〜 オ マ ケ 外 伝 其 の 壱 〜
『 紅 蓮 の 炎 と 』
1
いつも問題は水色で、
いつも答えは桃色だ。
*
「――……So you're,」
答えは最後まで言わせてもらえなかった。
男は冬雪の言葉を制止し煙草に火を点けると、その煙を冬雪の顔に向かって吐き出した。
当然、冬雪は咳込む。
「俺に何させる気なんだ、ガキが」
男は英語で早口に言った。
「何とか言ってみろよ」
「けほッ――……何しに来たんです?こんなところに」
「そんなものはアンタに言うことじゃねェよ」
男は手を振って去ろうとした。
冬雪は後ろから声を掛けた。
「貴方が捜しているのは、夢見月の子供でしょう?この街に居る」
「――……何故知っている?」
「ぼくがその、子供だから――……以外に何があります?」
男は煙草の吸殻を地面に落とし、靴で火を消した。
そして、冬雪に歩み寄り、その顔を覗き込んだ。
「……お前がか?こんな可愛い顔しちまってよ」
「関係ありません」
冬雪がムッとした表情をしたのを見て、男は笑った。
「さぁ、どうするかな?お前だったのか……少々期待外れかな」
「馬鹿にしないで下さい」
「もうちっと逞しくなってるかと思ったけどな。
まぁいい、7年振りだ。仲良くしようぜ」
男はわざとらしい笑顔を浮かべ、冬雪に向かって右手を差し出した。
冬雪は男とは目を合わせずに、差し出された右手を握り返した。
*
男の名はハリス=クラックと言う。4分の1が日本人のクオーターで、7年前にも日本に居た。
その頃冬雪はまだ5歳の幼稚園生だったのだが、ハリスと会った時の事はよく憶えていた。
イギリスで警察官をしていると聞く彼は、冬雪の祖母の妹の孫つまり、はとこに当たる。
少々茶色みがかったバサバサの髪と薄蒼の瞳、その高身長と体格。
そして堀の深い顔立ちはいかにも外国人らしい。
そう、彼の4分の1の『日本人』の血は夢見月の血筋である。
彼は冬雪の家を訪れ、冬雪の母親と何かを話し合っていた。
尤も冬雪にそれを理解する事など不可能だったから、その時何の話をしていたのかすら判らないが。
しかし彼は話の通じない冬雪に対しても、何度も話し掛けてくれた。
早口で聞き取りにくかったが、『通じない』からと言って『話さない』事はしない人だった。
『いいかフユキ、よく聞け。何があっても諦めるんじゃないぞ。
お前は生きてる世界が世界だ――……もし逃げ出したりなんかしたら、即刻殺される羽目になるからな』
いくら英語が解るとは言っても子供だった冬雪に、ハリスの言葉は難解だった。
その時は適当に頷いた。
深い意味は解っていなかったが、それから冬雪が何かを『諦めた』事は無い。
多分それだけ、彼の言葉は強く刻みつけられていたのだろう。
――今目の前にいるハリスは、道路をのんびりと歩きながら何かを呟いていた。
後ろを歩いている冬雪には言葉自体があまり聞き取れないから、何を言っているのかはさっぱり判らなかった。
「ハリス、ぼくなんかでいいの?母さんなら去年死んじゃって、」
その続きを言う前にハリスがすごい勢いで振り返り、冬雪の両肩を掴んで揺すった。
「死んだのか?あのユキヨが?」
「う、うん」
首をブンブン縦に振って肯定を示すと、ハリスは冬雪を放してくれた。
そしてオーバーアクションに両手を後頭部に回し、「Oh My God!」と大声で叫んだ。
慌てて冬雪は辺りを見回したが、人通りが少なくて助かった。
「――……参ったな。ヨコハマまで行かないといけないか」
「! それなら練馬に雪子が居る、ダメ?」
冬雪の代替案にハリスは一瞬驚いたようだったが、彼はすぐに笑顔になってくれた。
「なるほど、ユキコか。あれは楽しくなるな――……よし、行こう。
フユキ、一緒に来てくれるか?」
「勿論、仰せのままに」
おどけて言ってみると、ハリスはまた、薄っすらと微笑んだ。
その微笑みがあまりにも儚く感じられて、
冬雪は何だか不思議な気分になった。
*
練馬区、夏岡雪子の自宅にて。
「まさかハリスが来てるとは思ってなかったわ」
雪子は楽しそうに笑い、2人に菓子を振舞った。
「――で?今度の来日の目的はなーに?本家への忠告?それとも何か他のご用事かしら?」
ハリスは日本語が判らない。仕方ないので、冬雪が適当に英訳する。
それを受け、ハリスが丁寧に返答する。
「忠告というか――……何となく、嫌な予感がしている。多分、何かが起こるはずだ。
それだけで来るのもどうかと思ったが、久し振りに顔も見たかったからな。足を運んだよ」
和訳しながら驚いた。
――何かが、起こる?
