こ は る び よ り 探 偵 日 記 ― 第零話 白黒メビウス〜カエリタイ探偵と青薔薇姫〜




   3

 藍花ちゃんの部屋は二階にあった。私の自宅の部屋より広い部屋に、大きなぬいぐるみやファンシーなグッズが沢山並んで、いかにも女の子の部屋だった。……圧倒される。
 椅子を勧められたがそれは断った。彼女はベッドの上にぽふっと座ると、壁に寄り掛かった私に、例の花のような笑顔を見せた。
「わたし、ずっと名探偵様に会いたかったんです。お兄ちゃんにもお母さんにもそんなの居ないよって言われたけど、やっぱり居たんですね! 会えて嬉しかったです!」
 ついさっき大好きなじいやが死んだ子供にしてはヤケに元気だな、とは初対面でも何となく感じていたが、やはりどこか違和感を覚える。探りを入れてみるとする。
「二人きりで話したいっていうのは、それだけ?」
 藍花ちゃんは急に黙り込む。しばらく待っていると、彼女は何か覚悟を決めたように顔を上げ、キリッとした表情で答えを告げた。
「あなたの推理、ひとつ間違ってます」

 ――なるほど、やはりただの子供ではなかったか。
 声のトーンも少し低くなり、どこか別人のような印象を受ける。二重人格というわけではないだろうが――……もしかするとこの娘も、私と同じ種類の人間なのかも、知れない。
 そこで私がつい笑いを零してしまったことで、彼女は少し気分を害したらしい。
「どうして笑うんですか? 悔しくないんですか?」
 悔しくないか、と。どうやら彼女は、私に勝った気でいるらしい。
 一つ目の質問に答えるとしよう。
「まさか君に指摘されるとは思ってなかったからだよ」
「馬鹿にしないでください」
「馬鹿にしてるわけじゃない。――それとも意味がわからない?」
 私の言った『まさか』は、君のような子供にという意味ではない。彼女なら、その意味がわからないはずがない。
 彼女は膝の上に置いた両の拳をぐっと握り締めて、上目遣いに私を見る。いや、睨みつける、か。
 しばらくそのまま膠着状態が続いた。
 一体いつになったら、私は家に帰れるのだろう――。気が遠くなりそうだ。

 ――最初に彼女と顔を合わせたときの、彼女の言葉。
 ――証拠を探すと言って駆け出した、彼女の行動。
 ――推理を披露している最中に飛び出した、彼女の質問。
 全てがある一つの事実と彼女の心情を示していたが、私はそれをあえて無視した。

 私が睨み合いに飽き始めた頃、藍花ちゃんは頬を膨らませながら、ようやく話の続きを始めてくれた。
「気付いてたなら、どうして言ってくれなかったの」
「言ってどうするの」
 言ったところで余計に話がややこしくなるだけだろうし、被害者にも藍花ちゃんにも、私にも利点は何もない。まぁ、こうして部屋に呼びつけられることはなかったかも知れないと思えば、言った方がよかったのかも知れないが――。
 しかし藍花ちゃんは理解できないと言いたげな顔をして、不満げな声を募らせた。
「だ……だって、あなたは名探偵様でしょう?」
「名探偵は嘘をついちゃいけないなんて初耳です」
「じゃあ、あなたは嘘つきなの?」
「えぇ、超嘘つきですよ」
 嘘を言うことに慣れなければ、生きてこられなかった。
 だから私は、思ってもいないことを平気で言える。

