こ は る び よ り 探 偵 日 記 ― 第零話 白黒メビウス〜カエリタイ探偵と青薔薇姫〜




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「名探偵様、わたしを助手にしてください!」
 少女は目を輝かせながら私を見上げ、拒否でもしようものなら一生分の罪悪感が襲ってきそうな笑顔と弾んだ声で、そう言った。殺人現場という砂漠に一輪だけ咲く可憐な花のような第一印象だったが、どうやら水のない地で力強く生きるだけの図太さは備えているらしい。
 まず一言弁明しておこう。
 確かに私は多少他の人間たちと異なる性質を持ってはいるが、一社会人としてごくごく平凡に生活しているつもりであり、かわいい助手に『名探偵様』などと呼ばれたくて殺人現場に潜り込んでいる目立ちたがりの名探偵ではない。そもそも私は本来探偵役としてふさわしくない存在でもある。もう、できれば全部なかったことにして今すぐ帰りたい。
 ――しかし、そうも行かない事情があった。
 チラとその『事情』の方を窺う。壁に寄り掛かってその状況を見守っていたそいつは――私の視線に気付くと、ニヤリと私を気持ち悪い笑みを返してきた。腹が立つ。後で一発殴ってやる。
 私はひとつため息を吐いて、少女の目を見直す。――期待に満ち溢れた目だ。たとえそんな事情がなくても、これを裏切るのは気分が悪い。こんな時ほど、自分に時間を巻き戻す能力がないことを恨むことはない。……仕方ない、こうなったらヤケだ。
「いいでしょう。足手纏いにならないように、よろしくお願いしますね」
 そして笑顔を作って――……ああ駄目だ、やっぱり気持ち悪い。帰りたい。帰らせてください。やっぱり無理です。作ったつもりの笑顔が引きつっていそうだ。
 私がそんなことを考えているとは思いもよらないであろう少女は、顔に大輪の花を綺麗に咲かせて、また私の戦意を奪っていくのだった――。

