こ は る び よ り 探 偵 日 記 ― 第三話 虹色メビウス



第六章「メビウスの輪」

   1

 麻耶さんは最初こそ張り切って浅生さんに質問を浴びせかけていたけれど、のらりくらりとかわされてまともにインタビューにならなかったので、結局暇になって四人でジジ抜きを始めることになった。……その発想の突飛さについてはツッコミ禁止。ちなみに、トランプは真珠君が部屋から持ってきてくれました。
「あ、おかえりー」
 どうにも感情の読み取りにくい浅生さんの二連勝で迎えた第三試合の途中、麻耶さんが明るい声でそう言った。なるほど、直実さんと純さんがお帰りになったようです。
「どうでしたか?」「解決したかい?」
 浅生さんと麻耶さんが同時に訊く。
「認めましたけど、解決はしてません」
 直実さんの表情は暗い。犯人が判ってるのに解決してないって、どういうことだろう――。
「……そう。君でも無理だったのか」
 麻耶さんは神妙な面持ちでそう言って、ジジ抜きの手札をまとめて山に戻した。……あれ、ゲーム放棄? 麻耶さんの手札にジジが入ってたらどうしようもないから、このゲームは流すしかない。残ったあたしたちも手札を戻すことにした。
「殺しの手段が手段ですから、捕まえること自体が無理な話です」
「……でも、認めてるんだろ?」
「認めたようで、認めていないかも知れません」
 何だそれ。
「曖昧だなー。知らないよ、犯人野放しにしちゃって警察の偉い人からお咎め食らっても」
「……二度と人を殺さないと約束させましたから。事件は偶然の重なった事故として処理します」
 でも、本当は殺人?
 なんかちょっと、怖い。
「……そう。でも口約束なんだろ。破ったらどうするの?」
「殺します」
 !?
 恐ろしい言葉が――……意外な人の口から、平然と、零れた。カードをまとめていたあたしも思わず固まった。
「……破ったら、ですよ。破らせるつもりありませんから、心配しないで下さい」
 雰囲気がおかしくなったのを察してか判らないけど、直実さんはすぐにそう弁解していた。
「こ、怖いなーもう! 冗談でも殺すとか言わないでくれよ!」
「麻耶さんが怖がるとは思いませんでした。――あ、そうだ、浅生さん」
「! はい」
 急に呼ばれた浅生さんは裏返った声で返事をして、その変な声に自分で吹き出した。……この人、人生、何があっても楽しく生きられそう。言い過ぎかも知れないけど。
「その偽名はアナグラムで作りました?」
 アナグラムって、文字の並べ替えだ。つまり、浅生さんの名前を並べ替えると、別の言葉になる、ってことか。正確に言うとその言葉から名前を作った、ってことになる。
「え? そ……それ言ったらつまらないじゃないですか、ね、ねぇ」
 そう言いながら、あたしや真珠君にまで同意を求める浅生さんの口調は明らかにうろたえている。うーむ、図星っぽい。案の定、直実さんはその答えを聞いて不自然なまでに嬉しそうに笑いながら、カウンターに戻った。
 でも、何でいきなりそんなこと訊くんだろう。
「あ、あの、もしかして……もう、バレてます?」
 心配そうに浅生さんが訊いた。そう考えるのが自然だと思う。
「いや、緋十美さんがですね、――」
 直実さんは少し言いにくそうにしている。つまり直実さんが気付いたっていうんじゃなくて、あの子がバラしちゃった、ってことね。
 浅生さんは表情に少しだけ影を落とした。
「……。やっぱりあいつ、気付いてたってことですね」
「そうみたいですね」
「…………」
「葵さん、でよろしいでしょうか」
「……はい、何でしょう?」
 葵さん? ……って言うのかな。女の人みたいな名前だ。
「もし、もうお名前を隠す気が無ければ――……ご自分で、おっしゃって下さいませんか?」
 直実さんの呼び掛けに、彼は少し悩むような仕草を見せてから……小さく「判りました」と呟いて、立ち上がった。そして胸に右手を添えて、深々とお辞儀。