雪子の顔から笑顔が消えた。
「――どういう事?具体的にはまだ、判らないのよね……?」
「あぁ、済まない。ただ――……途轍もなく大きな事が起こるような気はしてるんだ。
もしかしたらここにいる全員が、命を落とすくらいのな」
ハリスは天井を見上げ、ため息を吐いた。
冬雪は思わず拳を握り締めた。
ハリスの言葉を日本語に直す事が既に、怖かったからだ。
「――……ハリス、それは……夢見月家に関わる事態、って事?」
冬雪は恐る恐る尋ねてみた。
「だろうな。俺の感覚ではそんな感じだ。
――おいおい、お前は心配すんなよ。平気だっての。
お前みたいなガキが未来に希望失くしちまったら、この国どうなっちまうんだよ?」
ハリスはおどけた調子で言った。
どうやら警察官らしく、冬雪を宥めようとしていたらしい。
だが、一度感じてしまった恐怖を取り去るというのは、なかなかの難題だ。
冬雪は返事をせず、ただその場でうつむいていた。
「まぁこの話は置いとこう。いつ起こるかなんてのも判んねェしな。
でよ、お2人。
俺が言いたい話はもう1つあるんだ。
――……この際この3人で、大きなコトやっちまおうぜ?
俺もなかなか日本にゃ来れねェからさ。これが最後になるかも知れねェ訳だろ?
やっぱ折角来たんだし、ってな。思い出になるかと思ってよ」
「――……思い出?」
雪子の為に和訳するのを忘れて、冬雪は勝手に訊き返していた。
「おう、思い出だ。お前もまだガキだからな、記憶にゃ残んねェかも知れないがな」
「ぼ、ぼくだってもう来年中学なんだから!馬鹿にしないでよ」
「馬鹿にはしてねェよ。でな?俺がやりたい事ってのはな、あれだ。
――3人で日本の犯罪者とっちめよう。そんで手柄を立てるんだ。そしたらお前らの面目も保てるだろーよ」
ハリスは歯を出してニィと笑った。
雪子が不思議そうな顔をしてこちらを見ていたので、冬雪は今のハリスの案を説明した。
「お巡りさんらしい提案ね。あたしは構わないわ。むしろ大賛成ね」
冬雪が自分の意図と雪子の言葉を伝えると、ハリスは再びにっこりと笑って、右手の親指を立てて突き出した。
「それじゃ早速、作戦会議開始だ」
2
善の裏返しは悪。
なら悪の裏返しだって善だ。
*
「――ここでいいんだよね?」
冬雪がハリスに言うと、彼は人差し指を唇にあてがった。それから柱の向こうを指差す。
「……!!」
その長い指の示す先には、3人のターゲットである男が何かを探すように歩いていた。
『あれが目標だ。ゆっくり進むぞ』
ハリスが息だけで喋り、冬雪はゆっくりと頷いた。雪子は親指と人差し指でマルを作って肯定を示した。
――その男は夢見月家のネットワークを駆使して見つけ出された、その業界では有名な殺し屋なのだ。
日本語の解らない外国人と子供と女性では一見弱そうだが、それなりの装備は整えてある。
それに、3人ともが夢見月の血を引く、しかも実力者だ。それぞれに自信があった。
『――ヤツのターゲットが来たようだ』
男の殺そうとする相手。
3人は互いに顔を見合わせ、隠れていた柱から一斉に飛び出した。
「動くな、手を挙げろ!!」
最初に冬雪が叫び、威嚇用のエアガンを男に向ける。
男は慌てたのか、素直に手を挙げてから冬雪の姿を確認した。
――……子供である事に怒ったらしい。
「テメェっ、冷やかす気か!!」
男は冬雪に襲い掛かろうとする。
が、身の軽い冬雪は難なくかわし、エアガンで応戦する。
男も半分キレ気味だ。
殺し屋がターゲットにしていたらしい人間は既に走り去ってしまった。
「あらあら、子供相手にムキになっちゃって?バッカみたい」
雪子がクスクス笑いながら男を小馬鹿にする。
男は目標を雪子に替えたらしい。ナイフを取り出し、彼女に向かって一直線に走った。
――が、雪子は寸前で避けて男の脇腹を蹴った。転ぶ。その反動で、男の手からナイフが落とされる。
「はいはい、ナイフなんて人に向けちゃダメでしょー?