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 はじまりの合図は、『彼』の来店だった。
 東京郊外の片田舎に小さな喫茶店を開いてから約一年強。食べていくのがやっとだが、ただひたすらに平和な毎日を送れることに幸せを感じていた私にとって、彼の来訪は青天の霹靂だった。
 ――何せ彼は刑事になった男である。そうそう関わり合いになりたくはない。
 名を茨木純と言い、私の天敵でもある。身長こそ私の方が高いが、さすがに刑事らしくそれなりに筋肉質だ。軽く手を挙げて挨拶をしたつもりか、彼はカウンターの中に居る私の目の前までつかつかと歩いてくる。
「うち、そういうの間に合ってますんで」
「二年振りに会った幼なじみに対する挨拶がそれか」
 会話が始まって早々に頭をはたかれた。痛い。ツッコミのつもりなら何も本気ではたくことはないだろうと思う。
「……何の用だよ」
「用がなかったら知り合いの店に来ちゃいけねえのかよ」
 それはごもっともだが。
 確かに、経歴だけ見れば幼なじみになる。付き合いは幼稚園の頃からだ。しかしお互い顔を見れば喧嘩になるような仲で、彼だって別に私のことが好きだということではないだろう。……いや、もしそうだったら吐き気がしそうだが。
 彼はため息を吐いて周囲を見回し、カウンターに近いテーブルの椅子をひとつ取ると、勝手にカウンター席を作る。そして私にコーヒーを淹れろと注文ではなく命令した後、ニヤリと不快な笑みを作った。
「――例の契約、忘れたとは言わせねえぞ」
 作業をしていた私の手が止まる。そんなものが未だに有効だとは思っていなかった。
「お前に協力しろ、と? 仕事関係ならさすがに断るぞ。いくらなんでも、」
「仕事関係だよ」
「だから断るっての」
 どういうつもりで、私に何をして欲しくて言っているのかは知らないが、警察の仕事は警察官だけでちゃんと片付けていただきたい。警察がさっさと事件解決してくれなかったせいで殺されかけたことがあるのを知ってるはずだ――という話をすると、彼はけろっとした顔で頷いた。
「だから、早期解決の方が大切だろ?」
 つまりそれは事件解決に協力しろという話。しかし、今現在私は何かの事件に関わっているわけではないから、彼が私に求めているのは情報提供などではなくて――……。
「あの、まさかとは思いますが、」
「協力してくれないなら俺は徹底的にお前の敵に回るって契約だぞ。刑事の敵が何かわかるよな」
「いや私別に犯罪者じゃないし」
「『名探偵』になるか、犯人になるか。選べ」
 ああ、やはりなのか。大体何だその究極の選択。それに人の話を聞け。無意識にため息が零れる。
 私は自分のことを名探偵などと思ったことはないし、そんなものになりたいと思ったこともない。例の契約が交わされる原因となった事件で私が捜査を始めたのは、先に純が私を犯人ではないかと疑っていたからだ。結局犯人を指摘こそしたものの、殺されかけた上に犯人も死ぬという悲しい結末に終わった。今度だって、犯人扱いされないようにとそちらを選んで、探偵役が務まらなければ恥ずかしいどころの話ではない。
 かと言って後者を選んで、純に『徹底的に敵に回』られると困ると言えば困る。逮捕するなどという話にはならなくても彼は私の弱味を握っているし、妙な噂でも流されると風評被害をもろに食らいそうだ。彼が犯人だという証拠でもあれば訴えることも可能だろうが、昔から陰に隠れて悪いことをする奴だったので、簡単に証拠を握らせてくれるとも思えない。
 ――何ということだ。どちらを選んでも私の行く先に待ち受けているのは茨の道じゃないか。……茨木だけに、か。そんな上手いことを言ったつもりではないだろうが、目の前の男がこの上なく恨めしい。こんな奴にうっかり秘密を暴露してしまった昔の自分も恨めしい。
「……もしもだ」
「何だ」
「失敗したら、そのフォローはしてくれるんだろうな」
 コーヒーカップを差し出しながら、彼を睨みつけて尋ねる。
 すると彼は何故か眉をひそめて、苦笑した。
「えー? 超天才のお前が失敗するわけないだろ?」
 彼のその悪びれない笑顔を見て、ようやく悟る。――こいつは私を陥れようとしているだけなのだ、と。
 恐らく彼は誰にも私を巻き込むことを話していないのだろうから、私は自信満々な『名探偵』のふりをして現場に潜り込まなければならなくなる。とすると、そこで私が事件解決に失敗しようがこいつには何の関係のないことであって、恥をかくのは私一人だけだ。もちろん解決できれば万々歳だから、結果がどうなろうと、彼は絶対に損をしない。
 つまり、この状況で私が保身をしようと思ったら、嫌でも『名探偵』にならなければ、ならない。
「ってなわけだから、厄介な事件があったら連絡する。頼むぞ、『名探偵』」
 人の不幸は蜜の味だと、彼の憎たらしい笑顔が雄弁に語っている。
 一方的に追い詰められるのは気に食わない。最後に一矢報いてやる。お前は小学生かと笑われても別にいい、言っておかないと気が済まない。
「――純」
「何だよ」
「死ね」
 コーヒーを啜っていた彼はそれを噴き出しそうになったのを無理に堪えて、思いっきり咳き込んだ。

   *

 そんな約束をさせられてから三ヶ月が過ぎ、夏になった。忙しく毎日を送っていると、その頃にはそんな約束の存在などもう半分忘れかけていた。
 今日は定休日だ。買い物など用事を済ませた後、リビングでのんびりとワイドショーなどを横目にティータイムと洒落込んでいた午後三時、私の携帯電話が鳴った。――相手はそう、純だった。
 用も無いのに電話をしてくるような奴ではない。嫌な予感がする。
 出るか、出ないか。
 悩んでいるうちにだんだんデフォルトのコール音が鬱陶しくなってきて、結局、五回ほど鳴ったところで恨みを込めながら通話ボタンを押した。
「ただいま電話に出ることができません。ピーという発信音の後に、」
『出てんじゃねえか』
「――……」
 引っ掛かったふりぐらいしてくれたっていいじゃないかと思う。ユーモアのわからない奴だ。
「……用件は」
『蒼杜本町二丁目の早乙女って屋敷だ。五分で来い』
「は?」
 そんな家は知らない。たとえ正確な住所を教えられても五分では行けない。そう伝えると、純は意外にも素直にわかりやすい目印を教えてくれた。ついでにパトカーが居るからすぐわかるだろう、と。
 ……そんなことはどうでもいい。私はそんなことが言いたいのではない。問題はそこに何をしに行くのかだ。
「確認なんだけど、今そこで人が死んでるとかそういう系じゃないだろうな」
『は? そういう系に決まってんだろ』
 やはりユーモアのわからない奴だ。思わず舌打ちをした。
 五分か。バイクを飛ばせば行けない距離ではない。着替えた方がいいだろうかとも思ったが、そんなことをしている時間はないな――。いざと言うときのため、いつも持ち歩いている万能巾着だけ手に取っておく。中身は企業秘密だ。
『そろそろ切るぞ。俺がお前呼んだってバレたら厄介だからな』
「はいはい」
 私の返事を最後まで待たずに、通話が切れる音がした。つくづく腹の立つ奴だ。が、行かないで後で面倒なことになっても困る。とりあえず行って、入らせてもらえませんでした作戦で流せるかどうか試してみよう。いくら本物の名探偵だったとしても、警察官は殺人現場にいきなり現れた赤の他人をそうやすやすと入れてくれはしないだろう。
 むしろ入れてくれないことを祈りつつ、私は覚悟を決めて立ち上がった。

