを睨み付けるような形で膠着状態が続くこと、数秒。
 突然、みっちゃんが口を開いた。
「本当ニ、思イ出セナイノカ?」
「……え?」
 今、この鳥は何と言っただろうか。
「ジャ、マタネ! ナオザネ、バイバイ!」
 聡明なインコはそれ以上の会話から逃げるようにして、開いていた窓から飛び去っていった。
 誰も居ない店内に、再び静けさが戻ってくる。

 ――本当に、思い出せないのか?

 何をだ。何の話だ。ならばみっちゃんは、その何かを知っているのか? 私が何か重要なことを忘れていると、そう言いたくてここまで来たのか? それを知っているのは麻耶なのか、あるいはみっちゃん本人なのか。
 ……頭が痛い。昔のことはあまり考えたくない。
 だが、彼らはそれをしろ、思い出せと言っている。何故だろう? それが彼らの得になるのか? そもそも麻耶はどうしてこう、私たちに執着するのだろう。私に一体何を期待して――否、何も期待はしていないと言っていたか。

 期待していないなら、目的は何だ。

 期待は【、、、】していないけれど、出来れば何かをして欲しいと願っている?

 そしてそれは、十一年前の事故と関係することなのか?
 ……判らない。
 きっと、今はまだ時期ではないのだ。
 そう、思うよりない。

   *

 夕食を終え、風呂に入って、そろそろ寝ようかという時刻になる。だいぶイレギュラーな一日だったので、どこか落ち着かない。仕方ないので、純が「偶には飲め」と箱ごと置いていったビールを一缶消費することにする。まさか私のために買ってきた訳ではないだろうから、何かで貰ったものだろう。しかし、この家には酒が飲める歳の人間は一人しか居ない上にほとんど飲まないのだから、この箱が空になるのにはまだまだ時間が掛かりそうだ。――……ああ、そんなことはどうでもいい。
 自室に戻って缶を開ける。飲めないわけではないが、別段好きではない。飲んだからと言って別人になるということもない。大学時代はその所為で散々飲まされたような気がするが、だから何だというわけでもない。
 ベッドに腰掛けて一人で飲んでいると、不意に部屋のドアがノックされた。真珠だろうか。返事をすると、遠慮がちにドアが開かれる。――やはり真珠だった。
「どうした?」
「あ――えっと、今日は、すみませんでした」
「さっき聞いたよ」
「でも僕、初日からこんなんじゃ、直実さんに迷惑掛けちゃうんじゃないかと思って」
 今後、と言うことだろうか。心配性だ。
 いつも通りの対応でいいのかどうか、少し迷う。今回のことに関しては別にそこまで悪いことをしたわけではないから、強く叱る気は全く無いが――お互いにいつまでもすれ違っていると言うのも、つらい。
 ならばいっそ酔った勢いということでもいいから、今のうちに少し、強く出ておくべきか――。
「それが迷惑だって言うなら、こっちに来たこと自体が迷惑だよ」
「!」
 真珠は身体を震わせて驚いた顔をする。当たり前だ。普通なら言ってはいけないことを言っている。
「父さんだって大概だ、私の生活がカツカツなことぐらい判ってるんだろうに、そこに敢えて任せようって言うんだからどうかしてる」
「そ、それは僕が言い出して」
「でもあの人はそれを認めたんだろう?」
「あ」
 父は私と実家との繋がりが云々かんぬん言っていたが、やはり真珠が言い出したことだったらしい。真珠も真珠なりに私との関係のことを考えていたようだ。
「――そして僕【、】もそれを受け入れた。その時点で僕はただの兄弟から親代わりになった。真珠にちゃんと食べさせて、ちゃんと生活させる責任を負ったわけだ。だから、それは迷惑とは言わない」
「え……?」
「子供なんてものは親にある程度『迷惑』を掛けるものだと思うよ。でも親だからある程度は妥協できる……んだと思う、多分ね。僕なんか今も昔も迷惑掛けっ放しだ」
「直実さんが?」
 意外そうな顔をする。どうしてだろう、迷惑を掛けているところしか見ていないと思うのだが。