「改めて皆様、はじめまして。――佐伯葵と申します」

 あ――……聞いたことある、名前。小説家、だ。こんなに若い人だったんだ――。
 確か、この近くに記念館がある有名な作家さんの、息子さんだったような気がする。
「佐伯……って、確か久海の御曹司の……」
 それまでずっと黙っていた純さんが、何故か焦ったような顔をして呟いた。
 ……何、また御曹司? まぁでも、記念館が出来るぐらいの有名人の息子なんだから、御曹司って言っても全然不思議じゃない。
「純、そういう言い方は」
「忌々しい名前。これだから地元は落ち着かないんですよ」
 地元。話はよく判らないけど、ここが地元? じゃ、この前のは自虐か。自虐して楽しんでたのか。
 あ、そういえば父さんが地元民同士で意気投合したって話してたような気が――……って、父さん?
 父さんはとある出版社で、文芸誌の編集者として働いてる。だから、別にこの人が父さんと知り合いでもおかしくはないんだけど――……そういうんじゃなくて、何かが引っ掛かる。何だろう、思い出せあたし。

「――……あ!」

 そして思わず、声を上げていた。
 う、皆がこっち見てる。
「……どうかした?」
「予言……そう、予言者! きっとそうです! あたしの父親が予言者だったんですよ! ……た、多分!」
 多分とか付けちゃった。
 父さんは普段から予言じみたことをよく言っている。あたしはもう慣れっこになってたけど、よくよく考えたら、あれは勘としては鋭すぎる。もしかしたら、本当はもっと細かいことまで予言できるのかも知れない。それに、あたしの親なんだから、ここの電話番号を知ってても何の不思議も無いし、佐伯さんのことも知ってるから、彼のメールアドレスを知ってても疑問は無い。……そんなことを話した。
「……楓さんのお父さん、か……」
「世間って意外と狭いよねぇ」
「……ところで麻耶さん、どこまで知ってたんですか? あんなこと言うからにはそれなりに――」
 また、あたしの判らない話が始まった。あんなことって、何だろう。
「私がどこまで知ってたかなんてどうでもいいことだろ。大切なのはこれからどうするかだ」
 直実さんの方を向きもせずにそう言った麻耶さんは、残っていた紅茶を一気に飲み干して、ゆっくりと立ち上がった。少し、不機嫌そうに見えた。
「楓君、一応確認しておきな。もしお父さんじゃなかったら怖いしね」
「あ、はい」
「――そんじゃ、長居したね」
 帰る、らしい。
「あ、それじゃ俺も」
 流れに乗ろうと思ったのか、佐伯さんも席を立った。

 それで結局、麻耶さんは何者なんだか判らないまま――その日の会合は、終了した。
 あたしがそんなこと気にしても仕方ないのかも知れないけど、でもどこか、落ち着かなかった。

   *

 扉が、閉まった。中の声は聞こえなくなる。ここは住宅街と商店街の境目の辺りで、人通りはそれほど多くはない。だから、空を飛び交い街路樹に群がる小鳥の声と、風の音だけがよく聞こえた。
 同時に外へ出た女が、軽く挨拶をして立ち去ろうとした青年を、呼び止める。
「――葵君、で良かった?」
「何ですか?」
 呼び止められた金髪の青年は半身だけ振り返り、腰に両手を当てて立つ女が話し始めるのを待った。
「あんまり関わらない方が良いよ。身の破滅を招きたくないならね」
 それは神のお告げか、悪魔の誘惑か。
 実際、彼女の淡い色の髪が春の涼やかな風に舞って、その光景はどこか神秘的でもあった。
「緋十美と『双子』なんて呼ばれてるみたいだけど。あんまり近付いて入れ込んだりしたら、困るのは君だよ」
「……夜桜はただの友達ですよ」
「随分かばおうとしてたみたいだけど?」
 それは、「ただの友達」ではないのだろう、と訊かれているようであった。葵は苦笑する。
「友達が人殺ししてるなんて疑いたくないでしょ。それだけの話ですよ」
「でも、事実は事実だよ?」
 事実は事実でも、認めたくない事実もある。だが彼にとって、わざわざ論理立てて言い返すのは面倒だった。なので、会話を放棄する。
「……あいつ、どうなるんですか?」
「さぁね。解決してないって言ってたし、普通に生活し続けるんじゃないの。……今年大学4年だっけ?」
 普通に大学を出て、就職をして、普通に――。人を殺しておきながら、「普通に」生活を続ける。嫌なことが思い起こされて、葵は思わず彼女から目を逸らした。
 葵が黙り込んだのを見て、麻耶はクスクスと笑った。
「嫌いになった?」
「……別に。俺の周り、そういうの多いですから」
「ふぅん、君も大変なんだね」
「えぇ、まぁ」
 約束された平和の中で呑気に生きてきた若者だと思われたくはなかった。葵だって、それ相応に苦労して生きてきた。これからだって、いつ何があるか判ったものではないと思っている。差し当たっては、私立高校に通う妹の学費の捻出方法を考えなければ――。
「ま、これからも緋十美とオトモダチ続けるなら、それぐらいで丁度いいか」
 そう言う彼女の口調は、どこか投げやりだった。
「じゃ、あなたは――あいつの、何だって言うんですか?」
「私?」
 予想外の質問と言いたげな顔をした彼女の肩に、黄緑色の鳥が何処からか飛んできて止まった。
 そして彼女は、鳥に優しげな微笑を向けた後、葵の方に向き直り――どこか寂しげに笑って、告げた。


