こ は る び よ り 探 偵 日 記 ― 第二話 古都の憂鬱



  Prologue

人々が通り過ぎ、何処かへと向かう。

私はその流れを眺め、何処か違う世界の住人のように振舞う。

――ここは、そういう場所。

この駅を訪れた人間がこれから向かう場所は、予想など出来ない。

普通ならば。


私にはそれが出来てしまった。

だからそれが、恐ろしかった。

自らの力を認めるのが怖くて、恐ろしくて――……、

それが故にこの無力感に苦しめられるのは、本末転倒ではないのか。


だからこそ私は、光を、棄てた。

闇だけの世界で生きると決めた。


それで不便など無い。

もとより普通の人間には無いものなのだ。

それをひとつ棄てたところで、不便など感じるはずが無かった。


代わりに、苦痛の種がひとつ、増えただけだった。


――……私の知らない世界へ旅立った彼らは、今、どうしているのだろうか――。


   *

 二月二十九日。バイトを始めてから、四回目の日曜日。
「……あれ?」
 あたしは店の扉を見て唖然とした。
 そこには、ご丁寧にもこんな張り紙がしてあった。

『本日より二週間 臨時休業と致します ――店主』

 何がどうなって臨時休業なのか、バイトのあたしに知らされてないのは頂けないけど。でも携帯の番号とか、そういうの全然知らないから……連絡も取れないけど。
 まぁ、休みならしょうがない……って、家には居るのかな?ここから見る限り、家のほうの電気はついてないように見えるけど。大体二週間も休みなんだったら、きっと何処かに出掛けてるんだろうな。うー、うらやましい。やっぱり自由な身分っていいな、憧れる。
 あたしはため息を吐いてから、ついでに買い物に行こうと駅の方へと直行した。


第一章  古都の憂鬱

   1

 鎌倉駅。今のこの時期、観光シーズンからは絶対に外れていると思うのだが、それでも人は居るものだ。私はそれを眺めながら、重い鞄を背負い直し、繁華街の方へと向かって歩いた。私の後を、子供がついて歩いた。
 繁華街から少し外れたところに、家が建っている。無論、鎌倉は普通の街なのだから当然の事だけれど――……その妙な程に大きい家の表札には、恥ずかしいくらい大きな文字で『桧村』と書いてあった。私はそれを見るたびにため息を吐く。今日もまた当たり前のようにため息を吐き、その表札の下に設置されたインターホンのボタンを、押した。甲高い、変な「ピンポーン」という音が響いて少ししてから、受話器を取る音がする。

『はい』

 女性の声だ。清楚で、柔らかくて、綺麗な声だと思う。母だ。――頭に「義理の」がついてしまうが。

「直実です――……突然帰ってきて申し訳ありません」
『! 直実さん?ちょっと待ってね、今開けますから――』
 少し上ずったような声になって、インターホンが切られる。私の後ろにいた子供が顔を出す。
「相変わらず、珠実には頭が上がらないんだな、サネ」
「……彼女は母親だと思っている」
「はー、偉い偉い」
 そういう口調はかなり適当だし、私の事を馬鹿にしているようだった。
 数秒経って、門からかなり向こうにある玄関から人が出てきた。彼女だ。それから門に掛けてあった鍵を外し、私と子供――ハルを中に入れてくれた。
「お客さんが来る度にここまで開けに来なきゃいけないんですもの――……何とかしたいけど、世の中物騒だし、何ともならないですね」
 独り言のように、再び鍵を閉めながら義母が呟く。私は「そうですね」とだけ答えて、彼女が先を歩いてくれるのを待った。
 門から敷かれた路を十メートルも歩くと、玄関に辿り着く。一応日本家屋だが、ところどころ中途半端に西洋建築が混ざっているらしい。詳しい事は、私も知らない。とにかく玄関の戸を開け、私たちは中に入った。広い玄関が、ひどく懐かしく感じられた。
 廊下に上がって少し歩いたところに襖が見える。それを、前を歩く義母がゆっくりと開けた。