   *

 純が『屋敷』と表現していた通り、早乙女家は周囲と比べてかなり大きな家だった。白塗りの壁、三階建て。しかし来客を拒む巨大な門とか広大な前庭とかがあるわけではなく、程ほどに大きな門扉から普通に玄関のドアが見える。
 私がそこでバイクを停めたのに、それまで静かに立っていた警官が気付いて歩み寄ってくる。
「この家に何か御用ですか?」
「いえ、実は私、探偵でして。たまたま通り掛かったんですが、何かあったんですか?」
「た、探偵……?」
「え……えぇ」
 そんな、不審者かのように見られると心苦しい。いくらなんでもTシャツにジーパン姿で来るのではなかったか――。いやでも、着替えたらそれだけで五分過ぎていただろうし。堂々巡りだ。
「探偵だか何だか知りませんが、駄目ですよ。立入禁止です」
 警官はキリッとした目を私に向けて宣言した。頼もしい。もし今の言い分で通されていたらさすがの私も警察を批判する。全力で。
 しかし、ここですごすごと帰るぐらいなら、思い切りシカトして来なかった方がよかったような気がする。この警官から後で純に伝わりでもしたら後で何があるかわからない。もう少し努力のあとを見せておくとするか――。
「そうおっしゃらずに、そこを何とか」
「だ、駄目ですってば。お知り合いってわけでもないんでしょう?」
「ええまぁ、そうですけど」
「お引き取り願います!」
 内心では面倒な客に付き合わせて申し訳ありませんと本気で謝罪しつつも、困った笑顔を作り続けられる自分が悔しい。しかし、このまま押し問答を続けてもきっと同じことだろう。私はわざとらしく大きくひとつため息を吐いて、切り出すことにする。よし、帰ろう。
「……わかりました。そこまで言われるのでしたら、」
 そこでドアが開く音がして、私は思わず続きの言葉を飲み込んでしまう。
 ――物凄く嫌な予感がした。というか、嫌な予感しかしない。
 予想通り、玄関から顔を出したのは見覚えのある――いや、見慣れすぎた顔だった。
「何してんの? ……あれ、サネ? こんなとこでどうしたんだよ」
 どうしたもこうしたもお前がここに呼んだんだろうがと叫びたいのを全力で堪えて、できる限りニッコリと笑う。
 ああ、言うまでもないだろうが、サネというのは私のあだ名だ。略称と言うべきか。
「いや、たまたま通り掛かって」
 先程まで押し問答を繰り広げていた立ち番の警官が不思議そうに、私と純の顔を何度も交互に見て、最終的に純の方を見て尋ねた。
「……茨木さんのお知り合い、ですか?」
「おー、腐れ縁でな。何だ、入りたいのか? 入らせてやってもいいが、入るならきっちり事件解決に貢献しろよ?」
 別に入りたくないので、帰らせていただけると嬉しいです。私の休日はまだ途中だ。……などと言ったら蹴り飛ばされかねないので、渋々ながら純の演技に乗る。
「ああ、任せとけ」
「ほほう、大した自信だ。――じゃ、どうぞ」
 今日ほど純を恨んだ日はない。
 チラと警官の方を窺う。その視線に気付いた彼は、パッと姿勢を正して敬礼をしてみせた。
「先程は失礼いたしました」
「い、いえ、とんでもないです。ありがとうございます」
 こっちが謝って然るべきところですから、そんな風に畏まられると胃が痛いです。果たして今日私は生きて帰れるのだろうかと不安になりつつ、純の後について玄関に上がらせてもらう。
 ――広い玄関だ。そこからまっすぐ奥に向かって廊下が伸びている。大きな下駄箱の上にはガラスの花瓶に真っ赤な花が飾られていて、壁には高そうな絵が掛かっている。
 長い廊下の右側に、ドアがいくつも並んでいる。そのうち玄関に一番近いドアがふと開いて、不機嫌そうな顔をした中年の男が顔を出した。――スーツ姿だから、家人ではなく警察の人間だろうか。
「ああ茨木、そんなとこに居たのか。……誰だそいつ」
 やはりそうだ、純の先輩刑事か誰かだろう。純の居場所を探していたらしい。そして私が注目されている。思いっきり睨まれている。
 私が名乗ろうと口を開く前に、代わりに純がとんでもない紹介をする。
「俺の幼なじみの自称探偵です」
「自称探偵?」
 他称の間違いだろうが――と思ったが、さっき警官に言ってしまっていた。職業探偵ではないから自称を取るわけにもいかない。せめて普通に笑って挨拶しておくことにする。
「桧村直実です。こんにちは」
 中年刑事は「どうも」とだけ答えて私の目をしばらく睨んだ後、不思議そうな顔をして呟いた。
「……そんなの本当に居るんだな」
「ははっ、変な奴なんです。まぁ実績はあるんで、少しは役に立つかと」
「……変なことはさせないようにしろよ。終わったら戻って来い」
 そう言い残して、中年刑事は部屋から出て廊下の奥へと向かっていってしまった。
 ……いいのか。今の紹介でよかったのか。信じられない。実績があるというのはまぁ嘘でこそないが、そう何件も解決したわけじゃない。いいのか、これで大丈夫なのか。
 唖然として立ち尽くしていたところを、純が腕を引っ張ってきてハッとする。
「こっちが現場だ」
 彼は中年刑事が今まで居た部屋の中を指している。今更ながらお邪魔しますと呟きながら続いて室内に入ると、そこは広いリビングのようだった。左側は仕切りがなくダイニングに繋がっていて、その奥にカウンター式のキッチンが見える。室内玄関側の壁際に置かれているテレビを家族全員で楽しむのか、長方形のガラステーブルを三つの白いソファが囲んでいる。
 そのソファの奥で、鑑識らしき人たちが何か作業をしていた。ソファの隙間から、赤いものがちらりと覗いて見えた。
 純がそちらへ向かって歩いていくので、何食わぬ顔をしてついていく。テレビの丁度正面に当たるソファの陰に誰かのボストンバッグが置いてあって、一瞬つまづきそうになった。