 そんな自分に腹が立つこともあった。
 正直に生きてやろうと思ったこともあった。

 でも、

「でもね」

 結局は、嘘つきが一番楽だった。

「私は人のためになる嘘しかつきません」
「――うそつき」
 そう言って藍花ちゃんは、笑った。ユーモアのわかる子だと、思った。

「そろそろ私は帰ります。もういいですか?」
 問い掛けると彼女は、最後に一つだけ言わせて欲しいと、大きく息を吸ってから話し始めた。
「名探偵様に会えて嬉しかったのは本当。ハンカチをお父さんの鞄に入れたのは、本当にじいやが可哀想だったから。ただ、――ただ、ちょっと勝負してみたかっただけなの。あなたが言わないから、もしかして勝てたんじゃないかと思っただけなの」
 一つではなかったけれど、そこにツッコむのはさすがに可哀想なので言わないでおいた。代わりに、別の答えを示しておくとする。
「はて、私は気付いてたとは一言も言ってませんよ?」
「え?」
 どっちでもいい。藍花ちゃんが好きな方を選べばいいだけのことだ。結果的には私は言わなかったのだし、事実だけ見れば彼女が勝ったことには違いない。そして彼女が隠れてしたことも、指摘しなかったことでこのまま闇に葬られる。――それでいい。
 彼女は眉の端を思いっきり下げて、本当に困った顔をした。彼女のこんな顔は、今日ここに来てから初めて見た気がする。――ああ、泣きそうじゃないか。まさか今ので泣くとは思わなかった。曖昧にされることがよほど苦手らしい。
 私は壁に任せていた身体を起こし、彼女の方へと近付いていく。それと同時に、必要ないだろうとは思いつつもポケットに突っ込んできた、ビー玉入りの巾着袋を引っ張り出す。
 彼女の目の前で中腰になり、視線の高さを合わせる。
「混乱させてしまったお詫びに一つ、プレゼントを」
 彼女は目を赤くしながら首を傾げている。
 私は巾着の中から小さな青い玉を一つ取り出し、彼女の目の前に突き出す。
「今から五秒、まばたき禁止」
「えっ」
 と言っても恐らく、まばたきしようがしまいが感じ方は大して変わらないだろうけれど――。
 彼女の目の前で、私が持っていた青いビー玉は、深い藍色の薔薇の形をした髪飾りに変わる。藍花ちゃんは文字通り目を丸くして言葉を失った後、一秒で回復して声を弾ませる。
「今のも手品?」
「いいえ、残念ながら。実は私、魔法使いなんです」
「――……それも嘘?」
「さあ、どうでしょうね」
 適当に笑ってごまかしておく。手品を趣味とする探偵の、馬鹿げた冗談だと思っていてくれればそれでいい。
 体勢を少し変えて、彼女の髪に青い薔薇を飾った。
「とてもよくお似合いですよ」
「もう、あなたの言葉は信じられない」
 そんなことを言いながらも笑っている。きっと冗談だ。

 ――さて、今度こそ帰ろう。明日も早朝から仕事だ。
 改めて立ち上がって、別れの挨拶を告げる。彼女も慌てた様子でベッドから降りた。
「また会いに来てくれる?」
 それはさすがに厳しい。
 代わりにと、店の所在地と屋号を伝えた。

