〜 オ マ ケ 外 伝 其 の 弐 〜
『 蒼 海 を 背 に 』
1
蒼い海、蒼い空。
そして蒼い星、地球。
世界は蒼に満ちている。
*
「あーあーあー、もう訳判んないよー」
少年は手に持っていた工具を投げ出し、思い切り項垂れた。
「だから言っただろう、簡単に出来るものじゃないって」
蒼い髪の青年がクスクスと笑いながら自分の作業を続ける。
少年は青年の動きを眺め、自分の奇妙な『作品』と彼の作品を見比べ、首を傾げる。
「いきなりそんな物作ろうとするからだよ、諒也君――……はい出来た」
青年の手から渡されたのはよくある時計。
木で出来た六角形のフレームにプラスチックの針、まさに青年が得意とする分野の作品だった。
「最近はこういうの……キットみたいのがあるだろう?その辺探して作ってみたらどうだい?」
「全部自分でやりたいんだよ」
「全部なんて、6年生でもやらないさ」
彼は言うが、セットされている物をただ組み立てて色を塗るだけではつまらない。
一から形作って初めて、『自分が作った物』として認識できるような気がした。
「そんなにこだわるんだったらこの際諦めて自由研究にしたら?」
「調べることなんて無いよ」
少年は即答した。青年は少々面食らったらしい。
「決め付ける事ないだろうに……ここにも格好の研究対象が居るって言うのに」
「『日本全国妖怪マップ』なんて作ったら怪しまれるだけだって。普通の研究が良いんだよ」
「普通な研究なんて無いさ」
青年がさらっと答える。少年は顔を上げ、どういう意味かと尋ねた。
「判っている事を研究しても仕方ないじゃないか。
判っていない事を研究するんだから、それ自体が『ありきたり』になる事なんて有り得ない」
「……そういう事言ってるんじゃなくて……」
ただ、上手く説明が出来なかった。
青年は楽しそうに笑って、立ち上がる。それから着物についた木屑を払って、少年に手を差し出す。
捕まれという意味らしい。
「別に捕まらなくても立てるよ……僕」
少年はすっくと立ち上がると、散らかった部屋を器用に跳び回り、出口へと到達した。
「流人兄ちゃん、僕下に行ってる」
「ボクは片付けてから下りるよ。店のほうヨロシクね」
「うん」
少年は青年に手を振り、広い『研究開発室』を後にした。
*
店に下りると、そこには1人の少女が立っていた。黒髪を高い位置でまとめていて、背は恐らく少年より高い。
年齢的には少年と同じくらいだろう。春らしい、淡いピンク色のワンピースを着ていた。
「あ……いらっしゃい、ませ」
少年は何となく、店での決まり文句を告げてみた。
しかし少女には通用しなかった。彼女は表情を変えず、淡々と答える。
「――……あたし、客じゃないの」
「え」
少年の反応も気にせず、彼女は自分の話を続けた。
「でもお兄ちゃんはいつも『この家に住んでない時点で客だ』って言う――……よく判らないけど」
「お兄ちゃん、って……流人兄ちゃんの事?」
少女は少年の顔をまじまじと見ると、ゆっくりと言葉を発した。
「――君は誰?」
「僕は流人兄ちゃんの……ただの、友達だけど」
少女はふぅん、とだけ答えた。これでもまだ、彼女の表情は変わらなかった。
一体、この少女は何者なのだろう。
少年には推測する事しか出来ないが、流人の事をお兄ちゃんと呼んだからには知り合いである事は確かだ。
本当の兄なのかは判らない。日本語と言うのは難儀だ。
「ちょっと遊びに来ただけなんだけど……君が居るならお兄ちゃんは寂しくないね。
あたしこれで帰るから、お兄ちゃんにヨロシク」
少女はそれだけ言って店を去ろうとした。少年は慌てて引き止めた。
「名前……君の名前は?」
「あたしは名乗るまでも無いよ」
意外な答えを返されて少年が戸惑っている間に、少女は店を出て行ってしまった。
「――……誰、だったんだろ」
尤も今ここで幾ら少年が考えたところで答えが出るものではないと思うのだが。
それからしばらくして流人が1階に下りてくるまで、客は1人も来なかった。
*
その街から海へはすぐだった。
家から10分も歩けば、水平線を見渡しながらのんびりする事が出来る場所に出る。
だから諒也も幼い頃から、よく海辺に遊びに行った。それが、彼らにとっては当たり前の事だった。
その日も彼は堤防の上に居た。潮風を浴びながら空と海を眺め、暇な時間を潰した。
「こんなところで何してるんだい?――諒也君」
「! 流人兄ちゃん」
「暇なら友達と遊ぶとかはしないのかい?何もこんなところに居なくても」
「今日は遊ぶ相手が居ないからこそ暇なんだよ。皆忙しいんだ」
最近のそういう子供の事情を、恐らく彼は知らないのだろう。
塾にも習い事にも通わない諒也は、たまにこうして友人とスケジュールの合わない日が出てくる度にここへ来る。
諒也は空を眺めるのが好きだった。晴れた空、曇った空、雨の空――……星の見える日の夜空はまた格別だ。
海もまた然り、日によって表情を変える姿が気に入った。
どれだけ落ち込んでも、ここに居れば落ち着けるような気がした。
そんなものは気分的な問題なのかも知れないが、少なくとも諒也にとってみれば、魔法の空間のようなものだった。
