こ は る び よ り 探 偵 日 記 ― 第二話 古都の憂鬱



第六章「高架橋と梅の花」


 東京の狭い空を眺めて、時々無性に周りのビルを壊したいような衝動に駆られる。
でもそんな事を普通の人間である私が出来るはずも無い――……と、思っていた。

 ――術師は本当に、何でも出来るらしい。

 それがたとえ、普通の人間には考えられないような現象だったとしても。
 ただそれを行った場合に、自らの身体がどうなるかは――……想像も、つかない。
「直実さん?」
 真珠の声。私が振り向くと、彼は笑って尋ねてくる。
「こっちも梅の花、咲いてますね。桜はいつ咲きますか?」
 私は視界の至るところにある『東京の梅の木』を眺めつつ、桜の咲く時期の事を考える。もう、つぼみは膨らみ始めていたはずだ。
「今年は早そうって言ってたかな――……入学式にはもう散っちゃってるかも知れないね」
「うえぇ」
 残念そうに奇声を上げて、真珠は自分の荷物を店の中に運び入れる。裏に回るのは面倒なので、堂々と表玄関からだ。
「葉桜も悪くないよ? 記憶には残る」
 そういうものに風流を感じるのは、決して盛りの時だけではないと――……言っていたのは、吉田兼好だったか。私がその意見に賛同するかどうかは別としても、葉桜は嫌いではなかった。完全に花が落ちた頃はまた別だが、花と葉が混在している時期は、何とも不思議な魅力があると、私は思う。
「別に、まぁ……しょうがないですけど」
 真珠がそう言って、首を垂れたその時。
「あーッ! 帰ってたんですねッ! 二週間、退屈でしたよー?」
 聞き覚えのある声が、私の耳に届いた。私が振り返ると、店の外で楓さんが笑顔で手を振っていた。私は笑顔を返して、半分だけ閉まっていた扉を開けた。
「こんにちは。何も言わずに行ってしまって済みませんでした。今帰ってきたところなんです――……あ、彼が義弟の真珠です。真珠と書いてマコト」
「わぁ、綺麗な名前ですね! えっと、初めまして! 泉谷楓です」
 楓さんは笑顔で右手を差し出していたが、真珠は唖然とした顔のまま固まってしまった。
「あ、えぇとー……ゴメンなさい、驚かせちゃった。この前からここでバイトさせてもらってるの。週末だけ、だけどね……あ、そうそう! 直実さんから聞いてるの。私、蒼杜高の生徒なんだ! 今度から行くんだよね?」
「え……あ、はい! じゃあ……先輩、ですね」
「うん。あ、そんなかしこまらなくてもいいよ。そういうの緩い学校だし、あたしも別にこだわらないし。部活にも入ってないしね……そうそう、先に言っとくね。ウチの学校、中学もだけど変な部活多いから、変に勧誘されないように気を付けて!」
 ノリノリで話す楓さんを尻目に、私は店の奥に入っていった。せっかく彼女らが友好関係を築こうとしているのだから――……私が敢えて、邪魔をする必要は無い。
 奥の部屋ではハルが真ん中にでんと居座って、ギロリとこちらを睨んできた。
「何だよ、ハル」
「オマエも交ざっとけよ」
「……え?」
「オマエがマコトの兄ちゃんなんだろ!? それより先にしげるさんと馴染んでちゃ、オマエの立場無ェじゃんよ。別に、楓サンのこと、けなすつもりじゃねェけどよ」
 ハルはそれ以上、何も言わなかった。
 ここで、私が交じる?

 いつか、真珠に兄と認められる事を祈りながら生きてきた。

 でも――……祈っているだけではダメだと気付いた。

 ならば、今は行くべきではないのか。

 それを、ハルは気付かせてくれたのではないのか。

 私は部屋の入り口で数秒間固まったまま、悩んでいた。こんな事ではいけない――……行かなければ。
 私は勇気を振り絞って――二人の居るほうへ、振り返った。

 店の窓から見える向かいの家の梅の木と、遠くの高架橋が――私を見守っているように、思えた。
 もっともそれは、本当に気のせいだったのだろうけれど。