「――誰だ」


 低く、しかし鋭い響きを持った声が耳に届く。思わず唾を飲み込んだ。あの人は昔から苦手だ。自分にもあの人の血が流れているとは、とても信じられなかった。
「直実さんが帰っていらっしゃいましたわ。ご挨拶なさるかと思いまして」
「必要無いだろう。挨拶を交わす必要性が無い。早く部屋へ通せばいい」
 同じ響きの声が届く。
「でも――……挨拶ぐらいはなさっても」
「お義母さんはご自分のところへ戻っていて下さい。私は家の勝手も判っていますから」
なるべく優しい声を使ったつもりだったが、彼女にはどう伝わっただろうか。それは私には、判らない。彼女は「そうね」と不安そうな顔で言って、私の前から走り去っていった。私は彼女を嫌っている訳でもなければ苦手でもないが、彼女の方は私をどうも苦手としているように見える。やはり実の子ではないのに「息子」として扱わなければならないのが難しいところなのだろう。
 私は荷物を廊下に置いて、半開きになっていた襖を完全に開けた――かなり、乱暴だった。
「挨拶は要らないと言ったはずだ。聞こえていただろう」
 父が冷たい表情を私に投げ掛ける。まだ五十過ぎだが、既に真っ白になっている髪は私より長いだろう。眼鏡は掛けていない。私が普段店で着ているような茶色の和服を着て、奥の机の前に鎮座していた。西洋人の血が半分流れていると言われても、俄かには信じがたい風貌だ。どうやらいつものように本を読んでいるらしく、手に文庫本を持っている。あの人は、食事をする時と寝る時以外は大抵本を読んでいる。
 私は構わず、父の目の前まで進む。そして机を挟んで真正面の位置に、座った。
「何故帰ってきた。何の用だ」
 父は本を閉じ、私の目を睨みつけながら言った。
 私は父を睨み返しながら、答える。
「いい加減に、決着をつけようと思ったからです」
「何を今頃。お前に真珠《まこと》を預かってもらう事は決まっただろう」
「それとこれとは関係ありません」
 確かに、義弟である真珠は東京の私立中学を受験して合格し、私の家に身を寄せる事が決まってはいた。
「ほぅ。では何の話だ?」
「貴方との確執を」
「ははッ、何を言うのかと思えばそんな事か。なに、どうせ一生同居はしないだろうから気にする事はないだろう」
「……この家は誰が継ぐと思ってらっしゃるんですか」
「相続はワシが死んでからだ」
 屁理屈を。私はため息を吐いた。
 敢えて今認めてもらう必要も無い。私は立ち上がった。
「――とりあえず、今日から二週間ほど居させてもらいますよ。構いませんね?」
「ワシは関係ない、勝手にしろ。珠実に……食事を一人分増やせとだけ言っておけ。――さぁ、用が終わったら去れ」
「……失礼します」
 私が襖に手を掛けた段階で、父はすぐにまた本を開き、読み始める。既に私の姿など眼中に無いのだろう。私は無駄に広いその部屋から出て、静かに襖を閉めた。出入り口のすぐ横の壁に、ハルが寄りかかっていた。
「どうよ、サネ? パパの反応は」
「相変わらずだ。部屋行くぞ」
「なーにがそんなに不満なんだろなぁ? お前に遺産は渡さーんッ! とか言ってる様子も無ェしよ」
「それは無いよ。彼の中で、その選択肢は選びたくても選べないからな」
 話しながら廊下を進み、かつての自分の部屋へと向かった。ハルが後ろから飛び掛かってくる。
「何だよッ、どういう意味だよ? 有り得るじゃねぇか、マコトだって居るんだぞ?」
「真珠の存在云々よりも、私の『術』が彼にとっては弱味になるさ」
 そこで話を無理矢理終わらせて、突き当りを曲がろうとした時だった。
「あっ……」
 人――……子供と鉢合わせた。子供と言ってもここは家の中、赤の他人という訳では勿論無い。義理の弟、彼が真珠だ。
「ゴメン、ただいま――真珠」
「……お帰り、なさい」
 真珠はそれだけ言って笑顔を作ると、私の横を素早く駆け抜けていった。ため息が、零れる。
 結局そうだ。この家の中に、私に好意的な人間は実質ひとりも居ない。だからこそ実家を離れて東京で暮らしているのに――……何故突然、帰ってこようと思ったのだろう。
 自分でも、よく判らなかった。ただ何となく、実家へ遊びに行こうと思いついた。行って何をしようとか、目的は一切無しに、だ。さっき言ったのもほとんど口から出まかせだ。一度帰ってきたぐらいで父との関係が直るとは端から思っていない。
「……お前、嫌われモンだな」
「うるさい。部屋行くって言ってるだろ」
「へいへーい」
 義母にわざわざ食事の件を伝える事は無いだろう。父と違って、彼女は言われなくてもそれぐらいはやる人だ。むしろその方が常識的だろうと思うのだが――……父はやはり何処か、奇妙しい。

