こ は る び よ り 探 偵 日 記 ― 第一話 黒板の裏側



   Prologue

誰にも知られたくない。

誰にも見られたくない。

皆そんな事言って、大事なモノを隠してる。


――あたしは、自分自身。

ヒトに見られて、見失いたくないの。


いつかは朽ちてしまうこの身体で――、

あたしはいつも、あたし自身を見つめている。




そしてまた、毎日を繰り返して。

 あたしの街は、夜明けを迎える――。


   *

 ああ、信じられない。この寒い中あの子供ら、何がどうなったら好き好んであんな薄着で遊んでいられるんだろう。――ま、あたしには全然関係無いっちゃ関係無い事だけど。

 窓からの風景を見てそんな事を考えながら、あたしはまた布団の中に潜り込んだ。さすがに一晩中自分が寝てた布団はあったかい、あったかい。せっかくの冬休みなんだもん、寝られるだけ寝とかなきゃ。
 そして、あたしが再び瞼を閉じようとしていた、その時だった。

「楓ッ! かーえーでッ!! おい起きろ、起きろーッ!」

 ――……ヤな声聞いた。二つ年上の兄さんの、軽そうな声だ。室内なのにバタバタ音を立てながら、あたしのベッドの横に立つ気配。そして、布団の中のあたしを揺さ振る。
「な、起きろってば楓。頼むからさぁ、な、お願い」
「うるさいなー、もう! 何なの? 何しに来たの?」
 布団の中から声を張り上げてみる。兄さんはあたしを揺さ振るのを止めて、答えた。
「だから、楓に頼みたい事があんだよ。父さん母さんからも頼まれてんだってば」
 この言い草……あーもう、腹が立つ。
「『だから』とか『だってば』とかッ、そんな話あたしは一回も聞いてない!」
 布団を押し退けて叫んだら、兄さんは呆気に取られたような顔になった。やーい、ざまーみろ。
「何よ、何固まってんのよ。で? 頼みごとって何?」
「いや……買い物頼もうと思っただけでさ」
 慌てたような仕草で答える兄さん。……まだ寝てる人を起こしてまで、買い物だけ? 呆れた。
 あたしはベッドから足を下ろして、いい加減な口調で兄さんに尋ねた。
「はいはいはい判った判った。何買ってくればいいの?」
 何か、嫌な予感がした。
「え、あ……うん、餅を五袋……そこのスーパーで……」
「……五キロ?」
「……うん」
 頷きながら兄さんは、部屋から出て行こうとしている。
「食いすぎー! つーかそんぐらい自分らで買ってこーい!」
 そう叫んであたしが枕を投げようとした時には、兄さんは既に逃げてドアを閉めてしまっていた。全く、抜け目無いヤツ。枕はドアに音を立ててぶつかり、無力にも床に叩き付けられた。
 もう――……しょうがないな。ため息が零れる。
 あたしは机の上に放り出してあった財布の中身を確認してから、朝食を食べる為に部屋を出た。まあ、どうせ今日の朝も餅なんだろうけど。いい加減飽きてきたのにまた五キロも買わせるんかい、このか弱い娘に。

 何て言うか、この何でもない――いや、餅五キロはそうでもないか――買い物が全ての始まりだったと考えると、不思議な感覚に陥ってくる。

 ―――世にも不思議な物語の、始まり始まり……に、なるといいな。


第一章「聖者の街」

   1

 正月とは言え、駅前の街はにぎやかだった。結構駅近くに一軒家を構えさせてもらってるお陰で、あたしが買い物に行かされるスーパーは駅前の割と大きなチェーン店。チラシに『二日より初売りィ!』なんて変な文字で――多分、店長の手書きだ――大書きしてあっただけあって、なかなかの盛況振りだった。酷い人込みはあんまり好きじゃないけど、まぁにぎやかなのは嫌いじゃないから、許した。
 でもやっぱり、五キロって重いね……。否、餅のついでに、と頼まれたその他諸々も含めれば、多分五キロどころじゃ済んでない。駅前から僅か五分の道のりが、物凄く長く感じられる。あたしは息を切らしながら歩いて、一歩ずつ着実に家に向かって進んだ。

 ……………………。

 うん、やっぱり無理だと確信。ちょっと休憩するかな、とあたしが荷物を地面に置いて背伸びをし、ふと周囲を見回した時だった。

「……? お茶屋さん?」
 ちょっとアンティークな感じの建物の上部に、新しそうな木の看板。確かに茶屋って読めた。

 その前の文字は――……小春? 全部通して小春茶屋?
 何だろう、人名? 小春さんって女のヒトが主人とか? ――……なんて妄想膨らましても無駄か。店名にツッコんでてもしょうがないし。そう思って、あたしはまた出発しようと荷物を持つ。