「――麻耶幸穂、夜桜姉妹の昔からのお友達。ただ平和を望むだけの、善良な一市民だよ」


 それは地獄を見た者からの、不器用な忠告の言葉。


   2

 それは、本当に突然だった。
 春休み最後の日曜日、暇人なあたしはいつも通り小春茶屋に居た、んだけれど。

 昼下がりの、とてものんびりした穏やかな時間に。
 この前みたいに爆音を立てて、店の扉が――開かれた。

 この前と違ったのは、そこに立っていたのが純さんではなくて――父さん、だったこと。
 息を切らし髪を振り乱して現れた父さんは、紺色のTシャツにジーパンそして安っぽいサンダルと、休日の親父らしいラフにも程がある格好――……直実さんとはこれが初対面かと思うと少し悲しいんですが。
 そんなことを考えてる場合じゃない。
「いきなり何押しかけてんのよッ、しかも今の――」
「楓お前は黙ってろ! ――あぁ、あなたが桧村さんですねッ」
 くるくると動き回り、最終的にカウンターの目の前に立って嬉しそうに叫ぶ。
「え……え、えぇ」
 あーもう、直実さんも面食らってるじゃないか! とりあえず落ち着けよ!

「先日は、うちの愚息がとんでもないことをしでかしたようで――……何とお詫びしていいか……!」

 ……あ……。
 滅茶苦茶ラフな格好で深々と頭を下げる父さんに、珍しく驚いた様子の直実さんは、爆音に反応して現れたハル君への対応も迫られて、完全に固まってしまった。

「……何だ、何が起きた?」
「えっと……それ、見覚えあるでしょ」
 ハル君はうちに来たことがある。
「あ、楓サンのオヤッサンだ」
「そうそれ」
 えっと、それ扱いしてごめんよ、父さん。
「……で、何でオヤッサンが来てんだ?」
「……自覚ないの?」
「へ?」
 …………。
 この子はかわいそうな子だ。