 かつて自分が使っていた部屋について、私はとりあえず鞄を置き、羽織っていた薄手のコートを脱いだ。三月初め――……室内だとやはり暑い。普段着の洋服を着るのはかなり久し振りのような気がする。何となくしっくり来ない。
 部屋のレイアウトは変わっていなかった。多分、掃除だけはしてくれているのだろうが――……変える必要が無いからだろう。一応洋室で、机とベッドと本棚が置いてあるが、中身は無い。無論、今の家に全て持っていったからだ。布団だけはかさばって面倒だったので東京で買ったのだが。
「残念だがハル、お前が寝る場所は無い」
「何ッ、んなワケ無いだろッ、昔俺サネと一緒に寝てたぞ!?」
「誰が二十五にもなって怪しげなヴァンパイアの子供と寝なきゃいけないんだ」
「オマエ」
 ハルが私を思いっきり指差す。
「……あのなぁ」
「だったらマコトの部屋行って布団一枚貸してもらうさ! マコトの隣で寝るんだもんなッ」
 まるで本当に子供のようなことを言う、と思った。
「あぁ、それがいい。お前あいつと仲良いからな」
「おーよ、当然だろ。そんじゃ俺、マコトに挨拶してくるわ」
「行ってらっしゃい」
 返事は無く、ハルは部屋から勢い良く飛び出していった。
 部屋にひとり、私だけが取り残される。あの頃のように――……ただベッドの上に座って、何をするでもなくため息を吐いて。妙なほどに静かな部屋が、逆に気分をどんどん沈ませる。
 一体何の為に帰ってきたのだろうか――……何を、思い出す為に?