 ドアが開く音がした。キィキィなんて云わせないで、すぐに閉まる音が聞こえた。
 その、一瞬の間に。
「……お茶、つーか……紅茶の匂い?」
 が、した。あたしがまたそっちへ振り向くと、そこにはさっきまで居なかった人が立っていた。
 体格からして、男の人。背は、高いような……高い方、かな。茶色い和服を着てるけど、何とも生地が薄くて寒そう。細めのレンズの眼鏡を掛けていて、髪は真っ黒でやや短い。目は――……少し、灰色? 日本人にはなかなか居ない色だ。
 で、こっちを見ていた。端から見ると、見つめ合ってる状態。
「紅茶で何か――……いけないか?」
 不思議そうな顔で、その人は言った。低めの、大人しい声。台詞は喧嘩売ってるけど、口調は全然そんなじゃなかった。そもそも表情が怒ってない――って、訊かれてるじゃないか、あたし。答えなきゃ――。
「いや……ただ、お茶屋さんで紅茶って、珍しいかなって」
 あたしの答えに、その人はやっと納得がいったらしい表情になった。それから、あたしの荷物を指して言う。
「――それ、重そうだな」
「かッ、構わないで下さい! 急いでますんでッ」
 ダメダメ、知らない人の誘いにノっちゃいけないの。あたしだってまだ高校生なんだし、気付けないと。別に――……今の人が悪い人だって思った訳じゃないけどさ。買い物袋の五キロや十キロぐらい、あたしにだって持って帰れる。そこまで貧弱じゃないやい!
「あ、ちょっと」
 その人があたしを呼び止める声が聞こえたけれど、あたしは無視して、逃げるように走った。
 なんか、不思議な人――……態度っていうか雰囲気っていうか、それが何か、普通と違う気がした。だからって何がどうって訳でもないけど、とにかく不思議に思えた。抱えてる五キロプラスアルファが、全然重く感じられないくらいに――……。


 ―――……って、あれ?


 一袋足りないじゃない! どっかに……落とした? おいおい、四キロ持って彷徨わなきゃいけないのかい……正月から酷な運命だねぇ、楓さん。ため息二回。そんなことやってても埒が明かない。とにかく、拾いに行かないと。
 あたしは三回目のため息を吐きながら、今来た道を引き返してトボトボ歩いた。で、四回目のため息を吐きそうになった時、あたしの肩が誰かに叩かれた。
「え?」
 勿論、あたしは驚いて振り向く。そこには――……さっきの、不思議な人が立っていた。片手に、餅の袋を抱えて。
「あ……これッ」
「あぁ、落としたから呼び止めたんだけど――……走って行っちゃったので」
「ご、ゴメンなさいッ! 拾ってくれてありがとうございます、それじゃッ」
 関わっちゃいけない。そんな気がした。この人と関わったら――何か、後でものすごい事になる気がする。そう、第六感みたいなもので、感じた。

   *

「不思議な、子だなぁ」

 相手も相手でそんな事を言っていた事を、楓は知らない。

「サネが怪しいからじゃねェのー? 『お嬢さん、ちょっと』って……森の熊さんみたいな?」

 何処かから、高い声がする。姿は見えない。そして一人で笑っている。

「……ハル。ぴったりだけど何か凹むからやめてくれ」

 ハルと呼ばれた『声』は尚も続ける。

「まぁまぁ、そーゆー事もあるってぇ。サネのケーキ美味いんだしよ、お前に落ち度はねぇぞ?」

「褒めきれてないお世辞も止めろ。お前、ケーキなんて食えないだろうが」

「バレたかッ!」

 またも高笑い。全てが冗談のような口調だ。実際冗談だろう。サネと呼ばれた男がため息を吐く。

「とにかく――……もうそろそろ、開店だ」

「へいへい。素直にキッチンで待機してます、隊長」

「全く……せっかく一人なのに落ち着かない家だな」

「サネぇ、俺様を入れないつもりかよぅ」

「ヒトじゃないだろう? 単位が違う」

 それからしばらく、その空間には物音一つ立たなかった。


「どーせ……猿ですよ……」


 数分後にようやく、そんな呟きが聞こえただけで。


   2

 餅五キロでさえも、大食いな兄と父、そして母の手によって冬休み中に消え去った。それこそ信じられないっつの。あたしは数学の宿題をやりながら、色んな事を考えていた。
 三学期のマラソンとか。運動しといた方がいいかな、とか。その為には外に出ないとな――……とか。外、か――……そういえば、五キロの件以来出かけてないや。特に買う物も無かったし、友達からも特に誘われなかったし。多分、皆宿題で忙しいんだろうけど。
 あたしは最後の問題の答えをレポート用紙に書き終えて、ようやくシャーペンを置いた。背伸び。うー、答え合わせ答え合わせ。これで間違ってたら、もう一回やり直しの悲劇――……だけど、どうやら間違いは無さそうだった。これでも数学は得意科目なんだから。あたしは使ったレポート用紙をまとめてホッチキスで止め、名前を書いた。で、机の右端に置いておく。これで宿題も完了! 後の休みは思う存分遊ぶだけ!
 肩に掛かった髪を払って、もう一度背伸び。それから立ち上がった。背中まである髪を少し手で梳かして、今度はベッドに座る。
「外……行こっかな」
 このままだと家に居ても暇だし。特にやりたいゲームとかがある訳でもなし。
 それじゃ――……行ってみるか。
 あたしはまた立ち上がって、タンスの中から服を引っ張り出した。