 固まっていた直実さんがようやく復活して、あたふたと父さんをなだめ始めた。
「あ、あの、私こそ勢いでつい反撃しちゃったりしましたから、そんな、謝られると私が恐縮です」
 ……反撃て。いや、まぁ、反撃といえば反撃か。
 父さんはそこでようやく顔を上げた。でも表情は冴えない。
「し、しかし、身の程も知らずに本家の方に楯突いたりして――……全く、小悪魔の一匹や二匹飼ってるぐらいで勝てるとでも思っていたのか」
 ……本家の方、か。小悪魔っていうのは、クリスのこと? じゃ、父さんそれ、把握してたの――。
 直実さんって、そんなに凄い人なのかな――……あたしなんか、凄く普通にしちゃってるけど。
「別に、殺しに掛かってきたワケじゃないんですし。むしろ仲良くさせてもらいたいぐらいで――」
「……は?」
「……私、変なこと言いました?」
 まぁ確かに、誘拐犯と仲良くしたいとか言い出す人はなかなか居ないと思いますけど……でも、それとこれとはちょっと違うか。
「仲良く、ですか……?」
「柘榴さんは人を傷つけるような方じゃないと思っています。クリスティーヌさんはちゃんと彼を慕っているように見えました。――術師同士という意味でも何らかの交流が出来るかも」
 直実さんは笑顔。対して父さんは絶句している。
「し……しかし、わたしたちの『力』は術師と名乗るのもおこがましい程になってしまって。柘榴はともかくわたしに出来るのは、夜桜のお嬢さんが凶行に走るのを事前に察知するぐらいで――あぁ、名乗りもせずに電話してしまって、ご迷惑ではありませんでしたか」
 あ――……やっぱり父さんが『予言者』だったんだな。
「いえ、助かりました。ありがとうございます」
「そうですか? それなら良かった――」
 目の前に居るのは確かに父さんなのに、父さんじゃないように感じる。
 いつも普通に予言してるし、当たり前のようにそれが当たっちゃうし、別にそれを気にしたことなんてなかったけど。でも直実さんと術の話で通じ合ってるのを見ると、置いてきぼりを食らったようで、不思議な感じがする――。
「予知は、個人単位で出来るんですか?」
「いえ、目標とする空間の中で何が起きるかだけ。頭の中で映画を見る感じで」
「……そうですよね。では、あの人混みの風景の中から緋十美さんを探し出したと」
「えぇ。……でも最初の時は、ひとりだけ妙な動きをしていましたから」
 その後は事件が起こるか、また現場に緋十美さんが居るかどうかを見ていた、っていうことらしい。
「……夜桜家と接点は? 楓さんはご存知ないようでしたけど」
「『もうひとつの分家筋』として聞いてはいましたけど、実際に会ったのは緋十美さんが初めてです。大学のサークルの後輩でして……全く個人的な付き合いです。葵君も同じサークルに居て、彼女と仲良くしていたのを覚えていたので……、彼には無理をさせてしまいましたね」
 そういうこと、だったのか。解決してみると随分ローカルな関係だったのね。
「ありがとうございます。これでやっと納得が行きました。……そして知らなかったのは私だけということですね。その、分家と言うのは……今残っているのは、二つだけなんですか?」
「そう、聞いています。我々の『力』もいつ消えるか」
「…………。なるほど」
 何がどうなって「なるほど」なのか、あたしには判らない。ハル君の顔を見ても、さっきから相変わらずの表情。多分父さんも判ってない。
 そのつまり、『術』の力が、衰えてきてるってことなのかな――。あたしが何も出来ないのは、そういうことで。
 直実さんは更に続けた。
「あの……ひとつだけ、お願いが」
「! 何でしょう」
「そんなに畏まらないで下さい。ハルの件は文字通り水に流しました。私の方が、ずっと年下です」
「しかし――」
「実家のことなら気にしないで下さい。私は、楓さんの雇い主に過ぎません」

 あの時と同じ言葉。
 でも、意味が少しだけ、違った。

 麻耶さんの言葉を思い出す。
 直実さんはもう、放り投げちゃってるのかな――。

 父さんはしばらく悩んだ後、――……困ったような顔で、笑った。
「そこまで言われるのなら、じゃ、お言葉に甘えて。
 ――楓のこと、よろしく頼むよ」



 ――……え?



「は……え?」
 直実さんも、頷きかけて止まった。
「え、ちょ、ちょっと、今の言い方おかしくなかった!? な、何ていうかその、えーとー」
「はははは! 若いということは良いことだ! 存分に青春したまえよ! さらばッ」
 そんなことを叫びながら、父さんはどこかの怪盗のように派手に舞いながら店を飛び出していこうとする。
 ――逃げられてたまるかー!
「ば……馬鹿親父ー! 帰ったら問い詰めてやるんだからー!」
「わ、私もう青春って歳は過ぎたんですが――」
 いや……直実さん、それ、論点、おかしい。
 あたしが思わずずっこけたのを見て、ハル君が大爆笑している。ええい、うるさいな!
「――……青春、か」
「え?」
「いや、何でもない」
 何でもないと言いながら、直実さんは何故か妙に嬉しそうだった。……何だろう? よく判らない、ことにしておこう。


 ――明日から新学期。
 今年の春休みは、色んな意味で、充実したものになったような気がします。