 ――そしてそれが、自然に視界に入る。

 奥のソファの陰で、腹から血を流しながら、テレビの方に足を向けて仰向けに倒れている――、小柄な白髪の老人だった。服装からして、この家の人間というよりは使用人の類だろう。傷口を押さえている両の手首から先が、べったりと血に染まっている。彼の傍、足元の辺りに転がっているのは、凶器らしき血のついた包丁。自然とため息が零れてしまうのは、別に死体や血が苦手だからとかではない。
 鑑識の仕事の邪魔にならない程度に近付いて、状況を目に焼き付けておくとする。――よし。
「ここンちの執事で、桐谷(きりや)さんっていうそうだ。まあ、子供らはじいやって呼んで親しんでたらしい」
「……じいや」
 今時本当にそんな呼び方をされる執事が居るのか――。いや、そんなことはどうでもいい。
 純はこの家の家族構成について説明してくれた。会社社長の夫と彼を支える妻、息子と娘が一人ずつの四人家族。そして執事は先代社長の頃から四十年以上に渡り、この家に勤めていたという。
「人に恨みを買うような人じゃねえってさ」
 ……まあ、そうだろう。
「で、そのご家族っていうのは」
「ああ、別の部屋に居る。もういいのか?」
 確認されてしまったので、改めて周囲を見回してみる。
 至って平穏なリビングルームだ。荒らされた形跡どころか、恐ろしく綺麗に掃除の行き届いた部屋。その中で遺体の周辺だけが、異彩を放っている。すぐ傍の窓にはしっかりと鍵が掛けられている。外部犯の可能性は低い、ということか。――もういいだろう。私は頷いて、部屋を出て行く純に続く。
 純はすたすたと廊下を進み、リビングの二つ隣の部屋にあたるドアをノックして開けた。
 ――そこは応接間か誰かの書斎のようで、リビングよりはいくらか狭い。学校の校長室かどこかの社長室のように、部屋の奥に大きな黒のシステムデスクが鎮座して、大きな存在感を示している。その手前に木の四角テーブルがあり、二人掛けのソファが向かい合わせにして置かれている。
 そのソファに、三人の人間が座っていた。向かって右側に中年の男女、左側奥に高校生ぐらいの少年。――三人? 一人足りない。娘が居ない。先程の刑事が居ないから、別の部屋で個別に話を聴くか何かしているのだろうか。
 恰幅のいい父親は腕を組んで、イライラした様子で貧乏ゆすりをしている。母親は少し縮こまって、こちらの様子をちらちらと窺っている。茶髪の息子は足を組んで退屈そうに窓の外を眺めている。
「あの……そちらの方は?」
 私たちが部屋に入ってから最初に口を開いたのは、右手前に座っている母親だった。
「ああ、こいつは――」
 すぐに反応して純が何か言い始める。余計なことを言われては堪らない。かと言って、ここで自信満々に私が名探偵ですこんにちは、私が来たからにはもう安心ですなどと言うのも気が引ける。いやしかし部外者である自分が入ることを許されたのは、探偵役としての働きを期待されているからで――。
 ああもう仕方ない、当たって砕けろだ。
「――初めまして、皆さん。探偵の桧村直実です」
 さあて、――絶句されたぞ。
 お辞儀などしてごまかしてみるものの、服装のせいで様にならない。これはひどい。
 せめて休日でさえなかったら。いや、店を放り出して来るぐらいなら断っているか――しかし断れば契約違反になる。つまりいつ呼ばれようと同じということか。今度また呼び出されるような事態になったら、もう少しマシな服に着替えてから出ようと決めた。
 沈黙が続く。途轍もなく気まずい。咳払いをして、次に何を言うべきか考える。
 考えていた、その時だった。