あたしを馬鹿にしたら痛い目見るわよ、殺し屋さん?」
雪子が男の気を引く間に、今度はハリスがナイフを拾う。
「The end」
ハリスはナイフの切っ先を男の額に突きつける。
しかし男も名のある殺し屋、そう簡単には引き下がらない。
「テメーら……只者じゃねェな?」
「あらら、定番。もうちょっと捻りなさいよ。――私たち?
貴方を捕まえる為にわざわざここまでやって来た、夢見月家の精鋭たちよ」
雪子が言うと、男はそれだけで何故か恐怖に充ちた表情になった。
「お……お許し下さい!!何とか、ここは――……」
「――許せるか」
ハリスが呟く。
「許せるかって言ってるんだ、日本人」
勿論殺し屋には、早口なハリスの英語は聞き取れない。
聞き取れない事を怒ったのか、ハリスはため息を吐いて出口へと歩き始めた。
「行くぞ、ユキコ、フユキ。そいつを連れて警察署へ」
「Yes, sir! 行こう、雪子」
「オッケー、判ってるわよ」
事件は速い終結。
だが話は終わらない。
*
男は逮捕された。これで多少は社会に貢献できたと冬雪と雪子が笑い合う横で、ハリスがため息を吐いた。
「何?」
冬雪が訊く。
「――……結局夢見月は恐ろしい存在だ。それは変わらないんだな」
「……しょうがないよ、きっとこれからもしばらく変わんないから。
でも平気だよ、ぼくが大人になる頃にはきっと、もうちょっと良くなってる」
何となく慰めてみた。
だがハリスは苦笑するのみだった。
「雪子は英語が解らなかったな」
「え、うん……それが?」
「じゃあお前だけに言おう。俺はな、もう――……死んでるんだ。2年も前にな。
信じちゃもらえないかも知れないが、今日を最後に『あっち』へ行こうかと思っててな。
逝く前に、でかくなったお前の顔拝んでからにしようかと思ってたんだ。
――でもま、俺の人生悪くなかったわ。そんじゃなフユキ、ユキコに宜しく頼むぜ」
「え?い、言ってる事――……よく解んないよ」
「俺はここで。Goodbye, Yukiko」
ハリスは立ち上がって、さっさと部屋から出て行ってしまった。
「何よ、ハリス、何て言ってたの?」
雪子が尋ねてくる。
だが、答える気にもなれなかった。
――ハリスは既に、死んでいた?
何故?
解らない。
2年前?
そんな話は聞いていなかった。
「ふゆちゃん?」
冬雪はリビングの窓から外を眺めた。
もし彼が嘘を吐いていたのなら――……。
死んでなど居なかったら。
彼はここを通るはずだ。
だがいつまで待っても、彼は前の道を通る事は無かった。
消えてしまった。
彼が。
さっきまで話していた彼が。
――冬雪はその場に座り込み、
その日一番大きなため息を吐いた。
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