 彼女は何故かくすくすと笑って、いつか絶対に遊びに行きます、と言った。
 ――きっと嘘だろうな、と思った。

   *

 事件から三日が過ぎた頃、純がやけにイライラした様子で店に襲来した。まるで嵐だ。いやまるでじゃないな、嵐だな。
 何も言わず店内を進み、カウンターを挟んで私と向かい合った純は、何故か仁王立ちで話し始めた。
「サネ、よく聞け。耳の穴かっぽじってな」
「……何」
「先日の『名探偵様』の大活躍が、恐ろしいことに署長の耳に届いてしまった。署長は話を聴いて大ッ変に感心され、『名探偵様』の犯罪捜査への協力を公認しよう、いやむしろ積極的に協力してもらおうという決定を下された。ついては『名探偵様』の都合のいい日で構わないので、是非面談に来てくれないかということだ」
「は……?」
 耳の穴をかっぽじりはしなかったが、よく聴いたつもりだ。
 ――……。
 ちょっと、待った。捜査に協力してもらおう? 署長と面談? いやいや冗談にも程があるだろう。純のわざとらしい『名探偵様』の発音が、いやに耳に残る。もうそんな呼ばれ方はしたくない。
「予約が三年後までいっぱいってことに」
「どんな喫茶店だよそれ。それに年中無休だったとは知らなかったな」
 確かにボケで逃げようとはしたが、そうやって冷静にツッコまれると少し悲しくなる。ツッコむならもう少しぐらい明るくツッコんで欲しい。
 しかし――……妙な方向に話が転がっていってしまったものだ。
 感謝してもらえるのはまぁ結構だが、感謝状一枚ぐらいで終わらせて欲しかった。何をどう間違ったら警察から私のような素人に協力を求めるような話になるのか。どう考えてもおかしいだろうが。間違ってる。絶対間違ってる。
「ま、いつまで『名探偵様』の武勇伝が続くか、楽しく見守らせていただくとしますよ」
 純はケラケラと笑ってそんなことを言う。
 まるで失敗するのを待っているかのようじゃないか――いや、絶対そうだろう。
「純」
「はいな」
「滅べ」
「――……」
 これが普通なのだから、今更変われと言う方が無理なのだ。――お互いに。だったらいっそのこと、とことんまで付き合ってやるのもいいかも知れない。
 純はそうやってしばらく唸った後、あ、と小さく声を漏らす。何だ、と視線だけをそちらに向けて問い掛けると、彼は何故かニヤニヤと笑い始めた。気色悪い。
「そういや藍花ちゃんのお部屋にお呼ばれして、一体何の話してたんだ? え?」
「え……?」
「呼ばれてただろ。やましいことがないなら話せるはずだな」
 ああ、やっと理解した。
 やましいと言えばやましいことは、ある。ただし、純の意図しているものとは意味が違う。
「黙秘権を行使します」
「えー! 何も変なこと聞いてねえだろ、やましいことがあるのか!?」
 答えてしまったらせっかくの私の気遣いが全て無駄になるじゃないか。どうしてそのぐらい察してくれないのか。
「言えないものは言えません」
「ほう。このロリコンめ!」
「はぁ!?」
 その軽蔑するような目をやめろ。誤解だ。濡れ衣だ。証拠もないクセに好き勝手なことを言いやがって。たまたま他にお客様が居なかったのが幸いだった。
 私はため息と同時に立ち上がり、純を無視して奥のキッチンに向かう。
「あっこら、逃げる気か!」
 キッチンに逃げたところで、ここが私の自宅である以上逃げ続けることは不可能なのだが。……いや、彼がそんな意味で言っているのでないことはわかっていますけれども。
 扉に手を掛けて立ち止まり、振り返る。純はいつも通りの不機嫌そうな顔で私を睨め上げている。私と彼との距離、約三メートル。
「やっぱり私は『名探偵』には向かないよ、純」
 性格的にも、性質的にも。
 全ての真実を白日の下に晒す役目なら、暗闇の中で爆弾を抱えている私より、ずっと向いている人が居るはずだ。――そう、たとえば藍花ちゃんのような。
 私の言葉を聞いた純は一度だけ瞬きをした後、眉をひそめて私を嘲笑いながら、淡々と答えた。
「何を今更。だからこそだろ」
 だからこそ私を陥れるのに、私に精神的苦痛を与えるのにもってこいだと言うのか。恐らくまた厄介な事件があれば嬉しそうに持ち込んでくるのだろう。それまでに『名探偵』の仮面をもう少し分厚くする努力をしておかねば。ああ、署長との面談の準備もだ。
 ――そうだ、いいことを思いついた。
 例の小さなビー玉を用意し、彼の立つ方向へと投げ上げる。
「純、キャッチ」
「え? ――……っと、」
 その間に私はキッチンへ滑り込む。

 ――夏のある晴れた日の午後、東京。
 閑静な郊外の街の片隅で、男の叫び声が響き渡った。