 ――…………判らない。
 私は眼鏡を外して枕元に置くと、そのまま後ろに倒れこんで、目を閉じた。布団をかぶっている余裕など、無かった。

   *

 気付くと、既に外は暗くなりかけていた。私は眼鏡を掛けてから部屋を出て、時刻を確認した。午後六時。この家ならそろそろ夕食の時間だろう。私は部屋の扉を閉めて、食事の準備がされていると思しい一階ダイニングに向かった。ダイニングとは言ってもそこは和室――食堂と言った方が合うだろうか。大きな四角の座卓の上に、全員分の食事を並べてある。中から人の声が聞こえる――恐らくは既に、準備は出来ているのだろう。――私はその部屋の襖を開けた。
「遅いぞ、サネッ!お前が起きて来ねェからマコトが待ちくたびれてたぞッ」
 甲高い声が耳についた。
「ハルに人間の食事は関係無いだろう。――スミマセン、寝ていまして」
 席につきながら、わざと左に座っている父の方を見て謝った。父は私の顔を見もせずに答える。
「その歳にもなって昼寝か。そんな調子で一人前になれるのか?」
「……関係ありません。ここへは休みに来たんですから、ちょっとぐらい寝たっていいでしょう」
「そうですよ、長旅でお疲れなんですから――……お昼寝ぐらい誰でもするわ」
 右に居る義母がフォローしてくれた。父は「大して長くもないだろう」と呟いていたが、無視した。ツッコミが的を射ているから、余計腹が立つ。
「――はい、直実さんの御飯ね」
「ありがとうございます」
 私は義母から茶碗を受け取って、とりあえず胸を撫で下ろした。
「それじゃあ、いただきましょうか」
 義母が優しく微笑んでそう言うと、父は何も言わずに食べ始めた。母もそれに続く。知らない内に真珠も食べ始めている。結局私は最後に箸を持った。ハルが背後にやってきた。
 この日のメニューは純和風。鯖の味噌煮が美味しかった。食事が終わるまで会話は一切無かったが――……食べるのに大して時間が掛かる訳でもなく人数も少ないので、それほど苦にはならなかった。第一、普段の私の食事はいつも一人で会話などないから慣れている。ハルもその間は遊んでいるか寝ているかだ。
 最初に席を立ったのは父だった。次に食べ終わったのは私だが、義母を手伝おうと思っていたのでずっと座っていた。その間、隣にいたハルの髪の色を少し赤っぽくしてみたりと、暇つぶしばかりしていた。
 全員が食べ終わると、義母が全員分の食器を台所まで運び始める。私は半分の食器を持って彼女の後に続いた。
「洗うのも手伝います」
「あら――いいのよ、休みにいらしたんだから。今日は早くお休みになったら? これが終わったらすぐにお風呂も沸かすから」
「でも、私は大丈夫です」
「大した量じゃないもの。それに――、」
 彼女が不意に私の手を取った。
 私が慌てて義母の顔を見ると、彼女はニッコリと微笑んで話を続ける。
「水仕事は手が荒れるでしょう? 普段からお仕事でやってるのに……家でまで手伝ってもらう道理は無いわよ」
 見抜かれている。普段からやっているからこそ――……手伝おうと思ったのだが。
「…………」
「さ、お部屋へ戻っていてね」
 私は小さな声で「はい」と答えて、その場から静かに立ち去った。
 食堂で待っていたハルが、私を嘲笑するような顔で、先刻と同じ事を言った。
「……やっぱり珠実には頭が上がらないな」
 私たちは食堂から出て、廊下で話を続けた。
「あんな男と平気で居られるような女《ひと》だから」
「サネぐらいじゃ凹まねェか」
「……本当のところは判らないけどな」
「…………サネが疑うから、相手だって信じねェんだよ。オマエ、いつもそうだろ? 純粋に聞いてるつもりでも、どっかで相手のこと疑ってるんだろ。俺には判るぜ、何たってオマエと二十五年も一緒に居るんだからなッ。オマエは俺のこと子供子供って言うけどな、実質俺とオマエは同い年だッ、ちゃーんと覚えとけよ」
 赤毛のハルはそこまで言い切ると、私の前から走り去っていった。恐らくは――……真珠の部屋へ行ったのだろう。私は何も言えずに、ただその場に立ち尽くしていた。

 確かに私は相手を――疑って、いたのだろう。
 昔から、私の事を信じてくれる人間など居なかったから――……だから私も、誰も信じられなかった。

 唯一信じていた兄と母とを失って、それから――……。

 ――……これ以上は考えたくない。
 私は廊下をゆっくり進み、自分の部屋へ向かった。


   2

 次の日、私は朝食を摂ってすぐに家から出た。何となく――……久し振りに、近所を回って見たかった。
ハルは、連れて来なかった。私一人で、行動したかったからだ。今日は寒いからと義母は私に昔の――……多分、中学の頃に着ていたコートを出してきてくれたが、サイズが合わずに結局昨日着て来た薄いコートにした。
 だがやはりまだ冬は明けきっていないようだ。三月に入ったと言うのに、二月の暖かさが冗談だったかのように空気が冷たい。同じ時刻に小学校へ向かった真珠も、かなり着込んでいるのに寒そうに見えた。