 ――私はそもそもが自由な次男坊だ。何かをやらなければならないということもなかったし、何かを目指せと言われたこともない。精々が高校時代に言われた「大学ぐらい卒業しておけ」ぐらいだ。あの人は一応大学教授という身分だから、そのプライドもあってのことなのだろう。しかし、その後の進路に関しては一切何も言わなかった。父と同じ道に進もうとしていた兄が既に亡くなっているにも関わらず、だ。父にはそれだけ嫌われていたと言うことなのだろうが――その所為で、金銭的にも精神的にも色々と迷惑を掛けてきたはずだ。尤も、気を遣ってくれた義母はともかく、守るべき息子を勝手に疑って警察に突き出した父に謝る気にはなれないが。
「僕が半分追い出されてここに居るって知ってるだろう?」
 そう言っても、真珠は気まずそうな顔をして返事をしない。先日は普通に話していたと思ったのだが。
「真珠は追い出されたわけじゃない。だから、真珠のやることが僕にとって迷惑かどうかなんて考えなくていい。僕にはそれを迷惑だと思う権利自体が無い」
「権利……」
 まだ、ピンと来ないらしい。
 もしかすると、そもそも論点が違うのか。
「――僕に嫌われたくない?」
「えっ」
 真珠が大袈裟に驚いて一歩引いた。
 ――ビンゴらしい。
 そのあまりの子供らしさに、思わず笑ってしまった。
「わ、笑わないでください……」
「子供なんだから、元気なのはいいことだと思うよ? 中学の頃を思えば僕だって人のこと言えない」
 自由奔放に生きていた。ハルがあんな性格になったのは、私と一緒に育ったからだ。
「でも」
「僕が嫌いなのは、不当な理由で貶されることと見下されること。まだ敬語で話してる真珠がそんなことするとは思えない。だから、大丈夫」
「……大丈、夫」
「うん」
 ここでようやく、真珠はパッと表情を明るくして頷いてくれた。――良かった。顔は笑ったまま、内心で安堵の溜息を吐く。兄弟でこうなのだから、子育てというのはもっと大変なんだろう。私を見捨てないでくれた義母には感謝しなければ――などと考えていると、真珠が何か思い出したような顔をして、全く別の話を始めた。
「警察の人が、直実さんは『蒼杜署の誇る名探偵だ』って言ってたんですけど、純さんが勝手に捜査情報漏らしてるんじゃなかったんですか?」
 ――知られている。完全に知られている。
 否、同居しておいて知られずに居る方が無理な話か。しかし、警察が民間人の捜査への関与をホイホイと話していいものか。いくら身内とは言え、他の人が聞いていないとも限らないのに。
「あ、僕が名乗ったらもしかして身内かって、話してくれたんです。訊いたらもう何件も解決してて、何で警察に就職しなかったんだろうなんて言ってて」
 そんな事を言いながら、真珠は何故か嬉しそうに笑う。事実身内なのだから当然、か。
 ――何とも複雑な心境だった。
 警察の手伝いをしているのは、単なるアルバイトというわけではない。もちろんそういう側面がないわけではないが、刑事課に配属になった純が私を引っ張り込んだのは、例の疑惑とあの事件(、、、、)での約束があったからで――決して、好意的なものではない。だからこれは、仕事というよりは義務だ。義務をこなしている限りは見逃しておいてやるという――彼にとっては――あの時と同じ、取引に過ぎない。
 人殺しをした人間が、殺人犯やら何やらを見つける捜査に関わり続けることなど苦痛以外にならないだろうという判断からの提案だった。
 だからもし私が嫌だと言えば、その時点で私は彼に疑われるのを許す事になる。私が事故死に見せかけて兄たちを殺したのではないかという疑惑を、表に出すことを認めることになる。

 しかし――私は本当に殺していないのか?
 正直なところ――記憶が混濁していて、その時のことははっきりとは思い出せない。断片的な情報は出てこないではないが、それらは飽くまで欠片に過ぎず、どう繋げていいのかがよく判らない。だからみっちゃんが言っていたことは、確かに的を射ているのだ。私は本当に何も思い出せない(、、、、、、)