   *

 やっぱり、外は寒い。マフラー巻いても、手袋してても、何してても寒いモノは寒かった。あたしは白い息を吐きながら、いつもの道を早足で歩いた。でも、目的地が決まってない。現在時刻は午後一時、本当なら一番あったかい時間のはずなんだけど――……頼みの綱である太陽の陽射しも、空全体に掛かった雲に遮られている。もう、何であたし、こんな日に出かけようとしたんだろ。息を吐いて、ふと立ち止まる。意味は、無かった。立ち止まったことに、あたしは何の意味も見出してはいなかった。

 ――でもやっぱり運命みたいなモノって、あるのかも知れない。

 あたしが止まった場所は、この前の不思議な人と、出会った場所だった。
「小春……茶屋」
 お茶屋さん。お菓子。お店の中はあったかい。
 そんな連想が、あたしの頭の中で駆け巡った。関わっちゃいけない、この前はそんな風に思った癖に――何故か今日は、惹かれていた。ただ単に、あったかいお茶が飲みたかっただけなんだろうけど――あたしの手は無意識の内に、その店の扉に触れていた。
 古そうに見えて、新しいドア。自然に開いて、あたしをその不思議な世界にいざなう。
 店内は雰囲気だけ和風。フローリングの床にテーブルと椅子がある辺り、既に洋風。木のテーブルが一、二……六つ? 三つずつ、二列。入口側の三つには、それぞれに椅子が六脚ずつ。奥の三つは……ああもう、やめ。結構、広く見える。でもお客さんは、居ない。入り口左の小さなカウンターで、優雅に白いカップで紅茶を飲んでいる――……主人が、ひとりだけ。
「いらっしゃいませ」
 この前の、不思議な人だ。あたしが戸惑っていると、彼はカウンターから一声。
「ご自由に、お好きな席へどうぞ」
 そんなこと言われたって――……こんだけ沢山あるのに、どうやって選べっての。仕方なく、あたしは一番近くの椅子を選んで座った。人が入って来た時に、一番最初に目に付く場所。あちゃ、すごいトコ座っちゃったな。
 なんて思っても後の祭り、主人の彼がカウンターからメニューを持ってきてくれた。ついでに、水。寒いちゅーに……まぁ、しょうがないけど。とりあえず、あたしはメニューを開く。開いてまた、驚いた。
「……ケーキ?」
 お団子とかじゃないの? このお店。別に、ケーキが嫌いって訳じゃないけど……まぁよく考えてみたらあたし、さっき『雰囲気だけ和風』って思ったっけ。その印象に間違いはなかった、って言う訳か――恐れ入りました。
「お望みなら和菓子も出しますが」
「甘味処って言うよりもカフェなのね、実は」
「えぇ――……一応」
 不敵な笑みだ。やっぱりこの人の不思議な印象は変わらない。
 ん? 待てよ、この人が主人って事は――……小春って、店主の名前じゃないんだ――。
 って、何どうでもいいこと考えてるのよ。お茶飲みに来たんでしょうが。そのはずなのに、どうしてだか、妙に緊張した。メニューを持つ手が震え始める。いけない、こんなの見られたら嫌! さっさと注文しなきゃ――……、