 とりあえず、私は一番近くの神社に向かった。階段を上って小さな鳥居を抜けたところで、箒を持った黒髪の男に出くわした。彼もどうやら私に気付いたようで――……一瞬互いに見つめあって、それからほぼ同時に「あぁ」と声を漏らした。
「晃介」
「直実……だよな?そうだよな、間違いねェよなッ! 久し振り、元気だったか?」
 彼は小学校から中学までの同級生だ。純と一緒によくつるんだ仲間の1人である。こうして並んで見ると――私よりも背が低く見える。いや――……低いだろう。少なくとも私がこの街を出るまでは、彼の方が高かったと思うのだが。
「あぁ、まぁな」
「あれ、でも何でこんなトコに居るんだ? 仕事は?」
「自営だから」
「あー、そうだ! サネはそうだ、ケーキ屋だったな! お義母さんから聞いてるぜ。いやいや、全然似合わねェけど腕は認める」
「似合わないってな、晃介……大体お前、私のケーキなんて食べた事無いだろ」
「ははッ、ばれたか。まぁでもいつか食わせろよ。あ、そう言えば純は元気か? あいつ、刑事やってんだって?」
「……あぁ」
 私と純が今も付き合いを続けている前提で話されていると言うのも不思議な話だ。
「いいなぁ、皆自分の仕事があって。俺なんてこれだ、まだオヤジの手伝いだからさ」
「でもいずれは継ぐんだろ?」
「そうなればいいけどよ。でも――……これだけで食ってけりゃ苦労しねェよ。こんな名も無い寂れた神社に、どんな参拝者が来てくれるっての。ただでさえこの辺は神社仏閣多いんだから」
「……まぁな」
 確かに私も、近所の知り合い以外がこの神社に参詣している様子は正月と修学旅行生以外に見た事が無い。尤もそれは中学の頃の話だから――……今現在の状況は知らないが。
「で――……何しに来たのよ? 立ち話?」
「いや、ちょっと……せっかく帰ってきたから、近所をぶらぶらしようかと」
「あー、そか。そうだな……。――……なぁ、サネ」
「?」
 晃介は急に何かに気付き、言いづらそうな表情を見せた。私にはその理由が判らない。
「――……お兄さんたちの命日、は……確か」
「あぁ、二週間後だよ」
 よりにもよってそんな日に、と深く思う。
 だがそれだからこその事件でもあったから――……尚更、辛い。
 私の兄――直路《なおみち》は、十一年前の三月十四日に、とある事故を起こして、恋人共々亡くなった。二人を助けようとした母もまた結局――……意識を戻す事は、無かった。その頃私はまだ中学二年の子供で――……傍に居ながらにして、何も出来なかったのを憶えている。
「墓参りでもして行くのか?」
 晃介は静かな口調で、私に尋ねる。私はなるべく笑顔を作って、答えた。
「帰り際に寄ってこうかと思って。店の休みは二週間が限度だから……ただでさえ客少ないのに」
「あー、お互い頑張ろうぜ。この不況の世の中をよ」
「困った時は神頼みだろ」
「ははッ、そう言ってもらえると助かるわ、ウチも」
「ウチは嗜好だからどうしようもないかな」
「…………サネ……フォローのしにくい冗談は止めてくれ」
「大いに本気だよ」
 そう答えると、晃介は何故か大きくため息を吐いた。意味が判らない。すると彼は急に私の肩にポンと手を置いた。
「相変わらず面白いヤツだよ、直実……面白すぎだ」
「何処が」
「お前の全て」
「それはないよ」
「いーや、面白すぎる! な、昇もそう思うだろッ」
「あれ、サネ君帰ってたんだ? 久し振りだね」
 第三者の声が背後から耳に届く。振り返ると、そこにはもう1つ、懐かしい顔があった。昇もまた、中学時代の仲間の1人である。何処となく、真珠と雰囲気が似ている気がする。
「昇ッ、人が言った事聞いてたか!?」
「え、晃介君何か言ってたの? ごめん、聞こえなかったよ」
「…………せっかくの説得が……」
「何説得してたの?直実君の自殺を止めるとか?」