 既に終わった事件のこと。もう覆ることはないと判っている。私がその場に居ながらにして助けられなかったのだから、私が殺したも同然なのだ。
 ――そうか。
 私は彼らを殺したのか(、、、、、、、、、、)
 そう思っておいた方が、むしろ精神衛生上は好ましいのかも知れない。もしかしたら、本当に私が犯人なのかも知れないから。

 あの時以来、未だに私は独りだ。誰一人として、私の全てを知っている者は居ない。
 ――ハルにだって話していないことは、ある。

「……直実さん?」
 真珠の声にハッとする。
 あまりこういう話はしない方がいいだろう――。
「あ、あぁ……ごめん。その人は馬鹿だな、試験受けてもいないんだから私は刑事になんかなりたくないんだよ。これは純が言い出したことで……一応こっそりやってることだから、人には言うなよ」
「は……はい。判りましたっ」
 警官を真似したのか、真珠は左手で中途半端な敬礼をして言った。
 ――とても嬉しそうに笑ってくれるのが、少し心苦しい。
「敬礼は右手な」
「は、はいっ」
 もし本当に私が犯人だったらどうしようか。自分のしてしまったことの重大さから自己防衛で忘れていただけで、本当は自分が手を下していたのだとしたら――……そのことを、真珠にどう伝えればいいというのか。
 そんなことは無いと思っている。私はただ縁側で寝ていただけだ。
 だが、自分のことが信じられない。
 自分が信じられないなんて、そんな恐ろしいことはないじゃないか。
 麻耶たちはそんなことを示唆しに来たのか? 片付いた事件を蒸し返して、真犯人に真相を思い出させようとしていると? これまでの態度からして、そんなことをするような人間には見えない。

 なら一体、みっちゃんは何を伝えに来たと言うのだろう。
 脳裏をよぎった禍々しい想像を掻き消すため、私は缶の中に残っていたビールを飲み干した。それは何故だかとても、苦く感じられた。

   3

 その週末、土曜の午後。あたしはいつも通り、バイトで小春茶屋に来ている。せっかくの機会だから、お客さんの居ない間に、残っていた疑問を直実さんにぶつけてみた。
「うん。残念ながら、浅生さんの待ち合わせ相手の使用人さんが、玄次郎君たちの捕まえた空き巣だった」
 紅茶のカップ片手に、直実さんはそうあっさりと頷いた。
 じゃあ、浅生さんが倉庫に来るかも知れないから片付けようとしたら鉢合わせたっていう例の想像でいいんだろうか。訊いてみると、直実さんは苦笑して「お互い災難だったんだ」と言った。
「どういう意味ですか?」
「浅生さんが早く来すぎたんだよ」
 そんなこと、浅生さんが直実さんに言ってた覚えはない。あたしが疑問符を顔に浮かべていたのを察してか、彼はその推測の根拠を説明してくれた。
「楓さんが『帰り道で』浅生さんにたまたま会って、麻耶さんが目撃した地点から記念館に遊びに行き、地下室の探検をし始めたとすると……閉じ込められたのは精々一時頃。六時前の段階で、浅生さんは『遅刻三時間半』と言ってたから、待ち合わせ時刻は二時半頃。一時間以上も早く来るとは思ってなかったんじゃないかな」
「あ」
 そういえば、早く来すぎて暇だから、って言ってあたしを誘ったんだ。
「空き巣の常習犯と言っても留守宅にしか入らなかったみたいだから、人に出くわすのには慣れてなかったんだろうな」
「ははぁ」
 それで対応を間違えて、浅生さん側も閉じ込められる災難に遭った、と言うことですか。
 原因は浅生さんで、ひと騒動起こっちゃったわけだけど、結果的にはこれで良かったのかな――。その二人は連絡取れなかったみたいだし、何だかちょっと寂しい。
「でもよー」ハル君の高い声。カウンターで寝転がりながら話している。「俺がちょっと茶化したからってよー、意識失くすまで殴って出てくことないんじゃねえの? マヤが見つけてくれたから良かったけどさ、死んだらどうしてくれんだよ! ちょっとは相方に優しくするとかいう考え沸かねえのかよ」
「お前はあれぐらいで死ぬ奴じゃないだろ」
「し、死ぬ死なないじゃなくてよッ、つまりその、暴力反対! 世界平和!」
「吸血鬼の言うことか」
 ひぎゃっ、という叫び声が店内に響き渡った。あぁ、ここでもまたいつものが始まった。
 ――ここでも?