「だからってここに居たら怪しまれるよ。帰らない?」
「……帰ったって」
家には遊ぶ物など何も無い。
家に居るのは中学生の姉だけだし、彼女に遊び相手を求めたところで大した遊びはしてくれない。
親が帰ってくるのは日が暮れた後――……それまで家で、何をしていられようか。
諒也が不満げにしているのを見て、流人は彼の隣に座ると、深呼吸をした。
「――改めて良いところだと思うよ。こういう何気ないところが良い」
「僕、ここしか知らない。他の街には行った事ない」
「出掛けた事も?」
「そ……そういう意味じゃなくって」
出掛けた事すらない訳ではないが、それでも滅多に行かないのは事実だった。
大体この辺りは片田舎、ちょっと隣町に出たところで何が変わるという訳ではない。
都会に出るには結構な距離を移動しなければ出られないのだ。
「……いずれ都会に出てみれば判るよ。ここがどれだけいいところか」
流人は微笑みながらそう言って、諒也の頭を撫でた。何となく照れ臭くなってうつむくと、流人は立ち上がった。
「さ、ボクは帰るけどどうする?このままここに居るかい?」
「……うん」
「判った、じゃあまたね」
「バイバイ」
青年が去ってから、少年はため息を吐いた。
何の為にこの海辺に居るのか。風景を眺めて心を落ち着かせる為なのか、或いは単なる暇つぶしか。
諒也には答えを出す事が出来なかった。
友人などほとんど居ない。
そのほとんど居ない友人がみな忙しくなってしまったら、取り残されるのは諒也だけだ。
彼らが忙しくなる度に、諒也がここへ来る回数と時間は増えていった。
一体何の為にこの場所へ来ているのかすら、もう忘れかけていた。
どうすれば、充実した生活とやらが送れるのだろう。
尤も10歳の彼にそんな事をすぐさま実行出来るはずがない。
それから時間を掛けて、自分のペースを掴んでいくのだろうが、彼にはそんな理屈を考えている余裕は無い。
諒也は堤防の上に立つ。気分が静まるまでしばらく海と空を眺めて後、幹線道路へ戻った。
そこから家へ帰る道筋へと向かい、自宅へと帰る。
家の門を開ける彼の姿を見て、近所の人たちが数人、慌てて自分たちの家へ逃げ込む様子が彼にも見えていた。
見えていたが、気にしない振りをして家の中へと入っていった。
何故自分が周囲でこんなに嫌われているのか、考えても彼には判らない。
ただそれが日常の風景として、目に映るだけだった。
2
空はいつでも我々を見下ろしている。
時々見上げるのも、自然への感謝。
*
時々、この浜辺へ戻ってくる事がある。何の為とは言わない。
ただ気分的に、海を眺めたくなる日があるのだ。尤も、仕事の少ない日に限られてはくるが。
「――……こんなところに居ても宜しいのですか?」
聞き覚えの無い声だった。彼は振り返り、声の主を探した。
「もうそろそろ6時になりますよ。新幹線の時間は何時です?」
テトラポッドの上に座って微笑む、黒髪の女の姿が見えた。
時代と場所に不似合いな、生地の薄い桃色のワンピースが目に付く。
どこかで見た事のあるような風貌が、彼の感覚を狂わせた。
大体何故、知っているのだろう。
彼がここまで、新幹線に乗って来ている事、今日中に帰らなければならない事を。
「……貴女は?」
訊くと彼女はそこから飛び降りて、彼の傍まで歩み寄った。それから悪戯っぽく笑って、告げる。
「名乗るまでの者では無いと答えましたよ?」
「……!」
あの時、あの場所で1度だけ。顔を合わせたことのある人間だ。
――間違いは、ない。
彼女が言う。
「随分背が高くなりましたね」
「――……おかげ様で」
「あの頃はあたしよりも小さかった」
「子供は成長します」
「でも顔見てすぐ判りました」
「童顔なんです」
やり取りは止まった。波の音だけが彼らの耳に届く。2人はただ立ち尽くしていた。
晴れ渡った春の空の下で、共に海を眺めながら。
何の為にここに来たのだろう。自分でもよく判らない。
ただ東京の喧騒から離れたかったのか、単純に海を眺めたかっただけなのか。
あるいは謎の彼女に会えるかも知れない事を無意識に感じていたのか。
尤も彼女にとってみれば、彼だって謎の人なのだろうが。
「あたしはここで生まれてここで消える。子供の頃から、そう決めて生きてきたんです」
意味を取りかねた。返事は出来なかった。
「この街だっていずれは変わってくんです。それでもいいから、ここが故郷だって言える場所にしたかった」
「……俺にはそれが叶えられない」
彼は砂を掴んで、少しずつ手を開く。砂は彼の足元に落ちて、周囲と同化した。
手についた砂を払う。そこには先程と変わらない砂浜が広がっているだけだった。
「叶えられるか否かは、今からは判りませんよ。それじゃあたしはこれで」
「……え?」
彼女は軽々とテトラポッドを上って、道路の方へと姿を消した。
何の為に彼の前に現れたのだろう。全く、理解出来なかった。
「……帰る、か」
そろそろ日も暮れ始める。
彼は砂の上を歩きながら、明日の事を考えた。
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