 ――……会っていきなり何を言うんだこいつは。

 意外に毒舌なのもまた、変わっている。
「私が自殺? そりゃまた……どうして?」
「ヤバイ、昇のが面白かった…………」
「面白い? 僕が?」
 会話が錯綜している。
 とりあえず落ち着こう、と一旦話を止めた。
「改めて――……全然関係の無い話をしようじゃないかッ」
 晃介が宣言し、次に昇が口を開いた。
「そーだ、直実君いつから自分の事『私』って言ってた? 気のせいじゃないよね、そう言ったよね」
「わ……わたし? んな事言ってたか?」
 晃介が私の顔と昇の顔を交互に見ながら言った。
「言ってたよ、晃介君こそ人の話聞いてないね!? 人の事言えないぞッ」
「直実ッ、ホントのトコどうなんだッ」
 箒を放り投げて、晃介は私の両腕を掴んで身体ごと揺さ振った。ほとんど脅迫、である。
「え、いや、まぁ……言ったけど」
「言ったのかぁッ!? に……似合わねェぞ?」
「それは偏見だよ、晃介」
「いーや偏見じゃないッ、似合わない」
「いよいよ『僕』が似合わなくなったから『私』にしただけだ。他意は無い」
「他意があろうと無かろうとお前……」
 私の腕を掴んでいた力がふっと抜けて、晃介は自分が投げた箒を拾いに行った。
「――……直路さんも、そうだったよね」
「……あぁ」
 昇は見抜いている。さすがに――……長く付き合った仲だ。最後に会ってから十年近くブランクがあるというのに、私の事はちゃんと理解してくれている。
「懐かしいな、もう随分前なんだね。あの頃はほら、皆で直路さんに記憶力上げるおまじないーとか掛けてもらってさ。本当に効くとは思ってなかったけど、でもやっぱり違うよね。そういう思い込みって大事なんでしょ?」
「私に訊かれても判らないよ、専門家じゃないんだから」
 彼らは『術』の事を知らない。知らせる事は、掟に反するからだ。術の事を広く世間に知られてしまえば、今のこの世の中――……どうなるか判ったものではない。第一、今現在この世界で桧村家の者が生まれ持った術を使えるのは私一人だけだ。生まれながらにして、その才能を持った人間だけが――……受け継ぐ、特殊能力。
 私は兄のお零れの才能を貰っただけだった。その能力は、大方が長子に受け継がれる。二人目は何にしても――……そこそこでしかない。兄は何に関しても上手く出来た。顔はよく似ていると言われながら育ってきたが――そういう、中身に関しては、ことに全く違った。兄の術の威力は、恐らく今の私の数倍はあっただろう。私は飽くまで欠陥品で、術を使えばその反動で右目の虹彩に得体の知れない色素が生じる。大体、碧色になった。虹彩の色は赤などではない限り、目には影響しないと聞くが――……いきなりオッドアイになって目立ちたくは無い。ただでさえ、ドイツ人の祖母の血を引いた灰色の目をしていると言うのに。黒髪で生まれてきたのはせめてもの救いだったと思う。
「あれ、そういえば直実君、今仕事は?」
「毎日ケーキを作って紅茶を淹れてる、とだけ言っておこうかな」
「そっか、そういえば昔から上手かったよね。――おーい、晃介君! 何格闘してんの?」
「箒に虫がくっついてやがんだッ! クソー、退けぃッ」
 相変わらず――……仲間たちは、平和に過ごしている。私は晃介の姿に思わず笑った。
 私がどんなに苦労しても、それが離れて暮らしている彼らに伝わる事は無い。それで当たり前だ。もし伝わったら逆に怖い。
 でもだからこそ、理解者を求めているのかも知れない。純は――……私の碧色の瞳を見て、訊いて来た。一体どういう事なのか、説明してくれ――と。全てを隠し切れないと思い、そしてまた彼の実直さを信用していたから、私は彼に話した。

 いや、待て。
 信用しているというのなら――晃介も昇も同じなのに。



 ――……それならどうして、純にだけ話せたのだろう?



 離れた土地で暮らしている二人には、話す機会が無かっただけかも知れない。今まではそう思って来た。
 でも――……違う気がする。何故だろう、そんな風に考えた事は無かったのに。

 ……何か……あるのか?2人と私の間に、何かすれ違いがあるのか?
 そう言えば――……兄はそういう事も、敏感に感じ取っていたか。

『直実? 何か私に言いたい事があるなら、正直に言っていいよ』

 ――懐かしい声が、鮮明に甦る。

 私にそれが判ればいいのに。
 それなら純の手伝いもはかどって、ハルに不味い血を飲ませずに済むのに、と幾度も自分を呪った。

 何かがある。
 兄ではない私でも――……少しは判る。


 今回の帰郷が、穏やかに終わりそうも無い事に――……私は何となく、気付き始めていた。