 何かを思い出す。
 背筋の凍る感覚。
 目の前に広がる風景が、画面の中の世界のように思えて――、

『敵は、自分の中にも居たんですね――』

 誰かの声。何、幻聴? 確かに知ってる声なのに、それが誰の声なのか思い出せない。言っている意味も、よく判らない。敵って何のことだろう。

『心配しないでください、私なら大丈夫です』

 そうだ、この声は――、

「楓さん? 大丈夫ですか?」
「えっ? な、何ですか?」
「いや、別に何ってわけじゃないけど……急に何か恐ろしいもの見たような顔して固まったから」
「あ――」
 不思議そうにこちらを見る直実さんに、あの人を重ね見る。
 別に、顔が似てるとか声が似てるとかじゃない。美佐は雰囲気が似てるって言ってたけど、こうして見てる限りは雰囲気だってそこまでは似てない。――でも、何かが、重なる。
 これは余計な心配なのかも知れない。あたしなんかが心配しても、直実さんにしてみれば何のことはないのかも知れない。でも、だからこそその油断が、致命的なものにならないかと心配で。
「あ、あの」
「はい」
「何かちょっと、嫌な予感がしたんです。それだけなんです、だからその、父さんみたいな予言とか忠告とか言うほどのことじゃないんですけど」
「それは、その……私に関して?」
「――はい。何があるとかって言うんじゃなくて……その、気をつけて下さいねって、言いたくて」
 どう言っていいのか判らなくて、思いついたまま一気にぶちまけてしまった。
 直実さんは妙に深刻そうな顔をしてうつむいている。あまり本気にされても困るのはあたしだから、もうちょっとフォローした方がいい、かな――。
「えっとあの、そんな深刻な」
「――この前、言い忘れてたけど」
「え?」
「私は確かに命を狙われてるよ。――夜桜家にね。緋十美さんは一思いに殺してくれるほど親切な方ではないようだから、この先も絡んで来るつもりだろう」
 な、何ですかそんないきなり。それじゃこんな、のんびりしてる場合じゃないじゃないですか。
「予言の名士の娘さんにご忠告賜ったんだから、もっと警戒しないと駄目かな――。なぁ、ハル」
「俺が知るかよ! 自分の身の守り方ぐらい自分で考えろッ」
「あ、あの、ホントにそこまでじゃ」
 大体あたしは予知したわけじゃなくて、あの人と重ねてそんなことを思っただけなんだし。……とか何とか言っても仕方ない、か。現に命を狙われてるんだったら、方法なんかどうでもいいことで、気を付けろなんて言葉は全て深刻に見えてしまっても仕方ない。
 直実さんはゆっくりと首を左右に振った。
「私自身、どうしていいのか判らないんです。恨まれてもおかしくないのに、ただ逃げるだけじゃ彼女を余計に傷付けるんじゃないかと思うんです。だから、いっそ相討ちでもとこの前」
「そんな――」
 恨まれてもおかしくないって言うのがどういうことなのかは、訊かないでおくことにした。
「五十年後の約束ですけどね」
 そう言って直実さんは笑った。釣られて、あたしも笑った。
 なんだ、そんなに先のことか。それじゃ、こっちも相手も忘れてる可能性のほうが高い。十年ならともかく、五十年じゃほとんど意味を為さない約束だ。冗談に近いかも知れない。

 それからもう、その話はしなかった。
 まだどこか落ち着かなくて不安が残っていたけれど、せっかく明るい雰囲気に戻ったんだから、それをわざわざ壊すのは嫌だった。