「レモンティーと……レアチーズケーキを」
「……以上で宜しいですか?」
 心臓がドキドキする。何で? あたし、どうしてそんなに緊張してるの? 自分で自分がよく判らない。主人はメニューを持ってカウンターに戻っていく。あたしはその後姿を見送りながら、必死で心臓を抑えつけた。
「ハル、レアチーズだ」
「はいはいッ」
 高い、子供のような――……いや、子供の声が聞こえる。あの人の子供? いやいや、そんな歳でもないと思う。どう見ても二十代、いいトコ三十だって、あのひと。じゃあ、誰だろう? ――なんて、またどうでもいいような事を考えている間も、心臓の拍動は激しいまま。
 一体、何がどうしたって言うのよ――……!
「……貴女はどうやら、感受性が強いようだ――……これはいけませんね」
 主人がさっきと同じ、白いカップに紅茶を注ぎながら言う。あたしに、向けられた言葉? あたしが、感受性が強いって? 何の話をされているのか、よく判らない。あたしはひたすら深呼吸して、心臓が落ち着くのを、待った。その間に、主人はチーズケーキと紅茶を持って、あたしの横までやって来ていた。皿とカップをあたしの前に置いて、呟く。
「大丈夫です。店に仕掛けをしている以上、こういう事があるのもやむを得ない」
 そして彼は、あたしの耳元でパチン、と指を鳴らした。
 異常なほどに拍動していたあたしの心臓は、ようやく、落ち着いた。
「申し訳ありません、普通の人間には効かないんですが――……時々、貴女のように『力』の強い方がいらっしゃると、色々と弊害が起こる場合が」
「何が……何が、効かないって? 店に何の仕掛けしてるの? それに……何の話?」
「いきなり貴女に話すのは早い――……今はとりあえず、紅茶をどうぞ」
 落ち着いた口調。忘れてた、あたしお茶を飲もうと思って――。
 白い湯気の立っている紅茶を、一口、飲んだ。
 あったかくて、少し酸っぱくて―――……美味しかった。さっきまで緊張していたのが嘘みたいに、あたしの身体は一気にリラックスモードに入っていく。それこそ、不思議。チーズケーキも、すごく美味しかった。あの人がひとりで……いや、あの子供と二人でやってるお店なんだったら、きっとあの人が作ってるんだよね。似合わないって言ったら失礼だけど、でも、本当にそう思った。

 ――こんなお店、滅多にない。この近所には、間違いなくココしかない。友達にも教えよう。

「あの――……お名前、なんておっしゃるんですか?」
 訊いてみた。答えてくれるかどうかは、判らないけれど。
「私の、名前ですか?」
 きょとんとした顔。えっと、初対面の時もこんな感じだった気がする。あたしがコクコク頷くと、彼は少しはにかんだような顔で、答えてくれた。
「桧村……直実、と」
「……なおざね、さん?」
 珍しい名前。えーっと、確か……そうそう、熊谷次郎直実ぐらいしか思いつかんって。平家物語の敦盛最期でかきくどいてた人。
「はい。――貴女は?」
「え、あ、あたし!?」
 何で訊き返されてるのよ? いや、でも、訊かれた事には答えないと。
「あたしは――……泉谷、」
「しげる?」

 …………は?

「ち、違うわよッ! 性別すら違うって……あれ?今の声……」
「……少なくとも私じゃないぞ」
 うん、間違いなく直実氏の声じゃない。もっともっと高い……あぁそーだ、あの子供の声!
「俺おれ。やっほー、見えるぅ? ここ、ここー」
 ちょっと待ってよ、何処に居るの? いくら子供だって、声のする距離に姿が見えない。まさか、幽霊!?――って、そんな訳ないって。じゃあ一体何処に?
「ハル、からかうのも程ほどにしろよ」
「だって……」
「なーにが『だって』だ。――ほら、こいつです」
 直実氏が何かを摘み上げている。よく見ると、それは――――……猿、だった。それは途轍もなく小さなサイズの、猿。体長、十センチくらい。



 え?



 さっきあれ、喋ってなかったっけ?


 なんか、ますます訳が判らなくなってきた。
「サネ、お前の術の所為で混乱してるぞ? ほら、さっさと術を解きなさいッ」
 猿がじたばたと手足を動かしながら喋る。直実氏反論。
「解いてやるものか。掛けるのに何日掛かったと思ってるんだ」
「サネの薄情者ー」
 猿、一気に脱力。
「ハルがはた迷惑な事するからだろう」
 あぁ、ごもっとも。それはともかく、説明してもらわなきゃ!
「ちょっと特殊な事情がありましてね――……こいつには、人間サイズで居て貰われると困るもので」
「はぁ……」
 よく判らないけど、大きいといけないって事か。うーむ、不思議な事情だ。

 で。

「魔法……?」

 呟いたら、何故かそこには沈黙が流れた。

 あたしが直実氏の方を見たら、彼は顔を赤くして咳払いをした。あー、ごまかし入ってる。でも、問い質すに問い質せない。それで――……あたし、何となく気まずいまま、お金払って出てきちゃった。

 よくよく思い出したら、結局、下の名前を名乗ってなかったって事に気付いた。クソゥあの小猿め、あたしの事「泉谷しげる」で覚えてるな。今度行ったらちゃんと訂正しないと――――って。


 どうしてあたし、また行く気になってるんだろう――……?


 やっぱり、よく判らない店。店自体も不思議だけど、中の人たちも変わってるし。第一、人間じゃないのも居るし。『術』とか言ってたし。うーん、この事は家族に話すべきか、話さないでいるべきか――――……。






 小春茶屋。
 それは郊外の街にひっそりとたたずむ、何とも奇妙な和風カフェなのでした。