「名探偵、様?」

 背後から届いたのは、鈴の音のような少女の声。ああ、娘か……って、今、何て言った?
 慌てて振り返ると、そこには先程の刑事と一緒に――恐らく小学生の女の子が立っていた。どこか別の部屋で、今まで事情を聴いていたのだろう。
 少女の身長は私の胸の辺りまでしかない。肩に下りる艶やかな黒髪はわずかに内に巻いていて、印象的な大きな瞳が私を捉えている。いかにもお嬢様というべきか、レースで飾られた黒いワンピースを着ているが、この年頃にしては随分とシックな趣味だと思った。と言っても別に同年代の女の子を他に知っているわけではないのだが。
 彼女は少し驚いた顔でしばらく私の目をじっと見つめていたかと思うと、パッと顔を明るくして、叫んだ。
「来てくれたんですね、名探偵様!」
 そして彼女は次の瞬間、

 ――私に抱きついてきた。

 神様、一体私にどうしろと言うのですか。
 知り合いでも何でもない娘さんに突然抱きつかれるなんて状況が、一生の間にあるとは思っていなかった。
 無理やり突き放すわけにはいかないが、このままにしておくわけにもいかないじゃないか。どうしたらいいんだ。思わずご家族の方に振り返って指示を仰ごうとするも、彼らも目を丸くしていて何も言ってくれない。ひどい。
 とりあえず、娘さんの方に声を掛けてみる。
「ちょっ、あの、え、お、落ち着いてください」
「お前がだよ」
 背後から純に脳天をはたかれる。だから、ツッコミならもうちょっと軽くでいいと言うに――。
 娘さんがふっと顔を上げる。そしてニッコリと微笑むと、本当に嬉しそうな顔をして言った。
「わたし、きっと名探偵様が来てくれるって信じてたの! なんでじいやが死んじゃったのか、暴いてくれますよねっ?」
 無邪気な笑顔、としか言いようがない。ああ、彼女の背後に花畑が見える。
 何かこう、『名探偵』に対する憧れのようなものでもあるのだろうか。それなら、どこか騙しているような気がして落ち着かないが――。
「え、えぇ、きっと暴いてみせます。――あの、そろそろ放して頂いてもいいでしょうか」
「あっ、ごめんなさい」
 ようやく解放してもらえた。――恐らく一分ほどしか経っていないのだろうが、今ので寿命が十年ぐらい縮まったようだ。心臓が変な脈の打ち方をしている気がする――。

 ――そうしてやっと安堵したところで、例の爆弾が投下されたのだ。

「名探偵様、わたしを助手にしてください!」

 これが、この奇特な事態に至ってしまった経緯である。